チョッキリ団とダークイーネの間には下請け企業ぐらいの距離を感じますし、ダークイーネも勿論組織名とは思えません。
それに加えて今回、人員は現地調達が判明…果たしてボッチのラスボスに絶望的な最終決戦を演出できるのだろうか…?(汗)
>カッティーとザックリー(漂白Ver)
やったねタナカーン!労働力が増えるよ!!…序でに住み着くかもだけどw
服のデザインよく見るとあまり変わってなくて吃驚。色が変わるだけでも結構印象変わりますね。
後、妖精形態の音符の向きが逆さま。
来週から高校野球でリアタイ視聴ができなくなるので、TVerの見逃し配信をCM動画踏み倒すプラグイン導入して観る事に。
CM無しは快適なのですが、動画のプレイヤーが使い難いのが悩みの種ですね…特にプレイヤーが動画に重なって表示されるのがスゲー邪魔。
ChatGPTに消し方軽く聞いてみたけど失敗したし、盆休みにでもガッツリ調べてみますかね〜…
>「僕には鳥の言葉か分かる」
何やら友人達が読書会をやる模様。(自分は参加する暇無し)
そしたらみんな何故か「キャベツ」を連呼する謎現象が発生しましたw何か心当たりあります?
>SAND LAND
流石は打ち切り漫画。展開が速くて助かるw
>ゼロから分かるガンダムW
?si=ZfZfl7UKaNKfk1mU
アナザー三部作で一番優遇されてるWが30周年なので、公式が色々やってるヤツの一つ。
キャラがエキセントリックで訳分からんみたいに言われてるけれど、勢力図の変遷も複雑で訳が分からん作品だったのなw
それがよく分かる動画。
No.517cosmos8月6日 23:44
>アクセス権ないから見れないねw
あらら…やっぱノートブック直通の共有リンクでしたか…
ラジオを生成した時はラジオのみの共有ができた筈なんですがね…向こうのサーバー使ってるからって急にアプデすんなし(苦笑)。
昔はOSとかのアプデは敢えてしない…みたいな人も居ましたが、今後はどんどんアプデの主導権を開発者側に握られていく様になるんでしょうねぇ…
さておき、「公開ノートブック」にしたので、以前のリンクからでも見られる筈です。
お詫びとサービスで、Geminiに同じ質問した回答も包括したラジオを新しく作っときました。聴き比べればソースが増えた場合の生成のサンプルになるかも?
>有料版の力
わざわざ訊いて下さって、ありがとね。
o3の方は、分かり易く表現の幅が広がってる様に見えますね。流石は対話に力を入れているだけはあると思います。
後は今後の思索の為の導線を提示してくれるのも、無料版には無かった点。
ただ、“個人を定義するのは外部の制度・権力である”って書き方は、無料版の「個が組織をどう受け入れ、どう変革するか」って書き方で充分な気もします。
2.5proは無料版と比べて具体例を避けているのかも知れません。
無料版は具体例をChatGPT以上に入れてきますが、その分間違いも多かったです。
概観は有料になってより上手く纏められていると思いますが、内容には大差は無いかも知れません。
余談ですが、偶然プロンプトに「孤高」ってワードが混ざってたんですが、それへのChatGPTの食い付きが凄くて、「孤高の意味も変遷している」という視点を提示してくれたのは面白かったですね。
細かい内容は公開ノートブックの最初のソースを開けば見られる筈です。
No.516cosmos8月2日 01:04
>仮に空気を作れる人間が居たとしたら、そいつが日本を支配できるって事
空気は誰が作ったかわからないからこそ、みんなが無責任なれて、みんなが被害者になれるという構図があるので、特定できたら効果半減でしょうね。実際には組織内で主導する人物や、メディアなどで先導する部分はありますが、風向きが変わったら干されるんでリスクも高い。
>仮面ライダーが映す時代と社会:昭和から令和へ、ヒーロー像と人間関係の変遷を紐解く
アクセス権ないから見れないねw
とりあえず、ChatGPTのo3(有料)とGemini 2.5pro(有料)それぞれに「あなたは仮面ライダーシリーズに詳しいです。私の友人が「仮面ライダーは個人と組織の関係性を描いている」という説を述べているのですが、実際どうなのですか」って聞いた結果。
・ChatGPT
歴史的 DNA として、主人公(=個人)が「巨大なシステム・組織」に巻き込まれ、抵抗・利用・再編成していく構図はほぼ全作に形を変えて現れる。
ただし 作品ごとに焦点や立場は揺らぎ、①完全に対立する反体制型、②組織に属しながら葛藤する内部者型、③組織同士の多層抗争に巻き込まれる群像劇型――など複数のパターンがある。
よって「常に個人と組織を描く」とまで一般化すると射程を外すが、“個人を定義するのは外部の制度・権力である” という問いはシリーズの根幹に埋め込まれていると言える。
以下シリーズを概観して
・主人公が誰と契約/雇用/師弟関係を結ぶか に注目すると、その作のメインテーマが浮かび上がる。
・ヒーローの “変身デバイス” はしばしば組織の技術資産。権限を誰が握るか がミソ。
・クライマックスで “組織の構造そのもの” がどう変わるか(解体か共存か)を追うと、シリーズ間比較がしやすい。
と纏められました。
・Gemini
結論から申し上げると、その説は「間違いなく正しい」と言えます。
と全肯定して、以下シリーズを概観。
・昭和では、「巨大な悪の組織に虐げられた個人が、孤独に反旗を翻す」という普遍的な物語。
・平成では、警察、企業、学校など、より身近で多様な「組織」と個人が、どう関わり、協力し、あるいは対立するのかという社会的な物語。
・令和では、自らが組織を率いる立場になったり、所属する組織のあり方を内部から問うたりする、より現代的で複雑な物語。
このように、「個人と組織の関係性」というテーマは、時代ごとの社会情勢や人々の価値観を反映しながら、形を変えて一貫して描かれ続けています。このテーマがあるからこそ、仮面ライダーシリーズは半世紀以上にわたって、多くの人々を惹きつける奥深い魅力を持ち続けているのです。
と纏めていますね。
ChatGPTは視点を広くとって提示する前提の設定にしてるから補足するようなコメントになってるね。
No.515いっしゅう7月31日 11:00
幹部がロボになるし、敵国のキラキランドも謎テクノロジーあるし、過去作に前例も二つ程あるし…
まぁ、アジトのデザインはどちらかというとレトロなんですけどね。
>ザックリお散歩
>踏み込んだ分彼女自身もちょっと染まってる
七不思議の時も基本の動機が「真似してみたくなった」でしたし、元来染まり易い娘なのかも知れないですねw
そら親の仕事にもドップリ染まるし、加減が分からなくて反動が出たりもしますわ。
>「キラキラが見える」
>作品的には重要な要素だろう
犠牲者探し以外にプリキュア適性も計れますね。
…ピカリーネさん、何か言っとくなら今の内ですよ?
序でに、チョッキリ団のネガティブに対する自覚…というと、「自分はキラキラできない」という自覚って感じですかね。
…そういえば、キラキラできない事に悩んでる妖精が約一匹居たなぁ…ピカリーネさん(ry
>ハンカチ前後のやり取りでそこまでプロファイリングできる
>ななの距離感
>元々そんな気配があった
あ〜…もしかしたら自分、そういう性格傾向がコミュニケーションに反映されないって思ってるのかも知んない。
コミュニケーションは相手の性格との兼ね合いだから、複雑系として「何が起こるか分からない」が前提になってる気がします。
勿論、ななの物怖じしなさを考慮すれば、相手によって大きく言動を変える様な事は無いだろう…とも思えるんですけどね…
>プリキュアシリーズにおける『敵との関係性』の変遷
>試しにAI(ChatGPT)に話を振ったら意外と食いついてきた
こういうの、二年程前に「Gレコがヒットしなかった理由」を聞いて、回答内容に「ビキッ」ってなってからやった事無かったんですが、今の性能なら面白い出力が得られそうですねw
という訳で自分も真似してみました。(↓)
「仮面ライダーが映す時代と社会:昭和から令和へ、ヒーロー像と人間関係の変遷を紐解く」
https://notebooklm.google.com/notebook/63d25143-52fd-472b-8062-24bc54ebe0a2?artifactId=a7acf1c8-dd79-4716-815b-a24ccb9042b8
やっぱり新しい情報になる程に精度は下がっていきますね。それにどうしてもこじつけ臭い部分も感じますし、何故か現実の世相と結び付けたがるきらいがある。
なのでChatGPTに、「仮面ライダーは個人と組織の関係性を描いている」という仮説としての妥当性を評価して貰いました。
結果は「妥当性は高いが万能ではない」との事。ならそんなに気に病まなくても良さそうです。元々揺り戻しみたいな例外的作品が度々挟まれるシリーズですから。
>日本ではこの「空気の入れ替え」こそが社会、企業、制度を動かす最大の動力源であり根幹
仮に空気を作れる人間が居たとしたら、そいつが日本を支配できるって事ですか(苦笑)。
お笑いのネタで流行語とか社会現象を起こせる点では、確かに芸人が社会問題に切り込む影響力は馬鹿にできないと思います。
ただ本当に空気を作れちゃったら影響力が欧米の比ではなくなるから、みんな「空気を読んでw」当たり障りの無い日常ネタやってんのかも知れませんね。責任も取りたくないでしょうしw
>本音と建前
>情況の変化に応じて自在に使い分けられる人こそ「オトナ」として高く評価する傾向にある
富野由悠季監督作品にもそういう傾向が見られますね。つか、登場人物がみんな、本音と建前と嘘と本当を呼吸する様に乱れ打ちしまくるんですよね。そんな所も「分かり難い」と評される一因になってると思います…(苦笑)
結局の所、国を問わず己の内面を否定・抑圧されると人間キレるものなのでしょうねぇ。外面から内面が透けて見えるキリスト教文化圏の人々の方が、脅かされると感じる事が多かったかも知れない。
日本人は今まで隠れていて見え難かった内面が、SNSなどの登場によって露見し、慣れない攻防戦を繰り広げているって所か…
SNSの日本人が幼稚に見えるのは、内面が脅かされる事に対する欧米人との「年季の違い」によるものなのかも知れませんね。
>ウィッチウォッチのクソゲー
原作者の過去作では、謎のクソボードゲームに何故か(一時的に)ドハマりする主人公達が何度も描かれたのに…隔世の感。
チクショウ…どいつもこいつも楽しむ事を忘れて叩けるだけ叩きやがって…クソゲーだってなぁ、有料なんだぞ!金払ってんだからクソゲーにも人権を寄越せ〜〜!
>Dr.STONE
コハクさん、米軍に主力外通告されるの巻。
流石にプロの軍人相手に無双とかは無いだろうけど、これは一矢報いて欲しいですねw
>侍タイムスリッパー
書き忘れてたけど、金ローで観てました。
取り敢えず、語彙力無くなる程度には面白かったです。
既存のタイムスリップ作品と比べて、時間旅行者の時代に適応する能力が高く描かれてますが、それ故に根っ子の部分での過去へのこだわりと過去からの前進の描写が鮮やかだったのではないかと思いました。
No.514cosmos7月30日 22:06
ChatGPTとGeminiに課金して使用感をお試し中。後者は初月無料なのでとりあえず一ヶ月好きに使ってみようかなと。
>「内面」と「外面」をそれはそれ、これはこれと完全に別物として捉える日本
それの応用ってわけじゃないけど、例えば私は「いっしゅう」名義でネット上で活動してるけど、私が本名名義とごっちゃにしてない限り、本名名義とは別物として扱うっていう暗黙のルールがありますね。「でもお前、ネットではああ言ってたじゃん」みたいなのは言わない約束的な。
日本でハンドルネームが一般的な運用になっているのは、この「顔の使い分け」が文化的に馴染みやすいからでしょうね。別の名前を使っているってことは別人として扱って欲しいんだろうな、っていうのが了解される。まあ、身バレ防止ってのもありますが、どっちが先に来るかって言ったら私は前者が先に来ますね。
勿論これも「一線を超えない限り」なので、もしそれを超えたら「裏ではこんなことをやっていた」ってなる。
>キリスト教の手の平クルー
例えばフランスでは生まれたばかりの赤ん坊を乳母(遠方に住んでいる場合もある)に預けて自分では育てず、幼稚園児くらいで家に戻ってきたら次は寄宿舎に入れて半ば厄介払いってことが富裕層では当たり前に行われていましたよね。バルザックの生い立ちがまさにそんな感じ。イギリスでも児童労働は当たり前だった。
ところが、ルソーの教育思想が広まって子どもは大事にしよう! ついでに母親は母性的であらねばならないと母性神話が登場して正反対に舵を切る、みたいなことが平然と行われる。
LGBTにしても元々は日常生活で不便があったからそれをどうしようかって話だったのに、政治の道具(人権問題に絡めて政敵を攻撃したり、自分たちは進歩的だと嘯いたり)になってああなってる。実際には政治エリート層と一般層で温度差がエグいんだけど、その事情をよくわかってない日本人が「やっぱ欧米は進んでるなぁ」と輸入してるわけね。
>仲正昌樹『悪と全体主義』 https://amzn.asia/d/dN1ZZ5F
ドイツのアレを扱っているよくあるテーマの本。大衆とか全体主義についてハンナ・アーレントの主張をベースに展開していて、別段目新しいわけではない。今更大衆云々で説教じみたこと言われてもね、ってなるしね。
ただ、国民国家と国民の関係についてよく表している一文があったので紹介。
近代の国家は「国民」をベースに創設され、「国民」の利益を守るべく運営されてきました。「国民nation」を構成する「市民citizen」たちのために各種の権利が設定されました。それがなければ、「人権」は実質的に機能しません。逆に言うと、「国家」はそうした諸権利や利益と引き換えに、「国民」の忠誠心を繋ぎとめてきました。その「国民」のための資源を、「国民」ではない者たちに無条件に分け与えるわけにはいきません。「国家」が使える資源には限りがあります。「普遍的人権」の名の下に、困っている無国籍者を全て受け入れるという態度を取れば、多くの人が押しかけて、「国家」のキャパシティを超えてしまいます。(p105)
カッコ書きが多くて読みづらいけど、要するに人権は国家が保障するもので、国家に依存してる。つまり人権とはシステムが作り出した虚構なわけ。まあ、平常時はそんなに問題にならないんだけど。
じゃあ、どういうときに問題が露見するのか。それが無国籍者の流入。これは当時でいうと国を追われた難民とか、権利を持たない人たちのことなんだけど、これを現代で最も適合しやすいもので表すと「移民」になる。
最近日本でも外国人に厳しい目が向けられてて、政府に対しても批判が出てるけど、その中でよく目にする「俺達の税金を外国人のために使うとは何事か!」「日本人より外国人が優遇されている→日本人の人権が蔑ろにされているのでは?」ってのはまさに国家の仕組みから言えば真っ当な意見なのね(事実であるかは別として)。言ってる人は多分感情的に言ってると思うけど、制度的・国家論的に言えばめっちゃクリティカルなんだよね。
建前から言えば人権は全ての人を保障しなければいけない。国家が自国民だけを保障するなら嘘になる。けど、一国にそこまでの能力はないし、自国民以外を手厚く保障したら国家の正統性(=国民の支持)を失うっていうのが国民国家の建前と本音。
>地雷グリコ
逆算系は段取り臭くなるのと、何故かクリティカルになる部分を誰も事前に突っ込まない不自然な形になりがち。
>亜宗教
目新しい内容はありませんでしたが、学者が書いた本のわりには軽妙な内容でしたね。
>ウィッチウォッチのデスゲーム
ボードゲーマーのワイ「口だけで説明するな。耳慣れない単語を連呼するな。いいからサマリーよこせ」
No.513いっしゅう7月30日 11:23
EDテロップを見るにジョギって名前なのか。チョッキリーヌ様とどちらが役職が上になるのかなw…。
>一面のひまわり畑
昭和生まれの私としては、やっぱり戦争メロドラマ映画の佳品『ひまわり』の冒頭シーンを、ヘンリー・マンシーニの哀愁漂うテーマ曲と共に想い出しますね(↓)。
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e6%98%a0%e7%94%bb+%e3%81%b2%e3%81%be%e3%82%8f%e3%82%8a+youtube&qs=UT&pq=%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%80%80%e3%81%b2%e3%81%be%e3%82%8f%e3%82%8a%e3%80%80you&sc=12-11&cvid=DDD4D78FECFF4F2CAD33E2F43DFD8C1F&sp=1&lq=0&ajaxnorecss=1&sid=2B1B0D321FAE6E4A28841B171EAB6FA4&jsoncbid=0&ajaxsydconv=1&ru=%2fsearch%3fq%3d%25E6%2598%25A0%25E7%2594%25BB%2b%25E3%2581%25B2%25E3%2581%25BE%25E3%2582%258F%25E3%2582%258A%2byoutube%26qs%3dUT%26pq%3d%25E6%2598%25A0%25E7%2594%25BB%25E3%2580%2580%25E3%2581%25B2%25E3%2581%25BE%25E3%2582%258F%25E3%2582%258A%25E3%2580%2580you%26sc%3d12-11%26cvid%3dDDD4D78FECFF4F2CAD33E2F43DFD8C1F%26FORM%3dQBRE%26sp%3d1%26lq%3d0%26ajaxnorecss%3d1%26sid%3d2B1B0D321FAE6E4A28841B171EAB6FA4%26format%3dsnrjson%26jsoncbid%3d0%26ajaxsydconv%3d1&mmscn=vwrc&mid=FC1A83314D625F3D8B77FC1A83314D625F3D8B77&FORM=RCACF
そして当時ウクライナで撮影されたこのひまわり畑も、今や戦場と化しているかも…と考えると、何とも複雑な気持ちになります。
◆◆◆
>キリスト教は「(人間が勝手に決めた)正しさ」を信じていて、日本人は「(人が勝手に言っている)良いこと」を信じている。そしてそのどちらもコロコロ変わる
先日アニメ化されたものを視聴した『チ。― 地球の運動について ―』でも、教会側の経済的都合(=地動説関連書籍の印刷・頒布を許諾する見返りとして、売上げ収入の一部を教会が受け取る)から、それまでの「断固滅ぼすべき異端」と見做していた地動説のことを「あくまで仮説としてなら許容可能」へと大きく認識を改めていましたっけね。まぁこれ自体は史実としては(多分)正しくないのですが、進化論しかりLGBT問題しかり、キリスト教会が異なる言説の徹底的排除から平和的共存へと舵を切った(悪く言えば「手の平クルー」した」)という史実を象徴的に示しているという点では正しい描写なのだろうと思います。
因みに作中のクライマックスでは、それまで教会を後ろ盾として「異端は撲滅されるべき」との信念を抱き続けて来た異端審問官ノヴァクが、ある夜突然(書籍販売事業にカネの臭いを嗅ぎつけた)上司のアントニ司教に「そもそも地動説が異端である根拠など無い」とこれまでの所業を全否定されたことで、司教もろとも教会堂に火を放ち自死を遂げる様子が描かれます。これなんかまさに以前話題に出た「キリスト教文化圏では内面と外面が地続き」の一例のように思いますね。ノヴァクが味わった喪失・絶望感はそのまま『レ・ミゼラブル』のジャベール警部に重なって見えますし。
御大の考察に更に付け加えると、つまり「内面と外面との一貫性」を志向するキリスト教文化圏では「内面」が「外面」によって否定・抑圧されることは「極度のストレス」と捉えられがちですが、「内面」と「外面」をそれはそれ、これはこれと完全に別物として捉える日本ではむしろ日常の所作の一部と見做されているのではないかという気がします。そういや以前山本七平氏の著書で、氏が戦時中捕虜となった際にアメリカ人兵士が「お前達は天皇を現人神だとして崇め奉っているらしいが、進化論というものを知らないのか?」と揶揄された際に、「こう見えても私は大卒だ。進化論のことなら申し訳ないがあなた以上に詳しいし、また正しいと認めている。」と返事したら大変驚かれた ― 細部はうろ覚えですが確かこんなエピソードが紹介されていたと思います。続けて山本氏は、総じて日本人というものはタテマエ(外面)とホンネ(内面)を使い分けることに何の抵抗も感じないどころか、むしろ情況の変化に応じて自在に使い分けられる人こそ「オトナ」として高く評価する傾向にある、とも論じていたはずです。だから例えばジョージ・オーウェルの『1984年』で描写されるディストピアは、日本人の大多数には欧米で受け留められているほどピンとは来ていないんじゃないかと私は想像しますが…実際どんなもんなんでしょうね。
>内面が整っていれば融通を利かせても良い
「融通を利かせても良い」どころか「寧ろ今までの社会的通念(=外面)こそが間違っているのだから正すべきだ。」と、精神的意味合いにおける (「我に自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」的な) 一種の死活問題と解釈して来たのが欧米社会なのかな、という気がしています。この辺りも内面と外面の一致に拘りの薄い日本人の大多数にとっては、『バイセンテニアル・マン』のアンドリューの「究極の選択」に関しても、単に(屁)理屈を捏ねているだけのように映るのではないでしょうか。
>今週の読書
『地雷グリコ』やっと図書館で借りられたわw(結局10カ月待ち)。見事なまでに“「審判がグレーゾーンのジャッジを予め自分が思い描いた通りしてくれること」を前提に奇策を繰り出す主人公が無双する”エピソードばかりでしたねぇw(毒)。まぁ御大がおススメされただけのことはあって面白く読めはしたんですが、御大もご指摘の通り「あっと驚くトリックから逆算する形で無理くりお話を作った感」はどうしても否めなかったですね。このオムニバス短編の執筆に数年を費やしていることを鑑みれば、例えば「敵サイドに過剰に肩入れする審判の偏向ルールを逆手に取って見事勝利する話」や「敗北を覚悟した主人公の無意識の行動が勝利を呼び寄せた話」を入れるとか、もう少し変化を付けて欲しかったかなぁw(苦笑)。
あとはこれかな(↓)
●『一次元の挿し木』松下龍之介 2025宝島社文庫
https://amzn.asia/d/9e3P1WN
第23回(2024年)『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ獲得作品。
イケメン(自覚無し)主人公 → ミステリアスな義妹と出会って恋仲に → 義妹の謎の失踪 → 絶望する主人公・クセの強い眼鏡っ娘と出逢って意気投合 → 一緒に義妹の捜索 → 怪しげな宗教団体絡みの殺人鬼の襲撃…と、まぁ「おまいらこんなん好きだろ?」の欲張りセットみたいな話でしたねw。謎を小出しにしつつテンポ良く話を畳みかけてくるのは好印象でしたが、流石に終盤は展開が急ぎ過ぎ、かつ宗教団体を証拠隠滅に便利遣いし過ぎで、リアリティに欠けるのはマイナス点でした。借りて読むならまだしも、¥900(税込)払ってまで読む価値があるかというと正直微妙な作品でしたかねぇ(苦笑)。
No.512この道の者7月27日 23:34
今日ボーカルアルバムの発売日だなと思ってAmazon見たら売り切れ&転売価格になってて草。
元々ダウンロードの方で買うつもりだったらいいけどさ。ズキューンキッスの曲はやっぱ強ぇわ。
>ななの距離感
元々そんな気配があったしね。今回であれば冒頭の肝試しトークで彼女が怖がりではないことが示されていたし、水をあげた場面でも「どうすっかな~」って独白してたように困っていれば助けるけど、それ以上ではないことも示されていましたね。
>日本で社会問題の共有・周知を押し進めるものって何なんでしょうね?
たぶん直接的にはワイドショー(と夜にやってるニュース)だと思います。今だとSNSも入るかな。で、ここで多くの視聴者に刺さると空気が変わって、その空気を企業や国が敏感に感じ取って動くというのが日本の構造変化だと思います。
具体例を上げると20年くらい前、サービス残業が当たり前になっていたけど当時騒がれた結果、私が勤めていた会社でも未払い分の精算が行われたことがありました。それ以降サービス残業へは厳しくなりました。何が面白いって組合もあって、サービス残業があることは従業員も組合も会社もわかってたのに社会の空気一つで動いたってことです。
つまり日本ではこの「空気の入れ替え」こそが社会、企業、制度を動かす最大の動力源であり根幹ってことです。この国は空気が変われば制度が変わるし意識も変わる。この意味で法治国家ではない。空気が全てに優先する。これの何が強いって統制力。コロナ禍を見てもわかるように短期間で訓練された兵士のようにみんなが同じように動く。その同調圧力と自己統制力は他の国では真似できないと思うよ。法律で制限するより早く、確実にやってしまうのだから。
>Dr.STONE
必要なときに必要な人材とピンポイントでエンカウントするの草。
No.511いっしゅう7月23日 19:52
過労がピークに達したザックリー観て思い出しました。(↓)
?si=HPlsVIhG8HNcc_jn
>こころだったらもう少し常識的というか、ザックリーのペースに押されるでしょう。
>うたならたぶん本気でザックリーを助けようとする。
>けどななは一線を引いているような雰囲気がある。
ハンカチ前後のやり取りでそこまでプロファイリングできるの流石っすわ。
自分は距離感やたら気にする癖に、そういう洞察力が殆ど無いからなぁ…
人間が怖い原因の一つが分かった気がしますね。
>「先生ザックリー君がななちゃんのこといじめてました」
>小学生男子か
あー…小学生の頃は美少女コンテンツが妙に気恥ずかしかった事を思い出しますねぇ…でも気にはなるっていうのが余計に辛かった…
ザックリー君もRPGのパーティメンバーに女性キャラを入れられないタイプだな、きっと。
成る程、今年の未就学男子へのアプローチはこういう方向性か。東堂いづみの辣腕が光りますね。
>キリスト教は「(人間が勝手に決めた)正しさ」を信じていて、
>日本人は「(人が勝手に言っている)良いこと」を信じている。
「内面が整っていれば融通を利かせても良い」って言われると、そっちの方が本質を掴んでいる様に見えますね…
改めて「本質を掴む」ってどういう事なのか考えさせられます…本質を掴んでいる様に見えても所詮は「信じたいものを信じているだけ」というのも含めて。
>日本ではドラマは娯楽性を期待されてるけど、
>欧米ではドラマを通じて社会問題を共有・周知することが期待されている
日本で社会問題の共有・周知を押し進めるものって何なんでしょうね?
更に欧米のコメディは問題の脱構築を促し、解決の為の新たな視点を齎す事も期待されてるみたいですが…
それらが遅れている日本に対して、コピペする様にお笑い芸人やニュースキャスターに同様の役割を求めるのは酷な気がするんですが。
風刺画とかも昔はあったけど、今ではとんと見掛けなくなりましたしねぇ…
後、韓国といえば韓流アイドルと日本のアイドルがよく比較されてると思いますが、韓流がスペック重視で日本がキャラ設定重視っていうのも、現実と空想の境界線のスタンスの違いが表れてる様に思えます。
>「持つ者と持たざる者」との間の情報格差
技術適性は個々人でどうにかして欲しいですが、現状の生成AIのサブスクビジネススタイルは長続きしないって話は聞きますね。
今後を占う兆しとしては弱いですが、イーロン・マスクが政党立ち上げたみたいですし、宇宙開発みたいに国とズブズブの関係になっていくんじゃないでしょうか。国家のインフラとして生成AIの維持費は税金で賄う可能性。
後はロボット工学とAIの組み合わせも活性化しているって話も聞きます。AI搭載ロボットの開発過程での副産物で経済を回せないものだろうか…とか考えてみたり。
>Dr.STONE
眼鏡が作れれば眼鏡っ娘にモテる…真理だな。
No.510cosmos7月23日 17:56
激務の末端幹部を唆して離脱させる今年のプリキュアさんは狡猾。
>海外の批判的コメディ
ああ、確かにそれはあるね。日本ではドラマは娯楽性を期待されてるけど、欧米ではドラマを通じて社会問題を共有・周知することが期待されているのでしょうね。
>「#MeToo」運動
日が当たらなかった部分にスポットを当てるのはいいんだけど、10年以上前の投稿を掘り返されてバッシングされた、みたいな話を見るとあっちもなかなかだと思うね。
つまるところ、キリスト教は「(人間が勝手に決めた)正しさ」を信じていて、日本人は「(人が勝手に言っている)良いこと」を信じている。そしてそのどちらもコロコロ変わる。
>高度プロフェッショナル制度
2年前のデータですが26事業場(24社)/823人しか適用されてないですね。たぶん濫用されないよう厳格に基準を設けたんだろうけど、そのせいで使う人(会社)もほとんどないって状況。
>時計の針が「一斉に」反対方向に触れて時代が後戻りする
日本に比べて欧米の方が振れ幅が大きいけど、当然中の人たちも「極端すぎない?」って反動がある。しかもこの手の推進する人たちはエリート層だから中間層以下との温度差も大きい。
>「持つ者と持たざる者」との間の情報格差
これ、地味に深刻になっていくでしょうね。
Netflixが見れるかどうか(サブスク代が払えるかどうか)程度ならまだしも、当該サービスを知っているかどうか、使えるかどうか、応用できるか、仕組みを理解できるか。サービスを使う人とサービスに使われる人にどんどん分かれていく。
それに合わせて時間の活用にも差が出てくる。YouTube然りAmazonプライムビデオ然り、課金しない人は広告を見せられて時間を消費させられる。現代は時間すらもコスト(通貨)になっている。
ChatGPT(無課金)さんはこう仰っていますね。
今の社会は「視線(Attention)が資源」とされるAttention Economy(注意経済)に支配されており、
・視線を集められる人(YouTuber、TikToker)は収益を得る
・視線を提供する人(視聴者)は広告を見せられる
という階層的構造が形成されています。
つまり、「何を見るか」「どこに時間を費やすか」が、かつてないほど搾取/投資の境界線になってきている。
「無料で済ませようとする行動パターン」や「自分の可処分時間を何に使っているか」を定期的に見直すことは、現代を生き抜く“知的防衛”の一つと言えるでしょう。
なお、ワイは広告ブロックと動画倍速プラグインを使って踏み倒している模様。
No.509いっしゅう7月22日 13:39
と、いう訳で8月いっぱいまでは例年同様書き込みは控え目になるかと思いますのでご了承ください(その分今回は長文になってしまったw)。
>成長を望む(強制される)キャリア志向とは別に、脱成長を望むスローキャリアも同時によく耳にする話
>働き方としては二分する方向に動くんじゃないか
成程、言われてみれば確かにそんな気がします。すっかり忘れていましたが、働き方改革の一環として2019年に設けられた「高度プロフェッショナル制度」がまさしく二極化の典型例かもしれません。確かこの制度の導入当初は「時間外労働・残業代未払いがなし崩し的に拡大し、労働基準法が実質的に骨抜きにされる」といった批判も巷では喧しかった思い出がありますが、今のところ当初の制度設計を(恐らく)大きく逸脱せず運用されているみたいですしね。
https://xn--alg-li9dki71toh.com/roumu/work-style-reform/highly-professional-workers/
この事例に限らず、政治体制にせよLGBT運動にせよ、時計の針が「一斉に」反対方向に触れて時代が後戻りするようなことは起こりにくく、モザイク状にますます多様化する(=混迷の度合いを深めていく)のが当節あるあるなのかもですね。
>資本力のあるプラットフォームしか生き残れなくなるから、寡占化が起きて、そこのルール(数量規制、コンテンツの縛り)が実質的なスタンダードになる
寡占化による情報バイアスが生じやすいということに加えて、プラットフォームに課金する余裕があるかないかによっても、得られる情報の精度が大きく変化していくようにも思います。「持つ者と持たざる者」との間の情報格差は今後ますます広がっていくのかもしれません。
>現実では少数派なのにネットでは多数派に見えたり
(↑)これと御大の指摘される「予防的回避」行動が合体することで、現実社会では眉を顰められがちな極論や暴論が、SNSによって広く拡散され社会全体を動かすまでになることも最近では珍しくないように思います。今回の参院選の結果をみてもそんな気がしますね。
>対照的にキリスト教圏を中心とする欧米文化では空想と現実の線引きが相対的に薄く、内面までも道徳や倫理の射程に収めようとする傾向があります
>キリスト教的な考えでは空想、心の中でそう思ったことは行動にも繋がる、空想が現実に影響するのではないか、だから積極的に働きかけるべきではないか、という発想になりやすい
御大が指摘される通りだと思います。そもそもユダヤ教の律法(トーラー)自体が既に「創造神ヤハウェに対する内面の服従まで要求する」ものですからねぇ(↓)。
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「ヤハウェは言われた。この民は口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ。」(イザヤ書29章13節・新共同訳による(以下同じ))
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で、新約聖書ではそのイザヤの預言に触れた後、イエス・キリスト自らこう語っていることもあって(↓)、仰る通りキリスト教文化圏では「内面と外面とは地続き」という発想になり易いでしょうねぇ。
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イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」(マタイによる福音書15章16節~20節)
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ただ、上記の引用の最後にも出て来る通り、イエスの教えはそこから更に進んで「律法が制定された意図(=被造物である人間の幸福を実現するため)を正しく把握してさえいれば ― つまり内面が整ってさえいれば ― 外面上の体裁(=教えの履行不履行)に縛られる必要は一切無く、むしろ積極的に外的行動に移すべきである。」と断言するまでに至ります。この点は「内面と外面(空想と現実)を明確に分けて捉える」日本人には持ち得ない発想かもしれないですね(むしろ陽明学で言うところの知行合一とかとシンクロする考え方でしょうか)。
【参考・マタイによる福音書12章1節~14節】
(※ 因みにこの箇所でファリサイ人達がイエス(とその弟子達)を非難した理由は、口伝律法(=律法から派生したユダヤの言い伝え)においては「収穫、脱穀および病人の生命に直接関係しない医療行為等」は“安息日に行うことを禁じられている労働行為”に該当すると解釈したためです。)
https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.12.%2525E6%252596%2525B0%2525E5%252585%2525B1%2525E5%252590%25258C%2525E8%2525A8%2525B3
いま思い付きましたが、イエスのこういう考え方って、例えば17世紀に英国の哲学者ジョン・ロックが唱えた抵抗権(=もし政府が権力を濫用する場合は、人民は政府に対して抵抗する権力を持つ)とか、『バイセンテニアル・マン』のクライマックスの台詞にも影響を与えているように思いますね。
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「つまり、死ぬ手配をしてきたというの、アンドリュー? まさか。まさか、そんなことができるはずがないわ。[ロボット工学三原則の]第三条違反よ」
「そうではない」とアンドリューは答えた。「いろいろな死があるんだ。リー・シン、第三条は区別をつけないが。しかし、わたしは区別する。わたしがしたのは、肉体の死か野心と欲望の死かの二者択一だった。より偉大な死を犠牲にして肉体を生かすこと ― それがほんとうの第三条違反だ。…… ロボットとして永遠に生きるくらいなら、人間として死ぬ方を選ぶよ」(アシモフ&シルヴァーバーグ『アンドリューNDR114』創元SF文庫2000 p.363~4より引用)
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>空想に現実を持ち込むことへの嫌悪感や不快感
>海外の、政治や社会問題を扱った「批判的コメディ」が日本で受け入れられない
確かに。政治的スタンスを公言しているアーティストが欧米では珍しくないのに対し、本邦では皆無である点(公言する人はほぼ例外なく芸能界を引退して政界入りする)とか、批判的コメディに限らず政治・社会問題を取り上げた国内エンタメ作品がほぼ存在しない(=一般ウケしない)点とかも、同様の理由から生じているように思います。一方同じ東アジア圏でありながら韓国では『タクシー運転手 約束は海を越えて』のような政治色強めの映画群が隆盛を極めているのは、カトリック・プロテスタントを合わせたキリスト信者が韓国国民の約3割を占めていることと無縁ではないのかもですね。
https://note.com/hogenosuke/n/n74ebdba8f944
>今週のプリキュア
売り言葉に買い言葉的な流れとは言え、現役JCに剥き出しの腹部を開陳するっていうのは当節事案以外の何物でも無いですなぁw(呆れ)。とは言えザックリーさんも光堕ち間近ですし、いよいよチョッキリーヌ様が名ばかり管理職と化して現場に出張ってくるしか無いのかしら?
>最近の読書
● 中村圭志『亜宗教 ― オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで ― 』
https://amzn.asia/d/3rR1zE1
広く浅くではありますが「宗教&宗教っぽいもの」全般をバランス良く考察し、無難に一冊に収めた欲張りセットという趣ですね。個人的には各事項の内容そのものよりも、まさに正論と言っても差し支えない著者自身の記述スタンスの方に心惹かれました(↓)。
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亜宗教(=近現代に生まれた、非科学的で宗教めいた信念や言説)が人類の知恵の発展に積極的に寄与することは概ね無いと言えるだろうが、しかし、人類思想史の裏面を教えてくれるという意味で、貴重な情報アーカイブとなっているのである。(p.12)
――
クランシーの報告内容は、宗教、疑似科学、偽史、フェイクニュースの信者のケースによく似ている。彼らはいずれもテコでも自らの信念を曲げようとしない。議論を持ち掛けたところで水掛け論(神学論争?)が待っているだけである。どうやら人間とは、事実やら「不都合な真実」なんかのために生きている動物ではないのだ。自分という存在に深い満足を感じたいがために生きている。(p.175)
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すなわち、物理的な意味でのソリッドな事実というものを馬鹿にしてはいけない。解釈はいつも多様だが、どんな解釈もOKというものではないし、解釈イコール事実というわけでも、事実が解釈とともに雲散霧消するわけでもない。そのあたりを(自然科学用語であれそうでないのものであれ)やたらと観念的な用語や比喩をもって華麗なレトリックでごまかして考えるのは、思想と文化そのものの衰退の道でしかないのだ。(p.250)
――
というのは、 理論としての無神論は、その論理を理解するのにそれなりの修練の手間がかかるからだ。つまり、最初から宗教に関する知識もなく、自分のなかの宗教的願望にも気づいていないような人が、ただ、トレンディだから、権威者が言っているから、自らのアイデンティティのよすがにしたいからというだけで「無神論」をやっているのなら、それはどちらかというと「宗教」的な態度である。そのように曖昧な姿勢であれば、いざ自分が人生に挫折して、それまで死のことなんて考えたこともなかったのに急に死の強迫観念にとらわれたとき、手もなく天国や輪廻や交霊術を信じるようになるかもしれない。(p.283~4)
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本書を読むと、改めて人間というのは「根拠の無い確信」無しには生きられない、面倒臭い生き物だなぁと思わずにはいられませんねぇw(苦笑)。
No.507この道の者7月21日 18:31