◆ここは「MY DEAR掲示板」です。
詩をある程度の期間書いている方、詩に意欲的に取り組みたい方、詩人に向け成長を目指す方はこの掲示板をご利用下さい。
あなたの詩をしっかりと読み、評や感想を、しっかりと書かせて頂きます。
ここから詩人として巣立った人は数知れず、です。あなたの詩を継続的に見守り、詩の成長を助ける掲示板です。
(あのーー、私が言うことでもないんですけど、詩は自由を旨としていますから、どこにでも投稿しようと思えば、投稿できないところはないんですけど、いきなり大きなところに挑戦しても、世の多くのものがそうであるように、ポッと書いて、ポッと通用する、ポッと賞が取れる、なんてことは、まずありえないことというか、相当に稀有な話なのです。
やってみることは止めませんけど、大きなところのノー・レスポンスにがっかりしたら、
あきらめてしまう前にMY DEARに来ませんか?
MY DEARは投稿された作品全部に評をお返しします。
本来、こつこつ実力をつけてから、賞などに挑戦するのが、スジだと思いませんか?
MY DEARはあなたのこつこつを、支援するところです。)
なお「MY DEAR掲示板」では、新規ご参加の際に、ペンネームとメルアドの届け出が必ず必要です。
これは掲示板内の安全を守るため、管理人に限って把握させて頂くものです(他へは一切出しません)
新規ご参加の際は、ページ一番下の「お問い合わせ」フォームから、必ず届け出をお願い致します。
◆初めて詩を書く方や、おっかなびっくり詩を書いてみようかなあーという方、
「MY DEAR掲示板」ではハードルが高すぎるよと感じる方には、別途、
<<初心者向け詩の投稿掲示板>>
https://www3.rocketbbs.com/13/bbs.cgi?id=mydear
をご用意しております。(上記リンクから飛んで下さい)
こちらは、「メルアド届け出不要・いきなり書き込みOK・出入り自由」ですので、
なんら気にするところなく、いつでも詩を書き込んで頂けます。
誰でも、どんな人でも、気軽に詩に親しんでもらうための掲示板です。学生さん、小中学生の方も歓迎です。
投稿された詩については、詩を読んだ感想を、レギュラーメンバーの誰かが、手短なコメント(5行程度)で返してくれます。
どうぞご希望に応じて、各掲示板をご利用下さい!!!
「間もなく
10番線から熱海行きが
発車いたします。
ご利用の方はご乗車になってお待ちください」
プラットホームのアナウンスに
急かされながら
今朝も判で押したように
6:30東京駅発の
通勤電車に乗り込む
車内は立錐の余地もない、
というほどではないけれど
いつも発車時刻ぎりぎりに駆け込むので
めったに座れることはない
それでもたいして構わない
片方の手で吊り革につかまって
もう一方の手で文庫本を
開いて読めばいいだけのこと
座れば座ったで
つい うとうとしてしまって
貴重な読書の時間を
無駄にしてしまう…
そんな心配もない
これから戸塚駅までの40分
行き帰りで1時間20分
誰にも邪魔されずに
好きな本を読むことができるのだ
毎日、朝早くから夜遅くまで働いて
休日出勤も当たり前
家にはただ睡眠をとるために帰るようなもの
だから わたしにとって
この車内は いわば
書斎みたいなものだ
さて今朝は
昨日の帰りの
電車の中で読み始めた
短編小説の続きを読もう
大戦中の過酷な軍隊生活に耐えきれず
部隊から脱走しようと
機会を窺っている
兵士の話だったな…
果たして脱走は
成功するのだろうか?
脱走したところで
行く当てもないし
もし捕まって連れ戻されれば
重たい処罰が待っている―
営倉に閉じ込められるくらいなら
まだましで
悪くすると
砲弾が飛び交う
最前線に送られるかもしれない
それでもなお
脱走しようとする気持ちは
身に染みて よくわかる
なぜって このわたしも
「ここではないどこか」に
逃げ出してしまいたい、という誘惑に
毎日のようにかられているから…
上司からは無理難題を押しつけられ
部下からは突き上げられ
顧客からはクレームをつけられ
毎朝毎朝
その日いちにちの成り行きを予想すると
ユウウツになり
このまま戸塚駅で降りずに
それこそ小田原でも熱海でも大垣でも
いや、この世界の果てまで
行けるところまで行ってしまいたい…
そう思わない日はない
それでも、わたしは
きっと今日も踏みとどまって
いつも通りに戸塚駅で降りて
てくてく線路ぎわを15分歩いて
「おはよう」とか「おはようございます」とか
言いながらオフィスに入って
自分の机の前に座るだろう
でも、そうする理由は
「やみくもに逃げ出したところで
何の解決にもならない」とか
「家族のことを考えたら
衝動的な行動はとれない」とか
そんな理性的に考えてのことじゃない
何よりもこうして
好きな本を読む時間が
持てているから―
本を読んでいる間は
いやなことをみんな忘れられるからだ
それだけじゃない
たとえば小説を読んで
登場人物の言葉や行動に
惹き込まれていくうちに
不思議なことに わが身を振り返り
今の自分の有り様を突き放して
「妙に冷静に」
見ることができるようになるからだ
なぜだかはわからないけど…
だから、わたしにとって
本を読むことがどうしても必要だ
現実と折り合いをつけていくために
むかし、どこかで読んだことがある―
ロシアの文豪たちは
聖書や古典を読みながら
シベリアの強制収容所の日々を耐えた、
という話を
もちろん、わたしの場合は
そこまで大げさなものじゃない
一見監獄のように見えても
現代日本の企業社会は
帝政ロシアやソ連の強制収容所に比べれば
まだまだ甘いものだろう
それでも、いつかある日
自暴自棄になって
「ここではないどこか」に向かって
旅立ってしまわないとも限らない
そうならないためにも
こころのバランスを保つためにも
何かの歯止めが必要だ…
おっと、いけない いけない
つい余計な物思いにふけって
大切な読書の時間を無駄にしてしまった
さぁ読みかけの短編の残りを読んでしまおう
果たして
主人公は本当に脱走するのだろうか?
それとも
最後の瞬間に踏みとどまるのだろうか?
最後は迷いましたが、ない方がよいですか。
私と同じような思いをしている人がたくさんいるような気がしたものですから。特に子供に対する親の気持ちなど。
でも、安易で陳腐になってしまっている感じもしますね。
ご丁寧な評をありがとうございます。
ありがとうございました。
テーマが大き過ぎたのと、一本線が通らない感じでしたか。残念!
テーマは小さくした方が自分には合っている気がしていましたが……思うことがあって、題の通り「欲望」について書きたくなった作品です。
練り直したく思います。
またよろしくお願いします!
批評です 2/25〜2/27までのご投稿分の評です。 滝本政博
受け取ってもらえなかった愛は 津田古星さま
選び抜かれた言葉でとても繊細に書かれています。
特に三連目がいいですね。
<小鳥のようにちょこんと
あなたの肩に留まって
きっとあなたを見守り続けている>
など素晴らしいイメージです。
一連、二連で喪失感を疑問形で書き、三連で
<きっとあなたを見守り続けている愛を受け取らなかったあなたを
約束を果たさなかったあなたを
幸多かれと>
という、あなたを見守る視点が挿入される。
シンプルだがよい構成です。
三連目でこの立ち位置、世界観に立つことが尊いとおもう。
最終連はなくても成立しているというか、わたしはない方がよいとおもうのです。あなたに限定して書かれたそれまでの詩が一般的に広がるのはわかるのですが、どうしても付け足した感じ、違和感があります。
ご一考を。
佳作一歩手前で。
欲望のソネット 松本福広さま
どうしましょう、以下きつい言い方になってしまいますが、感じたことをそのまま書きます。
一連目
<乙姫様が開けては行けない玉手箱を
お土産に渡したのは何故なのでしょう?
ゼウス様はどうして開けてはいけないパンドラの箱をもたせたのですか?
食べてはいけない知恵の実を
どうして神様は作ったのですか?
食べてはいけない知恵の実を
どうして神様は植えたのですか?
どうして人は兵器を作り
そのボタンを押すに至ったのでしょうか?
自分の気持ちを満たす為誰かを殺したい欲望を
人間は何故持ったのでしょうか?>
並べられた項目はどれもそれぞれ、文学、神学等の大きな命題であり、それぞれ個別に論じても大変な問題であります。したがって、
<なぜ…………
私たちは…………>
とひとまとめに考えをうながすのには違和感を感じます。
思い切って、一連目を無くし、二連目から始めると主題が読み取りやすくなると思います。
<それでも
神様はヒトに寿命たるものを
授けました>
これは旧約聖書の関係から挿入されたのでしょうか?その後の鳥の話とは関連性が薄く余分なものに感じます。
つまり、全体にテーマが生煮えで一本筋が通っていない感じなのです。
一つの詩にいろいろ詰め込み過ぎたのかもしれません。
<時間は転調を望んでしまう。>は面白い表現ですね。
こういう、キーになる言葉を中心に作品を広げてゆくのもありだと思います。
18歳と364日 喜太郎さま
19歳はやはり特別な歳だとおもいます。
安室奈美恵の「SWEET 19 BLUES」など思い出しました。良い歌なのでユーチューブののURLを貼っておきますね。
ポール・ニザンの小説「アデン アラビア」は
僕は二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。
で始まるそうですが、これが十九歳でもいっこうにおかしくありませんね。
さて、御作です。
若い感受性が正直に綴られていて好感がもてます。
ラストの三行がいいですね。
<きっと普通のいつもの朝が来て
心の中でもこんなものかと感じるんだろうな
そんな感じで良いのかな まだ今の未熟な私には……>
ぜんぜん大丈夫だよと初老の私は涙目で応援するのでした。
水溜り 樺里ゆう様
九年ぶりに自転車に乗りかつての感覚を思い出す。その身体感覚、不思議なものですね。
わたしも、きつくぱんぱんに空気を入れた自転車に乗った時の感じや、角を曲がってゆく気持ちなど思い出すことが出来ます。
体が覚えているんですね。
この詩を読んで、水溜まりを渡る感じも蘇りました。ああ、そうそうそんな感じというふうに。
二連目がいいですね。
<蜘蛛の巣のように
花火のように>
という比喩が光ります。
蜘蛛の巣のように、とはなかなか書けないかと思います。
「詩は経験である」といったのはだれであったか?とにかく身体感覚は読者の共感を呼びます。
後半は人間の脳の不思議に移行してゆき、
<忘れていた私に
出会い直す>
小さな奇跡へと思いが至ります。
夜の山道 こすもす様
よく書けていて気持ちが伝わってきます。
<街の灯りが見える
その瞬間ただ走った
街の灯りが近づくにつれ
寂しさや不安が
道の後ろに落ちてゆく
辺りの空気が
暖かくなってゆく>
このあたりのなど心理描写も上手いとおもいます。
<目が覚めた
窓から朝の光がさしこんでいた>
というふうに、終わりはいわる夢落ちであります。
夢オチとは、物語の最後に「それまでの出来事は、実はすべて夢だった」という結末を明かして終わることですが。
夢落ちをやめて<街に辿り着くと人影が見えた>で、終わりにすると、作品は一種の臨場感のある幻想譚として読めます。
夢であったと説明的にしないで、そのように突き放して作品を終える手もあったと思います。
また、夢落ちであったとしても最終連の二行は無い方がよいと思いました。
黄色い囚人陽気に踊る 佐々木礫さま
佳作とします。
とてもリズムがよいと詩だとおもいます。
基本七五調で破調を含み書かれています。
また「ドンタカタン」のオノマトペがいろいろと変化してゆく、その変遷を見て行くだけでも面白い。
ドン、ドンタカタン → ドン、タカドンタンドンドン? → ハァタカドンタンハァドンタン → ハァドンタカタンドンタカタン! →ドンタカタンハァ
これらはステップの音として何度でも反復されることによって、詩の中にリズムが生じ強い効果を生んでいます。
猥雑なエネルギーを感じます。
ある種の狂気がユーモアたっぷりに描かれます。
前髪ナイフで切り裂いて
おかっぱ頭で陽気に踊る
黄色い囚人陽気に踊る
おかっぱ頭で「ドンタカタンハァ」
目を見開いて「ドンタカタンハァ」
なんてコミカルで印象的でした。
星を隠す 人と庸さま
佳作とします。レベルが高くよい作品だと思います。
詩人個人の抽象的な感覚が可視化されて書かれています。
ひとつの手法というものが詩の中にあり、抽象性が上手く表現され、独自の詩的空間を展開しています。
ある箇所では習慣的な語の結び付きをあえてはずして、日常的な世界から脱していきますが、これは感動や真実を表現するためにあえてこうした使い方をしているのでしょう。成功していると思います。
<きみは走り出す
足は地面を何度も蹴って宙を舞い
この道がどこまでも続くと信じている
わたしも走る
地面からむりやり剥がした足は重いけれど
この道に終わりがあることだけは知っている>
ここのフレーズがすきです。いいなー。本格的にいいです。
言葉のチョイスがよく、読ませます。
また、( )を上手に使い、思考の流れを読者に示してゆきます。
具体的には<そんな一人と一匹でどこへゆこうか>とかかれていることから、犬との散歩の情景を描いたものかもしれませんが、それがこんな風な作品になるとは、お驚きです。
僕の大事な人よ、なぜここにいないのか、どこにいるのか、どうすれば見つかるのか。探し続けているもう何十年も探し続けている。でも見つからない、見つかる気配もない。
風が吹く、雷がなる、大雨が降る、僕は立ち尽くす。
なのに君がいない、大事な人は君なのか? そうなのか、そこにいるのか! いない、やっぱりいない。
朝、自転車で大事な人を探しにいく。自転車で走ると一筋の涙がこぼれる、何が悲しいというのか、雷鳴轟き、近くの家のアンテナに落ちる、轟音。バリバリとなる。
朝、悲しみと憂いに満ちた朝、君がいない朝。疾走する鐘の音。鳴る車のクラクション、僕は狂っちゃいない。空虚な妄想に打ちのめされてノックダウンする。君がいない、大事な人はどこにいる? 音楽を聴こう、クラシックは似合わない、ロックが好きだ、激しいのがいい、デスメタルの吠えるボーカルが心に響く、大事な人、君もそうならうれしい、そうじゃないのかい。思いつくままに書く、途切れないように、思考をフル回転させて、もっと飛躍させたいが、支離滅裂になっても何にもならない、大事な人、君はどう思うだろうか、大事な人、君は何を思って今を生きている? 春夏秋冬、君はいない、君というのは大事な人のことだ、君と大事な人は一見すると同じだ、しかしどこか違う、似ているけどどこか違うんだ。一卵性双生児のように、君と大事な人は似ている。けどやっぱり違ってる。好きと伝えたいだけかもしれない、愛していると訴えたい。すると君はどんな顔をするだろう、きっと迷惑がるにちがいないから言えない。ああ、でもそこを乗り越えなければ一生何も変わらない。さあ君よ、ここに現れておくれ、そして僕が愛を伝えるのを黙って聞いていておくれ。そのあとの返事はいらない、駄目だってわかりきってるから、僕には自信がないから。だから黙って去っておくれ。そして大事な人になってくれ。今は冬だ、寒い。君と温めあいたい、そんな顔しないでおくれ、大事な人。僕の勝手な思い込みなんだ、まだだ、まだまだ情熱が足りない。君というのは僕が好き勝手にしたいんだ。大事な人は僕がいてもいなくても幸せになって欲しい人なんだ。だから似てるけど違うんだ。君ならめちゃくちゃにしたいけど、大事な人にそれはできないんだ。ならどうする? 君と仲良くすることでだんだん大事な人に近づいていくんだ、そうだ。君を大事にすることによって君と大事な人は近づいていく。やがて一緒になる、そうすると僕も君も大事な人も同じように幸せになる。君とはまだ出会えていないのか、いや、ああ、もう考えたくないが、とっくに出会ってしまったのかもしれない、でも僕が君を導いてあげれなくて通り過ぎてしまったような気がするんだ、きっとそうさ、もう人生の半分も越したというのに今だに君と巡り会えていないなんておかしいじゃないか。大事な人には何度か巡り合えているんだ、でもそれが君にはならなかったんだ。君、君はどこにいる、まだ諦めなくていいと思うんだ、チャンスはまだたくさんあるはずなんだ、でも僕には自信がない。だから今でも一人でいる、さみしくて、かなしくて、だから朝、自転車で走るといつも涙が少しだけ零れるんだ。大事な人、そんな僕を慰めてほしい、これは僕の甘えだ、僕はただの甘えん坊だ。そんなことわかってる。甘えているうちは大事な人にも見捨てられるんだ。でも君がどこにいるかわからないから大事な人へのアプローチの仕方もわからないから仕方ないじゃないか! 君に会いたい、君に今すぐ合いたい。でも大事な人はここにいない、大事な人は君だからやっぱりここにいない。孤独な夜はいつまで続くだろう、もういらない、もううんざりだ。だけど僕の心に関係なく時間は過ぎて行ってしまう、年をとってしまう、君と出会うチャンスが減っていってしまう……いいじゃないか、出会えなくても。孤独に生きればいいのさ、今時おひとりさまなんて珍しくもない。一人で気楽に自由に人生を謳歌すればいいのさ! でも僕は臆病なんだ、一人で生きるには気弱すぎるんだ、サバイバルに生きる経験も少ないから不安なんだ、だから君が欲しいんだ。僕はただのいい人だ。無口で無力なただのいい人だ。周りからもそう言われる、何の取り柄もない、真面目で臆病な人間なんだ。君は僕よりもっといい人と仲良くなりたいんだ。だから大事な人が必要なんだ。僕を大事な人かもしれないって思ってくれる人が必要なんだ。僕が君にとって大事な人かもしれないって思わせなくちゃいけないんだ。どうやって? わからない、それがわからなくて苦しいんだ。心の全てをこうやって吐き出しているんだ。まだまだ終わりなんてないんだ。僕はずっと孤独に生きていたんだ、孤独な心の独白はまだまだ終わらないんだ! でも終わらせなくなくちゃいけない。人生には終わりがあるんだから、いつまでも我儘を言い続けたって意味はないんだ! さようなら君、大事な人。僕はもう諦めるよ。諦めてずっと一人で生きるよ。だってその方が楽だから、辛くないから……辛い、辛いよ。そう考えるのはやっぱり辛い。君に会いたい、大事な人に優しくしてあげたい。素敵な人に出会いたい! まだ見ぬ君よ、どうか現れておくれ、神様なんていやしない、信用ならない。でも神様に祈る、矛盾している僕の心、神様ならわかってくれるかもしれない。君よ、いつか、なるべく早く、僕の前に現れておくれ、僕に気づかせておくれ、ああ、この人が僕にとっての大事な人なんだってわからせておくれ。まだ見ぬ君、君、君……大事な人。
評価をしていただきありがとうございました。
歌詞のフレーズが思い出せないことに共感してもらい嬉しく感じました。
思い出せない歌詞のフレーズと心のモヤモヤを書いてみました。
間の繋げ方は私の課題ですね。
心に余裕がなく、綺麗に咲いている椿の花にやっと気づき、謝っていました。
椿に、素直な気持ちを持ちなさい。そして、身近に居る人を大切にしなさい。と諭されているように感じ、書きました。
最後は、思い出したのと、スッキリした気持ちを表現してみました。
今回も勉強になり、次回作の意欲が湧きました。
時間という一本の線路がある
わたしは空色で一両だけの気動車だ
今この線路を走っている
ガタンガタン
ゴトンゴトン
昨日 今日 明日
先週 今週 来週
先月 今月 来月
去年 今年 来年
前世紀 今世紀 来世紀
線路は果てしなく続いている
長い道のりだ
時には急な坂がある
ガタガタガタ
ゴトゴトゴト
時には向かい風も吹く
ガタガタガタ
ゴトゴトゴト
それでも走り続ける
長く走っていると
線路が深い霧に覆われることがある
進んでいるのか
退いているのか
停まっているのか
わからなくなるときがある
長く走っていると
この線路と並行して
別の線路が見えることがある
その線路を
オレンジ色で一両だけの気動車が
走っている
その気動車を見ていると
どちらの気動車が
本当のわたしなのか
わからなくなってしまう
やがてその線路は離れてゆき
見えなくなった
ふと思う
これから走る線路の先と
今まで走ってきた線路は
はるか遠いどこかで
つながっているのでは
ないだろうか
ふと思う
この線路は
あるように見えているだけで
もともとないのだろうか
わたしは今日もこの線路を走る
ガタンガタン
ゴトンゴトン……
本作「いの中の蛙」を、まるで心の井戸を照らすように深く読んで下さり感謝致します。佳作を頂きましたことはとても励みになりました。
私自身の心の井戸を掘り進めていると、その底には小さな子供の私に出会います。汲み取り式トイレで風呂無しの狭いアパートに、妹が生まれる前、父母と3人で暮らしていた頃の私でした。当時の父は体調不良で、まだ働けていなかったと思います。周りは田んぼに囲まれていて、カエルの合唱、屠殺所から聞こえる豚の鳴き声が聞こえます。空には月に照らされる羊雲、母に手を引かれて通う銭湯帰りの風景でした。私は何も知らず、周りで何が起きていたのかも理解できずに、自分達がどこか周りとは異質だったことも、不安すら感じていませんでした。自己探求が進み、父も亡くなり、ようやく、いろいろなことがわかってきました。「井の中の蛙大海を知らずだったのだ」とじんわりと乾いた心の井戸に水が沸いてきて生まれた詩でした。ありがとうございました。