昔、苦境にあったとき、『老子』のおかげで助かりましたが、野田先生から、道家思想は土着思想だと教えられて、惜しみがらもきっぱり縁を切ってしまいました。その後、アドラー心理学の学びを深めていくにつれて、わかったことがあります。それも野田先生からの受け売りですが、理論の折衷はしないが技法の借用・折衷はかまわないと。アドラー心理学も、技法に関してはあちこちから借用しています。それは人類の共有財産だというふうに諸派でもとらえられています。そもそもアドラー心理学独自の技法といえば、「ライフスタイル(性格)分析」と「勇気づけ」くらいで、あとは、「主張性訓練」も「系統的脱感作」も「ロールプレイ」も他派からの借用です。理論を折衷するのは、ぜんざいととカレーを混ぜるようなもので、何が何だかわけがわからなくなります。
そこで、たとえ土着思想であろうと、処世術つまり技法のほうは借用してもよいのではないかという結論に達しました。世の中は今ますます厳しい状況になってきました。「特殊詐欺」は激増、学校での「いじめ」、無差別殺人、マナーの悪さが蔓延する自己中心主義、天災による被害もあとを絶たないのに、人類共同体のほうはバラバラです。かつてリースマンが『孤独な群衆』に書いたとおり、人々は手のひらにすくい上げた砂粒のようで、一粒一粒バラバラです。家庭という社会の最低単位さえそうです。いわば、乱世です。野田先生は、「狂気の社会」だとおっしゃいます。そうなると、この逆説的に人生訓の詰まった『老子』こそ光ってくるようです。
あらためて、読み直してみると、なるほど「前篇」の「道経」は理論のようで、「後篇」の「徳経」は技法のようです。よし!技法の借用はOKなんだ。さっそく63章と64章と最終の81章と取り上げます。
63章──
無為をなし、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし、少を多とし、怨みに報ゆるに徳をもってす。難をその易にはかり、大をその細になす。天下の難事は、必ず易よりおこり、天下の大事は、必ず細よりおこる。ここをもって聖人は、ついに大をなさず、ゆえによくその大をなす。それ軽諾は必ず信少なく、易(やす)しとすること多ければ必ず難(かた)きこと多し。ここを持って聖人はなおこれを難しとす。ゆえについに難きことなし。
無為をわがふるまいとし、無事をわが営みとし、無味をわが味わいとする。小には大を与え、少なきには多きを返し(浩→ここはわかりにくい。諸説あるそうです。)、怨みには恩恵で返す。困難な仕事は容易なうちに手をつけ、大きな仕事は小さなうちに片づけていく。世の中の難事は、いつでも容易なことから起こり、世の中の大事は、いつでも些細なことから起こる。だから無為の聖人は決して大事を隠そうとはせず、こうして大事を成し遂げる。そもそも安請け合いはかならずアテにならず、やさしく考えすぎると、きっとひどい目にあう。だから無為の聖人は、容易なことでも難しいこととして取り組み、こうして少しも困難が起こらない。
文字数の多いところは訳しやすいですが、文字数の少ないのは訳しにくいです。こんなことを言うと、ここの老子の説と一致しそうですが、解釈は多様ですから、読み手に最もフィットするものを選ぶということで、福永光司先生のをいただきました。日常生活で、やらずもがなの余計なことをした。些細なことを見逃して油断した。報復的な行動をした。……私もこうした失敗には枚挙にいとまがありません。そのたびに、ここを思い出して、自分を戒めます。ほんとに些細なことですが、台所でコーヒーを入れて、量が多すぎてこぼれそうなのを、お盆に載せないで、片手で隣のリビングに運んでいて、ふらついてドバッと床にこぼして、泣きべそをかきながら、床を雑布がけしていたりします。そのとき、この老子を思い出して苦笑しています。(まだまだまだつづく)
「玄のまた玄、衆妙の門」は「道は万物の根源」だということです。万物の根源というと、ギリシャ哲学でも、哲学の祖と言われるタレスが「万物の根源は水である」と言っています。私は職業上でも馴染んだ言葉でした。それが、「根源的な力を想定するのは土着思想」だと教わったときはショックでした。1992年のアドラー心理学会横浜総会での野田先生の「基調講演」で、テーマは「心理学における土着思想と反土着思想」でした。もちろん、藤井先生と備前高校に勤めていたころは、アドラー心理学に出会っていなくて、老子の逆説的な人生観にすっかり惹かれて、読みふけりました。今も、覚えているいくつかのフレーズがあります。
・上善は水のごとし。水はよく万物を利して争わず。衆人の悪む(にくむ)ところに処る(おる)。ゆえに道に畿(ちか)し……。
水はすべての生き物に恵みを与えて、自分は人々の嫌う低い水溜まりに溜まって、決して争わない。だから、こういう生き方が最上の善なのだ。このフレーズが自分にフィットしたのは、子どものころから母親に、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」とか「倒されし竹は静かに起き上がり、倒せし雪は跡形もなし」と教えられていたからです。かくありたいと念じて生きてきたものの、私がこれをそのまま実行すると「偽善」になってしまいます。これが偽善だと自認できるようになったのは、アドラー心理学のおかげです。以前は自分では忠実に実行している気になっていました。自己欺瞞です。「自分の無意識は他人に意識」ですから、まわりの人にはバレバレだったのでしょう。アドラー心理学を学んだおかげで、カウンセリングなんかして、私たちが面接した人たちに多少ともお役に立っているとしても手柄顔をしないで、水のごとくありたいと思います。もちろん「上善」でもありません。
老子の哲学は、中国の歴史の泥濘の中に腰を据えた哲学である。それは踏みつけられたものの強靱さ、大地に密着するものの粘り強さ、重心を下に落としたものの逞しさをおのれの生き方とする哲学で、それ以上に崩れようのないもの、一切の人間的な作為が崩れ落ち無に帰するところからおのれの生き方を考える、不敵な乱世の哲学である。……と福永光司先生の解説にありました。
・人の生まるるや柔弱、その死するや堅強なり。万物草木の生ずるや柔脆(じゅうぜい)、その死するや枯槁(ここう)す。ゆえに堅強なる者は死の徒、柔弱なる者は生の徒なり。ここをもって、兵強ければすなわち勝たず、木強ければすなわち折る。強大は下(しも)に処り、柔弱は上(かみ)に処る。
“柔”であり“弱”であることが生命保持の根本原理であり、人生万事、“柔弱”の処世に徹した者が究極的な勝利を得ることを説明しています。
そういえば、日本でも平安時代末期には、“剛”の武士は、“柔”の貴族の番人でした。鎌倉時代には“剛”の源氏が統治しますが、室町以後は本来“剛”の足利氏も、その後の秀吉も、権力を得ると貴族化していくのは、“柔”が“剛”に勝つという法則のためでしょうか。徳川家康は武家政権がゆらがないように、「武家御法度」などを定めて、200年以上の支配が続きました。その徳川政権が明治維新で、大政奉還して天皇に統治権が戻ります。昭和になって軍部が台頭してまたしても武民が実験を握り、敗戦で新憲法ができて、そして「シビリアン・コントロール(文民統制)」となり、歴史は繰り返されます。
日常生活でも、鋳物の鍋は落とすと割れますが、柔らかい竹細工の籠は落としても弾力があって壊れません。人間も、打たれても打たれても、柔軟に跳ね返していく生き方に魅力を感じます。(まだまだつづく)
6,子曰く、道に志し、徳に拠(よ)り、芸に游ぶ。
先生が言われた。「道を目的とし、徳を根拠とし、芸に自適する(自由な気持ちでその中に身を委ねる)」。
※浩→「道」はいろいろに解釈されますが、特に周公を模範とし、周公の作った「礼」の精神を明らかにしようというのが孔子の理想でした。「夫子の道は忠恕のみ」、「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」の「道」は、「人としての正しい道」のことでした。それは「徳」を根本としています。「権力」でなく、人間が良き行動によって積み上げてきた徳の精神的な力がもとであるということです。道徳の中でも、特に人間らしい道徳、つまり人間の社会的な自覚にもとづいた「仁」を実現することが中心とならないといけません。「芸」は、「六芸」つまり「礼」「楽」「射」「御」「書」「数」の6つです。「礼」は礼儀作法、「楽」は音楽、「射」は弓矢、「御」は車の運転、「書」は読書、「数」は計算ですか。これだけ堪能なら万能だと言えます。
「道」と「徳」が登場しますが、儒家のライバル「道家」の老子による『老子』は『老子道徳経』と言われ、「上編」が「道経」で「下編」が「徳経」です。その『道経』の冒頭には、「道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。名無し、天地の始めには、名あり、万物の母には。ゆえに常に無欲にしてもってその妙を観、常に有欲にしてもってその徼(きょう)を観る。この両者は、同じく出でてその名を異にし、同じくこれを玄と謂う。玄のまた玄、衆妙の門」とあります。意味は、「これが道だと規定しうるような道は、恒常普遍の真の道ではなく、これが真実の言葉だと決めつけうるような言葉は、絶対的な真理の言葉ではない。天地開闢以前に元始として実在する道は、言葉では名づけようがないが、万物生成の母である天地が開闢すると、名というものが成立する。だから人は常に無欲であるとき、名を持たぬ道のかそけき実相を観るが、いつも欲望を持ち続ける限り、あからさまな差別と対立の相を持つ名の世界を観る。この両者は根源的には一つであるが、名の世界では二つに分かれ、いずれも不可思議なものという意味で「玄」と呼ばれる。そして、その不可思議さは玄なるが上にも玄なるものであり、造化の妙用に成る1歳万物は、そこを門として出てくるのである」。
老子の言う「道」は「万物の根源」です。この考えは「土着思想」だと1992年に野田先生から教わりショックを受けました。イエス・キリストの教えも、釈迦の教えも、彼らが存命中は「創造的思想」だったのが、没して時間が経過するにつれて、土着思想に迎合したり、融合したりして堕落したとおっしゃるのです。
私は昭和48(1973)年~55(1980)年まで備前高校(現在の備前緑陽高校)に勤務していました。赴任早々の分掌は、交通指導課でした。当時は生徒のオートバイ通学が認められていて、生徒の交通違反の事後指導が主要な業務でもありました。2年目だったかに、学校を出たばかりの超若手の藤原光郎先生が交通指導課の配置になって、まだ30歳台だった私とすぐに仲良しになりました。当時の交通指導課のスタッフは錚々たるメンバーでした。課長はのちに岡山工業高校の校長になられ片山博美先生(博美でも男性です)、スタッフには筋金入りの職人さんタイプの松原一夫先生や大饗良先生、数学のインテリの見村先生もいらっしゃったと記憶しています。違反や事故を起こした生徒の「特別指導」は、広い「第二職員室」に隣接する狭い交通指導課の職員室内で行われました。教師のデスクのそばに机を置いて、教師たちと生活をともにしながら、課題をこなしていました。ベテランの先生たちの指導はなかなかスパルタでしたが、それでも当時の指導は人情味が溢れていました。“浪花節”が通じていました。放課後には、私はボート部員とともにランニングに参加していました。ボート部はこの学校ではメジャーな部で、予算は野球部以上にもらっていましたし、顧問も3人いました。この学校にボート部を創設した功労者のSi先生&私と同じ社会科の小山先生、そして私でした。放課後、交通指導科長がSi先生と囲碁を打っているとき、私が部員と走っているのを見かけると、同じく顧問のSi先生に、「大森さんはああして部員と走っているのに、あんたはこうして碁を打っているのか」とおっしゃってくださいました。親分肌の頼りがいある先生でしたが、のちに岡山工業高に校長としておいでになってからは、私たちとは違う世界の人になられたようです。退職後、数年してお亡くなりになったのがとても残念です。
ボート部でウエイトトレーニングを始めたところ、藤原先生も部員とともにトレーニングに参加されました。部員は、朝は長距離ランニング、放課後は水上練習で、ウエイトの時間がありません。仕方なく、お昼休みに柔道場をお借りして、器具も柔道部のをお借りして、昼ご飯をそこそこに済ませたら、柔道場へ直行して午後の授業が始まるまでの限られた時間に、ベンチプレスやスクワットをやりました。やがて、窯業科(その後“セラミック科”に)に、これまた学校出たての藤井正勝先生が赴任されました。藤井先生と藤原F先生とはほぼ同年代で、私とよりもずっと仲良しになられましたが、それでもよく3人で行動していました。その藤井先生は、大阪の出身で、学校から徒歩数分の場所に下宿していました。当然、“溜まり場”になりました。藤原&藤井コンビは他の先生たちとよく麻雀をしていたようです。私は麻雀はたしなみませんので、そのときはメンバーから省かれていました。それでも仲良しで、その藤井先生が老子が大好きでした。その影響で、私も『老子』を読み始めました。これが、その後に起こる、私の公私にわたる難局を救ってくれることになります。(つづく)
第9課 連動文
連動文=1つの主語に2つ以上の動詞が連なっている文
<キーフレーズ>
「私は買い物に行きます」
Wo3 qu4 mai3 dong1xi.
我去买东西。
@去qu4 = 行く (jü, qü, xü→表記はju, qu, xu)
@买mai3 = 買う
@东西dong1xi = もの
※動作行為を行う順に動詞を並べる。
Ta1 lai2 Ri4ben3 guan1guang1.
他来日本观光。
「テレビを見て中国語を学習する」
Kan4 dian4shi4 xue2 Zhong1wen2
看电视学中文
「私は電車に乗って浅草に行きます」
Wo3 zuo4 dian4che1 qu4 Qian3cao3.
我坐电车去浅草。
@坐 zuo4 = 座る、乗り物に乗る
<ショート会話>
A
「明日あなたは何をしますか?」
Ming2tian1 ni3 zuo4 shen2me?
明天你做什么?
「私は買い物に行きます」
Wo3 qu4 mai3 dong1xi.
我去买东西。
「どこへ行きますか?何を買いますか?」
Qu4 nar3? Mai3 shen2me?
去哪儿? 买什么?
「銀座へ行って服を買います」
Qu4 Yin2zuo4 mai3 yi1fu.
去银座买衣服。
B
「明日あなたは何をしますか?」
Ming2tian1 ni3 zuo4 shen2me?
明天你做什么?
「私は買い物に行きます」
Wo3 qu4 mai3 dong1xi.
我去买东西。
「どこへ行きますか?何を買いますか?」
Qu4 nar3? Mai3 shen2me?
去哪儿? 买什么?
「秋葉原へ行ってパソコンを買います」
Qu4 Qiu1ye4yuan2 mai3 dian4nao3.
去秋叶原买电脑.
「電車に乗って行きますか?」
Ni3 zuo4 dian4che1 qu4 ma?
你坐电车去吗?
「いいえ、車を運転して行きます」
Bu4, wo3 kai1che1 qu4.
不,我开车去。
「私も一緒に行っていいですか?」
Wo3 ye3 yi4qi3 qu4, xing2ma?
我也一起去,行吗?
「すみません、私は彼氏と一緒に行くんです」
Bu4 hao3yi4si, wo3 he2 nan2peng2you yi4qi3 qu4.
不好意思,我和男朋友一起去。
<発音> üの「点」の省略
覚え方=「üちゃんはとても礼儀正しい。j, q, xに会うとすぐ帽子を取ります」
Xiao3 ü you3 li3mao4. Jian4dao4 j q x jiu4 zhai1 mao4.
小ü小ü有礼貌。见到jqx就摘帽。
・j+ü → ju
・q+ü → qu
・x+ü → xu
・üで始まる単語→yu
・ü → yu
・üe → yue
・üan → yuan
@ju4li距离=距離
@xing4qu4兴趣=興味
@yuan4wang4愿望=願望
5,子曰く、甚だしい(はなはだしい)かな、吾の衰えたるや。久しいかな、吾復(ま)た夢に周公を見ざること。
先生が言われた。「私もずいぶん老人になった。肉体がよほど衰えたに違いない。何となれば、以前は、私が最も理想とする人物である周公様を夢によく見た、しかし今は、周公様の夢を見なくなってからずいぶんになる」。
※浩→周公は孔子から5or600年前、周王朝の創業にあたって、王朝の政治と文化の方針、またそれらの組織を定めた周公・旦で、文王の子、武王の弟です。礼の諸儀式、それにともなう楽(がく)のすべてはこの偉人が制定しました。人間の文化の方向を定めた偉人として、孔子が仰ぎ慕っていたのです。この偉人への思慕を、恋人への思慕のように夢に見ていたのが、見なくなったから老衰を感じるという晩年の述懐です。
かく言う私も80歳を越えて久しいです。老いると夢を見ないとありますが、私はまだ見ます。アドラー先生は夢の意味を知ってからは見なくなったそうですが、私はいまだ夢を見ます。ライフスタイルと関係のある夢に「繰り返される夢」があります。私の夢は、「授業に行こうとして、生徒用の印刷資料をいつも置いている棚を見ると、ない!探しても探しても見つからない。確かに印刷してここに置いておいたはずなのに」。そうかと思うと、「今度は自分が執務する机がない」。それから、「職員室を出たが、途中で迷ったみたいで、どうしても教室にたどり着けない。しかも大好きなクラスだから早く行きたいのに行けない」。さらには、「行きたくてしょうがないクラスに毎回遅刻して行く」……。定年退職してからすでに20年以上になり、もはや授業もなければ、職員室も必要ないのに、こういう夢を見る理由が自分には不明です。アドラーは、「夢は未来のリハーサル」だと言いましたが、私には授業のリハーサルは無用なのに一体何のリハーサルなんでしょう?「目ざす場所へは結局行けません」という意味なのかもしれない。そんなー!目ざす場所が何なのかわかりません。そういえば、野田先生の日記に、「人生はどうせ間に合わない」とありました。ニーチェの『人間的あまりに人間的』でしたか、「人生は退屈して生きるにはあまりにも短すぎる」とありました。そうだ、“瞑想”だ!「今ここ」でしか私たちは生きていないんです。過去の後悔と未来への不安にさいなまれることなく、「今ここ」の現実をしっかり感じ取って生きるしかないのです。これらの夢はすべて、「今の現実に帰れ」という教訓なのかもしれません。そして、今は「暑ーーーい!」。この土曜日に迫った岡工講座のリハーサルを丹念にやっています。ここへはたどり着けますから。
<ジョブキソ66>
#テーマ
先方との会議で行き違いが!
「そういうつもりじゃないんです」と誤解を解くには?
Just a minute. That's not what we meant.
ちょっと待ってください。そういう意味で言ったのではありません。
※日本語では割り込むとき「すみません」と言う。このとき、I'm sorry. / Excuse me.とそのまま訳すとこちらが謝っている感じになるから、Just a minut.が良い。
#応答
I understand. Just adding maybe is enough.
わかりました。maybeを付け加えるだけで十分です。
4,子(し)の燕居(えんきょ)、申申如(しんしんじょ)たり、夭夭如(ようようじょ)たり。
先生がくつろいでいらっしゃるときは、のびのみと、また、にこやかでいらっしゃる。
※浩→「燕」は「宴」で「安」、つまり「安居」は朝廷から下がって、家でくつろぐこと。私的生活の意味。「申申」は「のびのび」、「夭夭」は『詩経』に「桃の夭夭たる」とあって、植物がさかんに成長しているさまを形容する。また同音の「妖」が女性の笑っている様子を示していて、人間の容貌にすれば、笑いをたたえ愉快な状態を表す。孔子の家庭での生活態度は、すぐれた自由人としての、規律ある自由さを示しています。
「規律ある自由さ」は見習いたいです。独居生活は自由気ままで誰にも迷惑がかかるわけではないですが、早寝早起きを励行して、栄養のバランスの取れた食事を、腹八分でいただき、1日ごろ寝でテレビを観るのではなく、毎月の講演の資料を少なくとも3か月前には作って、ホームページをいくつか更新し、週に3~4日はスポーツジムへ行って筋肉トレーニングに励み、食料はほとんど買いだめしないで毎日スーパーマーケットへ買いに行く。お風呂にもきちんと入り、古典落語を聞いて、一人で笑い、余裕があれば、庭の草取りにいそしむ。今は毎日が猛暑のため、草取りはさぼっています。だんだん気になるほど延びてきましたが、ある程度延びたほうが草抜きのときにやりやすいです。それでも、庭木の枝が延び放題なのは、目障りなので、ついに勝手口の側だけ綺麗にしました。切った枝は小さくカットして、透明のビニール袋に詰めてゴミ出しすると、無料で回収してくれます。ここの木は道路に面しているため、はみ出さないように剪定しておかないと、通行の人の迷惑になります。わが家の庭木のほとんどは、小鳥が種を落としてくれて自然に生えたものです。土地の栄養が良いのか、どんどん成長します。放置しておくと、家屋が森に囲まれるかもしれません。住み心地の良い環境です。
第27課 復習3「ヘヨ体のおさらい」
<例文>
愛しています。
사랑해요.
明日は朝4時に始めます。
내일은 새벽 네 시에 시작해요.
<ヘヨ体>
動詞・形容詞の─
・陽語幹(ㅏ,ㅗ) + 아요
・陰語幹(ㅏ,ㅗ以外) + 어요
・하다語幹 + 해요
@良い=좋다 良いです=좋아요
@探す=찾다 探します=찾아요
@小さい=작다 小さいです=작아요
@食べる=먹다 食べます=먹어요
@作る=만들다 作ります=만들어요
@遠い=멀다 遠いです=멀어요
@電話する=전화하다 電話します=전화해요
@親切だ=친절다 親切です=친절해요
<縮約形>
#合体型
「しばらくお待ちください」
잠시만 기다려요.
※語幹の最後の母音
・ㅗ+어→ㅘ
・ㅜ,ㅣ,ㅚ+어→ㅝ,ㅕ,ㅙ
@待つ=기다리다 待ってください=기다리+어요 合体縮約→기다려요
@来る=오다 来ます=오+아요 合体→와요
#ドロン型
@行く=가다 行きます=가+아요 ドロン縮約→가요
@立つ=서다 立ちます=서+어요 ドロン縮約→서요
※語幹の最後の母音がㅏ、ㅓ、ㅕ、ㅐ、ㅔの場合は、「아」「어」がドロンと消える。
<練習>
・見る=보다 見ます=봐요
・つける=켜다 つけます=켜요
・会う=만나다 会います=만나요
<名詞につけるヘヨ体>
#「~です(か?)」
名詞(パッチムなし/あり)+예요/이에요
○○さんは歌手です。
○○ 씨는 가수예요.
私は日本人です。
저는 일본사람이에요.
#「~ではありません(か?)」
名詞(パッチムなし/あり)+ 가 아니에요/이 아니에요
※疑問文は?を付けて文末を上げて発音する。
<練習>
これはリンゴです。
이건 사과예요.
これは病院ではありません。これは学校です。
이건 병원이 아니에요.이건 학교예요.
これは帽子です。
이건 모자예요.
<イ・ク・チョ>
・この=이
・その=그
・あの=저
・これ=이것
・それ=그것
・あれ=저것
・これは=이것은 縮約→이건
・それは=그것은 縮約→그건
・あれは=저것은 縮約→저건
<ワンポイント>
비행기 飛行機 기차 汽車
#具合が悪いときに使うフレーズ
風邪を引きました。
감기에 걸렸어요.
薬局はどこですか?
약국은 어디예요?
薬はいつ飲まなければいけませんか?
약은 언제 먹어야 돼요?
お腹も痛くて頭も痛いです。
배도 아프고 머리도 아파요.
頭がくらくら(めまいが)します。
어지러워요.
<動詞・形容詞のヘヨ体>
ドゥファンさんが来ます。
두환 씨가 와요.
ジュースを飲みます。
주스 마셔요.
見ます。
봐요.
格好いいです。
멋있어요.
ケーキを食べます。
케이크를 먹어요.
○○を愛します。
○○를 사랑해요.
3,子曰く、徳の脩(おさ)まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒(うつ)る能(あた)わざる、是れ吾が憂いなり。
道徳の修養を怠ること、学問の勉強を怠ること、義(ただ)しいことを耳にしながら、そのただしさへわが身をもっていけないこと、善からぬことと気づきながら改められないこと、この四つが私の心配である。
※浩→朱子は、「自分自身の行動についての憂い」であると読んだが、荻生徂徠はこれに反対して、「門人たちの行動についての心配であった」としています。朱子の説のほうが穏やかであろうと吉川幸次郎先生は解説されます。
「曽子曰わく、吾日に我が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを傳うるか」に通じるものがあるようで、私も朱子の説のほうがすんなり納得できます。強引にアドラー心理学に当てはめると、「門人たちの行動」というのは、「私の課題」でなく、他者の課題ですから、原則として関与できないと考えます。ただし、「門人たちの行動に対する憂い」となると、これは「私の課題」になりますから、他者を操作することなく自力で解決しないといけません。ここでは孔子は、「徳の脩(おさ)まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徒(うつ)る能(あた)わざる、是れ吾が憂い」と“相対的マイナス”の側を述べていますが、「ではどうなろう」という“相対的プラス”の側は述べていません。他の箇所で出てくるのでしょうかねえ。
私は、自戒として「人格の向上に努め、学問を怠らず、正しいとわかったらできるだけ実践したい」と常々念じています。まあ理想ではありますが。
恩師・野田先生のお言葉では、「カウンセリングというのは自分の競合性・支配性との闘いである」です。面談で解釈や助言が奏功すると「やった!」と喜び、うまく運ばないと落胆するのは、根強い競合性があるからで、来談者と真に横の関係なっていないためであると考えられます。この大前提に戻って、自己点検を怠らないようにしないといけません。特に「助言の出し過ぎ」にはくれぐれも要注意です。できれば助言はほとんどしないで、「開いた質問」を重ねて、来談者が自ら解決を見いだしていけるようにリードするのが最上だと思います。実際、野田先生が徹底的にそうなさっていたのを、わが眼で見ました。当然、抵抗に遭ったら即撤退し出直しまが、常々、抵抗になど遭わないコミュニケーションを励行していないといけません。
第8課 指示代名詞、助詞“的 de”
<キーフレーズ>
「これは私の名詞です」
Zhe4 shi4 wo3 de min2pian4.
这是我的名片。
@ 得 = ~の
@ 名片 = 名詞
<指示代名詞>
#主語に使う
・「これ(それ」 = zhe4 这
・「それ・あれ」 = na4 那
・「どれ」 = na3 哪
#主語と目的語に使う
・「これ(それ)」 = zhe4ge(zhei4ge) 这个
・「それ・あれ」= na4ge(nei4ge) 那个
・「どれ」= na3ge(nei3ge) 哪个
※( )は会話体
「これは私の荷物です」」
Zhe4 shi4 wo3 de xing2li.
这是我的行李。
「あなたの荷物はこれです」
Ni3 de xing2li shi4 zhei4ge.
你的行李是这个。
※「的」の後ろの名詞は文脈でわかる場合は省略される。
「携帯電話は李先生のです」
Shou3ji1 shi4 Li3 lao3shi1 de.
手机是李老师的(手机)。
「これは私のミルクティーです」
Zhe4 shi4 wo3 de nai3cha2.
这是我的奶茶。
<ショート会話>
A
「こんにちは。私は大森浩です」
Nin2 hao3. Wo3 shi4 Da4sen1 Hao4.
您好。我是大森浩。
「どうもどうも。以前からお名前を承っております」
Ni3 hao3, ni3 hao3. Jiu3yang3 da4ming2.
你好,你好。久仰大名。
「これは私の名詞です」
Zhe4 shi4 wo3 de ming2pian4.
这是我的名片.
「ありがとうございます。こちらは私の名詞です」
Xie4xie. Zhe4 shi4 wo3 de ming2pian4.
谢谢.这是我的名片。
B
「ちょっとご紹介しましょう。こちらは私どもの社長の大森浩です」
Wo3 lai2 jie4shao4 yi2xia4. Zhe4 shi4 wo3men she4zhang3 Da4sen1 Hao4.
我来介绍一下。这是我们社长大森浩。
「こんにちは、以前からお名前を承っております」
Ni3 hao3, jiu3yang3 da4ming2.
你好,久仰大名。
「こちらは児玉社長です」
Zhei4 wei4 shi4 Er2yu4 zong3jing1li3.
这位是儿玉总经理。
「こんにちは。ようこそ」
Ni3 hao3. Huan1ying2 huan1ying2.
你好。欢迎欢迎。
「これは私の名詞です」
Zhe4 shi4 wo3 de ming2pian4.
这是我的名片。
「ありがとう。これは私の名刺です」
Xie4xie. Zhe4 shi4 wo3 de ming2pian4.
谢谢。这是我的名片。
「ありがとう」
Xie4xie.
谢谢。
「おかけください」
Qing3 zuo4 ba.
请坐吧。
<発音> eの音色
・単母音“e”:「エ」の唇で「オ」を発音する。
・「エ」に近い音
ei , ie, e , üe, en , uei , uen
・単母音“e”のままの音
eng , ueng
・「ア」に近い音
de , ne
@姐姐 jie3jie 姉
@哥哥 ge1ge 兄
@妹妹 mei4mei 妹
@爷爷 ye2ye (父方の)祖父
「学んでも自ら考えなければはっきりしない、考えても学ばなければ危険である」
Xue2 er2 bu4 si1 wang3, si1 er2 bu4 xue2 ze2 dai4.
学而不思则罔,思而不学则殆。 (論語)