13,子、斉(せい)に在(い)まして韶(しょう)を聞く。三月、肉の味を知らず。曰く、図(はか)らざりき、楽(がく)をなすことの斯(ここ)に至らんとは。
先生が斉の国にいらしたときに、韶の楽を聞かれ、感動のあまり、三か月の間、肉を食べても味がわからなくなられた。そこで言われた。「まったく予期しなかったね、音楽がここまで行き着けるとは」と。
※浩→孔子は、魯の昭公が斉に亡命したとき随行して、数年間過ごしました。そのときに、聖人・舜が作曲したと伝えられる韶の舞曲を聞いた。その曲について、「美を尽くし善を尽くした」と言っている。韶は魯に伝わっていない曲で、孔子は斉で初めて聞いたのです。そして感激のあまり、肉の味が3か月わからなかったというくらい、彼は音楽好きだったのでしょう。私のアドラー心理学のお師匠様である野田先生も、大の音楽好きで知られています。ご自身もベルカント唱法で高らかに歌われますし、作曲も指揮もなさいます。ご本人は「指揮」が一番向いているとおっしゃいました。何しろカウンセリングの家元ですから、まさに「人生を指揮・アレンジ」するお方です。ずっと昔は、モーツアルトなどはお好きでなくて、マーラーの交響曲を好まれていたようですが、のちになってモーツアルトも受け入れられるようになられたようです。私は逆です。私はマーラーはあまりにも壮大すぎてついていけませんが、モーツアルトはずっと大好きです。特に軽やかなBGMっぽいのがいいです。モーツアルトはさまざまな楽器とオーケストラの協奏曲をそれはそれはたくさん書いています。弦楽器から管楽器まで。こうしていると、耳に響いてきます。『ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467』の第2楽章は、映画「短くも美しく燃え」の主題曲として超有名です。クラシックを離れてイージーリスニングの曲として、ポール・モーリア・オーケストラなどが演奏して大ヒットしました。『フルートとハープのための協奏曲』には特別な思い入れがあります。井原市立高校に在職中、理科の女性教師に高重京子先生という方がいらっしゃいました。「自叙伝」に書いていますが、彼女のご主人は岡山大学の教官で、小さいお嬢さんがいらっしゃいました。お住まいは岡山大学の官舎でしたが、そこから県の西端の井原まで毎日通勤されました。彼女はクラシック好きで私とはすぐに仲良しになって、オペラの手ほどきをしてくださいました。ちょうど、ベルリン・ドイツオペラの日本公演の最中でもありました。そこでも演じられていたヴェルディの『椿姫』の楽譜をわざわざ取り寄せてくださって、ヴィオレッタとアルフレートのデュエットを2人で歌いました。彼女はソプラノです。私は高校時代にはテノールで歌えましたが、当時のようなテノールは発声は難しかったです。むしろバリトンの父親役ジョルジョ・ジェルモン役のほうがぴったりだったかもしれません。「ああそはかの人か」はウンディ・フェリーチェ・エテーレア・ミーバーレナステ・イン・ナーアーンテ・エ・ダ・クエルティ・トゥレマンティ……だったかしら。その学校は、昭和39年度に開校した新設校で、私は開校年度に新卒で赴任しました。定時制でしたので4年制です。苦節4年ののち、最初の卒業式の準備のとき、彼女の発案によって、式後卒業生退場のときのバックミュージックを伝統の「蛍の光」をやめて、クラシックの名曲にしようということになりました。私たち2人に選曲が任されました。そのときの候補にまず『フルートとハープのための協奏曲』の第1楽章が上がりました。同時に、ヴィヴァルディの『四季』の「春」第1楽章が上がり、どちらもぴったりの名曲でしたが私たちには決めかねて、結局職員会議で全職員に聞いてもらった結果、『四季』の「春」に決まりました。本番では私がテープをセットして、司会者の「只今から卒業生が退場します。皆様拍手でお送りください」を合図に「春」を流しました。体育館内の一同が「蛍の光」を期待していたかどうかはわかりませんが、ヴィヴァルディのゴージャスな曲に新鮮な感動を覚えたに違いありません。このアイディアは、次の赴任校・高梁工業高校に行ってからも、職員会議で了承を得ることができて、やはり『四季』の「春」が使われました。このときの卒業生ももうじき後期高齢者です。
マーラーがお好きだった野田先生は、あるとき「ナマズに説教する聖アントニウス」という歌の話をしてくださいました。川でナマズたちが食い争い合っているのを見た聖アントニウスが、ナマズに説教して祈りを教えました。それ以後、ナマズたちは十字を切って、みんなお祈りするようになったそうですが、アントニウスがいなくなるとまた、食い争いを再開したそうです。
ちょうど、昭和から平成に代わるころ、横須賀の池上中学校の磯野先生が、荒れまくっていた学校を、アドラー心理学にもとづいて、1年で改革したという実績が話題になりました。それからしばらくの間は、学校はとても安定していて、文科省の研究指定校になって全国から見学者が殺到(?)したりしましたが、磯野先生がご退職になると、次第にアドラー方式は緩んでいったとか。これにちなんでマーラーの曲のお話をなさいました。私の身辺でも同様のことがあります。2000年前後の私の勤務校では、アドラー心理学のおかげで教育相談活動が定着して、相談室自体が憩いのスペースになっていました。相談も学校内外から需要があり、児玉先生と私とはとても充実したお仕事ができていました。2002年3月に児玉先生は備前(緑陽)高校へ転勤、私は定年退職で学校を去ると、1年くらいは私たちと一緒に仕事をされた内田都美子先生が私たちの雰囲気をそのまま引き継いでくださったのですが、その先生も翌年転勤されました。それを機にただちにアドラー心理学を導入する前の状態に戻ってしまったようです。
もう1つは、児玉先生の勤務校だった倉敷工業高校です。2017年4月に彼が津山へ転勤される前の数年間は、私もそこでスクールカウンセラーや講座などをやらせていただいていて、この学校にもじわじわとアドラー心理学が浸透していたようですが、彼が去り、その翌年に私も去りますと、相談室の責任者はアドラーとまったく関係ない人に替わり、これでアドラー色は一掃されたようです。学校は転勤がありますから、熱心なアドレリアン先生が、築いた実績は、その先生の転勤とともに消滅してしまうという現象があります。津山工業高校でまた児玉先生から招かれた私は、生徒・職員・保護者の相談に応じるほか、月2回のシュッ機微には現職職員の先生方のための講座を開催しました。60人の全職員が参加されたわけではありませんが、それでも毎回10人を越える方が参加されて、熱心に学ばれました。この学校の大きな特徴として、歴代校長さんがほぼ皆勤で参加されたことです。他校では経験がありません。ここでアドラー心理学を学ばれた先生方もやがて他校へ転勤して行かれます。転勤先でも実践を続けていかれれば、「アントニウスに説教されたナマズ」になることはないでしょう。
<ジョブキソ69>
#テーマ
取引先からのデザイン変更の要望を伝えるには?
(今売り込み中の“Yes No hat”にさらにMaybeの文字を追加してほしいと)
Actually, our client is not fully satisfied. Would it be possible to add a MAYBE?
実はお客様があまり満足していません。MAYBEを加えることは可能でしょうか?
@ actually = 実は、実のところ(相手に言い辛いことを持ち出すときの前置きとして使われる)
@ client = 顧客(パートナーシップのようなニュアンス)
不特定多数の客は costomer 。
#応答
Oh! Only that? No problem. How about here?
それだけ?問題ないです。ここにどう?
12,子(し)の慎むところは、斉(さい)、戦、疾なり。
先生が慎重を期せられたのは、「精進潔斎」と「戦争」と「病気」に対してであった。
※浩→「斉」は「斎」、意味は「斎戒」。祭政一致の魯にとって、国の大事、つまり最も重要な国家的行事は、祭祀と戦争でした。孔子は、祭祀にたずさわる前の斎戒沐浴(さいかいもくよく)を厳重に実行し、また戦闘に対して手抜かりなく準備したことは、魯国という都市国家の市民としての責任を忠実に果たしたことを意味します。衛生状態が悪く、医学が未発達だったこの時代では、病気にかかれば、静養につとめるのが最上の対策だった。強健な孔子も病気にかかると、無理をしなかった。良識に富み、幾分古風な市民として、個人として、公私の生活を送った孔子の面影がこの個所によく出ていると言われます。孔子は、故国・魯を愛し、祭祀には斎戒沐浴で臨み、戦時に備える準備を怠らず、病気にかかったとき静養を心がける「よき市民」として生活しました。
野田先生は、今の日本の死亡率が低いのは、医学の進歩によるよりも、公衆衛生がしっかりしているからだとおっしゃっていました。なるほど、コロナ禍においても、マスク着用をはじめ手指の消毒とか換気とか、日本ではほとんどの人がきちんと実行してきました。もしもすべての国民または日本在住者が実行していれば、早々に感染ゼロになっていたでしょうに、一部に不心得者がいたために、長く引きずってしまいました。
祭祀について。わが家の日常は、母が励行していたお仏壇へのお供えは今も毎日欠かさず、お盆やお彼岸などには、今は母の好物だった「おはぎ(ぼた餅)」をお供えします。父は、私とは正反対にとても器用な人でした。絵も字も上手でした。母も妹も器用で、私だけ不器用です。その代わり私は口は達者で、それで十分補っています(笑)。
孔子は、戦時にも備えたそうですが、こればかりは、戦後長く日本では不必要でしたが、最近はそうもいかなくなってきました。残念です。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できない情勢です。個人のつきあいでは、信義に欠けるような人とはつきあわなければいいでしょうが、国と国との間はなかなか難しいです。
「病気になったら静養」は、もちろん、ぬかりなく実践しています。というより、あまり病気になりません。バランスのある食事と、定期的な運動と、身の丈に合った仕事で、少し無理をしたとき風邪を引くくらいでしたが、コロナでマスクを着用し、夜寝るときも着用していると、ここ何年かはまったく風邪を引かなくなりました。加齢とともに血圧が高くなりましたが、これもお薬がよく効いて、理想値を維持しています。睡眠が浅くなるのが悩みでしたが、これは現在は気にしなくなりました。アドラーは「不眠」の相談を受けたら、「眠れないなら眠らなければいい」とアドバイスしています。「悩むことさえしなければ、そのうち眠るだろう」というような楽観的な考えのようです。ある不眠の奥様がアドラーに相談しました。彼女は、明らかに夫にひどく腹を立てていて、そして不眠を訴えていました。アドラーは彼女に言いました。「今夜眠れないと感じたら、あなたがご主人にしてあげられる何かとても素敵なことについて、どんなことができるかを考えてください。そして、明日の朝私に電話をして、思いついたことを報告してくださいね」。翌朝、彼女は電話をかけてきて言いました。「ああ、アドラー先生。ごめんなさい。私、何もご報告することがないんですの。一晩中ぐっすり眠ってしまったものですから」。
第30課 現在進行と並列の表現
1,現在進行の表現
何を探していますか?
뭘 찾고 있어요?
#現在進行の表現
「語幹+고 있어요」(直結型)=「~(し)ています」
?を付けて語尾を上げて発音すると疑問文になる。
@探す=찾다
探しています=찾고 있어요
#練習
@食べる=먹다
食べています=먹고 있어요
@遊ぶ=몰다
遊んでいます=몰고 있어요
2,並列の表現
海が美しくて海産物がおいしくて
바다가 아름답고 해산물이 맛있고.
#並列の表現
「語幹+고」=「~くて」「~(し)て」(直結型)
@美しい=아름답다
美しくて=아름답고
@おいしい=맛있다
おいしくて=맛있고
愛さんはきれいで親切でたくましいです。
아이 씨는 예쁘고 친절하고 씩씩해요.
#練習
@赤い=빨갛다
@丸い=둥글다
赤くて丸くて=빨갛고 둥글고
リンゴは赤くて丸くて甘いです。
사과는 빨갛고 둥글고 달아요.
3,聞き取り
「私(俺)、今行っている」
나 지금 가고 있어.
4,ワンポイント
#しりとり
선물 プレゼント→물놀이 水遊び
#単語(거실에 있는 것 居間にあるもの)
箱=상자
ソファ=소파
テーブル=탁자
イス=의자
ドア=문
窓=찬문
額=액자
ゲーム機=게임기
茶=차
写真=사진
5,フィナーレ
「デートしています」
데이트하고 있어요.
「手を握っています」
곤을 잡고 있어요.
「映画を見ています」
영화를 보고 있어요.
『徒然草』へ脱線してしまいましたので、『論語』に戻ります。
子曰く、富(ふ)にして求むべくんば、執鞭の士といえども、吾これをなさん。もし求むべからずんば、吾が好むところに従わん。
先生が言われた。「富がもし正当な道で手に入れられるならば、鞭をふるう御者にだって自分もなるだろう。もしも正当な道で手に入れられないならば、自分の好みに任せて仕事をするだろう」。
※浩→冷静にこの一条を読み返してみると、『徒然草』に結びつけたのは乱暴だったかもしれません。ここは要するに、「正当な道で富を得られるのであれば、手段はたとえ卑しいとされる御者をも自分はするし、正当な手段で富を得られないなら、そういうことから離れて、自分の趣味にでも浸るよ」と言っているのでしょう。とてもシンプルでした。調子に乗りすぎたようです(笑)。
『徒然草』よりも、むしろ、「起きて半畳寝て一畳(おきてはんじょうねていちじょう)」のほうがふさわしかったかもしれません。織田信長の言葉だとか諸説あるようですが、「人は必要以上の贅沢を望むべきではなく、妥協や満足すべき」という意味のことわざです。人はどれだけ大きな家に住んでいても、起きているときは半畳、寝ていても一畳のスペースしか使わない。大きなスペースが与えられても1人が占領するスペースは変わらないので、贅沢を望まず妥協し、満足すべきだという意味のようです。この線で押し切りましょうか。さらに「天下取っても二合半(てんかとってもにごうはん)」と続く場合があります。「人は1度の食事で二合半以上食べることはできない、たとえ天下を取ってもそれは変わらないので贅沢を望むべきではない」という考えで、起きて半畳……と同じ意味です。
そういえば、現在、わが家では自分の生活に不必要な物が視界から消えつつあります。収納スペースが結構たくさんあって、しかも庭の片隅にプレハブの物置まであります。グーグルの地図を拡大してわが家をみると、その物置もちゃんと載っています。長く住んだ西大寺の借家から1996年に市中心部(西古松)のマンションに引っ越ししたとき、不要な品物をどんどん処理してきました。断捨離ですね。そのマンションは上の階の音がうるさくて我慢できなくなって、1年1か月で現在の家に越しました。そのとき収納庫へしまったままの品物がずいぶんあります。すでに28年住んでいますが、一度も出したことがありません。さらにキッチンをシステム化するとき、台所用品をたくさん物置へしまいましたが、工事が終わって必要なものだけを取り出して食器棚に収めました。多くの物を物置に残したままです。もっともっと年月が経過して生きていれば、ほんとに「起きて半畳」になりそうです。背広(スーツですか)なども、在職中は毎日着替えられるように、数着持っていましたが、今では洋服ダンスに吊り下げたままです。月1回の講演で着るだけで、普段はカジュアルなスポーツウエアで年中過ごしています。
第11課 「~を好む」
<単語帳>
メガネ=yan3jing4眼镜
ケーキ=dan4gao1蛋糕
ショートケーキ=cao3mei2 dan4gao1草莓蛋糕
チーズケーキ=zhi1shi4 dan4gao1芝士蛋糕
チョコレートケーキ=qiao3ke4li4 dan4gao1
SF映画を見る=kan4 ke1huan4 dian4ying3看科幻电影
食べ歩き(グルメ巡り)=mei3shi2 tan4fang3美食探访
バスケットボールをする=da3 lan2qiu2打篮球
切り絵=jian3zhi3剪纸
<キーフレーズ>
「私は音楽を聞くのが好きです」
Wo3 xi3huan ting1 yin1yue4.
我喜欢听音乐。
※喜欢xi3huan + 動詞句/名詞=「~するのが/~が」好きです
@听ting1 = 聞く
@音乐yin1yuue4 = 音楽
「私は赤色が好きです」
Wo3 xi3huan hong2se4.
我喜欢红色。
「父はお酒が好きです」
Ba4ba xi3huan he1 jiu3.
爸爸喜欢喝酒。
<疑問文>
「あなたは何色が好きですか?」
Ni3 xi3huan shen2me yan2se4?
你喜欢啊什么颜色?
<副詞>
@也ye3 = ~も
@都dou1 = みんな
「私も音楽を聞くのが好きです」
Wo3 ye3 xi3huan ting1 yin1yue4.
我也喜欢听音乐。
「私たちは中国を学ぶのが好きです」
Wo3men dou1 xi3huan xue2 Han4yu3.
我们都喜欢学汉语。
<ショート会話>
A
あなたの趣味は何ですか?
Ni3 de ai4hao4 shi4 shen2me?
你的爱好是什么?
私は音楽を聞くのが好きです。あなたは?
Wo3 xi3huan ting1 yin1yue4. Ni3 ne?
我喜欢听音乐。你呢?
私も音楽を聞くのが好きなんです。
Wo3 ye3 xi3huan ting1 yin1yue4.
我也喜欢听音乐。
本当ですか? 良かった!
Zhen1de? Tai4 hao3 le.
真的?太好了!
B
あなたの趣味は何ですか?
Ni3 de ai4hao4 shi4 shen2me?
你的爱好是什么?
私は音楽を聞くのが好きです。あなたは?
Wo3 xi3huan ting1 yin1yue4. Ni3 ne?
我喜欢听音乐。你呢?
私も同じです。
Wo3 ye3 yi2yang4.
我也一样。
本当ですか? 私たち2人とも音楽を聞くのが好きなんですね!
Zhen1 de? Wo3men dou1 xi3huan ting1 yin1yue4!
真的?我们都喜欢听音乐。
あなたはどんな音楽を聞くのが好きですか?
Ni3 xi3huan ting1 shen2me yin1yue4?
你喜欢听什么音乐?
私はクラシック音楽が好きです。
Wo3 xi3huan ting1 gu3dian3 yin1yue4.
我喜欢听古典音乐。
私はロックミュージックが好きです。
Wo3 xi3huan ting1 yao2gun3yue4.
我喜欢听摇滚乐。
ロックミュージックはあまり好きではありません。
Yao2gun3yue4, wo3 bu2 tai4 xi3huan.
摇滚乐,我不太喜欢。
<発音> 声調記号のつけ方
・母音の上につける
・2つ以上の母音は、口を一番大きく開ける母音の上につける。
tao、mai、kuà、qiáo、shuài、láo
・声調記号をつける母音の優先順位
a > o / e > i / u / u
①[a]があれば迷わず[a]の上につける。
②[a]がなければ[o]か[e]の上につける。
[o]と[e]が同じ音節で一緒に現われることはない。
③[o]と[e]もないときは[u]か[i]の上につける。iに付けるときは、上の「点」を取る。iとuが並ぶときは後ろのほうに付ける。
bai、 shou、 jie、 dui、 diu
hei、jie、wài、duo、yuè、xiù
花は昔と同じように美しく咲くけれど一緒にこの花を見た人はもはやこの世にはいない。
Niánnián shìsuì hua xiangsì, suìsuì niánnián rén bù tóng.
年年岁岁花相似,岁岁年年人不同。(劉希夷)
11,子曰く、富(ふ)にして求むべくんば、執鞭の士といえども、吾これをなさん。もし求むべからずんば、吾が好むところに従わん。
先生が言われた。「富(とみ)がもし正当な道で手に入れられるならば、鞭をふるう御者にだって自分もなるだろう。もしも正当な道で手に入れられないならば、自分の好みに任せて仕事をするだろう」。
※浩→いろいろ解釈があるようですが、吉川幸次郎先生のがシンプルでわかりやすいです。 富というものが追求してもよいものならば、それを獲得する手段として、執鞭の士、馬の別当である足軽、そうした卑しいとされる役目でも、私は甘んじて勤めよう。しかしもし、富というものが追求さるべき条件を持たないとするならば、私の生活の自由を保持して、好きなように生きたい。理想のために生きたい。
孔子は富貴自体が追求に値しないとは考えていない。「里仁篇」で「富と尊きは、これ人の欲するところなり、その道をもってせざれば、これを得るも処らざるなり」と言っています。日本で言う「悪銭身につかず」に通じそうです。
『徒然草』第三十八段には、「名利(みょうり)に使はれて、閑(しず)かなる暇(いとま)なく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし(まづし)。害を買ひ、累(わずらひ)を招く、媒(なかだち)なり。身ののちには金(こがね)をして北斗を柱(ささ)ふとも、人のためにわづらはるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金は山に棄て、玉は淵に投ぐべし。利に惑うは、すぐれて愚かなる人なり。
埋もれぬ名を長き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人やはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生まれ、時に逢へば、高き位に昇り、奢(おごり)を極むるものあり。いみじかりし賢人・聖人、みづから賤しき位に居り、時にあはずしてやみぬる、また多し。偏えに(ひとえに)高き官(つかさ)・位を望むも、次に愚かなり。
智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉れも残さまほしを、つらつら思へば、誉れを愛するは、人の聞きをよろこぶなり。誉むる人、毀る(そしる)人、世に止まらず。伝へ聞かん人、またまたすみやかに去るべし。誰(たれ)をか恥ぢ、誰にか知られんことを願はん。誉れはまた毀(そし)りの本なり。身ののちの名、残りて、さらに益なし。これを願ふも、次に愚かなり。
但し、強(し)ひて智を求め、賢を願ふ人のために言わば、智恵出でては偽りあり、才能は煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、まことの智にあらず。いかなるをか智といふべき。可・不可は一条なり。いかなるをか善といふ。マコトの人は、智もなく、徳もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。本より、賢愚・得失の境にをらざればなり。
迷ひの心をもちて名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆(みな)非なり。言ふに足らず、願ふに足らず」。
はて、高校の「古典」で習ったけど、こんなに長かったとはビックリです。冒頭部分は暗記していましたが、あとは今初めてお目にかかるような気がします。後半は「老子」の思想が取り込まれているようです。
人間にとって、「名誉・利益」の2つに翻弄されて、閑暇というものがなく、長い生涯を苦しみ続けることは、まことに愚かなことである。
この2つの欲望のうち、利益について考えると、あまりにも財産が多いと、それを守ることに懸命で、自分の身を守ることがおろそかになるものである。多くの財産は、他人からの危害を自ら求め、難儀を招き寄せる媒介物なのである。自分の死後には、金を積み重ねて北極星を支えるほどあっても、それはかえって、あとに残った人にとって、迷惑な物と思われるであろう。愚かな人の目を喜ばせる快楽というものも、またつまらないものである。例えば、大きな車や、肥った馬や、金や玉の装飾のごときも、物の道理をわきまえた人は、何ともひどく、愚かなものと見なすことであろう。黄金は山に捨て、宝玉は淵に投げ捨てるのがよい。このように考えてくると、物質上の利益に迷うのは、特に愚かな人なのである。
もう1つの欲望である名誉について言うと、いつまでも埋もれることのない名声を長い後世まで残すことを、誰もそうありたいと願うことなのであろうが、しかし、位階が高く、高貴な身分の人だけを、すぐれた人と言うことができようか。なぜならば、愚かで劣っている人でも、よい家の生まれであり、運のよい時にめぐりあえば、高位に昇り、贅沢のありったけをし尽くすこともあるのである。これに反して、昔から、非常にすぐれた賢人・聖人が、自分は低い位に甘んじていて、また運のよい時世にめぐりあわないで終わってしまったことも、これまた多いのである。こう考えると、一途に高位高官を欲しがることも、物質上の利益への欲望に次いで愚かなことなのである。
以上のような世上の名誉欲ではなくて、智恵と心の2つが、特に世間一般よりもたちまさっているという名声をも残したいものであるが、よくよく考えてみると、名声を大切にするのは、世人の評判を喜ぶことである。しかし、その誉めてくれる人も、また、悪く言う人も、ともどもに、いつまでもこの世に生存するものではない。名声を他人から伝えられて聞く人も、またすべて、たちまち世を去ってしまうであろう。こうした中で、自己の名声を誰に対して恥じ、また、誰に認められることを願うものであろうか。その上にまた、自己の名声は、他人から悪口を言われる原因なのである。こう考えてくると、死後の名声というものは、残っても、少しも自分のためにはならないものである。したがって、智恵と心とが世間一般よりたちまさっている名声を望むのも、高位・高官を欲しがるに次いで愚かなことなのである。
ただし、世間の評判のためではなくて、ただひたすらに、智そのものを得たいと思い、賢そのものになりたいと思う人のために言うならば、その智恵が発達することで人間の虚偽が生じたのであるし、賢い才能というものも、人間の煩悩が発展・拡大したものである。いったい、他人から伝えられたのを聞いたのや、他人に学んで知ったのは、本当の智ではないのである。そこで、いかなるものが智であると言うことができるか。世の中で可と言い不可と言っても、はっきり区別できるものではなくて、ひとつながりのものなのである。またいかなるものを善と言うのであるか。以上述べたような、人間の相対的な境地を超越した、まことの人には、人間的な智もなく、徳もなく、功もなく、名声もないのである。このまことの人は、自分の徳を隠し、愚者のごとくに身を保つのではない。もともと、賢愚・利害というような、人間の低い境地にいるのではないからである。
人間が、自分の迷った心で、名誉や利益を追求すると、以上のようなことになる。欲望の対象となすすべてのことは、みな否定されるべきものなのである。したがって、言い立てるにも及ばないし、また、得たいと願うにも及ばないものである。
「諸行無常」の仏教思想や、「無為自然」の老荘思想が随所に感じられます。(つづく)
<ジョブキソ68>
#テーマ
すぐに判断できない要求をされたとき、
「社に持ち帰らせてください」と返答を待ってもらうには?
I'm sorry, but we can't give you an immediate answer. We need to take this back and discuss in-house.
申し訳ありませんが即答できかねます。
この件は持ち帰り社内で協議いたします。
@ immediate = すぐの、即時の
@ in-house = 社内で、直営/outsource = 外部委託
#応答
Understood. We look forward to a positive response. いいです。良いお返事を待っています。
「エデンの東」つづき
キャルは母親から受けた資金で畑を借りて大豆を播きます。早く成長しないか気になって、毎日のように様子を見に行きます。まだ双葉が出たくらいですが、畑に腹這いになって頬杖をついて若芽を眺めます。
第一次世界大戦が始まり、景気変動によってキャルは利益を上げることになりますが、アロンは自分は戦争に反対しているとキャルに語る。一方、町に住むドイツ系移民の靴屋グスタフ・アルブレヒトは戦禍の煽りを受けて、近隣住民から嫌がらせを受けます。店のフロントガラスに石を投げられたりして、店を閉めざるをえなくなる。祭りの日、キャルはアロンと待ち合わせしていたアブラと出会う。アロンが来るまでの時間、アブラはキャルと遊んでくれます。出店を巡り、キャルの頑是ないふるまいに好意を抱き、2人は観覧車に乗ります。キャルは、アブラからアロンには何か違和感を覚えること、母のいないアロンが自分に求める母親像と自分とは違っているということを打ち明けられ、そしてアブラはキャルに唇を許します。一方、観覧車の下では、靴屋のグスタフ・アルブレヒトが反ドイツ感情の強い人々(息子を戦死させた親など)に小突かれて、その中にアロンが巻き込まれています。それを目撃したキャルは、彼を助けるべく騒ぎの中へと飛び込み乱闘騒ぎとなる。保安官のサム・クーパーがその場を収め騒ぎは静まったが、キャルは乱闘に巻き込まれたアロンを助けに入ったのに、アブラが近くにいたので、アロンはキャルがアブラの前でいいかっこをしたかっただけだと思ってしまい兄弟で殴り合いを始める。
アダムの誕生日がやって来ました。大豆の取引によってキャルが得た利益が父アダムの損失額を補填できる金額になっていて、アブラとも相談して、アダムの誕生日にそれを渡すと、戦争に良い感情を持たず、戦争を利用して大金を得たことをアダムは叱責して金を受け取りません。受け取ってほしいと哀願するキャル。そこへアロンが来て、「アブラと婚約した」と強引に伝えます。アダムは、「こういう清らかなものが欲しかった」と語る。キャルは大声で泣き「父さんが憎い」と叫んで出て行く。嘆くキャルをアブラが慰めているのを目撃したアロンは激昂します。アブラにキャルのところに行くなと厳しい口調で伝える。それに対してキャルは父への憎しみがいつしか兄への憎しみに変わます。「アニキ、僕たちのお母さんは死んだと思ってるだろう。ほんとは生きているんだ」と、ケートの酒場に連れていき、酒浸りの母に対面させる。驚くアロンを母の前へ突き飛ばして、キャルは帰宅します。アダムに「アロンはどこか?」と問われると、「知らないね、僕は兄さんの子守りじゃないんだ」と返し、ケートが家を出た理由にも触れ、父との決別を告げる。アロンは、眼前のこの世で最も軽蔑するタイプの女が自分の母であったことを知って激しいショックを受け、自暴自棄になって、その日のうちに出兵します。アダムは知らせを受けて駅に行く。出兵する若者を乗せた列車の窓からアーロンは、父親をあざ笑うように睨んで、頭でガラスを破ります。列車は動き出す。あまりのショックで、アダムは列車が出た直後脳出血で倒れ、身動きも出来ない重病人となった。身体が麻痺して寝たきりの状態になって看護師がつきっきりになった。キャルは自分がやったことで起きた事態に良心の呵責に苦しむ。大勢の人たちが見舞いに来る中で、保安官のサムがキャルに「アダムとイヴの子カインは、嫉妬の余りその弟アベルをころす。やがてカインは立ち去りて、エデンの東ノドの地に住みにけり」と旧約聖書の一節を語って、取りあえずお前はこの家から出て行ったほうがいいと諭す。自分も去らねばならないと決意したキャルは病床にあるアダムに許しを乞うが、アダムはもはや虚ろな目で何の反応も示さない。キャルは絶望の淵に立つこととなった。
アブラは自分の心の中にキャルがいることに気づき、病身のアダムのベッドの傍で1人必死に、キャルが父の愛を求めていたことを語り、ここで彼への愛を示さないと、キャルは一生駄目になってしまうと訴え、「許せとは言いませんから、何か彼に用を言いつけて上げてください。そのことで彼はあなたの愛を悟るでしょう」と説得します。絶望して部屋に入りたがらないキャルを、赦しを乞うように説得して、無理やり父のベッドのもとへ行かせます。無作法な看護師がバタバタ出入りして、待遇が悪いだとか何だかんだ自分勝手なことを叫んでいます。アダムは、「あの看護師を辞めさせてくれ」とキャルに頼む。「こんなことか」とがっかりするキャルがアブラを見ると、「それでいいのよ」とやさしい目線を送ります。気を取り直して、看護師に「GO OUT(出て行け)」と叫んだ直後、アダムの目が訴えるようになり、キャルがアダムの口元に耳を寄せます。微かな声で「代わりの看護師は要らない。お前が付き添ってくれ」と告げるアダム。確かな言葉で父の愛を知ったキャルとアブラはともに涙します。そしてキャルはうれしそうに父のベッドの傍らに座るのでした。(全編完)
「エデンの東」あらすじ
ジェームス・ディーン扮する若者、西海岸サリナスのトラスク家の次男ケイレブ(愛称キャル)は、汽車に無賃乗車して、港町モントレーを歩いています。銀行帰りの女性のあとをつけています。彼女は港町でいかがわしい酒場を経営しているケートで、死んだと聞かされていた自分の母かもしれない人物だったのです。酒場までつけていって、そのまま汽車の屋根に飛び乗ってサリナスに帰ります。兄のアロンと恋人のアブラが散歩しているのを見えつ隠れつあとをつけて、アブラから気味悪がられます。2人は、農場でレタスの収穫をしている父のところへ行きます。冷凍倉庫に入り込んで、2人は甘いひとときを過ごしますが、嫉妬したキャルは突然、レタスの冷凍保存に使用される氷を屋外に滑らせ砕きます。父アダムは夜に聖書の一説を引用して叱責しますが、キャルは「自分のことを知りたい、そのためには母のことを知らなければ」と母のことを問いただします。アダムは母との不和を話したが、彼女は死んだと言い張りました。キャルは翌日、ケートの店に向かい、彼女と直接対面しようとしますが、用心棒に追い返されます。
その後、キャルはアダムの旧友である保安官のサム・クーパーから誰にも見せなかったという両親が結婚した時の写真を見せられ、ケートが自分の母だと確信する。
キャルを慕うガールフレンドと遊んでいて、アロンの恋人アブラを見かけて、キャルは「父から愛されていないのではないか」という自分の悩みを兄アロンの恋人アブラに打ち明ける。すると、彼女も同じ悩みを抱えていたことがあったことを語り、2人の心が近づく。キャルは父がやっているレタスの選別作業を効率化するために、石炭選別場からトタン製の半円形の筒をパクってきて、作業場に設置する。農夫たちが楽々と作業しているのを見たアダムは、それがキャルの発案と知って、珍しくキャルに笑顔を見せる。おりしも、石炭選別場の作業員が筒が盗まれたと騒いでいる人々が通り過ぎて、バレてしまうが、父親が後始末をしてキャルを叱責することはなかった。
やがてアダムは冷凍保存したレタスを東海岸に運び大商いをして大儲けすることを狙って、貨物列車で東部の市場へ輸送したが、その途中で峠が雪崩で通行不能となり、列車内で氷が溶けて野菜が腐ってしまい大損害を蒙る。キャルは損失額を取り戻すべく、取引の先見の明を持つウィル・ハミルトンのもとを訪れ、彼に認められて戦争に伴う景気変動から豆が高騰するという話を聞くが、投資額は彼に工面できるものではない。そこで彼は母ケートのもとへ向かい、資金を求めるが一度は断られてしまう。しかし、ケートが家を出た理由は自由を求めていたからということ、アダムがインディアンとの戦いで負ったと言っていた傷はケートが家を出るときに彼女に撃たれて負ったということ、ケートも息子キャルと同じようにアダムから聖書を引用した叱責と清廉であることへの束縛を嫌っていたことがキャルから語られ、資金の提供を引き受けることになる。(つづく)