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裏第七話 行雄VS明男

肉体は滅びても、その精神は決して滅びることのない、俳界の不死鳥、秋元不死男。その、フェニックス不死男は、正岡子規に強い憧れを持っていました。それは嫉妬にも似た感情で、子規の作品よりも、その精神性に向けられていました。そのため、不死男の生活には、必要以上にストイックに振舞ってみたりと言う漠然としたものから、日常生活上の細かいディテールに至るまで、子規の模倣が垣間見られました。それも、ただの模倣ではなく、常に「子規を超えたい」と言う願望が極端に強かったため、やることなすことオーバーアクションで、まるでアメリカの三流テレビドラマの世界のようでした。

不死男の飲み友達、山口誓子も、子規に強い憧れを持っていましたが、誓子のほうは、どっちかって言うと、大っ嫌いな桑原武夫を凹ますために、子規の精神性をベースにして、鉄壁の持論を展開して行ったのです。武夫の「俳句第二芸術論」に対して、真っ向から勝負を挑むには、理論だけではなく、強靭な精神性が必要だったのです。

そんなワケで、不死男と誓子は、飲み友達であるとともに、「子規のマネッコ」と言う子供じみたライバル同士でもあったのです。

子規が、弟子の高浜清に俳号をつける時、清→きよし→きょし→虚子、とした、と聞けば、不死男も誓子も、すぐに「それを超えなくちゃ!」と思っちゃうのです。でも、こんなアホらしいダジャレみたいな俳号のつけられ方をされて、喜ぶ俳人なんかいるワケありません。と言いつつも、現在よりも数倍厳しい封建的な俳句結社において、主宰のお言葉は神のお言葉。主宰が、「ビデル星からスカラー波が襲って来る!」と言えば、同人から入信したての初心者に至るまで、全員が白装束に着替えなくちゃならないのです。そして誓子は、自分の結社「天狼」で、メキメキと頭角を現し始めていた熱心な信者、高橋行雄を呼び出し、自ら俳号を授けるのです。

高橋行雄→たかはしいくお→たかは・しいくお→たかは・しゅぎょお→鷹羽狩行!(笑)

これで子規を超えたっ!と、心の中でニヤリと笑う誓子と、こんな俳号のつけられ方をされても、大喜びしてしまう熱心な信者、上祐‥‥じゅなくて、行雄。

この話を聞いて、面白くないのは不死男でした。それで不死男は、この高橋行雄を自分の結社「氷海」に同人待遇で誘い、無理やりにフタマタをかけさせちゃうのです。

現在でさえ、藤田湘子のように「生涯、師は一人」なんて頭の古い縄文人の多い俳壇なのに、当時の厳しい状況下でフタマタをかけるなんて、よほど世渡り上手な奴じゃないとできない至難のワザなのです。しかし、誰よりも上昇志向の強かった行雄は、誓子の他に不死男の弟子にもなれると言うこんなラッキーなチャンスを逃すはずもなく、自分の結婚式の仲人を不死男に依頼する、と言う伊東家の裏ワザを使い、両方の師の顔を立て、それからもスイスイと、俳壇と言う複雑な氷のリンクを濡れたスケートの刃で器用に滑って行ったのです。

しかし、田舎から出て来て、二人の師をうまく利用し、その地位を確立しつつある行雄を見て、口には出さずとも、心の底からムカついていた男がいました。

俳壇と言う狭いリングの中で、金髪をなびかせ、竹刀を振り回し、タイガージェットシンとタッグを組んで大暴れしていた男、上田馬之介です。
上田馬之介は、本名を上田明男、俳号を上田五千石(ごせんごく)と言い、行雄と同じに、不死男の結社「氷海」の同人でした。何よりも歳時記を大切にし、季を忠実に捉え、目の前のものを見て感じたことをその場で切り取って行く、明男の「眼前直覚」と言う手法は、主宰の評価を第一と考え、主宰の選に入るためなら平気で嘘の句を作る行雄の方法論とは正反対であり、明男は、そんな行雄を軽蔑さえしていました。

行雄は、二人の師を踏み台にして、結社「狩」を創刊、主宰しました。そして明男は、「畦」を創刊、主宰します。

行雄と明男は、それぞれの結社を持つようになると、その方法論は作品だけではなく、結社の方向性や自らの生き方にまで顕著に表れて来ました。

モノを見ながらも、自分の主観を優先し、ひたすら「虚」の句を発表して行く行雄。その作品は、想像の世界で作られているために、人目を引く派手さがあり、秋桜子派の俳人たちが成し遂げられなかった「見たような嘘」の世界を新しい感覚で構築して行ったのです。それに比べ、同じ「感覚派」であっても、嘘をつくことを何よりも嫌った明男の作品は、斬新な切り口はあっても派手さはなく、逆に愚直とも言えるほどの回顧性を持っていたため、行雄ほどの評価は受けられませんでした。

そして行雄は、俳壇と言う虚の世界の最高の地位にまで上りつめ、明男は、平成9年に63才と言う若さで急逝してしまいます。

つまり、虚が実に勝ったと言うことなのでしょうか。

しかし、行雄がノンキにしていられるのも、あと僅かでしょう。明男の娘、マキ上田が、ビューティーペアを経て、現在は結社「ランブル」の主宰となり、父の仇を討つために、密かにその首を狙っているからなのです(笑)

  萬緑や死は一弾を以て足る 五千石

※今回の俳話には、一部ギャグとしての嘘がありますが、鷹羽狩行の俳句ほどの嘘ではありません(笑)

編集・削除(編集済: 2022年09月07日 13:07)

裏第六話 俳句スポーツ説

昭和57年の「俳句年鑑」に、波多野爽波のとても興味深い文章が掲載され、俳壇でも話題になりました。それは「俳句スポーツ説」と言う文章で、俳句を志す者、特に初心の者にとって、とても重要な「俳句上達の要」が書かれています。

以下、その文章を一部紹介しましょう。

『若人にとって俳句という詩はたいへんに厄介な存在だ。とにもかくにも、一日も早く「芸」としての要素をタップリと身につけてしまわねば、ある地点から一歩も前へは進めない。(中略)時間、体力、記憶力など、これを正しい方向へ集約してフルに働かせば、年輩の人の何倍かの分量を力として身に備え得る。たとえば「写生」の一事をとってみても、これをスポーツの練習をつむがごとく、ものに即して反射的に対応できるような己が「体力づくり」と割り切って実行する若人が出てきてくれないものか。
また古今の名句をあたかも単語カードで単語を覚えるかのごとくに、旺盛な記憶力を働かせて頭いっぱいに詰めこんでしまう若人が出てきてくれないものか。』

爽波のこの「俳句スポーツ説」は、俳句の初心者、それも若い人へ向けた文章として書かれています。記憶力などが高く、吸収する力をたくさん持っている若いうちに、俳句の基本を身につけろ、と言うこと、そして、その方法をスポーツの練習にたとえているのです。

しかし、全ての俳人が若い頃から俳句を志すワケではなく、50才、60才を過ぎてから俳句を始める人や、人生の晩年を迎えてから俳句に興味を持ち始める人も多いのが現実です。

それでは、それらの人たちは、どうすれば良いのでしょうか?

その答えが、「しりとり俳句」なのです。
爽波は、別のところで、次のようにも書いています。

『兎も角、若いうちに「身体」に俳句を覚えさせてしまうことが第一です。』

爽波の「俳句スポーツ説」は、この、「頭ではなく、身体に俳句を覚えさせる」と言う考えから出発しているのです。ですから、若い人にしかできない方法ではなく、どんな年代の人でも、どんな状況の人でも、誰でもが同じように俳句を身体に覚えさせる方法があれば、爽波の説を超えることができるのです。

俳話集の「俳句deしりとり」の項にも書きましたが、「しりとり俳句」こそが、年齢や状況に関係無く身体に俳句を覚えさせる最良の方法であり、もしも爽波が現在も生きていたら、絶対に毎晩パソコンの前に座り、朝まで徹夜でしりとり俳句をやっていたことでしょう。

爽波が、写生に対して、「ものに即して反射的に対応できるような~」と言っているのは、まさしく芭蕉の「物の見えたる光、未だ心に消えざる中に云ひ とむべし」を実践するための方法論であり、そのためにも、頭ではなく身体に俳句のリズム、俳句のビートを染み込ませることが必要なのです。

爽波の時代には、パソコンのしりとり俳句は無かったですが、代わりに爽波は「多作多捨」を実践、そして推奨していました。とにかく、俳句を作って作って作りまくる。内容の良し悪しよりも、どんな駄句でも良いから、とにかく一句でも多く作る。たくさん作って、ダメなものはどんどん捨てる。これが、爽波のスタイルでした。これは、しりとり俳句と同じことなのです。ですから、あれだけ良質でオリジナリティーに溢れた数多くの写生句を生み出すことができたのです。水原秋桜子や森澄雄llのように、多作多捨を否定し、いつ訪れるか分からない「一輪の花や一匹の虫が感動を生む瞬間」なんかをボーっと待ってたら、吟行に行っても空振り三振ばっかりで時間切れとなり、締め切りに間に合わせるために、結局は主観に頼った想像の句を作ることになるのです。

秋桜子や澄雄の主観まみれの観念句を読むと、芭蕉の声がまったく届いていないことが良く分かります。

「俳句スポーツ説」は、爽波がふだんから周りの弟子たちに良く話していたことをこの時の原稿のためにまとめたものです。

爽波は、とても厳しい指導をすることで有名で、季語の読み方を質問したりすると、それが入会したての初心者であっても、「季語が読めないなんて、俳人として失格だ!」と一喝するような人でした。でも、その厳しさは、自分自身に対する厳しさの反映したものだったので、とても説得力がありました。自分にも弟子にも甘く、自分の句の推敲までもが甘い、現代の多くの主宰たちと違い、爽波は、弟子にも厳しいけれど、それ以上に自分に厳しい人でした。
「多くの句を暗記しなさい。」と言う指導も、爽波自身、暗記している俳句の数はハンパじゃなく、虚子や蛇笏から素十や草田男の句に至るまで、すぐに100句、200句と口から出て来るのです。それらは、長く俳句をやっているために自然に覚えたのではなく、自ら暗記しようと努力して覚えたものなのです。

実際、20年も30年も俳句をやっているのに、虚子の句100句すら覚えていない、情けない俳人モドキが多い現在の状況では、類想類句ばかりが氾濫するのもうなづけます。

しりとり俳句で遊び、俳句のリズムを身体に染み込ませて、爽波のようなオリジナリティー溢れる写生句をポンポンと作れるようになりたいのか?
せっかくパソコンのある現代に生まれたのに、しりとり俳句に参加せず、多作多捨を否定し、ウンウン唸って苦しみながら、秋桜子や澄雄のように主観まみれの観念句を作りたいのか?
それとも、多くの現代俳人モドキたちと同じように、人の句をまったく読まず、個性の無いどこかで見たような類句ばかりを作って行きたいのか?

俳句と言う器は無限の可能性を持っていますが、そのキャパシティーを決めるのはその人次第であり、俳句を始めた年齢などではなく、どの方法論を選択するかによって決まるのです。

編集・削除(編集済: 2022年09月07日 13:06)

裏第五話 不死の男

  パッカアド来て日盛りの玄関に 日野草城

と言う句があります。この句を読んで、次の歌を思い出した人は、オジサンorオバサンです(笑)

  あの娘をペットにしたくってぇ~♪ニッサンするのもパッカ~ドォ~♪
  ほ~ねの髄までシボレ~でぇ~♪フラれてフィアットしましたよぉ~♪

ご存知、小林旭の「自動車ショウ歌」と言う歌で、あたしの世代だと、現在は役者の陣内孝則が、もともと売れない田舎ロックバンドだった頃に、カヴァーして歌っていたのを風のウワサに知っているくらいです。

実際、こんな歌あんまり良くは知らないので、最後のあたりはデタラメに、あたしの愛車、フィアットを「冷っと」と言うことで盛り込んでみました(笑)
さて、小林旭と言えば、別にビール会社や新聞社の社員ってワケではなく、旭と書いて、アサヒじゃなくてアキラと読みます。
小林旭に関するあたしの知識は、①美空ひばりの元ダンナ、②赤いトラクター、③ギターを背負った渡り鳥、④鶴太郎のモノマネ、と、こんな程度で、たぶん世の中の平均値くらいでしょう。

賢明なる「きっこの裏俳話集」の読者諸君は、もうこの時点でお気づきだと思いますが‥‥え?分からないって?? 

狩行‥‥じゃなくて、修行が足り~ん!表の俳話集を読み直して来なさ~い!(爆)

‥‥しかたないから、教えてあげましょう!

この小林旭に関する4つのデータをじっくりと見て下さい。①の「ひばり」は春の季語、②の「トラクター」も春の季語、③の「渡り鳥」は秋の季語、④の「鶴」は冬の季語、つまり、「春、春、秋、冬」となっていて「夏」が無いのです!
この事実が何を語っているのか?

それは、「今年は冷夏で、夏らしい夏が来ない」と言うことを予言しているのです。これこそが「ノストラダコツの予言」と呼ばれているもので、過去にも、たくさんの予言を的中させているのです。

  ライターの火のポポポポと滝涸るる  秋元不死男

マニアッ句なパッカアドの句と違い、こちらは誰でも知っている有名な句です。この句が何を予言していたのかと言うと、2001年3月31日の土曜日に行なわれた、中日と広島の試合結果なのです。

ライターと言うのは、竜雷太のこと。竜、つまり、中日ドラゴンズです。ライターの火がポポポポとなるのは、ガスが切れかかり、最後の力を振り絞っているのです。
そして、滝と言えば、鯉の滝のぼり。つまり、広島カープのことです。滝が涸れてしまえば、さすがの鯉も滝をのぼることなどできません。
この句の予言通り、この日の試合は、9回の表に緒方がホームに突っ込み病院送りとなり、その裏で新井の失策から東出悪送球、そしてサヨナラと言う、広島にとっては最悪の展開、まさに滝が涸れてのぼれない状態となり、3対2で中日が勝ったのでした。

この句の作者、秋元不死男は、この素晴らしい予言句を含む「万座」と言う句集で、加藤楸邨の「まぼろしの鹿」とともに、昭和43年、第2回のノストラダコツ賞を受賞しています。

不死男と言えば、もともとは東京三と言うペンネームで活動していましたが、これは別に東京三菱銀行の略ではなく、名字が東、名前が京三です(笑)
新興俳句運動を推進したり、京大俳句事件で投獄されたりと、なかなかハリキッちゃってた人ですが、この人のノストラダコツぶりは目を見張るものがあり、こんな話が残っています。

戦後しばらくした頃、毎日新聞が全国名勝俳句を募集しました。その時の選者が、今考えるとものすごいメンバーで、高浜虚子を筆頭に、ノストラ‥‥じゃなくて飯田蛇笏、富安風生、水原秋桜子、山口誓子だったのです。
この選者たちの最初の打ち合わせが、上野の高級料亭で行なわれたのですが、その日、誓子が病気のため、急きょ代役として、不死男に声が掛かったのです。

大先輩たちを待たせるワケには行かないので、不死男は、約束の時間よりも、少し早めに料亭へと出向きました。それなのに、部屋へ入ると、不死男よりも早く着いたひとりのロン毛のオッサンが、ごろりと横になっていたのです。
この、魔術師のような風貌のオッサンこそ、何を隠そう、ノストラダコツだったのです!これが、不死男と蛇笏の初めての対面の瞬間だったのです。

初対面とは言え、あまりにも有名な蛇笏なので、不死男は、ひと目見て蛇笏だと言うことが分かりました。そして、嫌な予感がしたのです。

何故なら、不死男がまだ東京三と名乗っていた頃、自分の結社誌の中の俳句月評のコーナーに、蛇笏の主宰する結社誌「雲母」についての文章を書いていて、その内容は、「蛇笏の文章は難解で、読むに耐えない」と言う、ボロクソのものだったのです。

しかし、不死男が「ヤバイ!」と思ったのもツカノマ、蛇笏はニコヤカに話しかけて来て、楽しい会話が続いて行くのです。
そして、話題が一段落した時、蛇笏がこう言ったのです。

「秋元君、そう言えば、東京三とか言う嫌な奴がいたが、アレは今どうしてる?」
そうなのです! 蛇笏は、自分が今話している相手、秋元不死男が、自分のことをボロクソに書いた、にっくき東京三その人だと言うことを知らなかったのです!

こんな質問をされて、「実は私です。」なんて言えるはずもなく、トッサに出た言葉が、「さあ?どうしているでしょう。おそらく死んでしまったと思います。」

すると蛇笏は、静かに「そうか‥‥」と言ってうなづき、もうその無礼な奴の名前は口にしなかったそうです。
その時、不死男は、心の中でニヤリと笑って、こう思ったのです。

‥‥死ぬワケないじゃん! だって、不死の男だも~ん♪(笑)

そして蛇笏は、生涯「秋元不死男=東京三」と言うことを知らずに、更には、自分の没後に自分の名を冠した賞をこの無礼な男が受賞することも知らずに、昭和37年、77才の天命をまっとうしたのです。本家本元の飯田蛇笏でさえも騙し通してしまう、不死男のノストラダコツっぷり!さすが、警察の拷問にも屈しなかっただけのことはあります。
そして、蛇笏が旅立った15年後の昭和52年、蛇笏とほぼ同じ75才で、不死の男も、彼のもうひとつの名前であった「地平線」の彼方へと、ギターを背負おっていない普通の渡り鳥とともに旅立って行ったのです。

  鳥渡るこきこきこきと缶切れば  不死男

図書館註:小林旭の「自動車ショウ歌」はきっこの隣の矢印をクリックすれば視聴出来ます。映画『投げたダイスが明日を呼ぶ』の挿入歌ですが、画像はぴんぼけでも歌われた車が出て来る動画の方が駄洒落がわかりやすいので選びました。

編集・削除(未編集)

裏第四話 理想の俳句

俳句に限らず、どんな趣味でも、一番大切なのは「楽しむ」と言うことであり、それが趣味であることの大前提です。俳壇のお偉い先生方の中には、努力をしたりウンウンと唸ったり苦しんだりしなくちゃ良い句ができないと思ってる、時代錯誤のトンチンカンな人たちが多く、自分の弟子たちにも、そのような間違った指導をしています。

なんで、せっかく出合った「俳句」と言う楽しみで、苦しまなきゃいけないのでしょうか?

それなのに多くの俳人たちは、アホな主宰の言葉を真に受けて、題詠で唸り、投句で苦しみ、句会で悶絶しています。

ハッキリ言って、これは、日本と言う単一民族の島国根性丸出しの、そして敗戦国に良く見られる、努力や苦労を美徳とする時代遅れの勘違いなのです。指導以前の問題として、俳句結社や俳壇と言う封建的なシステムのあり方自体に、その傾向は強く残っています。
どの俳句結社も、一人でも会員を増やし、少しでも財政を黒字にしたいと思っているので、ひと昔前のような厳しい指導をするところは少なくなり、逆に、入会したての初心者のヘボ句を歯の浮くような言葉でホメてみたり、お年寄りには主宰自らが親切にしたりと、手を変え品を変え、必死にがんばっています。これが新興宗教だったら、入信したての若い信者は、一発で洗脳され出家してしまうし、お年寄りは優しい教祖様のお言葉をありがたがって、セッセと貯めた虎の子の年金で、妙なツボでも買わされちゃうところです(笑)

所属結社の毎月の句会にキチンと出て、毎月の投句も休まず、コツコツと10年、20年と真面目に俳句を続けていても、主宰や先輩の言うことを聞いているだけだったら、俳句の「技術」が身につくだけなのです。そして、俳句にとって一番大切な感性や自己表現と言ったものは、逆に消えて行ってしまいます。

主宰の指導通りに勉強していては、最終的には、主宰や幹部同人のコピーのような句を作るようになってしまうのがオチなのです。いくら「個人個人の感性を尊重します」とか言っていたって、結局は「主宰の感性」で句の良し悪しを決められてしまうのですから。
でも、俳句を始めて少しでも早く上達したいと思ったら、やっぱりどこかの結社に入会すると言うのが、一番の近道なのです。

それでは、俳句結社に入会し、そこでの活動を軸として俳句を学び、かつ、自分の感性や個性を失わない方法はあるのでしょうか?

それは、「自分自身の理想とする俳句のビジョンを明確に持つ」と言うことです。つまり、自分はどんな俳句を作れるようになりたいか、と言うことを常に明確にしておくことです。

ここで、大切なことが何点かあります。

ひとつは、「目標は手の届く距離に置くこと」です。やっと5m泳げるようになった人が、一気に太平洋を泳いで渡ろうとしても、それは無理な話です。高い目標を掲げることは素晴らしいことですが、まずは25m、50mと、手の届くところに目標を置き、少しづつステップアップして行くべきです。

それから、「主宰の句を最終目標にしてはいけない」と言うことです。

多くの人たちの一番の勘違いは、自分の所属結社の主宰を崇拝していて、主宰の句ならナンでもカンでも素晴らしい、と思い込んでいるところなのです。これは一種の洗脳で、それこそ新興宗教と変わりありません。虚子ですら、自分の生涯の句の中で自信を持っているのは数句しかない、と言っているのに、居酒屋のテーブルの上のビール瓶みたいに林立するそこらの中堅結社の主宰の句が、何から何まで素晴らしいなんてワケがありません。結社なんて、所詮は井の中のカワズの世界なんですから。

あたしから言わせると、主宰の句を目標にする、と言うことは、とても低い目標なのです。あなたが5mしか泳げないとしたら、主宰は(主宰のレベルにもよりますが)200mから2km程度だと思って下さい。

ですから、最低でも「10年以内には主宰以上の句を作る」と考えるべきなのです。

そして最後に、これは一番重要なことですが、「自分の目標とする俳句の姿を俳句として考えてはいけない」と言うことです。
たとえば、「滝の上に水現れて落ちにけり/夜半 のような句を作れるようになりたい」と言うように、誰かの句を理想のビジョンとして揚げてしまってはダメなのです。

多くの俳人たちが、とても低い目標であるはずの「主宰の句」すら越えることができないのは、主宰の作品自体を目標としてしまっているからなのです。
実際の句や俳人を目標としてしまったら、目標に向かって類似して行くだけで、越えることなどできません。

主宰の句を好きなことや、他にもたくさん好きな句があることは何ら問題ありませんし、とても素晴らしいことですが、それらに対しては、ただ単に「好きな句」「好きな俳人」として捉え、自分の作る俳句とは、一線を引く必要があります。

それでは、どんな目標の立て方をしたら良いのでしょうか?

それは、音楽や絵画、小説や詩、陶芸や書など、俳句以外のものを目標とするのです。

たとえば、「ベートーベンのピアノソナタ、月光のような句を作りたい」とか「横山大観の水墨画、月蓬莱山図のような句を作りたい」とか、そう言った目標の立て方をするのです。
俳句を作るのに、誰かの俳句を目標にしてしまったら、どんなにがんばっても目標を越えることができないばかりか、自分の個性までも失ってしまいます。ただでさえ「うちの結社は各人の個性を尊重します」とかヌカしながら、その指導方針は主宰絶対主義で、結局は主宰の感性が最優先されてしまう世界に身を置くのですから、自分の目標まで主宰の句にしてしまったら、それこそ結社の思うツボなのです。

あたしの場合は、目標とする俳句のひとつに、碧梧桐の「紅い椿白い椿と落ちにけり」があります。しかしこれは、この句の形や姿を目標としているのではなく、このくらいの水準の句をポンポンと作れるようになりたい、と言った意味での目標で、言い替えれば、ひとつのハードルのようなものなのです。

あたしの現在の本当の目標は、「フェイ・ウォンの夢中人(むちゅうじん)のような句」なのです。
フェイは北京生まれの33才、シンガーであり女優であり、その才能だけでなく、生き方もあたしの最も理想とする女性です。
この「夢中人」と言う曲は、アイルランドのバンド、クランベリーズの大ヒット曲「Dreams」のカヴァー曲で、クランベリーズの原曲も素晴らしいですが、フェイの曲は、完全に原曲を越えていて、あたしが生まれてから今までに聴いた全ての曲の中で、一番好きな曲です。

あたしがこの曲と出合ったのは、今から7~8年前に見た「恋する惑星」と言う香港映画です。それまで、香港映画と言えばブルース・リーとかジャッキー・チェンとかの三流アクション映画しか知らなかったあたしは、軽い気持ちで見に行ったこの映画からものすごい衝撃を受け、主演のフェイの魅力のトリコになり、エンディングで流れる「夢中人」の、生まれてから聴いたことのないほど美しいフェイの歌声に、体中がシビレてしまいました。
まるで極上のセックスをしたあとのように、その余韻で、映画が終っても席から立てなくなってしまいました。

夜のレインボーブリッジをオープンカーで走り抜けて行くような、この曲の美しさとイメージ喚起力、ワクワク感、ドキドキ感、そして疾走感は、あたしの俳句の理想とする姿そのもので、この曲のような句を作ることが、現在のあたしの近未来の目標なのです。
疾走感と言えば、芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」や、虚子の「流れ行く大根の葉の早さかな」などがありますが、直接的に「早い」「速い」などの言葉を使わずに、そして、これらの句のように疾走感を眼目とせず、それでいてスリリングなスピードを感じる句が当面の目標なのです。あたしの方法論で行けば、少なくともこの2句を越えることは容易でしょう。このように、自分の理想とする俳句の近未来の姿を俳句以外のジャンルとして明確に持ち、常にそのヴィジョンを頭に置きながら作句する、と言うことさえ続けていれば、たとえどんなにアホらしい縄文式結社に所属していても、主宰なんて言う低いハードルは、数年で簡単に飛び越すことができます。

それに、こうした目標の立て方をしていれば、主宰に評価されなかったからと言って、自分の自信作を捨てる必要などなくなります。
現在の地位に安住し、ぬるま湯から出られなくなっている主宰なんかとは、目標の次元が違うのですから、主宰に評価されないと言うことこそ、喜ぶべきことになるのです。

何よりも素晴らしいことは、大好きな俳句で、苦しんだり辛い思いをしたりしなくて済むようになり、心から楽しめるようになるのです。

これが、本当の俳句のあり方なのです。

図書館註:きっこの横の矢印をクリックすると「王菲 Faye Wong 夢中人」のOfficial MV が視聴出来ます。

編集・削除(編集済: 2022年09月07日 02:27)

裏第三話 俳壇クエスト

とある晩のこと、あたしがルイーダの酒場のカウンターで、焼酎のお湯割り梅干し入りを飲んでいると、隣りに人相の悪い旅人が座った。そして、あたしにこう言った。

「姉さん、アンタなかなかの腕利きと見たけど、この町にはシキの秘宝を探しに来たのかい?」
「えっ?」
「それなら、この町から東へ15キロほど行ったダコツの洞窟の奥にあるらしいぜ‥‥」
「ダコツの洞窟?」
「ああ‥‥ただし、もの凄く手ごわいモンスターが、シキの秘宝を守っているんだ‥‥オレは9人の仲間とダコツの洞窟に行ったんだが、モンスターに全員殺され、オレひとり逃げて来た‥‥」

次の朝、あたしは、仲間の僧侶のカズオと魔法使いのモモコを連れ、ダコツの洞窟へと旅立った。
町から一歩出ると、さっそくモンスターたちが襲いかかって来た。

ピロピロピ~ン!

くさったホトトギスがあらわれた!
くさったホトトギスがあらわれた!
ボーッとしたウオザがあらわれた!

くさったホトトギスAのこうげき!
くさったホトトギスAはつきなみなはいくをよんだ。

ゆうしゃきっこはダメージをうけなかった。

くさったホトトギスBのこうげき!
くさったホトトギスBはるいそうるいくをよんだ。
じぶんがダメージ37をうけた。
くさったホトトギスBはたおれた。

ボーッとしたウオザのこうげき!
ボーッとしたウオザはねむくなるはいくをよんだ。
カズオはねむってしまった。

モモコのこうげき!
モモコはキャッカンシャセイのじゅもんをとなえた。
カズオがめをさました。

ゆうしゃきっこのこうげき!
ゆうしゃきっこはニブツショーゲキをつかった。

くさったホトトギスAに86のダメージをあたえた。
くさったホトトギスAはたおれた。
ボーッとしたウオザに57のダメージをあたえた。
ボーッとしたウオザはたおれた。

ピロピロピ~ン♪

ゆうしゃきっこはレベル37になった。
ゆうしゃきっこは28ゴールドをてにいれた。
ゆうしゃきっこはキョシのツボをてにいれた。

こんな戦いを続けながらダコツの洞窟の入り口に辿り着いた時には、あたしはレベル42、カズオは39、モモコは37になっていた。
そしてあたしたちは、洞窟に入って行った。
洞窟の中のモンスターたちは、外のモンスターよりも手ごわかったけれど、3人で力を合わせ、次々に襲って来る強敵を倒しながら、何とか一番奥まで到達した。
そこには、大きな石の台座の上に、金色に輝く箱が置かれていた。カズオが、その箱に手を伸ばそうとした時である。

ピロピロピ~ン!

じごくのシュギョーがあらわれた!
あくまのテイコがあらわれた!
まじんトウタがあらわれた!

シュギョーのこうげき!
シュギョーはまてんろうからもうどくのパセリをばらまいた。

ゆうしゃきっこは19のダメージをうけた。
カズオは22のダメージをうけた。
モモコは24のダメージをうけた。
モモコはもうどくにおかされた。

テイコのこうげき!
テイコはあかいセーターをきた。
テイコのしゅびりょくが35あがった。

トウタのこうげき!
トウタはキゴムヨウケンをつかった。

ゆうしゃきっこは25のダメージをうけた。
カズオは29のダメージをうけた。
モモコは33のダメージをうけた。

ゆうしゃきっこのこうげき!
ゆうしゃきっこはドクゼツケンをつかった。

シュギョーは35のダメージをうけた。
テイコは31のダメージをうけた。
トウタはこうげきをあたまではねかえした。

カズオのこうげき!
カズオはヘチマのミズをつかった。

ゆうしゃきっこのHPが25かいふくした。
カズオのHPが20かいふくした。
モモコのHPが24かいふくした。
モモコのもうどくがきえた。

モモコのこうげき!
モモコはオオハラザコネのじゅもんをとなえた。

シュギョーはモンモンとしはじめた。
テイコはモンモンとしはじめた。
トウタはじゅもんをあたまではねかえした。

シュギョーのこうげき!
シュギョーはモンモンとしている。

テイコのこうげき!
テイコはモンモンとしている。

トウタのこうげき!
トウタはニワじゅうにアオザメをよんだ。(註:梅咲いて庭中に青鮫が来ている)

ゆうしゃきっこは48のダメージをうけた。
カズオは55のダメージをうけた。
カズオはうごけなくなった。
モモコは58のダメージをうけた。
モモコはうごけなくなった。

ゆうしゃきっこのこうげき!
ゆうしゃきっこはキョシのツボをてんたかくかかげた。
ツボのなかからカオのおおきなまじんがとびだした。
まじんはこうてつのステッキをふりまわした。

シュギョーは105のダメージをうけた。
シュギョーはたおれた。
テイコは124のダメージをうけた。
テイコはたおれた。
トウタは155のダメージをうけた。
トウタはたおれた。

ピロリピロリピロピロリ~ン♪

ゆうしゃきっこはレベル45になった。
ゆうしゃきっこは384ゴールドをてにいれた。
ゆうしゃきっこはシキのひほうをてにいれた。

ルーラのつばさを使って町へと戻ったあたしたちは、さっそくシキの秘宝の入った黄金の箱を開けてみた。
すると中から、1本の巻物が出て来た。広げてみると、薄い墨で書かれた文字が現れた。そこには、こう書かれていた。

『この書を手にした者よ。貴殿こそが俳壇に巣食う三大魔人を倒した真の勇者であり、本物の俳句を後世へと伝承して行くための真実の俳人である。』

町中の人たちから拍手と歓声が巻き起こり、例のドラクエのテーマソングが流れ始めたのだ。

タ~タタ~タ~タ~タ~タ~タ~♪タタタタ~タタタタ~タ~♪

そして、腐りきっていた俳壇に平和が戻ったのであった。
めでたし、めでたしぃ~♪(笑)

編集・削除(編集済: 2022年09月07日 02:02)

裏第二話 龍太の言葉

1885年、山梨県東八代郡の大地主の長男として生まれた飯田蛇笏は、早稲田大学の英文科に入学し、高田蝶衣の「早稲田吟社」に参加しました。そして「ホトトギス」と「国民俳壇」に投句を続け、虚子に認められます。そして、大正4年に、のちの「雲母」の前身となる「キララ」を主宰します。

その蛇笏の息子、飯田龍太と言えば、あたしのケッコー好きな俳人のひとりですが、今から30年くらい前、龍太は「竜太」と名乗っていました。でも、峰竜太や竜雷太に間違われるのがイヤなので、「龍太」と言う字にしたのです。

とゆーのはウソです(笑)

とにかく、今から30年ほど前、まだ龍太が竜太だった頃、とても興味深いことを言っているので、以下、紹介したいと思います。

『これからのあなたの俳句は?というのは、いちばん明快で、いちばん厄介な設問である。
しかし、それがハッキリしていないと、いい句は生まれない。朦朧(もうろう)としているときはスランプだ。正直のところ、私の場合は、一年のうち、九十何パーセントまでは、残念ながら、どうも後者のようである。

だが、スランプだからといって、手をこまねいていては、折角二、三パーセントの機会が訪れてくれてもそれさえとりにがしてしまうだろうから、せいぜい努力することにしているが、その手だてとして、三の目方のものは、三に表現することを工夫する。

ただし、実際問題として、そんなことは不可能だ。二・五でも二・八でも、できるだけそれに近づきたいと思う。戒めなければならないのは、三の感銘を四にも五にも増幅して、まぐれ幸いを得ようとする助平根性を出すことだ。

酔中、さる小説家が、こともなげに言った。「なに、立派な俳句?そんなもの、人間が立派でなければ生まれるわけはないよ」。かえす言葉もないが、それなら、不立派は不立派なりの目方の作品をつくることだ。中味につり合った正直な俳句にすることだ。自分の目方を上廻った作品を生もうと悪あがきをせぬことだ。それさえ不如意だったら、ひとの作品で堪能したらいい。

さいわいなことに、俳句というものは、至極短いから、その点まことに便利にできている。そのうえ、数多く思い浮かべる必要はない。せいぜい二、三句もあれば十分だろう。

当面、いま、私が気に入っている作品をひとつだけあげると、

  元日の山見てあれど雪ばかり 室生犀星

この句、欲のないところがなんともこのもしい。』

この龍太、いや、竜太の文章には、まだ若く、さまぁ~ずの大竹(三村じゃないメガネのほう)にソックリの写真が添えられています。なんてことはどーでもいいけど、「はっきり」を「ハッキリ」と片仮名で書くのが、あたしのスタイルと一緒です。

なんてこともどーでもいいけど、見たものを必要以上に美化して表現したり、本当は感動なんかしてないクセに、大ゲサな表現で読み手に感動を強要する現代俳人たちに、この文章をファックスしたくなっちゃいます。

だって、人間的にはサイテーなのに、自分の目方を越えた、ご立派な俳句ばっかり作ってる俳人が多過ぎるんだもの(笑)

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裏第一話 てのひらを開けば

マトモな俳句をやっている人はあまり知らないと思いますが、「海紅(かいこう)」と言う自由律俳句の結社があります。それも、あたしん家の近所に!(笑)

あたしは自由律なんか俳句じゃないと思ってるので、マッタク興味は無いんだけど、心の広い俳壇が、俳句のルールを無視した自由律なんかを俳句の仲間に入れてあげちゃってるので、総合誌とかにも載ってるし、イヤでも目に入って来ます。

この「海紅」って言う結社は、日本で一番歴史のある自由律俳句結社を名乗っていて、師系は河東碧梧桐、主宰は何代目か知らないけど中塚唯人(ただと)と言う50代の人です。
この主宰の一昨年の代表句が、

  ひらいた手が冬の街 唯人

と言う、ワケの分かんない作品です。

あたしだったら、

  ひらいた手がグーに勝つ きっこ

って詠んじゃうとこだけど(笑)

そんなことはどーでもいいんだけど、「魚座」と言う結社があります。こっちは有季定型のマトモな俳句をやってるので、知ってる人は知ってるでしょう。ここの主宰は今井杏太郎(きょうたろう)って言う70代の人で、元精神科医のおじいちゃんです。

この主宰の句も、この結社の人たちの句も、全部ボーッとした句ばっかりで、結社誌を読んでると2~3ページで眠たくなって来るので、不眠症の人にオススメの結社です。

主宰の去年の代表句は、

  てのひらを開けば夏になりにけり 杏太郎

と言う、ボーッとした作品です。

あたしだったら、

  てのひらを開けばチョキに負けにけり きっこ

って詠んじゃうんだけど(爆)
とにかく、手を開いて冬になるとか夏になるとか、あまりにも陳腐で月並みな発想で、自由律も定型も関係無く、仮にも主宰レベルが代表句として発表するような作品とは言えません。こんな類句を代表句だなんて言ってるようじゃ、池田澄子あたりに、

  じゃんけんに負けて主宰に生まれたの

なんて詠まれちゃいます!(笑)

モノを見ず、頭の中だけで俳句を作っているから、似たような観念句ばかりができてしまうのです。「海紅」の主宰も「魚座」の主宰も、作品うんぬん以前に、俳句に対する姿勢に問題があるとしか思えません。

同じ季語を使い、同じ題材を詠んでも、オリジナリティーの溢れる作品を作り続けている「草苑」の桂信子、「運河」の茨木和生、「童子」の辻桃子などの作句姿勢を見ると、誰よりも「対象を見ている」と言うことが分かります。人間の持つ観念とは、対象に対する先入観を生み出し、それが類句を作り出してしまう元凶なのです。

ただ、モノを見るのではなく、頭の中をカラッポにして、観念を捨て、そして対象を見る。これが、オリジナリティー溢れる作品を作る基本中の基本なのです。

「ホトトギス」のように、過去の作品の類句を作ることを目的に活動している結社なら構わないでしょうが、通常の創作活動においては、オリジナリティーと言うものが一番大切なのです。

それはもちろん、誰もが使う陳腐な言葉を使っておいて「自分のほうが先に発表したから、この言葉は自分のオリジナルだ」などと言う水中花レベルの問題ではなく、もっと質の高い、「表現」と言うものの本質の問題なのです。

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『きっこ俳話集』裏編 全46話 目次

『きっこ俳話集』正編 全45話に続き、『きっこ俳話集』裏編 全46話をハイヒール図書館に追加いたします。鈴木茂雄さんが保存されていたデータと撫子司書の助言から復元可能になりました。ありがとうございMAX。なお、タイトルは第二話までナンバリングされ、あとは章無しのため図書館にて章を振りました。正編より一編多い全46話です。目次は正編と区別するため「裏」を付けています。なお★印は裏編にはありませんが、裏編という命名自体★印を意味しますので「斟酌なき批評」が展開されます。それでは正編に続き裏編のきっこ節全開をお楽しみください。


     『きっこ俳話集』裏編 全46話 目次

  裏第一話 てのひらを開けば
  裏第二話 龍太の言葉
  裏第三話 俳壇クエスト
  裏第四話 理想の俳句
  裏第五話 不死の男
  裏第六話 俳句スポーツ説
  裏第七話 行雄VS明男
  裏第八話 俳号と言う虚の客観性
  裏第九話 タマゴで産みたい?
  裏第十話 ビールと枝豆
  裏第十一話 子宮筋腫
  裏第十二話 プロの仕事
  裏第十三話 心のしりとり
  裏第十四話 タマちゃんとゴロー
  裏第十五話 今どき第二芸術論(笑)
  裏第十六話 写生の嘘と対象の本質
  裏第十七話 意識の共有
  裏第十八話 俳句研究
  裏第十九話 俳句界のMAX
  裏第二十話 ネコにも解かる旧仮名講座
  裏第二十一話 増殖する左脳俳人
  裏第二十二話 「もの俳句」と「こと俳句」
  裏第二十三話 バスルーム・ドリーマー
  裏第二十四話 七名八体
  裏第二十五話 からんからん
  裏第二十六話 ありがとう!「楽・ら句・俳句」
  裏第二十七話 俳諧と言う古池に飛びこんだ蛙
  裏第二十八話 見てから作る
  裏第二十九話 表記と言う技法
  裏第三十話  蕉門十哲+1
  裏第三十一話 俳句の缶詰
  裏第三十二話 ふだん着の俳句
  裏第三十三話 虚子の虚は虚言の虚
  裏第三十四話 きっこのウワサ(笑)
  裏第三十五話 軽視される片仮名表記
  裏第三十六話 しなやかに
  裏第三十七話 平成の俳諧師たち
  裏第三十八話 第49回角川俳句賞受賞作品「色鳥/馬場龍吉」を読む
  裏第三十九話 プチ山頭火
  裏第四十話  絵画的写生俳句
  裏第四十一話 本当のネット句会とは
  裏第四十二話 きっこからのお年玉(笑)
  裏第四十三話 がんばれ!廣太郎
  裏第四十四話 寒卵
  裏第四十五話 春の宵にはぶらんこを
  裏第四十六話 デタラメな俳句サイト

編集・削除(編集済: 2022年09月07日 13:59)

 『きっこ俳話集』正編 全45話 目次


   第一話 猫と魚釣り
   第二話 五感と第六感
   第三話 字余りと字足らず
   第四話 季節のラブレター
   第五話 ★ホトトギス帝国の崩壊
   第六話 ひらひら
   第七話 歳時記購入マニュアル
   第八話 雪とぼたん雪
   第九話 冬の花
   第十話 俳句と川柳
   第十一話 歳旦三つ物
   第十二話 十七文字の翼
   第十三話 未完の可能性
   第十四話 恋歌からエロティッ句へ
   第十五話 ★雲の上の人達
   第十六話 不易流行
   第十七話 高得点句から学ぶこと
   第十八話 ★縄文式句会
   第十九話 きっこのお薦め俳句本
   第二十話 松の声
   第二十一話 伝統俳句って何?
   第二十二話 ★短歌はCD、俳句はレコード
   第二十三話 つきすぎと離れすぎ
   第二十四話 運動会と吟行会
   第二十五話 神々の宿る言葉
   第二十六話 俳句の作り方
   第二十七話 季語の声
   第二十八話 添削指導とは?
   第二十九話 お~いお茶
   第三十話 ★俳壇のゴッホ達
   第三十一話 俳句のシャッターチャンス
   第三十二話 きっこ徒然草(笑)
   第三十三話 自分の言葉
   第三十四話 水中花VS兜虫
   第三十五話 俳句のリフォーム
   第三十六話 俳壇なんでだろ~?
   第三十七話 俳句deしりとり
   第三十八話 仰臥漫録
   第三十九話 続・俳句deしりとり
   第四十話  言わなくてもいい言葉
   第四十一話 俳句が生まれる場所
   第四十二話 オヘソでカプチーノ
   第四十三話 本物の俳句の力
   第四十四話 戦争と俳句
   第四十五話 冷血漢・水原秋桜子

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第四十五話 冷血漢・水原秋桜子

あたしは、水原秋桜子(しゅうおうし)が大っ嫌いです。彼の俳句も俳論も嫌いですが、何よりも人間として大っ嫌いで、心の底から軽蔑しています。

秋桜子の猫嫌いは有名ですが、そんなことは別に構いません。世の中には、猫を嫌いな人はたくさんいます。ただ、あたしが許せないのは、秋桜子は「猫殺し」なのです。

秋桜子は伝書鳩を飼っていましたが、その中の一羽が野良猫に食べられたのです。仕返しに、その野良猫を捕まえて、空き部屋の中に放り込み、食べ物を与えずに餓死させたのです。

後に、弟子の加藤楸邨に、この時のことを「(その猫は)10日ぐらい生きていたよ」と、平然と語っているのです。

命あるものを10日間もかけて、じわじわと餓死させるなんて、もはや人間とは思えません。こんな最低な人間が、自然や生命の美しさを詠うなんて、ただの偽善野郎です。
昭和初期、秋桜子は、ホトトギスでのライバルだった高野素十の名句、「甘草の芽のとびとびのひとならび」をただの自然のままに過ぎないと批判し、自分は「自然の真」ではなく「文芸上の真」を追求して行きます。このことから、小さな生命を写生するこのような句を「草の芽俳句」と呼んでさげすむような風潮が生まれたのです。

結局、自分の師である虚子の客観写生を否定することとなり、「ホトトギス」を脱会し、「馬酔木(あしび)」を創刊、主宰します。

秋桜子の句は、1の事柄を10にするような、大げさな描写や感動の押し付けが強く、とってもウサン臭い。おまけに、「自然を尊ぶ」とか言ってるくせに、平然と猫を殺す冷血漢。

作句についても、「最上のものが発見できるまでじっと待ったほうがいい。適当なところで俳句をまとめようとすると、最上のものが発見できても見過ごしてしまう場合がある。
やはりいちばん感動するところまでじっと待って、作ったほうがいい」などと、トンチンカンなことを言っています。これは、多作多捨に対する開き直りなのか、はたまた、猫を殺す時の秋桜子のやり口にも通じる理論です。

こんな最低の人間にも一応は弟子がいるようで、有名なところでは、加藤楸邨、石田波郷、能村登四郎、藤田湘子などがいます。現在生きているのは、やっぱりあたしの大っ嫌いな湘子だけです。

晩年の能村登四郎は、秋桜子の俳句が間違っていたことに気づき、やはり俳句は客観写生であると言う結論に辿り着きました。

「私は、客観写生に辿り着くまでに、とても遠回りをしてしまいました」

これは、一般には公開されていませんが、晩年の登四郎の言葉です。
秋桜子の間違った理論に騙されている俳人は、他にもたくさんいますが、登四郎のように気づく人もいれば、騙されたままの人もいます。
普通に考えれば、残酷な手段で平然と動物を殺すような人間に、まともな俳句なんか作れるはずがないって、子供でも分かると思うんだけど‥‥。

図書館註:以上で「きっこ俳話集」全45話の完結です。見出しをもう一度アップしておきますので、あの俳話を再読したいという場合は、見出しを上の「検索」をクリックしてコピペしていただければ、読みたいスレッドがアップされます。

編集・削除(編集済: 2022年08月31日 01:13)
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