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澤様こんばんは。お久しぶりです。君とカフェに行ってましたね。あの頃は笑 あれから甘平召し上がられました?こちらはみかんだらけで色々と飽きるほどみかんの種類をたべております。今回は暑くなってきたので、いつもの暑いとき妄想が来てます。今年はまた早い。すでに夏の日差しを感じます。暑いとカッパかカエルなんです。結局。単純ですねえ。困ります。そして永遠のテーマの母と私。母と私は不思議な人とよく言われますが何者なんでしょうねえ笑普通と言われる人間になりたいです。もう、ほんとなんなんでしょうね。また、よろしくお願いします。
澤 一織様
ご感想くださいまして、ありがとうございます。
風邪、はやっていますね。私も鼻風邪をひいてしまいました。
「緑の聖地」は職場のある町の小さな神社です。(神社で禅の本を読むのってどうなんだろうと毎回思いつつ、しておりました)
ひさしぶりに訪れた時に、鳥の鳴き声を聞いて、その禅の言葉を思い出し、詩を作ることができました。
なので、また最近ちょくちょく立ち寄っています。
緑を見るのもやっぱりいいですからね。
お褒めいただき、嬉しいです!
これからもよろしくお願い致します。
白紙のファックスがまた届いた
届くときには
だいたい朝のこの時間
ファックスが届くと
取りに行くのはアルバイトの仕事だ
ああ また
あのじいさんか
ほっとけ ほっとけ
そこのファイルに綴じておけばいい
彼は白紙のファックスを手に取って
少し見つめて
いつものように
ファイルに綴じる
ファイルにそっとつぶやく
ここじゃないよ
ここじゃない
老人からの苦情の電話に
職員が決まり切った対応を繰り返しているうちに
電話がこなくなり
ファックスが届くようになった
ファイルに綴じるだけは綴じる
でも そのまま何もしない
そうするようになって
もうかなり経つ
着信拒否まではしない
電話がくると面倒だから
彼はいつものように
ファイルをめくってみる
最初のうちは
乱暴な文字が殴り書きされていた
右斜め上がりの文字が
叩きつけるように書かれていた
だんだん勢いがなくなり
言葉が減り
そして白紙に……
白紙のファックスは
孤独に覆われ
紙の色がだんだん弱く
透き通っていく
白い紙
白い顔
祖父を思い出す
怒ってばかりで
嫌いだった祖父を
最後の方は
何も言わなくなった祖父を
彼は 祈らずにはいられない
もっと暖かいもので覆われるといいのに
もっと優しいもので覆われるといいのに
暖かいもので覆われた優しい色の手紙を
ここではなく
誰かに届けてくれるといいのに
わずかでもいいから
優しい言葉を添えて
澤 一織様、「病床の光」についての感想ありがとうございました。
詩の会のメンバーであり、詩人仲間、そして先輩として、後輩の私をいつも気にかけ、大切な助言も下さっていたKさん、まさか最期、病床で再会できるとは思わなかったのですが、私がキリスト教プロテスタント系の教会へ当時通っていたおかげで牧師様の計らいで偶然会うことができました。
初め、私との再会に驚いた顔を見せつつも、とても穏やかで嬉しそうな笑顔で私を出迎えてくれたKさんの表情が印象深いです。
Kさんとはほんのひとときの面会でも様々なお話をして過ごしました。
それがお互いにとっての光だったのかも知れません。
澤さんのご友人もきっと痛く辛い目に遭って、澤さんとの面会を待ち望んでいらっしゃるも知れません。
たわいのない話でも何でも大切な友人とのお喋りは憂鬱で悲しい気持ちを吹き飛ばしてくれます。
ご友人の今の思いを一緒に共有して、より良い友人関係をいっそう築かれることを願っています。
島様、いつも評をしていただきありがとうございます。
なぜか昔のことを思い出してしまう時ってありますよね。「あれってそういうことだったんだ」とわかった時のあの切なさを形にしたくて書きました。うんうん唸りながら推敲したものだったので、なんとかそのままでOKとしていただけて、とても嬉しく思っております。
名作の評もありがとうございます。とても励みになります。
さらに良いものが書けるようにまだまだ精進いたします。ありがとうございました。
6/4~6/6ご投稿分の感想と評になります。読み手の一人の感想として読んでいただけたら幸いです。
◯ 喜太郎さん「一目惚れ一本」
初めまして、こんにちは。喜太郎さん。お待たせしました。
いや~、拝読しながら終始きゅんきゅんくすくすしていました。
相手のやりとりを剣道の技でユーモアたっぷり表現しながら、しっかり恋愛詩に昇華していますね。
「友達切り」とか「返り討ちをくらいあたふた携帯探し出す」とか、言葉選びも面白くて、個人的には特に後半のLINEの場面で食らいましたね。「一目惚れ一本」「既読で一本」「返信来たら また一本」など。また最後の心の叫びは振り切っている感じで「突き!」(好き)の様子を思い浮かべました。ほんと拝読していてとても楽しかったです。
喜太郎さんは現在進行形で大切な人を思っているのでしょうか?
「既読がつくだけでベッドにのたうち回る/もう一本取られている気がする」。ここ、さら〜と書かれていますが、とてもリアルで、心に響いた人は結構いたのではないでしょうか。片思い中とか、恋愛真っ最中な方は特に。
僕もありましたね、送信直後からそわそわ・・・まだ全然時間経っていないのに既読つかないのに凹む」みたいな。
また剣道の知識が皆無な僕でも、躓くことなく読めました。
素敵な詩をありがとうございました。
喜太郎さんの他の恋愛詩や他のテイストの異なる作品も読みたくなりました。
◯荒木章太郎さん「傍観者のうた」
初めまして、こんにちは。荒木章太郎さん。お待たせしました。
気づかぬ間に報酬や日々の生活の為、或いはある事業を達成するため、日々習慣づけられ進めてきた仕事がある。それが時に倫理に背くことや自然を破壊する行為であったとしても。
そして五連の最後(こんな事業に加担していたのか)という「気づき」。今後は内になる声に耳を傾け、意思を取り戻して、残された労働者としての時間を全うしていこう。そんな風にこの詩を拝読していました。一労働者である僕は沁みる内容です。
一点。個人的にこの作品を更に覗いてみたいと思った点はやはり五連。条件づけられた自分に対しての「気づきの<きっかけ>」です。
なぜ染み込んでいるはずの肉体、思考に対して自分への内省に至ったのか。「傍観者(とされる)」から脱却を試みようとしたのか。すでに描写されている四連から五連の行間から想像するのも面白いのですが、やはり読者として、荒木さんの「こころの動き」にもう少し入り込みたいですね。とっても素敵な内容です。ぜひ磨き上げてください。
ありがとうございました。
〇紫陽花さん「カッパ」
こんにちは、紫陽花さん。紫陽花さんは去年の3月15日「君とカフェで」ぶりですね。
いやー面白いです!
登場人物全員「カッパ!」ですか!?
と思って、最初拝読してみたのですが「お母さん」と「私」(親子)の正体は明かされていないんですね。
うーんーなかなか人間界に溶け込めない、いまだに友達ができない・・・「何者」なんでしょう笑。
わくわく想像しながら読みました。
また、お母さんのことや連れてきたカッパの特徴や様子も書かれているので、それぞれのキャラに愛着も沸きます。
出てくるアイテム(と此処では呼びます)も好きですね。「合羽」「河童」「お札を部屋に貼る」など、何処か日本的なノスタルジーも感じました。
僕は最近、子どもへの読み聞かせで絵本に触れる機会が多いのですが、この詩、絵本として読んでもとっても面白いだろうなと思いました。
しかしーーこの親子は、カッパですかねーー!気になります笑。
愛らしくて心地の良い謎を残してくれる御作でした。もちろん評価は佳作です。
素敵な作品ありがとうございました。
◯秋乃 夕陽さん「病床の光」
初めまして、こんにちは。秋乃 夕陽さん。お待たせしました。
病床での一場面。作品の向こう側からしっかりと「心」が伝わってきます。
Kさんの孤独な病院での入院生活。ほんとに会いに来てくれた、そして寄り添ってくれた「私」に心が震えたのでしょう。まさにタイトル通りKさんにとって「光」であり、詩の話などができる「私」にとっても「光」なのでしょう。
そうですね。
欲を言えば二人に流れている背景を知りたいです。「私」と「K」さんの関係性が想像できる箇所があると読み手もより作品に近づけると思います。
この詩、秋乃さんにとって
とても大切な作品だと思います。
更に推敲を重ねて向き合い
原石のような詩を磨き上げてください。
<追記>
書くか迷ったのですが、私事を書きます。先日ある事故で親友が利き手の指を数本切断しました。感想を書いている今も、その知らせに戸惑っています。どのタイミングで会いに行った方がいいのか、どんな声をかけたらいいのか。秋乃さんのこの詩を通して、少し考えることができました。他者の詩を通じて自分と向き合える。改めて詩っていいなぁと思いました。ありがとうございました。
○人と庸さん「緑の聖地」
初めまして、こんにちは。人と庸さん。お待たせしました。
一連から丁寧に書かれていると思いました。拝読して、昔、よく祖父に「神社やお寺を探す時、大きな木があるところを探してごらん」と教えてもらったことを思い出しました。
全体の内容に入りますが、「わたし」は以前、仕事での他者のまなざしに苦しんでいた心を鎮めるため、「緑の聖地」で手を合わせていたんですね。その過程を経て、別の方法も見つけられた。拝読して素敵だなと思うのは、今、「緑の聖地」を訪れるのは、「家族」、自分以外の「誰か」(他者)のために手を合わせているということ。感動しました。
また引用しつつ表現された最後の終わり方もよかったです。注釈もありがとうございました。
作者の「こころ」がしっかりと伝わってくる素晴らしい詩でした。
ありがとうございました。
以上、5作。皆さんの詩に触れて嬉しかったです。
最後に、島さん、旧掲示板からの移転二年目、54万アクセスおめでとうございます。
それでは僕の周りでは風邪などが流行っていますが、皆様もご体調にはお気を付けてください。
晴れた日曜は
たいていのことは許してしまえる
まだ残っている
しずかな疼きも 軽くなるような
洗車をしよう 久しぶりに
土埃をまとった 僕の愛車
僕が 避けて 洗い落として
ないものとした たくさんの汚れ
車は逃げずに受け止めた
鋼鉄の体をくすませても
くさらずエンジンを燃やし続けた
あの星を見るのも あの街へ行くのも
君がいなければ きっと叶わなかったろうな
せめてもの礼さ 丁寧に洗うよ
滑らかな背のカーブへ
この空を移してやるように ひたすら磨く
だんだんあらわれてくる 二つ目の快晴
飢えた宝石のように
欲張りに光をあつめながら
車は再び走りだす
映った国道の並木が
車体のカーブに沿って
リアへ吸い込まれる
がらんどうの助手席が
あの人の重みをまだ覚えていて
そっと手なんか置いてみたりするけど
また僕はきっと恋をする
愛の縁にもう一度触れたいと願う
夏は もう始まっている
日々揮発する青い悩みが
空を深く染めてゆく
とりあえず 海まで飛ばそう
向こうみずなことにも
いっそ巻き込まれてしまいたい渚
そして今
かなしいほどに光っている
黒い車とスピード
久しぶりに来た公園
近くを通ったついでだった
あの頃は三角公園なんて言ってたけれど
よくよく見れば台形に近い五角形
小さな砂場と鉄棒 ベンチが二つに簡易トイレ
そして二人が乗れるブランコ
水飲み場もあの頃のまま
逆上がりの練習をした鉄棒
結局は今でも出来ていないままでいる
水飲み場では水風船を作って
ぶつけ合ってびしょ濡れで帰って
母親に怒られた夏休みの夕方
ベンチでは好きな子と一本のコーラを分け合って
ドキドキしながら飲んだ初恋
そして何よりも感じたのは
こんなに小さかったんだ………
あの頃はここに僕らの世界があった
笑ったり泣いたり怒ったり照れたり
走って転んで恋して失恋もした
ワクワクがあったドキドキがあった
そしてまだここにある小さく見える世界は
僕の思い出を蘇らせてくれて微笑ませてくれた
数人の子供たちが走りながら公園に入ってくる
『あれ?アイツは?
三角公園で待ち合わせって言ったよね?』
ここにはまだ三角公園と言う小さな世界が続いていた
僕はベンチを立ち上がり
出入り口のタイムトンネルを出て
今の世界へと戻って行く
振り返ると子供の僕が笑ってピースサインしていた
僕の家(うち)は
昔 小さな 料亭をしていた家で
小桜屋といえば
地元では
かなり 有名な 家で あったのだ
父ちゃんは そのお家の 養子の跡取りだったのだが
話は それた
だからその家の台所というのは
料亭の台所だから
そりゃあ長い3メートルはあろうかと思われる 流しと
2メートルは超えると思われる
調理台があって
たしか かまどが 三つ四つあって
井戸があって 汲み上げポンプがあった
大きな 真鍮(しんちゅう)の 氷の 冷蔵庫があって
そりゃあ たいへん 大きいのだが
この家は
明治の終わりころに 建てられたお家で
その古びて使いにくいことと言ったら
知らないひとには想像もつかないだろう
話は それるが
僕の お家には その後も 30年くらい
五右衛門風呂というのがあった
焚き木を くべて 沸かすのであった
僕も かなり沸かしたが 確かにあれを沸かすのは
母ちゃんの 仕事だったと 思う
なのに なのに 母ちゃんは 家族7人の一番最後に 入るのであった
誰も 木をくべて 温めなおさないので
お湯の量は 少ないし きたないし ぬるく寒いはずであったのに
母ちゃんは ほとんど文句は言わないのであった
話は また それるが
あの お風呂に 何人も 大きな お相撲さんが 入ったという
僕も 赤ちゃんのときに 抱いてもらったということだ
なんでも お相撲さんに 抱いてもらうと 元気な子に 育つそうだ
僕の 記憶には ないころの ことのようだ
巡業で お相撲さんたちが 来たらしい
本題に もどるが
母ちゃんは あの台所で 料理を するのであるが
あんなに 大きいのが かえって 不便で
それはそれは 使いにくいので あった
母ちゃんは 自分の責任では ないのに
あの古びて使いづらく さらにきたなくもある 台所を 近所の ひとに 見られるのが 本当に 恥ずかしいらしく
あそこに そんなひとが 入ろうとすると
大慌てで 入るのを 全力で 阻止するので あった
しかし みんな あの台所を 見ようと するのであった
それは それは僕にも 母ちゃんの 全力で阻止しようとする 気持ちは十分に 分かるので あって
僕は いつも 母ちゃん 可哀そうにと 思うので あった
近所のひとは母ちゃんのその気持ちを 知ってて 見たがるのであった
別に 悪意は ないように 思われた
あの人たちには 決して 母ちゃんの気持ちは 分からないであろうと
僕は 本当に 母ちゃん
母ちゃん 悪いんじゃあない
僕たちが 母ちゃん 父ちゃんの お金を 使ってしまって
こうなっているのだと ほんとうに ほんとうに わるい気がした
母ちゃんの夢は この台所を やめて
お家の中の どこかに 小さな 世間によくある便利な普通の
台所をつくることであった
父ちゃんは ずうっと それを 知っていて
僕たちを 上の学校に 進ませるために
たくさんのお金を 使うと 判断したので あった
母ちゃんは そのことを ずうっと 知っていて
何十年も 我慢したので あった
あの家は 僕たちの 進学にたくさんの お金を 使いさえしなければ
普通に生活できて 母ちゃんの 台所の夢も叶えることの できる 家で あった
母ちゃんの 夢を 叶えるくらいの 収入は あったのだ
ただ 父ちゃんは 僕たちに 優しすぎたのだ
そのあと30年くらいたって
母ちゃんは 小さな 何でもない 質素な 台所を
作って もらったのだった
その頃 あの五右衛門風呂もやっと
ガス風呂になって 僕の母ちゃんは だいぶ 楽になったのだが
今になって思うと 母ちゃんの台所は 昔の台所であり
お風呂は 五右衛門風呂が 懐かしく 大切な 思い出なのだ
その頃 母ちゃんは もう 60歳を 超えていたのだ
だけど 僕は 今でも 思いだすのだ
あの台所で 母ちゃんが ご飯を作り
父ちゃんが 小麦粉で 作った 蜂の巣 を焼いてくれた
あの 少年時代の 幸せを 思うのだ
愛と憎しみは裏表だと誰かが言ってたっけな
確かにそうかもね 君への愛は執着心に変わり
憎しみを覚える なにがわからないのか
わからない時もある
二人の結婚記念日なにを送ろうかな
毎年似たような物じゃせっかくの記念日も
素直に喜べないよね
君はあなたと一緒に祝えればいいと言うけれど
男は鼻を高くしたいものなんだよ
だから僕に任せて期待しててよ
とっておきを出すから きっとびっくりするはず
プレゼントのメッセージは僕ら二人の愛について
語っているものだ
僕は君のことを誰が誰を想うより愛している
なんど生まれ変わっても必ず君を探し出す
それと同時に憎んでもいる
もう君なしじゃ生きていけない
失うのが怖い 何もかもが灰になって消えてしまう
のが怖い 僕をこんなに臆病にした君が憎い
こんな感情に包まれたのは初めてだ
本物の愛とは全てを受け入れる強さを持った
ものだけが知ることを許されるのだろう
毎日笑って過ごすのも悪くない
でももっとお互いに全てをさらけ出そうよ
いっぱい苦しんで いっぱい悲しんで
いっぱい泣いて そして最後に思いっきり笑おうよ
この贈り物を毎年恒例にしようか
僕たちだけの 999本の黒薔薇を