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編集・削除(編集済: 2024年09月10日 18:37)

水無川様、御礼  秋冬

この度も温かな言葉を頂き、ありがとうございます。

どのように読み進めて頂き、水無川さんがどのように感じられたかが良く分かり、勉強になりました。
「こういう話、私は大好きです。」とのコメントを読んで、年末最終勤務日も頑張ろうと思いました。

引き続きよろしくお願い致します。

編集・削除(編集済: 2022年12月28日 12:15)

水無川 様 評のお礼です。

はじめまして。maut joe と申します。今回は詩の評をありがとうございます。
時間をかけて読み込んでくださり、ありがとうございます。
水無川 様の解釈と作者の意図は一致しております。
今後は事象をもっと様々な角度から捉え、よりわかりやすく、より深みのある作品づくりにつとめます。
改めまして、今回は評をつけてくださり、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。

編集・削除(未編集)

水無川様 評のお礼です 紫陽花

水無川様 おはようございます。しっかり読んで頂いてご指摘もありがとうございます。毎回感動してます。実はこれは本当に 我が家の廊下にポトリと落ちていた文が、なんとも私の変なツボにハマって書いてました。なんか変なプリント、内容も文もだったのです。みんな、校務員さんの仕事を軽んじてないのに、校務員さんの仕事を分かってと若干怒り?を感じるような内容でした。そこから愛もそんなかなとつながりました。変だなと思うところは、納得行くまで読み直そうと改めて思いました。改行は毎度お悩みどころです。
またよろしくお願い致します。

水無川様も良いお年をお迎えください。

編集・削除(編集済: 2022年12月28日 07:25)

詩の評、お礼です。  じじいじじい

水無川様

こんにちは。
詩の評、ありがとうございます。
私も小さな頃、祖父や祖母に色々と教えて頂き覚えていることあります。教訓になっている事もあります。そんなやりとりを詩にしてみました。たしかにインパクトは薄い作品になっさまいました。そこを次に活かしたいと思います。

これからも宜しくお願い致します。

編集・削除(未編集)

感想と評 12/13~12/15ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。12/13~12/15ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。


●紫陽花さん「愛がすねてる?」
紫陽花さん、こんにちは。この詩の中心にあるのは「人類には愛が必要」という、とてもストレートかつ正論な主張だと思います。それをそのまま書いてしまうと説教臭くなってしまいがちですが、愛を擬人化してそれがどんな「仕事」をするか具体的に描写していくという着想がいいですね。詩の中で書かれているように、友人や家族、社会において愛がなくてはならないものであることがよくわかります。最後は人類全体にまでスケールを広げて終わっているのも良かったです。

まずコメントさせていただきたいのは、タイトルの「愛がすねてる?」と最終連の関係です。タイトルからすると、いろいろな人間関係がぎくしゃくしていて、これは愛がすねて仕事をしていないんじゃないか、という疑問を抱いているように思えます。けれども最終連ではそこまでは行っていないというか、仮定の話にとどまっているように思います。

ですので、タイトルを活かすなら最終連をもう少しタイトルに合った形で書き直した方がいいかと思いました。そしてその場合は、具体的にどう社会がぎくしゃくしているのかを描写する部分も付け加えるといいと思います。現状ですと、愛の仕事内容が列挙されてすぐ最終連が来るので、その間に飛躍があるように思えるのですが、いかがでしょうか。

または最終連をそのままにするなら、タイトルを変えて「愛がすねないように」等に変えると良いかもしれません(あくまでも一例です)。ただし、最近の世の中を見る限りでは、すでに愛がだいぶすねてしまっているように思えますが・・・

あと細かい点ですが、2連目の「愛とは・・・仕事をしています」は主語と述語が噛み合っていない「ねじれ文」になっていますので、初行は「愛は」でいいと思います。それから個人的には4連目の改行位置や言葉の区切り方、つなげ方が少し分かりにくかったです。

いろいろコメントしましたが、中心的な主題と着想は素晴らしいと思いますので、少し推敲していただくと、さらに良い詩になっていくと思います。参考にしてみてください。評価は「佳作一歩前」なります。


●妻咲邦香さん「ズンタッタ」
妻咲さん、こんにちは。妻咲さんの詩はこの掲示板でもいろいろ拝見していますが、コメントさせて頂くのは初めてなので、感想のみになります。

この詩は一見無関係に見える複数のイメージが「ズンタッタ」というマーチのリズムでゆるやかに結び付けられた構成のようです。それぞれのメタファーが何を指しているのかはよくわからなかったのですが(特に2連)、最終連からすると、この詩の全体は詩人による詩作の歩みについて書いているのかなと思いました。

この詩では「城」のイメージが繰り返し出てきますが、同時に「マーチ」のイメージもあります。前者は定住、後者は移動のイメージですので互いに相反する部分がありますが、タイトルからして後者に重きがあるように思いました。つまり詩人は世界の不思議を言葉に変換して詩という城を築く、けれどもそこに定住することはせず、前進していってまた別の城を築いていく、ということなのかもしれません。それは時に虚しさに襲われるような働きかもしれませんが、「大丈夫」と語り手はエールを送ります。

マーチのリズムを表すズンタッタという擬音語の響きがとても気に入りました。軽快で楽しげで、それでいてどこか懐かしさがあり、滑稽で物悲しげでもある。それはある意味で詩人の営みにとてもマッチしていますね。

このような解釈が作者の意図したものかはわかりませんが、いずれにしてもいろいろな読み方が楽しめる詩ではないかと思います。またのご投稿を楽しみにしています。


●森山 遼さん「11月25日  晩秋のちいさな 奇跡」
森山さん、こんにちは。公園への散歩といった日常の中、一瞬日常を超えた不思議な体験をするということはありますね。タイトルにある「11月25日」に何か特定の意味が込められているかと思い調べてみましたが、特にこれといったものは見つかりませんでした。むしろ、不思議な体験をすることによって、まったく普通の日である11月25日が語り手にとって特別な日になった、ということでしょうか。俵万智さんにとって7月6日が「サラダ記念日」になったようなものですね。

この詩は「私」が「妻」と小さな諍いを起こして、重い心のまま公園に散歩に来ると、突然世界の美しさに心を打たれて涙を流す、という展開になっています。その体験を通して、それまでのありふれた光景も違って見えてくる、ということなのですが、読者としては「妻」との喧嘩はどうなったのか、ということが気になります。しかし最後まで読んでもそれについては一言も出てきません。わずかに「帰途についた」の一言が、これから「妻」との関係にも何らかの変化が起こることを期待させますが、その後の結末部分にも「妻」のことは出てきません。そこで、もう少しはっきりした形で最初に敷かれた伏線を回収した方がいいように思いました。ご一考ください。

全編にわたって文章をスペースで短く区切って書いていく表現がなされているのが最初気になりましたが、他の作品でも同じ語り口が使われていますので、これは森山さんのスタイルということで受け止めました。

静かで穏やかな雰囲気に満ちた作品で、とても良かったです。私にとっては初めての方なので感想のみになりますが、またのご投稿をお待ちしています。


●朔音さん「砂の城」  
朔音さん、こんにちは。砂で作った城の脆さや儚さといったイメージは詩ではわりとよく取り上げられるベタな題材かもしれませんが、この詩ではそれが崩れないようにセメントで作ってしまおうという、面白い発想の転換がなされています。

ついにどんな波が来ても絶対に崩れない城ができたと思ったら、そこでハッピーエンドにならないという、ひねりの効いた結末もいいですね。何があっても壊れない存在は、安心感はあってもつまらなく、飽きられやすいものなのかもしれません。実際には砂浜で作った砂の城が海底に没してしまうためには、地質年代的な時間の経過が必要になってくるのでしょうが、詩の世界ではそういった誇張表現も許されるかと思います。

語り手である「僕」は砂浜で遊んでいる子どものようにも思えますが、実はこの詩はより一般的な人間の一生を、あるいはさらに視野を広げて人類の文明の営みさえ読み込むことができるかもしれませんし、いろいろなレベルで読むことのできる深みを持っていると思います。とても読み応えのある詩でした。

一つ細かい点ですが、初行の「砂の城」はタイトルですよね? 投稿自体にタイトルを書いてくださっていますので、本文には不要かと思います。

初めての方なので感想のみになりますが、またのご投稿を楽しみにしています。


●maut joeさん「[どきどき]」
maut joeさん、こんにちは。この詩はなかなか分からなくて、何度も読み返してようやく自分なりの解釈にたどり着きました。これからお伝えする内容は作者ご本人の意図とは食い違っているかもしれませんが、その場合はご容赦ください。

この詩で描かれている「まど」や「へや」は作者の心の比喩ではないかと思います。潰れかかった、内部が混沌とした部屋には、世界に通じる窓がありますが、それも汚れて外が見えなくなっている。そんな中、突然窓の汚れを拭き取る「きみ」の手が現れた、ということではないでしょうか。

「きまじめちゃん」は「ぼく」のことで、外の世界に対する関係性を断念して、自分の中に閉じこもっていたのかもしれません。「ほんとは/なにもいらない と/いいたかった」というのは、そんな過去の「ぐらぐら」した心情を表しているのではないでしょうか。

でも、「きみ」との出会いで「ぼく」は世界への目が開かれ、外に飛び出していく勇気が与えられたのかもしれませんね。「ぜーんぶほしい」というのは、そんな意気込みを表しているのかもしれません。

閉ざされた心が外に開かれていく際の、期待と不安に満ちた「どきどき」感が描かれた詩ではないか――そんな風に私は読みました。

全文にわたるひらがな表記でやさしめの言葉遣いがなされていますが、いろいろな読みができそうな、興味深い作品だと思いました。初めての方なので感想のみになりますが、ぜひまた書いてみてください。


●じじいじじいさん「あしたやろう」
じじいじじいさん、こんにちは。しなければならないことなのにやりたくない、明日まで先延ばしにしてしまう。これはこの詩の主人公である子どもだけでなく、大人でもあることですね。

大人なら何かと言い訳をこしらえていくところですが、子どもの「わたし」は素直にやりたくない、明日やろうと「じいじ」に言います。なぜ「ママ」でなく「じいじ」なのか。もしかしたら「ママ」は働いていて家にいないのかもしれませんが、「ママ」には怖くて言えないので、優しそうな「じいじ」に共感を求めているのかもしれません。そんな光景を想像すると微笑ましくなってきます。

ところが「じいじ」は「わたし」を優しく叱ってくれます。「あしたやろうはばかやろう」「めんどうくさいはこころがくさい」という言葉遊びは面白いですね。こういうリズムのいいフレーズで教えられた言葉というのは、大きくなってからでも案外覚えているものだと思います。

そして「わたし」は素直に謝って、今日やることは今日やろうと心に決めます。この結末はとてもストレートで常識的なものですので、主題的なインパクトという点では物足りない部分があるのですが、それよりも孫と祖父の微笑ましいやりとりの温かい雰囲気を味わうべき詩なのではないかと思いました。評価は「佳作半歩前」となります。


●秋冬さん「行き先」
秋冬さん、こんにちは。最初の部分で何の話なのかと思いながら読み進めていくと、実は臨死体験の話だったという筋の展開が、意外性があってとても面白かったです。

後半の「久しぶりの旅行で~」以下の段落は、その体験から半年後の、現実世界での話ですね。旅行で水陸両用バスに乗る機会があって、そこであの臨死体験を思い出し、あれは三途の川を渡る水陸両用バスだったのかと思い当たる。死の危険は過去のものとなり、「私」は再び人生を謳歌しています。

・・・と思いきや、最後の連でまたもやわけが分からなくなります。「このバス」とは直前の段落で乗っていた現実のバスなのでしょうか? 「手を重ねた女」とは、「叫び声をあげて手を握ってくれた女」と同一人物でしょうか? あの後事故に遭って、今度は本当に死んでしまったということでしょうか? いろいろなことが曖昧なまま、現実と非現実が入り混じった何とも言えない不気味で不安定な後味の悪さが残る終わり方ですね。なんだかフィリップ・K・ディックの小説を読んでいるような気がしましたが、こういう話、私は大好きです。評価は「佳作」とさせていただきます。


●山雀詩人さん「撮りっぱなしのムービー」
山雀詩人さん、こんにちは。この詩は一読してすっと納得できる内容でした。食事が楽しければ楽しいほど、その後の片付けが憂鬱になってくるものですよね。

私たちの生活は楽しい瞬間だけで成り立っているのではなく、乱雑で汚れた部分もあり、むしろこの両側面はコインの裏表のように不可分の関係にある。それをこの詩では「撮りっぱなしのムービー」に喩えていますが、秀逸なメタファーだと思います。生活の良い面悪い面すべてが記録された撮りっぱなしのムービーを編集して、見栄えの良い場面だけで構成された「作品」に仕立て上げたい気持ちは誰しもありますが、それは不可能なのですよね。そのやりきれなさがよく伝わってきます。

ちょっとずれるかもしれませんが、この詩を読んで頭に思い浮かんだのは、もはや流行語とも言えなくなりましたが「インスタ映え」という言葉です。SNSでは見栄えの良い写真だけをアップして取り繕うことはできますが、実際に人生を生きている本人はその舞台裏も全部わかっている、そこにストレスや虚しさを感じる人も多いと思います。けれども裏を返せば、生きるとはそういった泥臭く雑然とした部分も含めて「生活という野暮な景色」のすべてをまるごと受け入れることなのかもしれませんね。

そう考えてくると、この詩は食べ物のことだけを語っているのではなくて、実は人生そのもののことを言っているのかもしれないという気がしてきます。この詩では他に乱れたシーツ(これは恋人との人間関係のことを言っているのでしょう)のことも少しだけ出てきて、「まあそれはあとでいいから」と退けられていますが、むしろ食べ物の話だけに集中した方が読者の関心がぶれずに効果的ではないかと思いました。

いずれにしても、シンプルで分かりやすい言葉で紡がれているのに、いろいろなことを考えさせてくれる深みのある詩でした。私には初めての方なので感想のみになりますが、またのご投稿を楽しみにしています。


●猫目屋倫理さん「熱情」
猫目屋さん、こんにちは。この詩はそのものずばりのタイトルで、「あんた」に対する熱情がストレートに表現されていますね。その感情の激しさが短く簡潔な表現で綴られています。ただしその熱情は相手には隠されていて、抑えつけられているがゆえにさらに激しく燃え上がる、そんな切ない思いがよく表された詩だと思います。「赤く赤く~」のほぼ同じ2行が冒頭付近と結末付近で繰り返されていたり、最終連の2行の頭の文字を縦読みするとタイトルの「熱情」になるのも心憎い演出ですね。

ただこの詩、何度か読み返してみても、語り手と「あんた」の関係性が今一つはっきりしてきませんでした。6連の描写からすると初対面ではなく、普段はふざけて笑い合うような友人関係のようです。友人として付き合っている相手にいつしか激しい恋愛感情を抱くようになった、という設定かと思うのですが、そうすると4連の表現がよく分かりません。差し出された「フィルター」は煙草のフィルターかと思うのですが、「湿った感覚」がもし相手の吸いかけの煙草を渡されたことを意味しているとするなら、それは単なる友人以上の関係を示唆しているようにも思えます。この辺りの表現を検討していただくと、さらに詩の輪郭がシャープになるかもしれません。参考にしてみてください。

初めての方なので感想のみになりますが、またのご投稿を楽しみにしています。

**********

以上9作です。今年もたくさんの良い詩に触れることができました。皆さま良いお年をお迎えください。

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三浦さま  評の御礼

こんにちは。
「初雪」に評をどうもありがとうございました。この詩は以前(数年前に)米国の豪雪地帯に引っ越しして初めての冬に書きました。雪の降らない生まれ育った場所から、まるで冷凍庫のような気温の場所で何時までも降り止まない雪を毎日窓越しに見ていました。その時の感情が「寂しさ」だったので、雪と共に日常で暮らす地域の方々の生活を考える余裕がなかったのだと思います。今はもう帰国して思い出だけが残っていますが、詩をそのまま投稿するよりも今の生活に合った視点で周りをよく観察してみようと思いました。本当はそうすべきであるのに申し訳ありません。
いつも丁寧に読み解いて下さって感謝しています。

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安眠ラムネができる晩は

夜の端っこで
そっと
星を狙ってる

それは
地上から
空に上がった
眠れない
黒豹でした

黒豹は駆けて
星を捕えます
(星は眠れない
みんなが数えた羊
だったりして
ついでに
眠れない羊達
やっぱり同じく
空に上がっていて)
かじると
たくさんの
流れ星が生まれて

「ねえ 今日は流星群?」

その夜 ちらちらと
降りてきた流れ星を
今日も眠れない私は
両手に集めて
一晩中砕いて
煮詰めて 丸めて

ぐっすり眠れて
いい夢見られる
ラムネに仕上げます

明日はぐっすり眠れますように

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涙と袖  朝霧綾め

泣いた
ちょっと悔しいことがあったから

わたしは泣き虫だ

保育園のとき
ドッチボールでただひとり残って
逃げるのは得意だけど
投げるのは苦手なわたしは
ボールを取ろうともせず
逃げ続けたら
しばらくしてやっぱり 当てられちゃった
その時も泣いた
目をごしごしとこすった
ハンカチのピンク色を覚えている

小学校のとき
得意なはずの教科の
テストの点数が悪かった
悔しかった
好奇心で 隣の仲のいい子の答案を
盗みみたら
わたしよりずっと高い点数で
その時も小さく泣いた
瞬きの回数が増えたのが わからないように
下を向いて
こっそり人差し指で涙をぬぐった


泣き虫の涙は
あんまりきれいじゃない
涙というものは
ふだん元気で明るい子が
ほろりと零すから美しいのに

それでも泣いてしまう
にじむ涙を
袖口で ごしごしとこする
目が赤くなってしまうのは知ってるけど
十年以上続けたやり方は変えられない

それに
昔の人だって袖で涙をふいていた
 あなたを恨む涙に
 袖が濡れて乾くひまもないのよ
という百人一首があった気がする
わたしのやり方は正式 伝統派
千年前にタイムワープして
ロマンチックに泣いてみる

涙でほんの少しずつ重たくなっていく
美しい柄をした着物の袖

ほんとうは
自分の涙が
ちょっと好きだ

泣いてるわたし、かわいいなあ
だから嬉しくなって
ようやくきれいにみえた涙も 
止まってしまう

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欲と犠牲  猫目屋倫理

解放された欲望
私は中身を見てみたい
生々しくも渇いた身体の裂け目を広げ
触れた肉の罪深さよ
とても温かい
肉体
肋の空洞にワインを注ぎ
さぁ高らかに脚を上げるのだ
まだ柔い腹の薄皮を優しく切り開く
小さな命
震える命
ありったけの愛をぶつけて

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沈める書架 暗沢

古本市 雨天決行
露台へ被さる 雨避けの
シートの下 並び連なる
古い印字 褪せた背表紙

それら仰向けの背表紙たちを
スケルトンのシートを介して
覗き込む事は 水底に沈める
古寂びた街を 見出すようだ

どこか この古き街へ降り立つ為の
梯子はないか?緘黙を維持のままに
沈みひしめく 古寂びた路地へと
櫛比する 殷賑の残響へと

どこか階(きざはし)はないか?それら在りし渾沌と
爛熟のたけなわ パノラマの展望へ降り立つ為の
天際に敷かれたパラフィンは灼け果てて
酸性の場景へはセビアカラーの幕が下りた

時間の塵埃に曝され尽くした それらモダンへ
人びとの住み着くことは よもや初めから
なかったのではあるまいか

書架よ 古き街よ 今暫くは沈め
引き揚げたくもあるのだが 雨脚は
思いの外強まったのだ もう声も聞こえて来てしまった

 ・・・・雨が強まりましたので、本日の古本市は只今を以て終了します。

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