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第三十四話 水中花VS兜虫

「俳句研究」の去年の11月号に、櫂未知子と奥坂まやの一対の記事が掲載され、色々なメディアで波紋を呼びました。皆さんご存知だと思うので詳細は省きますが、知らない人のために簡単に説明しておきます。

奥坂まやの句、

  いきいきと死んでをるなり兜虫

が、すでに発表済みの櫂未知子の句、

  いきいきと死んでゐるなり水中花

の類句だと言う問題に関する、当事者同士の記事のことです。

自作の類句を発表され、憤慨した櫂未知子の「奥坂まやさんに問う、俳句のオリジナリティーとは」と言う記事と、それに対する奥坂まやの「返信」と言う、類句を発表するに至った自分の考えと謝罪、自句の抹消文が対になって掲載されたのです。
この問題に対して、あたし自身も色々なサイトなどで発言しましたし、当事者の片方の人からは、記事に書かなかった(書けなかった)真意も聞きましたので、これ以上は他のサイトなどで語る必要はないと思っています。

それでは、今回の俳話で、何故この問題を取り上げたのかと言うと、類句に対するあたしの考えを明確にしておくためです。

確かにこの2句は、パッと見れば似ていますが、水中花のほうは頭の中だけで作った観念的な想像の句、兜虫のほうは観念的な写生句、と思われ、それぞれの作家の所属結社のカラーが全面に出た作品同士で、内容的には相対するものです。

ようするに、句の「形」が似ている、と言うことであり、類似した表現に至ったプロセスは全く異なります。

  降る雪や明治は遠くなりにけり

これは、あまりにも有名な中村草田男の句です。
しかし、この句は、

  獺祭忌(だっさいき)明治は遠くなりにけり 志賀芥子(かいし)

の完全なる類句です。

水中花と兜虫の場合は、季語以外が類似していると言っても「ゐ」と「を」の1文字が違っていますが、こちらは一字一句同じです。
それなのに、あとから発表された草田男の句のほうが作品として優れていたために、類句の汚名を着せられるどころか、俳句史に残る名作となっているのです。

  海に出て木枯帰るところなし  山口誓子

第二次大戦の特攻隊の悲哀を詠ったこの名句も、

  木枯の果てはありけり海の音 池西言水

の類句と言われています。

こちらは「形」でなく「句意」が類似しているのですから、類句を発表することを「悪」と考えるのであれば、水中花の場合よりも悪質なはずです。
しかし、優れた作品のため、後世へと読み継がれています。

松坂慶子の歌う「愛の水中花」と、aikoの歌う「カブトムシ」の歌詞の一部がそっくりだったとしても、それは松坂慶子がaikoに直接文句を言うような問題ではなく、草田男や誓子の例のように、長い時間の中で多くの人の目に触れ、そして優れたほうの作品が残って行くだけのことではないでしょうか?

奥坂まやは、櫂未知子の水中花の句を知らなくて、偶然に似た表現になってしまったわけではありません。類似した表現であっても、自分の句は「兜虫」と言う命のあるものの「本物の死」を詠っており、水中花などの命の無いものに命を見立てている句とは、本質的に違うものだと判断し、そして発表しました。
その事実に対して櫂未知子は、知らずに類句を発表してしまったのなら事故のようなものだが、今回の場合は「故意」にやっていると言うことから憤慨し、自分が先に発表したのだから、この「いきいきと死んでいる」と言うフレーズは、自分のオリジナルだ、と言う主張を展開しています。

さらに、先ほどあたしが紹介した「明治は遠くなりにけり」の例まで引き、「獺祭忌の句など無かったとホトトギスに書いてある」と書き、つけいるスキの無い理論で攻撃しています。

それに対しての奥坂まやの返信は、100%降伏状態で、自分を愚かだ言い、櫂未知子の句をほめたたえ、平謝りし、最後に「自分の句を抹消します」と結んでいます。
これは、誰が読んでも、これ以上問題をややこしくしたくないから、自分のほうが折れた、と言う書き方の文章です。
それでは次に、先日あたしが、ある俳句のサイトに書き込んだ類句についての記事を紹介しましょう。

  瀧の上に水現はれて落ちにけり 後藤夜半

この句は誰でも知っていますよね?

それでは、以下の句はどうでしょう。

  瀧水の現はれてより落つるまで 星野立子

  大瀧の水追ひ打つて落ちにけり 田中素耕

  瀧の水溢れてひろく落ちにけり 桑原すなお

  瀧の面に霧現れて走りけり 細谷暁雪

  現はれて霧に落ち込む華厳かな 小泉静石

  落ちかかる水ふり仰ぐ瀧の上 石井迎雲居

  瀧の上人現はるる柵のあり 菅康人

  瀧の上に瀧あらはれし登山かな 小野峰月

これらは全て、前出の夜半の句が、昭和4年9月にホトトギスの巻頭に入選したのち、2~3年の間に作られ、発表された句です。もちろん、これらの句の作者が、ホトトギスの巻頭になった夜半の句を知らないわけがありません。

しかし、夜半はこれらの句の作者に対して、何も言っていません。

その理由は「いくら形が似ていても、句意が違ければ別の句である」と言う見解からです。 』

あたしも、基本的には夜半と同じ見解です。形も句意も類似していれば、あとから発表したほうが捨てるべきですが、句意が異なれば、別の句だと思います。あとは、それらの作品が自然に淘汰されて行けば良いだけです。

夜半の句は、これだけの類句が出て来たのにも関わらず、後世にまで残っていますが、他の句は、あたしくらいの俳句マニアでなければ知らないでしょう。
夜半の句のように、本当に素晴らしい作品であれば、類句など寄せつけない力を持っているので、あとからどんなに類句が出て来たところで最後まで残るのです。また、逆に類句のほうが素晴らしければ、草田男の句のように、あとから作られたもののほうが本物になってしまうのです。

誰もが思いつくような発想をしておいて、自分のほうが先に発表したからこの言い回しは自分のオリジナルだなんて、結局は自分の作品に自信の無い人の考え方ではないでしょうか?
そこまでオリジナリティと言うことを主張したいのならば、誰にも真似されないような、それこそ本物のオリジナリティのある作品を生み出せば良いのではないでしょうか?

例えば、「貫く棒の如きもの」と言うフレーズは、間違いなく虚子のオリジナルであり、これと同じ表現の句を作ったら、たとえどんな季語に変えても、誰からも類句だと指摘されます。
あたしに言わせれば、別々の発想から類似した表現に到達したこと自体、水中花も兜虫もどちらの句も月並みなんだと思いますが、この二人の句ばかりが脚光を浴びている陰で、話題にも上らない鳴戸奈菜の、

  水中花目をあけている死んだまま

と言う句の立場はどうなってしまうのでしょうか?(笑)

この句は、櫂未知子の水中花の句の約1年後に発表されていて、句意の上からすれば、まさしく類想と言えるでしょう。

櫂未知子が鳴戸奈菜に噛みつかないのは、この句の存在を知らないからでしょうか?そんなはずはありません。この句は、鳴戸奈菜の代表句のひとつであり、たいていの俳人なら知っているはずです。
それに比べ櫂未知子の句は、句集に収められたたくさんの句の中の一句であり、一般にはそれほど知られていません。今回の問題で、この句を知った人のほうが圧倒的に多いはずです。
形の似た、内容の全く違う作品を攻撃し抹消させ、同じ題材、同じ内容の作品を野放しにしているブッシュ‥‥いやいや、櫂未知子。

これから我々は、アメリカの類想で核を手放さないイラクや北朝鮮に対して、どんな態度をとって行けば良いのでしょうか?(笑)

《おまけ》

櫂未知子の「水中花」の句が、他の作家の作品の類想句だったことが判明しましたので、ここに付随したいと思います。

  美しく溺死してゐる水中花 香下壽外 (1995年)

  いきいきと死んでゐるなり水中花 櫂未知子 (2000年)

  水中花目をあけている死んだまま 鳴戸奈菜 (2001年)

  いきいきと死んでをるなり兜虫 奥坂まや (2002年)

  うららかに老いてゐるなり櫂未知子 松尾 杏史 (2003年)

図書館註:池田澄子さんの第三句集『ゆく船』2000.06.26刊行の中に、こういう句がある。

  新鮮に死んでいるなり桜鯛 池田澄子

shi音で頭韻を踏んでおり、櫂美知子の句よりも先行して発表されている。
どうして誰も「新鮮に死んでいるなり」のオリジナリティを問わなかったのだろう。生物か無生物かで句意が変わるから類句ではないと言うなら、奥坂まやの句も類句ではないことになるからだろうか。

編集・削除(未編集)

第三十三話 自分の言葉

以前、「短歌はCD、俳句はレコード」と言う項で「俳言(はいごん)」について触れましたが、説明が不十分だったので、今回の俳話で補足したいと思います。まだ「短歌はCD、俳句はレコード」を読んでいない方は、そちらを先に読んでいただきたいと思います。

「俳言」とは、もともとは俳諧(連歌)特有の言葉であり、雅やかで俗を嫌う和歌に対してのアンチテーゼとして生まれたものです。和歌で禁止されていた外来語(漢語)や流行語などを俳言と呼び、それらを詩の中に使うことこそが、俳諧の存在理由でもあったのです。そして、その俳諧の発句(ほっく)が独立して生まれた俳句にも、その俳言は継承されているのです。

俳諧の発句と言えば、まずは「575の定型」であると言うこと。それから「その季節の季語」を詠み込むこと。そして「や、かな、けり、などの強い切れ字」を使うこと。
この3つが、俳諧の発句を作る上で、最低限守らなければならないルールです。

このあたりのことから、「俳句は定型、季語、切れである」なんて知ったようなことを言ってる「ナンチャッテ俳人」も多いのです。でもこれは、あくまでも俳句を作る上で守らなければならない最低のルールであって、この3つだけ守っていても、「一応は俳句と呼べるもの」しかできないのです。本当の俳句と言うものは、この3つのルールを守った上に、さらに重要なことがあるのです。

俳諧の発句は、その座に招いた客人が詠みます。そして、その座の主(あるじ)が脇を受け、そこから俳諧がスタートします。
例えば、あたしが俳諧の座を設けたとします。美味しいお菓子やお酒などを用意して、何人かの近所のお友達を集め、お部屋の用意をします。そこに、遠方より、久しぶりに会うお友達が到着します。
その人は、季節の言葉(季語)を盛り込んで、今日の座に招かれた喜び、久しぶりに会うあたしへの気持ち、集まってくれたあたしのお友達への感謝などを575で詠います。そして、その句に対して、主であるあたしが、77の脇を返すのです。それから、575、77、575、77‥‥と続いて行くのです。

つまり、発句にとって一番重要なこととは、自分を招いてくれた相手に対する「挨拶(あいさつ)の心」なのです。俳句は俳諧から独立したので、贈答句などの特別な場合を除き、誰か特定の人への挨拶ではなくなりました。しかし、移り変わる季節への挨拶、花や鳥や小さな命への想い、自分自身が生きていることの喜びや感謝の気持ち、それらすべての心が挨拶の言葉となるのです。

さて、俳言の話に戻りますが、もともとは和歌への反発から生まれた俳言なのに、現在では、俳句よりも短歌のほうが数倍も俳言を多様しています。
これは短歌が、過去の和歌のように一部の高尚な人々だけの文芸ではなく、それどころか、かつての江戸俳諧のように、完全に市民権を得てしまったと言うことの象徴でしょう。そして、短歌に比べ、流行語などの俳言に対して未だ寛容ではない俳句は、逆に市民の文芸から一部の高尚な人々だけのものとなってしまいました。

このあたりのことまでは「短歌はCD、俳句はレコード」の項にも簡単に書きましたが、それでは、俳句が市民権を取り戻すためには、くだらない流行語などをどんどん使うようにすれば良いのでしょうか?

俳言と言うものは、もともとは、特定のジャンルの言葉を指す総称でした。それは「和歌や他の詩などでは禁句になっていて、俳諧だけで使える俗語」と言う意味合いからのジャンルの特定でした。
しかし現在では、和歌が進化した短歌だけでなく、他の詩型や商業広告のコピーに至るまで、ありとあらゆる文字媒体に、いわゆる「俳言」が使われていて、唯一なじんでいないのが、肝心の俳句だけなのです。

つまり、今さら俳句に流行語や外来語を無理やり使ったところで、俳言の本来の目的である「他文芸との差別化」などは生まれて来ないのです。

ここから、あたしの個人的な見解を書いて行きます。

すべての文芸が日常的に俗語を使うようになった現代では、「俳言」と言う言葉のジャンルそのものが消失してしまい、俳句における俳言とは、「言葉」ではなくなってしまったのです。しかし、それは「俳言性」とでも呼ぶべき精神性として、受け継がれて行かなくてはならないのです。

現代俳句に、何か足りないものを感じる。型も整っていて、季語もピタリと決まっていて、切れ字も効いている。
それなのに、何かが足りない。そう感じる人がいるとしたら、それは、現代俳句全般に欠落している「俳言性」と言うものに、知らず知らずのうちに気づいている感性の豊かな人なのです。

先ほど、俳句の基本は挨拶である、と書きましたが、自分の喜びや感謝の気持ちを表すのに、よそ行きの言葉と、心から自然に出た言葉と、どちらが想いを伝えられるでしょう。

もともとは、よそ行きの言葉で雲の上の恋愛を描いていた和歌に反発し、自分達が日常使っている俗な言葉、つまり俳言を使い、夢の中だけだった詩の世界を現実へと引き下げたのが俳諧なのです。

つまり、現代俳句における俳言とは、流行語や外来語などに捉われず、「常に自分の言葉を使う」と言うことであり、これこそが「俳言性」と言うものなのです。
使い古された言い回し、どこかで聞いたような比喩や見立て、歌謡曲の歌詞に出て来るような擬人化、こんな言葉を使っていて、自分の想いを表現できるはずがありません。自分の感動や自分の想いを表現するのに、どうして人の使い古した言葉を使うのでしょうか?

俳句と言うものは、すべての対象に対しての挨拶の心、つまり、すべてを愛する心なのです。そのために俳句は、定型、季語、切れ、そして一番大切な俳言性を備えていなくてはならないのです。

自分の目で見て、自分の感じたことを、自分の言葉で詠う。
これが俳句であり、現代俳人の多くに欠落していることでもあるのです。

その証拠が、類句の多さです。同じ光景を100人の俳人が詠んだとしても、手垢のついた言葉などに頼らずに自分の言葉で詠えば、100通りの俳句が生まれるのですから。

編集・削除(未編集)

第三十二話 きっこ徒然草(笑)

今回の「俳話集」は、兼好法師ならぬ吉好(きっこう)法師の徒然草をお送りしま~す♪(笑)

【序段】 

つれづれなるまゝに、日くらし、パソコンにむかひて、俳句に関するよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、毒舌こそものぐるほしけれ。

(現代語訳)

タバコや発泡酒の税金の引き上げにも負けず、マックのチーズバーガーの値上げにもめげず、怒涛の如く押し寄せる杉の花粉にもひるまず、明日止められるかも知れない電気代をやりくりし、日々パソコンに向かい、愛する「俳句」についての色々なことを思いつくまま打ち込んでいると、こんなファッキンな世の中、ついつい毒舌になってしまいます。

【第三段】

万にいみじくとも、客観写生句を好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の艶もくすんだ心地ぞすべき。

露霜にしほたれて、所定めずまどひ歩き、主宰の諫め、同人の謗りをつゝむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、無所属となり、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、客観写生にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。

(現代語訳)

モノを見ずに器用に俳句を作る俳人達って、そのうちセックスまで想像の中だけで処理してしまうような男になってしまい、目も耳もアレも宝の持ち腐れになっちゃって、何のために生まれて来たのか分からないじゃん!「写生」を否定するってことは「射精」も否定してるんだよ!(笑)

俳句結社に入って何年も経つのに、本当の俳句ってものの姿が未だ見えず、朝まで飲み屋をハシゴして、明け方、フラフラと千鳥足で歩いていると、色んな想いが脳裏をよぎる。

主宰や同人の言葉も何だか薄っぺらく思えて来て、それなのに「きっこ俳話集」を読んでも、自分のことを言われてると言うことにすら気づかず、結局何も分からないまま結社を辞めちゃう人達って、もしかして先天的なマゾなの?(爆)

だけども、客観写生一筋って言ってる俳人達だって、カンジンの自分のことを客観的に見られないんだから、どっちにしてもホドホドにってのが、俳句を続けて行く上でのポイントなんだよね。

【第六段 】

わが身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらん中堅にも、弟子といふものなくてありなん。
前中汀子・九条大政狩行・兜太、みな、族絶えむことを願い給へり。大岡信大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継の朝日新聞には言へる。

(現代語訳)

俳句を作ることより、俳壇での権力や名声を欲しがるアホな年寄り達だけでなく、最近は中堅結社の主宰達までもが、一人でも多くの会員を集めて、自分の地位の確立ばかりに必死になってる。

稲畑汀子も鷹羽狩行も金子兜太も、みな、作品を残すことよりも名前を残すことに執着している。

「折々うた」の大岡信は、「弟子なんかいないほうがいい!自分の弟子が、自分の作り上げたスタイルを壊して次のステップに行っちゃっうのが怖いから、規則でがんじからめにして、才能のある若手の芽を摘んでるんだから!」って、付き合いで購読してる朝日新聞に書いてあったぞ。(笑)

【第九段】

女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかんめれ、人のほど心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、電話越しにも知らるれ。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝ヰもねず、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ主宰を思ふがゆゑなり。

まことに俳句の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。

されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象もよく繋がれ、主宰のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑ひなり。

(現代語訳)

女性の美しい髪の毛や外見って、理屈抜きで男性にアピールしてる。だけど、その女性の本当の性格やキャラクターは、電話でちょっと話しをしただけでも、すぐにバレちゃう。
これは俳句も同じことで、テクニックのある俳人がアタマの中だけで作った作品って、一見素晴らしく見えるけど、所詮はハリコのトラだ。

こんなレベルの作品で騙せるのは、完全に洗脳されている、会員と言う名の信者だけだ。
本当の俳句と言うものは、自分の意志で作り出すのではなく、心の奥から湧き出て来る、抑えることのできない言葉なのだ。

人には、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、そして第六感と呼ばれている感覚があり、それを総じて「六根(ろっこん)」と呼んでいる。

これは、棺桶に片足突っ込んでる俳壇のご老体でも、昨日俳句を始めた初心者でも、屁理屈ばかりこねてる評論家でも、何にも分かってないホトトギスの縄文式俳人でも、深夜のコンビニの前にタムロってるバカなガキどもでも、みんな持ってる普通の感覚だ。
そんなこんなで、女性の長い髪のような、外見の美しさだけの偽俳句などに騙されているのは、主宰の飴とムチの使い分けで芸を仕込まれたサーカスの象みたいなもので、そこまで洗脳されちゃうと、主宰の臭い靴の革で作った笛の音にも、大喜びでダンスを踊っちゃって、臭い靴の匂いまで、ありがたくて素晴らしく感じちゃってるみたい。バッカじゃないの?(笑)

【第十二段】

同じ心ならん人としめやかに句会して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
たがひに言はんほどの事をば、「マジ?」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思ふ。
げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

(現代語訳)

自分の感性と響き合う人達と座を持てば、素晴らしい句もくだらない句も、全ての句が命を吹き込まれるけれど、つまらない人間関係に振り回されて、本当は良くないと思ってる句まで無理にホメ合ったりしてる座って、何だか、全て談合で済まそうとする鈴木宗男と変わらないんじゃないの?

俳句ごっこの仲良しクラブの座なら、自分の理解できない意見に対して「ホント?」と聞いてみたり、「あたしは、そうじゃないと思う」なんて言っちゃうと、すぐさま雲行きが怪しくなって、奥歯にモノの挟まったような村八分が始まる。
そんなファッキンな座からは、一時的なほのぼの気分は味わえるかも知れないけど、何にも生まれて来ない。

でも、本当に俳句を愛する人達との座を持つことができれば、何でも正直に言い合い、お互いを磨き合い、ともに成長して行くことができるのだ。

ここ、「きっこのハイヒール」のように♪

※「きっこ徒然草」は、反響しだいでは、また続編を書き下ろしたいと思います(笑)

編集・削除(編集済: 2022年08月30日 22:02)

第三十一話 俳句のシャッターチャンス

  ほつほつとひらきはじめし白梅のやがてちりゆく胸の水面へ

梅の蕾がほつほつと開き始め、三分咲きになり、五分咲きになり、そして満開になり、やがて散ってゆく‥‥。
短歌は、このように時間の経過を詠むのに適しています。誰も逆らうことのできない時間と言う流れを詠むことで、悲しさや儚(はか)なさを表現することができます。

しかし俳句は、時間の経過を詠むことができません。できないと言うか、適していないのです。それは、短歌の半分ほどしか音数が無いと言う、定型のキャパシティーの問題だけでなく、その方法論としてです。

俳句は「すべてを言いきらない文芸」なので、ある出来事のある瞬間だけを切り取り、その前後のことは読み手の感性に委ねるのです。
喩えれば、短歌はビデオカメラ、俳句は普通のカメラと言うわけです。
しかし、俳句と言うカメラは、誰にでも簡単にキレイな写真が撮れる、オートマチックのカメラではありません。
写す対象を決めたら、まずはどの方向から撮るのか、ズームレンズで近寄るのか、広角レンズで周りの景色と一緒に写すのか、などのアングルを決めます。写す対象にフォーカス(ピント)を合わせることも重要ですし、手ブレを起こさないようにしっかりと構えることも大切です。露出を計ることも忘れてはいけないし、対象や状況によって使用するフィルムのタイプも選択しなければなりません。そして、場合によってはフラッシュや三脚などの道具も必要になって来ます。

これらの事柄は、俳句と言うカメラで何かを写そうとする時、そのどれもが大切なことなのです。しかし、これらがすべて完璧であっても、良い俳句が作れるわけではありません。
これらすべてよりも俳句にとって大切なこと、それは「シャッターチャンス」なのです。

短歌と言うビデオカメラは、対象の動きを時間の流れに沿って撮して行き、一番のクライマックスが中央やラストに来るように編集することができます。

しかし、俳句と言うカメラは、対象の一連の流れの中で、一瞬だけを写し取ることしかできません。ですから、露出を計ることよりも、フォーカスを合わせることよりも、「いつシャッターを押すか」と言うことが重要になって来るのです。

それでは、いつシャッターを押せば、良い俳句を作ることができるのでしょう冒頭に揚げた梅の歌の景を初めて俳句カメラを手にした人達に写してもらうと、たいていは、蕾よりも三分咲き、五分咲きよりも満開の状態を写そうとします。そして句会と言う写真展には、満開の梅の美しい写真がたくさん集まって来ます。
どの写真も美しく、甲乙つけがたいほどです。素晴らしいことは確かですが、出展者の名前を伏せたら、どれが自分の作品か分からないほど、似たような作品が並んでしまうのです。

つまり、すべての対象には一番素晴らしい瞬間があり、初めて俳句カメラを手にした人達の多くは、その瞬間を写そうとシャッターに指を掛けて狙ってしまうのです。これが、初心の俳句カメラマン達の陥りやすいことであり、結果として類句が生まれてしまう原因でもあるのです。

例えば「夏祭り」を俳句カメラで写すのなら、大勢の人達が盛り上がっているところでシャッターを押すのではなく、祭りが終わり皆がいなくなったあとの暗く寂しい場所に出かけて行き、夜店の残り物をボソボソと食べている野良猫を写すのです。そのほうが何倍も賑やかだった祭りの様子が伝わって来る上に、切なさや儚なさと言った世界へと読み手のイメージが広がって行くのです。
例えば「花火大会」を俳句カメラで写すのなら、色とりどりの大輪の花火が夜空を埋め尽くす瞬間にシャッターを押すのではなく、まだ花火大会が始まる前の、これから会場の川原へ向かう子供達を写すのです。お母さんに浴衣を着せてもった子供達の姿から、ワクワクした気持ちが伝わって来ます。

子供の頃、遠足の日の前の晩に、明日が楽しみで、ドキドキワクワクしてなかなか眠れなかったことをたいていの人は経験しているはずです。
短歌は、前の晩から遠足当日、そして次の日の、歩き過ぎて足が痛くなったところまでをビデオカメラに収めることができます。しかし、瞬間を写す俳句カメラでは、誰もがシャッターを押す遠足当日の風景よりも、前の晩のドキドキワクワクした様子を写し取ったほうが、何倍も遠足の楽しさを伝えることができるのです。
このように、俳句カメラのシャッターと言うものは、それぞれの対象が「今まさに佳境」「今まさに見せ場」と言う時に押すのではなく、その前後に少しずらすことによって、読み手に与える世界が何倍も広がる上に、類句を避けることにも繋がるのです。

写されることを意識して、全員が作り笑顔で整列した記念写真よりも、その前後のスナップ写真のほうが、いつまでも思い出に残っているでしょう。

あなたが何かを発見したり、何かに感動したりしてそれを俳句にしようと思った時、単純にその状況だけを17音にまとめるのではなく、その前後のことも俳句にしてみて下さい。そうすれば、もっと想いの伝わる作品が生まれるかも知れません。

他人と似たような体験や同じような感動でも、視点を変えてみると新しい句が生まれて来る可能性があります。シャッターをずらすと言うことも、視点を変えるひとつの方法なのです。

《おまけ》
※冒頭の梅の短歌は、この俳話を書くにあたって、あたしが作ったものです。
「こんなのは短歌じゃない!」って思った歌人の皆様、ごめんなさい(笑)

編集・削除(未編集)

第三十話 ★俳壇のゴッホ達

先日、テレビのニュースを見ていたら、それまで1万円か2万円だと評価されていたヘタクソな油絵が、ゴッホの作品だと分かったとたんに6600万円になったそうです。絵自体は何も変わっていないのですから、ゴッホの名前代が6599万円なのでしょうか?ゴッホが描けば、落書きにでもとんでもない値段がつくのでしょうか?

絵だけでなく、書でも陶芸でも全ての芸術は、作品の良し悪しではなく、作者の名前でその価値が決まるようです。

しかし、文学の世界は違います。例えば小説なら、どんなに著名な作家が書いたとしても、作品の内容がつまらなければベストセラーにはなりません。短歌でも、俵万智の「サラダ記念日」がベストセラーになったのは、内容が面白かったからです。つまり、小説や短歌などは、一般の人達が「面白いか面白くないか」と言うことをちゃんと判断することができるのです。
それは、どっちが上か下かも分からない抽象画や、何て書いてあるのか読めないような書などと違い、日本語さえ読めれば誰にでも意味が通じるものだからです。

それでは、俳句はどうでしょうか?

これが残念なことに、俳句は文学のジャンルに分けられているのにも関わらず、その評価基準は、小説や短歌よりも絵画や陶芸に近いのです。何故かと言うと、俳句は省略の詩であり、書かれた17音が全てではないからです。小説や短歌の何倍もの「読む力」が必要とされる上に、同じ句であっても読み手の感性によってイメージが異なって来るので、どんなに優れた作品であっても、小説や短歌ほどの普遍性が無いのです。

あたしが、最高水準だと思っている俳句のひとつに、次の作品があります。

  赤い椿白い椿と落ちにけり 碧梧桐

この句も、俳句を読む力の無い人が読めば「赤い椿と白い椿が落ちて、だからどうしたの?」と言うことになってしまいます。
これは、どっちが上か下か分からない抽象画を見るようなものでしょう。

つまり俳句は、絵画や書、陶芸などと同じように「観賞するためには特別な知識や感性が必要」なため、実際には正しく評価されていない場合が多いのです。

絵画や陶芸などの芸術から俳句に至るまで、本来は作者の名前など関係無しに、小説などのように作品だけで評価されるべきではないでしょうか?

月刊の俳句専門誌「角川俳句」や「俳句研究」などは、毎年年末になると「俳句年鑑」と言う分厚い増刊号を発行します。どこから出るものも似たような内容で、全国の主要俳人700名ほどの、その年に詠んだ作品の中から自選5句が掲載されます。その他に、一年間の俳壇の動きや主要結社の紹介などが掲載されます。
結社の紹介と言ってももちろん有料なので、お金を持ってる結社はデカい枠を買い取り、誰も知らないシタッパ同人の駄句までズラズラ並べるし、お金の無い結社は掲載を辞退したりします。(もちろんチャッカリした結社は、作品を載せてあげた会員達から、水増しした金額を掲載料と言う名目で徴収しています。笑)

そんな俳句年鑑の一番の楽しみと言えば、なんと言っても各結社の主宰達の自選5句を読むことです。主宰とは、もちろん結社の代表であり、その主宰が年間に作った数百、数千の句の中の選りすぐった5句と言うことは、その主宰個人の代表作と言うより、その結社の一年間の集大成と言えるはずです。

対談や評論などで立派なことを言っている主宰達と、素晴らしい俳句理念を掲げている結社の本当の姿が、どれほどのものなのか、徹底的に勉強させてもらうチャンスなのです。
賢明なる「きっこ俳話集」の愛読者の皆様は、ここまでのあたしの言い回しを読んだだけで、この先の展開は見えて来たと思いますが、その通りなのです(笑)

少なくとも「俳句年鑑」なんて言う高くて重くてマニアックな雑誌なんか買うのは、一応は俳句のハの字くらい分かっている人達なので、ザッと目を通せば、良い句と悪い句の区別ぐらいすぐにつきます。

いつも立派な理論を並べている人達の実作がどの程度のものか、白日のもとに明らかになるのです。

手元にある2003年度版の「俳句研究年鑑」を徹底的に検証したところ、自身の作句理念に実作が全く追い着いていない主宰が、全体の約2割強、5句のうち2~3句がダメな主宰も入れると、なんと半分以上の主宰達が、日頃弟子達に言っていることを自分ができていないのです。
もちろん、編集部の人達だってバカじゃありません。
それどころか、ひとつの結社に染まっている井の中のカワズ達よりも、仕事上で色々な結社の作品を読んでいるぶん、俳句を観賞する目が正しかったりします。ですから、ペコペコと頭を下げながら頂いて来た俳壇の大御所達の玉稿を見た瞬間、「これをこのまま載せたらヤバイなぁ~」って思うはずです。そのための編集部のフォロー、それが、著名俳人によるヤラセの作品鑑賞なのです。

俳句年鑑のページを開くと、80代、70代、60代‥‥と、著名俳人を年齢別に分け、それぞれ持ち回りの担当俳人が、作品を鑑賞しているのです。これが毎年毎年これでもか!って言うぐらいのヤラセ爆発で、あまりのくだらなさに開いた口が塞がらなくなります。

80代、70代の大御所の作品は、どんなにひどいものでも、読んでいるこっちが恥ずかしくなるほどのオベンチャラでホメまくります。
そして、60代、50代の中堅の主宰達には当り障りなく、40代、30代の若手の句は重箱の隅をつつくようなアゲアシ取り。これが毎年繰り返されています。

だいたい一番不思議に思うのは、本来なら、まず作品があって、そのあとに鑑賞があるべきなのに、1ページ目から大御所達のひどい作品をホメまくり、十分に読者を洗脳したあとに、初めて作品一覧が表れるのです。先に感想を言っておいてから作品を公開するような文芸なんて、普通はありえないでしょう。

今年の80代の作品鑑賞は、「参」の岩城久冶が書いていて、取り上げられているのは、「らん」の最長老、清水径子、「かつらぎ」の筆頭同人、下村梅子、「沖」の実質的な主宰、林翔、「秋」の主宰、文挟夫佐恵、「杉」の主宰、森澄雄、「海程」の主宰、金子兜太などなど、全員が明治か大正生まれのそうそうたる顔ぶれです。
例えば、下村梅子の場合、

  雪片のごと散りしきる夜の桜

  矛(ほこ)立てしごとくに芭蕉巻葉かな

  風の葛一揆のごとく立ち上がる

  用水に心中者めく捨案山子

  木の葉とぶ木の葉めきたる蝶もとぶ

この5句をホメまくっていますが、「ごと」「ごとく」「ごとく」「めく」「めきたる」と、全て見立ての句で、どこにも新しさは感じません。

少なくとも、2~3年俳句を勉強している人でしたら、この5句がどれくらいの水準のものか、あたしが言わなくても分かるはずです。

これらの句が、もしもあたしの句だとしても、岩城は同じように絶賛してくれるのでしょうか?
答えは「NO」です。同じ絵でも、作者がゴッホだから評価するのであって、作者があたしだったら、6600万円の句も1万円になってしまうのです。
「諷詠」の主宰の後藤比奈夫の作品に対する岩城の評は、次の通りです。

  飴をもらひて敬老の日と思ふ

取り立てたものでないところにむしろ敬老の心が生かされている。このさりげなさが氏の独壇場で、さまざまな会でご挨拶に立たれる時に、どのような話が出てくるのだろうといつもわたくしは楽しみにしているのである。

  意地悪くこんにやく玉になつてゐし

ご挨拶の中にも隠し味のように皮肉やユーモラスやエスプリがある。

ダンディな氏ならばこそ、

  貴婦人の歩み春風裡のきりん

と詠めるのである。

これって、作者を抜きにして純粋に作品を鑑賞してるどころか、作品を抜きにして作者を鑑賞して、オベンチャラ言ってるようにしか見えません。
他の作者の句に対する評も、全て評などと言えるシロモノではありません。

「老いの心境とはこういうことかと、しみじみと書き写している。」

「この作者にもやはり老いの意識はあきらかに措辞として顕著である」

などなど、作品を単体として批評しているのではなく、完全に作者の背景を熟知してのオベンチャラが続いて行きます。いくら作品の中にホメる部分が見つからないからって、作者を「ダンディ」って何?(笑)
27名もの俳人の句を合計150句近くも鑑賞していて、その全てをホメタタエています。ちなみに、もしもこれらの句が句会に出たら、あたしが取れる句は20句ほどでした。

続いての70代俳人の評は、「馬酔木」の編集長、橋本榮冶が担当していますが、これもヒドイものです。よくもここまで次から次へとホメ言葉が出て来るもんだと、関心してしまいます。
「鶴」の主宰、星野麥丘人の次の句を読んでみて下さい。

  ヤマト糊買つてかへりぬ秋の暮

  春の山トンボ鉛筆落ちてをり

これらの句に対する橋本の評は、

「ヤマト糊とトンボ鉛筆、泣かせる材料ではないか。決めどころというか、俳句の壺をよくご存じだ。」

おいおいおいおい!マジで?
あたしは呆れ返ってオヘソでカプチーノを沸かして一服しちゃいました(笑)

そのくせ、40代、30代の担当者は、作品に傍線まで引いてボロクソの評ばかり。
どんなにヒドイ句でも、高齢者であれば手放しでベタボメし、若手の作品は重箱の隅をつつくような酷評。

これは1年前の俳句研究年鑑の小澤實の作品です。

  床に髪掃きあつめあり秋の暮

  鯉老いて鯰に似たり春のくれ

次に、これらに対する担当者「陸」の主宰、中村和弘の評をあげます。

「小澤實作品にしてはどれもいささか疑問。今年はどうしてしまったのだろう。季語の〈秋の暮〉〈春のくれ〉の置き方の安直さ。平仮名で「くれ」と書いているがそこに何か意味があるのだろうか。(後略)」

もちろん、後略と書いた部分も、酷評が続いています。ちなみに、小澤は「澤」の主宰ですが、まだ40代です。

  ヤマト糊買つてかへりぬ秋の暮 麥丘人

  床に髪掃きあつめあり秋の暮 實

いくら担当者が違うとは言え、上の句が絶賛され、下の句は安直と言われています。
どちらの作品が優れているのか、誰の目にも明らかなのではないでしょうか?

前出の星野麥丘人のヤマト糊とトンボ鉛筆の句をもしも小澤に酷評を浴びせた中村が読んだら、どのような批評をするでしょうか?
あたしは断言します。絶対に正しい評などするはずがありません。
逆に、この酷評を受けた小澤實の作品を星野麥丘人の作品だと偽って提出したら、今度は手のひらを返したようなオベンチャラの嵐が吹き荒れるに決まっています。

何故って、現在の俳壇において、70代、80代の著名俳人ってみんな、二枚舌のタイコモチ達に祭り上げられた「ゴッホ」なんだから!(笑)

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第二十九話 お~いお茶

※今回の俳話は、2002年の春に書いたエッセイをそのまま転載いたします。

今日、コンビニの飲み物のコーナーに、伊藤園の「お~いお茶」の新茶を見つけた。いつものペットよりも淡いグリーンのボトルに、真っ赤な文字で「新茶」って書いてあった。手にとってみると、「2002年 春一番に摘み採った緑茶です。」と書かれた下に、あたしの大好きな「季節限定」の文字が‥‥。

「新茶」は「走り茶」とも呼ばれ、初夏のころ市場に出回るので、俳句では夏の季語とされている。

限定モノに目が無いあたしは、無意識のうちに買ってしまった。節約しなきゃいけない時なのに‥‥。だけど、買っちゃったんだから、味わうしかない。
「初物は、南を向いて笑いながら食べろ」って言われてるので、あたしは道路地図を開いて、南の方角を調べた。そして、その方向を向きながら、お茶を口に入れた。
だけど、そのまま笑うと、口からお茶がダーッて出ちゃうので、上を向いて笑ってみることにした。

「ガラガラガラガラ‥‥」

 ウガイになってしまった(爆)

「お~いお茶」の缶やペットボトルには、俳句が書いてある。正確には、俳句じゃなくて「新俳句」って言う、季語が無くてもいいものだ。俳句として立派に通用する作品から、思わず笑っちゃうサラリーマン川柳みたいなものまで、色んな作品が採用されている。

毎年一般から募集する「伊藤園の新俳句大賞」は、今年で13回目を迎える。年々応募数が増え、去年は50万だか60万だかの句が集まったらしい。審査委員は、季語無用説を唱える俳壇の大御所、金子兜太(かねことうた)を筆頭に、いとうせいこうなど、十数人の文化人?が担当している。
だけど、1句読むのに10秒だとしても、6句で1分、60万句読むのには、毎日寝ないで24時間読みっぱなしでも、2ヶ月以上かかる計算だ。ホントにちゃんと選んでるのか、怪しいったらありゃしない(笑)

そんなコト言いつつも、1等賞金50万円に目が眩んで、あたしも一度だけ、何年か前に応募したことがある。その時は佳作かなんかで、お~いお茶の詰め合わせと、受賞作をまとめた句集が届いた。その年は、コンビニでお茶を買うたびに、自分の句が書いてある缶を探した思い出がある。

今までの伊藤園新俳句大賞に輝いた作品の中で、あたしの好きな句ベスト3はと言うと‥‥。

  1位 ねるまえにもういちどみるゆきだるま 5才の男の子

※5才の男の子が、初めて作った雪だるま。気になって気になって、何度も見ちゃう。
お布団に入ってからも気になって寝つけず、最後にもう一度だけ、見に行っちゃう。

  2位 天高し猫に生まれて働かず 50代の主婦

※ダンナを支え、子供の世話をして、一生懸命に働いて来た主婦。子供も学校を卒業し、やっとひと息ついたところで、ふと自分の人生を振り返ると、ずっと働きづめだった。気がつくと、もうこんな年齢に。秋のまっ青な空の下、縁側でのびのびと寝ている猫を見ていると、次は猫にでも生まれて来たいなぁ~なんて思っちゃう。

  3位 父の背を越えて十五の春一番 15才の男子

※いよいよ春から高校生だ。中学の三年間は反抗期で、母さんに食ってかかったり、父さんを無視したりと、生意気盛りだった。でも、この三年間で20センチも背が伸び、気がつけば、父さんの背を追い越していた。
あれほど怖かった父さんが、自分より小さく、そして何だか弱々しくなってしまった現実に、反抗していた自分を恥ずかしく思った。その瞬間、春一番が吹き、大人への扉が開いた。

俳句って、ホントに奥が深い。たった17文字の中に、こんなに多くの想いが隠されている。

この3句に共通して言えることは、どの作者も決して背伸びをせず、自分の目線で素直な気持ちを詠っていることだ。

‥‥で、今日買った新茶に話は戻るけど、新茶のボトルには、奨励賞に選ばれた句が書かれていた。

  気がつけばサザエさんより年上に 27才の女性

※もの心ついたころから、家族で見ていたサザエさん。ちっちゃなころは、自分はワカメちゃんやタラちゃんと同じくらいで、カツオでさえ、お兄ちゃんに思えていた。
もちろんサザエさんは、ずっと年上のお姉さんだった。それなのに、マンガのキャラクターは年を取らないけど、作者はどんどん年を取り、ついにサザエさんを追い越してしまった。

‥‥って、サザエさんて、一体何才なの?
とゆーワケで、さっそくあたしはネットでサザエさんの公式プロフィールを調べてみた。
コレがソレだ!(笑)

『フグ田サザエ

年齢…24歳。九州の福岡生まれ。

趣味…読書(特に推理小説が好き)、編み物、料理、ショッピング、スポーツ(テニス、エアロビクス、カツオ達と草野球)

特技…裁縫(自分やワカメの洋服も作る)、モノマネ(特にゴリラのマネがうまい)、カツオを追いかけること。

宝物…婚約時代にマスオからプレゼントされたハンドバッグ
友達…タイコさん、他おしゃべり仲間多数。
性格…明るく朗らかで、竹を割ったような性格。おっちょこちょい。 』

えっ?サザエさんて、24才なの?
‥‥てゆーか、あたしもサザエさんより年上じゃん!
あたしは、複雑な気分で新茶を飲み干した‥‥。

(注)このエッセイを書いた2002年の春の時点では、あたしは20代だったのです(笑)

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第二十八話 削指導とは?

俳句のホームページは、出版社が運営している本格的なものや俳句結社が信者集めのために運営しているもの、著名な俳人が個人で運営しているものから、この「きっこのハイヒール」のように、ただの俳句マニア(笑)が趣味でやっているものまで様々です。また「俳句専門」ではなく、個人ホームページの中に俳句のコンテンツを作っているものまで含めると、俳句関連のサイトの数は数え切れないほどあることでしょう。

あたしが今までに覗いたことのある俳句のサイトは、全部で数十ヶ所くらいしかありませんが、句会を導入していたり、毎月テーマを決めて討論していたりと、それぞれが特色のある活動をしていて、勉強になることがたくさんあります。
しかし、ほとんどのサイトに無いのが「添削指導」なのです。
俳句を勉強して行く上で、一番早く上達する方法が「添削指導」です。
と言うより、添削指導なくして俳句の上達はありえません。

ホームページを運営するほど俳句を好きな人達が、こんな当り前のことを知らないはずがありません。
それに、ほとんどのサイトは、初心の方やこれから俳句を始めたいと言う人達を対象にしています。それなら、なおさら添削指導の窓口を設けるべきなのでは?と思いますが、そう簡単には行かないのです。何故かと言うと、これには複数の理由があります。

まず第一に、添削と言うものは、とても時間が掛かるのです。作者の想いを汲み取り、句意を変えずに最良の形に推敲しようと思ったら、たった一句に何時間も掛かることもあるほどです。

そして第二に、俳句の世界には「添削指導」イコール「偉い先生」と言う図式があり、あたしみたいなのが添削などすると、周りから「なんだあいつは偉そうに!」と思われてしまうのです。
特に、結社に所属している俳人は、あたしの何倍も不自由で、自分のホームページとは言え、周りの目を気にしながら運営しなくてはなりません。添削指導などして、それが主宰の耳にでも入ったら、それこそ大変なことになるでしょう。

最近は、わりと自由に活動できる結社も増えて来ましたが、それでも若い俳人が添削など始めたら、周りからは、口には出さずとも「あの人、何様のつもり?」と言う目で見られることは間違いありません。

絵画や音楽の世界では絶対に許されない「他人の作品に手を入れる」と言う乱暴な指導は、主宰クラスの「偉い先生」だけに許された特別な行為であり、権威主義の俳人にとっては「俳句誌の添削や選句を何本持っているか」と言うことが、一種のステータスでもあるのです。
ですから、ほとんどの俳句のサイトには添削の窓口がなく、通常の投句コーナーなどで当り障りのない感想を述べ合うのが精一杯なのです。

でも、そうしたら、これから俳句を始めたい人や結社に所属していない初心の人などは、どこで勉強すれば良いのでしょうか?

俳句雑誌の添削のページなどに応募しても、採用になるのは何百と言う中の数句で、それも掲載されるのは何ヵ月も先の季節が変わった頃です。おまけに、雑誌の添削指導者のほとんどは、作者の想いなど汲み取らずに、文字の表面的な部分だけをサッと読んで添削するので、何の勉強にもなりません。ひどい添削になると、形を整えるために句意を変えてしまっているのです。
どんなに句の形を変えても、作者の想いを表現するのが添削の本意であり「そうそう!私の言いたかったことはこれなんです!」とならなくては添削と言えません。
ですから、たった1文字変えただけでも、肝心の句意が変わってしまっては、それは作者の想いより作品としての完成度を優先したと言うこととなり、添削とは呼べません。

今から10年ほど前に、こんなことがありました。
NHK出版から出ている「俳句」と言う隔月誌の投句コーナーに、埼玉県のある女性が投句をしていました。添削指導のコーナーではなく、一般の投句コーナーです。選者は、結社「狩」の主宰、鷹羽狩行と、銀座の飲み屋「卯波(うなみ)」のオカミサン、鈴木真砂女の二人です。

他の俳句誌の投句コーナーと同様に、投句する人はどちらの先生に見て欲しいのかを葉書に明記するのですが、この人は毎回「鷹羽狩行」を指名していました。そして、何度かの応募のうち、3回入選して、雑誌に作品が掲載されました。

さて、問題はここからなのです。

この女性の作品は、3句とも選者の鷹羽狩行が添削し、そして掲載したのです。
新聞や雑誌の投句欄では当り前のことですが、この女性は憤慨し「選者の鷹羽狩行氏が句を勝手に直し、それを掲載したのは著作権侵害、名誉棄損に当たる」として、NHK出版と鷹羽狩行を東京地裁に訴えたのです。

この女性の投句は、次の3句です。

  波の爪砂をつまんで桜貝

  井戸水からメロンの網目がたぐらるる

  みのうえに蓑虫銀糸の雨も編め

これらの句を鷹羽狩行は、次のように添削しました。

  砂浜に波が爪たて桜貝

  井戸水からメロンの網がたぐらるる

  蓑虫の蓑は銀糸の雨も編む

稚拙な原句に比べれば、いくらか俳句らしくはなりましたが、それでは肝心の句意はどうなのでしょうか。
原告の女性が裁判所に提出した証拠資料の中に、これらの句に対する解説があります。

「さざ波がちゃぽんと浜辺を掻いた後、色や形がまるで波の爪と比喩したくなるような桜貝があらわれた」

「冷たい井戸水につかってゆらめくメロンの姿をもちあげるさまは、中味はさてまず網をたぐりあげるさまに見られた」

「蓑虫は枯葉など側にあるものを無造作に身にまとう。おりしも降る美しい雨跡をレースのように編んでみたらいかが、と呼びかける意」

解説も句と同様に稚拙ですが、それはさて置き、この解説を読むと、添削によって句意が変わってしまっていることが分かります。
「俳句の世界では、応募した投句を選者が勝手に添削して掲載することが通例として行われている」と言うことを知らなかった初心者とは言え、通常の添削に対して、普通、裁判などを起こすでしょうか?
つまり、ちゃんと句意を理解し、より自分の想いに近づいた添削であれば、憤慨して裁判を起こすほどのことはなかったでしょう。しかし、弁護士もつけずにたった一人で裁判に臨んだ原告と、優秀な弁護士を揃え、持てる権力のすべてを駆使した被告とでは、勝負は最初から見えていました。

「本件雑誌の応募要項に、添削に関する記載はなかったが、俳句に関しての指導方法として添削は一般的であり、定着しているものと推測される。また本件雑誌は俳句の愛好家、とりわけ初心者、中級者を対象とした学習用の性格を有する雑誌であり、たとえ応募要項中にその旨が明示されていなくとも、指導者たる選者の判断において原句を添削して掲載することがあり得ることを前提として投稿句を募集していたものと推認される。」

このような理由により、原告の女性の全面的な敗訴となりました。
もちろん、これで原告の主張を受け入れてしまえば、全国にたくさんいるであろう同様の人達が、いっせいに各出版社や選者を訴え始める可能性もあり、その辺りのことも考えての判決なのでしょう。

しかし、残念ながらこの裁判では、一番重要な部分が論点とされていないのです。
それは「原句の句意や作者の想いまで変えてしまうことが、はたして添削と言えるのか」と言うことです。

作者の意図通りに「波の爪」は「桜貝」の見立てと分かるように添削し、「たぐらるる」ものは「メロンの入った網」などと言い替えず「メロンそのもの」とし、そして「蓑虫に対する作者の呼びかけ」をそのまま残すような添削をしていれば、裁判などにならなかったどころか、作者から感謝されていたかも知れません。
鷹羽狩行は、裁判において、「添削とは、作者の個性的な発想に作品をより近づけるための手助けである」と言うとても立派な発言をしています。しかし現実には、作者のその「個性的な発想」までも添削してしまっていたのです。これでは、もう作者の作品ではなく、選者の作品になってしまいます。

「俳壇の慣例」と言うぬるま湯の中で、俳句を作る力も読む力も鈍ってしまった多くの選者達は、どんなに拙い作品の中にも、それぞれの作者の想いが込められていると言うことをもう一度考え直すべきではないでしょうか?

あたしは、このホームページの「俳句添削箱」の他に、もう少し上級の人達や所属結社やネット仲間などの目が恐くて「俳句添削箱」に書き込めない人達のために、メールによる添削もおこなっています。
添削箱のほうに書き込みが溜っていると、メールの添削のほうが遅れたり、眠くて眠くてしかたない時は、簡単な言葉しか添えられない時もありますが、どちらの添削も自分自身の勉強でもあるので、常に真剣な気持ちで取り組んでいます。

俳句は数学ではありませんから「正しい答」と言うものはなく、あたしの添削が常にベストではありません。あたしの添削を見て、自分ならもっとうまく添削するのに、と思う人も多いでしょう。

でも、誰かがそう言った窓口を作らなければ、初心の人達に俳句への道は拓けないのです。

どこかの結社に入っても、毎月の投句の他に主宰クラスの添削を受けようと思ったら、通常で5句千円から二千円の添削料が必要となります。その上、初心者に対しては「て・に・を・は」の1文字を直す程度の添削しかしてくれない主宰もいます。
これは、良く言えば「自分の作品に手を入れられることに慣れていない初心者に対する配慮」であり、悪く言えば「ただの手抜き」です。

結局、結社に入ったところで、主宰の直接指導を受けられるのは中央在住の一部の会員だけで、地方に住む多くの会員達は、主宰の顔など年に一度拝めればいいほうです。こんな状態では、いつまで経っても上達などありえません。

だからと言って、地域のカルチャースクールなどで勉強しても、そんなところにいる指導者はゴルフのレッスンプロと同じで、基礎知識以外は何も学ぶものはありません。

つまり、現在の俳句界は、初心者にとっては八方塞がりの状態なのです。

そんなわけで、失うものなど何もない天下無敵の無所属俳人のあたしは、添削を受けたくても受けられない人達のために、陰口を叩かれても、あえて添削をしているのです(笑)
あたしの添削は、スピーディで的確、そして痒いところに手が届く解説、その上「無料」(笑)を売りにしていますので、ぜひ皆さま、利用していただきたいと思います。

添削を受けたくても受けられない人達と言えば、俳句を始めたばかりの人達だけではなく、雑誌で添削指導をしている偉い先生方も該当するので、ご希望の先生がいらっしゃいましたら、遠慮なく書き込んで下さい。

恥ずかしかったら、匿名でも結構ですから(笑)

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第二十七話 季語の声

しばらく前に「未完の可能性」と言う項に書きましたが、俳句は、作り手と読み手がいて、初めて完成する文芸です。

自分は俳句を作るだけで、他人の作品は一切読まない、と言う俳人はいないと思います。そして、俳句を作る技術や感性は、そのまま読む力として反映されます。つまり、俳句を作るのが上手な人は、他人の作品を読む力も優れていると言うことになります。

あたしは、中学の時に古典と出会い、その雅やかな世界に惹かれました。しかし、古典は勉強すればするほど奥が深く、毎日放課後になると、図書室に通ったり古文の先生に質問しに行っていました。

時代を追って古典を勉強しているうちに、平安の和歌から江戸の俳諧へと興味が移り、最終的に芭蕉にのめり込んでしまいました。

そんなあたしに対して、その先生は「俳句は、読むことと作ることが対(つい)になっている文芸だから、もっと芭蕉のことを知りたければ、自分で俳句を作ってみなさい。」とアドバイスしてくれました。

先生は、ある俳句結社に所属する俳人でもあったので、見よう見まねで作ったあたしの俳句を添削してくれたり、自分の所属結社の句会や吟行会に連れて行ってくれました。これが、あたしと俳句の出会いです。
つまり、あたしの俳句は「芭蕉の俳句をもっと深く読みたい」と言うところからスタートしたのです。

さて、「俳句を読む」上で一番大切なことは何でしょうか?

それは「愛する心」です。

俳句は、たった17音しかない舌足らずな詩ですから、どんな作品も、作者の想いを100%書き尽くしてはいません。
ですから、自分の気持ちをうまく表現できない幼い子供の話を聞いてあげるように、やさしい気持ちになって、作品の中に入り込み、愛を持って読むことが大切なのです。

俳句の表面に書かれた17音だけしか読まずに、それだけでその句が良いとか悪いとか判断するのは、自分に「読む力」が無い、と言うだけでなく、「作る力」も無い、と言うことになるでしょう。
先日、ある俳句のサイトの掲示板に、あたしは自分の書き込みの例句として、阿波野青畝と正木ゆう子の代表句をあげました。そうしたら、それらの句に対して、ちゃんと読んだ上で「好きか嫌いか」と言うなら分かりますが、俳句の表面に書かれた文字を読んだだけの、議論する価値もないレスがつきました。

初めから敵意のようなものを持ち、欠点ばかりを探しながら、重箱の隅をつつくような気持ちで話を聞いていたら、幼い子供は決して心を開かないでしょう。
俳句は座の文芸ですから、歯に衣着せずに議論しあって磨いて行くものです。しかし、まずは愛を持って作品と対侍し、17音の奥にある作者の想いを読み取るための努力をし、それから批評しなければいけません。

表面に書かれた文字だけを読んでの批評は、歯の浮くような誉め言葉を並べるにしろ、理屈を並べて批判をするにしろ、「何も生み出さない」と言う点においては全く同じです。

愛を持って俳句を読むと、それが良質の作品であれば「季語の声」が聞こえて来ます。そして、描写と響き合い、17音の奥にある広い世界が見えて来ます。

例えば、こんな句があります。

  猫柳添水(そうず)の水に浸けてあり いはほ

これは、昭和6年のホトトギスに掲載された松尾いはほの句です。
この句を読んで、「切った猫柳の枝が添水の水に浸けてある」と言うことしか読み取れない人は、作句においてもその程度の力しかありません。

俳句の観賞と言うものは、まずは季語の本意を感じ取るところから始めます。

「猫柳」は春の季語ですが、冬の終わりから咲き始め、春の到来を告げる花です。ですから、この句の舞台となる季節は、春も浅い、まだ寒い時期となります。そして、切った猫柳の枝が水に浸けてあるのだから、これから来客のために花器に移すのでしょう。と言うことは、時間帯は朝と言うことになります。
つまり「まだ肌寒い早春の朝」と言う情景を思い浮かべてから、初めて句意の観賞に入るのです。

この場合、通常の来客がある、と考えるより、猫柳の本意に沿えば、お茶会がある、と考えたほうが理にかないます。
お茶も俳句と同じで、その時期の一番早い花を季節への挨拶としますので、猫柳を活けると言うことは、立春を過ぎた最初の日曜日のお茶会です。

その家の主(あるじ)が、剪定バサミを手に朝早くから庭に出て、集まるお客様ひとりひとりのことを想いながら、どの花でもてなそうかと木々を見てまわったのでしょう。そして、銀色に輝く猫柳に目をとめ、やわらかい花を指で撫で、枝の形と花のつき具合の良いものを剪定したのです。
時計を見ると、お客様が見えるまで、まだ時間があります。主は、ひとまず庭の添水桶に伐った枝を浸け、他の準備のために、いったん家の中へと入って行きました。

そこへ通りかかったのが、この句の作者なのです。お茶室があるくらいだから立派なお宅だと思いますが、日曜日の朝の散歩に出た作者は、ふと覗き込んだ庭の片隅の、この「猫柳を添水桶に浸けてある光景」に目をとめたのです。
それは、「浸けてあり」の「あり」から読み取れます。

そして、これからしばらくすると、その猫柳はお茶室の掛け軸の下に飾られ、主の大切なお客様たちに季節の挨拶をするのでしょう。

身の引き締まるような空気の中、やわらかな早春の日差しを浴び、なめらかな銀色の光を放つ猫柳から、お客様を待つ主のワクワクした気持ちが伝わって来ます。

作者は、添水桶の猫柳の枝から、来客を心待ちにする主の心情までを読み取り、自分の主観を排除して客観的に切り取りました。そして、その主のワクワクした気持ちは、70年以上経った今でも、あたしの心に響いて来ます。

俳句を読むと言うことは、愛する心を持って作品の中に入り込み、季語の声に耳を傾ける、と言うことなのです。

そして、その声が聞こえるかどうかは、読み手しだいなのです。

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第二十六話 俳句の作り方

俳句は、たった17文字しか無いので、言いたいことをすべて言いきれません。そのために、「省略」と言う作業が必要になって来ます。

例えば、こんな体験をしたとします。

「年の暮に、新宿のカマド家と言うラーメン屋さんで、煮玉子入りのラーメンを食べたら、とっても美味かった」

このままだと、53文字もある上に、ただの報告文です。これを17文字にまとめ、詩に昇華させる作業。それが、省略です。

まず、この文章をパーツに分けてみます。
そうすると、「年の暮」「新宿」「カマド家」「ラーメン屋」「煮玉子」「ラーメン」「とっても」「美味かった」と言う8つの言葉に分けることができます。

俳句は、五七五の3つのパーツから成り立っているので、まずはこの8つの言葉の中からいくつかを選び、パズルみたいに五七五を作ってみます。

  新宿のカマド家と言うラーメン屋

これでは、ただのラーメン屋さんの説明ですね。

  カマド家の煮玉子ラーメン美味かった

作者の気持ちが、少し見えて来ました。

  年の暮ラーメンとっても美味かった

季語も入ったし、一応俳句らしくなって来ました。でも、まだまだ詩にはなっていません。一体、どこがいけないんでしょう?

前出の8つのキーワードの中で、作者が一番伝えたいこと、それは、「美味かった」と言うことです。ですから、普通なら、この言葉だけは省略できないって思うでしょう。

でも俳句は、一番言いたいことを言わない文芸なのです。一番言いたいことは、言葉にしないで読み手に感じてもらう詩なのです。

この場合なら「美味かった」と言う言葉を使わずに、その情景だけを詠い、あとは読み手に委ねるのです。

こう詠んだらどうでしょう。

  ラーメンの湯気立ちのぼる年の暮

このほうが、直接的に「美味かった」と言う言葉を使うよりも、何倍も美味しそうに感じて、ラーメンが食べたくなって来ます。その上、「年の暮」と言う季語の持つ力によって、17音の奥にある世界が見えて来るのです。

『大晦日の夜、タクシーや人ゴミで溢れる新宿の繁華街。コートの襟を立て、白い息を吐きながら、足早やに行き交う人々。そんな中、空腹にふと立ち寄ったラーメン屋さんで、年越しそば代わりに、そのお店のオススメ、煮玉子ラーメンを注文した。しばらくすると、湯気の立ちのぼるアツアツのラーメンが運ばれて来た。ひと口食べてみると涙が出るほど美味しくて、あっと言う間に食べ終わり、スープの一滴まで飲み干してしまった。たった一杯のラーメンに身も心も満たされ、満足して外に出る。‥‥ああ、今年も終るんだなぁ‥‥』
たった17音の詩が、ここまでの世界を感じさせてくれます。これが、「言わない文学」の持つ力なのです。

例えば、桜の花びらがひらひらと落ちて来て、「きれいだな」と感じたら、

  花びらがひらひら落ちてきれいだな

と詠むのではなく、

  花びらがひらひら落ちて来たりけり

と詠み、一番言いたい「きれいだな」と言うことは、読み手に、その情景から感じ取ってもらうのです。

ラーメンを「美味しい」と感じたり、散る桜を「美しい」と感じるのは、作者の主観です。自分の感動を直接的な言葉で表現することは、主観、つまり価値観の押しつけになってしまいます。世の中には、ラーメンが嫌いな人もいれば、桜を美しいと思わない人もいるでしょう。自己の主観を排除し、情景だけを詠むことによって、十人十色のラーメンや、散る桜が現れて来るのです。
「ここのラーメン美味いんだぜ!食ってみろよ、な?美味いだろ?な?な?」って、その人の主観を押しつけられたら、美味しいラーメンだって、美味しく感じられません。
でも、お腹の空いてる時に、湯気の立ちのぼるラーメンを黙って目の前に置かれたら、箸を付けなくたって美味しさが伝わって来るでしょう。

言わないことにより、自分の主観を取り除き、相手に本当の想いを伝える。これが、俳句なのです。

※今回の俳話は書き下ろしではなく、2年ほど前に、これから俳句を始める人たちに対して書いた「言わない想い」と言うエッセイの前半の部分をリメイクしたものです。

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第二十五話 神々の宿る言葉

平仮名(ひらがな)には、昔の「いろはにほへと」と、現在使われている「あいうえお」とがあり、「言ふ」と「言う」のように、同じ言葉でも表記の仕方が違って来ます。一般的に、昔のものを「旧仮名」、それに対して現在のものを「新仮名」と呼んで区別しています。

俳句を書く上ではどちらでも構いませんが、必ずどちらかに統一するべきで、同じ作者が句によって新旧を使い分けたり、一句の中に両方が混在しているのは絶対にいけません。

物理的に考えれば、新仮名は46音、旧仮名は「ゐ」と「ゑ」が増えて48音、たった2音の違いです。しかし「言葉」と言うものの根源に遡って調べてみると、新仮名と旧仮名の違いは、この音数だけではないのです。
第二次大戦の敗戦後、アメリカから怒涛のごとく押し寄せた「合理主義」の波によって、その正反対に位置する日本古来の美学「わび、さび、雅、風流、風情」などは、ことごとく「悪しき習慣」「時代遅れの伝統」と見なされてしまいました。その中で生まれた「あいうえお」と言う新仮名は、まさしくアメリカ的な合理主義の象徴でしょう。合理的な言葉の配列は、それまでの「わび、さび」を消し去り、アルファベットと同じように、言葉をただの記号にしてしまいました。

もともと日本の48音の仮名は「一音一字の言の葉に四十八(よとや)の神々が宿っている」と言われていて、48音で森羅万象の真理をすべて表現していたのです。ですから、仮に「ゐ」と「ゑ」を残していたとしても、その配列を変えただけで「言の葉」としての意味がなくなってしまうのです。

「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせすん」

これが「伊呂波(いろは)歌」ですが、分かりやすいように漢字と段落を入れて書いてみましょう。

「色は匂へと散りぬるを 我か世誰そ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせすん」

この48音の中には、無駄な言の葉はひとつもなく、逆に1音でも欠けたら成り立たなくなってしまいます。

それなのにアメリカの「合理主義」は、「同じ音のものはひとつで十分だ」と言うアホな見解から「ゐ」と「ゑ」を抹殺したのです。それなら、なぜ「を」を残したのかは疑問ですが、どちらにせよ、何にでもケチャップをぶっかけて食べるような民族の考えそうなことです。
さて、この「伊呂波歌」からさらに遡ると、「ひふみ」と言うものに辿り着きます。
「ひふみ」とは、ものを数える時に「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ‥‥」って数える呼び方の元祖にあたるものです。

「ひふみよ いむなやことも ちろらね しきる ゆゐつわぬそお たはくめか うおえに さりへて のます あせゑほれけ ん」

これが「ひふみ」の48音ですが、「ひ」から「と」までの最初の10音が、ひとつ、ふたつ、みっつ、と数える時の頭文字になっていることが分かります。つまり、ものや時間などを数える時の数字は、この「ひふみ」から発生しているのです。

そして、この48音こそが、先ほど言った「四十八(よとや)の神々」の宿る言の葉なのです。

「ひ」は火、そして太陽を表し、「ふ」は風を意味します。「み」は水、つまり海を表現しています。
このように、一音一字のすべてに神が宿っていて、その48音が同時に鳴り響き、天地が創造されたと伝えられているのです。

ちょっと余談になりますが、新年の季語で「ひめ始」と言うものがあります。この「ひめ」は、お姫様の「姫」や秘め事の「秘め」と解釈されていて、近年では「新年になって初めて男女が愛しあうこと」と言う、ちょっとエッチな季語とされています。

しかし、語源を探ってみると、もともとは「ひみ始」と呼ばれていて、「ひ」は火のこと、「み」は水のことであり、新年になって初めて火や水を使い「太陽の神と海の神に感謝をすること」と言う説もあるのです。

このように、古来からの日本の言葉には、季語それぞれに本意があるように、言葉の一文字一文字にも意味があるのです‥‥と言うか、かつてはあったのです。
さて、話は戻り、現在の俳句における新仮名と旧仮名の表記の違いについて、少しだけ触れてみたいと思います。

俳句は、その内容だけでなく、耳で聞いた時の音の感触や目で見た時の文字からのイメージなども、一句を構成する上でとても重要な役割を果たしています。ですから、文字の表記が漢字か平仮名かによって、その句のイメージは大きく変わってしまいますし、同じ平仮名でも、新仮名と旧仮名では、また違って来ます。

  をりとりてはらりとおもきすすきかな

これは飯田蛇笏の有名な句ですが、試しにこの句を漢字で書いてみましょう。

  折り取りてはらりと重き芒かな

これでは「重さを感じない重さ」と言う微妙な感覚が伝わって来ないと思います。
実際この句は、初めは「折りとりてはらりとおもき芒かな」と表記されていました。
しかし蛇笏は、より自分のイメージに近づけるために「をりとりてはらりとおもき芒かな」と推敲し、そして最終的に、すべて平仮名で表記することにしたのです。

このように表記と言うものは、一句を形成する上でとても重要なのです。

春の季語で「薄氷(うすらい)」と言うものがあります。読んで字のごとく、春まだ寒い時期に、池やバケツなどに薄く張った氷のことを指します。
これを旧仮名で書くと「うすらひ」となります。

「薄氷」「うすらい」「うすらひ」、この淡くはかない氷を表現するのに、どの表記が適しているでしょうか?
「鴬」は「うぐいす」「うぐひす」、「囀り」は「さえずり」「さへづり」、「鬼灯」は「ほおずき」「ほほづき」‥‥などなど、比較してみると、旧仮名‥‥と言うか、本来の日本語のなんと美しいことでしょう。

俳話集の「不易流行」の項で書きましたが、芭蕉の俳諧論の基本である、この「不易流行」とは「和歌の雅やかな世界と俳諧の通俗性の融合」なのです。俳言(はいごん)と言う俗語を使い、庶民の通俗的な世界を詠う文芸だからこそ、雅やかな言葉を使う必然があるのです。

あたしは、俳句を始めた中学生の時は、もちろん新仮名で書いていました。でも、色々と古典を勉強して行くうちに、通俗を詠う俳句にこそ雅やかな旧仮名を使うべきだし、また、たった17音しかない俳句だからこそ、表現力の豊かな旧仮名が必要である、と言うことに気づきました。
あたしが俳句に旧仮名を使うのは、俳句、そして季語の本意を踏まえた上で、より適切な表現をしたいからなのです。

一字一音に神の宿る言の葉を編んで行き、いつかは、短冊の上に17人の神々が降りて来るような作品が作れたら、と思います。

編集・削除(編集済: 2022年08月24日 04:15)
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