デート初心者同士、色々持て余して済し崩し的にみんなで遊ぶんだろうな〜…と舐めて掛かっていましたが…
ちゃんとデートしている…だと…!?
途中で邪魔が入って中断した感もあるけれど、成否で言えば、これは明らかな「成功」!!!
流石東堂いづみ…やると腹を括ったら徹底的にやりますね…!
後、全体的な関係性の変化にも影響していたのが面白かったです。
ユキの距離感とか、まゆのノリに呆れてたり、逆にこむぎに対しては扱い方に慣れが出てきたり。
こむぎもユキ&まゆの、女の子女の子した遊びにちゃんと付いて行けるだけの成長を見せているし、サークルクラッシャー的でもある恋愛要素を全体の関係性にとってもプラスに作用している様に見えたのは凄いと思いました。
改めてわんだふるの関係性だからこそ、組み込めた恋愛要素だったのだな〜と。
…?え、メエメエ?…絡まったカートって結構取れ難くて、かなり面倒臭いよね。
>推し活
依存心以上に怠け者なんじゃないか?と思う今日この頃。
まず、他人の努力の結果に時間と金を払って自分は努力しないし。仮に複数の推しを持った場合、推しと推しの発信内容に矛盾があった時にストレスだし(同じ推しでも今と昔で矛盾する発信をしたらキレたりするのも同種のストレスからだと思われる)。なので、複数の推しを持つ事自体が面倒臭いし。
依存症回避の為にも、依存先を沢山持っておいた方が良いって言われるけれど、個人崇拝の方が圧倒的に楽だと思うんですよね。
つまりメエメエの「お気持ち表明」は、悟への感情のあり方より、悟以外に友達を作る事を怠った事が原因だとも考えられると思います。
>「僕はいつもの犬飼さんも、緊張してる犬飼さんも……好きだよ」
これ落ち着いた口調で言ってたけど、内心まゆみたいになってたんじゃねーかな?w
いやだってさぁ…今まで散々意識されていない事を確認しては凹んでた訳じゃない?
それが!今!めっちゃ意識してくれてる!!「そうだよこれだよこういう犬飼さんを見たかったんだよフゥー!!!」って声が聞こえないでもないw
>教育が「(就職と業務遂行する上で)有力な手段」でなければ意味がない
リカレント教育での在学中に、アート関係とかおよそ仕事に関係無さそうな講座取ってる人の話とかもありましたが、恐らく趣味や娯楽の面倒も学校が見てくれてるって考えられそうですね。
担当組織が違うだけで、本質的にやってる事は日本も海外も同じ…ただ、日本の方が「各々でやる」ってテイストが強くて、閉鎖的にも見えるから対外的にアピールし難い、というのはありそう。
>アジア型の「暗記&詰込み教育」の有効性
英語できなきゃマズいから、毎日英語の短文を訳しながら読んでるけれど、中々語彙が増えない。(汗)
かと言って、今からまた単語帳だのノートに何回も単語書くだのは、したくないなぁ…(苦)
>ラブライブ
ライバルキャラが自分から懐柔されに行ってて草w
まーキャラ数多いから、一人に割ける尺も無いだろうしそんなもんかw
炎上してた事を舐めてたのはデジタルネイティブ感ある。
>如何にこの当時の勢力図が複雑で不安定だったか
>秀吉のような強い警察力が求められた
当時の政治のグダグダ振りを見るに、暴力装置を独占的に保持する「強力な中央集権政体」が求められた理由がよく分かりますよね。
それに関連しますが、応仁の乱の(一応の)中心人物とされる細川勝元と山名宗全の邸宅が僅か一街区、直線距離にしてほんの200m程度しか離れていないことを私が初めて知った時は、「ファッ?」と声が出そうになりました(↓)。散歩コースのご近所すら制圧出来ないほどの脆弱な権力基盤しか持ち得なかった「守護大名」の存在意義って何だったんだろうなぁ(毒)。
https://ameblo.jp/hiroshikyoto/entry-12636652976.html#:~:text
>日本語の「とる」は「とる」だけなんだからひらがなで良い
ま、会話だけを念頭に置くなら確かに著者の仰る通りだと私も思うんですけれど、漢字で表記する理由としては視認性の問題が大きいのではないでしょうか。著者の文章は仮名表記が多めな分、一読して若干意味が取りにくくなっているようにも思いましたし。
>日本でも暗記や詰め込み教育に否定的な意見はあると思いますが、繰り返し反復することで例えば計算なら暗算できるようになり脳のリソース(ワーキングメモリー)消費を抑えられるので、複雑な計算や問題をスムーズに処理できるようになるメリットがあります。
>基礎をガッチリやるからこそ応用できる。自己研鑽や修練も努力によって能力が向上し自己を成長させられるという発想と繋がっています。
アジア型の「暗記&詰込み教育」の有効性は以下の動画でも指摘されていて成程と思いました。この方の動画は思想的にやや保守寄り気味ではあるのですが、毎回出典元をしっかりと明記して論を展開しておられるので説得力があります(動画の作者は『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』の著者とは異なり、ここ30年のフィンランドの教育改革には終始否定的ですが、フィンランドのPISAにおける順位のその後の変遷(凋落)をみる限り確かにその指摘も頷けますね)。
【社會部部長:フィンランド教育の失敗:日本の詰め込み教育はそこまで悪いのか?】
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=%e7%a4%be%e4%bc%9a%e9%83%a8%e9%83%a8%e9%95%b7&&mid=6F6C7F3EF7BD4682C8696F6C7F3EF7BD4682C869&&FORM=WRVORC
あと同じ作者による「義務教育における古典学習の目的と意義」に関する動画は興味深かったです。「国民意識の醸成のため」という理由付けは非常に腑に落ちました。「貴方が枕草子を知ることというよりも、貴方と他全員が枕草子を知り合うことに意味がある」なる纏めの一言に表されているように、国民国家なる「想像の共同体」を形作る上で、本邦においては古文&漢文が極めて重要な統合ツールとして機能しているとの作者の主張は極めて納得のいくものでしたね。
>今週の読書
2冊のハズレは割愛して(苦笑)、今週はこの一冊をプレゼンします。
● 古屋星斗+リクルートワークス研究所『2040年の日本が直面する危機と“希望”「働き手不足1100万人」の衝撃』プレジデント社2024
https://amzn.asia/d/aBcoAMw
○これまでの「人手不足」⇒ 景況感や企業業績に左右されて、需要の増減をベースとして労働者の過不足が決定する。
○(これからの)「労働供給制約」⇒ 景況感や企業業績に左右されず、労働供給量がボトルネックになって発生する。
要するに少子高齢化の進行と共に、既存の生活インフラを維持するために必要な労働力すら日本社会が供給出来なくなる、との近未来的見通しを綴った本です。「採用不採用の可否の判断以前に、求人を掛けてもそもそも応募してくる人自体が居ない」地方の中小企業に勤める身として薄々感じてはいたことですが、それでもこうやって具体的な数字に出されると衝撃的ですね。今や日本のプロレタリアートはAIに仕事が奪われる心配をする前に、少ない人員でも回せるようどれだけの仕事をAIに代替させ得るかに知恵を絞らなければならない段階に差し掛かっているようです。今から僅か160年ほど昔に執筆された『資本論』において、常に労働者が余っていた(=産業予備軍なる「失業者」が絶えず存在していた)マルクスの時代とはまさに隔世の感がありますね。
本書では(個人的には余り実効性があるとは思えない)一応解決策らしきものも記されていますが、著者はそれらが上手くいったとしても「労働供給制約の発生を10年遅らせることが出来る」だけに過ぎず、2032年以降なお抜本的な改革が必要だと主張します…いやいやこれはかなりの無理ゲーですねぇw(全然笑いごとじゃないんだけど)。生活維持サービスには不可欠かつAI化の難しい「3K職場」の人材確保のために、新卒者らの「職業選択の自由」が国家によって制限される未来も強ち絵空事では無いかもしれませんね。
>『チ。―地球の運動について―』
第3話で『拷問と処刑の西洋史』でも言及された拷問器具(拷問梨)が登場していて笑ったw。未読ですが原作は割と評判良いみたいですね。今のところ秋アニメで視聴しているのはこれだけです(それにしても登場人物が死に過ぎだろw)。
リバースカードオープン!
「まゆちゃん、"私の"悟くんに馴れ馴れしくしすぎじゃないかな?」発動!
友情破壊。これで2度遊べる。
>いろはに「私も好き」って言わせなかった
プリキュアの恋愛ネタって大抵女の子側が好きになるパターンだったんですよね。だから「(恋愛的な)好き」が半ば自明的なものになっていたわけで。するとあとは伝えるか伝えないか、相手が承諾するかの話になる。初代のなぎさなんかは恋心を秘めたまま人間的成長に寄せていたとは思いますが、恋愛主体じゃない話で恋愛を推し進めても成長性も薄いし……と袋小路。
今回のようにまず「好き」とは何なのか、自分にとってその相手はどんな人なのか、その総括と再評価を経ることで成長と恋愛を上手く両立できたと思います。告白される側のスタイルとしてはほぼ完成形でしょうね。
>小学校中高学年辺りが主人公を務める
成長限界の問題もあるでしょうね。終盤で小学生が大人びたこと言っても嘘くさくなるっていうか。絵面に説得力が出ない的な。大人と子どもの境界だからこそどちらにも振れるっていう便利ラインが中二(幅を持たせて中学生)でしょうからねぇ。
>漢字と日本人
日本語について解像度が上がるのは確かなんだけど、持て余すなぁ(苦笑)。発音関係の言及が多いから、こういう話は紙面よりも公演会とかで聞きたくなりますね。
「取る」「摂る」「採る」「執る」「捕る」の使い分けについてこんなもんにこだわるのは愚かだって断言してるのは面白い。国語教師なら唖然としそうだけど、日本語の「とる」は「とる」だけなんだからひらがなで良い。逆に常用漢字じゃないからと「哺乳類」や「爬虫類」を「ほ乳類」「は虫類」と書いてどうする。漢字を前提にした単語で学術用語でもあるんだからそう書けっていう主張は如何にも日本語研究者な意見ですね。
>裏切り・寝返り・手の平返しが日常茶飯事過ぎて
読んでいて思ったのは氏族内での権力闘争が想像以上に多い(苦笑)。あと残党軍生き吹き返しすぎ問題。どこからどうやって立ち直ってくるんだ。如何にこの当時の勢力図が複雑で不安定だったかを感じますね。
A氏族内の紛争を鎮めるために(A現当主に請われて)足利将軍がB氏族他の協力を取り付けて武力介入する泥沼ぶりを見るに、秀吉のような強い警察力が求められた(win-winだった)という説明は説得力がありました。
>秋アニメ
今のところは特に無いかなぁ。車に全く興味ないけど「MFゴースト」は見てる。何も考えずに流せるから。
プリキュア史上における転換点…かどうかは兎も角、記念碑的なエピソードである事を自覚していたかの様な、気合の乗りまくった回でしたね。
こうして整理されると、実は自分も恋愛と友情の違いがちゃんと分かってないんじゃないか?って気がしてきます。(苦笑)
自分の認識はもっと無秩序で、形を真似ていただけなんじゃないか?…という。
>女児向けで恋愛ネタをやっても実感がわかないのではないか
そもそも未就学児童向けで思春期女子が主人公やってるから、こういう悩みが出る訳で…
「こむぎ中学二年生」のミスマッチ感といい、そろそろ小学校中高学年辺りが主人公を務めるプリキュアも出て来そうな予感もします。
いや、女児が憧れる「お姉さん」像として、中学生が適齢期だって理屈も充分分かるんですけどね。
>いろはの造形はピンポイント
今回のまゆのフットワークの軽さとか、分かり易くこれまでに無いタイプの友達プリキュアだったと思いますね。
悟といろは、どっちのケアに走るかの判断に迷いが無く、そして早いw
>メエメエのような存在が重要だったという結論に
拓海も拓海で下心ありきの料理スキルという設定にもできたんでしょうけどねぇ…
どうしてこの差がついたのか?…って考えると、まゆやメエメエみたいに煽ったり騒いだりする存在が必要なのかも知れない…と思っちゃいますねw
そう考えるとデリシャスのメンツって、みんなマイペースだったよな…
>この実情を無視して借り物の理念だけ言われてもね
日本の「失われた30年」に危機感を抱いて上手くいってる国に学ぼうとする姿勢は、気持ちは分かるけど拙速なんでしょうね。
その30年間に上手くいった国に何か劇的な変化があったのなら一考の余地はあるけれど、特に昔と変わってないのなら日本がそれに倣うのは当てが外れると思います。
そもそも調子の良かった頃の日本にどれだけの実力があったのか?という話にもなる。バブルに浮かれていただけなら地力で勝ち取った実績とは言えないのでは。
他にも「明治維新」を引き合いに出すのも見掛けるけれど、アレもなぁ…善し悪しを碌に吟味もせずに近代化だけして浮かれてたから、その後近隣諸国に迷惑掛けてその後始末を未だにやってんじゃねーのかよ、と。
>秋アニメ
>チ。
地動説を巡るインテリ群像劇だと思った?残念!異端審問官の追跡サイコホラーでした!
二話連続で拷問シーンをノリノリで入れてて草も生えない。観るに耐えないので面白そうだけど自分は切ります。
>ラブライブ
こいつら精神的に幼いなー…って新シリーズ始まる度に思ってるなw
>私、悟くんといるとすっごくワンダフルなの。普通のワンダフルじゃなくて特別なワンダフルなの!
>自分の気持ちを自分の言葉で伝えるいろは
未就学女児の代表たるいろはが、「(恋愛的な意味での)好き」という未知の概念を自分なりに言い換えて理解しよう(そして悟に想いを伝えよう)と藻掻きながら成長していく有様が丁寧に描かれていましたね、教育アニメの面目躍如というところでしょうか。しかしメイン視聴者らのその人間的成長は、同時にプリキュアシリーズからの「卒業」を意味するというのも制作者にとっては辛いところですが(笑)。
>今週の読書
今週も日曜出勤だったので、一冊だけプレゼンしますね。引用が多い点はお許しくださいw。
●高島俊男『漢字と日本人』文春新書2001
https://amzn.asia/d/0DQ6ROC
◆◆◆
…日本が中国から漢字をもらったことをもって、恩恵をうけた、すなわち日本語にとって幸運なことであったと考える人があるが、それもまちがいである。それは、日本語にとって不幸なことであった。…… 日本語は、みずからのなかにまだ概括的な語や抽象的なものをさす語を持つにいたっていない段階にあった。日本語が自然に育ったならば、そうしたことばもおいおいにできてきたであろう。しかし漢字がはいってきた ― それはとりもなおさず日本語よりもはるかに高い発達段階にある漢語がはいってきたということだ ― ために、それらについては、直接漢語をもちいるようになった。日本語は、みずからのなかにあたらしいことばを生み出してゆく能力をうしなった。(p.23~25)
――
人類は数万年前から言語をもちいてきた。そのながい歴史の中で見れば、文字が発明されたのはごく最近のことである。また、地球上のすべての言語が文字を持つわけではない。文字を持つものはむしろ少数である。それら文字をともなわぬ言語は十分にその役割をはたしたし、現にはたしつつある。文字なき言語は決して不備な言語ではない。すなわち、文字は言語にとって必然のものではない。ひとり日本語のみが例外である。その語彙のなかば以上は、文字のうらづけなしには成り立たない。
もとより最初からそうであったのではない。漢語伝来以来以前数千年、あるいはそれ以上にわたって、日本語は、音声のみをもってその機能を十全にはたしていたはずである。文字のうらづけなしに成り立たなくなったのは、千数百年前に漢語とその文字がはいってからのち、特に、明治維新以後西洋の事物や観念を和製漢語に訳してとりいれ、これらの語が日本人の生活と思想の中枢部分をしめるようになって以来である。
現代の日本においては、ごく身近で具体的なものや、動作や形容には、本来の日本語(和語)がもちいられる(みちをあるく、やまはたかい、etc.……)。これらはもちろん音声が意味をになっている。耳できいてわかる。文字のなかだちを必要としない。しかし、やや高級な概念や明治以後の新事物には漢語がもちいられる……。これらの語も無論音声を持っている。けれどもその音声は、文字をさししめす符牒であるにすぎない。語の意味は、さししめされた文字がになっている。たとえば「西洋」を、ひとしくセーヨーの音を持つ「静養」からわかつものは「西洋」の文字である。日本人の話(特にやや知的な内容の話)は、音声を手がかりに頭のなかにある文字をすばやく参照する、というプロセスをくりかえしながら進行する。
くりかえしのべてきたごとく、もとの漢語がそういう言語なのではない。漢語においては、個々の音が意味を持っている。それを日本語の中へとりいれると、もはやそれらの音自体 …… は何ら意味を持たず、いずれかの文字をさししめす符牒にすぎなくなるのである。
しかも日本語は音韻組織がかんたんであるため、漢語のことなる音が日本語ではおなじ音になり、したがって一つの音がさししめす文字が多くなる(たとえば小、少、庄、尚、etc.…はいずれの音も「ショー」)……日本の言語学者はよく、日本語はなんら特殊な言語ではない、ごくありふれた言語である、日本語に似た言語は地球上にいくらもある、と言う。しかしそれは、名詞の単数複数の別をしめさないとか、賓語[≒目的語]のあとに動詞が位置するとかいった、語法上のことがらである。…… しかし、音声が無力であるためにことばが文字のうらづけをまたなければ意味を持ち得ない、という点に着目すれば、日本語は、世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語である。音声が意味をにない得ない、というのは、もちろん、言語として健全なすがたではない。日本語は畸型的な言語である。と言わざるを得ない。
では、日本語は健全なすがたにかわり得るのであろうか。日本語は畸型のままで成熟してしまった言語であるから、それは不可能である、とわたしは考える。これをしいて完全に正常なからだにしようとすれば、日本語はきわめて幼稚なものになってしまう。…… 漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である。それも、からだに癒着してしまった重荷である。もともと日本語の体質にはあわないのだから、いつまでたってもしっくりしない。しかし、この重荷を切除すれば日本語は幼児化する。へたをすれば死ぬ。この、からだに癒着した重荷は、日本語に害をなすこと多かったが、しかし日本語は、これなしにはやってゆけないこともたしかである。腐れ縁である。(終章:やっかいな重荷(p.240~246)より抜粋引用)。
◆◆◆
著者は中学文学専攻の学者さんみたいですが、一般向けの啓蒙書を数多く手掛けられた方のようですね。
確かに我々日本人が、耳にした「音声」を、頭の中で素早く「文字(=漢字)」に置き換えてその内容を把握するなどという“離れ業”を、日常的にかつ半ば無意識のうちに行っている(例:「コーコーモノノコーコーセー 」⇒ 「孝行者の高校生」)というのは考えてみれば凄いことなのかもしれない。しかしそれはむしろ日本語が、文字を介さず音声だけで意志疎通を行うことがほぼ不可能な言語へと「ガラパゴス的進化」を遂げてしまったが故の、いわば苦肉の策である…そう著者は仰りたいみたいです。
これまで「日本語特殊論」は、兎角「ヤマト民族」なるものを特別視したがるナショナリズム礼賛者らに受けのいい妄言だとばかり私は思っていましたが、他言語と比較して極めて単純な音声構造と借り物の文字(漢字)という観点から日本語の特殊性(優位性に非ず)を論じている文章は初めて目にしたので、個人的には大変勉強になりました。
>よく日本人は社会人になると勉強しないみたいなこと言われるけど「やってるよ」って思う
同感です。私がこれまで渡り歩いた中小企業では、確かに大手企業のように研修会あるいは資格取得に向けた勉強会こそありませんでしたが、公立の中・高指定の教科書は数年ごとに必ず改訂されますし、また入試制度の見直しに伴って出題形式も大きく変動しますし、結局現場の講師一人ひとりが己の授業スタイルをこまめにアップデートしていかないと忽ち生徒減少 ⇒ おまんまの食い上げへと繋がってしまうため、勉強したくなくてもせざるを得ないというのが正直なところですね(泣)。
>足利将軍たちの戦国乱世
裏切り・寝返り・手の平返しが日常茶飯事過ぎて、足利将軍にも大名にも誰ひとり「個性的な」人物が居ませんでしたw(苦笑)。確か『菊と刀』でしたっけ、「主君に終生忠義を誓うのは家臣の務め」なる儒教の教え(?)を文字通り実践したのは、日本史広しと雖も「中国大返し」で明智光秀を討伐した羽柴秀吉と、かの「忠臣蔵」で名高い四十七士のたった二例しか無い、とか書いてあったと記憶していますが、それが実に「腑に落ちる」読書でした。
>悟よりいろはが見劣りしてしまう
大きなお友達的には悟の方に肩入れするよねw 一途に想い続けて行動するキャラってそれ自体好感度高いし。でもそれをそのままやっちゃうと政近とアーリャみたいに、このヒロインは言われるがままのお飾りか?ってなっちゃう。「ここで決めなきゃ女がすたる!」って言ってこそのプリキュアよ。
話的には無自覚だったことに直面させられるいつもの恒例行事に男の子を落とし込んだ格好ですね。
>スウェーデンのリカレント教育
『みんなの教育 スウェーデンの「人を育てる」国家戦略』っていうスウェーデンで20年以上教師をやっている日本人が書いた本を借りたけど、読み流して投げた。
だって良いことしか書いてないんだもん。文章の端々から「あ~これ失業率高いんだろうなぁ」みたいなツッコミどころがチラホラ。移民にも寛容って書いてるけど、最近500万やるから帰ってくれみたいな政策やりだしてるんだよね。
本来教育って社会システムや技術、産業構造を背景にして発達していったものでもあるから雇用や国内情勢とセットで語らないと片手落ちになるんだよね。言い換えれば裏事情に触れない論説は読むに値しない。
欧米でのリカレント教育は実業とリンクしていて社会機能の面でも意味がある。けど、日本がそれを見習うべきだって主張には疑問符がつく。実際普及していないのがその答え。
よく日本の詰め込み教育、班分けしてそこで集団行動を学ばせる教育が批判されたりするけど、この教育や社会だからこそ日本人って良い意味での均質性と水準が確保されている。柔軟性と知識を持っているから労働者として使いやすい。また日本では中小企業が多くて非効率的と批判されるけど、これはこれで失業者の受け皿になりえる。賃金が概して低いのも失業率とバーター関係にあると見れば、日本はそこそこの能力を持った多くの人がそこそこの給料で食えている社会として機能している。この実情を無視して借り物の理念だけ言われてもね。
>電気工の転職先
米国労働省のサイトに行っても情報引き出せねぇw
たぶんChief Executivesは独立してるんでしょうね。前にあげた https://www.tryeting.jp/column/10945/ でも独立して10万ドル以上を稼ぐ「シックス・フィギュア・アーナー」の話あったし。
他の2つはAIチャットに聞いても似たような答えになるけど日本で言う支店長や部長、工場長になるみたいですね。あるいは親方(職長)的なポジションも含むのかなぁ。部下あり管理職的な。おそらく実務経験にプラスして主任技術者系やマネージメント系の資格を取ってキャリアアップするんだろうと思います。
>デンマークでは『学び直し』はないという事実(リンク先)
バランスが取れた記事ですね。まあ、一般の労働者にそんな高度な教育や技能は必ずしも必要ないんだけど(苦笑)。仕事してれば必然的に変わっていくものでもあるし。今やレストランでもロボット給仕が普及してるけど、みんな普通に扱えてるしね。
私、大企業で働いていたから実感としてあるけど、少なくともその会社では社内教育は定期的にやっていました。
若手向け、中堅向けに研修センターで技術や知識をアップデート(平準化)する。もちろん現場でも教える。職場によっては各自テーマを選定して講師役になる勉強会を会議時間にやることもある。支店に集められて支店長の前でプレゼンする企画もあった。これを高卒までもが平然とやっていると言ったら海外の人は驚くんじゃないかな。裏事情としては「技術力向上を職場で図っています」って上にアピールする目的もあるんだけどさw いずれにしても支店を跨いで研修会をやったり、異動で人が定期的に入れ替わるから長期的に見ると知識や技術が更新・平準化していく仕組みになっている。
だからこれもよく日本人は社会人になると勉強しないみたいなこと言われるけど「やってるよ」って思うんだよなぁ(苦笑) こういう教育や研修も踏まえて社内選抜されている。10年も20年も仕事してれば他所や他部門とネットワークができる人も出てくるし、若手中堅のリーダーとして活躍する人も出てくる。日本企業は大部屋で仕事するから横の繋がりや交流が多くて有能な人なら自然とマネージメント能力が身につく。要はやろうと思えば社内で勉強することも(手当や役職はない)リーダーになることもできる。海外はこれを金を払ってやりにいくみたいな話よね。
まあ、中小企業だと給料水準が大企業より劣るせいで割に合わないだろうけど。
>パロディとはいえ聖母像を残酷な拷問具に用いることは、キリスト教の聖母を冒瀆することにほかならない
言われてみれば確かにw
>足利将軍たちの戦国乱世
「サイコロ振って6が出たら死亡」ってルールがあるかのように病死が多くて草。
>具体的な進捗を見せられないと弱い
テキトーに掘った穴を雑に埋めてる感あるよね(辛辣)
>ダンジョンの中の人
絵の雰囲気のわりにダーティさがある作風だけど「辺境で魔物とスローライフ」でも通じるよね。
…と、調査不足についての言い訳は済ませておいてw
「リカレント教育」の言い出しっぺはスウェーデンで、それに目を付けた「経済協力開発機構(OECD)」が加盟国に向けて奨励している様ですね。
つまり政府主導のトップダウンな政策なので、ある程度の効率の悪さは致し方無いかと…
スウェーデンの詳細(https://www.kokuyo-furniture.co.jp/solution/mana-biz/2021/05/post-559.php)
この国くらいガチでやってると、「仕事辞めてもお金貰いながら学校通える」なんて事もある様ですが、多くの国では働きながら学校に通うスタイルも存在するみたいです。
後、スウェーデンは人口が少ないので、成る可く多くの国民に長期間働いて貰える様に、知識やスキルをアップデートする場としてリカレント教育を提供するという狙いもあるみたいですね。
調べていて兎に角目に付いたのが、知識やスキルのアップデートの必要性と欧米の転職率の高さ。
米国では「18歳から52歳までの34年間に平均で12.3の仕事につき、とくに18歳から24歳の間にこのうちの約半分にあたる平均で5.7の仕事についていた」なんてデータも見掛けました。
これは想像でしかありませんが、上記が常識の職場環境ともなれば、右も左も入社したての新人ばかりで「この道ウン十年の大ベテラン」なんてまず存在しないし、居ても知識もスキルも古い老害認定されそうだと思います。
現場での経験値が蔑ろにされている…って事はないでしょうが、転職されるリスクの高さを考慮したら、社内の機密にアクセスしかねない現場で経験を積ませるより、オープンアクセスな最先端の知識と技術を持っている人材を取っ替え引っ替えする方が安全ではないか?…という考え方もできそうですね。
勿論いっしゅうさんが指摘する様な問題点も国によってはある様です。お金が掛かるから教育の充実度合は景気に左右されたり、劇的な昇給や職種替えは起き難い、勉強したくなくても勉強しないと飢え死にする、仕事と勉強の両立の難しさ、転職に失敗して食いっ逸れる、落ち零れ低学歴救済の意味合いが薄い…等。
因みに米国労働省のサイトで、建築業種の電気工の一般的な転職先と給料の変遷が見られたのですが、転職後給料が上昇したのは49%で給料の上昇度合は時給換算で、
Chief Executives(最高経営責任者?)…$61.67
Software Developers and Software Quality Assurance Analysts and Testers(ソフトウェア開発者とソフトウェア品質保証アナリストおよびテスター)…$24.68
General and Operations Managers(ゼネラルマネージャー及びオペレーションマネージャー)…$21.44
…のトップ3となってました。
最後にここ(https://note.com/happinesstech/n/neb471aadb719)とか、比較的日本人的な感性かつフラットな視点でリカレント教育を評価していたと思います。
>ときめきわんだふる!
意外と泥臭かった悟視点の恋物語。
でもこれこそが今までのプリキュア男子に欠けていたものかも知れない。「下心」も良く言えば「切実さ」「必死さ」になる。
故に悟には「それは嫌だ!」と言える。こういう背景が無いと、何処ぞのお人よしみたいに青いクズに惚れた女を譲ったりしてしまうのだと思います。
とはいえ背景を強化してしまうと、悟よりいろはが見劣りしてしまうリスクもあったという訳か…故にバトンタッチして次回に続く…と…
いやーホント良い仕事しましたねぇ、あの羊w(ジンギスカンの仕度をしながら)
>戦国妖狐 総集編
近年稀に見るコテコテの総集編に少し心配になるw
改めて見返すと、主人公の目的は二転三転しても良いけれど、具体的な進捗を見せられないと弱いって事が分かりますね。
主人公が替わってもそこが変わっていないのが宜しくないなぁ…などと。
>ダンジョンの中の人
作者「俺の考えた最強の設定を見てくれ。こいつをどう思う?」
ワイ「ほーん。で?」
設定で物語は作れない事のお手本みたいな作品だったかと。
ダンジョン運営もほぼ外敵との外交に重点が置かれていて、「転生したらスライムだった件」みたいな異世界転生者が自分の国を運営するパターンとの差別化ができてないんじゃないかな、と思いました。
>サクナヒメ
やはりゲームをアニメにするのは難しかったか…(遠い目)
ゲーム要素を説明しないとどうしても分かり難い所が出て来る反面、ゲーム要素の説明をするとどうしても嘘臭さが酷く出てしまう…
それでもこの作品は健闘していた方だと思いますが、結果、ゲームをクリアした前提で観る様な作品になってしまった様に思います…
>この告白イベントはむしろいろはのためにあると言っていい
厳密には主人公ではないこともあって、いろはの成長回は無いかとばかり思っていましたが…俄然面白くなってきましたね。ただ恋愛エピソードはメイン視聴者(未就学女児)が共感できるものなのかしらん?
>中国は中国でちょっと特殊というかやっぱり歴史的背景が大きく絡んでます
>教育が平等主義だからといって、雇用までを平等(より正確には「社内において平等」)ってのはちょっと違う
成程、たった一つの事実を拡大して、全体を「分かった気になる」のは危ないというのが今回良く分かりました(苦笑)。『日本社会のしくみ』はまだ読んでいる途中ですが、いわゆる終身雇用や年功序列などの、大企業における「日本型雇用慣行」も、日本の「伝統」と言えるほどの歴史と普遍性を持つ訳では無いということを再認識させられているところです。一見地味に映りますが、各種統計データを地道に積み上げて、帰納的かつ慎重に論を紡いでいく著者のスタイルは非常に好感が持てますね。昨今は単なる思い付きだけで持論を展開する自称「社会学者」らの華やかな言説が、巷には溢れかえっているだけに。
>今週の読書
●浜本隆志『拷問と処刑の西洋史』2007新潮選書/2024改訂・講談社学術文庫
https://amzn.asia/d/glWChO9
何ともおどろおどろしいタイトルと表紙ですが、「ヨーロッパ史の光と影」を扱った至って真っ当な啓蒙書でした。極めてざっくりとではありますが、異端審問、魔女裁判、動物裁判、拷問器具および各種処刑法、処刑人という職業に纏わるトリビア(収入額や副業)などなど、一冊で「中世ヨーロッパの暗黒面」に関する概説的知識が得られるのはおトク感があります。文章も一般向けを意識していて平易で読み易いし、個人的にはおススメです。
◆◆◆
異端審問は、魔女狩りほど詳細な記録が残っていない。しかしこれは本来、カトリックに改宗・懺悔させることを目的としたので、刑罰としては「最初に死刑ありき」ではなかった。改宗した者は、十字架を背負う刑、贖罪、巡礼、厳格な礼拝という制裁を科せられたが、その後、社会へ積極的に迎え入れられているという側面もある。魔女狩りの場合と比較するとこの点が大きく異なり、異端審問の方が処刑率が低かったのは歴史的事実である。(本書 p.55より)
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異端審問や魔女裁判の根拠は、今日の目から見れば荒唐無稽であり、拷問も現在では無条件に非人道的な行為だと弾劾できる。しかしその視点に立つならば、残酷さの本質に迫ることが困難である。当時の人びとにとっては、問題はそれほど単純ではなかった。神は本来、人間の魂を救済する絶対的な存在であり、異端や魔女は悪魔と契約を結んで、人間を破滅させるものであった。だから裁判官や刑吏は、悪魔と結託した異端や魔女をキリスト教社会へ取り戻し、救済しなければならないと本気で考えていた。
したがって魔女狩りの関係者の多くは、悪意をもって無慈悲に残虐な行為を行っていたというより、むしろ魔女の存在を憎み、自分の職務を忠実に全うしようとしていた。裁判関係者の大部分も、敬虔なクリスチャンであり、かれらは拷問の際に被告に聖水をかけ、神が真実を啓示してくれるよう祈っている。
被告の方も、どれほどの拷問を加えられても、無実であれば神が救済してくれるはずであると固く信じ、拷問を受けながらもキリストの加護を念じていた。それゆえ異端審問や魔女裁判は、キリストの名において実施された一種の「神判」であった。この「絶対的な神」は、裁判所側と被告側の座標軸の原点にあるが、両者の信仰の食い違った「二重構造」のなかに、裁判所という権力装置の底なしの暗黒面がクローズアップされてくる。(本書 p.270~271より)
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「職務への忠勤」と「揺るがざる自己の信念」とのガチンコ勝負から生れる歴史の暗部か…まさに「地獄への道は善意で舗装されている」そのままだなぁw(溜息)。以前に話題になったガリレオ裁判も、ガリレオが素直に「自らの些細な過ち」を形の上だけでも「悔い改め」さえすれば無難に結審したはずなのに、あくまで「全面勝訴」に拘ったために事態をややこしくしてしまったことにも符合する内容ですね。
なお本書によると、拷問器具として悪名高い「鉄の処女(Iron Maiden)」は実在しなかったんだとか(↓)。忌まわしき刑罰道具の名称に信仰対象の名前を冠するのは、言われてみれば確かにおかしな話ですものね。
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中世以来、身持ちの悪い娘は、棘も頭部も無い樽に入れられ、市中でさらし者にされたが、人びとはそれを「処女のマント」あるいは「恥辱の樽」と称した。この刑は、制裁や名誉剥奪のためにドイツだけでなく広くヨーロッパ各地で行われていた。…… シルト教授は以上の調査を踏まえ、「鉄の処女」は17~18世紀に……「恥辱の樽」から生まれたもので、拷問・処刑を目的に製作されたものでないと強調している。したがって「鉄の処女」伝説は、「恥辱の樽」の風習と、異端狩りや魔女狩り、マリア信仰が融合して生成されたということになる。…… たしかに、地下の拷問室がヨーロッパ各地に存在したのは事実である。実物も残っているし、そこにたとえ「聖母マリア像」が安置されていたとしても、罪を告白させるためであれば、それじたい不自然なことではない。
しかしカトリックが「聖母マリア」をイメージした拷問具を作成することはありえない。というのもスペインの異端審問の目的は、処刑することにあったのではなく、異端にまどわされている被告をキリスト教側に復帰させることにあったからだ。スペインでは異端から回心し、懺悔をすればほとんど命は助けられている。マリア信仰の厚いカトリックが、パロディとはいえ聖母像を残酷な拷問具に用いることは、キリスト教の聖母を冒瀆することにほかならないことであった。(本書p.172~179より)
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あと今週はこれ以外にも、山田康弘『足利将軍たちの戦国乱世 ― 応仁の乱後、七代の奮闘 ― 』中公新書2023も読みました(https://amzn.asia/d/a46TIxt)。10代将軍足利義稙(よしたね)と14代将軍足利義栄(よしひで)の墓が、いずれも徳島県にあるとは知らなかったなぁw。昨今では織田信長に先んじた「天下人」と評価されることもある三好長慶(ながよし)も徳島県出身の戦国大名ですし、戦国初期は私の地元(四国)が珍しく歴史の表舞台に立った時代なので面白く読めました…とはいえ、地元のコアな歴史ファン以外の興味を惹きそうにないテーマですから今回プレゼンは割愛しますねw。
>これが"通"の選び方
仕事の疲れもあるから、わざわざ時間帯を選んで足を運ぶのは中々難しいかなw。
>これバトル要素いる?
成長を描く手段として分かり易いのはやっぱりバトル、ということなんでしょうけれど、やや取って付けた感が否めませんでしたかねぇ。個人的にはもっと稲作に特化した話が観たかったかな。他にもサクナの愛読書の作者がココロワであるとか、ゆいの正体のネタ晴らしとか、折角の各種設定が置いてきぼりを喰らったように思いました。
映画の席取りは休日で客入りが一番多そうな時間(今の映画館は事前予約が多いので埋まり具合を確認する)。座席は後ろの中央をとって全体を視界に入れられる位置取り。
これが"通"の選び方な?
>早期にゾーニングされてるから露骨な序列が付き難い
『日本の15歳は~』によると小学校で留年すると年下の子にバカにされるみたいだよ。たぶん年下と同じクラスになるんだろうね。そりゃバカにされるし邪険にもされるよね。大学とかなら家庭の事情や本人の問題もあるし、そういう人もいるよねって納得のしようもあるけど、ガキンチョではなぁ。
>学び直しで全体的な帳尻は合うのでは?
あっちは若者の失業率が高かったり、大学が実質資格認定学校になっているのを除いても、単純な疑問として子どもの頃に勉強できなかった奴が大人になって勉強したがるのか? 勉強できるのか? 学習効果や効率は子どもの頃よりも落ちるのでは? (公的補助はあると思われるが)学習費用や生活費、休業(失業)中の機会損失とか考えると効率悪いな~って気がするなぁ。
そもそも論として、日本人に限らず欧米人も勉強したくて勉強しねーだろっていう。みんなそんなに勉強したいか? 私の経験としても仕事しながら資格勉強とか昇格試験の勉強とかかったるくてしかたなかったぞ。かといって資格や試験にパスすると劇的に昇級するとかにするとみんな仕事じゃなく勉強を優先するようになる(と中途採用された人が前職について話していた)。
リカレント教育ってあまり理解してないんだけど、例えば工業高校を出て電気工として10年働いた人が弁護士なるとか、医者になるとか、ITエンジニアになるとかそういうことではないんでしょ? 普通に無理だし。第2種電気工事士の資格持ってる人が第1種とるための学校みたいな話でしょ? ジョブチェンするにしたって実務経験は欲しいし、参入障壁が低い(熟練度が低い)仕事なら報酬も安くなりがちだし、いまいちピンと来ないんだよなぁ。大学の受け皿(利益確保)のための喧伝なのかなって思うくらいで。
失業者対策(実際その目的もある)や職務制によるキャリアアップ狙いって話なら理解できる。学歴も資格もない底辺が学校に行って最低限の資格を取れれば就職もしやすい。逆に言えばそうしないとまともに就職できない事情があるのかもしれないけど(職務制の場合若年層は基本的に不利)。
>効果の無い教え方①②③④
とっかかりのない状態だと「何がわからないのかわからない」「何を知らないかもわからないから調べようもない」って話よね。ボードゲーム知らない人にボードゲーム作れと言われてもお約束も定番も知らないんだから作りようがない。
0から1を生み出せる人間なんて稀で、1を1’にできれば上出来。大半の人間は1を1以下でしか出力できないんだよね。
>子供たちには平等な教育機会が与えられるべきなる教育的信念は~横並びに昇進していく日本特有の雇用形態を産んでいる源
ん~それは一概には言えないんじゃないかな。儒教の本家である中国も似たような教育をしているし、あっちの雇用形態が欧米に近いなら教育法云々というよりは『日本社会のしくみ』で書かれていたように戦後の偶然と労使の妥協が産んだと考える方が妥当かもしれないし。
ということで、テキトーに中国の雇用で検索して出てきたのが、
https://www.andrew.ac.jp/soken/assets/wr/sokenk128_2.pdf
結論からいうと欧米に近いかなぁ。共産国で大企業は国営企業だったりするし、地域差も激しいだろうから掴みどころが難しいけど。ちなみに中国進出を考えている日本企業向けに書かれた資料が直球でわかりやすいですねw
https://www.kaigai-shien.net/files/kaigai26.pdf
先にあげた論文によると戦前は各地でバラバラだった賃金制度をソ連を参考に「1952年前後,全国的な賃金分を計算単位とした行政区賃金の導入に着手し,多くの企業において,労働者における「八等級賃金」と幹部・技術者における「職務等級賃金」を導入した」とありますね。つまりこの時点で職務・職種によって賃金差が出る制度に改めたようです。
で、その後文化大革命でガラっと変わって生活給(仕事の出来ではなく年齢や勤続年数優先の賃金)がベースになって、またそれを廃止して、ボーナスとか出来高による賃金制に回帰(緩和)。ここまでが70年代末。中国は大企業が国営企業だから賃金や経営にあたってはだいぶ統制していたみたいね。ただ80年代になると請負制になって企業主体で決まられるようになっていったようです。
80年代以降は50年代のように職務・職種(業種)によって賃金に開きのある制度へ。しかし高技能&高責任の仕事に対する報酬がまだ十分ではなく、高度人材の確保を含めてより賃金差が開くような方向へ舵を切ったようです。
中国の賃金制度は予備知識がないし、ざっくり読んでるから解釈間違ってるかもしれないけど、表を見るに賃金差に明確な差をつけているのは間違いないと思います。中国は中国でちょっと特殊というかやっぱり歴史的背景が大きく絡んでますね。
なので教育が平等主義だからといって、雇用までを平等(より正確には「社内において平等」)ってのはちょっと違うかな。戦前までは日本もエリートとノンエリートで分かれていたし。まあ、現在は給料水準が高い大企業に選抜されるかの競争をしているって言い換えることもできるけど。
>烏は主を選ばない
ちょっと長めのプロローグというか、これから長期シリーズとしてやっていきますよ!感満載の終わり方だなw
>サクナヒメ
これバトル要素いる?w
まゆを観ていると、偶にこのキャッチフレーズが思い出される…w
トラメのガオガオーンのバナナに該当する物って、ザクロには無いんだろうか?って気になってたんですが、どうやらザクロのガオガオーンは、足枷の片方が炎の様なデザインになってるみたいですね。
そんな狼組ですが。
プリキュア的な「絶滅」カードって、本当にそんなに強力なんだろうか?という疑問が出て来た今日この頃。
だって狼の友達が居ないんだったら、狼以外と友達になれば良いだけですからね。
「友達が居ない」以外の絶滅の問題点は、繁殖して数を増やせないぐらいだと思うのですが、生殖相手の問題を未就学児童向け番組でできるのか?ってのが引っ掛かる。(約一名サカってる雌が居ますが…w)
ギリギリやれるのが、「ガオウのつがいが人間に○された」程度のメタファーだと思いますが、それだって「ガオウも幽霊みたいなモンじゃね?」ってツッコめてしまう…
ど〜にも「社会不適合者のルサンチマン」から抜け出せる様に思えないんですよねぇ…
…実はガオウはラスボスじゃなかったとか?今から新勢力出す話数あるんでしょうか…?
>仲間の顔を覚えて近くに誰が住んでいるか確認してる
アマプラでBBCの猫のドキュメンタリーを観た事があるのですが、猫も猫で縄張り意識がかなり強い様ですね。
ただし、直接遭遇しなければ縄張りが被っていてもセーフみたいなんですよね。だから時間をずらして外出したりしてるらしいw
後、屋内は縄張りとして少し特殊みたいで、家に引き篭もって衝突を避ける猫とか、逆に他の猫と餌をシェアしてる猫とか居たりして中々に面白いw
>「姉御~一生ついていくでやんす!」
ここで「お姉様」とか呼ばれてたらイメージ回復に一役買っていたのにww
実に締まらないエセお嬢様っぷりよwww
でも紅茶で舌火傷した時に、お茶吹き出したり舌出したりしなかったのは偉いw
>よく外人って「俺ってこんなにすげーんだぜ」アピールするイメージある
>あちらでは早い時期に足切りしてクラスや進路を分けることが多い
「日本にはインテリ向けのTV番組が無い」とか「スクールカーストがあるのは日本だけ」みたいな嘆きを聞く事があるのですが、日本人の怠慢や悪癖と言われるより、上記の様に「見栄張ってるから放送できてる」とか「早期にゾーニングされてるから露骨な序列が付き難い」って説明される方が個人的には納得できますねぇ…
社会システムと言えば、社会に出てからの学び直し(リカレント教育)がどの程度根付いているか?も考慮しなければならないと思います。
欧米では雇用形態の影響もあってリカレント教育が盛んらしいですね。これは子供の頃に足切りされた遅咲きの人間にとって、再チャレンジし易い環境と言えるのではないでしょうか。
つまりは、初期に詰め込むか一生勉強続けるかの違いだけで、全体的な帳尻は合ってんじゃねーの?という疑問もあるんですよね。
>烏は主を選ばない
「マザコン雪哉のイニシエーション」って区切りで良いのかな?
若宮に見出だされた時点で雪哉がボンクラを演じる理由(兄との跡目争いを避ける)がほぼ無くなったとも考えられる訳で、家族(母)への慕情だけで地元にしがみ付いていた雪哉が世界を知って外界へと旅立った…と思えば良いタイミングで終わったと言えなくもないかな〜と。
>特に失うものが無いアーリャさん
リスクもコストも無いバトル展開やってるから茶番感が拭えないんでしょうねぇ…
討論で負けたら退学!とか高熱でフラつきながら演説!とか危ない事をしている感が足りないですよね。
妹ちゃんが「生徒会長になった暁には副会長として政近を迎える(アーリャから奪う)」ぐらい言えるルール設定にしておいた方が良かった。
ラブコメ路線としては、政近が親の離婚で恋愛観拗らせているので、寧ろアーリャが政近を攻略する話になりそうですね。
政近側に不義(ロシア語筒抜け、初恋相手が姉、妹の存在を黙っている、等)があるとはいえ、それもアーリャがどう乗り越えるか?って話でしかなさそうだし。