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第二十四話 運動会と吟行会

もともと日本人は写真が大好きで、海外に行くと、首からカメラを提げてるのが日本人の目印みたいだったらしいけど、ここ何年かでデジタルカメラの売上げが急激に伸び、ついに普通のカメラの売上げを抜いてしまったそうだ。

それは、4~5年前はデカくて重くて高かったデジタルカメラが、軽量コンパクトで高性能、その上、安価になったこと、そしてPCの普及に伴ってのことが原因だろう。

最近は、子供の運動会で各競技が終了しても、父兄達からは拍手が起こらないそうだ。何故かって言うと、みんなビデオカメラやデジタルカメラで自分の子供だけを撮影してて、手が塞がっているからなんだって!(笑)

だから、お父さんやお母さん達は、せっかくわが子の運動会を見に行ってるのに、ファインダーを通した絵しか見てないことになる。
もちろん、運動会だけじゃない。
七五三、入園式、卒園式、おゆうぎ会、学芸会、家族旅行、ありとあらゆるイベントをビデオや写真に撮りまくり、家に帰ってから編集する。

それをあとから見せられる、周りの人間の身にもなって欲しい。耐え難い苦痛なんだから‥‥。

人ん家の子供の運動会なんて、他人にとっては退屈なだけのビデオなのに、途中で早送りするワケにも行かず、イネムリするワケにも行かず、たっぷり2時間も見せられちゃう。やっと拷問のような2時間が終わり、お世辞のひとつでも言おうもんなら、喜んでると勘違いされて、去年のぶんまで見せられちゃう始末‥‥(泣)

そう言う人達って、一体何なんだろう?

運動会を楽しむことよりも、記録を残すことを重要だと思ってるなんて、あたしには理解できない。
せっかく現場まで足を運んでるのに、ファインダーを通しての映像ばかり見てるんじゃ、家でテレビ見てるのと変わらないじゃん。予備のテープやバッテリーまで、バッグにパンパンに持って来て、ホントご苦労様って感じ(笑)

旅行やイベントに行っても、ビデオばっかり回してて、何のためにわざわざここまで来たんだろうって人、ケッコーいるよね。それなら、家のお茶の間で、のんびりと旅行番組でも見てればいいのに‥‥。
 
子供の運動会や家族旅行だけに限らず、自分が参加することって、自分の目で見て、自分の肌で感じなかったら意味が無いのに。

こう言う人達が、驚いたことに、俳句の世界にもいるのだ。

俳句には、吟行(ぎんこう)と言う楽しみ方がある。
何人かでどこかへ出かけ、同じものを見たり、聞いたり、食べたりと楽しんで、そして、その日に作った俳句を出し合って句会をする、と言うものだ。

4~5人で近所の公園やお寺に出かけるものから、2~30人で海外に行ったりするものまで、その規模は様々だけど、その楽しさと言ったら、あたしの大好きなMAXのライブと同じくらいだ。

持ち寄りの俳句を出し合う通常の句会と違って、同じ体験をした者同士での句会なので、似たような句も出れば、同じものを見ていたのに全く違う切り取り方をしている句もあり、ひとりひとりの個性が出る。

俳句では『月並み(つきなみ)』と言って、人と同じ発想を嫌うので、何とかみんな、人と違った句を作ろうとアレコレ考える。

いつものメンバーでの吟行だったりすると、それぞれの得意ワザやクセも分かっているので、『あの人は、この景色を見てこんな句を作りそうだから、あたしはこうしよう』とか、また、その裏をかかれちゃったりとか、そう言ったカケヒキも楽しい。

四季折々の自然に囲まれて、仲間と大好きな俳句で遊ぶ。こんなに楽しいことはないのに、せっかくの吟行会で、運動会でビデオを撮りまくっているお父さん達と同じ感覚の人がいたりする。通称『歳時記族』って言うヤツラだ。

自分のまわりに自然がいっぱいあるのに、歩きながらも、バスに乗っても、休憩中も、食事中も、ずっと歳時記から目を離さない。

あたし達はみんな、吟行には歳時記を持って行くけど、それは、目の前にある植物が、今の時期のものか確認したり、最終的に俳句を推敲する時に、念のためにチェキしたりするためだ。
だけど、歳時記族の俳人は、まず歳時記を見て季語を見つけ、それから景色を見て俳句を作るのだ。

だから、みんなで同じ道を歩いて来たのに、『え?こんなお花、どこに咲いてたの?』って季語の俳句を出したりする。
ある吟行会で、こんなことがあった。

何年か前の春、あたしの仲の良い俳人からの誘いで、都内の大きな自然公園での吟行会に参加した時のことだ。

メンバーは10人くらいで、それぞれ所属結社は違うけど、みんな俳句歴は10年以上、新鋭気鋭の俳人ばかりだった。あたしは、半分くらいの人達とは知り合いだったので、久しぶりに会うことをとても楽しみにして参加した。ゲストに、テレビの俳句番組などにも出ている有名な先生を迎え、吟行会はスタートした。

スタートしたって言っても、集合場所と時間だけを決めて、あとはバラバラに公園内を歩いて、各自、俳句を作るだけだ。
あたしは、この吟行に誘ってくれた仲良しのオジサンと、久しぶりに会ったこれまた仲良しの看護婦さんと三人で行動することにした。

集合時間までは、約3時間。それまでに10句作らなきゃならない。
でも、久しぶりに会ったんだし、まずはコレでしょ?って、あたしがお酒を飲むジェスチャーをすると、オジサン俳人は(って言っても、すごく偉い人なんだけど、笑)、『きっこちゃんのために、ちゃんと持って来たよ』って言って、あたしの大好きな日本酒「銀嶺立山」の五合びんをバッグから出して見せてくれた(笑)

芝生に新聞紙を敷いて三人で座り、ナース俳人の手作りのタケノコの煮物やだし巻き玉子をおつまみにして、まずはあたしの買って来たビールで乾杯。それから紙コップで立山をクイクイと飲んで、俳句なんかそっちのけで、色んな話題で盛り上がった。
いい気持ちになって芝生に寝転がると、遠くで遊ぶ子供達の声や鳥のさえずりが聞こえ、三分咲きの桜が、春風にさわさわと音をたてる。

あたしは、ふっと浮かんだ句を句帳に書きとめた。他の二人も、俳句を作り始めていた。

残り時間もあと1時間となり、あたし達は、公園内を見てまわることにした。早春の自然公園をほろ酔い気分で歩いていると、今日のメンバーのひとりが石のベンチに座って、歳時記を無心にめくっていた。あたし達は、その人の目の前を通ったんだけど、その人は歳時記に夢中で、あたし達に気づかないどころか、まわりの景色も目に入らない様子だった。

色んなものを見て、触れて、感じて、それぞれが10句づつ作って戻って来ると、1時間も経っているのに、その人は、まだ同じ場所でミケンにシワを寄せて歳時記とにらめっこしていた。

そして、全員が集合して、句会が始まった。
お天気も良く、とても立派なベンチとテーブルがあったので、その日の句会は外で行うことになった。2つのテーブルをくっつけて全員がぐるっと座れるようにして、短冊、正記用紙、選句用紙が配られる。この短冊に、無記名で俳句を書き、それぞれが10句づつ提出し、それを裏向きにしてシャッフルする。そして、誰の作品か分からないようにして、みんなで選句して行くのだ。

メンバーの相互選が終わったあと、最後にゲストの先生の選が発表される。句会では、もっとも緊張する瞬間だ。

俳句の選は、一番良いものが『天』、次が『地』、そして『人』と分けられる。オリンピックの金銀銅みたいなもんだけど、この時は実力のある俳人ばかりだったので、先生の選も厳しかった。10人が10句づつ、全部で100句提出されている中、天は3句、地は5句、人は10句、それ以外の82句は選外だった。
あたしは、チョーラッキーなことに、天を1句、地を2句、人を2句もいただいた。それどころか、あとの天の2句が、オジサン俳人とナース俳人だったのだ。
みんなが一生懸命に俳句を作ってる時に、お酒を飲んで遊んでた三人が、天を総取りしちゃうとは!(笑)

最後に、先生が全ての句に対して、順番に批評をして行く。この句は、ここを直したほうが良いとか、この句は過去に類想句があるとか、そんな感じだ。

そして、あの歳時記とにらめっこしてた俳人の句について、先生が言った。

『この句は、季語が良くないですね。他の季語に変えてみて下さい』

その瞬間、その俳人は、バッと歳時記を手にすると、鬼のような形相で次々とページをめくり始めたのだ。
何をし始めたのかと、全員が彼に注目すると、『先生!この季語はどうでしょうか?それとも、この季語は?』と、歳時記の季語を順番に読み上げ始めたのだ。

先生は、その様子をさえぎるように、静かな口調でこう言った。

『●●さん、まず歳時記を閉じなさい。そして、まわりを見回してごらんなさい。まわり中に自然が満ち溢れているのに、あなたは何故、それを見ようとしないのですか?感じようとしないのですか?あなたは今、限りないほどの季語達に囲まれているんですよ』

人間は、時に、物事の本質に近づこうとして、実際には遠ざかって行ってしまうことがある。

一生懸命ビデオに撮った運動会は、そのビデオテープが無くなってしまえば、10年後には何も思い出せない。
でも、一生懸命に声を枯らして応援した運動会は、10年経っても20年経っても、心の中に残っているだろう。
三脚の立ち並ぶ、芸能人の記者会見場みたいな父兄席で、自分の子供だけをズームで撮り続け、自分の子供が参加しない競技が始まると、この時とばかりにテープやバッテリーを入れ替えるお父さん達。

花が咲き、鳥が歌い、満ち溢れた自然の中にいても、歳時記から目が離せない俳人‥‥。

俳句は、人より得点の高い俳句を作ることが目的じゃない。季節を肌で感じ、それを自分の言葉で17文字に切り取り、四季のある国に生まれた歓びとともに、自然に対してのあいさつとする。

だけど、もっと上手にあいさつがしたい、もっと自分の想いをうまく表現したい、と言う気持ちから、座を設け、それぞれが競い合い、磨き合い、勉強し合うのだ。

それなのに、いつの間にか高得点を取ることが目的になってしまっている。

本末転倒とは、まさしくこれらのことだろう。
ちなみに、読めないような難しい言葉が並ぶ立派な俳句がほとんど選外になった吟行会で、天をいただいたあたしの句は、こんなのだった(笑)

  ほろ酔ひの桜三分となりにけり きっこ

※今日の俳話は、書き下ろしではなく、別のサイトであたしがずっと綴っている「れいなの日記」の中から、去年の11月頃に書いたものを転載しました。

そちらのサイトは俳句のサイトではないので、日記の内容も様々なジャンルに渡っています。また、最近は忙しいため、今年の1月から、しばらく更新をお休みしています。

でも、過去ログの中には俳句や短歌に関するものもありますので、今回の俳話を読んで興味を持った方は、「きっこのお薦めサイト」の中の「れいなの楽屋」へアクセスしてみて下さい。

*図書館註:この「れいなの楽屋」も魔法のiランドやteacupの終了で行方不明になりました。ログしている人があればお知らせください。

なお、多くの国語辞書では「付かず離れず」表記ですが「不即不離(ふそくふり)」という四字熟語から来ているので「即かず離れず」と併記する辞書(旺文社)もあります。「つきすぎ」は「相即不離(そうそくふり)」という四字熟語が類語と言えます。どちらも仏教用語で『円覚経』に由来すると謂われています。「迷い」と「悟り」は相反する関係に見えるが、「迷い」があるから「悟り」があるという「不即不離」の関係と、「相即不離」は「相(あい)即(つ)きて離れず」という二つの物事が密接な関係にあり切り離せないという意味になります。「離れ過ぎ」という対語(反対語)は見当たりませんでした。
なお、『円覚経』は諸種あまたある仏教思想と実践行の禅とを統一する「教禅一致」の聖典とされ、「教禅一致」に批判的だった道元はトマソン扱いにしています(笑)。ただ、京都大学蔵の「むろまちがたり」十巻目の「たま藻のまへ」の原文をあたると、九尾の狐が玉藻の前に化身して鳥羽院に仏教問答で答える場面に、「迷い」があるから「悟り」があるという「不即不離」の応答をして鳥羽院を感心させたという場面があるので、室町時代には日本にも浸透していたと思われます。

編集・削除(編集済: 2022年08月24日 04:16)

第二十三話 つきすぎと離れすぎ

描写と季語を取り合わせた二物(にぶつ)の句の場合、その句が成功するかどうかは、描写と季語の響き合いで決まります。

描写と季語は、近すぎず遠すぎず、ほどよい距離を持ち、その二つが響き合うことにより読み手に立体的なイメージをもたらすものを良しとしています。 

いちがいには言えませんが、基本的には、小さなものを描写したら大きな季語、生物を描写したら生物以外の季語、観念的な描写をしたら現実的な季語、など、描写と季語は対照的なものを取り合わせます。

例えば、部屋の中の描写に対して、部屋の中にある季語を斡旋すると、一句がすべて部屋の中のこととなり、広がりがなくなってしまいます。だからと言って、まるで別の場所にある季語、例えば、描写している部屋は東京の真ん中にあるのに、季語として山の上のほうに咲く花を取り合わせたりすると、一句がバラバラになってしまいます。
ですから、部屋の中の描写に対しては、窓から見える範囲にある植物や鳥などの季語を取り合わせるのが、一般的な斡旋になります。

観念的な句に関しては、例をあげて説明してみましょう。
例えば、

  すこしづつ心ほどけて秋うらら

このように、実体のない観念的な描写に、同じく実体のない季語を取り合わせてしまうと、現実的な情報が皆無で、読み手には何ひとつ伝わって来ません。このような、読み手を拒絶した独りよがりの句を「ジコマンゾ句」と言い、観念的な句にこそ一番求められるリアリティが欠落しているので、誰の共感も得られません。

しかし、季語を「菜種梅雨(なたねづゆ)」に替えてみたらどうでしょう。

  すこしづつ心ほどけて菜種梅雨

描写と季語に響き合いが生まれ、季語の本意によって、この描写が表している作者の悲しみは、軽い失恋程度のものであり、それほど深刻ではないと言うイメージが伝わって来ます。
また、その描写が季語を助け、晩春の菜の花のほどけて行く様を感じさせるでしょう。

それでは、季語を「枝垂梅(しだれうめ)」に替えてみるとどうでしょうか。

  すこしづつ心ほどけて枝垂梅

今度は作者の悲しみが少し深くなり、また違ったイメージを作り出します。

季語と言うものは、ただ単に季節を表すだけでなく、その本意を持って描写と響き合い、作者の伝えきれない想いを表現する力を備えているのです。

このような描写と季語の取り合わせにおいて、その二つが近すぎてイメージの広がりの無いものを「つきすぎ」、逆に、あまりにも遠すぎてイメージが結びつかないものを「離れすぎ」と言います。

この「つきすぎ」「離れすぎ」と言うのものは、取り合わせの句だけでなく、一物(いちぶつ)の写生句などでも、その表現の上で発生します。
「つきすぎ」と言うのは、季重ねや切れの重複に対する感覚と同じように、正確なモノサシがあるわけではなく、極端な例を除けば、個人個人の感性によるところも多いので、Aの結社では誉められた句が、Bの結社では「つきすぎです」と言われることもあるのです。

また、斡旋する季語によっても、多少つきすぎにしたほうがいい句もあれば、少し離したほうがいい句もあり、とても微妙なサジ加減が要求されて来ます。

例えば、同じ植物の季語であっても、その「つき具合」が皆同じと言うわけではありません。「菜の花」のように自己主張の淡いものは、多少「つい」た描写でも構いませんが、「彼岸花」のように個性や自己主張の強いものに対しては、少し「離し」気味の描写のほうが響き合います。
植物だけでなく、「季語の本意」を持つすべての季語は、それぞれに個性や自己主張があり、その度合いによって、描写との「つき具合」が違います。

先ほど「個性や自己主張が強い」と言った「彼岸花」を主観と客観の両面から写生してみると、この「つく」と言うことの意味が良く分かります。

主観写生の手法であれば、作者はその彼岸花を見て、色々と自分の想いを巡らせます。そして、彼岸花から自分が受けたイメージを言葉にして行きます。
「彼岸」「生と死」「涅槃(ねはん)」などの言葉が次々と浮かんで来て、その想いを彼岸花の形に投影し、こんな句を作ったとします。

  ひともとの空(くう)を掴むや曼珠沙華
  ※曼珠沙華(まんじゅしゃげ)は彼岸花の別名です。

一方、客観写生では、彼岸花と、その彼岸花を見ている自分とをもう一人の自分が、少し離れたところから写生します。
ですから、彼岸花を直接見ている自分の想いや観念は「他人事」となり、句の上には表れて来ません。観念や先入観を介入させずに写生するわけですから、こんな句が生まれます。

  シェパードが鼻近づける彼岸花

俳句は個人個人の好みですから、前者の句のほうがいいと言う人も100万人に1人くらいはいるかも知れませんが(笑)、「つく」かどうか、と言う観点から見れば、前者はつきすぎ、後者はほどよく響き合っています。
前者の句がなぜ「つきすぎ」かと言うと、もともと彼岸花は、死人花(しびとばな)、幽霊花などとも呼ばれ、生や死やそれらに準ずるような本意が含まれているのです。ですから「空を掴みし」と言う、生きることに執着しているような見立てが「つきすぎ」となるのです。
ちなみにこの句は、あたしが俳句を始めて2年目くらいに作った、今見ると顔から火を吹きそうなくらい恥ずかしい「サイア句」(笑)で、後者の句は、今、例にするために即興で作ったものです。

この比較を見てもらえれば、主観や観念から発生した描写は「つきすぎ」に陥りやすいと言うことが分かると思いますし、言い替えれば、作者の言いたい想いは、すでに季語が語ってくれている、それをあえて描写で繰り返す必要はない、と言うことも分かるでしょう。あたしがいつも「ギリギリまで主観をそぎ落とせ」と言っているのは、こう言うことなのです。

それでは、季語の本意を描写で繰り返す「つきすぎ」と言うものは、すべていけないのかと言うと、そうではありません。
例えば、時雨忌(しぐれき、芭蕉の命日)や糸瓜忌(へちまき、子規の命日)などの忌日(きじつ)の季語があります。
これらの忌日の季語を使う場合は、多少つきすぎになるように作るのです。

「ねこじゃらし」と言う季語に対して「猫」の描写を取り合わせたら、これは「悪いつきすぎ」になってしまいます。しかし、夏目漱石の忌日「漱石忌」に対して「猫」の描写を取り合わせるのは、本来は「我輩は猫である」を連想するので「つきすぎ」になってしまいますが、忌日の句に関しては「故人を偲ぶ」と言う観点から良しとされています。また、忌日と言う季語自体が特殊な位置づけにあり「挨拶(あいさつ)」としての性格が強いため、離れた描写では成り立たないのです。

このような特殊な場合を除いても、つきすぎはすべてダメ、と言うわけではありません。字余りのように、一度は完璧な形にまで推敲したけれど、それ以上の世界を表現するために、あえて「つきすぎにした」と言うのであれば、それもまた俳句のひとつの表現方法なのです。
もちろん、いくら計算して意識的につきすぎにしたと言っても、読み手にその意図が正確に伝わり、計算通りの効果を上げなければ、成功したとは言えません。

ですから、意識的なつきすぎと言うものは、余韻の増幅やたどたどしさを演出するための意識的な字余りや、緻密に計算された切れの重複などと同じように、とてもハイレベルな手法であり、初心者が考えもなく実践して簡単に成功するようなものではありません。
やはり基本的には、初心者もベテランも関係なく、常に「つきすぎ」「離れすぎ」に注意して、描写と季語をほどよく響き合わせるように作句するのがベストでしょう。
ちなみにあたしは、目が「離れすぎ」なので、毎朝一生懸命にメークして、ほどよい距離になるように努力しています(笑)
‥‥っていいのか?こんな終わり方で!(爆)

編集・削除(編集済: 2022年08月24日 04:18)

第二十二話 ★短歌はCD、俳句はレコード

先日、NHKの教育テレビで、俳句、短歌、川柳の特集をやっていました。NHKの俳壇や歌壇などは、いかにもNHK好みの選者が交替で出演して、いかにもNHKらしい予備選を突破した作品が並び、どの出演者も台本通りのコメントしか発言しないので、何の勉強にもなりません。でも、先日の番組は、俳句や短歌の授業に力を入れている女子高の取材や、普段、これらの詩型と関わりのない人達から公募した作品を発表したりと、なかなか興味深い内容でした。
その番組の冒頭で、「俳句についてのイメージ」を街頭インタビューしたVTRを流していました。

女子高生「な~んか年寄りって感じぃ~!」

若いサラリーマン「季語だとか何だとか、決まり事が多くて難しそうな感じです。」
こんな意見を何パターンか流したあと、「季語などの難しい決まり事もなく、誰でも簡単に自分の想いを表現できる短歌が、今、若い人達の間でブームとなっています。」と言う司会者の言葉とともに、書店に並ぶ色とりどりの絵本のような歌集が映し出されました。

堅苦しい「伝統」に支配され、庶民などは読むことも許されなかった貴族だけの高尚な遊び「和歌(短歌)」と、そのファッキンな「伝統」を否定することによって生まれた庶民の文芸「俳諧(俳句)」とが、今まさに、完全に逆転してしまっているのです。

それどこれか、その火の消えかかった亀山ローソクみたいな俳句に、さらに追い打ちをかけるように「伝統」なんて冠をかぶせ、徹底的に庶民を排除しようとしている結社なんかもあるくらいだから、街頭インタビューの意見は当然の結果でしょう。
でも、短歌が一般に受け入れられ、俳句が受け入れられない理由は、「俳句は年寄りくさいから」「俳句は難しそうだから」「ある勘違い結社のアホな行動のせい」だけではないのです。

それは「カンジンの俳人達が本当の俳句と言うものを分かっていない」からなのです。

俳句は、連句の発句が独立したものなので、何と言っても「切れ」が命です。そして次に大切なのは、もちろん「季語」です。でも、ほとんどの俳人は、そこまでしか分かっていません。つまり「切れ」と「季語」があって575の「定型」なら、もう立派な俳句だと思っているのです。

前回の俳話「伝統って何?」の中にも書きましたが、俳句のルーツである俳諧は、それまでの伝統を否定することにより生まれました。
そして、その俳諧が、それまでの連歌と一番大きく違っていた点は、高尚な連歌では絶対に禁止されていた外来語(漢語)や俗語を自由に使えると言うことなのです。

この決まり事は、俳諧から俳句が生まれたあともずっと続いており、場合によっては、季語や切れなどよりも重要な「俳句の存在理由」となっています。

この、連歌(和歌)では禁止されていて、俳諧(俳句)でしか使えない外来語や俗語などを総称して「俳言(はいごん)」と呼んでいます。

当時の外来語と言えば主に漢語ですが、国際社会の現在では、英語を主に、フランス語、イタリア語、中国語、韓国語、ロシア語、スペイン語、他にもいくらでもありますし、和製英語や造語のたぐいまで、すべてが俳言なのです。

また俗語と言えば、まず思い浮かぶのが流行語です。
今の俳人達がミケンにシワを寄せるような、渋谷のセンター街で今どきの女子高生やキンパツの兄ちゃん達が地ベタに座ってしゃべってる言葉、それが俳言なのです。

300年前のそう言う子達が「大人達ってさ~あれもダメこれもダメってウザイから、うちらだけで言いたいこと言っちゃお~ぜ!」って生まれたのが俳諧なのです。だから、現在の芭蕉は、窪塚洋介あたりじゃないでしょうか(笑)

つまり、カタカナ語や流行語の使用を禁止しているような結社があるとしたら、それは、俳句の本意がまったく分かっていない、自らが俳句と言うものを否定している結社なのです。

結論として、意識的にしろ無意識にしろ、俳句の主軸となる「俳言」をうまく使えない俳人ばかりの現在の俳壇は、庶民から見たら完全に体制側のものになってしまっているのです。

今から15年くらい前、あたしが中学生の頃は、俳句も短歌も同じように「年寄りくさ~い!」「難しそ~!」って思われていました。そこに、短歌の歴史を塗り変えるヒロイン「俵万智」が「サラダ記念日」をひっさげて登場したのです。

和歌の世界ではタブーとされていた外来語や俗語などの「俳言」を自由自在に操り、たった31音の中に良質な映画の1シーンのような世界を作り出してしまう彼女の作品は、それまで短歌に興味の無かった人達の間にあっと言う間に浸透し、とりわけ感受性の強い若い世代に受け入れられたのです。

流行語を使い口語でさらりと詠んでしまう俵ワールドは、それまでの難しくて堅苦しい短歌のイメージを一掃し、中学生からOL、主婦までもが、ノートの端に自分の想いを31音で綴るようになったのです。

この様子を見ていた俳壇のお偉いさん達は、よほど隣の芝生が青く見えたのでしょう。
俳句の世界にも俵万智のようなヒロインを作り出し、なんとか活性化しなければ!って考えました。そして生まれたのが「黛まどか」です。

最高水準の作品を何十年も応募し続けても、よほどの人脈がないと受賞できない「角川俳句賞」は、表向きは一応権威のある賞です。毎年たった1名だけに与えられる賞で、審査にあたっている先生達の結社に所属している会員達が、持ち回りで受賞することに決まっているデキレースですが、他の賞も似たようなものなので、その辺の裏事情を知ってる俳人達からは「ゼネコン賞」とか「鈴木宗男賞」とか呼ばれています(笑)

でも、とにかく権威主義の象徴なので、若い俳人は絶対に受賞することはできないのです。
それなのに、黛まどかが応募した94年は、黛まどかのために奨励賞と言うワクが設けられ、シナリオ通りに彼女がその賞を受賞したのです。
つまり、俳句界の俵万智を作り出し、低迷している俳壇を救おうと言う「柳の下の二匹目のドジョウ作戦」の人柱として、若くてキレイで今風の俳句(と頭の古い人達には思われた)を詠む黛まどかに白羽の矢が立ったのです。

内部からも反発の多かった、この角川一世一代の大バクチで、大方の予想通り「角川俳句賞」の権威はガタ落ちし、それまでせっせと応募していた真面目な俳人達は、ほとんど離れて行ってしまいました。そして今や、権威どころか、新人の登竜門みたいになってしまいました。

話は戻り、その時の黛まどかの作品50句には、その中の代表句(と作者が思ってる句)である「旅終へてよりB面の夏休み」と言う句から「B面の夏」と言うタイトルがついていました。驚くべきことに、選者はその句を「夏の後半をレコードのB面に喩えたところが斬新だ」と評価しています。
あたしは、稚拙すぎる句のレベルにも呆れましたが、何よりこのトンチンカンな評に、開いた口が塞がりませんでした。

今はMDやDVDだけど、当時はCDの全盛期。どこにもレコードなんか売ってないし、A面B面なんて言う言葉自体、完全に死語になってるって言うのに‥‥。感覚としては、今、ゲーム機のことを「ファミコン」って言うのと同じくらいの古さです(笑)

中の一句を抜粋してみると、

  蓬(よもぎ)摘む赤いポルシェで乗りつけて

あなた、コレ、どう思います?(笑)

山口百恵が「プレイバック PartⅡ」って言う歌で「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ~♪」って歌ってたのが、調べてみたら78年。65年生まれの黛まどかは、中学生の頃です。あたしでさえ知ってるこの大ヒット曲、彼女が知らないはずがありません。
つまり、常に新しいものを詠むべき俳句で、なんと15年も前の歌謡曲で歌われていた「赤いポルシェ」を登場させているのです。
この辺のズレ具合が「B面」と同じように、感覚のズレまくった選者達には「斬新だ!」と感じたのでしょうか?それとも、結果の決まったデキレースだから、何とか無理して誉めたのでしょうか?

どこかの伝統俳句結社の主宰の代表句、「セーターの又赤を着てしまひたる」を彷彿させるほどのこのポルシェの句を筆頭に、単語だけでなく、言い回しや対象の切り取り方など、どの句もどの句もあまりの古さに、当時、ヘアメークになりたてで、流行の先端を行く人達とお仕事を始めたばかりだったあたしは、どっかのおばあちゃんが作った俳句かと思ったほどです(笑)
本来、流行の最先端の「俳言」を使わなくちゃならない俳句がこのアリサマで、逆に短歌の世界では、最先端の流行語を詠み込むだけに留まらず、俵万智の歌からも流行語が生まれて行ったのです。

短歌の世界では、俳句の手法、自己客観写生を取り入れた辰巳泰子や、俳言どころか流行そのものを作り出している桝野浩一など、伝統などに背を向け、次々に独自のスタイルを確立して行く歌人があとをたたないのに、俳句の世界では、15年も前の歌謡曲みたいな句を「斬新だ!」なんて言ってるんだから、いつまで経っても「俳句は年寄りくさ~い!」って言われちゃうのも仕方ないですね(笑)

現在の短歌は、CDどころかMD、DVDへと進化し続け、デジタルと言う身軽さを武器に、各メディアへと広がり続けています。
それなのに、芭蕉の「不易流行」も知らず、俳句の本意は「俳言」にあることも知らない俳人達は、今だに「定型」と「季語」と「切れ」だけの歪んだレコードをターンテーブルに乗せ、雑音だらけのアナログの音を鳴らしてるんだから、常に新しいものを求めていた芭蕉や子規は、どんな思いでこの時代遅れの歌謡曲を聴いていることでしょう。

編集・削除(編集済: 2022年08月24日 04:19)

第二十一話 伝統俳句って何?

なんだか最近の俳人の中には「伝統俳句」なんて言う、実在しない架空の言葉にだまされて、俳句の本質からどんどん外れて行く人達がいます。

どこの誰から洗脳されてるのかは知らないけど(ホントは知ってるけど、笑)、そんな実在しない偶像なんかに手を合わせて、一体ナニがしたいんでしょう。

まだ今は、年会費を取られたり、くだらない句集を買わされたりしてるぐらいだからいいけど、主宰が顔も出さないような句会に会費を払って出席するようなオメデタイ信者達は、そのうち変なツボだとか絵だとか買わされちゃうんじゃないだろうかって心配になって来ます(笑)

あたしは何度も言ってるけど、俳句って言うのは「伝統」を否定するところから生まれた文芸なのに、その俳句を「伝統俳句」と呼ぶなんて、そんな矛盾があるのでしょうか。
こんなデタラメにだまされてる人達は、ハッキリ言って、ただの勉強不足なだけです。

俳句と違い、本当に伝統のある短歌は、決して「伝統短歌」などとは言わないし、他のものも全て同じです。「伝統水墨画」「伝統茶道」「伝統花道」なんて聞いたこともありません。
歴史の無い俳句に「伝統」なんて冠をかぶせたがるのは「我こそが俳句のルーツです!」ってことをアピールしたがってる一部の結社の人だけです。

もともと、日本の歌と言えば和歌であり、古代には様々な形式のものがありました。その中のひとつ「短連歌(たんれんが)」と言う、575と77を二人でかけ合うスタイルがあり、鎌倉時代から平安時代にかけて、その短連歌をずっと続けて行く「鎖連歌」が生まれました。そして、それが「五十韻」「百韻」と言う「長連歌」へと発展したのです。
この長連歌は、それまでの和歌のように貴族だけでなく、お坊さんや武士から庶民の間にまで大流行しましたが、まだ和歌の文化の影響が強かったため、外来語や俗語などは使えませんでした。

そして、江戸時代になり、庶民の間では、格式が高くてつまらない連歌に対抗して「俳諧(はいかい)」が生まれます。形式は同じでも、あれもダメこれもダメと言う伝統的な連歌に比べ、そんな伝統なんかクソ食らえ!ってことで始まった俳諧は、外来語や俗語もOKだし、何よりも日常の通俗的な内容を自由に詠えるため、あっと言う間に庶民の文芸として定着しました。

つまり、俳句のルーツである俳諧自体が、それまでの伝統を否定するところから発生しているのです。

そして、高い精神性に裏づけされ、多くの人達の共感を得る作品を次々と生み出す「芭蕉」と言うヒーローが誕生したのです。
当時の人気俳諧師と言うのは、今で言うジャニーズのアイドルみたいなもんで、若い女の子からはモテモテだし、男の子からは憧れられるし、変装しなければ町も歩けないほどです。

その中でもトップアイドルの芭蕉には、常にオッカケがつきまとい、蕪村や一茶も、もともとは芭蕉のオッカケだったのです。

ここで念を押しておきますが、芭蕉、蕪村、一茶などの名前が出て来ましたが、この時点でも、まだ俳句は生まれていません。
つまり、今では芭蕉と言えば「俳人」の代表のように思われていますが、もともとは「俳諧」と言う連歌のスーパースターであり、名刺の肩書きは俳人でなく「俳諧師」なのです。

さて、時代は明治になり、町のあちこちで文明開花の音がポンポンとしはじめ、都会と違って何のレクリエーションも無かった当時の四国は松山で、野球大好きノボ兄ちゃん(子規)が叫びました。
『連俳(連歌俳諧)は文学にあらず!発句のみ文学だぁ~!』

ノボ兄ちゃんの声は、四国中に響き渡り、ある人は讃岐うどんを鼻から出し、またある人はサワチ料理をひっくり返しました(笑)
ここから「俳句」の歴史(って言うほどのもんでもないけど)が始まったのです。

現在の日本の定型詩には、俳句や短歌の他に、連句、川柳などもありますが、連句は江戸時代の俳諧が現代に伝わっているもの、川柳は俳諧の77の前句に付けた575の付け句が独立したものであり、どちらも俳句よりは歴史があるのです。

話は戻り、たった百年ほど前に、子規が俳句の定義を決めたことにすがってる現在の子規の末裔(まつえい)達が「自分の結社こそ俳句の総本山だ」ってアピールするための都合のいい肩書き、それが「伝統」って言葉なんです。
欧米人からは、日本人ほど肩書きに弱い民族はいないと思われていて、肩書きのために大学に入り、肩書きのために就職し、ダレカレかまわず名刺を配りまくるイメージがあるようです。

そんな肩書き大好きな日本人にピッタリの「日本伝統俳句協会の会長が主宰をつとめる伝統俳句結社」(笑)

この「伝統」って言葉のマジックにだまされ、どれほど多くの俳人達が俳句の本質から遠ざかって行ったことでしょう。

「伝統」を否定することによって生まれた俳句は、その後も「伝統」と戦いながら今日に至っています。100年前とまったく変わらないものを後世へと伝えて行く「伝統」と言うものに対して、芭蕉の「不易流行」と言う概念を子規の「客観写生」と言う手法で実践して行く俳句は、常に流れ続ける文芸として、正反対に位置するものなのです。
つまり、例え俳句に五百年、千年の歴史があったとしても、常に新しいものを取り入れ、常に「今」を詠む、と言う俳句の本質を考えれば、決して「伝統」などと言う保守的なものは生まれる文芸ではない、と言うことが分かります。

あたしの大好きな連句の先生で、矢崎藍さんと言う人がいます。肩書き大好きな人達のために一応書いておくと、連句協会の理事であり、ころも連句会の代表であり、大学で日本文学の教授もしていて、たくさんの本を書いている、現在の連句界を代表する一人です。
その矢崎さんが、連句に関する自書の中で、「俳諧の歴史はいつも伝統との闘いなのだ!」とハッキリと言っています。

あたしは、一人でも多くの「伝統俳句教」の信者達が一日も早く目を覚まし、たった一度の人生を棒に振ることなく、本当の俳句の道へと進んでくれることを願ってやみません。
‥‥マジで。

編集・削除(未編集)

第二十話 松の声

例えば、俳句で松を詠む時に、その松を見て「この松は何だか寒そうだな」とか「何だかボーッと突っ立ってるな」とか「この枝の形は何となく人間が悩んでいるように見えるな」と思い、「松が凍えている」「松がボーッと立っている」「松が悩んでいる」などと表現する人がいます。

松山千春なら頭が寒そうだし、松たか子ならボーッとしてそうだし、松田聖子なら悩みも多そうですが、植物の松が、寒がったり、ボーッとしたり、悩んだりするわけがありません。

こう言った表現方法を「見立て」と言い、これらの場合は「松」を「人」に見立てているので「擬人化」と呼びます。

客観写生においては、この「見立て」が、その中でもとりわけ「擬人化」が、あまり良くないこととされています。それには、2つの理由があります。

まず1つは、擬人化を含む見立てと言うものは、その作者の主観が全面に出た表現であると言うこと。

そしてもう1つは、見立ての手法と言うものは、少ない言葉で対象の状況などを伝えることができるため、短詩型の世界では古くから使われている、つまり類句が生まれやすい、と言うこと。

ですから、常に新しみを求める俳句の世界においては、「見立て」と言う手法そのものが、現代ではすでに使い古された表現方法なのです。

もちろん「見立て」の句を作ってもルール違反にはなりませんが、そのためには、今まで誰も使ったことがなく、それでいて多くの読み手に共感してもらえるような見立てを発見しなくてはなりません。

「星のささやき」「太陽の笑顔」「母なる海」などなど、例を上げたらキリがありませんが、現代では歌謡曲の歌詞にも使われないような、これらの賞味期限の切れた表現は‥‥
って、この「賞味期限の切れた」って言い回し自体が賞味期限が切れてますけど(笑)

とにかく、「見立て」だけでなく、同じように良く使われる「比喩」や「言い回し」なども、斬新でオリジナリティがあり、かつ多くの読み手に共感してもらえると言う、相反するものを備えていなければ、現代俳句においては通用しないのです。

あたしは、見立てを否定はしませんし、逆に、これだけ詠み尽くされてしまっているのに、それでも新しい見立てを発見する俳人がいたら、心から敬服します。でも、一度しかない人生、あんまり遠回りもしてられないので、その辺のことは俳句界の荒俣宏こと、マニアック岸本こと、岸本尚毅あたりに任せておいて、不器用なあたしは、徹底的に客観写生を追求して行きたいと思います(笑)

  梅の花ぽんぽんポップコーンかな

これは、あたしが中学生の時に作った句です。白梅の咲く様子をポップコーンに見立てた句で、当時は先生に誉められました。

でも、それから15年、色々な媒体で俳句を読んで来て、ここ数年は、毎月10誌以上の結社誌を一般会員の投句欄まですべて目を通していますが、梅の花をポップコーンに見立てた句は、両手の指で数えられないほど目にして来ました。

その上、ポップコーンと言う単語が6音もあるため、必然的に他に使える言葉が少なくなり、見立て以外の部分も類似して来るのです。全く別の結社誌で、一字一句同じものも見つけました。

もちろん、あたしよりも先にこの見立てをした人もいるでしょうし、あたしが現在目を通している結社誌は、全国に800以上もある結社の僅か2%なのです。
そう考えると、梅の花をポップコーンに見立てた句は、何十句、何百句と詠まれているのかも知れません。そして、それぞれの作者が、「自分だけが見つけた新しい表現」だと思い込んでいるのです。

ですから、見立ての句を作る場合は、この「梅とポップコーン」をひとつの目安として考え、これよりも新しみのない見立てならば、すでに何百、何千と詠まれている、と思って下さい。

あたしが、見立てと言う手法に見切りをつけたのは、この他にも、数え切れないほどの類句を見て来たからです。

芭蕉は「松のことは松に習へ」と言い、開高建は「風に訊け」と言い、あたしは「猫に聞いてみれば?」(笑)と言いますが、これが、客観写生の基本なのです。松の声、風の声、猫の声を聞くこと、これがすべての第一歩であり、そして客観写生へと繋がって行くのです。

あたしは、良く周りの人から、猫についてのことを質問されます。猫の習性などを知りたい人が、猫に詳しい人に質問するのは当り前のことです。でも、あたしの言うことは、あたしの主観が入った猫の説明なのです。あたしの百の言葉を聞くよりも、自分の目でノラネコを1時間ほど観察していたほうが、何倍ものことを吸収できるでしょう。それが「猫に聞いてみれば?」と言うことなのです。

初めは、松の外見や風の音、猫の動きなど、五感に働きかける部分しか観察することができませんが、そう言った写生を積み重ねて行くうちに、松や風や猫の声が聞こえて来るようになります。

もちろん、それらは耳ではなく、心に聞こえて来るのです。

松を見て「寒そう」「ボーッとしてる」「悩んでいる」と感じる人達は、自分の主観を表現することに忙しく、まったく松の声が聞こえていないのです。
せっかく自分以外の対象を17音に切り取るのですから、見立てや比喩などと言う安易な表現方法に逃げたりせず、心の耳を澄ませて相手の声を聞き、そこから言葉を紡(つむ)いで行くべきだと、あたしは考えています。

編集・削除(編集済: 2022年08月24日 04:21)

第十九話 きっこのお薦め俳句本

あたしは俳句が大好きなので、句集以外の俳句関係の出版物も、よほど嫌いな俳人の書いたものでなければ、たいていは目を通しています。たまに嫌いな俳人のものも、会った時にアゲアシを取る材料として、立ち読みすることもありますけど(笑)

句集は、毎月あちこちから何冊も何冊も一方的に送られてくるので、ざっと目を通してお礼状を書くのが、義務ってゆ~か、負担ってゆ~か、重荷ってゆ~か、正直迷惑なんですが、これは、口には出さないけどほとんどの俳人が思ってることでしょう(笑)

手書きの挨拶文の一行でも添えてあれば別ですが、「謹呈」って印刷した紙っぺらが一枚挟んであるだけで、宛名まで印刷で、郵便局から大量に発送した中の一冊が、何の前ぶれもなくマンションの郵便受けの中に無言で鎮座し、仕事でクタクタになって帰って来たあたしを出迎えてくれます。
ふうっ‥‥。
句集なんか「BOOK OFF」に持ってってもイヤな顔されるだけだし、部屋に置いとくとすごくジャマだし、可燃ゴミの日に出すのは忍びないし‥‥。

そんな句集テポドンの攻撃で疲れたあたしの心を癒してくれるのが、句集以外の俳句関連の本なのです。

そんなワケで、今回の俳話は、あたしのオススメの本を2冊紹介してみたいと思います。

『奥の細道・俳句でてくてく』路上観察学会著/太田出版¥2200

これは、あたしの大好きな赤瀬川原平さん率いる路上観察学会の5人のメンバーが、芭蕉の奥の細道を旅しながら、路上に奇妙なものを見つけるたびに写真に撮り、その写真に短文のコメントと一句添えて行く、と言うものです。最近の俳句関連の本の中では、あたし的には一番ウケたもので、高かったけど、無理して買って正解でした。
赤瀬川さんと言えば、サルマネ大国ニッポンにおける数少ない本物の芸術家の一人で、その人生は芸術そのものです。60年代の前衛芸術家時代には、当時の千円札をそっくりに描いたスーパーリアリズムの作品により、紙幣の偽造犯として逮捕されてしまいます。
シャケ缶のラベルを剥がし、カラッポにした内側に貼り直し、カンヅメの内側と外側を逆転させた作品「宇宙の缶詰」、ビルを丸ごと梱包してしまう「梱包アート」など、あたしが生まれる前にスゴイことをやってた人です。
独特の味わいのあるイラストと文章も魅力で、最近では「老人力」で話題になりましたが、81年には尾辻克彦と言うペンネームで書いた「父が消えた」と言う作品が、直木賞を受賞しています。
あたしは、赤瀬川さんの本は全て読んでいますが、特に面白いのが、路上観察学会のハシリとなった「トマソン」です。
窓がコンクリートで埋められてしまったのに、その上にそのまま残されているヒサシや、上って行っても何も無く、ただの壁に行き着いてしまう階段など、町や路上の片隅に残された無用の長物の中に「芸術性」を見い出し、それらを研究して行く学問です。

昔、ジャイアンツにトマソンと言う外国人選手が鳴り物入りでやって来て、ものすごい契約金と年棒を貰ったのにもかかわらず、打席に立つと三振の嵐で、全くの無用の長物だったことから、この芸術の名前が生まれたそうです(笑)

そんな素敵な赤瀬川さんの他も、オニギリ顔のイラストレーターの南伸坊さん、東大の教授で建築家の藤森照信さん、作家兼デザイナーでマンホールのフタの研究家でもある林丈二さん、そして筑摩書房の専務で敏腕編集者の松田哲夫さん、このメンバーが奥の細道を旅するんですから、タダで済むわけがありません(笑)
タテマエだけの「客観写生」を旗印に、モノを見ないで過去の句をなぞってるだけの縄文式結社の主宰達に、このメンバーの観察眼を少しは見習って欲しいと思う今日この頃です(爆)


『俳句、創ってよかった/中学生の12ヵ月』柴田雅子著/日本エディタースクール出版部¥1545

子供たちの感性を育てるために、実験的に国語の授業に俳句を取り入れ、毎月1回の句会を1年間続けた担当の先生による記録です。
舞台となるのは、東京の私立の女子中学校で、一番多感な時期の中学3年生が対象です。

最初はとまどいながら作り始めた俳句が、良く考えられたカリキュラムに沿って進んで行くうちに、どんどん上手になって行くのが分かります。
それが「自分の想いを言葉にする」と言う技術的な面だけでなく、「見たものをどのように感じ取るか」と言う感性の部分の発達にも顕著に表れて来ます。そして最後には、「自分の感動を好きな人と共有したい」と言う世界にまで行き着きます。

ただ俳句を作るだけでなく、生徒達の毎月のレベルアップに伴って伏線的に組まれている細かい指導は完璧で、感動すら覚えます。

俳句の入門書と言うものは掃いて捨てるほど出版されていますが、どれを取ってもロクなものはありません。それは、ほとんどの入門書が、俳句結社の主宰によって書かれているからです。結社の主宰達が、自分の結社の会員達に向けて書いた、自分のステータス向上のための入門書など、どれも似たり寄ったりで、季重ねや切れ字などの基本的なルール以外は、何ひとつ学ぶことはありません。
俳句にとって最も大切な「心」についての記述が、先人達の言葉をそのまま丸写ししているだけで、書いている本人達が理解も実践もしていないのですから、当り前でしょう。

これらの入門書こそ「トマソン」、無用の長物です(笑)

あたしは、これから俳句を始めたいと言う人から、どんな入門書を選んだら良いかと尋ねられた時、入門書として書かれたものではありませんが、必ずこの本を薦めています。
もちろん初心者だけでなく、長年俳句をやっている人にもぜひ読んで欲しい本で、結社で勉強していたら10年かかっても分からないことが、これ1冊で簡単に分かります。
あたしの持っている初版は8年前のもので、今回の俳話を書くにあたり、一応出版社に問い合わせてみました。そうしたら、まだ発売しているそうなので、今回紹介することにしました。
さて、話は戻り、1年間の俳句のカリキュラムを終え、高校へと進学して行った一人の生徒から、先生のところへ一通のハガキが届きました。
あとがきに書かれているそのハガキを全文紹介したいと思います。

『先生、お元気ですか。卒業を無事に終えてから何日か過ぎて、すっかり春らしくなりましたね。この前、一人で散歩にでかけたら桜がきれいに咲いていました。でも木の下にはつぼみが落ちていました。たくさん。かわいそうなので家に連れて帰ってコップに水を入れてそれらを浮かべたんです。そしたら今日、そのつぼみたちが咲きました。うれしかったので、つい俳句をつくってしまいました。あんまりうまくないけれど。

  落ちた春水に浮かべて初桜

下手だけど、この喜びを先生に伝えたくて。お元気で。』

今回紹介した2冊は、両方とも俳人が書いたものではありません。他にも、たくさんのお薦め本がありますが、俳人の書いたものは、その1割にも満たないのです。

もしかしたら、俳句にとって大切なことを一番分かっていないのは、俳人自身なのかも知れませんね。

編集・削除(編集済: 2022年08月24日 04:22)

第十八話 ★縄文式句会

俳句に興味のない人達に俳句についてのイメージを聞くと、たいていの人は「難しそう」と答えます。
まして「句会」などと言うと、門付きハカマの男性や着物姿の女性が正座でズラ~ッと並び、ひと言も口をきかずに、金粉のついた短冊に毛筆で読めないような字を書き、上座には白いヒゲをたくわえた仙人みたいな先生が腕組みして座ってる、なんて思われてるかも知れません(笑)

こんなアホなことはないけれど、間違った伝統意識に振り回され、俳句と言うもの、座と言うものの本質が分かっていない、縄文式土器みたいに遅れた結社の句会などでは、スピリチュアルな面では、これに似たようなことが実際に行われていたりします。

まず、句会中は「おしゃべり禁止」、それから「飲食禁止」、さらには「絶対服従」(爆)、つまり、主宰や先輩俳人のお言葉は神のお言葉であり、主宰が黒と言えば、白いものも黒なのです。
こんな、さまぁ~ずの三村なら「北朝鮮かよ!」ってツッコミそうな感じの句会が、本当にあるのです(笑)

あたしが以前、ある大きな結社の定例句会にゲストで呼ばれた時のことです。ある幹部同人の句に、たくさんの点が入りました。あたしから見たら、類句も多いし、月並みだし、頭で作っただけの大した句じゃなかったんだけど、その人は、マンガ『美味しんぼ』の海原雄山みたいな態度で「どうだ!私の実力は!」みたいな感じでした。その句を選んだ会員達も「偉い幹部の句を選んだ私達は選句の目がある!」って感じで、時代遅れの座にありがちな、つまらない句をマト外れな言葉で誉め合う茶番が炸裂していました。

そう言う結社の会員達の中には、自分がいいと感じた句を選ぶんじゃなくて、主宰や幹部の句を選ぶことに全神経を集中してるような人達も多いのです。
ですから、誰も選ばなかった主宰の句を自分だけが選んだりした日には、もう得意満面でその句を誉めちぎります。あたしなんかは、見てるこっちが恥ずかしくなって来るんだけど、周りの金魚のフン達は「主宰の句を取りこぼしてしまった‥‥」って、青い顔をして、その句を選んだ会員をうらめしそうに見ています。

こう言った、俳句の本質から外れた小さな努力の積み重ねが、いつかは『巻頭』そして『同人』と言う、井の中のカワズの出世コースにつながるのが、縄文式土器みたいな結社の姿なのです。

話は戻り、その幹部同人の句を選んだ人達の歯の浮くような句評もひと通り終わると、進行役の人が、今度はゲストだったあたしに、その句に対しての意見を求めて来ました。
全国の支部から主要会員が集まる定例句会は、200人以上の参加者がいるため、大きなホールでマイクを使って行なうのです。
そう言った座では良くあることですが、他の結社からゲストで招いた俳人に、主宰や幹部の句を別の観点から誉めさせると言うのは、会員達に対してバツグンのアピール度があるのです。特に何年か在籍していて、そろそろ主宰の作品や人間性に疑問を持ち始めた中堅会員達には、定期的にこの洗脳が必要になって来ます。

でも、この日は、選んだゲストが悪かった!(爆)

そんな暗黙のオキテがあるなんて当時は知らなかったあたしは、渡されたマイクを持って、言っちゃいました。

『悪い句ではないと思いますが、このように言い回しの妙を眼目にするのなら、もっとオリジナリティがないと新しみを感じません。○○さんの句で××と言う、同じ言い回しを使った有名な句がありますが、20年も前の作品です。』
あたしは別に、高島屋の株主総会に乗り込んだ総会屋でもないし、ドンキホーテの前で大音量で『巨人の星』を鳴らしてる右翼でもないし、意見を求められたから正直に言っただけなんだけど‥‥。

そして、シ~ンと静まり返った会場に、あたしのトドメの核弾頭が炸裂しました。

「それから表記のミスが一点。中7の「う」は、旧仮名なら「ふ」ですよ。」

さらに、シ~ン(爆)

あとから知ったんだけど、その幹部の先生は、会員達に旧仮名遣いを徹底指導していたそうです(笑)

相手が全くの初心者ならば、どんなに拙い句であっても、あたしは少しでもいい部分を探し出し、そこを誉めるようにしています。しかし、ある程度句歴のある人に対しては、客観的な意見を正直にぶつけるのが、本来の座の姿だと思っています。
類想の海に沈んで行くような句に対して、歯の浮くような茶番は必要ありません。悪い部分を的確に指摘し、直しようがないなら捨てる。ただ、それだけのことです。それが『不易流行』です。

でも、縄文式土器の句会では、他人の句に対して意見を言っていいのは主宰や幹部だけで、あたしみたいなコムスメが、ヒトサマの作った思い込みの激しい句に対して「誉めること」以外の発言するのは、とんでもないことだったのです。

そう言った、縄文式結社の縄文式句会に出てる縄文式俳人達は、何故かプライドが高く、自分の作品を誉められることは大好きでも、意見されることを極端に嫌います。

それなのに、ほとんどの縄文式俳人には向上心と言うものが無く、自分の結社誌、それも主宰や同人の作品ぐらいしか読んでいないので、いつまで経っても弥生式俳人にはなれないのです(笑)
10年も俳句をやってるのに、虚子の句をたった100句も暗記してないなんて、今まで何やってたの?って感じです。

ちなみに、あたしが類句と旧仮名の間違えを指摘した幹部同人の先生は、その後その結社を辞め、自ら新しい結社を作り、あちこちから会員を引き抜き、誰にも読めないような旧漢字を遣い、相変わらず内容のない理屈っぽい句を量産しています(笑)

そして、あたしはと言えば、白木屋とか魚民とかの騒がしい居酒屋のテーブル席にぎゅうぎゅう詰めに座り、使用済みのコピー用紙で作った短冊を回し、選句用紙と一緒にお酒やおつまみが回って来るような座で、本気で俳句を愛する仲間達と熱く俳句を作り続けています。
これが本来の『座』の姿であり、芭蕉や子規の求めていた形なのですから。

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第十七話 高得点句から学ぶこと

どんな句会でも、得点が均一に分散すると言うことは稀で、たいていの場合は、何句かの高得点句が生まれます。

学校の授業などで実験的に句会をやったりする場合を除けば、句会と言う座に集まる人達は、年齢や職業など、様々な背景がバラバラです。さらにネット上の句会ともなれば、住んでいる場所も関係なくなるため、雪に埋もれた北国の人と、もう梅が満開の南の人が、同じ座につくこともあります。

条件の違う人達が集まるのに、それでも高得点句が生まれると言うことは、「本当に素晴らしい俳句は読み手を選ばない」と言うことなのでしょうか。

今回、初めて開催したハイヒール句会でも、最年少の仙台の女子高生ぱぴぃちゃんから、70才を越える岐阜の歌人、可津美さん、その他にも、三重のまさしさん、大阪のナナさん、広島の風子さん、愛媛の手毬さん、香川のかへでさん、などなど。
実際の句会では、まず集まることの難しい場所の人達と、同じ座を持つことができました。

これだけバラバラの場所で生活していて、年齢も職業もその他の背景も違う人達が集まったのに、今回の相互選では、2句の高得点句が生まれました。

  初春のエプロンさらりと結びをり 手毬

  身支度を覗きゆきたる初雀 雪音

手毬さんの句は、特選に選んだ人が3人、入選に選んだ人が5人で、今回の最高得点句です。

雪音さんの句は、特選3人、入選3人で、こちらもまた素晴らしい成績です。

たくさんの人の共感を得た高得点句からは、とても多くのことを学ぶことができます。

まず、手毬さんの句ですが、これは585の字余りになっています。
あたしは、基本的には字余りや字足らずの句は選びませんが、この句は特選に選びました。何故かと言うと、意図があって意識的に字余りにしており、それが成功している句だからです。

この俳話集の『字余りと字足らず』と言う項にも書きましたが、定型詩にとって最も大切なことは定型を守ることであり、意図的な字余り以外は、単なる推敲不足なのです。

手毬さんの句は、いくらでも定型に収めることが可能です。例えば1文字抜いて

  初春のエプロンさらり結びをり

でもいいですし、組み立て直し、

  エプロンをさらりと結ぶお正月

としても、ちゃんと17音に収まります。

しかし、これらの形では、高得点は得られなかったでしょう。
この句の良さは、上から下まで切れずに、するすると流れて行く爽やかさであり、前者のように中7に軽い切れが生じてしまうと、その流れが悪くなってしまいます。また、後者の場合などは、中7で完全に流れを止めてしまった上に、上5の「初春の」が表現していた、めでたさや爽やかさまでもが無くなってしまいます。

そのように比べてみると、この句の良さは、まず上5の「初春の」で、新年のめでたさ、爽やかさ、新たな気持ちなどを表現し、そこからするすると流れて行くリズムにある、と言うことが分かります。

さらに厳密に言えば、「エプロン」は4音ですが、声に出して読む場合、「ン」のつく言葉は単音で発音すると言うよりは、前にある音、この場合は「ロ」と対で「ロン」と発音するため、「ン」の無い4音の言葉よりも、若干短めに感じるのです。
それもまた、読み手に字余りを感じさせず、句の流れをスムースにしている要因のひとつでしょう。

句末の切れも「けり」で強く切ってしまうと、せっかくの流れを断ち切ってしてしまいますが、「をり」で柔らかく切り、余韻を残しています。お正月と言えども、「エプロンを結ぶ」と言う行為は極めて日常的なことであり、そのあたりの感覚が「をり」に表れています。

続いて、雪音さんの作品についてですが、こちらを選んだ人も、また選ばなかった人も、ほとんどの人達が「初詣かお年始まわりに行くための身支度」を思い浮かべたことでしょう。

これは「初雀」と言う季語の力によるもので、同じ冬場の雀の季語であっても「寒雀」に置き替えてみると、作者がどこに出かけるのか、まったく分からなくなってしまいます。
それでは、初雀と同じように新年を表す別の季語と、「身支度をする」と言う内容の描写との取り合わせだったらどうなっていたでしょうか?

例えば「お正月」「元旦」などの季語を取り合わせた場合、「初詣に出かける」と言う句意は原句と変わりませんが、ただの報告文のような、まったく魅力の無い句になってしまいます。

やはり、身支度をしている作者と、それを覗いた初雀、と言う二元的な捉え方により、成功している句だと言うことが分かります。

つまり、この句は、季語が動かない句、と言うことになります。季語が動かない、と言うのは、秀句の絶対条件のひとつであり、代わりにどんな季語を持って来てもいいような句は、.決して秀句にはなりえません。
また、下5に「初雀」を持って来たことにより、読み手は、中7までは作者がどこに出かけるのか、誰に覗かれたのかを知ることができません。
下5の「初雀」と言う言葉に辿り着き、初めて、その2つの疑問が同時に解消できるのです。

その瞬間に、新春の爽やかな空気、ウキウキと支度をする作者の様子などが見えて来て、雀たちのさえずりまでもが聞こえて来るのです。

  初雀身支度覗きゆきにけり

このように、もしも上5に季語を置いていたら、犯人の分かっている推理小説を読むようなもので、この句の魅力は無くなってしまい、高得点は得られなかったでしょう。

これらの句に得点を入れた人達は、ここまで考えて選んだわけではなく、一読してスルッと心の中に入って来たから選んだのだと思います。もちろん、あたしも同じです。
しかし、作者は、読み手に共鳴してもらうために、言葉を選び、何度も推敲して、そして、その努力を感じさせないように作品を仕上げているのです。
ですから、句会後には、どうしてこの句にたくさん得点が入ったのだろう、と、色々な角度から細かく分析して行き、その句が成功したポイントを探し出すことが、自分の句力アップに役立ちます。

正直に言って、この2句は両方とも、大したことは詠っていません。作者の心の葛藤や人間の生きざま、大自然の驚異や大宇宙の神秘などを高級な1眼レフカメラで写したわけではなく、何気無い日常のひとこまを使い捨ての『写るんです』でパチッと写しただけのスナップ写真なのです。

しかし、それが見事なシャターチャンスであったため、たくさんの人達に共感されたのです。そして、これこそが俳句なのです。

俳句は、決して大上段に構えて、人生のなんたるか、大宇宙のなんたるかを詠うものではありません。日常の何気ない題材でも、自分の見たものを自分の言葉で詠えば、それが俳句であり、多くの人の共感を得るのです。

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第十六話 不易流行

前回の俳話の中で『不易流行(ふえきりゅうこう)』と言う言葉を使いましたが、今日は、この不易流行について書いてみたいと思います。

不易流行とは、あたしの作句スタイルのベースにしているもので、松尾芭蕉の俳諧論の主軸となっている考え方です。

最近は少しは見直されて来たけど、ちょっと前まで皆からボロクソに言われてた高浜虚子、逆に、理屈は一丁前だけど肝心の作品はダメじゃん、て最近言われ始めちゃった正岡子規、そして、その子規に徹底的に否定された松尾芭蕉、あたしは、この三人を勝手に自分の俳句の師匠だと思っています(笑)

不易流行と言う芭蕉の考え方がなければ、俳諧は正岡子規へと続いていなかったと思うし、子規が芭蕉を否定しなければ、俳諧から俳句は生まれなかったと思うし、子規が碧梧桐ばっかりヒイキしなければ、虚子はダメなままだったと思います。
だから、やっぱり芭蕉の不易流行と言う俳諧論があって、初めてあたしは俳句と出会えたんだと思っています。

そして、芭蕉を否定した子規をルーツとする、現在の『ホトトギス』を今度はあたしが徹底的に否定して、次の世代へと『本当の俳句』をバトンタッチして行けば、これぞ芭蕉おじさんやノボ兄ちゃん(子規)が理想とした姿だと思います。

あたしから言わせれば、所詮、子規だって芭蕉の手のひらの上で芭蕉を否定していただけだし、全ての俳人は、芭蕉の手のひらの上であ~でもない、こ~でもないって言ってるだけなんだから(笑)

芭蕉は、自らの筆としては、俳諧論らしきものは残していません。それどこれか『おくのほそ道』なども、実際のところは、旅に同行した門弟の曽良(そら)が書いもので、その内容についても、半分は作り話だと言う説もあります。
まあ、その辺の話は別の機会にするとして、芭蕉の教えのほとんどは、門弟達の残した文献、例えば、去来の『去来抄』や土芳の『三冊子(さんぞうし)』などに書かれています。でも、このあたりの文献は、大学の教授とかが専門的に研究したりしてる分野なので、正直な話、あたしみたいに、俳句の底無し沼に首までドップリ浸かってるような俳句フリークじゃない限り、ここまで遡って勉強する必要はありません。
普通に、趣味のひとつとして俳句を楽しみたいのであれば、子規の『俳諧大要(はいかいたいよう)』だけ読んでおけば楽勝でしょう(笑)

さて、長い前置きも終わり(笑)、芭蕉の門弟達の残した文献の中の不易流行についての部分を説明しましょう。

芭蕉の様々な俳諧論の中に、『千歳不易』と『一時流行』と言う、全く正反対の教えがあります。
前者は『千年経っても変化しないもの』、後者は『一時で変化してしまうもの』と言う意味です。

芭蕉は、この正反対の二つの考え方が、芭蕉の俳諧論の柱である『風雅の誠』に於ては、その根源は一つである、と解いています、って言うか、これは土芳の一元論で、去来は、不易と流行を別々に考える二元論を唱えています。もう、何が何だか分からないって?(笑)

この辺の考え方は、ほとんど仏教の世界です。芭蕉のルーツは西行法師だからしかたないけど(笑)

でも、俳句やるのに宗教まで勉強しなきゃならないの?って思う人達のために、あたしが、このセクシーなクチビルでやさしく噛み砕いて、簡単に説明しちゃいます(笑)

まず、不易、つまり変化しないものって言うのは、常に雅やかな世界を詠う短歌(和歌)の世界だと思って下さい。
そして、流行、つまり変化するものは、常に「今」を詠む俳句(俳諧)の世界だと思って下さい。

去来は、短歌的な要素を持つような俳句も、本来の形の俳句も、平行して作って行くべきだ、と説いています。土芳は、その去来の説をベースに、さらに煮詰めて、「風雅の誠においては、その根源はひとつなので、短歌的な要素を含み、俳句的な新しみをも兼ね備えた俳句を作るべきだ」ってなことを言ってるんです。

そして、土芳は、「千変万化する物は自然の理也。変化にうつらざれば、風あらたまず。」、つまり、自然界で全てのものが常に変化して行くように、俳諧も変化し続けて行かなきゃダメだって言ってるんです。

これと似た言葉、どこかで聞いたことあるなって思ってたら、ボブ・ディランの『Like a rolling stone』、直訳すれば、「転がり続ける石のように」です。
ローリングストーンズが、この曲からバンド名をつけたと言われる、名曲中の名曲です。

この、300年前の俳諧師から、還暦を迎えてもロックンロールし続けるイギリス人に至るまでが分かってる『不易流行』ってスタイル、どうしてカンジンの現代俳人で、分かってる人が少ないのかなあ?って、俳句専門誌に毎月発表される、大先生方の作品を読んで思う、今日この頃です。

あっ!今回は、毒舌バージョンじゃなかったのに!(爆)

※俳人の必読書、子規の『俳諧大要』を読んでみたい人は『きっこのお薦めサイト』の中に、購入窓口がありますよん(笑)

*図書館註:「きっこのブログ」中に「きっこのオススメサイト」とか右下にオススメ本が並んでいますが「日本の古本屋」に登録
      すれば日本津々浦々の古本屋から新品同様の廉価本が買えます。図書館が『ホトトギス雑詠全集』全44巻を蒐集したの
      も古本屋さんのお陰です。きっこさんから『ホトトギス雑詠選集』(昭和62年、朝日文庫、全4巻)だけ3年間読んでれ
      ばいいと言われ、昭和32年刊の角川文庫版『ホトトギス雜詠選集』が旧字旧仮名のだったのでこのほうが本物の息吹に
      触れられると、昂じて大正4年からの全初版本を十年余かかって総て入手しました。『俳諧大要』と山本健吉『季寄せ』
      と並んで「俳句の三種の神器」としていつも手元に置いていたので津波には攫われませんでした。毎日新聞社の虚子全
      集は海の藻屑と消えましたが実に杜撰な全集でクソ編集でしたから消えて清清しました。

編集・削除(未編集)

第十五話 ★雲の上の人達 図書館註:★は毒舌注意報発令で~す。

俳人の中には、色んな勘違いをしてる人がいる。例えば、作品を作ることよりも、つまらない「伝統」とかにこだわってる人。俳句の歴史は、たかだか300年、本当に歴史のある短歌(和歌)と比べたら、ついこの前できたみたいなもので、そんなものに伝統なんかあるワケがない。

もし仮に、俳句に伝統と言うものがあるとしたって、俳句に対する姿勢、取り組み方などの精神的なものであって、過去の句をサルマネして後世へ伝承して行くことじゃない。伝統工芸じゃあるまいし!(笑)

「伝統、伝統」って騒いでるのは、たいていホトトギス派の俳人達だけど、「じゃあ、伝統って何なの?」ってあたしは聞きたい。
時代は21世紀になり、クローン人間まで誕生してるって言うのに、何十年も前の「ホトトギス雑詠集」に載ってるのと何ら変わらない、古臭い句を詠み続けることが伝統なの?
50年前の俳人は、100年前の俳句のサルマネをしてたの?50年前は50年前の「今」、100年前は100年前の「今」を詠んでたんだと思うんだけど‥‥。過去の句を今なぞってるだけの人達に、あなたは「今」を生きてるんじゃないの?って聞いてみたい。

使い古された表現で、使い古された言葉をまとめ、当たり障りのない季語を取ってつけたように置いた、正座して読むような俳句。それだけならまだいいけど、現在の雑詠欄に掲載されている「滑稽味を狙った(であろう)俳句」なんか、セクハラ部長の寒~いオヤジギャグを聞かされてるみたいで、マジでトリハダが立って、そぞろ寒くなっちゃう!←(※あなたもこのギャグが分かれば俳人です、笑)   *図書館註:「そぞろ寒」晩秋の季語でございます。
「伝統」って言う言葉にこだわっている人達の俳句って、類想類句のオンパレードだ。(ちなみに、この「オンパレード」って表現は、ホトトギス的な伝統にのっとり、使い古された言葉を斡旋してみました、笑)

でも、同じように過去の『ホトトギス雑詠集』の俳句にこだわった句作をしていても、古いものを追究することで、俳句の新しい可能性を模索し続ける温故知新の俳人、岸本尚毅(きしもとなおき)は、詠み尽くされてしまったはずの古いスタイルの、僅かな隙間や盲点をついた作品を詠むので、逆にハッとさせられて新鮮に感じる。もちろん、岸本はホトトギスの会員ではない。ホトトギスの中に入ってしまっては、決して気づくことのできないモノを外部から客観的に見るからこそ、新しい発見があるのだろう。

現在発売中の某俳句雑誌を立ち読みしてたら、ホトトギスの新鋭若手俳人の作品7句が載っていたんだけど、使い古された見立て、陳腐な表現ばかりで、あたしは、100年前にタイムスリップしたような気分になってしまった。

たぶん、このあたしの表現も、形だけの伝統に振り回され、俳句の本質を理解していない人達にとっては、きっと誉め言葉と感じるんだろうな‥‥(笑)

あたしは、この若手俳人の句を読み、その作者じゃなくて、その結社の主宰に対して呆れてしまった。雑誌に掲載するってことは、一応主宰が原稿に目を通すはず。それでOKが出て、初めて出版社に原稿が送られる。どの俳人だって、所属結社のカンバンをしょって雑誌に作品を発表するんだから、いくら若手とは言え、その作品で、結社の資質までもが問われてしまうからだ。

‥‥この句にOK出したんだ‥‥あたしは唖然とした。
会員数だけは日本一の結社『ホトトギス』の主宰、稲畑汀子(いなはたていこ)、日本伝統俳句協会の会長だ。あたしは、この人の作品も一応は目を通しているが、ほとんど心に残っていない。本人が言うところの代表句は『セーターの又赤を着てしまひたる』と言う句だそうだが、「あなた、どう思いますか?」って感じだ。

稲畑汀子の他に、現代俳句協会会長で、結社『海程』の主宰、金子兜太(かねことうた)、そして、俳人協会の理事長で、結社『狩』の主宰、鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)、この3人が、俳壇の三大権力者だ。

兜太と狩行には、汀子と違い、多くの有名句がある。でも、兜太は「俳人は、キゴキゴキゴキゴって切れないノコギリみたいなことを言ってちゃいかん!俳句に季語なんか必要ない!」って言う考えの人で、伊藤園の『お~い!お茶』に書いてある「新俳句」の審査委員長とかもやっている。
だから、有季定型の客観写生を志すあたしから見れば、山頭火や放哉と同じく、もはや俳句と言うジャンルの人ではないので、あたしにはあんまり関係無い。また、同じ有季定型でも、モノを見ないで器用に俳句を作る狩行からも、あたしが学びたいことは何も無い。

平成10年の『俳句』2月号の「現代俳句時評」で、『船団』の代表、坪内稔典が、この3人について書いている。

「今日、私たちは業界(俳壇)のことに気をとられ、俳句そのものを根本的に考える志向を希薄にしている。』と前置きし、次のようなことを述べている。

兜太は、40代の頃は、俳壇の権威に立てつき、『彎曲し火傷し爆心地のマラソン』などの、俳句史に残る代表作の数々を生み出した。狩行は、28才から33才までは、『スケートの濡れ刃携へ人妻よ』などの、軽快で個性的な作品を多く発表している。
しかし二人とも、このあと(自分が権威側に立つようになってからは)、これ以上の作品を生み出してはいない。汀子にいたっては、『セーターの又赤を着てしまひたる』が、一応は俳壇で知られてはいるが、凡庸(ぼんよう)な句であり、はっきり言って代表作と言えるほどのものではない。もし、自分の作品の中に、俳句史上に突出するような作品があると言うのなら、その句を挙げて示して欲しい。兜太と狩行についても、もし過去の句以上の作品があると言うのなら、その句を示して欲しい。

この稔典の記事が発表されてから5年、あたしは、この3人が主要俳句誌に発表した作品を全て読んでいるが、今だに過去の作品以上のものを発見できずにいるばかりか、過去の自作の焼き直しみたいのばかりが目につくようになって来た。
まあ、どっかの中堅結社の主宰みたいに、自分の弟子の作品をパクるわけじゃないんだから、モラルには反していないけど、「そろそろネタが尽きて来たのかなぁ~?」なんて心配になっちゃう。
過去に捉われず、常に「今」を詠んでいれば、俳句は無限なのに‥‥。

あたしの作句スタイルのベースになっているのは、芭蕉の『不易流行(ふえきりゅうこう)』だから、雲の上の人達が何をやってても関係無いけどね(笑)

だけど、一句も代表作の無い日本最大の結社の主宰や、今だに過去の作品を超えられず、同じ場所で足踏みしてる権力者達が、俳人にとって一番大切なはずの俳句をあと回しにして「俳句以外のこと」に、今日もセッセと精を出しているのをもっと上の雲の隙間から草田男あたりが見たら、きっとバケツで水でもかけられちゃうだろうな!(爆)

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