映画の席取りは休日で客入りが一番多そうな時間(今の映画館は事前予約が多いので埋まり具合を確認する)。座席は後ろの中央をとって全体を視界に入れられる位置取り。
これが"通"の選び方な?
>早期にゾーニングされてるから露骨な序列が付き難い
『日本の15歳は~』によると小学校で留年すると年下の子にバカにされるみたいだよ。たぶん年下と同じクラスになるんだろうね。そりゃバカにされるし邪険にもされるよね。大学とかなら家庭の事情や本人の問題もあるし、そういう人もいるよねって納得のしようもあるけど、ガキンチョではなぁ。
>学び直しで全体的な帳尻は合うのでは?
あっちは若者の失業率が高かったり、大学が実質資格認定学校になっているのを除いても、単純な疑問として子どもの頃に勉強できなかった奴が大人になって勉強したがるのか? 勉強できるのか? 学習効果や効率は子どもの頃よりも落ちるのでは? (公的補助はあると思われるが)学習費用や生活費、休業(失業)中の機会損失とか考えると効率悪いな~って気がするなぁ。
そもそも論として、日本人に限らず欧米人も勉強したくて勉強しねーだろっていう。みんなそんなに勉強したいか? 私の経験としても仕事しながら資格勉強とか昇格試験の勉強とかかったるくてしかたなかったぞ。かといって資格や試験にパスすると劇的に昇級するとかにするとみんな仕事じゃなく勉強を優先するようになる(と中途採用された人が前職について話していた)。
リカレント教育ってあまり理解してないんだけど、例えば工業高校を出て電気工として10年働いた人が弁護士なるとか、医者になるとか、ITエンジニアになるとかそういうことではないんでしょ? 普通に無理だし。第2種電気工事士の資格持ってる人が第1種とるための学校みたいな話でしょ? ジョブチェンするにしたって実務経験は欲しいし、参入障壁が低い(熟練度が低い)仕事なら報酬も安くなりがちだし、いまいちピンと来ないんだよなぁ。大学の受け皿(利益確保)のための喧伝なのかなって思うくらいで。
失業者対策(実際その目的もある)や職務制によるキャリアアップ狙いって話なら理解できる。学歴も資格もない底辺が学校に行って最低限の資格を取れれば就職もしやすい。逆に言えばそうしないとまともに就職できない事情があるのかもしれないけど(職務制の場合若年層は基本的に不利)。
>効果の無い教え方①②③④
とっかかりのない状態だと「何がわからないのかわからない」「何を知らないかもわからないから調べようもない」って話よね。ボードゲーム知らない人にボードゲーム作れと言われてもお約束も定番も知らないんだから作りようがない。
0から1を生み出せる人間なんて稀で、1を1’にできれば上出来。大半の人間は1を1以下でしか出力できないんだよね。
>子供たちには平等な教育機会が与えられるべきなる教育的信念は~横並びに昇進していく日本特有の雇用形態を産んでいる源
ん~それは一概には言えないんじゃないかな。儒教の本家である中国も似たような教育をしているし、あっちの雇用形態が欧米に近いなら教育法云々というよりは『日本社会のしくみ』で書かれていたように戦後の偶然と労使の妥協が産んだと考える方が妥当かもしれないし。
ということで、テキトーに中国の雇用で検索して出てきたのが、
https://www.andrew.ac.jp/soken/assets/wr/sokenk128_2.pdf
結論からいうと欧米に近いかなぁ。共産国で大企業は国営企業だったりするし、地域差も激しいだろうから掴みどころが難しいけど。ちなみに中国進出を考えている日本企業向けに書かれた資料が直球でわかりやすいですねw
https://www.kaigai-shien.net/files/kaigai26.pdf
先にあげた論文によると戦前は各地でバラバラだった賃金制度をソ連を参考に「1952年前後,全国的な賃金分を計算単位とした行政区賃金の導入に着手し,多くの企業において,労働者における「八等級賃金」と幹部・技術者における「職務等級賃金」を導入した」とありますね。つまりこの時点で職務・職種によって賃金差が出る制度に改めたようです。
で、その後文化大革命でガラっと変わって生活給(仕事の出来ではなく年齢や勤続年数優先の賃金)がベースになって、またそれを廃止して、ボーナスとか出来高による賃金制に回帰(緩和)。ここまでが70年代末。中国は大企業が国営企業だから賃金や経営にあたってはだいぶ統制していたみたいね。ただ80年代になると請負制になって企業主体で決まられるようになっていったようです。
80年代以降は50年代のように職務・職種(業種)によって賃金に開きのある制度へ。しかし高技能&高責任の仕事に対する報酬がまだ十分ではなく、高度人材の確保を含めてより賃金差が開くような方向へ舵を切ったようです。
中国の賃金制度は予備知識がないし、ざっくり読んでるから解釈間違ってるかもしれないけど、表を見るに賃金差に明確な差をつけているのは間違いないと思います。中国は中国でちょっと特殊というかやっぱり歴史的背景が大きく絡んでますね。
なので教育が平等主義だからといって、雇用までを平等(より正確には「社内において平等」)ってのはちょっと違うかな。戦前までは日本もエリートとノンエリートで分かれていたし。まあ、現在は給料水準が高い大企業に選抜されるかの競争をしているって言い換えることもできるけど。
>烏は主を選ばない
ちょっと長めのプロローグというか、これから長期シリーズとしてやっていきますよ!感満載の終わり方だなw
>サクナヒメ
これバトル要素いる?w
まゆを観ていると、偶にこのキャッチフレーズが思い出される…w
トラメのガオガオーンのバナナに該当する物って、ザクロには無いんだろうか?って気になってたんですが、どうやらザクロのガオガオーンは、足枷の片方が炎の様なデザインになってるみたいですね。
そんな狼組ですが。
プリキュア的な「絶滅」カードって、本当にそんなに強力なんだろうか?という疑問が出て来た今日この頃。
だって狼の友達が居ないんだったら、狼以外と友達になれば良いだけですからね。
「友達が居ない」以外の絶滅の問題点は、繁殖して数を増やせないぐらいだと思うのですが、生殖相手の問題を未就学児童向け番組でできるのか?ってのが引っ掛かる。(約一名サカってる雌が居ますが…w)
ギリギリやれるのが、「ガオウのつがいが人間に○された」程度のメタファーだと思いますが、それだって「ガオウも幽霊みたいなモンじゃね?」ってツッコめてしまう…
ど〜にも「社会不適合者のルサンチマン」から抜け出せる様に思えないんですよねぇ…
…実はガオウはラスボスじゃなかったとか?今から新勢力出す話数あるんでしょうか…?
>仲間の顔を覚えて近くに誰が住んでいるか確認してる
アマプラでBBCの猫のドキュメンタリーを観た事があるのですが、猫も猫で縄張り意識がかなり強い様ですね。
ただし、直接遭遇しなければ縄張りが被っていてもセーフみたいなんですよね。だから時間をずらして外出したりしてるらしいw
後、屋内は縄張りとして少し特殊みたいで、家に引き篭もって衝突を避ける猫とか、逆に他の猫と餌をシェアしてる猫とか居たりして中々に面白いw
>「姉御~一生ついていくでやんす!」
ここで「お姉様」とか呼ばれてたらイメージ回復に一役買っていたのにww
実に締まらないエセお嬢様っぷりよwww
でも紅茶で舌火傷した時に、お茶吹き出したり舌出したりしなかったのは偉いw
>よく外人って「俺ってこんなにすげーんだぜ」アピールするイメージある
>あちらでは早い時期に足切りしてクラスや進路を分けることが多い
「日本にはインテリ向けのTV番組が無い」とか「スクールカーストがあるのは日本だけ」みたいな嘆きを聞く事があるのですが、日本人の怠慢や悪癖と言われるより、上記の様に「見栄張ってるから放送できてる」とか「早期にゾーニングされてるから露骨な序列が付き難い」って説明される方が個人的には納得できますねぇ…
社会システムと言えば、社会に出てからの学び直し(リカレント教育)がどの程度根付いているか?も考慮しなければならないと思います。
欧米では雇用形態の影響もあってリカレント教育が盛んらしいですね。これは子供の頃に足切りされた遅咲きの人間にとって、再チャレンジし易い環境と言えるのではないでしょうか。
つまりは、初期に詰め込むか一生勉強続けるかの違いだけで、全体的な帳尻は合ってんじゃねーの?という疑問もあるんですよね。
>烏は主を選ばない
「マザコン雪哉のイニシエーション」って区切りで良いのかな?
若宮に見出だされた時点で雪哉がボンクラを演じる理由(兄との跡目争いを避ける)がほぼ無くなったとも考えられる訳で、家族(母)への慕情だけで地元にしがみ付いていた雪哉が世界を知って外界へと旅立った…と思えば良いタイミングで終わったと言えなくもないかな〜と。
>特に失うものが無いアーリャさん
リスクもコストも無いバトル展開やってるから茶番感が拭えないんでしょうねぇ…
討論で負けたら退学!とか高熱でフラつきながら演説!とか危ない事をしている感が足りないですよね。
妹ちゃんが「生徒会長になった暁には副会長として政近を迎える(アーリャから奪う)」ぐらい言えるルール設定にしておいた方が良かった。
ラブコメ路線としては、政近が親の離婚で恋愛観拗らせているので、寧ろアーリャが政近を攻略する話になりそうですね。
政近側に不義(ロシア語筒抜け、初恋相手が姉、妹の存在を黙っている、等)があるとはいえ、それもアーリャがどう乗り越えるか?って話でしかなさそうだし。
>『日本の15歳はなぜ学力が高いのか?』
読了しました。仰る通り何とも煽情的な「売らんかな」的邦題ですね。『最良の教育を求めて ― ある英国人女性から見た世界「教え方」探訪記』ぐらいで良かったんじゃないかなw。「15歳までは能力別クラス編成を行わず、出来る子もそうでない子も一律のカリキュラムで指導する。」比較的近年に成立したフィンランドの教育システムが日本のそれと良く似ているという指摘を含め、塾講師の端くれとして興味深い話が満載でした。恐らく本邦におけるこの「(少なくとも中学卒業までは)万人に同じだけの能力があるから、子供たちには平等な教育機会が与えられるべき」なる教育的信念は、『日本で働くのは本当に損なのか』でも指摘されていた「(課長ぐらいまでは)学歴とはあまり関係なく、人事異動という名の社内での再チャレンジを与えられつつ横並びに昇進していく」日本特有の雇用形態を産んでいる源でもあるんでしょうねぇ。
あとちょっと意外だなと思ったのと同時に「やっぱりな」とも感じたのは、国を跨いだ様々な調査から「効果の無い教え方」だと判明した、以下の項目でした(本書p.292より)。
① 子どもの能力を賞賛する。
② 要点を生徒自身に見つけさせる。
③ 生徒たちの好きな学習法に教師が合わせて教える。
④ 教師が教え聞かせるのではなく、生徒たちに常に何らかの活動をさせる。
①の間違いは、褒めるべきは子どもの能力ではなく、結果を出すための努力や工夫の方なんだそうです(そういや昔どこかの英語入試問題に「結果(立派に描けた絵とか試験の高得点とか)を褒めると、生徒は『既に賞賛を受けているのだからこれ以上努力しても無意味どころか、むしろ評価を下げるリスクを高めるだけ』と考えて、更なる学習へのモチベーションを失ってしまう」なる主旨の文章がありましたわ)。②~④は簡単に纏めると「生徒の自主性に委ねる」ということでしょうが、本書によると生徒が「何一つ弁えていない」学習の初期段階ではむしろ逆効果なんだとか…そういや先日、仕事場の近隣の公立中学校の英語の授業で、まさに②~④そのままの指導法を受けていると塾生から聞かされましたっけ。確かにその塾生(中1)も「先生が前で黒板を使ってちっとも教えてくれないので、教科書の内容がさっぱり分からない。」と愚痴っていました。
>どこで訓練しているんだ?ってくらい統率取れてた。
チュートリアルが確か一回あっただけだったので私個人は観ていて分かりにくいと感じたんですが…マジですか、昨今の未就学女児は凄いなぁ(苦笑)。
私はスクリーンからの距離が全体のほぼ真ん中の席に座っていたんですけれど、私より前の席には幼女先輩含め観客が一人も居なかったんですよねw。私よりかなり後ろの座席に家族連れがチラホラ居たかなという程度で、公開直後の三連休の最終日(9/16)にしてはちと淋しい客入りでした。だから今年は上映中の幼女先輩らの反応が今イチ摑めなかったのが残念でしたね…まさか後ろの座席の様子を見るためだけに何度も振り返る訳にもいきませんしw(それこそ不審者扱いされますから)。
>つまり実情に合わせてそれなりに上手く運用されている、という認識
私も一読して同じ感想を抱いたので、仰る通りかと思います。プライバシーを洗いざらい曝け出されたくなければしっかり手に職を付けておけ、ってことなんでしょうね。そもそも歴史的に見て「(配偶者男性との死別・離別または未婚を問わず)単身女性の救済そのものを企図した法律というのは、2001年のDV防止法成立以前には日本には無かったみたいですから。
◆◆◆
主要な稼ぎ手となる男性パートナーを持たない女性のなかで、もっとも早い時期から保護が行われてきたのは、子どもの養育をする母親だった。しかし対策の成立時期や給付水準は、母子世帯となった理由いかんで異なっている。軍人遺族は他の母子より優先される一方で、死別母子世帯と比べて離別母子世帯や未婚の母は給付制度の創設も遅れ、給付水準も低かった。この対応の段階的な差は、近代家族に適合的かつ国家にとって有用な順につけられており、望ましいとされる生から逸脱して離婚したり未婚のまま母親になった女性は、そのモラルが問われて不利益を被ることになった。
一方単身女性への対応は、その成立当初から、母親に対するものとは異なる系譜にあった。売春婦に対する救済措置として、人権を守ることよりも治安維持や性モラルの維持という点から発展してきたのである。そこには売春婦に対する蔑視がともなっており、のちには処罰まで加えられたが、買春する側の責任が問われることはなかった。そしてこの売春婦への対応が、放置しておけば売春する「おそれ」があるという認識のもとに、売春にとどまらないさまざまな困窮状態にある女性を保護するものとしても機能していった。このように、一般的な婚姻制度から逸脱した単身女性は、近代家族を脅かす存在であり、保護と一体となった処罰の対象とされたのである。(前掲書 p.94-95より引用)
◆◆◆
歴史的に見た場合「家事労働を押し付けられた無職女性」は、既婚の場合であっても「一家の大黒柱たる男性」や「未来の日本国を担う子ども」の単なる添え物として、未婚の場合であれば予防拘禁の対象すなわち犯罪予備軍として、国家にとっては長らく「止むを得ず慈悲(生活保護)を施さざるを得ない社会の厄介者」でしか無かったということみたいですね。まぁ、それが国家というものなのでしょうけれど。
>選挙戦が画面映えしない上に茶番感(ごっこ感)しかないのが致命的
2期があるかどうか分かりませんが、あったとしても多分観ないかな。会長選挙の争点にせよ、どちらが生徒会長に選ばれるにせよ、「別にどっちでもええがな」的な感想しか湧いてきませんしねぇ(苦笑)。
>映画に本編にキラリンキツネが引っ張り凧
ガオウ様の正体は闇落ちしたキラリンハムスターだったりしてw。
>フレンドリングの使いどころがちょっと説明不足
私が見た限りでは普通に子どもみんな振ってたよ。キャラクターショーとか見てるのかな。どこで訓練してるんだ?ってくらい統率取れてた。
>ラスボスの行動原理が終始謎
あれは解説のしようがない。こむぎにお鉢を回すために接点持たせてるだけだろうし。今回のボスは舞台装置であって言及の対象ではないですね。
ナツキは身バレ防止だと思うけど、なぜに中二病みたいな仮面を選んだのか、それがわからないw
>社会保険と社会福祉の二重構造
つまり実情に合わせてそれなりに上手く運用されている、という認識でいい?
欧米で女性が働いているのって、そうしないと離婚したときとかに困るからって(理由もある)話だし。自立するってそういうことだからね。リスクヘッジは自分で負担する。
>働けば働く程収入の増加などが期待できていた
私の父親(団塊世代。製造業)は30代で現金一括払いで家を建てたけど、よくそんな金あったなって聞いたら「残業した分だけ金貰えたし、なんとかなったんだ」って言ってましたね。
バブル崩壊以降は特に製造業が海外移転したり効率化によって人員削減されたこと、入れ替わりにサービス業が増えたけど概して労働生産性が低く、賃金が増えないってのはあるかな。
>言われた仕事をこなすだけのアーリャさん
主人公がヤレヤレ系陰キャにしか見えないww
まー、やっぱり選挙戦が画面映えしない上に茶番感(ごっこ感)しかないのが致命的かなぁ。生徒会長になったら学校の隣にUSJ誘致しますくらい言ってほしいよね。生徒会長になろうとする動機が弱い。なるための手段が地味。なったあとで劇的な変化もなさそう。ストーリーラインが弱い。主人公とヒロインのラブコメとして見ても、ヒロインすでに攻略されてるよねっていう。
2期でマーシャさんのパンツ解禁されるの待つくらいしかないっすね。
>小市民シリーズ
推理オタクのイキり陰キャと自己防衛(復讐込み)のためなら手段を選ばない狂犬って種族違うよねって話。けど、クズであることには違いはないし、お互いに相手がクズだと見抜いているから一緒に置いた方が周囲の被害は減るのでは? こいつら健常者と一緒にはいられないだろ。いやまだ結論するのは早い。試しに放流してみようぜ(2期へ続く)
っていうのがメインテーマなのかな? 半年後に2期(小説完結まで)やるので、図書館で原作借りられなければそのまま待ってもいいかな。
「この程度はできて当然」みたいな含みを感じるというか…考え過ぎかなぁ…
それはさておきスマイルボイス。赤ん坊など可愛い存在に対して猫撫で声を出す男性…ってシチュエーション自体は珍しくないと思うのですが、仕事のスキルとして説明されるとまた新鮮ですね。
特に裏声は、出す側は結構喉に来るから大変なのに、聞く側は結構気味悪がったりしますからね…こむぎもいろはも性格上そういう反応はしませんでしたが、過去作にあった「父娘のすれ違い回」なども連想してしまいました。
というか、動物病院&サロンの「フレンドリィ」…てっきり結婚してから開業したものかと思ったら逆だったとは…
いろは母からはやり手のオーラを感じていましたが、随分前からヘッドもハートもハントしてたんですねぇ…w
>顧客満足度は高いかもしれないけど回転率は悪そう
初診(?)時のみ完全予約制にして時間も長めに取って貰ってるんでは。次回以降ペットがいろは父の事憶えている事が前提ですが。
自分の通ってる散髪屋も半ば完全予約制だし、精神科とかも初診は結構時間取られた記憶ありますし。
>60年代半ばには農家所得が勤労者世帯所得を上回った
兼業農家って今で言う「ダブルワーク」やってんだから、そりゃ儲かってないと困るって理屈ですね。
それでふと思い出したのが、ブラック企業って言葉ができる前は働けば働く程収入の増加などが期待できていた…って話。
長時間労働が悪いんじゃなくて、労働時間に見合う対価が支払われなくなった事が問題だ…って言いたかったんだろうと思うんだけど、実際のとこどうだったんでしょうねぇ?
一側面でしかない匂いがプンプンするんですが…
>社会福祉や公的扶助を利用しようとするときには、
>稼働能力の有無が厳しく問われることになる
自分が就労支援受ける手続きをする時も、その辺面倒臭かったですねぇ(苦笑)。
面倒臭いのは「履歴書に穴が空く」とか「家業を継いで欲しい」とか「国保が受けられなくなる」とかウダウダ言いながら、雑用ぐらいしかできる事が無い家業の正社員に押し込めて飼い○してきた両親の方だったかも知れませんが。
兎に角、精神疾患の診断書だけでなく、無職でなければ稼働能力はあると判断されてたみたいです。地方自治体によっては無職は休職でも可の様で、何とか休職でゴリ押しました。
…その休職も同じ職場に復職する前提でなければならないみたいですが…(復職と同時に転職や退職するのはアリ)
>クソザコよわよわな正攻法しか使えないアーリャさん
サプライズ狙いだとは思うんですけどね〜…
政近は再三「アーリャはそのままでも生徒会長になれる」って言ってるので、そのアーリャの誇り高さや高潔さをプロデュースするつもりなのだと思いますが…具体的な作戦を何も明かさないから視聴者との間に距離が出たのだと思います。
そしてアーリャの方も、アーリャの生徒会長候補としての魅力を視聴者に伝えるべきなのにそれが全然できてない。というよりやっても詰まらない。正々堂々、正面突破、正攻法…字面は格好良いけど絵面は最悪ですからね。選挙なんて動きが無い戦いなら尚更。
それが解決できない以上、搦め手や汚れ仕事などの邪道(=政近の役割)が見所になるしかないのは残念ながら当然かと。
ぶっちゃけるとサプライズなんて要らんのですよw
ガンダムXで例えるなら、「ガロードがベルティゴにボコされた後、ジャミルがビット対策の手本を見せて、ガロードがベルティゴに勝ってみせる。」これだけで充分なカタルシスが得られる。
それなのに「もっと盛り上げたいから…」ってビット対策をいつまでも教えないまま、ガロードが何回もボコされてるのを見せられてる様なもんなんですよ視聴者は。
アーリャが(政近の想定を超える?)成長を見せるのは、クライマックスに取っておきたい気持ちは分かる。(でないと政近の存在意義が途中で無くなる。)
だからと言って、特に変わり映えのしないヒロイン敗北展開を何回も見せられても、特殊性癖が刺激されるだけでしかないんよなー…っていうww
極力ネタバレ回避に努めますw。
>映画はこむぎが主役でペット側の視点に重きが置かれています
でしたねぇ。映画全編を通して一番走り回っていたのはこむぎでしたし、例の「お婆さん」の件のところは、犬嫌いを公言する私でもちょっと胸打たれるものがありました(笑)。
オールドファンを意識した昨秋のメモリアル映画とは違い、今年はメイン視聴者(未就学女児)に思いっ切り寄せて来て分かり易かったという印象でしたね。あと予想はしていたとはいえ、あのイケメンキャラの漢っぷりには思わず吹きそうになりましたww。
気になったところは、フレンドリングの使いどころは劇中で複数回あったと思うのですが、ちょっと説明不足だったというのと、ラスボスの行動原理が終始謎だったところかな(直接ナツキの所に赴けばいいのに、序盤でいろは&まゆに拘った理由が私にはよく分からない…また御大の明快な解説を宜しくお願い申し上げます)。
>それにしてもナツキはなんであんな仮面つけてたんだろう
同感です。あれじゃ逆に目立ってしまうだろうし、そもそも正体を隠す動機が不明なんですよね。
>一般的には女性が何かとマイノリティの立場として語られがち
●今週の読書『女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学』世界思想社2013 / 増補新装版2021
https://amzn.asia/d/hjQw4eA
『キノトリ/カナイ 流され者のラジオ』に触発されて読んでみました。野宿者全体で女性が占める割合は僅か3.2%(2012年厚生労働省調査)と男性に比べて圧倒的に少ないのは何故か?という素朴な疑問を解明すべく、その数少ない女性ホームレスらに直接取材を試みた報告書です。なおその疑問に対する解答は早くも本書第2章で説明されており、以下の二つに纏められます(↓)。
① 税制面でも社会保険制度においても、日本社会が相変わらず「主要な稼ぎ手である男性と子育てを担う女性」から構成される家族を優遇し続けているため女性の経済的自立が困難で、夫から身体的・経済的DV等を受けていても安易に離婚に踏み切れない(日本の離婚率(1000人中2.0人〔総務省統計局2012〕)は先進諸国の中でも最低レベルだとか)。
② 雇用保険・医療保険・年金などの社会保険を利用できない分、女性は男性よりも生活保護を受給するハードルが低い。
◆◆◆
したがって、保険と扶助とのあいだには、序列が存在しているのである。そしてこの序列は、男女の分断とも重なっている。男性は、賃労働に就くことが期待されているため、なんらかの事情でそれがかなわなくなっても、社会保険に結びつきやすい。一方、女性の場合には、家庭で再生産労働を担うために、雇用期間が十分に長くなかったり、賃労働をしていても低賃金の仕事になりやすく、そうなると生活保障が必要になったときには、社会福祉や公的扶助の利用に結びつきやすい。つまり保険と扶助は二層構造になっており、男性と女性に不均衡に配分されているのである。
そのため、男性が社会保障の網から漏れ、社会福祉や公的扶助を利用しようとするときには、稼働能力の有無が厳しく問われることになる。稼働能力があると判断されると、現実には仕事がなかったとしても、福祉や公的扶助の利用は認められずに、野宿生活に陥ることになりやすい。一方、女性の場合には、そもそも雇用保険や年金の対象にならない、社会保険の利用から排除された低賃金の働き方の人が大半を占めているため、男性と比べて福祉や公的扶助の利用が認められやすいのである。しかしその利用はスティグマをともなうものであり、利用に際して必要な資力調査は、女性本人の財産や収入だけではなく、収入をもたらしてくれる可能性のある男性関係にまで及び、生活の細部にわたって監視や管理が入り込むことになる。
以上のように、女性は就労や社会保障の受給にあたって不利益を受けており、家を出て独立して生計を営むのが困難な社会的条件がある。しかし男性関係にまで及ぶ屈辱的な資力調査や、最低限度の生活を受け入れる限りにおいて、女性は福祉制度や公的扶助を利用しやすく、それらが路上に出る一歩手前で女性を受けとめているというのが、女性の野宿者が少ないもうひとつの理由であろう(本書p.43-44より)。
◆◆◆
成程ね。日本社会の制度設計の在り方そのものが、女性の野宿者を生まれにくくしている要因だったということですね ― それが当事者にとって本当に「幸せ」なことなのかどうかは取り敢えず置くとして。正直後半の女性野宿者への聞き取り調査自体は今イチ心に響かなかったので、上記引用で得られた知見が本読書からの唯一の収穫かな(苦笑)。
>『職業、ブックライター。』
世の中にはこういう職業もあるんですね。面白そうだけど好奇心旺盛で何より人間が好きじゃないと務まりそうにない仕事だなぁw(遠い目)。なお本書では自身の仕事上のノウハウを惜しげも無く公開されておいでですが、それって商売敵を増やすだけなんじゃないかと他人事ながら心配してしまいます(苦笑)。
>『日本社会のしくみ』
図書館に無かったんでAmazonに注文して今日届きました。新書レーベルにしてはこれまた分厚いなぁ(呆れ)…。『日本で働くのは本当に損なのか』は本日再読したので予習も完璧。これから折を見てボチボチ読んでいきますわ。
>それぞれの階層の人が自分は中流だ、将来の展望があると思えた時代の残滓というか。つまりイメージ
>1970年代後半に、日本社会は一種の安定状態になった
>「一億総中流」や「新中間大衆」といった言葉が流行したのはこの時期
この頃私は公立の小学生だったですけれど、この「一億総中流」は肌感覚としてピッタリきます(「自分を中流だと考える」人が大半を占めているとの世論調査を当時新聞でチラ見した記憶があります)。クラスメートにしても勿論金持ちの家庭も貧乏人の家庭もあったはずなんですが(現に私の友人の一人は母子家庭でしたし)、そういった社会的格差を意識した記憶は私には全く無いですね。どこの家もみんな「同じ」で「横並び」なのが当たり前なのだとばかり思っていました。
>このアニメ全体的に回りくどい
ちょっと前から話運びに微妙なテンポの悪さを感じていたので、そうやって言語化されるとスッキリしますね。
今のところキングメーカー・政近に言われるがままに「駒」として動くアーリャという図式が、「女の子だって暴れたい」プリキュアイズムからすると何とも時代遅れというか何と言うかw。
>前作ラスボスが転生
意識から除外してたわw 最終回で漂白された後転生してこっちで再就職してるの草。
>「掘り出しもの」を探し当てて来る
図書館のおすすめコーナーは毎回チェックしてますね。ヤングアダルトコーナーも気が向いたら。働いてないからね、外れを引いてもなんともないぜ(苦笑)
>「一億総中流」とかいう幻想
私が生まれる前だからピンとこなかったんだけど、なるほどこう(↓)説明されると解像度が上がる。
それぞれの階層の人が自分は中流だ、将来の展望があると思えた時代の残滓というか。つまりイメージなんだよね。実際には貧乏人から金持ちまでいるし、すでに80年代から中小企業では非正規雇用も使われ始めたんだけど、それが顕在化するまでにタイムラグあったから。あと女性の労働ポストもあまりなかった(寿退社前提)んだけど、これもスルーされがちですね。
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自営農業の減少は、どこの国でもおきる。しかし日本の特徴は、農家戸数がそれほど減少せず、兼業化が進んだことだった。自民党の各政治家たちが、農村票の維持を目的として公共事業や企業誘致、農業政策を進め、兼業しながら地域にとどまることを可能にしたからだといわれる。
兼業化と「一家総出」の労働によって、1964年には農家所得のうち農外所得が農業所得を上回り、60年代半ばには農家所得が勤労者世帯所得を上回った。こうした状況を反映して、農家から他産業に就職する者の比率が50年代より低下し、65年には50%を切った。72年には、農家世帯員一人当たりの家計費も、被雇用者世帯を上回った。
そして第1章で述べたように、1970年代初頭には、三大都市圏への人口移動の勢いが止まった。石油ショック以後に期間工などの解雇が進んだ76年には、三大都市圏から地方圏への人口移動のほうが上回った。高度成長期のような急激な過疎化はみられくなり、79年には「地方の時代」という言葉が流行した。
これらの結果、1970年代後半に、日本社会は一種の安定状態になった。受験競争の激化はあったが、農業・自営業・大企業雇用者は、それぞれ均衡を保っているように見えた。地域間賃金格差や階級間年収格差は1975年ごろが最小で、全体の貧困率も低下していた。「一億総中流」や「新中間大衆」といった言葉が流行したのはこの時期で、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版されたのは1979年だった。(『日本社会のしくみ』)
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>メンタル弱すぎアーリャさん
ん~、このアニメ全体的に回りくどいな。
政近が主人公なんだろうけど、なんつーか手札を視聴者に隠したまま戦っている感がある。例えば頭脳系主人公だとデスノートのキラとかコードギアスのルルーシュとかいるけど、あいつら出たとこ勝負するじゃん。頭が良いバカっていうか。自力で答えを見つけるみたいな体当たり感があるんだけど、政近は答え知ってる感あるんだよね。相手が妹だから出方が読めるってのもあるけど。物語の語り部なのに距離感あるんだよなぁ、なんか。
その点アーリャの方が底が浅い(笑)から視聴者と距離感近いんだけど、解決役が政近になってるから今ひとつパッとしないというか、主体性がないというか。悪く言えば主人公の性能を引き出すための引き立て役になってる。そんなわけで誰を物語の主軸として見ればいいの?感がずっと続いてる。
そんな私はマーシャさん派。最終回までにマーシャさんのパンツ見せてくれたら手のひら返す。
個人の感情を補強しているに過ぎなかったりする。
故に、狼組の絶滅云々も口実の域を出られるかは疑問だったりします。
しかし過去の人間との仲違いを拗らせてるだけでは、終わった話を引き摺ってるだけなので最新作の敵の事情としては弱い…
つーかガオウは鏡石に願った結果、やや動物である事を捨ててますからね。その辺もどういう扱いになるのやら…
喋れない動物達と切り離す事で、いっしゅうさんの言う「白々しさ」を回避しているだけなのでしょうか…
いずれにせよ、「動物と人間が共に暮らす社会とは〜」なマクロな話はやらないかも知れませんね。絶滅ネタも何なら動物園の定番動物、大体絶滅危惧種だし(苦笑)。
怨念拗らせた結果、孤立していく悪循環を如何にケアするか?って話の方が妥当かなー…
>客演幹部
ヘビ館の飼育員さん、坊主にグラサンとモブにしてはキマってるデザインしてるな〜…って思ったけど、そっか、最終的に蛇になってたよな…スキアヘッド。
寧ろバッタ野郎の方が気付かんかったw溶け込み過ぎだろww
>キラリンアニマル二軍部屋
逆にキツネとか何でもありって理由で干されてそうな気がするw
>ユキ自身が(まゆ以外の)人を信じられるようになった
言われてみれば、「ダメでもいろは達が居る」やリリアンより先にこてつに同情してザクロに怒ったりと、まゆ以外への視野の広がりを感じさせる描写が確かにありましたね。
言ってる事自体は月並なのでスルーしてしまいましたw
つまりは当たり前の事が言える程度には歪さが改善(負債が返済)されたという事ですね。
両者の間で燻っている火種が炎上するのはもう少し先ですかねぇ…。
>『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
私も確かに以前ほどのペースで読書出来なくなりましたが、主な理由としては ①転職して多忙になった(今までが暇過ぎた?) ②加齢のため体力が落ちた、の2点かなぁ。あと今のところ幸い私には当て嵌まりませんが、老眼が進んで手元の活字を追うのが辛くなって来たとこぼす同年配の同僚は少なからず居ますね。
>現代はそれぞれジャンルが分化・派生・専門化されたこと、本→ラジオ→テレビ→ゲーム→ネットという風に選択肢が増えたことで各自が自分に都合の良い本やメディアを選んで摂取しているだけ
そんな気がしますね。分かり易くエロで喩えると、一昔前なら水着グラビアアイドル写真目当てで『週刊プレイボーイ』を購入したとしても、ノイズとして付随してくる政権批判記事・官能小説・人生相談etc.に目を通すことで自然と「教養」と思しきものも副産物として摂取していた。しかし現代では完全にエロだけを、しかも自分の性癖に合うコンテンツのみを取捨選択して取り入れられる環境がすっかり整ってしまい、ノイズに触れる取っ掛かりとなる“フック”を得にくくなってしまった…というのはあるかもしれません。まぁこれも時代の流れだから仕方が無いのでしょうけれど。
著者の三宅氏は「スマホを眺めているときにSNSで動画や漫画が流れて来て、つい読んでしまう(p.99)」つまり「スマホでもノイズに触れる取っ掛かりは得られる」と暗に仄めかしておられますが、実際の紙媒体上の「現物」として情報なり教養なりが目の前に鎮座しているのと、画面操作で容易く目の前から永遠に消えてしまうSNS上のサイト情報とは同列に論じられないのでは、と個人的には思いましたね。
>政権の側にも人々の手紙や投書に応えようという意識は確かに存在したし、実際、こうした手紙や投書が政権側の対応を呼び起こすこともあった
『収容所群島』の中でもせっせと嘆願書を書く描写がちょこちょこ登場していましたね。まぁ著者ソルジェニーツィンのような「政治犯(≒何らかの理由でソ連からの出国歴がある人物(対独戦の軍人含む!)」のカテゴリーに入れられた囚人の場合はほぼ100%収容所内で握り潰されていたみたいですが(苦笑)。
ソ連関係では以前簡単にプレゼンした書籍があったことを思い出しました(↓)。
https://amzn.asia/d/hihaL5u
コラム形式のため記述に纏まりがあるとは言い難く、かつ多用される手書き文字がかなり読みにくいですが(苦笑)、ソ連がどんな国だったのかのざっくりとしたイメージを摑むのには適した本かもしれません。御大紹介のプレゼン本の引用箇所に関係しそうな箇所を抜き出すとこんな感じかな(↓)
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ソ連で言論の自由はもちろん制限されていました。でもそのうえであえて言うならば意外と(この「意外と」がポイントだけど)好きなことを発言できたようです。ソ連で重視された職場集会ではかなりあけすけに社会や上層部の批判ができたのだとか。絶対にしてはいけないのが共産党体制自体への批判で、そこの呼吸が大事になります。党や企業の体質を皮肉ることは大丈夫で、その辺をネタにしたコメディ映画もあるぐらい。(中略) あと場合によっては各種メディアで党、政府などの意向を受けた批判が加えられることもあります。当局から名指しで、しかも公開で批判されるなんてたまったものではないけど、でも議論を通じて党の意図を社会に伝えるという理想も一面ではあったようで…(中略) どのくらいまで好きなことを言っていいのか、というラインが政治状況で変わってくるのが厄介なところ。でも、基準がはっきりしないから空気を読んで…というのは実は現代日本でもよく経験することじゃないですか? (本書p.55「プロパガンダと検閲」より引用)
◆◆◆
そういや『収容所群島』の末尾近くで、著者を含めた「政治犯」らが一丸となって収容所の待遇改善を求めて労役をサボタージュするエピソードが出て来ますが、あくまで当時のソ連邦の憲法の条文に則った「条件闘争」であることを強調し、決して体制(=共産党)批判に陥らないよう細心の注意を払っていたと書かれていましたっけ。
>ニコライ一世の時代は一つの原型
>立憲君主制のような政治体制は考慮されなかった
その「1か0かのどちらかで、どっちつかずは認めない」的なデジタル思考は、いかにも聖界と俗界を一元的に統括し続けたビザンツ帝国の末裔という感じがしますねぇ(自称「第三のローマ」を名乗るだけのことはありますw)。そう考えると鎌倉・室町・江戸時代と長らく朝廷と幕府による二元支配に慣れていたこともあってなのか、明治期にいきなり共和政にシフトすることなく立憲君主政にソフトランディング出来た本邦は、世界史的にみても割と稀有な事例だったのかもしれないですね。
>今週の読書
① 長谷川まりる『キノトリ/カナイ 流され者のラジオ』
やっと読了出来ました。それほど凝った文章とは思えないんですが、挿絵の助けを借りなくても物語の舞台が眼前にありありと立ち現われて来るかのような著者の描写力には感服しました。
よくよく考えてみると、二十年前の「殺人」以外に、作中では大した事件は起こっていないんですよねぇ。いわゆる「底辺社会」の日常 ― 人々がぶつかり合うことで生じる悲喜こもごも ― がある意味淡々と綴られているだけなんですが、不思議に「読ませる」魅力を備えた作品でした。しかしまぁ、よく御大は次から次へと「掘り出しもの」を探し当てて来られるものですね、素直に感心します(笑)。
② R.D.ウィングフィールド『クリスマスのフロスト』
https://amzn.asia/d/a60EPU4
シリーズ第1作。物語の舞台は1980年代初頭のイギリスですが、濃厚な昭和臭が漂う主人公フロスト警部の性格付けが強烈過ぎますね。執筆当時は恐らくユーモラスな破天荒キャラとして許容されたことでしょうが、現代のコンプラに全くそぐわない言動の数々は読んでいて些かキツく、まさにちょっと前話題になったドラマ『不適切にもほどがある!』そのものでした(まぁ張り巡らされた伏線を全て回収している点は見事だとは思いましたが、『女神の誓い』同様如何せん長過ぎるw)。エンタメも時代と共に変遷していくことを示す好例ではありますね(なのでおススメしません(笑))。
>『Science Fictions』
>これで不正や不備がなかったら逆にすごい
ですよねぇ、結局性善説に頼らないルール造りを如何に行うかという命題に落ち着いちゃうw。
>烏は主を選ばない
異世界の住人達(八咫烏)にとって、人骨の粉末が麻薬的効能を持つ…よくこんな設定を思い付くなぁw(呆れ)。
追加で文句を言うわけじゃないけど『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者に限らず新自由主義を持ち出して批判している人って大抵それをあまり理解してないんだよね。解像度が低いというか。
たとえば保険が任意加入で種類も千差万別、金持ちと貧乏人では受けられる医療サービスが違うアメリカ。国民皆保険で全国一律同じサービスを貧乏人から金持ちまで受けられる日本。
日本は現役世代に対する公的補助が薄い(老人層への保障が手厚い)代わりに、企業が扶養手当などの助成をすることで労働者を保障してきた背景がある。雇用を守り、配置転換などで労働者の転職リスクを会社側で受け持っていた部分もある。最近はそれも削る方向で動いているけど多くの現役世代、リタイア世代はこうした背景のもとにある。ポスト採用で景気や収益によってポンポン解雇するアメリカと全然違うよね。
新自由主義、資本主義と一口にいっても文化的経済的背景、雇用実態が違うわけで日本で新自由主義を反対するならもはや全国民公務員・国営企業にするしかないのでは?と思ってしまうのだけど。どのくらいの資本主義度なら許されるの? 米がちょっと足りないくらいで備蓄米出せ! 高い!って文句言う人たちは統制価格の方がいいの?w
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の中でしきりに階級(エリート階級、労働者階級)ってワード出してたけど、日本で階級言われてもなぁっていう。いや金持ちと貧乏人はいるよ? でもそれ階級って言える? 階級って利用できるサービスや文化すら異なるレベルのものだと思うんだけど。ソ連時代のロシアでは共産党幹部ならキャラビアを安く食べられたけどそうじゃない人はお金があっても手に入れられなかったり、イギリスなんて階級で趣味志向すら変わる。農家出身でも、中卒、高卒でも管理職になれた日本において階級を語る意味がわからない。
言葉でしか知らない頭でっかちの人がよくやる批判だな~って思いながら読みました(小並感)