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★★ << 2つの掲示板のご案内 >> ★★

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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

島様 お礼です 上原有栖

島様、今回も感想&評を頂きまして誠にありがとうございます。
ラストの連分けアドバイスもありがとうございます。
描写についての踏み込み具合の塩梅がなかなか難しいですね。今回は少々入り込み具合が足りなかった……!
もう少し考えてみます。ああ、詩を書くのって楽しいですね。

この詩、最初にタイトルがありきでした。
最近は江ノ島に行っていないので、想像を膨らませて書きましたが
やはり現場の空気感を久しぶりに感じたいと、この詩を書いていて思いました。
潮風を吸えばもっと濃い詩が書けたかもしれません。精進致します!
明日から入院してきます。ベッドの上でまったり詩作をしてまた投稿に戻ってきます。

編集・削除(未編集)

評のお礼 島 秀生様

この度は「捨てる」にご講評頂きありがとうございます。シンプルな表現で捨てている感じを表現したかったのですが、まだ削れたようです。接続詞の省略は他でも使えそうなテクニックなので意識していきたいと思います。
またご講評頂ける際もどうぞよろしくお願い致します。

編集・削除(未編集)

評のお礼 荻座利守様

この度はThe Color of My Nightにご講評頂きありがとうございます。
ロマンチックでメランコリックな失恋+喪失全般を書きたかった作品で、具体的に何が起きたのかは解釈可能な余地を残してみました。そのはっきりしなさが読み手によって冗長に感じられる点は確かで、変更するか迷うところですが、検討致します🙇
また書かせて頂きますので、ご講評頂ける際もどうぞよろしくお願いします。

編集・削除(未編集)

島 秀生様 御礼  aristotles200

島 秀生様
拙作「椰子の木」に評とご感想をいただきありがとうございます。
おまけ秀作との評、今後の励みとします。

「木が、ゆっくりと暗い深海に沈んでいく」
このイメージを詩にしました。
叙情自体は良いとのお言葉、嬉しいです。

ご指摘の通り、木、自体が何ものであるかが最後まで見えず、見えないままという選択肢もあったのですが、安易に椰子の木にしてしまったことが悔やまれます。

次回も、ご指導お願いいたします。

編集・削除(編集済: 2025年11月23日 15:39)

島 秀生様 お礼  ゆづは

お世話になっております。このたびは、丁寧な評をいただき、ありがとうございます。
2~4連をお褒めいただけて、大変嬉しく思います。特に気持ちを込めた部分なので、とても励みになります。
「立って待っている」という印象についてのご指摘、確かにそのように読まれるかもしれません。心情を表現したつもりでしたが、場面描写としてはもう少し工夫が必要だったと感じています。貴重なご意見、ありがとうございます。今後も詩作を続け、より深い表現を目指していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。
最後になりましたが、ご心配いただき、温かなお言葉をありがとうございます。お心遣いに感謝いたします。仰る通り、心のケアも大切にしていきたいと思います。

編集・削除(未編集)

評、11/7~11/10、ご投稿分  島 秀生

遅くなりましたー

朝夕めっきり冷える季節になってきましたので、
皆さんもあったかくしてお過ごし下さい。

私はフトコロが寒いです。

トランプさんは、あんな内容をウクライナに飲ませるつもりなんだろうか。
所詮トランプはトランプか!?

●多年音さん「雪だるま」

前半は前半で謎かけ的に外見の理由が語られてていいし、後半は後半で、本当の気持ちというか、内面の心の内が語られてていい。キレイに構成されています。
すでに葉っぱが落ちている季節だから、雪の中の「木の芽」で描いたんですね。「木の芽」はグッドだと思いました。道路の轍を具体的に示したのも良かった。秀作あげましょう。

強いていえば、いいとこまで書けてるんで、もうちょっと入り込んでもいい。「木の芽」についても「育つ姿がみたい」というニュアンスを込めた方がいい。

ほんとはね
そこの木の芽が
どんな色に育つのか見たいけれど
それは僕にはかなわない

僕は今日も愛らしく笑う
みんなちょっとは癒された?
道路の轍が消えかけて
濡れたアスファルト
僕もじきに、ああなる

涙なんてしなくていいよ
側を通った時に
ちょっと思い出してもらえたら


こんな感じ。一考してみて下さい。

あと、細かい話だけど、3連の終行「皆んな」は、正しくないとわかってて便宜的に使う人がいるんだけど(戦前には、その表記が本当にあったようですが、今は誤記になります)、そこまでして敢えて使う意味はない気が私はするんよね。「みんな」と読ませたい時は、オールひらがなの「みんな」の方が誤記にならなくていいですよ。
あ、5連では「みんな」で表記してますね。ただのミスタッチだったのかな???


●相野零次さん「巨人」

意外な巨人だし、意外な展開だった。概ねおもしろいです。

これって、両方の国が同時に白旗をあげて降伏した → 戦争が終わった → 両方の国の人が感謝し、涙した。と、いうことにしてはマズイかな??

そのとき空から声が聴こえた
みんな悲しまないで
これで戦争が終わる
みんな抵抗しないで
白旗をあげて降伏して
それでもだれも悲しまないように
僕がなんとかするから
それは声なき声として
この国と敵対国の、
全員の耳に届いた
どちらの国も白旗をあげ
戦争は終わった
両方の国の民はみな驚き
そして感謝した
両手をあわせ感謝の祈りを捧げた
雨が降ってきた
それは巨人を失くした
両国みんなの哀しみと
明日へと続く希望の涙だった


こんな感じですが、どうでしょう?
いや、ニュアンスとしてはもともとニアーだったのかもしれませんが、そこを、はっきりさせてみました。一考してみて下さい。

ほぼほぼいいんだけどね。秀作プラスを。


●佐々木礫「捨てる。」

1~3連の捨てていくところは、とてもおもしろい。捨てるものの表現や思いも興味深いものです。
で、話の脈絡からするとね、これだけ捨てたあとに何が残るんだろうというのが、謎かけみたいにもなっていて、すごく知りたくて、ワクワクするんですよ。

なので、「やがて」どうなる、ではなくて、この捨てたあとの「今」がどうなってるか?の回答が知りたい脈絡になってるんです。
ですから、残ったものは何か、「今」として書いてほしいというのが、終連です。「やがて」ではなくて。

どんでん返し的なものもいらなくて、ただ残ったものを現在形で書いてくれたらよい。
例としては、

虚無に腐食した心は、
烏の漁ったゴミ捨て場。
叙情もなく、感慨もなく
ただ汚れてそこにいる。

こんな感じ。一考下さい。

いいとこまで行ってるんよな、おまけの秀作にしておきましょう。


●上原有栖「鳶(とんび)、高く 肩、ビンと」

ああ、それ、そこでもですか。
ホントにカラスみたいに、人間の食べ物の味、覚えちゃってるやつがいて、スッと音も立てずに、横からやって来て、手に持ってる食べ物をサッとカッパラッテいく鳶がいるんです。まるで狩りをするがごとくにです。うっかり弁当を広げてても来ます。まさか上空から来ると思ってないのでビックリします。しかも目ざとい。でも、ホントにピンポイントでうまく取っていくので、それでケガした人って、私、聞いたことないです。ほぼないんじゃないかなと思います。手品のごとく、一瞬でなくなる。あまりの素早さと、一瞬の翼の風圧に驚くだけです。音をたてずに滑空して来るんですよ。で、掴んだあとに羽ばたいて、急上昇します。
人間をナメてるといえば、ナメてるんですが、それするのは特定の個体だけで、縄張りがあるのか、ごく限られたエリアだけで起こることですし、狙うのは食べ物だけなんで、なんとなく許せてしまう。あまりに鮮やかなので、感心しちゃって許せるとこもあるんです。
そこではワザを覚えた個体が複数いるんですね。たぶん、あのカッパライ技は、もともと人間の近くで暮らしていて、人間に慣れてる鳶にしかできないワザだと思いますよ。そもそも猛禽類は肉か魚しか反応しないです。おにぎりカッパラうのは、雑食の鳶くらいなものです。

作品ですが、
ラストがスパッと終わってしまってるのが、ちょっと寂しい。
せめてラスト2行は連分けして、

見慣れた光景はこの先もずっと続くだろう
人間と鳶の共存はわが街の常識なのだから

と、ちょっと威張ってみせるのもいいかもしれませんよ。

初連、良かったし、3連くらいまで文句ないんですけどね。通行人の悲鳴のとこが、やっぱりこの詩のクライマックスに見えるので、クライマックスのあと、スパッと終わってしまうのが寂しかったな、の感があります。
この街自慢をするコンセプトでもうちょっと考えてみられたら、と思います。そこがあれば、もう一段、評価があがります。
でも、ちょっといいお話でした。現状、秀作を。


●aristotles200さん「椰子の木」

この詩はね、私ちょっと困りました・・・。
どっちかというと、椰子の木じゃなくて、椰子の実の方がまだしも想像しやすかったんですけどね。
椰子の木って、デカイし、背が高いものですよ。よく椰子の実が食用にされる代表的なココヤシになると30mあります。言っちゃうと、この詩は、大木が流れてる図を思い描いて読めって、言われてるのと同じなので、周りの情景が変わっていっても、大木の場合、どうなっているだろう?? みたいな引っ掛かりがずっとつきまとってしまうのです。
だから、情景が遷移していっても、大木ゆえに、そんな軽やかに状況にすぐ順応できないというか、情景をそのまま、スッと落とし込んで読めないんですよね。その場合、大木だったらどうなっているだろう? みたいなクエスチョンがずっとつきまとってしまう。

思うに、この詩、最初は「椰子の木」で書いてたんじゃなかったんじゃないですかね? もともとは違うもので書いていたのを、あとで「椰子の木」にモノだけを差し替えたんじゃないんですかね? だから、サイズ感が終始合ってないんじゃないのかな? そんな感じがします。
せいぜい2~3mくらいのものの感じで書かれてる気がするので、対象となるモノをどうするかについて、ちょっと工夫してみて下さい。

浮いているなんらかの木切れが、風雨ののちに、しだいに朽ちて、海に沈み、海底のものと一体になっていく。その様子自体はよく書けているし、なんだかそこに無常観すら感じさせる抒情があります。別のものを想像する分には、抒情自体はよいので、おまけ秀作としておきます。
ですので、なにか適切なものを嵌めてもらったら、と思います。

ちなみに、椰子の木は、過去にはカヌーの材料にもされていた浮力が高い方の木になるので、たぶんある程度朽ちてからしか沈まないと思います。原型を保ってる状態のままで沈むことはたぶんないと思いますよ。


●ゆづはさん「遠い出口」

なるほど。
前に拝見した詩も、入院してたのは、ゆづはさん自身だったのかもしれませんね。
私、解釈を全然間違っていたなら、ゴメンナサイ。

「二ヶ月に一度の定期検診」というと、術後の経過観察のようなものが想像されます。
「遠い出口」のタイトルからしても、長期の取り組みが必要な重い病気をお持ちのようです。
いちおう退院して、通院が続いてる状態ではあるようですが・・・。

なるほど、こんな感じに、定期的な病院通いがあるんじゃ、病院のあとに、何か楽しみがいりますね。何か、あとの楽しみがないと、通院が苦痛ものばっかりになってしまいますから。

私、母の通院の送迎をしてた頃、病院のあと、コーヒーとパンが好きな母につきあい、よく喫茶店に入りました。コーヒーとトーストを頼むんですが、糖尿病も持っていた母は、「トーストにバター塗らないで持ってきて」と注文がつくんです。ところが喫茶店の人は、トーストがチンと焼けた途端に取り出して、サッとバターを塗るクセがついてまして、つい、クセで塗ってしまうんだそうです(カウンターの向こうから、「あっ!!」という叫び声が聞こえてきた時も)。2回くらい失敗して、3回目くらいにやっと出てくる、というパターンがよくありました。ただのトーストがね、なかなか出てこないんですよ。聞いたら、そんなこと言ってました。(失敗した2回のトーストは、そのあとどうなったんだろう???)
まるっきり余談でした。

2~4連は、周りがみんな自分を見ているように感じてしまう場面ですね。
気持ちが滅入って、ちょっと神経質になってしまってる様子がよくわかる詩行ですが、
私、この2連から入って、3、4連へと行く間、とても上手に書けていると思う。ステキです。

ちょっと、おやっと思ったのは、小さな病院だと席が充分になく、立っていることがありますが、大病院は逆に席がたっぷりあるので、あんまり立ちっぱなしになるってことないと思うんですが、6連と終連を読むと、作者は席に座れず、立って待っている感じがする。そんな感じに読めてしまうのだけど、それで良かったろうか?
比喩的な意味で、一歩を踏み出せずに立ち止まってる意で書かれてる部分も、あるんですが、まずもって場の情景を思い浮かべるにあたり、立ってる表現しかないので、立って待っている図が浮かんでしまう。そこはそれで良かったんだろうか? とそこだけ気になりました。

終りが見えない治療はつらいですねー 先が長い時は、先のことを考えずに、通院そのものを日常生活の一部に思うしかないって感じかもしれませんが、やっぱり病院のあとにどこかに立ち寄る楽しみを作るのがいいと思います。通院自体に何か楽しみを付加するのが一番です。

心情はよく書けています。秀作を。 どうぞ、めげずに、お大事に。


●雪柳(S. Matsumoto)「また夏が」

すばらしいですね。子どもの頃の思い出ではありますが、単にそこで終わらず、人生の中の大切な時間であったこと。また、故郷を離れて久しいこともあり、距離と時間の両面において、人生の中の戻れない瞬間であることを説いています。
また、そこから翻って、自分がずいぶん遠くまで歩いてきたこと、人生の疲労感や老いのようなものも、感じ始めているようです。
単に思い出を懐かしむにとどまらず、ここまで生きてきた人生の中で、それが捉えられていて、スケールが大きい話になっている。とてもいいですね。

きっかけが揚羽蝶を見たことなんですが、それが回想を呼び、最期は象徴的なものへと高まっていきます。揚羽蝶の描き方もステキですよね。
しっかり書き込んでくれていて、人生がぎゅっと詰まってるような一作でした。
名作&代表作入りを。

順番に行きますとね。
まず初連。この詩の契機となるのが揚羽蝶というのがステキですね。揚羽蝶はまさに柑橘系の木に卵を産み付けに来る蝶なので、「ミカン畑」とピッタリ合っています。同時にこの「ミカン畑」の語が、「ミカン畑」という一つの風景を浮かび上がらせてくれて、良いです。
せっかく育てていたのに、羽化した蝶の姿を見ることなく、学校へ行ってるあいだに親に放されてしまった苦い思い出。こういう苦い思い出を書いてくれてるのもいい。
こういう子供ごころをわかってない親の行為による苦い思い出、みたいなものは、みんな小さなキズになって、一つや二つは心の底に残っているところで、この後半3行はとても共感を呼ぶところですね。

2連、3行目からの5行、故郷の風景をしっかり書き込んでくれています。このしっかり書かれた5行により、情景が、読む者の心にもぱあっと具現化して見えてくる感じがします。ここも良かったです。

3連は、それらが、「憂いのない子供の時期でないと得られないもの」だと、早くも作者が悟っているところですね。真理に早くも行き当たってしまってるんですが、これが詩の結びにあるのではなく、中盤にあって、そこからまだ展開して、今の自分を考えてるところが、この詩の特徴であり、この詩を「人生」のサイズに大きくしてるところです。

4連ですが、実はそこワンセンテンスになっていて、少し積み重なりすぎになっているところなので、つまり、すでに負荷を抱えてる状態のところなので、言葉で詰まらせない方がいいです。言葉だけでもスムーズに流れた方がいいです。
ついては6~7行目を

野辺送りよろしく運んでみたが
結局どこにも葬り去るあてのないそれは

こう変えて、スムーズに流すことを勧めます。

終連がね、またグッドなんです。揚羽蝶に話が戻ってくるところもちろんそうですが、思い出の夏の帰結だけでなく、翻って、今の自分の歩いている位置を確かめるかのような心情を描いてるところがいい。言えばそれが、直線上の、もう片方の端なんしゃないですかね。端と端があって、そこで人生の「距離」が出るから、そこが重みとなって、この詩は余計に良いと思うのです。

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ごめんね  じじいじじい

え〜!またきたの?
クマさんがわたしのすむまちに またきた

きんじょのはたけをあらしたり
おうちのなかにはいったり イタズラばかり

どうしてクマさんたちはイタズラするの?
じいじにきいたらおしえてくれた
クマたちのすむもりをね にんげんがこわした
もりのしぜんがへったから クマはおこってる

もりがへったらクマたちのゴハンがへるからね
クマたちだっておなかすかすよ
にんげんがしぜんをたいせつにしないとね

わたしおもった
にんげんはしぜんをたいせつにする
クマたちもにんげんにイタズラしない
そうせればなかよく おともだちになれるね
クマさんたちごめんね
なかよくしようね

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Ema様へ 訂正承知しました  水無川 渉

Ema様

ご投稿をありがとうございます。訂正の件、承知いたしました。
よろしくお願いいたします。

水無川 渉

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珈琲豆  小林大鬼

仕事帰りにバスを降り
たまに立ち寄る
学園の森の珈琲店

硝子扉の奥を覗くと
小さな店内の厨房にいる
若き店主と目が合って
そこから会話が始まるのだ

営業は春から秋の週一二回
自分一人のためだけに
店主はいつも待っていた

濃い珈琲をブラックで
飲めるようになったのも
この店に出会ってからだった

店主の好きなジャズが流れる中
お気に入りの席に座り
硝子張りの窓の外を見ながら
あれやこれやとおしゃべりする

今日は何にしますかと言いながら
店主はその日のおすすめを勧めて来る

店主が淹れる珈琲は香り高く
黒く深みがある味わい

今日のは美味いですよ
これが店主の口癖だった

木目調の店内には
小さな木のテーブルと
椅子が並ぶだけで
余計なものは一切ない

今年に入って店主から
この夏で店を閉めると告げられて
初めて深煎りの珈琲豆を買った

店のシャッターが降りてから
その道はもう通らない
秋風が寂しく吹いていた

時々思い出したように
封を開けて珈琲豆を挽き
お湯を沸かして珈琲を淹れる

店主に習った珈琲の手順を
いつも思い出しながら

いつも優しく淹れていた
店主の顔を思い出しながら

冷蔵庫に眠ったままの珈琲豆
忘れられない珈琲店の思い出とともに

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水無川 渉 様 訂正のご連絡  Ema

お世話になります。はじめまして、Ema(エマ)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
初っ端から大変申し訳ないのですが、
11/20の投稿No.6514「ライン(line)」を訂正をしております。
①誤字 「確立」→「確率」
②変更 最終連の一行目「橋」→「跨川橋」
以上二点になります。どうぞよろしくお願いいたします。

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