俳句の題材は様々で、花鳥風月などの自然から、人間の本質に迫るようなものまで、社会通念上のモラルに反しない限り、基本的には何を詠っても自由です。
「恋愛」もその題材のひとつで、昔から恋愛をテーマにした俳句もたくさんあります。しかし、俳句は17音と言う文字数のため、なかなか複雑な人間の恋愛を詠い切ることができません。
逆に短歌は、恋愛を詠うのに適している詩型であり、古くは和歌の時代から、雅やかな多くの恋愛が詠われて来ています。その姿も様々で、淡い恋心を詠ったものから、憎悪に満ちあふれた嫉妬の歌、リアルなセックスの描写から同性愛に至るまで、あらゆる恋愛の形が詠み尽くされています。
月刊「短歌」の平成11年4月号の「現代恋歌論」と言う特集の中で、歌人の岡井隆が「右岸の恋、左岸のエロス」と言う、興味深い文章を書いています。
その中で岡井は、(短歌の)恋歌を3つのタイプに分類しています。
1つ目は、近藤芳美や中条ふみ子などに代表される「私小説風の作品」、2つ目は、俵万智や林あまりなどに代表される「架空の物語に組み込まれた作品」、そして3つ目は、この2つの枠では括れない作品、としています。
この3つ目の例として、辰巳泰子の「仙川心中」を取り上げ、独自の観点から、現代短歌における恋歌を分析しています。
とりの内蔵(もつ)煮てゐてながき夕まぐれ淡き恋ゆゑ多く愉しむ 泰子
この歌に対して岡井は、「淡き恋といふと王朝の和歌などを例に引きたくなるが、辰巳の歌の世界は、ずっと俗の世界で、雅(みやび)の世界を否定してゐる」と批評しています。
これは、今だによそ行きの言葉で、平安時代の雲の上の恋愛みたいな歌を書いている歌人の多い中、極めて俳句的な対象の切り取り方をしている辰巳の歌に対する、最高の誉め言葉だと思います。
仙川にこの子投げたし殺したしされど誰にも殺させたくなし 泰子
幼い子を持つシングルマザーは、何よりも愛しい我が子が、時として自分の新しい恋愛の障害になる場合があります。
「この子さえいなければ‥‥」
愛する子供を殺して、自分も死のうと思ったことのある母親が、この世にどれほどいることでしょうか。
愛して愛して愛し過ぎてしまい、殺してしまいたいほどの我が子への愛。
竹下しずの女の
短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまおか)
を彷彿とさせる秀歌だと思います。
あたしは、短歌は専門外なので、間違っていたら勉強不足で申し訳ありませんが、一説には、短歌での恋歌には「雅の伝統」と言うものがあり、どんな恋愛を題材にするのも自由ですが、必ず雅やかに詠わなくてはいけないらしいのです。
ですから、辰巳の書くこれらの恋歌に対して、岡井の下した結論は「短歌といふ詩型の限界をこえて表現しようとしてゐる」と言うものでした。
別の専門誌「短歌研究」の同年4月号では、藤原龍一郎が「(辰巳の歌は)反則ぎりぎりの表現」とも発言しています。
さて、話しは変わり、岡井が2つ目の恋歌のパターンとして名前をあげた、林あまりですが、彼女の作品は、恋歌と言うジャンルの中でも特別な位置にあり、過激なセックスの描写が持ち味の作家です。
あたしの好きな歌人のひとりでもあるので、あたしの別のHP『れいなの楽屋』の日記でも、以前、彼女の作品を多数取り上げたことがあります。
カーテンの向こうはたぶん雨だけどひばりがさえずるようなフェラチオ あまり
あたたかく入った液体 わたしからいま流れ出る あなたが寝たあと あまり
これらの恋歌が、岡井の言うところの「架空の物語に組み込まれた作品」なのです。
恋愛感情と言うものは、生き物にとっては本能的なものです。しかし、人間の恋愛の場合は、とても観念的な部分が多いように思えます。
観念的な恋愛と言うのは、心ではなく頭でする恋愛のことであり、性描写などを歌に詠むことも、観念的な恋愛をバーチャルに楽しむひとつの手段なのです。
これは、全てを言い切ってしまえる短歌だからこそ可能な表現方法なのであり、この方法を俳句でやってしまうと、俗に『バレ句』と呼ばれる下ネタ系の低俗なものになってしまいます。そして、三流週刊誌などに載っている『お色気川柳』と変わらなくなってしまいます。
それでは、俳句における、バレ句(低俗)にならないような性描写とは、一体どのようなものなのでしょうか。あたしは、低俗にならないような作りでセックスを感じさせる句をバレ句に対して『エロティッ句』と呼んで区別していますので、あたしがエロティッ句に分類している作品をいくつかあげてみましょう。
花衣ぬぐや纏(まつは)る紐いろいろ 杉田久女
春の灯や女は持たぬのどぼとけ 日野草城
中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼
雪はげし抱かれて息のつまりしこと 橋本多佳子
せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ 野澤節子
かたつむりつるめば肉の食ひ入るや 永田耕衣
ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜 桂信子
性器より湯島神社へ碧揚羽 摂津幸彦
春はあけぼの陰(ほと)の火傷のひりひりと 辻桃子
男入れ桜の山の微熱かな 大木あまり
器から器へのびる蝶の舌 柿本多映
まだまだあげたらキリがありませんが、先ほどの林あまりの短歌のように、直接的にセックスを描写している作品は一句もありません。男性や女性の器を詠んでいても、行為の描写にまでは至っていません。
このような形が、セックスを題材にした俳句の、現在での限界のように感じます。
そう考えると、あたしは初めに「俳句の題材は何を詠っても自由です」と言いましたが、恋愛やセックスと言う題材は、極めて短歌向きのテーマである、と言うことが分かります。
しかし、いくら俳句向きではないと言っても、辰巳泰子のように、俳句的な自己客観の手法まで取り入れている歌人のいる短歌の世界に比べ、俳句の世界のいかに遅れていることでしょうか。
これは、単に俳句と言う詩型が、恋愛やセックスを詠うのに適していない、と言うだけでなく、そう言った作品を忌み嫌う、俳壇の閉鎖的な体質によるものだと思います。
多くの若手俳人、とりわけ女性俳人は、日常的に恋句を詠む人も多いのですが、結果が分かっているので、所属結社の句会には提出すらしません。
事実、林あまりの歌のような過激な句など提出したら、即刻破門になってしまうような結社も多く、そう言った閉鎖的な場所では、俳句の可能性を模索するための実験的な試みなど、とうていできるはずがないのです。
あたしが参加している超結社(結社の枠を超えて集まる有志の句会)では、たまに恋愛やセックスを題材にして句会を開いたりしますが、俳句の新しい可能性を示唆するような、ハッとさせられる作品と出合うこともしばしばです。しかし、それらの作者は、決してその句を自分の結社には提出したりはできないのです。
結社以外の句会に参加していることがバレても、破門になってしまうようなところもあるほどですから、超結社の句会には、あたしのような無所属の俳人以外は、匿名で参加している俳人もいるのです。このような現状では、俳句が短歌に追いつくのは、まだまだ先のことでしょう。
絵画や音楽などから、川柳や短歌などの短詩に至るまで、およそ全ての芸術は、その作品が出来上がった時点で、作品としては完成されています。そして、その完成された作品を第三者に見せたり聞かせたりします。
しかし、俳句だけは違います。どんなに素晴らしい俳句であっても、出来上がった時点では、まだ未完成なのです。人の目に触れて、初めて作品として完成されるのです。何故ならば、俳句とは「全てを言い切らない詩」だからなのです。
自分の言いたいこと、伝えたいことは直接言葉にはせず、季語や他の描写に託します。そして、起承転結の「結」、つまり「答」にあたる部分は読み手に導き出してもらいます。
ですから、どんな句であっても、誰かの目に触れ、その読み手が、その人なりの「答」を導き出して、初めて一句として完成するのです。
形は出来上がっていても、作品としては未完成だった一句が、作者の手を離れ、人の目に触れ、それぞれの読み手の感性と融合することによって、初めて完成された詩へと昇華して行くのです。
人間の感性は人それぞれですから、同じ作品であっても、読み手の数だけ答がある、と言うことになります。
何文字でも使っていいのなら、自分が感じたことや想ったことを相手に伝えるのは簡単です。しかし、たった17音で何かを伝えると言うのは、とても難しいことであり、ましてそれが報告や用事などではなく、自分の心の中の想いだったりすると、文字数に制限がなくとも、うまく伝えられなかったりします。
我々俳人が、過去の句を大量に読んだり、俳句以外の文芸や他の芸術などを勉強したりするのも、ひとつでも多くのテクニックを身につけたり、他のジャンルの表現方法を自身の句作に生かせないものかと、日夜考えているからなのです
語彙(ごい)が豊富であれば、それだけ表現が豊かになりますし、知識が豊富であれば、それだけ表現に幅が出ます。そして、ひとつでも多くのテクニックを身につければ、それだけ表現が緻密になり、微妙なニュアンスなども伝えられるようになります。
これらは、自分の作品を読み手の感性と融合させたり、読み手の深層的な部分に働きかけたりする上で、とても重要なこととなります。
好きでもない、よく知らない人から、突然に恋の告白をされたとします。そこらの道端で、急に「好きです」と言われても、あたしは「はぁ?」って思うだけです。
だけど、横浜の夜景を見ながら、心にジーンと響く言葉を囁かれたら、その人を好きになるかは別としても、少なくとも前者の場合よりは、何倍も気持ちが伝わります。もしかすると、あたしを想ってくれる気持ちは、前者のほうが強いかも知れませんし、後者は遊び半分なのかも知れません。
しかし、人に想いを伝えると言うことは、こう言うことなのです。
たった17音だけで何かを伝えようとする時、語彙の豊富な人のほうが、知識の豊富な人のほうが、そして、俳句のテクニックをひとつでも多く持っている人のほうが、より想いを相手に伝えることができます。
そして、知識や技術が向上すれば、自分の句作の幅が広がるだけではなく、人の作品を観賞する上でも、より深い部分まで感じることができるようになります。
俳句を始めたばかりの人は、人の作品を読んでも、17音の文字に書かれている表面的な意味を理解するだけで精一杯で、その奥にある作者の想いにまで到達できない場合が多いのです。
赤い椿白い椿と落ちにけり
これは、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)のあまりにも有名な名句であり、客観写生を志すあたしにとっては、目標としている句のひとつでもあります。
この句は、客観写生句の中では、現在において最高水準の作品であり、17音の奥に、何百文字、何千文字もの世界が広がっています。
作者の伝えたかったことが「赤い椿と白い椿が落ちました」と言うだけのことであれば、これは俳句でも詩でもなく、ただの報告になってしまいます。
しかし、作者の想いは別のものであり、その想いを落ちる椿に委ねたのです。ですから、主観的に詠ったら何百文字にもなってしまう想いをたった17音で表現することができたのです。
しかし、読み手は、この句をそれぞれの感性で受け止め、それぞれの心の中で完成させるので、必ずしも作者と同じ想いを共有できるのかと言ったら、そうではないのです。
でも、それが俳句と言う文芸なのです。
この句を読み、ある人は別れた恋人のことを想い、ある人は亡くなった母のことを想い、そしてまたある人は人生の儚なさを想うのか‥‥。
もしかすると、名句と呼ばれている作品の多くが、作者の想い以上の世界を読み手の心の中に作り上げているのかも知れません。
ですから、自分の想ったことや感じたことをその通り正確に読み手に伝えた人は、他の詩形なり小説なりを志すべきでしょう。
読み手ひとりひとりの深層的な部分にまで働きかけ、それぞれの潜在的に持つイメージまでを喚起させる力、これが、客観写生句の最大の魅力であり、主観に片寄った観念的な俳句や他の詩形などには、とうてい真似のできない世界なのです。
完成された芸術は、それ以上の世界を構築しませんが、俳句は全てを言い切らない未完の文芸なので、作者の手を離れてから、どこまでも広がって行く無限の可能性を秘めているのです。
俳句は、通常の句会の他にも、色々な遊び方があります。「遊び方」と言っても、すべて俳句の上達に役立つものなので、楽しい上に、とても意義があります。
どんな趣味でも、ある程度深入りし、その先のレベルを目指す場合には、苦しい練習や辛い修行のようなことが必要になって来ます。
しかし俳句は、苦しんだり辛い思いをして勉強するものではありません。楽しくてワクワクするような遊びを続けているうちに、知らず知らずに力がつき、上達しているものなのです。
もしあなたが、現在どこかの俳句結社や俳句サークルなどに所属していて、毎月の投句に苦しんだり、主宰がお気に入りの弟子だけ特別扱いしていたり、先輩俳人の指導に辛い思いをしたり、結社内の人間関係に嫌気がさしていたりするのなら、そんな座は今すぐに辞めるべきです。
俳句は座の文芸であり、そのような不健康な座にいては、俳句が上達するどころか、せっかく好きになった俳句を嫌いになってしまいますから。
俳句結社の主宰や同人だからと言って、決して立派な人間ばかりが揃っている訳ではありません。たった一度の人生をせっかく俳句と言う素晴らしい文芸と関わることができたのですから、楽しい仲間達とワクワクするような座を持ち、そして上達して行くのが本当の道です。
さて、句会以外で、あたしが一番良くやるのが『袋まわし』と言う遊びです。だいたい5~6人から、多い時で10数人程度で遊ぶもので、句会と同じように、全員が輪になる形でテーブルを囲みます。そして全員に1枚づつ封筒を配ります。普通の茶封筒などでも構いませんが、あたし達はお金がもったいないので、じゃんけんで負けて螢に生まれたの‥‥じゃなくて(笑)、じゃんけんで負けた人が近くの銀行へ走ります。
そして、お金をおろしに来たフリをして、ATMのところに置いてある銀行の封筒をゴソッと盗って来ます。これを業界用語で『吟行へ行く』と、言うとか言わないとか‥‥(笑) *図書館註:吟行句会の取りまとめ役は一部で「頭取」と云う(実話)。
全員の目の前には1枚の封筒と、たくさんの短冊が配られ、あとは各自、歳時記や国語辞典、句帳などを用意します。そして、各自が自分の封筒の表に、何か言葉を書きます。『元旦』とか『初春』とかの季語でもいいし、『猫』とか『太平洋』とかの名詞でもいいし、動詞でも形容詞でも擬音でも外来語でも平仮名でもカタカナでも何でも構いません。ただ、季語の場合はその季節のもの、あとは、あまり文字数の多いものは適さないので、最高でも6~7字が限度でしょう。
各自、他の人に分からないように文字を書き、書き終わったら封筒を裏にしておきます。
手元に短冊とペンを用意し、時計係の合図を待ちます。
全員の準備ができたことを確認したら、時計係が自分の腕時計を見て、スタートの合図をします。もちろん、時計係もゲームに参加しますので、句を作りながら時間も見れるような、実力のある人が時計係になります。
この時、『よ~い、ドン!‥‥っていったら始めてね♪』なんてオヤジギャグをやると、四方八方から灰皿が飛んで来るので、気をつけて下さい(笑)
スタートの合図とともに、自分の封筒を表にして、さっき自分が書いた文字を詠み込んで、即興で一句を作ります。そして短冊に書き、封筒に入れます。短冊は長めのものを用意して、封筒から頭が出るようにしたほうが、あとから集計しやすいです。
時計係のストップの合図で、自分の俳句を入れた封筒を右隣りの人へ回します。自分のところには、左の人の封筒が回って来ます。
そして、すぐにその封筒に書かれた文字を読み、その言葉の入った句を作ります。
これを一周、つまり、自分の封筒が戻って来るまで、休みなく連続で行います。そうすれば、全員の手元に、人数分の短冊が入った封筒が戻って来るのです。
例えば10人で袋まわしをしたら、封筒に『猫』と書いたあたしのところには、自分の作った俳句を含め、すべて『猫』の文字を詠み込んだ俳句が10句集まるわけです。
そこからは通常の句会と同じように、それぞれが清記用紙へ、短冊に書かれた句を書き、選句をして行きます。
あたしのグループは、初めて袋まわしに参加する人がいる場合は、一句作る時間を3分にしますが、いつものメンバーでやる時は45秒でやっています。また、人数が7~8人以上の場合は、清記や選句の手間を考えて、1つの題に対してひとり1句にします。
逆に小人数の場合は『青天井(あおてんじょう)』と言って、句の数を無制限にします。
ですから、あたしが一番燃えるのは、実力のあるメンバー5~6人で囲む、45秒の青天井なのです。何だか、まるで麻雀みたいでしょ?(笑)
もちろん袋まわしにも、麻雀みたいに色んなワザがあります。例えば、最初の句は自分の選んだ言葉を詠み込むわけだから、事前に一句作っておき、その句の中の言葉を封筒に書けば、即興で作らなくても済みます。そんなセコイことをしなくても、最初だけは言葉を考えてからスタートするまでの時間が45秒にプラスされるので、他の題の時よりもいい句が作れるはずです。つまり、自分の選んだ題なのに、他の人の句にたくさん得点が入ったりすると、すごくカッコ悪いのです(笑)
だから、みんな結構セコイ小ワザを使います。
例えば『初春や顔洗ふ猫ふり返る』と言う句をコッソリと用意していた場合、封筒にどの文字を書くか、と言うことです。
『初春』『顔』『洗ふ』『猫』などを選ぶと、他の人達も句に詠み込みやすいので、一番使いづらい『返る』を封筒に書いたりします。平仮名で『かえる』と書けば、返る、帰る、代える、替える、変える、などに使うこともできますし、ケロケロ鳴く『かえる』として使うこともできます。
しかし『返る』と表記すれば、その言葉の使用パターンは極端に少なくなり、よって自分以外のメンバーは俳句を作りづらくなります。
まあ、最初の句はご愛嬌って言うか、アイドリングみたいなものなので、多少のズルをしても構いません。だって遊びなんですから(笑)
でも、2句目からは、そんなノンキなことは言ってられません。
何しろ、初めて目に入って来た言葉を使って、たった45秒で俳句を作り、短冊に書いて、封筒に入れ、右隣りの人に回さなきゃならないんです。それでも何とか必死に作り、右隣りの人に回したからって、ホッとしてなんかいられません。右隣りの人に回すと同時に、左隣りの人から、次の封筒が回ってくるからです。
今まで「猫、猫、猫、猫‥‥」って考えていたアタマを一瞬のうちに切り替え、今度は「新春、新春、新春、新春‥‥」って考えるのです。お題が季語なら、その季語にマッチした描写を考えなきゃならないし、お題が季語以外なら、その言葉で詩を考えたうえに、その詩に合う季語も斡旋しなくちゃならない!
でも、こんな遊びでも10年以上もやってると、45秒で3句くらいは作れるようになるし、それなりに推敲する余裕も出て来ます。
もちろん、最初から45秒の青天井ルールだったわけじゃなくて、3分で1句、2分で1句と、仲間の技術の向上とともに、だんだんエスカレートして来ただけなんですけど(笑)
いつもは、一句に時間もかけ、場合によっては何日も考えて推敲に推敲を重ねるような場合もあるのに、袋まわしでは、1分や2分で作句しなくてはなりません。ですから、最初は、メチャクチャな575だったり、どうしても作れずに白紙の短冊を封筒に入れることもしばしばです。でも、定期的にこの遊びを続けていると、いつもの自分には作れないような、思わぬ作品を生み出すこともあるのです。
時間に追われて作句することの意義は、考えてるヒマが無くなる、と言うことなのです。俳句は、時として、あれこれ考え過ぎたために、かえって悪くなってしまうこともあります。
考える時間もないような状況で作句すると、主観の介入する余地がなくなって来て、おのずと客観的な句が生まれて来るのです。
句会の当日、5句作って行かなくてはならないのに、どうしても4句しかできず、取り合えず句会へと向かったとします。句会が始まり、投句の締め切りの数分前に、その場で作った句を加え、何とか規定の5句を投句しました。そして、句会が終わってみると、さんざん推敲を重ねて、苦労して作って行った4句が選ばれずに、その場で数分で作った句のほうにたくさんの得点が入り、主宰の選にまで選ばれた、なんて言うこともあるのです。
通常の句会などに参加したことのある人なら、こんな経験を持っている人も少なくないでしょう。
これは、偶然の出来事ではなく、もともと自分が持っている、潜在的な能力なのです。
ですから、袋まわしなどの遊びによって、その能力を引き上げ、あるレベルに達した時には、そのワザが自由に使えるようになるのです。
現代では、ロウソクと言えば、あたしが電気を止められちゃった時に使ったり、あとはSMの女王様くらいしか使わないけど、その昔は、ロウソクに5mm刻みの目盛りを書いて、句座の真ん中に立てて火をつけ、ロウソクが1目盛り減るごとに一句提出、なんて言う句会もあったのです。実際に、あたしもやってみたことがあります。
俳句の遊びは、袋まわしの他にも、短冊まわし、各駅停車、尻取り俳句、逆選句会などなど、他にも色々とあり、そのすべてがとても楽しく、そして、通常の句会では得られない部分の句作向上に役立つのです。
ナントカのひとつ覚えみたいに、毎度同じ顔ぶれの、毎度同じ句会で、毎度同じ先生の選だけ受けていても、あなたの俳句は結社色に染まって行くだけで、小手先のワザは身に付きますが、俳句にとって一番大切なオリジナリティが無くなって行くだけです。
俳句にとって一番大切なことは、『自分の感じたことを自分の言葉で自分らしく詠う』と言うことであり、結社やカルチャースクールなどで勉強するのは、自分の作句スタイルを確立するための、ベーシックな学習にしか過ぎません。
適当な結社で2~3年勉強すれば、俳句の基本は身に付きます。あとは自由に、自分の空を自分の17文字の翼で飛ぶだけです。
あたしは、これでも一応俳人のハシクレなので、年賀状には俳句を書きます。俳句と言うか、正確に言えば連句です。
とは言っても、普通のお友達に出す年賀状に書いても分かってもらえないので、俳句の先生や俳句仲間、連句仲間に出す年賀状にしか書きませんが(笑)
年賀状に書く連句の形式は、ニ種類あります。ひとつは『ニ句の付け合い』と言って、575の句に77の句を付け合わせるもので、形としては短歌と同じになります。
夫婦で出す年賀状であれば、ダンナさんが新春の季語を使ったおめでたい内容の575を詠み、それに奥さんが77を付けたりします。
例えば、
『元朝や生まれた年のワイン開け/雅治』 *図書館註:福山雅治。歌手だが俳優も『ガリレオ』『ラストレター』☆☆☆。
『初風呂の湯気揺れてゆらゆら/きっこ』
なんて感じです。
ひとりで出す場合は、有名なおめでたい俳句に、自分が77を付けたりしても構いません。
例えば、
『酒もすき餅もすきなり今朝の春/虚子』 *図書館註:子規選(24才)虚子(17才)。子規は下戸で一滴も呑めず(笑)。
『日記始も毒舌かもね/きっこ』
ってな感じです。簡単でしょ?
もうひとつの形は『歳旦三つ物(さいたんみつもの)』と言って、575の発句(ほっく)に77の脇(わき)を付け、そして575の第三の句で転じる、と言うものです。あたしは毎年、この歳旦三つ物を年賀状に書いています。
これも、全部自分で作ってもいいし、有名な句を発句にして、77と575を自分で付けてもいいのです。
ただ、歳旦三つ物には、ちょっと難しいルールがいくつかあります。
まず、発句は、なるべく「や」「かな」「けり」などの強い切れ字を使い、新春の歓びを詠うこと。次に、脇の77は、句意の上で発句を受け、句末は体言止めにすること。そして、第三の句は、発句と脇の世界から大きく飛躍する内容で、上5で切り、最後は「て」「に」「にて」「らん」「もなし」のいずれかで止めること。
季語は、発句と脇には新年の季語、第三の句には春の季語を入れなくてはなりません。
例えば、
『元日やすれ違ひたる富士額(ふじびたい)』
『鷹(たか)はいないがおせちには茄子(なす)』
『風光るスカートの裾なめらかに』
こんな感じです。これは、あたしの今年の年賀状に書いたものです。発句の季語は「元旦」で「や」で切っていて、脇の季語は「おせち」で、句末を体言止めしています。脇が発句を受け、「一富士二鷹三茄子」を詠み込んで、おめでたくしています。第三の句は、季語は春の「風光る」で、上5で切り、句末は「に」で止めています。句意は、発句と脇から大きく転じ、将来への展望を込めています。
ちなみに、来年の年賀状に書く作品は、元旦に、このHPのトップページにも発表しますので、興味のある人は見に来て下さいね。
*図書館註:ハイヒール歳旦三つ物は後日「きっこの句集」のお部屋にアップ予定です。
俳句にも様々な形があるように、川柳にもジャンルがあります。
新聞や週刊誌などに載っている川柳は、サラリーマン川柳とか時事川柳などと呼ばれる、川柳のひとつのジャンルにしか過ぎません。
本当の川柳と言うものは、我々俳人には理解できないほどハイレベルな詩の世界です。
簡単に説明すれば、俳句は、自分の外側の世界を詠むことにより、自己の内面を表現するもの、そして川柳は、自分の内面を詠むことにより、外側の宇宙を模索するものです。もっと簡単に言えば、俳句は客観、川柳は主観の世界です。ですから、俳句を作る上で、主観的なものは良くない、と言われるのは、川柳のジャンルになってしまうからなのです。
あたしの尊敬する川柳作家、時実新子(ときざねしんこ)さんは、「川柳は、もう一人の自分が自分を見る、と言う自己客観の文芸である。」と言っています。
あたしは、俳句と川柳の違いを分かりやすく、客観と主観、と言いましたが、もっと正確に言うならば、俳句は「客観」、川柳は「自己客観」なのです。
アサヒグラフで、時実新子さんの連載を担当していた編集の古澤陽子さんは、連載の冒頭で、「嬉しさも悲しさも、怒りも嫉妬の苦しさも、心に生まれるすべての思いを十七音字に凝縮する。川柳は自由で広大な詩空間。」との言葉を掲げています。
本当の川柳と言うものを理解していただくために、時実新子さんの作品を10句挙げてみます。
『金魚は死んで私の未来から離れる』
『目の前を猫が歩いて正午なり』
『暁のマリアを同罪に堕とす』
『風の中捨つべきものを数えおり』
『水落下はげしい耳鳴りの中へ』
『月光へ泳がせた手に何もなし』
『夕ぐれの壺にきこえる笙の笛』
『おねむりよ何も思わず秋の底』
『春雷の腹を渡るにまかせたり』
『森に五百仏まします小春かな』
これらが、本当の川柳です。どうでしょうか?
季語のあるものなどは、そこらのヘタな俳句よりも俳句らしく思えてしまうほどです。これらの作品を良く読んでみると分かるように、対象の切り取り方は俳句的ですが、対象そのものは短歌的なのです。
ですから、本当の川柳を知らない人は、滑稽な俳句などを「川柳的」と表現したりしますが、正しくは「サラリーマン川柳的」「時事川柳的」と言うべきであり、さらにき詰めれば「滑稽」や「軽み」と言うものも、俳句のひとつのカテゴリーだと、芭蕉は言っています。ですから、軽い句や滑稽な句だからと言って、単純に「川柳のようだ」と言うのではなく、どんなにしっかりと作られている句であっても、主観に偏っているものを「川柳的」と表現すべきだと思います。
現在は、たくさんのインターネット句会がありますが、全般的に初心者の参加が多いため、投句はともかく、選句のひどい句会が多いのが正直なところです。
季重ねや字足らずの句に得点が入るどころか、文法が間違っている句や、類想句などにも得点が入ってしまいます。これでは、何の勉強にもなりません。
あたしは、色んなインターネット句会を見学して来て、とてもレベルが高く、指導者の先生も素晴らしい句会を見つけましたので、お仲間に入れさせていただきました。
先日、あたしが参加して初めての句会があり、先生の句評をいただきましたので、掲載したいと思います。
1人3句の句会だったのですが、初めての参加と言うこともあり、あたしは、タイプの違った句を投句してみました。上から順に、あたしの理想とするミニマムな客観写生句、テクニックを使った伝統的な写生句、あたしのもうひとつの持ち味の暗喩をそぎ落とした内面写生句です。
『枯菊を焚くや茎より水蒸気 』
句評「この水蒸気は菊の命の残り火だったのでしょう。これによって、絢爛だったときの菊が余情として感じ取れます。「枯菊焚く」という季語の句は今までたくさんありますが、この句は情緒的、気分的な捉え方でなく、現実に立脚した非常にしっかりした俳句です。「茎」と言い止めた処など私たちが学ぶところは多々ありそうですね。」
『人ごみの中に人垣べたら市 』
句評「関西在住の私には馴染みの薄い季語ですが、べったら市は東京にある市で、べったらは大根の浅漬(べたらとも言うんでしょう)。上五中七の大づかみの把握は良いですね。群衆の動きが目に見えるようです。表現力の非常に優れた句です。」
『冬の花水の色してゐたりけり 』
句評「石蕗とか八つ手とか冬薔薇とか、個々の冬季の花を季語とした俳句は作りますが、「冬の花」という漠然的な捉え方の句を見たのは初めてです。この句は描写というよりも、作者の研ぎ澄まされた感覚がそう言わしめたのではないかと思います。では、具体的にどの花だ、と言いたいところですが、その前に一歩引いてこの句を鑑賞してみると、「なるほど」と納得させられる面はあるのではないでしょうか。それは、この句の奥に、冷たさ、寂しさ、鋭敏さなどが見られるためかも知れません。自分にはまず作れない句だけに、勉強させていただいた思いです。」
1句目、2句目ならば、どんな句会に出しても、それなりの評価を受けられる句ですが、3句目のものは、指導者のタイプによっては、バッサリと切り捨てられてもおかしくない作品です。このような句をどう評価してくださるかによって、その指導者の俳句に対する姿勢をうかがい知ることができます。
大方の指導者と呼ばれる人達は、自分の作風から離れた作品に対して拒絶反応を起してしまいますが、あたしの参加させていただいた句会の指導者は、一歩離れたところから作品を鑑賞し、あたしの斡旋した季語の本意を汲み取ってくれました。
このような指導者のいるインターネット句会こそ、俳句を勉強できる数少ない座だと思います。
俳句は17音ですが、作者は17音すべてを自由に使えるわけではありません。
俳句には季語が必要であり、その季語にも色々な音数のものがありますので、音数の多い季語を使えば、必然的に描写に使える音数は少なくなります。
例えば「蚊(か)」と言う1音の季語の場合なら、残りの16音を自由に使うことができますが「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」などの場合は10音もあるので、たった7音しか描写に割り当てることができません。
それなら、なるべく短い季語を使ったほうが、一句の自由度が高くなり、多くのことを読み手に伝えられると思われますが、実はそうではありません。
俳句は、自分の考えや想いを全部詰め込んで、一から十まで言い切る詩ではありません。一番言いたいことは言わず、状況だけを切り取ったり、そこにあるモノだけを写生し、季語との響き合いで、自分の想いを表現するものなのです。
ですから、作者の想いは季語が代弁してくれますので、季語の音数に関係無く、描写と季語が響き合えさえすれば、一句が成り立つのです。
とは言え、もしも16音の季語があったとしたら、さすがに残り1音で何かを描写することは不可能です。しかし、ある程度の描写ならば5音もあれば可能なので、最大12音までの季語なら、あたしは俳句になりうると思っています。
初心の頃は、言いたいことが多すぎて、なかなか短くまとめることができず、そのために音数の少ない季語を選びがちですが、逆にそのせいで言葉を詰め込み過ぎてしまい、視点の定まらない息苦しい句になってしまうことが多いのです。ですから、あえて音数の多い季語に挑戦してみると言うのも、必然的に描写のぜい肉をそぎ落とすこととなり、句作の上達に繋がるのです。
しかし、長い季語を使ったために、必要以上に描写を省略しなくてはならず、肝心の句意が伝わらなくなってしまっては本末転倒です。そんな時は、同じ本意を持った、音数の少ない別の季語に代えてみることです。
例えば「クリスマス」と言う5音の季語を斡旋すると、どうしても残りの12音では自分の理想とする描写ができない場合、同じ本意を持つ「聖夜」と言う季語に代えれば、あと2音、描写の枠が広がります。「クリスマスツリー」と言うと8音ですが「聖樹(せいじゅ)」にすれば、たった3音です。
ですから「クリスマスツリー」と言う季語と、残りの9音の描写との響き合いで、自分の想いを表現できれば、もちろん一番理想的な形ですが、句意すら伝わらないものになってしまうくらいならば、季語を「聖樹」に代え、きちんと表現すべきなのです。
「クリスマスツリー」と「聖樹」は同じものを指すので、季語を入れ代えたところで基本的な句意は変わりませんが、例えば「ぼたん雪」と言う季語を使っていて、描写にあと3音欲しいからと言って、ただの「雪」に代えてしまうと、句意が変わって来てしまいます。
作者の頭の中には、ぼたん雪の降る光景が残っているかも知れませんが、初めてその句を目にする読み手にとっては、ただ「雪」と書かれているだけだと、十人十色の「雪」を思い浮かべてしまいます。中には吹雪のような激しいものを想像する人もいるでしょうし、ハラハラと散る粉雪を想像する人もいるはずです。そうなって来ると、作者の見た光景が、読み手に正しく伝わらなくなってしまいます。そして、どんな雪が降っていたのかによって、句の持つイメージも大きく変わって来てしまいます。ですから「ぼたん雪」を「雪」に代えて、描写の枠を3音広げると言うことは、逆に季語の発言力を半分以下にしてしまい、作者の想いを伝わりにくくしてしまうことなのです。
このように、季語と言うものは、その俳句を読む人にとって、句の背景を推測したり、作者の想いを想像したりするための、大きな役割を果たしているのです。ですから、一句ができ上がったからと言って安易に投句したりせず、もう一度、使用した季語を歳時記でチェックし、本当にその季語で良いのか、もっと適切な季語は無いのか、など、十分に調べ、これ以上の季語は考えられないとなった時点で、初めて読み手の前に披露するべきなのです。
俳句を始めるのに必要なものは、手帳とボールペンだけです。でも、俳句を始めて、だんだんに面白くなって来て、もう少し本格的にやってみようかな、と思ったら、手帳とボールペンの他に、国語辞典と歳時記が必要になります。
歳時記と言うのは、俳句に必要不可欠な、季語の辞典で、入門用の簡単なものから専門的なもの、ハンディタイプのものから漬物石の代わりになりそうなものまで、各出版社から様々な歳時記が発売されています。値段も、千円以下のものから1万円近いものまで幅広く、バラエティに富んでいます。
大きい書店に行くと、歳時記だけでも何十冊と並んでいて、初心の方が初めて購入する場合、どれにすればいいのか、とても困ってしまいます。書店の人に聞いたところで、全く知識の無いアルバイトが、入門用と書いてある歳時記を数冊手に取り、無責任に差し出すだけです。
と言うわけで、今回の俳話は『自分に合った歳時記の選び方』をアドバイスしたいと思います。
まずは、極意その壱、『入門用は避けるべし!』
入門用と書かれている歳時記は、掲載されている季語の数が極端に少なく、季語の解説なども簡単で、ほとんど役に立ちません。それでいて、通常の歳時記と値段は変わらないのです。
極意その弐、『ハンディタイプは避けるべし!』
小型で女性のハンドバッグにも入るし、一見、便利そうに見えるハンディタイプのものも、やはり掲載されている季語が多数割愛されていて、いざと言う時に役に立ちません。また、文字が小さくて読みにくいのもマイナスポイントです。最近は、ハンディタイプでありながら、大きく見やすい文字のものも発売されていますが、小型なのに文字が大きいと言うことは、その分、季語の数や解説文などが割愛されているのです。
ですから、ちゃんとした歳時記を持った上で、2冊目としてハンディタイプを買うなら構いませんが、最初の1冊としては理想的ではありません。
極意その参、『例句を見比べるべし!』
何冊かの歳時記で迷った場合、同じ季語をひいてみるのです。歳時記には例句と言って、それぞれの季語の解説のあとに、その季語を使った有名俳人の句が、例として掲載してあります。どんな句を例句として採用するかは、その歳時記を監修した俳人の判断によって決まります。ですから、いくつかの同じ季語のページを見比べてみて、自分の心に一番響いた例句を掲載している歳時記を選べば、他の季語の解説や例句なども、自分の好みに近いものが多く採用されているのです。
極意その四、『新しい歳時記は避けるべし!』
歳時記の巻末には、必ず、最初に刷られた年度と、現在のものが何度目に刷られたものなのかが、明記してあります。
ほとんどの歳時記は、毎年見直され、新しい季語を加えたり、場合によっては古い季語を削除したりして、進化し続けています。
しかし、ここ10年くらいのうちに初版された歳時記には、もともと古い季語がないばかりか、一般では認められていないようなものを季語として、いさみ足的に掲載しているものも少なくありません。これらの歳時記は、若い結社の主宰が監修し、自らの結社の会員達の句を例句として掲載したりしています。中には、句歴が数ヶ月しかないような会員の句も掲載してあり、読んでも勉強になりません。これは、結社の財政を支えるひとつの手段として、会員達から掲載料と言う名目で数千円単位の寄付をさせ、その見返りとして、下手な句でも例句として採用しているからです。
ですから、最低でも、初版が20年以上前の歳時記を選ぶべきであり、もしも数冊の歳時記で迷った場合は、初年度印刷を見て、一番古いものを購入することをお薦めします。
最後になりますが、あたしの愛用している歳時記を紹介します。何冊かあるうちで、一番使いやすく、内容も素晴らしく、ずっと愛用しているのは、文藝春秋社の『季寄せ』です。山本健吉さんの編集によるもので、初版は昭和48年、あたしと同い年です(笑)
この歳時記の良いところは、内容ももちろんですが、春夏の上巻と秋冬新年の下巻に分かれているため、持ち運びに便利で、吟行だけでなく、普段もハンドバッグに入れて持ち歩いています。もう10年以上も使っているので、索引を見なくても、何ページにどんな季語が載っているか、ほとんど暗記しています。何よりも大切な宝物で、一生使い続けるつもりです。
雪が「しんしん」と降る、とか、桜が「ひらひら」と散る、とか、こう言った擬音を文字で表すものを『オノマトペ』と言います。
『オノマトペ』って聞くと、なんかタモリが昔やってたハナモゲラ語みたいだし、ゴロだけ見るとアイヌ語みたいだけど、レッキとしたフランス語で、文学の世界では、普通に使われています。
日常で一番『オノマトペ』を目にするのは、マンガの世界かも知れません。マンガ雑誌のページをめくると、「ババ~ン!」「ドキュ~ン!」「ギュオ~ン!」などなど、どのページもオノマトペの洪水です。
擬音と言うものは、上手に使えば、何十文字の詩にも匹敵する世界を表現しますし、下手な使い方をすれば、せっかくの詩が台無しになってしまいます。
俳句は、たった17音しかありません。ですから、たった1文字がとても重要になります。
同じ句でも、接続詞が1文字替わっただけで、読み手に伝わる世界が、180度変わってしまうこともあるのです。
これほど、たった1文字に意味のある詩形は、世界中の短詩形を調べてみても、他にありません。そんな俳句の世界において、擬音を使うと言うことは、とても覚悟のいることなのです。
どうしてかと言うと、季語の他に、少ない文字数の中の何割かを『オノマトペ』が占めてしまうので、他の言葉の入る余地がほとんど無くなってしまうからです。これは、一句の中で同じ言葉を繰り返す『リフレイン』も同じことです。これらの手法を使った句は、『オノマトペ』や『リフレイン』自体が眼目となるので、その句が成功するか失敗するかは、どんな擬音を使うか、どんな言葉を繰り返すかにかかって来ます。
冒頭に書いたような「雪がしんしん」とか「桜がひらひら」、つまり、これらは、使い古されたオノマトペであり、これらの擬音語を俳句に使っても、全く新しみがなく、ただの月並みな駄作になるだけです。
例えば、虚子の弟子、川端茅舎(ぼうしゃ)の句で、次のような作品があります。
『ひらひらと月光降りぬ貝割菜』
栽培している貝割菜に、月の光が降りそそぐ様を「ひらひら」と表現しています。月光が貝割菜に降りそそいだ、と言うだけでは、別に大した句でもありませんが、この「ひらひら」と言うオノマトペの成功が、この句の世界をぐんと広げ、後世へ残すことのできる秀句へと昇華させています。
同じ「ひらひら」と言うオノマトペでも、桜や紙吹雪などに使うと、月並みでオリジナリティの無いものになってしまいますが、この句のように成功する例もあるのです。
オノマトペの成功例として、良く入門書などにあげられる句に、『鳥わたるこきこきこきと缶切れば』秋元不死男『チチポポと鼓打たうよ花月夜』松本たかし、などがありますが、どちらの句の擬音語も、オリジナリティにあふれています。
あたし自身、オノマトペが大好きで、俳人の中では多用するほうだと思っています。何故かと言うと、言葉で書くと説明っぽくなってしまうような描写の場合、擬音語で表現すると見たままの世界を伝えることができるからです。一句上で、なるべく多くのことを語らないように努めているあたしにとって、オノマトペは、時には季語以上の力を発揮してくれる、頼もしい武器なのです。
現在、日本中に800以上もあると言われている俳句結社の中で、一番大きいのが、会員数2万人を誇る『ホトトギス』だ。とは言っても、現在は、ただ会員数が多いだけで、主宰を始め、たいした俳人もいないし、過去の栄光にしがみついているだけの、パッとしない結社になっちゃったけど。
あたしの俳句仲間たちは、句会でつまらない句を提出した仲間に、「あなた、所属はホトトギス?」なんてジョークを言うほどだし(笑)
ホトトギスは、もともとは文芸総合誌として、明治30年に、四国の松山でスタートした。翌年、高浜虚子(きょし)が、金にモノを言わせて権利を買い取り、自分がオーナーになって、どんどん発展させて行ったのだ。
虚子と言うのは、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)と松山中学の同級生で、二人とも、同じ中学の先輩である正岡子規の弟子だったのね。
子規の没後、虚子は、子規の作り上げた俳句を 有季定型を絶対条件とした現在の俳句へと昇華させた俳句界の功労者。顔もデカいし態度もデカいけど、お金はいっぱい持ってるし、その上、俳句の実力もすごかったから、ホントの意味での実力者だったのね。
その一方、碧梧桐は、子規の後継者となったのにもかかわらず、実践の伴わない革新理論ばかりを追求し続けたため、俳壇での主導権を虚子に奪われてしまったの。若い頃は、すっごくいい写生句を詠んでたのに、ホントにもったいない‥‥。口先ばかりで政策が伴わない、小泉総理みたいになっちゃったのね(笑)
虚子と碧梧桐は終生のライバルで、虚子が星飛雄馬なら碧梧桐は花形満、虚子が矢吹丈なら碧梧桐は力石徹って感じだったのね。何度もぶつかり合いながらも、結局は親友だったから、碧梧桐が亡くなった時、虚子は、こんな追悼の句を送ったの。
『たとふれば独楽のはじける如くなり』
コマとコマがぶつかって弾けても、何度も何度も近づいて行くと言う様を自分たちに投影したのね。
そんなこんなで話は戻り、ホトトギスは、皆様ご存知の夏目漱石の『我輩は猫である』を連載したりして、総合文芸誌として大きくなり、後に俳句専門誌へと変わって行った。特に、大正から昭和初期にかけては、まさにホトトギスの全盛期。自分の句が一句でもホトトギスに掲載されれば、親戚を集めてお赤飯を振舞ったと言われるほど、その権威は絶対的だった。
ちょっと話はダッフンだ‥‥じゃなくて、脱線しちゃうけど、『我輩は猫である』のモデルになった、夏目漱石の飼ってた猫が死んじゃった時、こりゃあ一大事だってんで、虚子の俳句仲間の松根東洋城(とうようじょう)が、虚子に写メール‥‥じゃなくて、電報を打ったのね。
その文面は、『センセイノネコガシニタルヨサムカナ』、昔の電報はカタカナしか使えなかったからね。書き直すと、『先生の猫が死にたる夜寒かな』ってなるワケ。
それに対して、虚子が返した電報は、『ワガハイノカイミョウモナキスゝキカナ』、つまり、『我輩の戒名も無き薄かな』ね。
俳句、最強!俳句、恐るべし!俳句、デンポー向き!(笑)
そんなワケで、俳句は、有季定型の他にも新傾向として、季語の無いものや自由律と呼ばれる文字数の制限の無いもの、多行形式のものなど、様々なジャンルを生み出して行った。有季定型の中でも、虚子の提唱した客観写生とは相反する、人間探求派の流れなどもあり、現在では、それらの枝分かれした無数の結社が、我こそが師を継承するものなり!と、大小様々に乱立しているのだ。まるで、『本家タイヤキ屋』の隣に『元祖タイヤキ屋』があり、向かいに『タイヤキ総本店』があるみたいなもんだ(笑)
ましてや、本当の総本山の『ホトトギス・タイヤキ本舗』にマトモなタイヤキ職人がいなくなった今、『チャ~ンス♪』なんて思ってる中堅結社の主宰なんかもいたりして!
なにしろ俳壇には、俳句を作ることなんか二の次で、賞を取ったり名前を売ったり権力を持つことしかアタマにないような、根回しが大好きな腹黒~いのがウジャウジャしてるから(笑)
今年は、俳諧から俳句、和歌から短歌を確立した、正岡子規の没後100年にあたる。そんな年に、この現在の俳壇のアリサマを見たら、子規は草葉の陰でどんな気持ちになるだろうか‥‥。