ChatGPTとGeminiに課金して使用感をお試し中。後者は初月無料なのでとりあえず一ヶ月好きに使ってみようかなと。
>「内面」と「外面」をそれはそれ、これはこれと完全に別物として捉える日本
それの応用ってわけじゃないけど、例えば私は「いっしゅう」名義でネット上で活動してるけど、私が本名名義とごっちゃにしてない限り、本名名義とは別物として扱うっていう暗黙のルールがありますね。「でもお前、ネットではああ言ってたじゃん」みたいなのは言わない約束的な。
日本でハンドルネームが一般的な運用になっているのは、この「顔の使い分け」が文化的に馴染みやすいからでしょうね。別の名前を使っているってことは別人として扱って欲しいんだろうな、っていうのが了解される。まあ、身バレ防止ってのもありますが、どっちが先に来るかって言ったら私は前者が先に来ますね。
勿論これも「一線を超えない限り」なので、もしそれを超えたら「裏ではこんなことをやっていた」ってなる。
>キリスト教の手の平クルー
例えばフランスでは生まれたばかりの赤ん坊を乳母(遠方に住んでいる場合もある)に預けて自分では育てず、幼稚園児くらいで家に戻ってきたら次は寄宿舎に入れて半ば厄介払いってことが富裕層では当たり前に行われていましたよね。バルザックの生い立ちがまさにそんな感じ。イギリスでも児童労働は当たり前だった。
ところが、ルソーの教育思想が広まって子どもは大事にしよう! ついでに母親は母性的であらねばならないと母性神話が登場して正反対に舵を切る、みたいなことが平然と行われる。
LGBTにしても元々は日常生活で不便があったからそれをどうしようかって話だったのに、政治の道具(人権問題に絡めて政敵を攻撃したり、自分たちは進歩的だと嘯いたり)になってああなってる。実際には政治エリート層と一般層で温度差がエグいんだけど、その事情をよくわかってない日本人が「やっぱ欧米は進んでるなぁ」と輸入してるわけね。
>仲正昌樹『悪と全体主義』 https://amzn.asia/d/dN1ZZ5F
ドイツのアレを扱っているよくあるテーマの本。大衆とか全体主義についてハンナ・アーレントの主張をベースに展開していて、別段目新しいわけではない。今更大衆云々で説教じみたこと言われてもね、ってなるしね。
ただ、国民国家と国民の関係についてよく表している一文があったので紹介。
近代の国家は「国民」をベースに創設され、「国民」の利益を守るべく運営されてきました。「国民nation」を構成する「市民citizen」たちのために各種の権利が設定されました。それがなければ、「人権」は実質的に機能しません。逆に言うと、「国家」はそうした諸権利や利益と引き換えに、「国民」の忠誠心を繋ぎとめてきました。その「国民」のための資源を、「国民」ではない者たちに無条件に分け与えるわけにはいきません。「国家」が使える資源には限りがあります。「普遍的人権」の名の下に、困っている無国籍者を全て受け入れるという態度を取れば、多くの人が押しかけて、「国家」のキャパシティを超えてしまいます。(p105)
カッコ書きが多くて読みづらいけど、要するに人権は国家が保障するもので、国家に依存してる。つまり人権とはシステムが作り出した虚構なわけ。まあ、平常時はそんなに問題にならないんだけど。
じゃあ、どういうときに問題が露見するのか。それが無国籍者の流入。これは当時でいうと国を追われた難民とか、権利を持たない人たちのことなんだけど、これを現代で最も適合しやすいもので表すと「移民」になる。
最近日本でも外国人に厳しい目が向けられてて、政府に対しても批判が出てるけど、その中でよく目にする「俺達の税金を外国人のために使うとは何事か!」「日本人より外国人が優遇されている→日本人の人権が蔑ろにされているのでは?」ってのはまさに国家の仕組みから言えば真っ当な意見なのね(事実であるかは別として)。言ってる人は多分感情的に言ってると思うけど、制度的・国家論的に言えばめっちゃクリティカルなんだよね。
建前から言えば人権は全ての人を保障しなければいけない。国家が自国民だけを保障するなら嘘になる。けど、一国にそこまでの能力はないし、自国民以外を手厚く保障したら国家の正統性(=国民の支持)を失うっていうのが国民国家の建前と本音。
>地雷グリコ
逆算系は段取り臭くなるのと、何故かクリティカルになる部分を誰も事前に突っ込まない不自然な形になりがち。
>亜宗教
目新しい内容はありませんでしたが、学者が書いた本のわりには軽妙な内容でしたね。
>ウィッチウォッチのデスゲーム
ボードゲーマーのワイ「口だけで説明するな。耳慣れない単語を連呼するな。いいからサマリーよこせ」
EDテロップを見るにジョギって名前なのか。チョッキリーヌ様とどちらが役職が上になるのかなw…。
>一面のひまわり畑
昭和生まれの私としては、やっぱり戦争メロドラマ映画の佳品『ひまわり』の冒頭シーンを、ヘンリー・マンシーニの哀愁漂うテーマ曲と共に想い出しますね(↓)。
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e6%98%a0%e7%94%bb+%e3%81%b2%e3%81%be%e3%82%8f%e3%82%8a+youtube&qs=UT&pq=%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%80%80%e3%81%b2%e3%81%be%e3%82%8f%e3%82%8a%e3%80%80you&sc=12-11&cvid=DDD4D78FECFF4F2CAD33E2F43DFD8C1F&sp=1&lq=0&ajaxnorecss=1&sid=2B1B0D321FAE6E4A28841B171EAB6FA4&jsoncbid=0&ajaxsydconv=1&ru=%2fsearch%3fq%3d%25E6%2598%25A0%25E7%2594%25BB%2b%25E3%2581%25B2%25E3%2581%25BE%25E3%2582%258F%25E3%2582%258A%2byoutube%26qs%3dUT%26pq%3d%25E6%2598%25A0%25E7%2594%25BB%25E3%2580%2580%25E3%2581%25B2%25E3%2581%25BE%25E3%2582%258F%25E3%2582%258A%25E3%2580%2580you%26sc%3d12-11%26cvid%3dDDD4D78FECFF4F2CAD33E2F43DFD8C1F%26FORM%3dQBRE%26sp%3d1%26lq%3d0%26ajaxnorecss%3d1%26sid%3d2B1B0D321FAE6E4A28841B171EAB6FA4%26format%3dsnrjson%26jsoncbid%3d0%26ajaxsydconv%3d1&mmscn=vwrc&mid=FC1A83314D625F3D8B77FC1A83314D625F3D8B77&FORM=RCACF
そして当時ウクライナで撮影されたこのひまわり畑も、今や戦場と化しているかも…と考えると、何とも複雑な気持ちになります。
◆◆◆
>キリスト教は「(人間が勝手に決めた)正しさ」を信じていて、日本人は「(人が勝手に言っている)良いこと」を信じている。そしてそのどちらもコロコロ変わる
先日アニメ化されたものを視聴した『チ。― 地球の運動について ―』でも、教会側の経済的都合(=地動説関連書籍の印刷・頒布を許諾する見返りとして、売上げ収入の一部を教会が受け取る)から、それまでの「断固滅ぼすべき異端」と見做していた地動説のことを「あくまで仮説としてなら許容可能」へと大きく認識を改めていましたっけね。まぁこれ自体は史実としては(多分)正しくないのですが、進化論しかりLGBT問題しかり、キリスト教会が異なる言説の徹底的排除から平和的共存へと舵を切った(悪く言えば「手の平クルー」した」)という史実を象徴的に示しているという点では正しい描写なのだろうと思います。
因みに作中のクライマックスでは、それまで教会を後ろ盾として「異端は撲滅されるべき」との信念を抱き続けて来た異端審問官ノヴァクが、ある夜突然(書籍販売事業にカネの臭いを嗅ぎつけた)上司のアントニ司教に「そもそも地動説が異端である根拠など無い」とこれまでの所業を全否定されたことで、司教もろとも教会堂に火を放ち自死を遂げる様子が描かれます。これなんかまさに以前話題に出た「キリスト教文化圏では内面と外面が地続き」の一例のように思いますね。ノヴァクが味わった喪失・絶望感はそのまま『レ・ミゼラブル』のジャベール警部に重なって見えますし。
御大の考察に更に付け加えると、つまり「内面と外面との一貫性」を志向するキリスト教文化圏では「内面」が「外面」によって否定・抑圧されることは「極度のストレス」と捉えられがちですが、「内面」と「外面」をそれはそれ、これはこれと完全に別物として捉える日本ではむしろ日常の所作の一部と見做されているのではないかという気がします。そういや以前山本七平氏の著書で、氏が戦時中捕虜となった際にアメリカ人兵士が「お前達は天皇を現人神だとして崇め奉っているらしいが、進化論というものを知らないのか?」と揶揄された際に、「こう見えても私は大卒だ。進化論のことなら申し訳ないがあなた以上に詳しいし、また正しいと認めている。」と返事したら大変驚かれた ― 細部はうろ覚えですが確かこんなエピソードが紹介されていたと思います。続けて山本氏は、総じて日本人というものはタテマエ(外面)とホンネ(内面)を使い分けることに何の抵抗も感じないどころか、むしろ情況の変化に応じて自在に使い分けられる人こそ「オトナ」として高く評価する傾向にある、とも論じていたはずです。だから例えばジョージ・オーウェルの『1984年』で描写されるディストピアは、日本人の大多数には欧米で受け留められているほどピンとは来ていないんじゃないかと私は想像しますが…実際どんなもんなんでしょうね。
>内面が整っていれば融通を利かせても良い
「融通を利かせても良い」どころか「寧ろ今までの社会的通念(=外面)こそが間違っているのだから正すべきだ。」と、精神的意味合いにおける (「我に自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」的な) 一種の死活問題と解釈して来たのが欧米社会なのかな、という気がしています。この辺りも内面と外面の一致に拘りの薄い日本人の大多数にとっては、『バイセンテニアル・マン』のアンドリューの「究極の選択」に関しても、単に(屁)理屈を捏ねているだけのように映るのではないでしょうか。
>今週の読書
『地雷グリコ』やっと図書館で借りられたわw(結局10カ月待ち)。見事なまでに“「審判がグレーゾーンのジャッジを予め自分が思い描いた通りしてくれること」を前提に奇策を繰り出す主人公が無双する”エピソードばかりでしたねぇw(毒)。まぁ御大がおススメされただけのことはあって面白く読めはしたんですが、御大もご指摘の通り「あっと驚くトリックから逆算する形で無理くりお話を作った感」はどうしても否めなかったですね。このオムニバス短編の執筆に数年を費やしていることを鑑みれば、例えば「敵サイドに過剰に肩入れする審判の偏向ルールを逆手に取って見事勝利する話」や「敗北を覚悟した主人公の無意識の行動が勝利を呼び寄せた話」を入れるとか、もう少し変化を付けて欲しかったかなぁw(苦笑)。
あとはこれかな(↓)
●『一次元の挿し木』松下龍之介 2025宝島社文庫
https://amzn.asia/d/9e3P1WN
第23回(2024年)『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ獲得作品。
イケメン(自覚無し)主人公 → ミステリアスな義妹と出会って恋仲に → 義妹の謎の失踪 → 絶望する主人公・クセの強い眼鏡っ娘と出逢って意気投合 → 一緒に義妹の捜索 → 怪しげな宗教団体絡みの殺人鬼の襲撃…と、まぁ「おまいらこんなん好きだろ?」の欲張りセットみたいな話でしたねw。謎を小出しにしつつテンポ良く話を畳みかけてくるのは好印象でしたが、流石に終盤は展開が急ぎ過ぎ、かつ宗教団体を証拠隠滅に便利遣いし過ぎで、リアリティに欠けるのはマイナス点でした。借りて読むならまだしも、¥900(税込)払ってまで読む価値があるかというと正直微妙な作品でしたかねぇ(苦笑)。
今日ボーカルアルバムの発売日だなと思ってAmazon見たら売り切れ&転売価格になってて草。
元々ダウンロードの方で買うつもりだったらいいけどさ。ズキューンキッスの曲はやっぱ強ぇわ。
>ななの距離感
元々そんな気配があったしね。今回であれば冒頭の肝試しトークで彼女が怖がりではないことが示されていたし、水をあげた場面でも「どうすっかな~」って独白してたように困っていれば助けるけど、それ以上ではないことも示されていましたね。
>日本で社会問題の共有・周知を押し進めるものって何なんでしょうね?
たぶん直接的にはワイドショー(と夜にやってるニュース)だと思います。今だとSNSも入るかな。で、ここで多くの視聴者に刺さると空気が変わって、その空気を企業や国が敏感に感じ取って動くというのが日本の構造変化だと思います。
具体例を上げると20年くらい前、サービス残業が当たり前になっていたけど当時騒がれた結果、私が勤めていた会社でも未払い分の精算が行われたことがありました。それ以降サービス残業へは厳しくなりました。何が面白いって組合もあって、サービス残業があることは従業員も組合も会社もわかってたのに社会の空気一つで動いたってことです。
つまり日本ではこの「空気の入れ替え」こそが社会、企業、制度を動かす最大の動力源であり根幹ってことです。この国は空気が変われば制度が変わるし意識も変わる。この意味で法治国家ではない。空気が全てに優先する。これの何が強いって統制力。コロナ禍を見てもわかるように短期間で訓練された兵士のようにみんなが同じように動く。その同調圧力と自己統制力は他の国では真似できないと思うよ。法律で制限するより早く、確実にやってしまうのだから。
>Dr.STONE
必要なときに必要な人材とピンポイントでエンカウントするの草。
過労がピークに達したザックリー観て思い出しました。(↓)
>こころだったらもう少し常識的というか、ザックリーのペースに押されるでしょう。
>うたならたぶん本気でザックリーを助けようとする。
>けどななは一線を引いているような雰囲気がある。
ハンカチ前後のやり取りでそこまでプロファイリングできるの流石っすわ。
自分は距離感やたら気にする癖に、そういう洞察力が殆ど無いからなぁ…
人間が怖い原因の一つが分かった気がしますね。
>「先生ザックリー君がななちゃんのこといじめてました」
>小学生男子か
あー…小学生の頃は美少女コンテンツが妙に気恥ずかしかった事を思い出しますねぇ…でも気にはなるっていうのが余計に辛かった…
ザックリー君もRPGのパーティメンバーに女性キャラを入れられないタイプだな、きっと。
成る程、今年の未就学男子へのアプローチはこういう方向性か。東堂いづみの辣腕が光りますね。
>キリスト教は「(人間が勝手に決めた)正しさ」を信じていて、
>日本人は「(人が勝手に言っている)良いこと」を信じている。
「内面が整っていれば融通を利かせても良い」って言われると、そっちの方が本質を掴んでいる様に見えますね…
改めて「本質を掴む」ってどういう事なのか考えさせられます…本質を掴んでいる様に見えても所詮は「信じたいものを信じているだけ」というのも含めて。
>日本ではドラマは娯楽性を期待されてるけど、
>欧米ではドラマを通じて社会問題を共有・周知することが期待されている
日本で社会問題の共有・周知を押し進めるものって何なんでしょうね?
更に欧米のコメディは問題の脱構築を促し、解決の為の新たな視点を齎す事も期待されてるみたいですが…
それらが遅れている日本に対して、コピペする様にお笑い芸人やニュースキャスターに同様の役割を求めるのは酷な気がするんですが。
風刺画とかも昔はあったけど、今ではとんと見掛けなくなりましたしねぇ…
後、韓国といえば韓流アイドルと日本のアイドルがよく比較されてると思いますが、韓流がスペック重視で日本がキャラ設定重視っていうのも、現実と空想の境界線のスタンスの違いが表れてる様に思えます。
>「持つ者と持たざる者」との間の情報格差
技術適性は個々人でどうにかして欲しいですが、現状の生成AIのサブスクビジネススタイルは長続きしないって話は聞きますね。
今後を占う兆しとしては弱いですが、イーロン・マスクが政党立ち上げたみたいですし、宇宙開発みたいに国とズブズブの関係になっていくんじゃないでしょうか。国家のインフラとして生成AIの維持費は税金で賄う可能性。
後はロボット工学とAIの組み合わせも活性化しているって話も聞きます。AI搭載ロボットの開発過程での副産物で経済を回せないものだろうか…とか考えてみたり。
>Dr.STONE
眼鏡が作れれば眼鏡っ娘にモテる…真理だな。
激務の末端幹部を唆して離脱させる今年のプリキュアさんは狡猾。
>海外の批判的コメディ
ああ、確かにそれはあるね。日本ではドラマは娯楽性を期待されてるけど、欧米ではドラマを通じて社会問題を共有・周知することが期待されているのでしょうね。
>「#MeToo」運動
日が当たらなかった部分にスポットを当てるのはいいんだけど、10年以上前の投稿を掘り返されてバッシングされた、みたいな話を見るとあっちもなかなかだと思うね。
つまるところ、キリスト教は「(人間が勝手に決めた)正しさ」を信じていて、日本人は「(人が勝手に言っている)良いこと」を信じている。そしてそのどちらもコロコロ変わる。
>高度プロフェッショナル制度
2年前のデータですが26事業場(24社)/823人しか適用されてないですね。たぶん濫用されないよう厳格に基準を設けたんだろうけど、そのせいで使う人(会社)もほとんどないって状況。
>時計の針が「一斉に」反対方向に触れて時代が後戻りする
日本に比べて欧米の方が振れ幅が大きいけど、当然中の人たちも「極端すぎない?」って反動がある。しかもこの手の推進する人たちはエリート層だから中間層以下との温度差も大きい。
>「持つ者と持たざる者」との間の情報格差
これ、地味に深刻になっていくでしょうね。
Netflixが見れるかどうか(サブスク代が払えるかどうか)程度ならまだしも、当該サービスを知っているかどうか、使えるかどうか、応用できるか、仕組みを理解できるか。サービスを使う人とサービスに使われる人にどんどん分かれていく。
それに合わせて時間の活用にも差が出てくる。YouTube然りAmazonプライムビデオ然り、課金しない人は広告を見せられて時間を消費させられる。現代は時間すらもコスト(通貨)になっている。
ChatGPT(無課金)さんはこう仰っていますね。
今の社会は「視線(Attention)が資源」とされるAttention Economy(注意経済)に支配されており、
・視線を集められる人(YouTuber、TikToker)は収益を得る
・視線を提供する人(視聴者)は広告を見せられる
という階層的構造が形成されています。
つまり、「何を見るか」「どこに時間を費やすか」が、かつてないほど搾取/投資の境界線になってきている。
「無料で済ませようとする行動パターン」や「自分の可処分時間を何に使っているか」を定期的に見直すことは、現代を生き抜く“知的防衛”の一つと言えるでしょう。
なお、ワイは広告ブロックと動画倍速プラグインを使って踏み倒している模様。
と、いう訳で8月いっぱいまでは例年同様書き込みは控え目になるかと思いますのでご了承ください(その分今回は長文になってしまったw)。
>成長を望む(強制される)キャリア志向とは別に、脱成長を望むスローキャリアも同時によく耳にする話
>働き方としては二分する方向に動くんじゃないか
成程、言われてみれば確かにそんな気がします。すっかり忘れていましたが、働き方改革の一環として2019年に設けられた「高度プロフェッショナル制度」がまさしく二極化の典型例かもしれません。確かこの制度の導入当初は「時間外労働・残業代未払いがなし崩し的に拡大し、労働基準法が実質的に骨抜きにされる」といった批判も巷では喧しかった思い出がありますが、今のところ当初の制度設計を(恐らく)大きく逸脱せず運用されているみたいですしね。
https://xn--alg-li9dki71toh.com/roumu/work-style-reform/highly-professional-workers/
この事例に限らず、政治体制にせよLGBT運動にせよ、時計の針が「一斉に」反対方向に触れて時代が後戻りするようなことは起こりにくく、モザイク状にますます多様化する(=混迷の度合いを深めていく)のが当節あるあるなのかもですね。
>資本力のあるプラットフォームしか生き残れなくなるから、寡占化が起きて、そこのルール(数量規制、コンテンツの縛り)が実質的なスタンダードになる
寡占化による情報バイアスが生じやすいということに加えて、プラットフォームに課金する余裕があるかないかによっても、得られる情報の精度が大きく変化していくようにも思います。「持つ者と持たざる者」との間の情報格差は今後ますます広がっていくのかもしれません。
>現実では少数派なのにネットでは多数派に見えたり
(↑)これと御大の指摘される「予防的回避」行動が合体することで、現実社会では眉を顰められがちな極論や暴論が、SNSによって広く拡散され社会全体を動かすまでになることも最近では珍しくないように思います。今回の参院選の結果をみてもそんな気がしますね。
>対照的にキリスト教圏を中心とする欧米文化では空想と現実の線引きが相対的に薄く、内面までも道徳や倫理の射程に収めようとする傾向があります
>キリスト教的な考えでは空想、心の中でそう思ったことは行動にも繋がる、空想が現実に影響するのではないか、だから積極的に働きかけるべきではないか、という発想になりやすい
御大が指摘される通りだと思います。そもそもユダヤ教の律法(トーラー)自体が既に「創造神ヤハウェに対する内面の服従まで要求する」ものですからねぇ(↓)。
◆◆◆
「ヤハウェは言われた。この民は口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ。」(イザヤ書29章13節・新共同訳による(以下同じ))
◆◆◆
で、新約聖書ではそのイザヤの預言に触れた後、イエス・キリスト自らこう語っていることもあって(↓)、仰る通りキリスト教文化圏では「内面と外面とは地続き」という発想になり易いでしょうねぇ。
◆◆◆
イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」(マタイによる福音書15章16節~20節)
◆◆◆
ただ、上記の引用の最後にも出て来る通り、イエスの教えはそこから更に進んで「律法が制定された意図(=被造物である人間の幸福を実現するため)を正しく把握してさえいれば ― つまり内面が整ってさえいれば ― 外面上の体裁(=教えの履行不履行)に縛られる必要は一切無く、むしろ積極的に外的行動に移すべきである。」と断言するまでに至ります。この点は「内面と外面(空想と現実)を明確に分けて捉える」日本人には持ち得ない発想かもしれないですね(むしろ陽明学で言うところの知行合一とかとシンクロする考え方でしょうか)。
【参考・マタイによる福音書12章1節~14節】
(※ 因みにこの箇所でファリサイ人達がイエス(とその弟子達)を非難した理由は、口伝律法(=律法から派生したユダヤの言い伝え)においては「収穫、脱穀および病人の生命に直接関係しない医療行為等」は“安息日に行うことを禁じられている労働行為”に該当すると解釈したためです。)
https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.12.%2525E6%252596%2525B0%2525E5%252585%2525B1%2525E5%252590%25258C%2525E8%2525A8%2525B3
いま思い付きましたが、イエスのこういう考え方って、例えば17世紀に英国の哲学者ジョン・ロックが唱えた抵抗権(=もし政府が権力を濫用する場合は、人民は政府に対して抵抗する権力を持つ)とか、『バイセンテニアル・マン』のクライマックスの台詞にも影響を与えているように思いますね。
◆◆◆
「つまり、死ぬ手配をしてきたというの、アンドリュー? まさか。まさか、そんなことができるはずがないわ。[ロボット工学三原則の]第三条違反よ」
「そうではない」とアンドリューは答えた。「いろいろな死があるんだ。リー・シン、第三条は区別をつけないが。しかし、わたしは区別する。わたしがしたのは、肉体の死か野心と欲望の死かの二者択一だった。より偉大な死を犠牲にして肉体を生かすこと ― それがほんとうの第三条違反だ。…… ロボットとして永遠に生きるくらいなら、人間として死ぬ方を選ぶよ」(アシモフ&シルヴァーバーグ『アンドリューNDR114』創元SF文庫2000 p.363~4より引用)
◆◆◆
>空想に現実を持ち込むことへの嫌悪感や不快感
>海外の、政治や社会問題を扱った「批判的コメディ」が日本で受け入れられない
確かに。政治的スタンスを公言しているアーティストが欧米では珍しくないのに対し、本邦では皆無である点(公言する人はほぼ例外なく芸能界を引退して政界入りする)とか、批判的コメディに限らず政治・社会問題を取り上げた国内エンタメ作品がほぼ存在しない(=一般ウケしない)点とかも、同様の理由から生じているように思います。一方同じ東アジア圏でありながら韓国では『タクシー運転手 約束は海を越えて』のような政治色強めの映画群が隆盛を極めているのは、カトリック・プロテスタントを合わせたキリスト信者が韓国国民の約3割を占めていることと無縁ではないのかもですね。
https://note.com/hogenosuke/n/n74ebdba8f944
>今週のプリキュア
売り言葉に買い言葉的な流れとは言え、現役JCに剥き出しの腹部を開陳するっていうのは当節事案以外の何物でも無いですなぁw(呆れ)。とは言えザックリーさんも光堕ち間近ですし、いよいよチョッキリーヌ様が名ばかり管理職と化して現場に出張ってくるしか無いのかしら?
>最近の読書
● 中村圭志『亜宗教 ― オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで ― 』
https://amzn.asia/d/3rR1zE1
広く浅くではありますが「宗教&宗教っぽいもの」全般をバランス良く考察し、無難に一冊に収めた欲張りセットという趣ですね。個人的には各事項の内容そのものよりも、まさに正論と言っても差し支えない著者自身の記述スタンスの方に心惹かれました(↓)。
◆◆◆
亜宗教(=近現代に生まれた、非科学的で宗教めいた信念や言説)が人類の知恵の発展に積極的に寄与することは概ね無いと言えるだろうが、しかし、人類思想史の裏面を教えてくれるという意味で、貴重な情報アーカイブとなっているのである。(p.12)
――
クランシーの報告内容は、宗教、疑似科学、偽史、フェイクニュースの信者のケースによく似ている。彼らはいずれもテコでも自らの信念を曲げようとしない。議論を持ち掛けたところで水掛け論(神学論争?)が待っているだけである。どうやら人間とは、事実やら「不都合な真実」なんかのために生きている動物ではないのだ。自分という存在に深い満足を感じたいがために生きている。(p.175)
――
すなわち、物理的な意味でのソリッドな事実というものを馬鹿にしてはいけない。解釈はいつも多様だが、どんな解釈もOKというものではないし、解釈イコール事実というわけでも、事実が解釈とともに雲散霧消するわけでもない。そのあたりを(自然科学用語であれそうでないのものであれ)やたらと観念的な用語や比喩をもって華麗なレトリックでごまかして考えるのは、思想と文化そのものの衰退の道でしかないのだ。(p.250)
――
というのは、 理論としての無神論は、その論理を理解するのにそれなりの修練の手間がかかるからだ。つまり、最初から宗教に関する知識もなく、自分のなかの宗教的願望にも気づいていないような人が、ただ、トレンディだから、権威者が言っているから、自らのアイデンティティのよすがにしたいからというだけで「無神論」をやっているのなら、それはどちらかというと「宗教」的な態度である。そのように曖昧な姿勢であれば、いざ自分が人生に挫折して、それまで死のことなんて考えたこともなかったのに急に死の強迫観念にとらわれたとき、手もなく天国や輪廻や交霊術を信じるようになるかもしれない。(p.283~4)
◆◆◆
本書を読むと、改めて人間というのは「根拠の無い確信」無しには生きられない、面倒臭い生き物だなぁと思わずにはいられませんねぇw(苦笑)。
苦言を呈したりする緊張感のある関係って昨今見なくなりましたが、まさかこんな方法があったとは…って感じですわ。
基本、第一印象良くなる様に振る舞うからなぁ…今の人達は…
>アイドルになったキッカケについて答えるカイト
>エピソードはうたと共通している
スタート地点が同じだからこそ、格の違いを感じ易いのかも知れませんね。
共感が対抗心になるというか?
>レジェンドアイドルさん、チョッキリ団に入りません?
自分もそれメッチャ思いますw
でもカイトの中の人的に出勤は隔月ぐらいになりそうで、入団した意味無くなりそうw
となるとカイトの代わりに、彼の歌を褒めた友人(?)がチョッキリ団に入ったりして?
そこで明らかになる、レジェンドアイドルの神様レベルのクズムーブの数々…そしてそれによって全方位から顰蹙を買い…とかは流石に無いと思いたいw
>空想に現実を持ち込むことへの嫌悪感や不快感
海外の、政治や社会問題を扱った「批判的コメディ」が日本で受け入れられない理由として、しっくりくる話ですね。
まぁその日本のお笑いも、現実の上下関係が影響した弱い者虐めみたいなネタで笑いを取ってるみたいですが。
他にも色々なアイデアを持ちつつも、実際に起業したり企画作ったりするのは腰が重い日本人の性質にも影響してそうですね。
部族化と組み合わせて考えれば、海外だと「#MeToo」運動みたいに社会に影響する動きになり易いけど、日本の部族が大きく騒いでも良くも悪くも影響力が無い(精々一斉「バルス」でサーバーがダウンする程度)のにも影響してそうだと思いました。
>現実では少数派なのにネットでは多数派に見えたり
>夜中の飲み会で酔っ払い同士が「やっぱオレたちが正しいよな!」と盛り上がってる状態
都知事選に立候補してた「安野たかひろ」って人が「AIなどを用いたデジタル民主主義」を標榜する一方で、SNS上で大量のユーザーをブロックした事件があって、「デジタルの専門家がネット世論を蔑ろにするとは何たる事だ!!」って炎上してたみたいですが、個人的には、専門家だからこそ得票数に影響しないネット世論は切って捨てられたんじゃねーの?って思いましたね〜。
>美男高校地球防衛部ハイカラ
>先生と嬉野さんが居ないうろんミラージュ
あ〜…成る程…もしかしたらニコ動のコメント流しながら観る程度が丁度良い作品なのかも知んない。
…それはそれでやっぱりちょっと古い感じですが。(苦笑)
ジークアクスが「ニュータイプは自由人!」とか言ってた直後に、自由自由連呼してる変な連中が出て来てるの草。
>歌vs詩
メロロンのは内向き(つぶやき)だからなぁ。ブツブツ言ってる奴がキラキラしてるかっていったら無理よなぁw
>品切れになるとは全然思っていないが、取り敢えず自分も買っとこう
いわゆる予防的回避と言われる行動ですね。銀行の取り付け騒ぎとか。大衆の行動に影響した時点でその情報が嘘か本当かの意味はなくなるんだよね。
>SNSによる部族化
2000年代初期からネットをやっている私からすると隔世の感。
SNSが同質的な人間を結びつけやすいのは確かだけど、結局共感や共有を求める人が多いんだと思います。
ちなみに〇〇界隈という名の部族名だけど、ここまで露骨なのは日本くらいなものの(通常はSNSのタグが機能的に代替している)わかる人にはわかる符丁や言葉を盛り込むことで差別化するのはどの国でも見られる行動だそうです。
>週休二日制・週40時間労働といった“かつて労働者らが勝ち得た権利”を順次廃止する方向
個人的にはちょっと懐疑的ですね。というのも成長を望む(強制される)キャリア志向とは別に、脱成長を望むスローキャリアも同時によく耳にする話で働き方としては二分する方向に動くんじゃないかと思っています。AIもその傾向が世界的に見られるよとは言ってましたね。とはいえ、産業構造や会社がガラッと変わるわけじゃないのでハッキリとは色分けできないでしょうが。
>IQと収入の間に相関は無い
正の相関は弱いけどあるってのが大方の意見らしい。ちなみにIQの話は大人が大人に向けて言うのには適してないですね。
IQって幼少期に測定したものだから「人間としてまだ種、あるいは芽が出たばかり頃と数十年後を比較」して、実はIQと収入ってそんなに大きな相関はない、だから子どもへの支援や教育指針を考える上で長期的目線に立つことが重要って文脈の使われ方になる。
一方、一般的に連想されるのは学歴による収入差だけど、こっちはすでにある程度成長した(環境や経験を織り込んだ)ものだからIQ云々はその時点であまり意味がない。就く職業によっても収入は大きく変わる。その後の出世に至っては運ゲー。資産形成は性格や環境要因もデカい。いずれにせよ「IQ」や「この就職先なら私を成長させてくれる」みたいなのは単一要素を過大評価しすぎではあるね。
>消費電力
今後AI利用は加速していくからバカにはできないんじゃない? 燃料価格上がって困るのは日本人よ?w
あと生成AIによるデジタルコンテンツがプラットフォーム(のストレージ)とネット回線を逼迫させるんじゃないか問題もありますね。もはや無制限に生成されていくので。資本力のあるプラットフォームしか生き残れなくなるから、寡占化が起きて、そこのルール(数量規制、コンテンツの縛り)が実質的なスタンダードになる……のかどうか。
>美男高校地球防衛部ハイカラ
先生と嬉野さんが居ないうろんミラージュ(ウィッチウォッチ)を見せられるのってこういう感じなんだろうな。
あと検索したらシリーズたくさんあって吹いた。そりゃ代表作にもなる。
>「ネット世論」の社会学 https://amzn.asia/d/9AgmIbN
実際に得た情報に基づいて分析してるんだけど、その記述に大半を使ってるから読み物としてはそんなに。半分まで読んだけど、たぶん、AIに聞いたら同じような答えがすぐに手に入ると思うw
→読了。簡単に言うと普通の人は「自分の意見が少数派だと自覚」していればそれを表に出すことは少ない(「沈黙の螺旋」)。オタクが自分がオタクであることを隠すようなものね。けどSNSのように部族化が進行してしまうと「自分の意見が少数派だと自覚されにくく」なり、結果として自分の意見を表に出しやすくなる。これが局所的に起こることによって現実では少数派なのにネットでは多数派に見えたり、極端な意見同士がバトったりするみたいな話。
って話をChatGPT君と話したら、
夜中の飲み会で酔っ払い同士が「やっぱオレたちが正しいよな!」と盛り上がってる状態が、全世界に拡散されたようなもの
って絶妙な例えで切り返されました。だれうま。
個人的な成長(実績)や住まいの変化、封印されたままの大切なものなどはありますが、関係性はキラキランドに行く前までにリセットされた感じですね。よって、遠巻きにメロロンを推すななちゃんも、レジェンドアイドルも復活。
「ひろがるスカイ」の人形劇回を思い出しますね。
>先程までのプリティホリックの話がもうどうでも良くなっている
アイドル対決の傍らで、ドルオタ対決もやってるんだから忙しいですよねw
これも「推す存在」と「推される存在」を同時にやってる本作ならではって感じがします。
>ななとメロロン混ぜるな危険
プリルンがメロロンのポエムにキラキラを見出だしていれば、もっと良い勝負になったんだろうな…って思います。
「歌vs詩」で字面も良い。
どっこい、今の所そんな気配は無いもんだから、メロロンはグミだの料理だのと小手先の手段に頼るしかないという…
そこに現れたポエムの理解者が、まさかのなな…いや、設定的には分かるよ?多分、新EDの作詞と作曲をメロロンとななでやるんでしょうよ?
ただ…それをどうやって現状の縺れたドラマに組み込むのか…
>暗号資産の消費電力
消費電力といえば、AIの消費電力についてこんな記事(https://www.cnn.co.jp/tech/35234663.html?ref=rss)が…
最早AIを止める事はできないとはいえ…みみっちいなぁ…(溜め息)
>昨今のSNSでのバズりに抱く違和感やズレ
当のSNS利用者も「適当に書いた投稿の方がバズる」事に戸惑ってる様にも見えますね。
雑に書いた文章の方が具体性を欠くから、その分より多くの物語を内包できるって事だと思いますが…
因みに、未来予測は現行の人工知能が一番苦手とする分野の筈なんですけどね…w
>予言とか陰謀論とか部族化とか
こういう「物語」が持て囃されるのって、幼少期に失った全能感への未練がそうさせてるんじゃないかなって思いますね。
>成長やスキルアップをしなくても…食えるようになる
「IQと収入の間に相関は無い」って研究結果、割と聞きますね。
「失われたウン十年」として、日本が儲からないのは成長してないからだ!って話もよく聞きますが、経済成長と個人の成長がゴッチャになってる感じもします。
>夏アニメ
ガンダムXの高松信司監督作品が二つ放送されるので、それと「Dr.STONE」と「SAND LAND」ですね。
…ただ…高松監督、コメントに困る様なアニメばっか作ってんだよな…orz
>ぐらんぶる 2期
2期な時点でコメントに困るw
大学生(共学)が、飲んで脱いでスクバしない飲み会アニメ。
オタクが入り難いジャンルに、主人公にオタク趣味持たせて導線にする手法は使い倒されていますが、この作品ではオタク趣味担当のキャラが主人公とは別に居るのが特徴。
こうする事で、オタク設定がフェードアウトする事無くしつこく擦り続ける事ができてるのが、上手い…気がする…多分…
>美男高校地球防衛部 ハイカラ
何の因果か近年の高松監督の代表作っぽくなってるプリk…魔法少女パロディ。
作者のセンスが古いなら舞台を古くすれば良いじゃん!…という事なのかどうなのか知らないけれど、舞台が何故か大正時代。
大正時代だけど、大事な事は2回言うし、壁ドンするし、おもしれーナントカって台詞も捩じ込む。
…却ってやり難くなってない…?
しょーじき男が観るのは辛いけど、ジークアクスへの怨念を支えにして観る。
取り敢えず設定だけ組んで序盤に頭出ししたものの、使いどころがなくてそのままフェードアウト…という訳でも無かったみたいで何より。でもやっぱり物語上での彼の役割がよく分からないかなぁw。あとメロロンのポエムと食レポとの相性が抜群でしたね。これぞ彦摩呂ならぬ彦メロでしょうかw。
>おにぎり
>バナナそのまま
プリキュアのメイン視聴者(未就学女児)が年々低年齢化しつつあると以前聞いたことがありますので、包丁を持たせるにはまだ早過ぎる幼女先輩らに対する教育的配慮かもしれないですね…にしてもバナナ丸ごと一本は極端だなぁ(苦笑)。
>消費の中心が「情報」になっている社会において、その情報が本当なのか嘘なのかはもはや問題ではありません
>それぞれのコミュニティで共有される物語、ストーリーに即していることがなにより重視される
>昨今のSNSでのバズりに抱く違和感やズレはその文化観の差異と言えるのではないでしょうか
確かに。何せ「自分の信じる“物語”を否定しにかかる“不都合な真実”は全てすべてフェイクニュースだ。」と公言する現役の大統領がいらっしゃるくらいですから、陰謀論や疑似科学的主張を繰り返す市井の(ごく一部の)人々が、いくら客観的事実や統計データを提示されたところで考えを改めたりするはずはありませんわねぇ。どうやら「その情報を聞いて自分(および所属する界隈の住人)が心地良く感じるかどうか」が全てに優先するみたいですからw(苦笑)。
先日話題になった電信の進化形として、元来グローバルネットワークの構築を企図して生み出されたはずのSNSが、思想を異にする集団間の相互理解を深めるどころか逆に分断を強力に後押ししているという現状は何とも皮肉としか言う他無いですね。
>つまり予言を信じたから旅行をやめたのではなく、リスク回避としてやめたということ
前にこの板で取り上げられた「自分は○○が品切れになるとは全然思っていないが、巷の報道によるとそう考えている人も少なからず居るみたいだから取り敢えず自分も買っとこう。」と似たような思考回路に聞こえますね。
>『東大生はなぜコンサルを目指すのか』
読了しました。今や就活生の間で、それ程までにコンサル業界の人気が高止まりしているとは全然知りませんでしたので、大変勉強になりました。
◆◆◆
身も蓋もないことを言ってしまえば、「成長したい人が成長するために頑張る」のは各人の勝手であり、文字通りの「自己責任」に他ならない。そのうえで問題にすべきは、望む望まざるに関係なく誰もが「成長」に追い立てられる時代になりつつあること、「成長しなければならない」という声ばかりが大きくなること、その結果として実は「成長したいと“思わされている”」にもかかわらずその構造に気づかなくなることではないだろうか。「成長したい人が勝手に頑張ればいい」という意見が広く認められるには、「成長したくない人には違う選択肢がある」「成長したいと頑張ってうまくいかなかった場合にサポートを受けられる」「成長した人が、成長しようとして失敗した人、および成長を求めない人と共存できる」ことが必要となるはずである。現在の社会において、このいずれもが担保されているとは言い難い状況である。
「成長したい人が前向きに頑張れる社会」と「成長しなければ生き残れないと脅える社会」は、似て非なるものである。… (本書p.199~200)
◆◆◆
前日に上官らから“悠久の大義に生きよ”と懇々と諭され、当日は彼らの無言の圧を受ける中、神風特攻隊に「自発的に」志願」するみたいなものかなw(毒)。まぁ現代においてはそのやり口は遥かに洗練され、かつ巧妙化して来ているみたいですが。
改めて昨今の風潮からは「多様性の尊重」なる理念がどんどん空疎かつ内実を失っているように感じられてなりません。今後もこの傾向が続くようであれば日本社会においても今後数年以内に「職業人としての成長を希求する数多くのビジネスパーソンらの声に応える」との謳い文句で、週休二日制・週40時間労働といった“かつて労働者らが勝ち得た権利”を順次廃止する方向へと進んで行くかもしれないですね。
私は上記の引用箇所を読んで、職業柄以下の文章を思い出しました(↓)。
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心が自由であるためには、法的な制限が無いことは言うまでも無く、複数の考え方が存在することが求められるのである。最も上手くいった専制政治とは、暴力を用いて画一性を担保する体制では無く、他の可能性に気付かなくさせ、別のやり方が実行可能であるなどと考えもさせず、外の世界があるとの意識を取り除いてしまう体制なのである。 (2011年 大阪大学・英語・前期試験第1問(B)より(英文の出典は不明))
―――
>SAND LAND
変化球塗れの作品が溢れかえる中、ベテラン作家の手になる王道展開は逆に新鮮に映りますw。
そろそろ『Dr.Stone』も再開するみたいですし、今から楽しみですね~(それにしても『ウィッチウォッチ』含め、楽しみなのはジャンプ作品ばっかりだなぁ)。