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今回も丁寧な感想と評を頂き誠にありがとうございます。
たくさん良かった箇所を挙げて下さって嬉しいです。
自分の中で思い浮かんだ光景を1つずつ丁寧に作品に落とし込むことが出来たと思います。
アドバイス頂いた、色や音でこの詩を更に彩る言葉を考えてみたいと思います!
そうするとおっしゃる通り、タイトルも再考の余地がありそうです。
もっとこの詩が伸びやかに輝けるよう推敲をしてみます。
次回もどうぞよろしくお願いいたします!
不満足な豚たちが囲いの中でいっせいに駆け回っていた。
互いに罵りながらも離れられない彼らを僕はじっと眺めていた。
僕はソクラテスにはなれない。
だから不満足なソクラテスにも満足したソクラテスにもなれなかった。
ただのまるまるとした豚だ。
僕もかつては狭い囲いの中で暮らしていた。
僕だけが囲いの外を自由に動き回ることができる。
(僕は豚だけど文字を読むことが出来る。)
ある日、人が書いた最高の本を読んだ。
「己を知り、己に満足せよ」
僕のおなかにはぶよぶよの肉がついている。
けれども、ただそれだけのことだ。
僕が満足することを妨げるものではなかった。
今、僕の心は晴れやかに鎮まりかえっている。
囲いの外から不満足な豚たちを眺めていたら、
ふとまた囲いの中に戻りたくなってしまった。
僕は自分に満足してしまったから、いまさら群れに戻ることは出来ない。
不満足な昔と、満足した今。
どちらがよかったか、僕にはわからない。
たしかなことは、不満足な豚たちも、僕も、同じ時間の中に生きているということだけだった。
不満足な豚たちが囲いの中でいっせいに駆け回っていた。
互いに罵りながらも離れられない彼らを僕はじっと眺めていた。
僕はソクラテスにはなれない。
だから不満足なソクラテスにも満足したソクラテスにもなれなかった。
ただのまるまるとした豚だ。
僕もかつては狭い囲いの中で暮らしていた。
僕だけが囲いの外を自由に動き回ることができる。
(僕は豚だけど文字を読むことが出来る。)
ある日、人が書いた最高の本を読んだ。
「己を知り、己に満足せよ」
僕のおなかにはぶよぶよの肉がついている。
けれども、ただそれだけのことだ。
僕が満足することを妨げるものではなかった。
今、僕の心は晴れやかに鎮まりかえっている。
囲いの外から不満足な豚たちを眺めていたら、
ふとまた囲いの中に戻りたくなってしまった。
僕は自分に満足してしまったから、いまさら群れに戻ることは出来ない。
不満足な昔と、満足した今。
どちらがよかったか、僕にはわからない。
たしかなことは、不満足な豚たちも、僕も、同じ時間の中に生きているということだけだった。
つばめ
そらを切って
いやそらから満たされて
飛ぶ鳥
遠くインドネシアから
日本へ渡ってくるという
その距離を思うと
わたしにはその鳥の墓場が浮かぶ
そこは太平洋のど真ん中
つばめは急に飛ぶのをやめて
海へと落ちてゆく
海に落ちたつばめは
きっと海亀に食われる
その海亀が人間に捕まったとき
彼か彼女はキキキという声で
命乞いをするのだろう
今年も電線で羽繕いする
つばめを見るたび
わたしは彼ら彼女らの
後ろ姿を思う
それは決して前から見られることを拒む
隼(はやぶさ)のような
飛翔なのだ
天音様「堕天使」のご評価ありがとうございます
小さな水槽に一匹の金魚を迎えた嬉しさのまま書きました
思いがけず深く読んでいただき、とても嬉しく思います
雨音様
けなんにちは。
詩の評、お礼です。
どうしても説明が長くなってしまいます。
次回からはご教示いただきました作成したあと削除出来る余計な部分はないかなど確認します。
これからもよろしくお願いいたします
この度は、拙作をお読みいただきましてありがとうございました。「端正な作品」とのご感想、嬉しく頂戴いたします。
ご指摘通り、やたら説明的と感じました。成る程、修正の余地があります。
私自身音楽が大好きなのですが、それだけに熱く語り過ぎてしまうきらいがあり、もっと引き算の美学を身につけるべきだと思いました。
今後は精進して、糧といたします。
※お写真が素敵ですね。
「海岸線」上原有栖さん
上原さん、お待たせいたしました。こんばんは。
とても印象的な詩ですね。海岸線、夜明けのハイウェイ、車のハザードランプという現実的な風景の中に、「水掻きの記憶」「尾鰭」「鱗」「鰓」と、少しずつ魚の姿へ戻っていくイメージが自然に重なっていきます。その変化に説明がないからこそ、「自分の本来の場所へ帰っていく」という感覚が静かに伝わってきました。
特に、「昨日の新しいものは/今日は少し古くなってしまった」という時間の捉え方が、進化や回帰のイメージとも響き合っていました。そして最後の「ハザードランプ」がとてもいいですね。車だけが陸に残され、海へ向かった存在を見送っているのと同時に、誰かへのサインのようにも感じられ、余韻の残る結びになっています。
一点だけ。この作品はとても映像的で、光景が自然に浮かんできます。そして、書かれていない質感までも感じることができました。それがとても素晴らしいと思います。上原さんが書いていないことまでも伝わってくる、感じられるというのは、一枚の絵の中にいるような感覚さえも持ちます。
その一方で、ほんの一瞬でも色や音を伝える言葉を加えると、詩全体の幻想的な世界にさらに馴染むかもしれません。私だったら、魚への描写をほんの少し増やしてみます。例えば「鱗の光」などです。これは好みなので、参考にしてくださいね。それに合わせて、タイトルを少し調整してみてもいいかもしれません。
全体として、「還る」ということを、進化や記憶、時間の流れまで含めて魚の姿に託し、それが自然なこととして伝わってくる、伸びやかな作品だと感じました。佳作一歩手前です。
「忘却」相野零次さん
相野さん、こんばんは。お待たせいたしました。
とても静かで、切実な詩ですね。「魂だけのスピードに乗る」という冒頭がまずとてもよかったです。そして、身体の一つひとつを部品と呼び、忘れていくという設定にも引き込まれました。手足、胸、腹、頭と失われていくことで、「身体があること」「生きていること」の意味が逆に浮かび上がってくるようです。
特に、最後の「忘れっぽい僕だけど/その人のことはちゃんと覚えていますように……」が心に残りました。身体をもらったことへの感謝を、「記憶する」というとても人間らしい願いに結んでいるところがいいですね。全体に、死と生という大きなテーマを扱いながら、語り口が素朴なので、かえってまっすぐ伝わってきました。
細かいことを少しだけ。まず、手足については、足だけにするか、手についての描写を加えるか、どちらかがよいかなと思いました。それから、一人称の「僕」をどこか削ったほうが、すっきりするかもしれません。また、「僕はその人の身体を拝借することになった」から「頭をもらうとき」へ進むところは、物語が大きく動く場面なので、もう少しだけその瞬間の感覚や光景があると、読者も「僕」と一緒にその場に立てるかもしれません。ほんの一行、何か具体的なものが入るだけでも十分だと思います。もしくは連を分けてもいいかもしれませんね。この点を再考していただけたら本当に良い作品になると思います。応援の意味を込めて佳作を。
全体として、「生きる」ということを、身体と記憶、そして誰かから受け取ったものとして考えさせてくれる、やさしく、そしてとても深い作品だと感じました。
「堕天使」Mayさん
Mayさん、こんばんは。お待たせいたしました。
とても短い作品ですが、独特の妖しさと美しさがありますね。「ルシファー」という名前から「悪い子に育つでしょう」と始まることで、名前と生きものの姿が重なり、少し危うく、それでいて愛着のある関係が感じられました。
特に、「生命を吸われるのも悪くない」という一行が印象に残ります。普通なら避けたいはずのものを、艶やかな黒い身体への魅惑として受け入れてしまう。その倒錯した美しさが、この詩の魅力だと思います。
また、最後の「毎日挨拶に伺います/大きくなってください/漆黒の夜のように」で、恐ろしさよりもむしろ「育っていく姿を見守りたい」という愛情が浮かび上がるのも面白いですね。短い詩だからこそ、余白の中にいろいろな想像が広がります。
細かいことですが一点だけ。「悪い子に育つでしょう」ですが、「きっと」よりも「たぶん」のほうが、すんなりと受け止められるように思います。断定してしまうよりも少し曖昧さを残すことで、この短い作品の中に余白をさらに広げられそうです。
全体として、構成がとてもよかったと思います。このバージョンはこのままで、この作品を元にして、少し長めのものも拝見したいです。
「感情のある色とは?」じじいじじいさん
じじいじじいさん、こんばんは。お待たせいたしました。
「夏の色を絵にしてきて下さい」という宿題をきっかけに、子どもの頃の自分と、今は教師となった自分が重なっていきます。自分がかつて悩んだ宿題を、今度は自分が子どもたちに出しているという構図、子どもたちからどんな「夏の色」が返ってくるのだろうと想像するところが印象的です。最後には、自分自身もかつては「単純な向日葵チームの一員だった」と明かすところがとてもいいですね。子どもたちに少し難しい宿題を出しておきながら、自分も同じだったというところに、温かいユーモアがあります。この一行があることで、作品全体がぐっと身近になりました。
一方で、以前にもお伝えしたことですが、この作品は説明する言葉が少し多いように感じました。「私はそんなありきたりの答えを望んでいない」「もっと踏み込んだ感情のこもった答えが欲しい」など、作者の思いを直接説明している部分があります。また、「大学出たての新米教師」や「早く二学期が始まらないかな?」というところも、事情や気持ちを説明している印象があります。題材がとても良いので、何だかとても勿体無いんです。
この作品の場合、「夏の色」という、とてもよい言葉がすでにあります。そこを中心にして、説明を少し減らし、具体的な光景に語ってもらうと、もっと詩らしい形になっていくのではないでしょうか。たとえば、子どもが描いた一枚の絵や、夏休み前の教室の様子などを一つ置くだけでも、「どんな答えが返ってくるのだろう」という作者の楽しみや期待は、説明しなくても伝わると思います。
じじいじじいさんは「何を書きたいのか、何を伝えたいのか」がとてもはっきりしている方だと思います。だからこそ、すべてを読者に伝えようとして、説明が多くなってしまうのかもしれません。一度思っていることを全部書いたあとに、説明している部分を少しずつ削り、残った具体的な光景を並べてみる――そんな推敲をしてみると、詩の形が見えてそして余白もできます。読む人に想像という自由を与えてみようという感じに。
全体として、「夏の色」を通して、教師になった今の自分と小学生だった頃の自分をつなぐ、温かみのある作品でした。特に最後の「私も向日葵チームだった」というところには、作者自身の人柄が感じられて、とてもよかったです。
「音の饗宴」虹乃衣里絵さん
虹乃さん、お待たせしました。こんばんは。
とても端正で、演奏会の空気をよく捉えた作品ですね。冒頭の「440Hzの反響」から始まり、マエストロの登場を待つ緊張感、最初の一音、音楽への没入、そしてフィナーレ、カーテンコールへと、読者も一つの演奏会を時間の流れに沿って追体験できます。
特に「レガートからトゥッティへ/寄せては返す波のように/マエストロは 自在に操る」が印象に残りました。音楽の強弱や広がりを「波」に重ねたことで、実際には目に見えない音の動きが視覚的に感じられて、それがとても素敵です。
そして最後の「その音色が消えて無くなるまで」から「まだ 拍手は止まず」への流れがとてもいいですね。全てが一体となった会場の臨場感が伝わります。
一点だけ挙げるなら、全体的に音楽用語や「緊張感」「美しい」「美しくも儚い」など、音楽を説明する言葉が少し多いようにも感じました。すでに「440Hz」「牧歌的な音」「レガート」「トゥッティ」「コーダ」「銅鑼」といった具体的な音楽の言葉が十分にありますので、そこをもう少し信頼して、説明的な言葉を少し削るかわりに、その中にいる自分自身の存在を少し感じさせるような部分を入れてみると良いかもしれません。それが、読者にとって美しさを感じさせるきっかけの一つになると思います。
全体として、音楽を聴く喜びと、演奏が終わってしまうことへの惜しさを、一つの演奏会の中にきれいに収めた作品だと感じました。最後に残る拍手が、音楽そのものへの讃歌のようにも思えて、余韻の美しい作品です。
::::終わりに
皆様、お疲れ様です。まだまだ暑いですね。どうぞお身体ご自愛くださいね。
旅にでていました。お土産代わりに写真を一枚、置いて行きます。
(アクセス事情により、雨音さんからのメールを代理で島が投稿)
◎8月 4日(火)~ 8月 6日(木)ご投稿分、評と感想です。
☆頬杖ついて 三津山破依さん
頬杖をつくということは、物思いにふけるという姿が浮かんできますが、この頬杖、読後、例えば「ペペロンチーノ」では、頬杖をつくという所作の奥に、単にボヤっと考え事をしていることとは少し違う、日常の、言うに言えない、ちょっとしたストレスや、自分の中にだけ閉まっておかなければならない、だけど、誰かにぽそっと言ってしまいたいモヤモヤを映し出しているように思えました。いわゆる、日常の裏側のちょっと奥のような。「ペペロンチーノ」で少し気になったのは、前半、「僕は独りぼっちで座っている」となっていますが、後半では「君」という存在が登場します。この「独りぼっち」が「君が去ったあとの部屋」なのか、「誰かと一緒にいてもどこか孤独を感じる気持ち」なのか、もしくは「思い返している時間」なのかが少し曖昧です。前半の孤独感と後半の温かい思いとの繋がりをひとこと補強することで、更に詩の奥行きが深まるように思いました。
「ハンバーグ」でも、自分では似合わないと思いつつ、「あなた」が選んでくれたからと、おとなしく着用したり、ハンバーグの鶏軟骨を砕いたものを混ぜる割合を相手に気づかれない程度にしたりしています。日頃のプチストレスを、愚痴にならず、言葉巧みに自分なりの「頬杖論」を立ち上げて、サラッと表現してしまうところ、難しすぎず、すぐに作品の情景が浮かび、アニメや漫画にも繋がっていけそうな、ちょっとしたライトノベルの一節のような雰囲気も感じられ、誰でも親しみやすい作品になっていると思いました。
「ペペロンチーノ」の作中の「少しおしゃれな量」では、「足りない」とは違う、心を込めてつくってくれた相手への配慮と、ちょっとした、言いたいけど言えない心の裏側が同居していて、その後には、追い打ちをかけてくるような「こっそりカップラーメン」がきて、とうとう、くすっと笑ってしまいました。しかも、日常アルアルなので、変に納得させられてしまうところも魅力的でした。人間味が溢れていて、あたたかい読後感に包まれました。
二つのお題を読んで、ひとつの意味を鑑賞する作品の組み立て方もユニークですね。今回は、ふんわりあまめの佳作を。
☆休日の午後 埼玉のさっちゃんさん
最近、手っ取り早く稼ぎたいから強盗したとか、お金を手に入れるために人を騙したり、隣の芝は青く見えすぎて、妬んで相手を事件に巻き込んだりするニュースを耳にすることが増えて、心が痛みます。大金持ちになることだけがしあわせってなんだろうかと。そのような中、「休日の午後」のような作品に巡り合うと、心がホッとします。人間の果てしない悩み。山あり谷あり。自身に悩みが生じても、それはみんな同じように悩みながら生きているんだって言い聞かせることができる、詩行から香って来る心の余白。悩んで荒れる心の内海に凪を届けてくれそうです。
とてもストレートで、特別なレトリックもありません。ですが、最終連の一行がとても秀逸でした。
「コーヒーでも飲もうかな」
「自分の内側に、心の余裕」を、見事にこの一行で言い表してくれました。心が渇いたり、荒んだりした時、考えすぎてしまって周りが見えなくなりがちの時、誰にでも、すぐに手が届きそうな言葉。ほんの数ミリ、数ミクロンになるかもしれませんが、明らかに、息詰まる気持ちに、一筋の新鮮な光を届けてくれそうな気がしました。この一行が光ることで、純粋な気持ちを綴った詩にとどまらず、うつむきがちな日常をどうにか幸せの方向に近づけたいという、小さな希望の詩にもなり、さりげないメッセージ性のある作品にもなっていると思いました。好きなことに向かい合えること、穏やかな時間を愛すること。この時間の背景を「休日の午後」だとすることで、より一層、ほんのりとした幸福感が読後に広がりました。
「泣くよりも笑って過ごしたい」・・・・・・まったくそうですよね。佳作を。
☆師走の権現山 小林大鬼さん
旅先の風景、「湯田温泉」「権現山」「熊野神社」に、「中原中也」の生涯を重ねて、文学的情景を表現する前半の展開、そして、「夕暮れ迫る湯田温泉」「暮れかかる師走の空」といった時間経過や季節感の描写は、読み手に、映画のワンシーンのように旅の情景を広げてくれました。湯田温泉は、親戚の結婚式で訪れたことがあります。とてもよいところですよね。
前半の文学的情景描写からの、財布を失くしてしまったというアクシデントへの展開表現は、読み手を見事に驚かせました。ただ驚かせただけではなく、「中也の思いに触れる余裕なんてなかった」という本音に対比され、かなり人間臭いものを感じさせてくれました。この、「それ(中也の思い)を考える暇は自分にはなかった」という表現については、作中に二度出てきます。個人的には、「中也に思いを馳せているのはここまでだった」や、二度ある部分をどちらか一つに絞ると、文学的情景と現実のアクシデントの場面転換がより一層はっきりと伝わるように感じました。
財布を探している描写についてですが、知らない人が読んで、熊野神社が権現山の頂上にあるのか、それとも、権現山の頂上に行く途中にあるのかなど、位置的なものを、もっとはっきりさせることができると、焦って元来た道を必死に戻る動きがより分かりやすくなると思いました。
ラストの「白い狐が跳ねていた」という表現はとても美しく、湯田温泉の「白狐伝説」(傷ついた白狐が湯で足を治したという伝説)を思うと、焦りと失意の中に、どこか幻想的で救いのある余韻を感じさせてくれました。必死で探し回って疲れた足元にいたわりを授けてくれそうな、そのようなことまで感じさせてくれました。
文学的情景から切り替え、人間的なものを大きく映し出した展開、そして、ラストに幻想的な余韻を広げるストーリー性は魅力的でした。今回は佳作半歩手前を。
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四十度越えの日々や豪雨、多発的、そして、観測史上初の進行をする台風など。年を追うごとに目立ってくる自然破壊に大気汚染。人類は自然の大切さを後回しにする目先の利益に走りすぎじゃないかな。世界の気候が確実に変わってきているなと感じずにはいられない今年の夏。
まだまだ暑い夏。どうかご自愛ください。そしてご安全に。
みなさま、今日も一日お疲れさまです。