MENU

のぞみ「こうすればあなたと話せると思ったから」

 「敵勢力との対話」を明確に打ち出した点は、『Yes!プリキュア5』でののぞみvs.デスパライアを思い出しますね。ただあの時は鋼メンタルの主人公が不安に苛まれるラスボスに手を差し伸べるという構図だったのに対し、今回はソラよりもスキアヘッドの方が年相応に達観しているというか、精神面でより安定しているように見受けられます(それでもラストでは気迫負けして撤退したように見えましたがw)。御大が常々指摘されるように、プリキュアシリーズの主人公には過度に聖母的な役割を押し付けない、とする制作者側の意向が近年強まっているのかもしれませんね。


>自分のために意志があるんじゃなく、他人に伝えるために意志(「私はこう思います」「わかりました」)が発生したって考える方が筋が良さそう

 確かにそれも一理あるかも。意志と言葉との繋がりを論じた文章に今のところお目に掛かったことはありませんが、興味深い見解ですね。


>地球外少年少女

 おや、監督が『電脳コイル』と同じ人で、しかも全6話というコンパクトな仕上がりなのですね。取り敢えず第3話を録画しましたが…今からでも視聴は間に合うかな?そういえば15年も経つのに『電脳コイル』で登場したメガネ型のウェアラブルデバイスって全然普及していませんね(苦笑)。


>『傷つきやすいアメリカの大学生たち』

 「大学生らが集団で教授を糾弾し吊るし上げる」って紅衛兵やら全共闘やらがキャンパスを席巻した半世紀前の話かと思ったら、現代の米合衆国の話なのですね。今やすっかりリベラルの天下と化した米国の大学では「自らを不快にさせるものは徹底的に排除されてしかるべき」との“お気持ち”は全てに優先するとばかりに、自分達の掲げる「多様性の尊重」に少しでも異を唱える教師や言論人を脅迫する(暴力を振るう、社会的地位を失墜させる)行為は「学生に与えられた当然の権利」だと見做す大学生らが多数闊歩しているということか…しかし本当に多様性を尊重するのだったら、ゴリゴリの保守の言説だって認められるべきですよねw?(困惑)。

 著者曰く、親世代が良かれと思って大事に大事に育てた結果「ピーナツアレルギー」だけでなく「モンスターチルドレン」をも大量に生むことになったみたいですね。いやはや子育てって何とも難しいものですねぇ(←他人事じゃない)。日本の大学はまだ米国の段階までは行っていないと思うのですが、ネット記事などをつらつら眺めるにこういう思考パターンを持つ人の割合は徐々に増しつつある気がしますね。

 それで思い出したのが、ちょっと昔の本ですが(↓)。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8B%E6%B5%81%E5%BF%97%E5%90%91%E3%80%88%E5%AD%A6%E3%81%B0%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%83%8D%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%89-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%86%85%E7%94%B0-%E6%A8%B9/dp/4062763990

◆◆◆
(前掲書より)

 消費主体は、自分の前に差し出されたものを何よりもまず「商品」としてとらえる。そして、それが約束するサービスや機能が支払う代価に対して適切かどうかを判断し、取引として適切であると思えば金を出して商品を手に入れる。消費主体にとって、「自分にその用途や有用性が理解できない商品」というのは存在しないのです。… ですから、先ほどの小学校に入ったときに、先生に「ひらがなを習うと、何の役に立つんですか?」と訊く子どもは消費主体としてごく自然な質問を発しているわけです。… そして、この幼い消費主体は「価値や有用性」が理解できない商品には当然「買う価値がない」と判断します。… 消費主体として出発した子どもたちは目の前に差し出されたものをつねに「商品」として見ます。そして、それを「値切ろう」とする。最小の貨幣で最大の商品を手に入れようとする。ふつうの商店で売っているものなら、貨幣をもってその代価に充てます。では、学校では何を代価に充てるのでしょう?

 学校では生徒たちは教育サービスの対価として貨幣を払うことができません。でも、なんらかのかたちで「貨幣」を差し出さない限り、「買い手」として等価交換の場に立つことはできない。では、彼らは何を貨幣に代用するのでしょうか? … それは「不快」です。五十分間の授業を黙って耐えて聴くという作業は子どもたちにとっては「苦役」です。彼らはその苦役がもたらす「不快」を「貨幣」に読み換えて、教師が提供する教育サービスと等価交換しようとする。… 彼らは学校に不快に耐えるためにやってくる。教育サービスは彼らの不快と引き換えに提供されるものとして観念されている。ですから、教室は不快と教育サービスの等価交換の場となるわけです。… 仮に、その授業の価値が「十分間の集中」と等価であると判断されると、五十分の授業のうち十分程度だけは教師に対して視線を向け、授業内容をノートに書く。そして、残りの四十分間分の「不快」はこの教育サービスに対する対価としては「支払うべきではない」ものですから、その時間は隣の席の生徒と私語をしたり、ゲームで遊んだり、マンガを読んだり、立歩いたり、あるいは居眠りをしたり、消費者である子どもにとって「不快でない」と見なされる行為に充当される。… 決められた時間以上授業を聴かないように必死の努力をしているのに、どうしてそれを単なる怠惰や不注意のようにとらえるのか(と、彼らはほんとうに怒っているのです)。
(前掲書、第1章 学びからの逃走 p.44-9より抜粋)

◆◆◆

 教育を扱った両書に「不快」なるワードが共通しているのは単なる偶然ではないように個人的には感じています。要するに教育現場で学生たちが表明する「不快」なる感情の出所を、資本主義的行動様式が齎す当然の帰結だと内田氏は論じているのですが、この点は「学生たちは親世代に甘やかされて育てられたからそうなったのだ」とする『傷つきやすいアメリカの大学生』の著者よりも一歩踏み込んだ分析のように私には映りました。そしてその「不快」が米国では専ら外向きの攻撃として、本邦では消極的な授業サボタージュとして顕在化しているということなのでは無かろうか、と私は考えています。


>オトナプリキュアの地元愛

 おや、プリキュア5GOGOの面々と地域との繋がりって、本編ではあんまり感じませんでしたけれども(そもそも街並みが中世ヨーロッパぽかったし)…その辺り湘南が舞台の『Splash☆Star』に寄せて来たのかな?
 
 しかし依然としてタイムフラワーの存在が謎だなぁ、単なるウルトラマンのカラータイマー的役割では無さそうだし。


>大体そんな感じで合ってる

 あら嬉しい(笑)。思い付きで書いてみたんですが、偶々的を射ていたみたいですねw。

編集・削除(編集済: 2023年11月28日 06:29)

一体いつから自分には意志があると錯覚していた?

>こまちの小説をボロクソに言った
 そういえばそんなんだったなー、あいつw
 プリキュア勢が軒並み凹んでるから、そのメンター役するためにもシロップやナッツはいい感じに成長してるね。


>「自由である」と錯覚さえする「意識」とは何なのか?
 人間は後天的に記憶や経験から最適行動ができるように進化したんだろうけど、強いて言えば言葉のせいじゃないかな?
 人間がなんで言葉使うかって、おそらく共感能力含めて仲間と意思疎通を図るためだから超社会的(社交的)動物なわけじゃん。そう考えると自分のために意志があるんじゃなく、他人に伝えるために意志(「私はこう思います」「わかりました」)が発生したって考える方が筋が良さそうではある。脳の伝達を言葉に一旦置き換えるせいでそれを意志と錯覚してるとか。実際、言葉を使わない動物(人間含む)の衝動と意志って区別つくのか?w


>地球外少年少女の監督
 どことなく話運びや世界観似てたからたぶんそうだろうと思った。
 何ていうかテクノロジーに生活感があるんだよね。下手なSFはそこができてなくて。馴染んでいるはずのテクノロジーが、それ故に人間を危機に陥れる的な雰囲気作りが上手い。
 それにしても電脳コイルから15年か。正直電脳コイル以降、当該作品を超えるSFにまだ出会えてないな~。

編集・削除(編集済: 2023年11月25日 10:53)

人外の恩返し

 自己完結型→思い込みが強い→夢見がちな乙女
 何やっても女子力に繋がるましろさん概念ずるい定期。
 紋田の正体が奇跡的に誤魔化せてるのもあるけど、ましろが「客観的にどう」より「自分にとってこう!」で動く子だから成立するエピソードですよね。

 ついでに外面の良い紋田が接客業やってたの、偶々かもだけど適職に就いたなーと。プリキュア側もそうですが、技術的な事は半ば自然に最適化されて行く感じですね。
 紋田もプリキュアも、重要なのはその先…って事か…

>本作は「べき」論を極力排している
>その価値観が人の目を曇らせることもある
 夢があったらあったで、無かったら無かったで、事ある毎に視野狭窄に陥っては矯正を繰り返している作品でもありますね。
 視野狭窄に陥っても生きて行ける能力に鈍感さがあるとするなら、ソラの感じ易さは視野を広く保つ事に長けていると言えるのかも知れません。
 とは言え、今のままだと「毒喰らわば皿まで」の精神で突き進んでボロボロになるか、全てを投げ打って引き篭もるかのどっちかにしかならない気がしますし、ある意味「べき」論を書き溜めている手帳の事も気になります。
 潜伏期間と言える様な現状も相まって、先の見えない子ですね。

>オトナプリキュア
>曖昧な態度取ってるココが悪い
 まぁ、何も考えてないんでしょうねw
 精神ヤられてても主役は女子。主導権を女性側に置く為にも、ここは男には優柔不断なイエスマンになって貰うのは必定。
 仮に「黙って俺に付いて来い」ムーブで記憶を失ったカナタみたいなハズレ選択肢を言ったとして、それを突っぱねるメンタルが今ののぞみにあるかどうかって話よね。

>昔のシロップとうらら
 う~ん…昔のシロップはやさぐれていたのもあって、歯に衣着せぬ物言いをしていた気はしますね。
 その延長と思えば、うららにある程度の免疫ができていたのでは?と思わないでもないです。

 シロップに限らず、当時の妖精組は捻くれるなりやさぐれるなり、何なら今のプリキュア組並みに精神ヤってた気もします。
 ナッツとか目茶苦茶丸くなったな~って思いましたもん。こまちの小説をボロクソに言ったあのトゲとカドは何所に行ったのか?とw
 そう考えると、今作の妖精組が微妙にクサい考え方してるのも、単なるイケメン・妖精補整だけではないのかも知れません。
 かつてプリキュアに救われて、今もプリキュアを信じている存在からの、細やかな恩返しなのかも知れないな、と。


>リベットの実験
>針小棒大に拡大解釈して吹聴するきらいがある
 現場の事は知りませんが、「自由意志って怪しいと思うけど決め手が無いなぁ…」って思ってた学者が、インパクトのある研究結果をダシにして自説を展開するって事はあると思うし、しゃーない事だとも思いますw

>完全独立した意志
 リベットの実験でも被験者はなるべく外部の刺激を遮断された状態で、自分の好きなタイミングでボタンを押せるので「完全独立した意志」っぽい体にはなってますね。タイミングを計る為に円盤の絵は見ますけど。
 僕はリアルタイムの刺激が無い状態でも、記憶なり何なり何某かの因果関係に囚われた脳活動によって「ボタンを押そう」と思う意志は発生すると考えてるので、「自由意志は無い」という立場を取っています。
 (「意識」と「意志」の関係の問題は端折るとして、)そうである場合、自分の脳活動を網羅的にモニターできず、「自由である」と錯覚さえする「意識」とは何なのか?に興味がありますね。

>「シュレディンガーの猫」の思考実験を持ち出して自由意志を論証しよう
 改めて調べてみましたが、大体そんな感じで合ってると思います。(↓)
https://note.com/free_will/n/n4ecf51d8d809

 僕自身のイメージは、「脳は量子コンピューターである」とか「マルチバース理論」とかの仮説ですが、これらも自らの意志で結果を選んでいる訳ではないですからね。
 (真面目に調べようと思ったらもっと信頼性のあるテキストを探すべきなのでしょうが、流石にシンドイのでご容赦のほどを!!w)


>地球外少年少女
>電脳コイル味
 ご明察(↓)。流石にオーラを隠せませんでしたかね?どこぞの元アイドルとはえらい違いだw(コラ)
https://chikyugai.com/

 という事で、大体同じ人が作ってるみたいですね。
 宇宙で遭難・サバイバルしている中で、インプラントの危険性や史上最高のAIの暴走事件などなどキナ臭さも漂ってきて、楽しみになって来ました。
 ステレオタイプなキャラとテンプレ展開も、掴むもの掴まれたら「王道の良さ」に見えてくる不思議(苦笑)。

>魔法使いの嫁
 真っ先に土下座しなきゃいけない二人が置いてけぼりくらってて草。
 割と良識のある大人が、甘ちゃんな若者に対して何故かキツく当たるの何度か見た事ありますが、ぶっちゃけ実は羨ましがってんじゃないかって思ったり。
 チセの母親しかり、問題の根本に「変容した母性」が見られるのは、恐らく意図しての事なのでしょうね。

編集・削除(編集済: 2023年11月22日 03:30)

『都市と都市』借りて積んでるけど、ミステリで大長編って確かに冗長だよなぁ(苦笑)

>道徳観を生得的に持っている
 20年くらい前に読んだ(精神科医が書いた)心理学の本に書いてあったよ。赤ちゃんを使った実験とかで。『理系が恋に落ちたので証明してみた。』ってアニメでしきりに「オキシトシン」って言ってたと思うけど、ああいうホルモン系の分泌も理由にはなるかな。
 学問的に決着がついているかは知らない。どっちにせよ、人間が言ってることだから「とりあえず今はそういうことになっている」程度でしか私は認識してないw


>アメリカ合衆国では分断が更に加速し~議員レベルですら党を跨いだ対話が成立しにくくなっている
 そんなあなたに『傷つきやすいアメリカの大学生たち』
https://www.amazon.co.jp//dp/B0BNHCMWH3/
 この本も例に漏れず記述があちこちに散らばってて読みにくいけど、アメリカの分断について大学生、教授陣、政治家について説明されています。まだ半分読んだところだけど飽きてきた。
 政治家については、昔は両議員が一緒にミーティングできる場があってお互いに顔見知りだから妥協なり根回しがしやすかったんだけど、今は(意図的に)その場を撤去したので歩み寄るのが難しくなっているみたいですね。ネットとかもそうだけど、相手の顔が見えないと攻撃性や思い込みが激しくなったりするんじゃないかな。民主党と共和党支持者も対立する党に対するイメージは年々悪化している。もう敵か味方かの思考。トランプが支持されているのも共和党支持者からすれば民主党は敵でしかないので、支持一択みたいな感じになっているのかもしれませんね。

 盲点だったのは教授陣の派閥。昔は左と右で左の方が割合的にちょっと多かったらしいんですよ。基本知恵つけるとかぶれやすくなるので。現在はその比率がどんどん開いちゃってほとんど左寄り。すると右派の論文が蔑ろにされたり、発言力が下がったりして言論や思想のバランスが傾く。ついでに左派同士で「総括」しあったりねw だから妥協とか歩み寄りよりも右と左で対立しやすくなっている。
 大学がそんな感じだから校風とかもそうなって学生に影響を与えているっぽいんですね。SNSの影響も大きいでしょうが。

 日本でも「それ単にお前が気に入らないだけだろ」な主張がネット上にチラホラ散見されますが、アメリカはもっと酷いようです。たまに教授が難癖つけられてクビ切られるニュースを聞くように、ああいうのが横行してる。論文を議論するとかじゃなくて、特定のワードが入ってたから排除! 俺が気に入らないから排除! そんなレベル。発言者の意図ではなく聞いた側の感情が優先される。サルに言葉は通じない。


>地球外少年少女
 2話から見たけど、いわゆる漂流ものか。どことなく電脳コイル味がある。

編集・削除(編集済: 2023年11月21日 08:22)

こんなに引っ張るとはなぁ >バッタモンダー

 この分だと最終決戦で少しだけ見せ場があるのかもしれませんね…それはそうと、主人公の筈のソラの存在感がどんどん希薄になっているような気がするのは私だけw?


>どちらかというと「反射」に近い実験
>個体としてみればそれが意志か衝動かなんてさほど変わらん

 私も同感ですね。例えば以下のような状況を考えてみるとします。小学生らが公園で野球をして遊んでいたとして、打った球が運悪く近所の家の窓ガラスを破壊したため、すわ怒られては大変と一旦は蜘蛛の子を散らすように現場を離れたものの、後でやっぱり悪いと思って皆で謝りに行ったとして…「最初に逃げた」のも「後で謝罪しに行った」のもどちらも意志には間違いないでしょうしねぇ。まぁ前者の方がより衝動に近く、結果後者の方を「より高次の意志」と呼べるのかもしれませんが(意志そのものに倫理的判断を持ち込めるのなのかどうかまでは分かりませんけれど)。


>道徳観っていうのも、何も人間の崇高な理念や理性(ゼロ)から生まれたわけじゃなくて、生得的に持っている選好みたいなものとしてプリインストールされてる

 (↑)これって歴史的には「大陸合理論」の系譜に属するデカルトが唱えた「生得観念」に由来する哲学的スタンスですよね。てっきり現代でも論争が続いているものだとばかり思っていましたが、学問的に決着が付いているんでしょうか?

◆◆◆

 生得観念:人間が生まれながらにもっている観念。神の観念や善悪の観念が、その例とされる。デカルトは、無限な実体である神、有限な精神的実体(精神)と物質的実体(物体)を生得観念とした。ロックは、経験論の立場から生得観念を否定し、人間の心は「白い板」(タブラ=ラサ)、つまり白紙であると説いた。
(小寺聡 編『もういちど読む山川哲学 言葉と用語』p.241-2より )

◆◆◆


>「量子力学では確率で決定されてるから、そのランダム要素が自由意志と呼べる」みたいな説
>確率と自由が同じな訳ねーだろ

 つまり、あの有名な「シュレディンガーの猫」の思考実験を持ち出して自由意志を論証しようという人達がいらっしゃるということでしょうか?生きている猫または死んでいる猫を「自由に」選び取れる訳でも無い訳ですから、私もcosmos様同様、個人的には無理筋な考え方では無いかと思いますね(笑)。


>チャイナ・ミエヴィル『都市と都市』

「まるで見世物小屋だ。こんな奇妙でちっぽけな二つの都市を、外の人間が気にかけているとでも思うのかね?」

◆◆◆
(大森望氏による巻末解説より)

 ふたつの街[べジェルとウル・コーマ]は、地理的にほぼ同じ場所を占めている。社会体制の違うふたつの都市がひとつの土地に同居するといえば、(壁が崩壊する以前の)東ベルリンと西ベルリンを思い出すところだが、べジェルとウル・コ―マのあいだに物理的な壁は存在しない。にもかかわらず、ふたつの街のあいだには厳然とした区別があり、両国の国民はたがいに相手の国が存在しないものとしてふるまわなければならない。そのため、一方の都市の住人は他方の都市の住人(および建物や車など)を見ることも、声を聞くことも禁じられている。ふたつの都市国家が同じ場所に共存していることは、けっして認めてはならない公然の秘密なのである。このもっとも基本的な決まりに違反すると(=〈ブリーチ〉行為をおかすと)、〈ブリーチ〉と呼ばれる謎の組織がどこからともなくあらわれ、違反者を連行する。〈ブリーチ〉はほぼ無制限の巨大な権力を持ち、両国の国民にとって、かぎりない畏怖の対象となっている。…… べジェルとウル・コ―マの国民は、幼い頃から厳しい鍛錬を積み、相手国のものを〈見ない〉(unsee)、〈聞かない〉(unhear)ことを叩き込まれる。とはいえ、見ていいかどうかは見てみないと判断できない。どっちの国の人間なのかは、服装やしぐさや歩き方ですぐに判別できるが、判別するためにはいったん視界に入れる必要があり、そうして目に入った〈異質〉部分(相手国に属するもの)は、見なかったふりをすることが求められる。…… しかし、両都市国家のあいだにまったく交流がないかといえば、そうではないから話がややこしい。両国はかつて二度にわたって、“短く悲惨な戦争”を経験しているが、現在はほぼ友好関係にあり、それぞれの旧市街の中心に位置するコピュラ・ホールを通ることで合法的に(〈ブリーチ〉行為をおかすことなく)両国間を行き来できる。べジェルの国民は、コピュラ・ホールからウル・コ―マに入国したとたん、いままで見えなかったウル・コ―マの建物や人々が見えるようになり、反対にべジェルの建物や人々が見えなくなる(ことを求められる)。

◆◆◆

 この奇想天外な設定を異世界ファンタジーものとしてでは無く、「現代ヨーロッパを舞台とした犯罪捜査ミステリー」に力業で無理矢理仕立て上げたような小説です。要するに地理的同居人(べジェル国民とウル・コ―マ国民)全員が草の根レベルで「裸の王様ごっこ」をやっていると思えばいい。それなりに興味深い設定でハマる人はハマると思うんですが、文庫で500ページ超えは正直冗長でした(苦笑)。設定の現実味という点でも細部における説得力に欠けるし、何より肝心のミステリ部分の話運びがまだるっこしくて種明かしも期待外れだったというのが致命的でしたね〜(毒)。

 そう言えば、現在のアメリカ合衆国では分断が更に加速し、民主党員らと共和党員らとがそれぞれお気に入りのメディアソースから互いに矛盾する報道“のみ”を見聞きして暮らすようになってきているため、議員レベルですら党を跨いだ対話が成立しにくくなっているらしいですね。「ひとつ土地に同居しながら、互いに相手の国が存在しないものとして振舞わなければならない」のでは無く「そもそも互いの存在を認める気すらない」ということのようです。今や現実の方が余程SF的だと言えそうですねw。

編集・削除(編集済: 2023年11月20日 23:11)

大人になっていく子と、なれない大人

 15年後
ツバサ「僕と結婚(式ごっこ)しましたよね、プリンセス」
エル 「はぁ? マジきもっ」
 エルちゃんはまた一つ大人になりました。

 ココ的にはこのまま自然解消を狙っている感じだろうか。そのわりには未練たっぷりだけど。いっそ25過ぎた女は賞味期限切れってクズ男ムーブした方が、グズグズの関係続けるよりいいのでは?と思わないでもない。


>ベンジャミン・リベットの実験
 この手のやつって限定的な状況で限定的な方法で行った結論(推察)を針小棒大に拡大解釈して吹聴するきらいがあるんだよなぁ(苦笑)
 心理学では昔から「悲しいから泣く」のか「泣くから悲しい」のか議論されてる(後者の見解がジェームズ=ランゲ説)。一応これも後者は証明されてるんだったかなぁ。だから感情の後付け解釈はそれほど目新しい考えでもない。まあ、後者が証明されたからって前者が否定されるもんでもないだろうけどね。たぶん両方普通に機能してる。

 リベットの実験がどんな感じかをイラストで説明したもの。
https://note.com/tky_2022/n/nbf009a8e7ce6
 これ、どちらかというと「反射」に近い実験だと思うんだよね。お前仕事するときとか、しゃべるときとか、文章書くときとか反射でやってんのかよと。段階を踏んで物事を考えたり、調べたりしながら意思決定したことねーのかよと。お前ギアをローに入れたまま24時間365日生きてんのかよと。
 意志をどこまで含むかっていう問題もある。車の運転とかほぼ無意識でやってる。これなんかはオートマチック制御しているようなもんだと思うけど、この無意識も意志の中に含まれると考えてもいいんじゃないの?と。寝ながらやっているわけでもないんだし。『ファスト&スロー』でいうところのシステム1と2の違いよね。
https://data.wingarc.com/fast-and-slow-19160
https://www.yuhikaku.co.jp/static/shosai_mado/html/1807/10.html

 もちろん、システム2の熟慮も結局脳が作り出してるじゃん。って話にはなる。
 短期的にも長期的にも人間は欲望や衝動に突き動かされている面があると思う。私がシゾイド的な言動をするのは、シゾイド的資質によって突き動かされているとも言える。けど、私はそれを自分の意志だとも思ってる。それって「反応」と何が違うのって言われたら人間にとってのそれが意志だと思うよ。その衝動がなければ意志になりようがない。何かを決定するには何かしらの判断(選好)基準が必要なんだから。個体としてみればそれが意志か衝動かなんてさほど変わらんでしょう。
 生理的反応から完全に独立したものを意志と捉える方が生物的に無理がある。リベットの実験が正しかったとしてそこから導き出せることは「人間には自由意志がない」ではなく「人間の自由意志は肉体に支配、あるいは大きな影響を受ける」。当たり前のことだよね。逆に完全独立した意志ってどういうもの? 毎回サイコロ振って決めるの? 経験や情報? それに縛られるの?


>法律論と自由意志幻想
 細かく見れば善悪の弁別能力は自由意志とはまた別だろうから、まずその行為の善悪(是非)について正常な判断ができたかどうかってアプローチはあるんじゃないかな。じゃあその判断能力は意志と何がどう違うの?ってツッコミだしたらキリがないけど。所詮意志も善悪も人間が勝手に言ってるだけの話なんで、ルール設定の問題だけど。
 ちなみに道徳観っていうのも、何も人間の崇高な理念や理性(ゼロ)から生まれたわけじゃなくて、生得的に持っている選好みたいなものとしてプリインストールされてる。生物的にその方が生きやすいんだろうね。だから人間の言う道徳感情も肉体から作り出されている。

編集・削除(編集済: 2023年11月15日 13:47)

束縛強め赤ちゃん

 エル「私と仕事、どっちが大事なの!?!?」

 …女の子って、やっぱ怖いっす…w

 噛み締めて観ると、実にひろがるスカイらしいエピソードだと思いました。
 こういう性差や年齢差を必要とする話は、今まではゲストを招かないとできませんでしたからね。ゲストに依存せず話を広げられるのは、本作の強みだと思います。
 そしてやっぱり本作の個人回と言えば「揃わぬ足並み」。周りと比べて置いて行かれる焦りとその修正は度々描かれていますが、これができるのもメンバー全員が一つ屋根の下で暮らしている本作だからこそですね。(過去作では各々のコミュニティで解決していて、プリキュアメンバーが重要な役割になる事はなかったかと。)

>この家、毎回なんかのイベントやってるな
 定期的なホームパーティーは上流階級の嗜み。(偏見?)

>行って来い少年
>ここの作画妙にヌルっとしてるな
 深読みすれば「オネショタ卒業」「あげはルート消失」という分岐点としての重要シーンの様にも見えますが…この作品、言うほどオネショタ推してませんからね…次のあげは回でツバサがまだお目付け役やってるかどうか、でハッキリすると思いますが…
 それにしても改めてツバエルはダークホースだったなぁ…とw放送前には誰がこの大穴中の大穴を当てる事ができたというのか?w

>お姫様抱っこ
 高機動タイプのロールは救援ミッションをあてがわれ易いので、助けに入ったどさくさに紛れて誰にでもお姫様抱っこをしてたりする。役得ですね。(血涙)


>人生に正解がないならどんだけ回り道しようが~
>~そういう柔軟さが人生には本来存在していると思う
 営業職、アリだと思いましたね。マーケティングなり何なり、デザインにフィードバックできるモノが得られない訳じゃないので。
 ただ、そういう前向きさが無いと(失われると)、そのつもりで異動したのにデザインに戻れずズルズルと何年も…って展開になってまた煮詰まるんですが。(苦笑)
 それを薄志弱行と捉えるか、最適化と捉えるか…「言い訳」と言うと抵抗がありますが、「意味付け」「解釈」と呼ぶ事もできるんですよね。
 …う~ん…でも自分はどうだろう?そういう柔軟さ、無い気がしますね。「ここで妥協したら一生戻れない!!」って危機感が常にある。締め上げてないと不安で仕方ない様な所、ありますね。


>法律論的には自由意志前提じゃないと、みんな心神喪失になりそうw
 鋭い。少なくとも自分の周りでは、「自由意志幻想」の話をするとそこにツッコみが入りますね。
 ベンジャミン・リベットの実験から提案される「拒否する力」にフォーカスすれば、その強弱で被告の刑事責任を問えるのでは?とよく言われますが…
 その「拒否権」の強弱も外部からの影響で幾らでも変わると言える訳で、じゃあやっぱり「自由意志幻想」の下では刑事責任は問えないんじゃないか?って話になりますし、自分もそれに同意してます。

 …というか、リベットの実験、検索しようと思ってたけど例によって固有名詞憶えてないから、どう検索したものか?と思ってたらこの道の者さんの引用先に書いてあったから助かりましたw有り難う御座いました。

 因みに、量子力学と自由意志の関係を論じるものの中には、「量子力学では確率で決定されてるから、そのランダム要素が自由意志と呼べる」みたいな説もあるらしいです。
 しかし僕に言わせれば、「確立と自由が同じな訳ねーだろ!?」って感じですね。


>地球外少年少女
 何やら一部の猛者たちが大絶賛しているSFがNHKで地上波初登場。
 しかして一話を観た感想は、「ステレオタイプな作り」という印象。
 果たして面白くなるのか?
 …と言うより、このテのガチSFは観ていて分かり難い要素は取り敢えず流して、後で理解できた時に合点する観方が正しいんだろうけれど、神経質な僕にはできない芸当で視聴時間がかさむのがツラい(苦笑)。

>フリーレン
 ハイパースゴスギレジェンドロングレンジ騙し討ち。
 組織的に復讐するのはフランメ的にもフリーレン的にもガラじゃないから仕方ないんだけども…
 この二人以外に魔族の生態に明るい存在が居ない事に、やはり違和感を感じずにはいられない。
 フランメが著書を遺さない事で情報を隠匿したり、フリーレンの魔法の蒐集の目的が情報の監視と独占だったと考えられなくもないですが、やっぱり無理がありますよね。
 時間的、空間的スケールの大きさが類稀なる長所として機能しているだけに、この「世界を動かす人物の少なさ」の違和感がどうしても際立ってしまうのが勿体無い…贅沢言ってるとは思いますが…
 フェルンの思春期の過ごし方もそうでしたが、「特別充実してる訳ではないけれど、特別やりたい事も無いからまあ良いか…」ってノリで年単位の時間が過ぎて行くのは、イマドキの作品って感じがしました。

編集・削除(未編集)

信仰の否定に繋がりかねない思想だからそりゃ迫害もされるか >スピノザ

>因果律に支配されている現代科学の世界観では、「自由意志」は存在しない

「神はサイコロを振らない」なる趣旨の発言をしたことで有名なアインシュタインがこの立場でしたね。調べてみると彼は若い頃にスピノザの影響を受けていたみたいです。

◆◆◆

 スピノザは完全な決定論者でした。すでにニュートン力学が確立されていた当時、初期条件さえ与えれば、ニュートンの運動方程式を用いて物質の時間発展は永遠に計算できる。すべては宇宙の最初に決まってしまっているとする決定論は、物理学のみならず哲学にも大きな影響を与えていました。…… 学問のためには名誉や資産も捨てるスピノザに、アインシュタインは強く尊敬の念を抱きました。なおかつ、スピノザが考えていた無制限の決定論は、アインシュタインの思いとまったく同じものでした。アインシュタインもまた、宇宙創造後の発展はすべて科学法則にまかされていて、人間は自由意志をもたないと考えていました。スピノザとの思想の一致は、若きアインシュタインにとって大きな心の支えになったのです。(三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで』講談社ブルーバックス2018 p.144-5より)

◆◆◆

 しかしそのアインシュタインの信仰にも似た信念も、後の1920年代にドイツの理論物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクが唱えた不確定性原理によって完膚なきまでに打ち砕かれることになるのですが(苦笑)。

◆◆◆

 不確定性原理によって、量子力学には「波か粒か」という二重性のみならず、「位置と運動量」の不確実性という二重性もあることがわかりました。初期条件として位置と運動量さえ与えれば、過去と未来のすべてにわたって位置と運動量が弾き出せるというニュートンとアインシュタインの決定論は、ことミクロの粒子の世界においては全く成り立たなくなったのです。(同 p.197より)

◆◆◆

 じゃあやっぱり人間には自由意志があると言えるのか、と思いきや…最新の脳科学の知見によると、cosmos様の仰るように(大筋では)否定されているみたいですね(↓)。
https://www.nhk.jp/p/ts/26ZY61Z6J6/episode/te/RJ7W3PN1G2/

 因みに、17世紀を生きたスピノザも同じようなことを既に考えていたみたいです(↓)。天才の直観ってヤツはやっぱりスゲーわw。

◆◆◆

― われわれはあるものを善と判断するがゆえにそのものへと努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するがゆえにそのものを善と判断するのである。― (『エチカ』第3部定理9の備考)

 ふつうわれわれは、自分で目的を立て自分の自由な意志で行動していると信じている。ところがスピノザによると、自然の中で起こっているのはその逆である。言い表すことのできない衝動がすでにあってわれわれの行動を生み出しており、われわれはそれをいわば遅ればせに欲望として感じている。そして問われると、この欲望意識をもとに、自分はしかじかの目的に向って自由な意志で行動しているのだと解釈し、自分にも他人にもそういうふうに答えを返すようになっている。(上野修『スピノザの世界 神あるいは自然』講談社現代新書2005 p.31-2より)

◆◆◆

>法律論的には自由意志前提じゃないと、みんな心神喪失になりそう

 同感ですね。刑事事件の弁護士にしてみたら仕事がやり易くなって重宝がられているかもしれませんねw(ひどい偏見)。
 因みに以下の記事によると「自由意志の存在を疑う人間は闇落ちし易くなる」らしいですよ(笑)。
 https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/


>●クソみたいな驕りと油断で死んだ魔族●に1名追加

 「魔族が魔力を隠さない」のは、いわば魔族内の社会学的理由に拠るものだ…ということか、成程なぁ。作品の世界観の細部がしっかり作り込まれていることで、地味ながら物語に深みや説得力とを与えていますね。今のところ作画も中の人の演技も個人的には言うこと無しですし、このまままずは1クールを無事に乗り切って欲しいと思います。


>今週の本編

 キュアマジェスティが外見相応の精神年齢を獲得するための前段階、とも言える今回のセレモニーでしたね。ツバサの声が現在絶賛石化中のヘタレの銀狼っぽくなっていたのはご愛嬌w。


>「昔のりんならこうして私に頼ることもなかったし、こんな話もできなかった。大人も悪くないんじゃない?」 
 社会の荒波に揉まれたこともあり、中坊の頃にあんなに尖っていたりんちゃんさんも随分と素直で丸くなったものですね。こんな風に本編から一歩進んだ関係性が描かれるのもオールドファンとしては嬉しい限りです。


>今週の読書:ミステリージャンル

『でぃすぺる』とやらが貸出中でしたので、これにしました(↓)。何せ500ページ超えなのでまだちょっと読み切れない。読了して思う所があればまたプレゼンするかもしれません。
https://www.amazon.co.jp/%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%A8%E9%83%BD%E5%B8%82-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%ABSF-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB/dp/4150118353


>私は地位非一貫性が江戸時代の社会を安定させていた面にこそ注目したい。社会に地位非一貫性があれば、革命はおきにくい。身分による不満や羨望が鬱積しにくく、身分と身分が、そこそこのところで折り合って、平和が保たれるからである。

 武士は実より名を、一方商人は名より実を取ったということか。確かに徳川幕府が約260年続いた一つの要因だったのかもしれませんねぇ…他にも「芸は身を助く」や「社会の枠組みを新たに設ける者が一番美味しい思いをする」等等…いや、実に勉強になる読書でしたw。

編集・削除(編集済: 2023年11月13日 23:04)

優先度

 こまちはシャドウ探すより職を探した方が良いと思うんだよなぁ(苦笑)


>現代科学の世界観では、「自由意志」は存在しない
 法律論的には自由意志前提じゃないと、みんな心神喪失になりそうw

>近代を規定するイデオロギーの一形態に過ぎない
 確固とした強い意志を持っている人はどうやって社会性や共感、コミュ力と両立してるんだろうね。
 人間の在り方を一面的に定義するのは窮屈でつまらないねぇ。


 正気の人間なら望まないこと(つまり人殺し、殺されること)を戦場の兵士が実行する第一の動機は、自己保存本能ではなく、戦友に対する強力な責任感である。(『戦争における「人殺し」の心理学』)


>魔法使いの嫁
 2歩進んで3歩戻ってる感。学校が外界と切り離されたから、デスゲームなり殺人事件でも起こるのかと思えば不幸自慢大会開催で草。
 フィロメアがまんまFateの桜ポジションで、どこまで寄せていくのかな~って思いながら眺めてる。

>フリーレン
●クソみたいな驕りと油断で死んだ魔族●に1名追加。
https://twitter.com/FRIEREN_PR/status/1722987573868474850

 どこに力入れるべきかスタッフわかってるじゃない。

編集・削除(編集済: 2023年11月11日 11:48)

バッタ君、有言実行してるのも偉い

 完全敗北した時に宣言した通りに、ちゃんと嫌がらせを続けているの偉い。(尚、対象には気付いて貰えてない模様)

>好きな事=精神的な逃げ道
 社会や自分自身からの批評から完全に独立できる趣味を持てるって、結構特殊な才能だと思うんですよね(汗笑)。
 現代だと趣味の成果を簡単にネットに流せてしまうから、余計に難しいと思います。
 だから「プリキュア活動」という、人から隠れてコソコソやる事に意義がある行為を、大人になっても持てたというのは結構ラッキーな事だったんじゃないかな~と思ったり。

 後は酒と友達が一般的な逃げ道なんだろうな…と。飲まない人間なので分かりませんけどね。(苦笑)

 …個人的な愚痴を言わせて貰えば、娯楽を逃げ道に使う人間は、その界隈にとっては偶に迷惑になると思ってんですよね。
 娯楽に逃げていると、娯楽からストレスを取り除く事ばかり要求する様になると思うから。そいつ等の相手を真面にしてたらする必要のない「接待」をする破目にもなる。
 最近だと、アプデでサンドバッグになったバルテウスとアイビスを嘆く声をよく聞きますし。

>ゆっくりダークナイトライト
 いやいやお前らSS最終盤ではもっと人間臭くなってなかったっけ?w
 あの流れから10年以上経ってもそのスタイルを維持できてるの、ある意味スゲーわw
 …これなら…未だに家が波打ち際の岩である可能性も…(汗)

>ナツこま
 「ココのぞが矢面に立ってくれてるから、うちらは楽できて良いわ~w」みたいなマイペースなノリだったと記憶してますが…そろそろマイペースでは許されない時間かも知れない。
 しかして尺的に掘り下げる時間も無さそうで…あるとしたら、こまちの変身回にワンチャン…って所か…

 ココとのぞみが中々逢えなかったのは、理想と現実の自分の姿のギャップから逢わせる顔が無くなってた…って感じかな?
 のぞみも「一人前の先生になるまで逢わない」とか言ってたし、こ~の似た者カップルめw


>自由意志
 結構前からある話だから、以前にも掲示板に書いた事あるかも知れませんが…
 因果律に支配されている現代科学の世界観では、「自由意志」は存在しないという話があります。
 「原因→結果」が全てなら、あらゆる言動はその原因が起こしているのであって、自分の意志は関係無いという事。
 ならその言動に対して、「実行するかしないか」を最後に決定する所謂拒否権を自由意志が担当している…という説もよく聞きますが、これも考えてみると結局「自由意志は無い」という結論に辿り着かざるをえないんですよね。(苦笑)


>Dr.STONE
 毎回見所が多過ぎて、観終わってから思い出そうとすると頭の中が取っ散らかって記憶が纏まらない=実質的に思い出せない状態になってるのがツラいwww

>魔法使いの嫁
 あ~も~どいつもこいつもめんどくせーな!!!?
 こうなったら高橋ナツコ呼んで、大声で好きな相手を宣言する大告白大会やろうぜ。丁度クリスマスだし。

>ブルバスターとかいう中小企業のしみったれたアニメ
 あれは言うほど作中ロボットアニメ擦ってないですやん。…思えばナデシコも作中ロボットアニメ云々言ってたキャラは早々に退場しちゃったし、そういうロマンが戦場で通用すると詰まんなくなるって事なのか…
 やっぱり「勇気」と「正義」は現実の前に敗れる運命なんかなぁ…(遠い目…)

編集・削除(編集済: 2023年11月08日 15:22)
合計309件 (投稿309, 返信0)

ロケットBBS

Page Top