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ちなみに、20時からは開票速報になるので、大河ドラマは繰り上げで19:10からの放送になります。
(なんで宣伝してんねん)
ところで、ひと昔前は、候補者がよく有権者に向かって「皆さんの清き一票を」なんて言っていましたが、
今回は「アンタこそ、清くなれよ」と、言い返してやりたい選挙であります。
●温泉郷さん「千客万来軒」
ディスプレイやテーブルなどの粗末で古い感じ、また、飲食店が並ぶ中でそこだけ入る人が少ないという感じの店については、私の中でヒットするものがあり、夫婦だけでやってるような古いお店を想像するのですが、
こうしたお店には得てしてアットホームな良さがあるものなので、それを想定して読むと、「何もやる気がしない」の詩行も、アットホームにくつろぎすぎたから、やる気がしないと解釈でき、そこの意もちょうど括れてしまうのですが、
どっこい、「アットホーム」で括れないのが、この詩行で、
黙って 放心したように
ゆっくりと
何かを食べていた
このフレーズがしかも二度、繰り返されます。意図的です。
ここがちょっと謎なんですよね。
アットホームな食べ物を懐かしんだり、喜んだりしてる様子ではないんです。悪い意味に取るなら、オーダーした食べ物が、オーダーした形を成してなくて、あっけに取られながら、あまりうまいとは思えないものをがまんして食べている図と、受け取れないこともないことはないのですが、
表現方法として、現状そちらの意には受け取りがたくあり、むしろ何か魔力のあるものでも食べさせられているような感じで、朦朧としてると読めます。もしや、あと脱力するのも、魔力の故かもしれません。
また、となると、この店の存在自体が不可思議なもの、幻の店のようにも思われてくるのです。
そうした展開もアリはアリなのですが、この詩はそちらに読むようには用意されてないと思える。そう読むには、他の部分があまりに古いお店にありがちなもので、包まれすぎているので、このフレーズの異質感だけが突出して感じるものでした。
良い意味で不思議さが加わってる、というよりは、私は突出感の方が気になりました。
とりわけは、
入ってもいいよ
入らなくてもいいよ
や
どうしても
すりガラスの隙間から
店の中を覗いてしまう
の、どっちでもいいよの中途半端スタンスが取れてしまうところが、魔力的スタンス(引き込んで離さない)とは相反してると感じられてならない。
わざと一点、謎を作るというのはアリなんですが、この詩においてはそれが仕掛けと合ってなくて、プラスでなくマイナスに働いてる感がします。たぶん、この詩はマッスグに書いてもらった方が良くなると思います。
・店に清潔感がないし、料理の盛り付けもパッとしないが、食べるとうまい
・あまりうまいとはいえないが、店のおじさん・おばさんを見てるとなごむ。あるいは店の雰囲気がなごむ。
・うまいとは言えないのだが、昔の味がして、郷愁がわく。
・あまりのまずさがクセになる???
なんとなく、このへんのどれかに落として欲しかった気がしました。
それにしても、中華料理屋って、そんなにハズレはないもんなんですが、その店はハズレなのかしら?? 珍しいですね。もうコックがいなくなってるのでは?
それにしても「千客万来軒」とは皮肉な名前ですね(…先客おらん軒やな)
秀作にとどめますが、まだ良くなる要素をもった作品です。
●相野零次さん「しあわせ」
うーーん、言ってることは賛同しかないんですけどね。
こういう命題はついつい説教がましいものになりがちなので、説教がましくならないようにする、というのがポイントです。
その意味で、3~5連についての言葉はもうちょっと集約したい。
最後の2連についても集約するか、終連を削除するか、した方がいいと思える。
論述部分が続いてしつこくなると、説教がましくなるので、なるべく話のポイントを押さえて、控えめにするのが肝要です。
そして、2連のような具体アイテムがある連が、後半にもぜひ欲しい。
そういうものも交えつつ語ると、説教がましさを回避できます。また、そうした方が説得力も増すのです。(逆説的なんですが、実際そうなんです)
あるいは、もしも自身の経験的なものがあるなら、例として自身のことも語りつつ、自身の恥もさらしつつ、そこから論述にもっていくと、説得力が出ます。
くれぐれも、ただ論だけを置かないことです。自分にとってはプロセスを経て得た重要な結果であっても、他者の目からは、ただ論だけ突きつけられるというのは、空虚なものに見えたりしますので。
この詩、言ってることは良いこと言ってられるんですが、以上の意味合いにおいて詩後半の工夫が足りないと思える。半歩前とします。
●秋乃 夕陽さん「暗転」
蒲団の上で、夢を見てるような、夢ではないような感じで、リアルの世界の問題を描くというストーリーはいいと思います。全体構成はできています。
ただ、ちょっとディティールの部分で引っ掛かる部分はあります。
3連はヨルダン川西岸の話に思う。
国連の決め事を破って、イスラエルが入植地をどんどん広げている。その入植者に軍も協力していて、パレスチナの住民を銃で追い出したり、無実なのにあらぬ罪をきせて、しょっ引いたりしている。あきらかに軍が加担して、入植地を広げている。ガザで攻撃してるのと同じマインドでもって、パレスチナ人を人間扱いしていない。犯罪者に対するがごとくに、銃を向け、パレスチナ住民を追い出していっている。家をつぶして、イスラエルの居住区に変えていっている。もはや何をしてもいい相手だと思ってる。国連もその行為を非難しているが、イスラエルは意に介しない。
ただ、ヨルダン川西岸の場合、空爆したり、砲を打ち込んだりまでは基本していないし、何かあればすぐ撃つぞ、の姿勢ではあるが、最初から住民に対し手当たり次第に銃を撃って回ってるわけではないので、そのへんの情景は、ガザと混ざり込んでいると思える。
まあ、夢なんだから混ざり込んでもいいだろうとも言えるが、風刺性を保ちたいなら、混ぜない方がいい。
2連は、3連に対する陰と陽だと思えるので、にぎやかで晴れやかな様子が描かれて、ポジションとしてはそれでいいのだが、「ヨーロッパの街中」のセットの意がわからない。ガザにしても、ウクライナにしても、ヨーロッパではないので、どういう意図でヨーロッパを持ってきてるのか、(作者的になにか意図があったとしても)読者サイドとしてはまずわからない。わかることは困難。
対照性ということであれば、ガザやウクライナの平和な時代を描いた方が、対照性としてはわかりやすい。そこが描きにくければ、無国籍的にしておいた方がまだ良い。
いずれにせよ、「ヨーロッパの街中を再現したセット」の語はない方がよいと思います。
あと、終連の、
枕を土台にして俯き加減に頬杖をついていた
はOKなんだけど、
初連2行目の、
布団の上で俯きながら枕に頬杖ついて上半身浮かせ
これはちょっと頂けない。これを全部満たそうと思ったら、かなりアクロバット的なことになる。
まず「上半身」といっても、上半身のさらに上半分くらいしか浮いてないはずだから、「上半身浮かせ」の言葉で表現しない方がいい。
また、頬杖をついた時点で斜めになるので、「俯き加減」は良くても、「俯きながら」は方向が45度くらい違ったものを並べてることになる。この2行目はえらく難解なことになっている。
蒲団の上に突っ伏して 枕に頬杖をついている
ここは、これくらいでいいと思います。分けることで、動作を順に追わせることもできます。
また、詩の出だしというのは、スルスルスルっと滑らかに読みが入れるのが良く、出だしから蹴躓かせない方がいいのです。そこで止まらずに、早く先を読ませたいのだから。
なので、こういう捏ねた詩行を、迂闊に出だし置くのは禁物です。
まあ、しかしたくさん書いてくれているので、そこが良しで、いくつか引っ掛かった部分があったとしても、傷は相対的に軽微となります。
あらかたは良し。秀作を。
●上田一眞さん「岬にて」
この詩は、先の、お母さんが不運な事故死をされた詩の続き、というポジションで読ませてもらいました。あの詩を踏まえて、この詩を読むべきところがあるので、連作または連作的ポジションの詩、とするのが良いでしょうね。
逆な言い方すると、あの詩を踏まえない場合には、単独では意図がわかりにくい部分があり、また誤読懸念もあり、評価は少し下がることになるでしょう。
特に、
無言の雨に峻拒され
ずぶ濡れになりながら 岬にて
滴る雨を 振り払う
のシーンは、事故後、間もない時のことであろうと読むと、心が切られるように痛むものであります。関連が欠かせないシーンでありましょう。
いちおう、「時には母のない子のように」の曲を出してること自体に、この曲が流行った時代ということで、その時期を示唆してくれてるとこはあるのですが、いまいち不足気味であり、個人詩集を出す時などには、先の詩の次に位置するのが、関係性を明確にできていいと思います。
あと、表現でステキだったのは、
砂に残った一筋の足跡が雨に濡れる
雨音はない
と
雨粒が次第に重くなり
砂地に 深く突き刺さる
の2ヵ所で、砂浜に降る雨の特徴を捉えていて、観察力が秀逸です。
うむ、いちおう、先の詩からの連作と読ませてもらったという評価で、名作を。
母の突然の事故死の悲しみにくれる、少年のやるせない気持ちが伝わってくる詩でした。
ところで、この曲は、歌手の風貌や、マイナーコードが続く曲のメロディもあって、一人ぼっちを歌った曲と見なされることとなり、それが当時の若者の孤独感に共感を呼ぶところとなりましたが、
歌詞だけを読むと、「時には母のない子のように」なので、この主人公には実際には母がおり、その中で放浪の旅に出たいような、敢えて孤独な存在になりたいような、揺れ動く若者の心情を描いてる詩と読むのが妥当でしょう。
決して現実において、ひとりぼっちである人の歌ではないので、詩を書いた本人からすれば、たぶん意図しない方向に世間の受けとめが行ってしまった曲なんだろうと想像します。
いつ頃からだろう
週末に一度
お昼をともにするようになった
実家の暗い応接間で
継母と向き合いお弁当をいただく
喋ったことを
ものの十分も経たぬうちに忘れてしまうほど
耄碌した老女だが
昔の記憶だけは
頭のなかで妖しく蠢いている
今年の十二月で 齢九十四に達する
愛憎ないまぜの五十五年間
修羅の道を歩んだわれらの葛藤を顧みて
思わず溜め息が漏れる
この部屋暗いね と囁き
雨戸を開けた
ほどなく淡い光と
優しい香りの金木犀にふわりと包まれる
お庭いじりが好きな
亡くなったお父さんが隅っこに植えたのよ
金木犀 いい香りでしょ
お父さんはいい人だったけど
お人好しの見栄っ張りでね
あなたが高校生のとき
株屋に唆されて信用取引に嵌り
すってんてんになったのよ
私しゃ悔しゅうて株屋に怒鳴り込んだ
でも後の祭り
一緒になった次の年よ
あなたは懐いてくれないし
みいちゃんは泣いてばかり *1
ほんとに困り果てた
人生の終焉を迎え
永の草鞋を脱ごうとしている継母
心のなか
哀しみや痛みは枯れ
どこかサバサバした感じがする
ふと
過ぎた時に流されていた恩讐が
むくむくと蘇った
罵声を浴びせられ
湯呑み茶碗を投げつけられて
家を飛び出し
傘もなく ずぶ濡れになった日
涙が止まらなかった
異郷の岬 渚をひとり彷徨い
実母の横死と
父の再婚という
予期せぬ運命を呪った
忘れることでしか解決方法のない
苦い思い出が
いくつも
走馬灯のように脳裏を巡る
この人を
愛することは死ぬまでないだろう
たが
この終の棲家で
永遠(とわ)の黄泉路に旅立つまで
静かに見守ってやろう
それが人としてなすべき道ではないか
父の植えた金木犀が
継母と私の身を
優しく包む
見詰めると
恍惚のなかにかけ戻り ほどなく微笑んだ
それは
老いた般若の笑みに違いなかった
*1 みいちゃん 一眞の妹
万華鏡を覗けば
あなたが見える
まわすたび
形を変えて
たくさんのあなたが現れる
優しいあなた
前向きなあなた
機嫌の悪いあなた
その中にひとつふたつ
苦手な模様が混ざっていると
あなたを嫌いになりそうになるけれど
それだけで
あなたを嫌ってよいものか
それだけで
人を嫌ってよいものか
万華鏡をもういちど
回してみれば
迷彩の影に隠れ
欲望の光に晒されて
愛を貪っていた時代には見通せなかった
戦線を離脱してようやく分かる
分かち合えない赤い唇から
発せられる愛のことばは
軽やかに跳ね返り穏やかに険しさを包む
嫉妬や憧憬に侵されていた身体から
解放された目と耳だけで味わう
君の全てを
(人間が考える愛の形なんて、たかが知れている)
俺の愛は
ぎこちない光となり
屈折して君に届き
周りの時空をひん曲げた
君の愛は
よどみなく
公正で鋭い光を放ち
俺の背中を貫いてくる
清流と泥川
秩序と混沌
ぶつかり合い
砕けて散った
光の粒は
星なのか
蛍なのか
埃なのか
ただ輝いているだけの光に
意味を押し付けて
君との距離を測る
愛の形が違うだけで
神様の名を借りて
人は争うのだから
本当はそんな小さなものではないのだろう
神様が言っている愛とは
性別も正義も悪も越え
聖者さえも超えている
俺にはよく分からないが
涼しかった昨日
入浴剤入りの風呂で 温まった
残り湯は洗濯に使えるかな
迷っていると 夫から
肌に直接触れても良いもの
洗濯くらいできるだろう
あ そうか
ちょっと考えたら わかること
思い出したのは
小学生の頃の食器洗い
私はすすぎを
それはそれは丁寧にした
洗剤を残すなんて恐ろしい
ほんの少しでも体に入ったら
たいへん
すっかり大人になった今なら
それほど怖がらなくても良いと
もう わかる
万一少し残っても
食べ物に直接触れる食器用
病気になんてならないし
ましてや命は落とさない
だからあの頃ほど すすがない
これも ちょっと考えればわかったこと
そんなこんなで過ごしてきたら
良いか悪いかだけでなく
間に見つけた もう一つの言葉
「悪くない」
たった四文字の言葉であるけど
いつか 立ち上がってくれないかな
できることなら
この言葉と仲良くなりたい
きっととても優しくて
とてもとても 温かいから
器用でないし
頭の回転も速くない
なのに慌て者だし
気の利いたことのひとつも言えない
そんな私の斜め後ろで
悪くないよ
と 笑って欲しい
拾う
拾
拾という漢字のおぼえ方
「手を合わせて拾う」
なんという うつくしい行為だろう
手を 合わせるように
そのものへゆっくりと差し出し
両手で包み込むように拾い上げる
祈りのようなやさしい光景を
あたらしい漢字を習う少年は
強くひいた鉛筆の線といっしょに
ノートにしまい込んだ
青年期
拾いたいものがたくさん増えた
風景画の額縁をこえた場所
あらゆるものの住処をさぐる公式
触れる人によって幾通りにも色を変える
言(こと)という葉
なにかを拾おうとする
だれかの心
目に映るすべてに敬意を込めて
どれも両手で拾い上げたかった
たいていは形を残さなかったけれど
だれかに分けられるくらいは満ちていた
かがんだ背中に
時につめたい風を感じても
壮年期
追われるように拾いつづけた
どんな場所でも呼吸するわざ
おおくのひとが持っている
色も形もおなじもの
つめたい風に吹かれた記憶の
ひとつひとつ
繕いすぎた自尊心
竜巻のようにめまぐるしい日常で
両手にひとつでは間に合わない
片手にひとつ
一度にふたつ拾おうとした
そのうち抱えきれなくなったので
前に拾ったものを手放した
だれかと分け合うこともせずに
中年期
片手で拾ったものを捨てきれずに
夕暮れの道を歩く
むかし拾ったものをもう一度拾おうか
それはいつでも
自分の足もとにあったのだが
通りかかる幾人かが指さして
(これはあなたのものではないですか?)
とたずねてくれるが
そのたびに
(いいえ、ちがいます)
とこたえてしまう
むかしのように拾えるだろうか
足もとなのに
手をのばせばはるかに遠い
道の反対側で
だれかに似ているようで似ていない少年が
手を 合わせるように
そのものへゆっくりと差し出し
両手で包み込むように拾い上げた
夕陽が照らし出す先はまだ見えない
道は半ばだ
地下鉄の一駅 わずか2分
ドア近くに立つ
無意識のガラス越しに
汚れたパイプの走る黒い凸凹の壁
朝見た憂鬱な国際映像が重なり
右手の指で
ガラスを叩いてしまう
練習中のアルペジオで
繰り返し 繰り返し
ん?
右側のベビーカーの男の子と目があう
2歳くらいかな
こちらをみて喜んでいる
こんな瞳はきっと
世界共通だね
もう一度 アルペジオ
男の子は
喜んで笑顔を向けてくれる
お母さんは?
ガラス越しにそっとみると
スマホをいじっている
もういちど
今度はやや長めに
アルペジオの繰り返し
男の子は
左手に持っていた
赤いマグカップを揺らし始める
僕の手をじっと見ている
じゃあ
これはどう?
こんどは和音で
ガラスをたたいてみる
マグカップの揺れが止まった
うーん
あまり反応はよくないね
アルペジオの
指の動きがお気に入りだ
彼の眼にはどう映っているのだろう
何かのクモのような
生き物にでも見えているのかな
電車が駅に近づくまで
男の子のマグカップと
セッションを楽しんで
駅に着く前に
小さく お別れの挨拶
ドアが開く直前
男の子は
はじめて
アーという声を出して
小さな手を
こちらに伸ばした
うーん
うれしいけど
タッチは
お母さんに叱られるかもね
もう一度
内緒の小さなバイバイをして
地下鉄を降りた
地下から階段で地上に出ると
染みも境目もない青空が
どこまでも延びている
街路樹のユリノキの葉に
朝日が反射して
秋の微風に揺れている
君たちみんな
何が何でも 大きくなれ
大きくなって
どこかで乗り合わせたら
また 一緒に
セッションをやろう
長くここで評者も務めてくれた、Kazu.さんこと、坂井一則さん。
(ちなみにKazu.さんの「穴」は、 2010年に最も読者を獲得したネット詩と評されています。同一人物です)
闘病生活を続ける中で、今回「中日詩賞奨励賞」を受賞されたことを称える記事です(中日新聞)。
もう病院に通う以外、外出することもできなくなっているんですが、脳腫瘍手術以降も
2冊の詩集を出し、術後2冊目の詩集となる『あなめあなめ』で同賞を受賞されました。
『あなめあなめ』は、
脳腫瘍に伴う失語症で、言葉を発せられない日も多い中で、紡がれた詩集です。
まさに魂の詩人ですね。頭が下がります。敬意しかない。
そして、彼がわれわれの仲間であり、友人であることを誇りに思います。
悲しみが目の前を流れる川なら
僕はどうやって渡るのだろう?
コツコツと木材を集めて加工して
橋を作り達成感に包まれて前向きに渡るのか
ただ何も考えずに川に足を踏み出し
身体一つで渡ろうとするのだろうか
流されて溺れもがき苦しみの中に落ちるのか
想像したほどでも無い穏やかな流れに
あっけなくなるほど渡り切ってしまうのか
今 目の前の川は大きく流れも早く荒々しい
きっと何も考えずに渡れば深い傷を負うだろう
腰を下ろして川を眺める
橋も作らず 無謀な行動もとらないで
ただ流れが穏やかになり水量も減って
渡れる様になるまで待つのもありだなと思う
無理して悲しみを消し去ることはない
せっかくの感情の中で悲しみに浸るのも悪くない
せっかくだから………泣いてみようと思ったが
もう泣いているのに気づいた
川の流れが打ち消してくれるから大声で泣こう
野朝顔
大きく開いた野朝顔は青紫色のらっぱだ
つらなって初秋の朝の澄んだ空へ
次々とのぼり
起床ラッパを鳴らす
梅雨どきに植えたひと株が
伸びる伸びる
丈高い樹のてっぺんまで
つるつる伸び
地面を這っては
ふしぶしに根をおろして
今や小さな森になった
植物は動くのだ
高いところへ高いところへ
日の当たるところへもっともっとと
人間の無限の欲望と同じ
今朝は三十数個も咲き
森はまるで青い滝
水音さえ聞こえるよう
そうして
心の弱い人に生きる力をくれる
夕方
花はピンクに変わる
たくましい花の
やさしい色
花の本当の心だ
消灯ラッパが鳴る
きょう一日の無事を
あなたに感謝して
おやすみなさい
*野朝顔・・・琉球朝顔