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編集・削除(編集済: 2023年10月25日 04:10)

御礼 三浦志郎様へ

評ありがとうございます。
甘め佳作と面白いと言ってくださりありがとうございます。
楽しんで頂けたようで嬉しいです。
畦道を散歩中に草を踏みながら歩いてると
ふと浮かんだ詩です。
またよろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

三浦さま、評を頂きありがとうございました。  freeBard  

ご心配ありがとうございます。子供の頃の心の動きを大人になって書いてみました。
質実、実直で在りたいとは思うけれど、まだまだ幼稚な心に囚われてしまうこともしばしばで情けなく思います。
教えて頂いた展開による驚き、それは違和感なのでしょうけれども、なかなか自分では気がつけないことなので助かります。
お陰さまで主観と客観のバランスについて考え直す良い機会を頂けたように思います。
どうもありがとうございました。

編集・削除(未編集)

約束の春 紫陽花

今年の桜は遅い
お客さんが残念そうだ
聞いてみると
病気で家に閉じこもりがちの
お母さんが 桜が好きで
まだかまだかと
お花見に家族で行く日を
待っているらしい

私も例によらず
お花見が好きな人だ
ただ桜に限らない
ムスカリだとかたんぽぽだとか
れんげそんな色とりどりを
眺めながらの出勤を
春は楽しんでいる
地面の低いところから
青や黄色やピンクがふわふわ揺れて
春もふわふわやってくる
そうしてるうちに
あのごつごつした黒い幹に
桜の花の白っぽいピンクが
頭上いっぱいに広がる
あっという間に

これは約束なのだろう
春には 春のこの道には
この桜の木があって
私はここにいるという存在感
足元の小さい春の子たちとは
また違う存在感を持って
桜の木は花を咲かせる

だから私も
お客さんのお母さんも
今年も桜に会いにいかなければならない
春の約束だから

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評のお礼です  あこ

感想をありがとうございました
行間 空間の認識を誤っていたと実感いたしました
今後それを頭に入れて詩作に励みたいと思います
ありがとうございました

編集・削除(未編集)

青島様 評のお礼です 紫陽花

青島様、こんばんは。丁寧に読んで下さりありがとうございます。青島様とバシロサウルス共有できまして、まずはそれが嬉しいです。ロマンがありますでしょう?爬虫類が海に入ってクジラになるなんて。しかも、大きさが規格外。クジラにも名残の後ろ足が骨だけ残って体の中にあるようですが、バシロサウルスには後ろ足が歩けないけど付いてたみたいです。その骨を私見てたんです。なんででしょう。その、1週間の色んな事が吹っ飛ぶような衝撃を受けたのです。これ、やっぱり書いた方がよかったのですね。私、思い出す度興奮しますもん。おかしいですねえ笑。
雨に叩かれて、小魚になっちゃうところ、私も伝わるかな?という一抹の不安ありました。でもいっぱい書くとバシロサウルスがかすみそうな感じもしまして。悩んでみます。この詩も直しがいがありそうです。
また、よろしくお願い致します。

編集・削除(未編集)

青島江里様 評をいただきありがとうございました  温泉郷

青島江里様
はじめまして。この度は、暖かい感想をいただきまして、大変感謝しております。
幸い、スギ花粉はそろそろ終わりそうで、症状も落ち着いてまいりました。
この季節だけは、スギを恨みたくなりますが、
それをこらえているうちに、おかしな考えが頭に浮かび、書いてみた次第です。
今後ともご指導いただけますと幸いです。

温泉郷

編集・削除(未編集)

◎2024年3月19日~3月21日ご投稿分 評と感想です。(青島江里)

2024年3月19日~3月21日ご投稿分 評と感想です。

◎「本当の悲しみ」 森山 遼さん

本当の悲しみとは何か?哲学的なテーマ。こういうことを書いてみようかと思う機会にはあまり巡り合うことはないと思います。詩を書いている……そういう日常の一幕があって巡り合えた機会であるようにも思えました。考えてみれば、とてもラッキーなことかもしれません。

一連目。よそへ行ってほしいとハブられた悲しみなのか。君の悲しみは大変だからとは、めんどうだから関わりたくないよと思われることからくる悲しみなのか、或いはもっと大きな意味で違うことを言っているのか。そのようなことがはっきりしないので、個人的には入りにくいで出だしとなってしまいました。どちらかといえば、二連目を先頭に持って行った方が入りやすくなるような気もしました。

一連目が入りにくかったので、三連目からの宇宙的なものモチーフに掲げた展開、想像のつかない世界を広げることで、はっきりとメッセージ的なものが読み手側からとしては、つかみにくいものになってしまっていると感じました。しかしながら、悲しみというものが得体のしれないものであったり、かたちのない、つかみようのない存在であることは、伝わってきました。

悲しみについてのアプローチの方法ですが、今回はかなりテーマが大きくなりすぎているので、宇宙のような世界を詩の中に展開したいのなら、最初に抽象的な世界を表現して徐々に日常の想像しやすいあれこれの様子につなげていくか、逆に日常のありふれた光景から徐々に宇宙のような広大な世界に広げてゆくという感じにすれば、表現しやすくなると思いました。

どちらかといえば、今回はどちらかといえば、漠然とした「悲しみ」となっていて、かなり難しいテーマになっていると思いました。書きやすくなる一例としては、「本当の悲しみ」を頭に置きつつ、それはどんな悲しみを思い浮かべるかと考えて思い浮かんできた様子を詩にして広げていくと更に表現しやすくなるかもしれないと思いました。

読後感。印象に残ったことは、次のような感じです。ちっぽけな僕と広い宇宙の対比。宇宙の広さと「僕」を思い浮かべることで読み手側の心には、真剣に思い悩んでいるとしても、宇宙の広さにはかなわない。そのような、そこはかとなく滲んでくる、広い世界の中で気づかれることのない置き去りのような悲しみを感じました。

詩を書いていないと出会わなかったかもしれないテーマ。これからも詩生活特有の体験をいかして、世界を広げていくことができますように。今回は佳作二歩手前で。


◎あの海まで 紫陽花さん

暮らしていく中で、いろいろとあるはずなのに、一瞬みたものだけが頭の中を巡ってしまう。そのような感覚。特別に突起しているもののようにみえるけれど、実はそうではなく、自身の中にある何かのどこかに繋がっているからなのではないのかと、ふと思ってしまいます。バシロザウルス。拝見したことはないのですが、その生命の姿の中に、作者さんの生命の中の何かが反応したのかもしれない。そんな風に感じました。

一連目の私の空を覆う黒い雲とは、将来に対する不安、暗雲をさすのだなとわかりました。不安になって考えれば考えるほど不安に。そして、悲しみが広がってゆくということがわかる土砂降りの雨という言葉。この先を生きていくという不安な気持ちが伝わってきました。後半の方では、暗雲について考えた不安な日々がきっかけで海を目指すことができたという前向きな姿が描かれていますね。

気になった部分は中盤でした。

土砂降りの雨になる
雨粒が私をたたく
私はたたかれて たたかれて
雨粒ほどの小魚になる

土砂降りの雨から小魚の私につながる部分ですが、たたかれて小魚になるということですが、読み手側から感じたのは、すぐに小魚になる様子へと移行できなかったということでした。「私はたたかれて たたかれて」と雨粒ほどの小魚になる」の間にあと少しクッション的な言葉を添えるとよいのかなと思いました。「雨粒みたいになってゆく/やがて」を加えるような感じで。この作品の流れの中で、繋がっていく部分はけっこう重要な位置になると思うので、作者さんの納得のいく言葉の表現が見つかればいいなと思いました。小さな魚が泳ぐ広大な水辺。思い浮かべると、どこまでも泳いでいけるという本当の自由への希望を感じることができました。

注釈を入れてくれたおかげでバシロサウルスがどのようなものかということがわかりました。ありがとうございます。もしも、注釈なしを想定するのなら「遠い昔バシロサウルスが/海を目指したように」→「クジラの祖先/バシロサウルスが/遠い昔に海を目指したように」にすることも可能だと思います。なんなら、バシロサウルスはこの作品の主役的存在なので、こちらを独立一連にして強調してもロマンがあっていいかなと感じました。

あと、注釈にいれてくれた「1週間いろいろ心に残る出来事があったのに、なぜか一瞬テレビで見たバシロサウルスが頭から
離れず」この感覚も注釈にしておくのはもったいない感覚なので、作品の中の一部分に取り入れてもおもしろいかもって思いました。今回は佳作半歩手前で。


◎涙 喜太郎さん

涙には大きく分けて2種類の涙がありますよね。嬉しい涙と悲しい涙。この二種類をもっと深堀しつつ表現してくださいましたね。

自己の成長とともにある涙を時系列にそって表現してくださいました。幼子の時代から受験生、社会人、結婚、出産、子供の成長、パートナーとの別れ。詩の中で連呼される「その時に流した 涙」は、一行、一行重ねるごとに、人の一生という時を表現する役割を果たしていると思いました。一行単独、ひとマスあけて涙とした記述方法は、涙という言葉が強調されていて、読み手にズシリズシリと生きてゆくという時間の重みを感じさせてくれました。

このままでもいいのですが、一案をお伝えしたい行がありました。最後の方の「愛する人と再会した」という部分です。どうしてかというと、この再会どういう意味かと思うことは、読み手それぞれになると思いますが、自らもいつか旅立った時という意味とも捉えられますよね。仮にそうだとしたら、この一行に辿り着くまでに重ねられてきた現実の数々。重みのある時間を重ねてきて、ラストがいきなり天国で再会ってなると、これまでの現実の重みを描いた表現が作中にいかしきれないような気がしたのです。

天国というのは、あの人は、きっとあそこにいるのだと、かなしみにくれる人間の救いとなる場所でもありますが、実際にあるとは証明されていないところ。これは私のものすごく勝手な思いなのですが、私がもし、この作品のラストを描くなら、まだ現実の世界でどうにかふんばって生きている私を書きたいなと。だから再会は、いつか愛する人と天国で再会できると信じている私の、今生きる現実の場所で、その人と再会したいなと。具体的というか、実際に体験したのは、夢の中とか、空を見ていたら急にその人の顔が浮かんだとか。応援してくれているのだなという嬉し涙でした。こうでなきゃダメという決まりは勿論ありません。天国で会いたいというのは多くの方が思われると思います。ただ、今回の作品の流れの中、丁寧に現実の時間を積み重ねられていかれた、その作品の組み立て自体がとてもよかったので、こういう感想に辿り着いたのだと思います。

どの涙にも感謝しかないと理解した時
愛する人と再会した

作中でのこの表現。涙は人生そのものという表現。すごく胸にしみてきました。涙と人生について語られた一作。今回はふんわりあまめの佳作で。


◎その時に備えている  荒木章太郎さん

近頃は、楽しいニュースが少ないと感じる人も多いと思います。反対に、戦争だとか、災害だとか、そのようなニュースが多いのは不安ですよね。人間の出すぎた行動が、お天道さまを怒らせているんだという高齢者の方の声を耳にすることもありました。「大地は何に怒っているのだろう」という一行で、そのことを思い出しました。

二連目から三連目の書き手の持論。「はやる気持ちで/人を突き飛ばさぬように/その時に備えている」……日頃からいつか誰かに役立てるようにという想像力を働かせることが準備になるということ。口だけではない思いやりを持ちたいという気持ちが伝わってきました。

風で作られたセメントを壊すため
幻想で作られた壁を壊すため
僕はきみと旅に出ることにした

ラストの連の現実の行に添えられた、少し別の次元よりの表現は、どことなく詩的な香りがして印象的でした。お金に関する表現について露骨になりすぎない役割を果たしているとも思いました。ラストの連の4行目の「寄付」ですが、ちょっとストレートすぎるかなとも感じたので、「愛を育むために、この手で稼いだお金を使いたい 届けたい」くらいの表現の方がよいかなとも思いました。お金に関する表現って本当に難しいですよね。また、ラスト二行で急に出てくる「あなたがた」という言葉。意味は分からなくないですが、あなた方をはずし「互いの復興を創造する」とする方が「僕ときみ」の周辺や関係性ということに焦点を合わせやすい気がしました。「きみ」という単独に発しているのか、大勢の「あなたがた」に発しているのかということをわかりやすくするための一案でした。

自分なりに考えている想いも難しくなりすぎず、ほどよいやわらかさで読みやすく、独自の表現も盛り込まれている作品になっていると感じました。今回は佳作一歩手前で。


◎スギを訴える  温泉郷さん

身内の一人が花粉症です。目のかゆみに始まり、くしゃみ、鼻水、喉の不調。ひどくなれば咳も。時期がきたら耳鼻科に通いで本当に大変そうです。そして、作中に書かれていた通り、医者に行ってもお薬で眠くなったり、何も手付かずになるということでした。

花粉症を題材にされた作品ということで、どんな内容になるのだろうと思いました。辛い→国の植林政策を訴える……までのことは、なんとなく想像できましたが、その後は全くの予想外の展開でした。スギを擬人化するまでのスライド的な表現がとても自然でした。まさか、スギを訴えるっていうタイトルの意味が、スギの国の植林政策について訴えるではなく、自然法廷という場所で、擬人化したスギを訴えるシーンがあるなんて。樹木、草花、昆虫、環境破壊……にまで話が及んでいます。でも、とってつけた感0%。見事な流れで、興味深く拝読させていただきました。

これはあくまでも空想をふくらませた世界。我に返る時の小道具的な目薬の使い方もよかったです。スギの花粉についてやっかいなものと思いつつも、スギに罪はないのだとする作者さんの心。最終連にある「この痒さをがまんするだけで許してもらっている」という一行には、愚かな人間を許してねという気持ちと、自然の抱擁力に感謝している、自然への愛を感じさせてくれました。辛いことを書いているはずなのに、あたたかい空気さえも感じさせてくれる独特な空気感のある作品でした。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

肌寒く雨の日が多い今年の三月。日頃の青空のありがたみをひしひしと感じつつ、まだ咲きそうにない公園の桜の様子を見ながら通勤するこのごろです。さよならとはじめましてが、いつもより多く混在する春。慣れないことで疲弊することもあると思いますが、せめて一日の終わりは、静かにすごせますように。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

編集・削除(未編集)

感想と評 3/22~3/25 ご投稿分 三浦志郎 3/28

お先に失礼致します。


1 freeBardさん 「つくしんぼう」 3/22

前半、気の毒なほど辛い状況が語られますが、大丈夫でしょうか?ちょっと可哀そうになるほどなんです。さすがに前半終わり近く、怒りが爆発しそうになっています。ただ、freeBardさんは、さすがにその怒りの収め方を心得ているようです。
「ひゅるりと風が訪れる」。この一行置きがその契機、と僕は見てます。そう考えると、この一行はこの詩に於いてますます重い。怒りを収めるおまじないとしての深呼吸にも等しい。そんな風に見ています。続く「嗤われるのは辛くとも~笑っていたい」も、それを受けての名文句と言えるでしょう。
一行置きを境に比喩としてのつくしの登場により、詩は別方面に出てちょっと驚きますが、今回、それはひとまず措きましょう。前半に対応して、生き方の隠喩としてのつくしでしょう。自分は質実、実直を選ぶ、そんな主旨を感じています。「土の筆」がしゃれてますね。佳作を甘めにして癒したいところです。


2 理蝶さん 「『し』の輪廻」 3/22

意味が違っても発音の同じもの、しかも(詩を書く人にとっては)使用頻度の高いもの、をそれぞれ特徴を捉え、上手く繋いで作品に結晶させました。これはアイデア賞ですなあ。まずは「詩」。いろいろな角度から捉え、粋な比喩が光ります。特に3連、5連の把握の仕方が好きですね。あ、発火するのもいいですね。詩の始まりと終わりを象徴する「志」と「死」。この詩にもある通り、
「志、詩、死」
このポジションもちゃんと流れを踏まえています。この三文字に導かれた連が、これまた名文です。
この本質の捉え方、詩を志す全ての人に読んで頂きたい。それを受けてのフィナーレ。それぞれに相応しい動詞を採用し対位法的に描かれます。まさに詩人の一生とまで言っていい。これは堂々の上席佳作に違いありません。

アフターアワーズ。
ある歴史小説にこんな言葉があります。「詩は志である」。この場合の「志」とは気宇・気概、心情、感性の高鳴りのことでしょう。私的余談ながら、僕の名にもこの漢字があります。この漢字を授けてくれた両親には終生感謝するものであります。


3 上田一眞さん 「二人の零戦操縦士」 3/23

最初から揚げ足を取るようなことを書いて恐縮ですが、冒頭2行です。これだと「K先生が教わった」風に取られかねないです。
「~を教えていた」か「私が高校で~~教わったK先生」のどちらかでしょうね。後者は「私」を入れたほうが安全です。
まずは「**」の手前まで。「なんと/右腕がなかった」―ここへ来て初めて腕が無いことに気づいた印象をわずかに与えるのです。そうではないでしょう。これは冒頭に持って来た方がいい。冒頭、読み手もガーンとなるでしょう。ただし、その場合、アフターケアは必要です。僕だったらこんな感じに書くでしょう。

(2行目より)

k先生―
なんと
右腕がなかった
何か深刻な理由があったに違いない
しかしそれは
絶対聞けないことだった
誰もそのことには触れなかった
当然なことだった

しかし それ以外は
ギリシャ人を思わせる~(以下同文)

「**」以降は時制的に過去に分け入っていく感覚が続きます。ここでやや煩雑なのは記述上のことで「K(先生)」「Y(先生)」といった書き方ですね。ゴリゴリする。もう少しスムーズに進めたい。この時期、まだ先生ではないので、「K、Y」でもいいようにも思うのですが、どうも釈然としないし、事はそう単純ではなさそうです。省略しても問題なさそうなところや「彼は」で代入できそうなところを探したほうがいいかも、です。あと、タイトルや文中ですが「操縦士」「飛行士」は現代感覚で読むと民間航空のイメージも混じり、ちょっと軟弱(?)そうなので、ここは「操縦員」とか、一番いいのは「搭乗員」ですかね。これだと当時の血と汗もイメージしそうです。逆に言えば指摘はこれだけで深いものではありません。あとは全く問題なく、興味深く読みました。「グラマン~12,7mm~防弾装甲のない~」など、とてもお詳しいですね。
K氏もY氏も本当に奇縁です。共に戦い抜いた二人は終生の友であり続けたことでしょう。エピソード編はもう悲惨のひと言ですね。赤トンボに250キロ、水上機に800キロはもはや狂気の沙汰です。最後は燃料なし、食料なしの敗戦。実話だけに説得力があります。これは叙事詩と言っていいでしょう。こういったことを語り継いで行くことは、歴史が我々世代に設けた課題であるでしょう。この詩はそれを担うに価値ある作品です。構成や表現も硬質にして堅牢。前半事項を考慮して頂くのを前提で佳作と致します。

* 「**」~敵機の襲撃~墜落シーン~「**」まで、ちょっと僕なりに考えてみました。(参考例)

学徒出陣
「K(先生)は零式~」→「その男は零式~」 (以下、同文) ここのパートはわざと二人の操縦士に匿名性を与えて展開。呼び名の煩雑を避ける。最後に身分を明かして帳尻を合わせる。

「後年~Y先生だ*」→全削除。次の連の冒頭に「彼は」を入れる。すなわち「彼は広島の~」。
その連の4行目「Y(先生)」は削除。その連の9~11行目を以下のように変える。

彼は事態に気づいたが 
掩護に行くにはすでに遅い
上空から見守るしかなかった
着陸時に狙われ
火だるまになって横転する零戦を―!

「やられたのが同郷のK(先生)だと知り~見に行った」を
                ↓
「やられたのが同郷の戦友だと知り 彼は見舞いに行った」 に交換。

次の連、「~~一命を取り留めたその戦友/見舞った彼は戦友の頑強な身体と強運を嘉した」に交換。

最後に句の新設→その後に「この二人こそが私の恩師、K先生でありY先生*だったのだ」を置く。
1行独立連がいいかも。ここで身分明かして帳尻合わせる。 Y先生の注釈印*はこちらに持ってくる。注釈文中に「生物の先生」を追加する。

あるいは注釈部分を本文に取り込んで「**」~「**」内をY先生の懐旧談・目撃談として直接セリフで書く手法もあり。
「その日、私は~~でね。そしてKさんの乗った零戦が~~したんだよ」
― と Y先生は語った。みたいな書き方。

これで前半既述した「K・Y(先生)の煩雑」は解消されるかな?僕の趣味も入ってるので、あくまで参考と思ってください。
ちょっと込み入ってごめんなさい。

アフターアワーズ。
この詩は物語風なだけに、いろいろなアプローチができそうです。いろいろ試してみてください。
手を入れることによって、この詩はますます良くなると思います。詩を育てていく感覚ですね。
そんな過程で派生的に別の詩ができる可能性もありそうです。


4 あこさん 「物差し」 3/23  初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。
出だしはシンプルですが、リズムがあっていいです。詩の方向性を予感させます。
ウキウキ感が充分伝わってきて、思わず「なんでそんなに幸せなの?」と尋ねてみたいほどです。
比喩としての物差しもまずまず悪くないです。「幸せは」と「物差しは」を「は」で揃えたのは意図したことでしょう。「そんじょそこら」は詩になりにくい言葉ですが、特に違和感を感じなかったのは、この詩のトーンが背景にあるでしょう。着地の一句もユニーク。次の文をよく読んで、また書いてみてください。

アフターアワーズ。
分かりやすく、結論から書きます。本作のような盛大な行空け・連分けはやめましょう。初心者用掲示板でも同様です。ふたつの理由が考えられます。

① 対外的……ズバリ「節約と公共性」です。これは世間一般常識に近いです。これだけで、概ねお分かり頂けると思います。
掲示板冒頭ご案内に「詩行を1行おきに書くのはやめて下さい。原稿は正しく書いてください」という項があり下部に「各行2行ずつ以上空けて書いた場合も同じです」―ここを参照ください。この一文も節約と公共性に根ざしていると考えられます。

② 対内的……こういう言葉はあまり使われませんが、①との対比で意図して使ってます。ご理解を。すなわち、ご自分のために、
という観点です。もちろん先の案内文も同様の事も言っています。
およそ言葉、その集積としての文章―日常文、仕事文、論文、小説、詩etc―は、かたまりを作って、初めて体を成し意志伝達されたり文芸価値が出るものです。本作のような書き方だと空間的、意味的に拡散し意味、解釈の取り方、伝達・表出の度合い、味わい度合いが著しく低下します。文章価値も散ってしまいます。読み手はどう思うでしょうか?(よくわからない)そう言って詩から立ち去るケースが出るでしょう。相手にされないこともあるでしょう。読んでもらわねば何にもなりません。読まれても印象に残らないでは残念なことです。これはご自分にとって著しく不利であります。仮にこれを本にするとします。編集者はたちまちクレームするでしょう。コンクールに出したとすれば、たちまち落とされます。不利になることはあっても有利になることは全くありません。

ここの掲示板は1行間が比較的広く―。

かたまり
1行空け  で充分連分けできます。

かたまり
3行空け  くらいで、ちょっとした章構成を演出できます。

以上、今後充分考慮していただきたい。              三浦志郎



5 大杉 司さん 「暗い春」 3/23

内容、全く同感です。遠因は正月の能登半島地震で出鼻を挫かれたこと。あの惨事がいまだに人心に尾を曳いている、とは言えると思います。加えて寒の戻り、曇天、天候不順、群発する小地震なども挙げられるでしょう。会話にも「なかなか春らしくなりませんねえ」といったことをよく聞きました。
ここで話題を変えます。僕の場合、およそ詩とは対象を全否定するには向かない媒体だという認識があるのですが、この詩は“見事に否定”している。これは皮肉でも何でもなく―変則的ではありますが―賛辞です。そのようにお心得ください。その事がこの詩の個性であり存在意義となります。具体的に感じさせるのは自然、天候が人の心に及ぼす影響が核になっているでしょう。それと、大杉さんは比較的、正直にストレートに書かれる傾向にありますが、本作がそんな作風の、これまた核になるでしょう。表現や修辞も、これはグレードアップしています。佳作となります。


6 秋乃 夕陽さん 「共に越える」 3/24  初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。あくまで、この詩のみの印象で言うと、伝統を重んじ、端正な印象を受けます。真面目で少し年配のかたかもしれません。あの災害に対しての皆の思いを取りこぼしなく、代弁して書かれたような趣があります。殊に注目されるのは「私のもう一つの故郷はこうして破壊された」でしょう。ちなみにここは「一つの」よりも「ひとつの」の方がいいでしょう。その悲嘆は並大抵ではないでしょう。それを受けての4連目。ここは他と比べて、よりパーソナルな思いが綴られ、しかもより感情も深まるかのようです。「地底からの因果」「心を傾ける」に注目しました。特に後者を含む終わり2行は結論とも取れる趣きがあります。「心を傾け」そしてタイトル「共に越える」の境地に至ったのでしょう。 また、書いてみてください。


7 司 龍之介さん 「蟻んこ」 3/24

これは面白いし、可愛いです。まず、この蟻のキャラクターです。普通、蟻は働き者とされていますが、この詩の蟻はハズレ者、ここが面白い。こういうのが1匹くらいいてもいい。個人差ならぬ、“蟻ン差”ですね(笑)。みんなと混じって真面目に働いていればいいものを、1匹でフラフラ遊んでいるからはぐれもする。この設定も自然です。次に、この詩を味わうのに人間世界とアリとの絶望的なほどの寸法の違いを充分把握する必要があります。そうでないとこの詩は味わえません。その点で「高さ十メートルのたんぽぽ」は言い得て妙です。靴の裏の隙間にはまってどんどん進むさまはアイデア賞的な設定。 どの設定~流れも上手いです。靴裏でどんどん歩いているから、よほど遠くまで行ったのだと読み手は思いがち。(でも、そんな遠くで、なんで仲間~家族に会うんだ?)と疑問は湧くんです。そこで関係するのが既述した蟻と人間の寸法違い。なんのことはない。この蟻は人間の一家庭の庭をウロウロしていただけ……。そんな想像も成り立って、ちょっとトリック的で面白いです。最後、この蟻は旅をすることになるけれど、やっぱり庭の範囲内でしょうね。「お前、まだいたのか!?」仲間からまた文句を言われそう。でも裏を返せば、この蟻さん、身は安全という事で……面白く楽しめました。甘め佳作を。


8 じじいじじいさん 「制服」 3/25

上席佳作! ついにじじいじじいさんがここまでおどり出た!発想、ストーリー、感動の度合い、
全て申し分ありません。全てです。子どもから大人まで全てを包む。ただ読んで、味わって、感じて。
ミウラがウダウダ多くを書く要なし。担当した僕も大変嬉しく思っています。現時点で最高峰。
こういったものをまた是非読みたいです。こうなると、案外、次が難しいというもの。肩の力を抜いて
自然体が案外いいかもしれないです。



評のおわりに。

失礼して、全て引用文で終わりたいと思います。

「過ぎ去る時は容赦ない。事が起きてからざっと七十五年経過すると、体験者は世の中から退場する。
(中略) 生の体験の世界から伝聞の歴史へ移行しようとしている」
(読売新聞 3/24付 書評欄より)      では、また。

編集・削除(編集済: 2024年03月28日 18:25)

コミュニケーション  相野零次

手渡す僕 受け取る君
投げる俺 ぶつかるお前
誘うわたし よろめくあなた

花のまわりを飛び交うミツバチたちは
やがて花粉の配達人となる
巣に帰ってきてただいまを我が子たちに告げる

雛鳥たちは大きな口を開けて母の名を精一杯叫んで
いつも飢えていないかと心配になる

心を差し出すために一本のナイフなどいらない
想いを真珠にかえて悲しみの海から産まれる貝のように

小さなとても小さな生物たちの祈り
鯨でも受け取れる大きな恐竜たちにも届くかも時を超えて

タイムマシーンなんて夢の発明!
大丈夫ちゃんと届く 詩歌の中にも描かれるとびきりの天才たち

もっともっと飛躍しよう 宇宙はどこまでも広がるが
宇宙なんて言葉で定義すると途端に有限になる
無限なんて言っちゃいけない祈っちゃいけない届いちゃいけない
黙ることすら簡単じゃない 
無意識に ああ ダメだ!
何も考えずにああ笑っちゃうもう考えてる
届けたい今君に 陳腐でいい
泣こう 鳴こう 叫ぼう やまびこがたくさん
跳ねて飛んで転んで
山も谷も あれスケールダウン
空 宇宙 さっき出てきた
赤ん坊です僕なんて赤ん坊はいわない
長くなると読んでもらえないよ
そろそろ感動のフィナーレ
感動なんてしなくても終わる
終わりのことば
僕?誰だ俺とかわたしとか何?
日本人だから
そう収束させて
んん ああ ええいい わけが かんがえないで 
むり いいのそれで
さようなら

編集・削除(未編集)

居ない  あこ



不思議だね 



居る筈のひとが
居ないのは




ラムネの球は  



何処へ行ったの

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