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石は透明な水の下
波静かな渚で洗われている
僕は石をそっと取り上げ
そして 放った
渚は揺れ 静寂は破れた
屈折する 光
翻える 魚
逃げる 鳥
一瞬
何かが始まる予兆を感じた
*
その日
突然 浜へ呼び出され
学友たちから
理由も告げられずに
〈村八分〉を宣告された
何がいけないのか皆目分からないまま
誰も口をきいてくれなくなり
孤立の暗闇に転落
どうして
どうして
どうして
・・・・
・・・そうだ
さしたる理由などありはしない
口重く 孤立癖のある僕の性向を見越して
彼らは
〈人身御供〉をつくりたかったのだ
海と山々に囲繞された
陸の孤島であるこの地を覆う 悪弊
老いも若きも
自己と異なるにおいを発するものを極端に嫌う
独善的で
夜郎自大の〈排除〉の論理
*
僕は登校するのをやめ
代わりに
毎日のように浜に出て石を割った
〈村八分〉に加担した彼らの頭数ほどだ
渚にひとり佇んでいると
鴉どもが近くの墓地から浜辺に集まり
ギャアギャアと騒ぐ
黒い点がやがて面となり
浜を埋め尽くす
身のまわりに蝟集する黒い影に怯え
足もとがふらつき 僕は
汀(みぎわ)に崩れ落ちた
ああ 海
ああ 砂
ああ 石
口に侵入して来る潮水がやたらと
苦い
*
もはやこの浜も
かつて
朝鮮人の ようちゃんと
遊び
堤防下で うぐしと触れあった **1
わらべのこころを育む温かい場所ではない
太陽が照りつける原色の海を前に
鴉の鳴き声に耳を塞ぎ
声もないまま
ただ渚の石を拾う球形の人
目の前を
藻場を離れたアマモが流れる
これから
どこを流離うのだろう
*
十歳の夏
学友たちに疎外され
濡れた海砂のなかでもがく 日々…
僕がふる里の浜を去ったのは
それから
四年後のことだ
**1 うぐし 唖者のこと
麦わら籠の果物が
きらきら笑っていた
それだけで
ささくれを剥かないままでいられる
優しい少女が
手を振ってくれた
それだけで
笑顔のつくり方を忘れられる
冷えた水を
手渡してくれた
それだけで
ため息が澄んでゆく
おんなじことで
吹き出してしまった
それだけで
恋に落ちた日が帰ってくる
日記からも 漏れてしまうような
世界の片隅の ほんの数秒
それだけで
ひしゃげた胸に 何かが満ちる
ああ 小さな頃に無くした
綺麗なビーズは
こんなふうになって 今返ってきたのか
バッハはキリストが復活するまでの受難を描くことで
困難を乗り越える希望を描こうとした
後々の人々もお互いの違いを乗り越え
声を合わせて彼の曲を歌い継いできた
長い年月を経てどれだけの人々が流してきただろう
苦渋に満ちながらも輝かしい汗と涙を
昨今の指導者は少しでも気に食わなければ
指揮棒を振り振り嘲りながら
頭ごなしにお前らメゾソプラノは厄介だから歌うなと怒鳴りつけるらしい
お前らの努力する姿などいらぬと
毎週二日休みなく出席して疲労も厭わずに練習ばかりに明け暮れた
自宅でも暇さえあれば朝から晩まで楽曲のCDをかけて歌いまくった
今まで触れたことすらないドイツ語も必死に覚えようとした
ヨハネ受難曲の最大のテーマであるキリストの受難を知るために
カトリック教会のミサに潜り込んで神父様の説教も聴いた
しかしそれもこれも市民合唱団にとっては無駄なことらしい
お互いの違いも乗り越え
団員同士結束を固めて声を合わせ
困難を共に乗り越えて希望を歌い継ぐことが可能ではなくなってしまった
体の力が抜けていく
今まで張り詰めていた緊張とやる気が嘘のように萎んでゆく
YouTubeで聞き直した練習風景もいつもの和やかな笑い声は消えて
微妙に調子っぱずれていてそのくせ自信ありげに誇張された
指導者のテノールばかりが高らかに鳴り響いていた
都合によりお先に失礼致します。
6/18〜6/20にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩を沢山ありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。
*******
☆「割れなかったガラス瓶」 喜太郎さま
喜太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
馴染の骨董店…ジブリアニメ『耳をすませば』に出てくる骨董店「地球屋」が瞬間的に思い出され、あのお店に身を置きながら拝読させていただきました。
大正時代のガラス瓶…中に入っている気泡は当時の空気であり、それが割れずに形もそのままに、空気までも内包して存在いているということは、考えてみればものすごいロマンですよね。
店主との会話により、読み手にそれを切々と伝える詩文の力〜さすが喜太郎さん、お見事です。
割れずに巡り会えた奇跡は、人との縁の奇跡にも繋がっていきます。この辺りの話の展開もとても自然です。
(セリフは『 』ではなく、「 」でよいと思います)
気になったのは
その人とは幾多の出会いと別れをくり返して
割れることなく君と出会えた
の部分です。
その人も自分も、それぞれの出会いと別れの中で、その間、各自が割れることなく生を保ってきたからこそ、お互いに巡り会えた、ということなのでしょうか。
そういったことも、とても大切かと存じますが、この場合は、愛を育んでいる二人にガラス瓶の焦点をあてた方がいいように感じました。
つまり、ガラス瓶を過去の個ではなく、二人の愛の形とみた方がいいように思うのです。
愛を育む過程で、ガラス瓶が割れそうなこともあったでしょう。どちらかがガラス瓶を投げつけたくなることもあったかもしれないし、気泡を取り出そうと懸命になったこともあったかもしれません。
そんなことを喜太郎さんの筆で少し書き足していただけたら、ガラス瓶は煌めきや翳り…更なる様々な表情を見せてくれるのではないかと思いました。
トケイソウを飾ろうとするのも考えさせられました。
時計に似た花姿から和名ではトケイソウと呼ばれていますが、英名では「Passion flower(パッションフラワー)」。このパッションとは、通常の情熱を意味せず、「受難」を意味しています。つまり、「キリストの受難」を意味しており、カトリック司祭たちが、トケイソウの花をキリストが十字架にかけられた姿に重ねたことが由来であることも、喜太郎さんはご存じで、この花を飾る花に選んだのでしょう。
真の愛を求める厳しさを暗示させる終わり方で、素敵だと思います。
ただ、トケイソウは一日花で、お花屋さんにあるかどうか…。
ないとわかって花屋に向かったとすれば、それも一つの物語かもしれません。
帰り道、どちらかの生け垣のトケイソウを手折ってしまったとしても、それも一つの物語になるかと存じます。
物語の方向性をはっきり示すのならば、その辺りを詳しく、意味合いを持たせる書き方をされてもよいかも知れません。
詩を膨らませる可能性を私なりにお話しさせていただきました。
しかし、充分素晴らしい作品であることには変わりません。
読み手に、色々想像を巡らさせてくれる…そういった楽しみ方ができる素敵な作品でした。
喜太郎さんのロマンチック系の詩、今回もよかったです。
私もこんなガラス瓶、見つけたいです。
御詩、佳作です。
ありがとうございました。
☆「タンポポ」 心快晴さま
心快晴様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
3連目までは、タンポポへの語りかけとなっていますね。
(2行目は「そなたは散る意味を知り」かしら)
タンポポの綿毛が散り、舞い落ち、芽吹き咲く様子が、韻を踏み、選び抜かれた言葉で語られます。
連の最後の動詞が次の連の頭にそのまま活かされ、タンポポの生そのままに繋がっていくのも、よく考えられていると感服しました。
素敵ですね。
散る意味も
咲く意味も
脇に置く
この部分、特に好きです。
「脇に置く」という表現…タンポポらの自然の摂理をタンポポらしい率直さで語っていて、素晴らしいと思いました。
「お手本になろうと」は、私でしたら、省くかも知れません。
恐らくタンポポには、お手本になろうという意思はないのではないかしら。
お手本にしたいのは私の方ですから、表現を変えると思います。
最終連で、私への問いかけになりますね。
生きる意味を脇に置いて生きるタンポポ…その意味を胸に、心快晴さんは恐らく詩を書くのでしょう。
ここでも「そなたは」とされていますね。
客観視する手法もいいのですが、ここはぐっと自身に引き寄せた書き方で、主観的に書かれた方が効果的かと思います。
「友なる流れ」も各連に渡って使用される「友なる」を受けていて、とても工夫されていると思います。
ただ、「流れ」というのは少しわかりにくいかしら。
恐らくはタンポポの一生という意味合いを「流れ」とされているのだと思いますが、心快晴さんなら、もう一捻り、ぴったりと当てはまる言葉が見つかるのではないかと期待してしまいます。
意味を忘れ
意味となれ
散り咲く意味を脇に置いたタンポポの意味を知る。
しかし、最後は、自身の意味をも忘れ、且つ意味となるよう、詩を書く己に諭しているかのようです。
タンポポの生き様に悟されたといってもいいのでしょうか。
一本のタンポポを前にした深い内観の詩のように感じました。
合唱曲のようにして、音に乗せて歌われたら、一層言葉が引き立ち素敵でしょうね。
(MY DEAR作曲部さん、どなたかいないかしら…)
佳き作品でした。ありがとうございました。
☆「道のふた」 温泉郷さま
温泉郷様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
ボリューム、内容共に…大作ですね。感服いたしました。
人生の落とし穴を塞ぐふた…面白いです。
星新一の極上のショートショートを読んでいるような感じを受けました。
便利そうなふたではありますが、色々問題があるようで、連を構成しているふたの抱える問題点が、それぞれ興味深いです。
また、社会問題を上手に織り込み、そこに必要とされる「ふた」、更にその問題点にまで言及し、詩行に見事に表現されています。
社会批判をさらりと乗せたユーモアと皮肉も絶妙ですね。
「ふた」が読み手によって、様々なメタファーになり得るのもこの詩の魅力のようにも思います。
少し残念なのは、半ばまで読み、何となく結末が想像できてしまったことです。
これは、私も少数派の一人だったからでしょう。
とても面白い題材ですし、実力ある温泉郷さんでもありますし…
詩の意外性の落とし穴に落ちてみたかったな~と欲をかくのをどうかお許しください。
落とし穴に落ちたいなんて、贅沢ですよね。
「道のふた」の中には、様々な社会問題が提起され、温泉郷さんらしいエスプリが効いています。
普段考えない視点から人生を考えさせてくれる(これこそがこの詩の落とし穴的醍醐味ですね)素晴らしい作品でした。
佳き作品でした。ありがとうございました。
☆「木苺は死なない」 紫陽花さま
紫陽花様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
今回は…これまでにお目にかかったことのないぶっ飛んだ詩!
勿論いい意味で…です。このような詩もお書きになるんですね。驚きました。
メルカリで買った木苺の苗、どんな風に育つのかしらとワクワクしながら拝読しました。
木苺というのは、言葉の響きも実の色形もかわいらしいですよね。
紫陽花さんのことですから、甘い麻婆豆腐ならぬ甘いジャムを拵えるのではないかと、甘い香り漂う詩を期待しながら読み進めたのです。
見事に裏切られました(笑)。
2連目から雲行きが怪しくなります。
いくらでも増える木苺、怖い、恐ろしい…。
お母様とのやりとりが、あたかも怪談の一幕のように語られます。
3連目、夢の中、恐ろしい木苺は、紫陽花さんとなって伸びていきます。
「約束のように」という一言が、紫陽花さんらしい表現だと思いました。
ぐんぐんぐんぐん
伸びて伸びて
地面に棘を刺し、根を出し、葉と花をつけて成長してゆく姿が、勢いのある言葉で、鮮やかにスピード感をもって描かれます。
これで終わっても充分面白いと思うのです。
しかし、成長を続けるだけでは終わらない処が、この詩を更に趣き深いものにしています。
これなら私はずっと死なない…
私が生まれる
なんて楽しいんだろう
この部分のキッパリとした詩文は、特に力強さを感じました。
紫陽花さんって、なんて楽しいんだろうと笑ってしまいました。
この世は私だらけになあれ
最高ですね。
自分で地球が埋め尽くされて…
目が覚めた
でストンと詩は終わります。
その後は何も語らない…この終わり方もとてもいきていると思いました。
3連でそれぞれ場面が変わり、緩急があり、読み手をひきつけます。
特に最後の夢の連は圧巻です。
木苺も詩も勢い付いていく一方で、その裏側にある、成長を永遠に続ける可笑しみ、それ故の哀しみも感じられました。
更には、夢ではない現実…棘のように隠されている抑圧された個をも感じ取れました。
「木苺は死なない」…ご自身を託した木苺を「死なない」と言い切る形で題とされた紫陽花さんの、母として、女性としての、生きんとする強さもひしひしと伝わってきました。
御作、佳作です。
終始圧倒されました。
素晴らしい作品をありがとうございました。
☆「滔々」 大杉司さま
大杉司様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
4行5連の美しい定型詩ですね。
連毎に、伝えたいことがきっちり動詞でもってとじられ、完結し、とてもわかりやすい形となっています。
一句一句に無駄がなく、端的に大杉さんの思想は語られています。正しく「滔々」と…。
一つ一つ、頷きながら拝読させていただきました。
仰る通りだと思います。
言葉に留意していかねばならない詩を書くものにとっては、大切な事柄だと教えられました。
訓示のように承りました。
最終連、「〜したい」と3行続き、締められています。
この願い、とてもよくわかります。
ただ、読み手としてはもう少し具体的に知りたく思いました。
大杉さんにとって賢く生きたいとはどういうことなのか…。
先の4連に書かれていると言われてしまえばそれまでですが、一般的なことではなく、例えば、大杉さん独自のエピソードを絡ませながら語っていただけたら、より大杉さんらしい個性的な詩になるのではないかと感じました。
言葉の発し方、私も気をつけねばなりませんね。
どう人と触れ合い、いかに尊敬し、自分を変えていくか…私も具体的に考えてみたいと存じます。
学ばさせていただきました。
佳き作品でした。ありがとうございました。
以上、5作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。
余談ですが、最近、詩や短歌…文芸仲間を集め、不定期刊行の冊子を始めました。
詩を学びたいがどうしてよいかわからない〜そんな仲間たちに、MY DEARへの投稿をすすめています。
カルチャーセンターなどで高額の受講料を払い、斧正を請うと更にお金がかかる…詩に限ったことではありませんが、文芸の学びに多額の費用がかかる話を方々から伺いました。
私はMY DEARに投稿することで詩を書き始めたので、他の世界を知りません。
しかし、仲間の話を聞けば聞くほど、投稿、更には添削ふくめての評までを、無償でしてくださるMY DEARの懐の深さに、改めて感動させられました。
私も投稿のたびに、毎回毎回、懇切丁寧にご指導いただき、育てていただきました。
皆伝後も投稿時代と同様に学ばせていただける、かけがえのないホームグラウンドです。
ネットで、20年以上も無償で、詩の指南を続けていただいていること、本当にありがたいことと改めて敬服しております。
管理人の島様、そして活動を支えてこられた歴代のレギュラーメンバーの皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
私はまだまだひよっ子ではありますが、MY DEARに集う皆様のために、これから頑張ってまいりたいと存じます。
今後ともよろしくお願いいたします。 紗野玲空
淀みなく喋ると
何を伝えたいのか
何を知ってもらいたいのか
不明瞭になるばかりだ
それに気付く人は少なく
ただ自分は偉くなったと思い込み
他人を見下し嘲笑し
やがては孤立する
それは子供から大人まで
多くの人が経験することで
言葉が刃物となることを知らず
悠々自適に暮らしている
従わせるのではなく
協調性が大事であって
しっかり意見を聞きながら
見つめ合うべきである
僕は賢く生きたいと強く思う
もっと人と触れ合いたい
もっと人を尊敬したい
自分を変えていきたい
メルカリで500円で
木苺の苗を買った
私を攻撃しないように
棘無しを選んだ
決して攻撃しないはずの
小さな木苺の苗
初めは10センチくらいだった
それがひと冬を越すと
しっかりした蔓が5本ほど出て
そのうち2本は地中に埋まった
それからどうなるのだろうと
見ているとしばらくして
その蔓から根が生えた
元々あった本体と
新しい木苺の苗が出来た
春には3株に増えていた
そんな話を母に教えた
母は木苺は恐ろしいのよ
いくらでも増えるの
私も庭に木苺を
昔昔植えたけど
他の植物が枯れる勢いで
怖くて頑張って全部
全部抜いたと
私をじっと見ながら
怖い怖いと繰り返していた
その夜私は約束のように
木苺になった夢を見た
ぐんぐんぐんぐん
伸びて伸びて
地面に私の蔓を刺して
そこから私の根を出して
地上には葉っぱと花をつけた
それをずっと繰り返す
これなら私はずっと死なない
蔓を伸ばして地面に刺せば
私が生まれる
なんて楽しいんだろう
どんどんどんどん増えていく私
この世は私だらけになあれ
ちょうど私で地球が埋め尽くされて
目が覚めた
どうやっても落ちないように設計されている
マンホールのふたのように
人生の落とし穴を塞ぐふたを
買おうか迷っている
決して落ちないと広告されていながら
これまでは欠陥品ばかり
新発売の製品は
これまでの欠陥を克服したと宣伝されている
従来品は
人が落ちる穴の形や大きさが
人生の展開や環境の変化につれて
変わってしまうことに十分対応できなかった
適当な時期に買い換えないといけなかった
それで しばしば事故が起きた
毎日を慎重に真面目に過ごしていた会社員が
せっかくふたを買っていたのに
しばらく買い替えるのを忘れていて穴に落ち
週刊誌に醜聞が掲載され
ワイドショーのネタになった
結婚式のご祝儀に
夫婦2人用のふたがよくプレゼントされるが
それで離婚率が大きく下がったというわけでもないようだ
夫婦といえど 思想と行動はそれぞれだ
2人用だと穴の形や大きさを決めるのが
等比級数的に難しくなるらしい
1人用をそれぞれ買う夫婦が増えたのは当然のことだった
政治家や著名人など一部の階層の人たちは
穴が変わった形をしているうえ
大きすぎて塞ぎきれないので
未だコスト面と技術面での課題が残されていた
ところが 今回のふたは いままでと違う
AIによる行動・習慣・心理解析を行い
予め穴の形状・大きさの変化や事態が出現するタイミングを予測して
それに合わせて自動的にふたの形と大きさを調節したり
事前にカバーすることができるそうだ
その人の平均余命と収入予測から
無理のない長期ローンを組むこともできる
政府の補助も始まるから 一層買いやすくなる
ふた人口はいまや6割を超え
もっていない人は少数派で肩身が狭くなってきた
人生の落とし穴に落ちると本人だけではなく
周囲の人やひいては社会に迷惑がかかると批判されている
一方で
ふたを買った人と買っていない人とで
穴に落ちる確率には
統計上それほど大きな差がないという
有力な研究報告も出て
科学者たちの間でちょっとした論争になっている
まだ仮説の段階だが
どうやら ふたを買ったことで安心したり 慢心したりで
人生の道を歩くときに注意が散漫になったり
人間関係に予期せぬ亀裂をもたらすことがあるらしい
ふたメーカーが 取扱説明書に
「ふたを買ってからも十分に注意して歩いてください」
とようやく注記したのは この報告が出てからのことだ
新製品ならこうしたエアポケットもケアできるそうだ
私は今回買うべきかどうか迷っていたが
色々考えてやっぱりやめることにした
AIを使った新製品にも予期せぬ欠陥が出ないとは限らない
むしろ 人生の落とし穴はAIにだって埋めきれないと直感する
ただ それ以上に
人生の落とし穴に落ちてしまうことがあっても
それも人生かなと思って生きていく方が性に合っている
私は少数派に留まる決意をした
散りゆくタンポポよ
そなたは散り意味を知り
友なる風に身を任し
川のせせらぎのように
舞っていく
舞い落ちたタンボポよ
そなたは咲く意味を知り
友なる恵みに身を捧げ
アスファルトを貫き
芽吹き出す
芽吹き 咲いたタンポポよ
そなたは自身の意味を知り
友なる私に見つめられ
お手本になろうと
散る意味も
咲く意味も
脇に置く
ペンを傾けだした私よ
そなたはタンポポの意味を知り
友なる流れを思い出し
意味を忘れ
意味となれ
はじめまして。今回は読んで評を頂き、誠にありがとうございます。評を読んでいて、とても嬉しく感じました。またこれからも頑張ります。本当にありがとうございます。
今回も読んで表を頂き、誠にありがとうございました。
お褒めの言葉、とても嬉しく感じています。これからの励みにして創作の方、がんばります。