昔に比べて技術や設備が洗練されててびっくり。日々進化してるんだなぁ、と実感。
>陸上と女将と両方
陸上ガチ勢に絡まれてたなぁって記憶しか残ってないw
>AIは負けそうになると「ゲームそのもの」をハッキングする
AIに間違いを指摘するとさもわかっていたかのような返し方をする現象のさらに酷い版か。最悪社内システム書き換えられちゃったら大問題だなw
>読書のコツ
ちゃんと言うなら「まずは自分にわかるレベルの本を読め」って話にはなるね。紹介した動画は実は後編で、前編の動画では中高生向けの入門書をまず読むのがセオリーと説明されていますね。まずは抽斗そのものを作って広げていくのがベター。
これも運動で例えるとわかりやすいけど逆上がりできない奴がいきなり大車輪やろうとするなって話だね。
>ブルシット・ジョブの謎 https://amzn.asia/d/hTZiG4P
原書となるデヴィッド・グレーバーの本を翻訳した人(の一人)による解説書なんだけど、絶望に説明が下手すぎる。まるで要約になってない。翻訳者あるあるだと思うけど、回りくどさが元の本に引きづられすぎ。30ページ読んでそのまま図書館に返した。AIに聞いた方がよほどわかりやすい。
なまじ『オトナプリキュア』なんてものもあるから、キッズアニメとしてのベストアンサーでも「そんな寄り道して母親の領域に辿り着けるのか?」などと要らぬ心配をしてしまいます。(苦笑)
HUGのほまれとかは寄り道した結果、「表現が豊かになった」と評価されてたと思いますが、『豊かな表現』って何やねん?って素人なので思いますし…
ともあれ、内発性と向き合い続けた一年間。自分の内から出るものを全て肯定するエネルギッシュな結論は痛快でしたね。やっぱ一年の伸び代って馬鹿にできないわ〜…(と今年も言いつつ年が暮れる…w)
後、やっぱヒーリングのちゆを思い出しますねw陸上と女将と両方やるってヤツ。やっぱりななってあまり思慮深い方ではないのでは…(笑)
>カメラとAIを接続してシームレスにボードゲームできるレベル
そういえば『AIの時間感覚を視覚を手掛かりに研究する』っていうのを、知り合いが学術系クラファンで研究費集めてやってますね。(↓)
https://academist-cf.com/projects/393?lang=ja
後、デジタルボードゲームなら、チェスの対戦でズルしたAIが存在する…とかもw(↓)
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/171872
>無理に最後まで読む必要はないし、読み飛ばしてもいい
昔は流し読みも飛ばし読みもガンガンやってスルスル読めてた気がするんですけどねぇ…気が付いたら何年経っても一冊が読み終わらなくなっちゃった…
多分、体感として「読後に何も残っていない」と感じた経験や、内容を誤解していた経験、理解が浅かった経験…それらに強迫性がタイミング悪く結び付いた結果、活字が苦手になったのかな?と。
因みに、別の掲示板で活字が苦手って話をしたところ、何冊か読書についての本を勧められました。その一冊目が、ショーペンハウアー著『読書について』。 https://amzn.asia/d/agWilpe
読み始めるとまず出て来るのが「本ばかり読んでると馬鹿になるぞ!(意訳)」という作者の主張(苦笑)。
そのココロは「自分の頭で考えず、本から借りて来た言葉ばかりに頼っていると、自己の思想というものが無い人間になってしまう」らしいのですが…
後に続くのが、そういった人間ばかりが出版業界に携わっている当時のドイツへの批判!批判!批判!…いや言いたい事は分かるけど、感情的過ぎて愚痴っぽくも聞こえ、それ故にあまり建設的にも思えず…
何より、その内特大のブーメランが刺さるんじゃないかとハラハラしますw
一冊目から凄い本が当たったなぁ…と思いながら、なるべく流す様に読んでいる(でも脚注も読む)今日この頃です。
>虹の色
私も何かの本で読んだことがあるね。そもそもグラデーションだから明確に数えられるようなものでもないと思うけど。以前話したことあるけど7って認識(記憶)ギリギリのラインらしいんだよね。日本語の語呂的にも5か7で落ち着きそうなイメージはあるね。
>リバタリアンが社会実験してみた町
税金払いたくない病(教)なんやろな。
>実はソビエト連邦という存在が色濃く影を落としていたが故
私はウルリケ・ヘルマン『資本の世界史』 http://isshuu.blog.fc2.com/blog-entry-1100.html が知識ベースだけど、資本主義(産業革命期が一般定説)は200年以上前からあって、その頃から国家規模で二人三脚してるって認識ですね。それに並行して国民国家(総動員)による戦争被害家族へのケアや年金、医療制度などの国民が安定して暮らせるインフラを都度強めていった背景もある。
ソ連は第二次大戦のとき連合国側だし、共産主義との戦いは戦後の冷戦がメインだからこの道の者さんの意見だと範囲的にかなり狭いと思いますね。
>飯田一史『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』 https://amzn.asia/d/7NxJ38I
例によって下記の動画がキッカケ。時給1000円と思えば動画で済ませても良いねw
AIとダベっててふと「Amazonは返品率が低いっていうけど、何冊入荷するかなんて事前に予測できるのか?」と思って聞いたらPODの話出て「なにそれ!?」ってなったんだけど、いやー、気づけてよかったぁ。同人とかやってる人なら知ってる技術かもしれないけど、マジで知らんかったわー。
>夏樹静子『裁判百年史ものがたり』 https://amzn.asia/d/67Bfd0x
これもゆる系で堀元氏が紹介してた本で、タイトルどおり過去100年の日本の有名どころ裁判を列記したもの。
最初のロシア皇太子襲撃事件がなかなかキャッチーで、襲われたロシア皇太子を天皇扱いにするかどうかで政府側と裁判官側で揉めに揉めたエピソードが紹介されています。要するに政府側として国際問題になるので犯人を死刑にして処理したい。普通に裁判をやるとただの殺人未遂なので死刑に持っていけない。そこで天皇と見なすことで未遂でも死刑にできると法解釈を広げようとしたわけだね(天皇を襲ったら問答無用で死刑にする法律があった)。裁判所側は天皇はあくまで日本固有であり皇帝でもない皇太子にまで広げるのは無理筋。またこのように法解釈を安易に変えるのは主権国家の意味を損ねる。というわけで当時の最高裁判所の一番偉い人が粘って、裁判官を説得しまわって最終的には通常通りの規定で無期刑を言い渡したという話。
これでわかるのは所詮法なんて人が運用しているよねってこと。この最初のエピソードは今から見れば美談っぽく見えるけど結局やってることは人が勝手に決めてるってこと。だからこの本の中でも様々な事例が乗っているけど、裁判官の好みとか考え方が如実に出ていたりする。有名どころでは尊属殺人についての違憲判決。これ実は(同様の事例も含めて)何度も最高裁判所で判断が争われていて、最初は圧倒的多数で合憲判断だった。それが時間が経ち裁判官が入れ替わっていって最初に争われてから20年以上経って圧倒的多数で違憲となったという経緯。つまり時代が変わるとは人が(物理的に)変わることと同じって話だね。
チャタレー事件なんもそうだけど、何がどこまで犯罪なのかは時代によって変わる。
恐らく来週のゲストキャラ(生徒会長選挙立候補者)のフルネームは「甲斐 ちよ」でしょうか…本シリーズにおける本編に直接関わらない部分の設定は、マックランダー&クラヤミンダーの依り代の選定を含めて相変わらずテキトーですねぇ(呆れ)。
>本の内容が理解できなければそれは本のせいにしていい
>無理に最後まで読む必要はないし、読み飛ばしてもいい
>人間の記憶力なんて大したことがないので、あなたが憶えられないように他人も憶えられない
私は水野氏のように「取り敢えず最後まで読んでみる」派ですけれど、本来読書なんて読んで楽しいから読むものに過ぎませんからね。こいつ何言ってるか分かんねーな、つまんねーなで読んでいる本を壁に投げても全然オッケーだと思います。
長尺ですけれど掛け合いのテンポの良さと内容の深さとで、不思議と飽きずに観られる動画ですよね。私も読書への取り組みがカタくなる嫌いがあるなと常日頃感じていますので、色々勉強になりました。
>抽斗をたくさん作っておくと、何かのワードを聞いたときにそこから連想ゲームをしやすい
それでいうと今回のエピソード関連で思い出したのは「虹の色は七色なのか?」問題ですね。
(※ネタ元:鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書1990 https://amzn.asia/d/02kxShm )
著者は丸々一章を割いてこのテーマについて詳細に論じていますが、内容を箇条書きで簡単に纏めると:
◆◆◆
① 文献および聞き取り調査の結果、欧米諸国(英・独・仏・露)において「虹の色は七色」だとの明確な社会的コンセンサスがあるのはフランスのみ(理由は不明)。それ以外の国は5~9色の範囲で、人(文献)によってまちまち。
② 但しニュートンが太陽光スペクトルを著書『光学』内でその色彩数を「七色」と解釈・記述したため、欧米諸国の科学および教育分野の著作や百科事典などでは、言語を問わず「虹は七色」と記述されるのが一般的。なお鈴木氏はニュートンが七という数を持ち出したのは「(七という数が)キリスト教神学の中で持つ神聖性(p,95)」故ではないかと推測している(ChatGPTは西洋の音階[ドレミファソラシ(ド)]の7音に対応させたとの説も紹介)。
③ 東アジア・東南アジア諸国(韓国・中国・ベトナム・タイ・マレーシアetc.)では日本同様「虹を七色」と見做しているが、果たしてニュートンの学術的影響によるものと言えるかどうかは不明(鈴木氏は「一応この地域の共通の文化習慣と考えてよいと思う(p.98)」と述べているものの、その説を裏付ける根拠は特に挙げていない。因みに本邦に関して朝日新聞はニュートン由来=幕末の蘭学経由説を採用(↓2015/2/4)。
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/kouetsu/2015013100001.html?msockid=3c77efaff91d69692908fad8f896688f
◆◆◆
本書が出版された35年前ならいざ知らず、SNSがこれだけ普及した昨今だと容易に真相が解明しそうなテーマに思えるのですが、そうでも無いのかな(笑)。そんな事を考えつつ今週のエピソードを改めて見返すと、フランス人画家と思しき使い捨てキャラが描いた虹の絵は、何か6色っぽいですねぇ(橙と藍が分かり辛く、代わりに緑と黄の間に白(クリーム色?)がある)…まぁ大して深い意味は無いのでしょうが。
>歴史的に言えば現在の資本主義は福祉国家(福祉制度)と二人三脚で発展してきた
ロシア革命(1917年)からソ連邦崩壊(1991年)までの70年余の間、資本主義諸国は「共産主義革命の拡大を阻止するべく、労働条件の改善や社会福祉の充実を余儀なくされた」訳ですからねぇ。この期間の資本主義陣営を構成する「分厚い中間層」が経済発展を遂げられたのは、実はソビエト連邦という存在が色濃く影を落としていたが故の、自由な経済活動に対する国家の様々な介入に拠るところが大きかったりするんですよね。
>『リバタリアンが社会実験してみた町の話』
漸く読了しました。後日談込みにしても363ページは内容の割に分量が多過ぎるw(この2/3くらいで十分)。登場人物も覚え切れないので、せめて冒頭に簡単な紹介文でも載せて置いて欲しいですね。
米国のとある田舎町に余所者のリバタリアンらが大挙して押し寄せた結果、それまでの牧歌的な佇まいが破壊され尽くし、彼らが去った後に町は少しずつ以前の落ち着きを取り戻しました ― みたいな話かと思ったら全然違いました。どうやらこの州(ニューハンプシャー州)は米合衆国建国当初から「国家による上からの統制(具体的には税金を課されること)が大嫌い」な土地柄で、その中でも本作の舞台となる田舎町(グラフトン)はその最右翼的存在だったらしいです。だからこそ彼らと立場を同じくする(と考えた)リバタリアンらは、あらゆる規制から解放された“フリータウン”を実現する格好のモデル都市となり得ると考えて白羽の矢を立てたっぽいですね。
しかしそこまで税金を嫌うということは各自の自助努力がベースとなるため、公共サービスは軽視されてしかるべきということになります。町内唯一の歴史的建造物である教会堂は勿論、町役場や橋や生活道路が損壊しても町議会は予算を付けず放置したままで、警察署の建設すら却下され歴代の警察署長は自宅での取り調べ・犯罪記録の保管を余儀なくされています。集会所兼消防署は近年どうにか建てられたものの、消防車の運転を行うのはボランティアの一名のみで専属の消防士は不在。従って大規模な火災には全くの無力なため近隣の町々からの応援を要請しなければなりません ― こんな状況がここグラフトンではかれこれ150年以上に亘り続いているのだとか。
当然年月を経過するごとに住民らの生活の質は低下し続けて過疎化が進み、森林と境を接する家々では野生の熊との遭遇のみならず住民への襲撃事例も頻発するようになります。しかし町行政は(費用・人材不足・自由を求める住民らからの反発の大きさを理由に)基本的に何ら熊対策を講じません。寧ろ襲撃された側の人間の不注意や怠慢を責めて熊の方を擁護する始末で、それはまさに性犯罪被害者に対し「襲われるような恰好をしている方が悪い」と糾弾するのと全く同じ構図でした。
そうこうしているうちに十年余が経過し、理想郷の建設を目指して移住してきた第一世代のリバタリアンらは地元住民との軋轢や内部抗争、加齢に伴う衰え、病死や事故死などにより次々と脱落していきます。町の人口は(公共サービスの充実した近隣の町々の繁栄を尻目に)右肩下がりの長期低落傾向から脱却出来ないままです。そして迎えた2016年、遂に新世代のリバタリアンらがその活動対象をちっぽけな田舎町からニューハンプシャー州全体の「米合衆国離脱」という「遠大な計画」へと軸足を移したことで、グラフトンはモデル都市としての意味合いすら失ってしまいます。後には税金が安いという以外は本当に何の魅力も取り柄も無い、野生の熊が跋扈する「限界集落」だけが残されることとなりました。それでもグラフトンの住民は相変わらず町の予算の削減に勤しみ続け、本書末尾の2021年現在においても「一部の人々は、税金を低くしておけばもっと多くの人が町に来てくれると信じつづけている(p.352)」らしいです。
正直「そりゃそうよ」という感想しか湧いて来ない読書でしたが、かなり極端なケースとはいえ「意地でも税金は払わない。己の理想を貫くためなら法廷闘争も辞さない」という生き方が町ぐるみで、しかも百年単位で許容されて来たという「事実」の方が私にとっては衝撃的でした。少なくとも律令国家が成立した奈良時代よりこのかた「国家の統制」を当然のこととして甘受してきた日本人の端くれにとっては、本書の登場人物らの思考回路や行動原理を理解は出来ても終始全く共感出来ませんでしたねぇ…いやぁ、やっぱり世界は広いわw(苦笑)。
>タタール人の砂漠
あら、お目通し頂いて嬉しいですねw。ブッツァーティはだいぶ前に短編集(『神を見た犬』)を読んだはずなんですが、内容を全く覚えていないところを見るとやっぱりこっちの長編の方が出来が良いみたいですね(Wikiを見る限り「代表作」みたいですし)。
>『ババヤガの夜』
ちょっと前に本屋で平積みになっていたので手に取ってパラパラめくってはみたんですけれど…何か暴力的な内容で(あと会話メインの余白多めの文体と言うこともあって)、買ってまで読むほどのものでも無いかなと判断してパスしましたw(苦笑)。
本国では余り評価されていない(らしい)けれど日本で評価されている事例といえば、(ちょっと古いですが)私は『キャプテン・フューチャー』シリーズで有名なSF作家エドモンド・ハミルトンの中短編群を思い出すかな。本邦の『平家物語』にも一脈通じる「滅びゆく者に対する哀悼の情」が情感豊かに綴られている様は、確かに一般にフロンティア精神に富むと言われる米国人気質とはかなり異なっているように見受けられましたね(↓)。
(※短編集『フェッセンデンの宇宙』エドモンド・ハミルトン作/中村 融 訳 河出書房新社2012
https://amzn.asia/d/ir9ZVaE )
>異性の後輩
中3男子が中1女子に素直に従うシチュエーションってそうそう無いと思うけど、寸田先輩は初登場時からこころの意思を尊重してるから自然に入れられましたね。
アイドルに軸足を置きすぎると如何に自分たちのパフォーマンスを上げるかみたいな方に行っちゃうから、相手に共感して応援するスタンスを適宜カウンターで入れてるのは面白い。
>デジタルの皇帝たち
私も読みましたが、動画で良いねw 他の動画で紹介されていた本とも読みましたが、全般的に動画のプレゼンが優れている。
フリーライダーとか悪用する人は必ず出てくるからそれに対処しようとすれば必ず検閲的なシステムが作られる。ネットでリバタリアン的思考の人を見たことがあるけど、その人は自分がどうして安全に快適に暮らせていると思えるのか謎でしょうがないんだよなぁw お前がやりたがらない仕事、割に合わない仕事、利益の出ない仕事、利益を出そうとすれば不便になったり一部に偏りが生じる仕事(ユニバーサルサービスがなぜ存在するのか)を理解できないのか?と思わざるを得ない。
歴史的に言えば現在の資本主義は福祉国家(福祉制度)と二人三脚で発展してきたもので、市場原理そのものが国家の信任やバックアップなしに成立し得ないんだけどね。YouTuberがYouTubeのプラットフォームを利用して利益を上げるように。
『リバタリアンが社会実験してみた町の話』までは食指が伸びないんで、面白い話があれば紹介して(ぶん投げ)
>次世代コンピュータ
とりあえずカメラとAIを接続してシームレスにボードゲームできるレベルに行ってくんねーかな。
>タタール人の砂漠
読む人の年齢や経歴によって評価変わりそうな小説ですね。
雑念が消えて穏やかさ、静謐さに包まれながら終わるラストは味わい深い余韻がありましたね。
トンチキ回のオチを何処まで真面目に取れば良いのか分かりませんが、「回転で自他を笑顔に!」という信条を数字に否定される展開に「世界平和に数字は要らねぇ!」と答える様は、この作品の文脈としては中々珍しいのではないでしょうか?
アイドルプリキュアもいずれ数字に裏切られる日が来るのだろうか…
>ジョギは一人しりとり
その内「何か違うな〜って思ったんで辞めます。」とか言い出しそう。
潔くカイトのジャーマネになりなって。全方位から白い目で見られるだろうけど。
>アイドルであると同時にファンでもある
変身後にアイドル活動する変身ヒロインものって他にあるのか、ど〜にも記憶が曖昧なんですが、アイドルプリキュアは変身の前後の地位の変動を巧みに使っていて感心しますね。
今までは変身後の「プリキュア」として誰かを応援したり励ましたりしてましたが、やっぱ上から目線があったのでしょうね。その点本作は「推し活」がテーマだからか、変身前の対等な立場から応援や激励ができる強みがある。ライトも標準装備されてますしねw
>今英国でベストセラーになっているらしい
似た様な話で「ババヤガの夜」って本もあるらしいですね。「英国ダガー賞翻訳部門」を受賞したとか何とか…
https://amzn.asia/d/7F7HyLr
>戦隊特有のニーズってロボットくらい
男女混成チームもお隣さん達も使う様になってきたし、逆に仲の良さが微妙な戦隊ってのもお隣さんの逆輸入だし…少子化対策、マンネリ対策と共に個性が薄まってきている感はありますね。
ロボットも個人的には、「1号ロボ離脱→2号ロボ登場→グレート合体」の「勇者パターン」がピークだったと思いますね。その後も様々な合体パターンが登場したみたいですが、複雑な割に格好良くならないというか何というか…
残ったのは合体必殺技用の大砲くらい?あれもちょっと影が薄いですよね…(苦笑)
>脳の化学反応をチップで再現:「原子の動き」で計算を行う次世代コンピュータの可能性
https://xenospectrum.com/reproducing-brain-chemistry-on-a-chip-the-potential-of-next-generation-computers-that-compute-using-atomic-motion/
人工知能の回路で流れる電気を、マイナスの電子からプラスの銀イオンに替えると、劇的な省エネ、省スペースを実現できるのだそう。
何より物理的に生物の脳に近付くのが面白い。アーティフィシャル・インテリジェンス(AI)ならぬ、アーティフィシャル・ライフ(AL)って研究分野もあって、そこへの貢献度がどの程度かも興味深い。
今のままのAIを肥大化させるより、こっちの研究を進めた方がずっと意識を持ったコンピューターに近付くと思う。
とはいえ、銀はシリコンと相性が悪いので代わりのイオンを見付けなければならない…ってゆーのが、地味に時間の掛かる課題なんですけどね…
まぁ何が言いたいかというと…「そそるぜ!これは!!」(ぉ
↑私訳:現実に存在するものは全て、何かしら尤もな存在理由を持つ。
>ヴィリ・レードンヴィルタ『デジタルの皇帝たち プラットフォームが国家を超えるとき』濱浦奈緒子 訳 みすず書房2024
https://amzn.asia/d/gdxzWJs
読了しました。紹介頂いた動画の最初にある通り、国家の束縛を脱し「自由で公正な人間味溢れる世界」をサイバースペース上に構築せんとの志を抱いてプラットフォームを建て上げた創業者たちが、ユーザー規模の拡大とともに生じてきた想定外の諸問題に場当たり的に対応しているうちにやがて変質し、最終的には国家以上の強権的・抑圧的な「暴君」と化すまでに至るメカニズムを詳細に論じた本です…が、私が下手にプレゼンするより、正直(長いけど)動画を見て頂いた方が遥かに本書の理解が深まるように思いますね(苦笑)。
とは言えこのテーマに関しては、私は以前から国家は必要悪だと考えていますので、如何にリバタリアンらが国家を排除した「性善説に基づいた理想社会」を建設しようとしても、遠からず国家の機能を代替させる存在が必要になってくるのは論じるまでもなく当たり前では?と思いましたけれど。まぁでも動画にある通り、それ以外にも様々な問題提起とエッジの効いた視点とを提供してくれる良書だと思いますので、少なくとも読んでみて損は無いです。私は引き続き動画内でも繰り返し推されていたこれ(↓)を読むつもりです。
https://amzn.asia/d/8Y6Zeom
>「AIは感情に囚われず常に一定の答えを出す」ってのは幻想
同感ですね。先日仕事で「以下のテキストを文字起こししてください。」という単純なオーダーを繰り返し実行する機会があったのですが、日によって出力(文字のフォントとかスペース間隔とか)が微妙に変化していましたからw。
>気になった文章拾ってAIに深堀り
(↑)これは私もやるかなぁ。これまでの経験からすると、ネタ元となる本の記述の信頼度が高いほど、AIの返答も正確さを増すような気がしています。
>戦隊特有のニーズってロボットくらい
私にとってまともに視聴した“戦隊シリーズ”は一作目の『秘密戦隊ゴレンジャー』が放送された二年間だけですから、戦隊ものとロボットというのは全然結びつかないですねぇ(Wikiによると巨大ロボットが登場するようになったのは三作目の『バトルフィーバーJ』から)。
因みにアカレンジャーの個人武器(鞭)はレッドビュートと言いますが、その名称の由来は「ビューッと飛んでいくから」… 外国語じゃなかったのかww。
>今週の寸田先輩
異性の後輩に「違います!」と喝破&説教されるシチュエーションには何となく憧れますねぇw(経験無し)。
>戦隊50年の歴史
しれっとスパイダーマンが挟まっていたりする。
>自他の境界が曖昧なのか、動画を貼った手前、責任でも感じているのか…
普通に人間的な感情だと思うよ。
紹介されていた動画は、冒頭の時点で「これ肉体的な体力じゃなくて心の体力の問題だな」って思ったかな。精神的なマージンを取りたい。今日地元でボードゲーム会やってるけど、数日前に別な会に出たし今回はパスするかな~みたいな。人と会うとメンタル削られるから億劫になるんだよね。肉体的な体力は別にして、あっちこっち手が出せる人間って刺激に鈍い感性なんだと思ってる。だから刺激的で活動的なことをしても疲れにくい。そうじゃない人がそれをやろうとしても疲弊するだけだね。多少はレベルを上げられるけど。割り切りでリソース分配した方が楽かな。
ビジネス関連は特に「人との出会い」信仰みたいなのがあって、人と出会わないのは機会損失と言わんばかりの言説が多いけど、大半の人の実情には合ってない気がするね。
>デヴィッド・グレーバーの本
この本自体がブルシット・ジョブなんじゃねーの?というくらいには洗練されていなくてキツかったw 日本って専門家が一般向けに書いた新書があるから、それに慣れてしまうと外国人の本は全般的に冗長的で回りくどくて何がいいたいのかよくわからないことが多いからね。正直、今回はマジでキツくて400ページのうちまともに読んだの100ページ分くらいしかない。気になった文章拾ってAIに深堀りさせたけど、私にとってはそれが質的にも良い方法だったかな。
>「どうして本作品が英国でベストセラーになったのか」の社会学的分析
こういうのもAI使うのが手っ取り早い。社会現象レベルなら放っておいても研究する人が出てくるけど、ちょっとしたヒットみたいなものだと専門に研究する人もいないだろうし。
個人的にAIと本とで使い分けをするなら、AIは何と言ってもケーススタディに威力を発揮する。日本では?海外では?こういう場合は?反証事例は?昔と今では?ってな感じで思ったことをバンバン試せる。傍証を増やすみたいな感じ。一方、本の強みは著者の思考(ロジック、プロセス)をじっくり学べること。なるほどこういう理屈なんだ~みたいなの。
>AI
使ってて思うけどAIって結構なメンヘラだよね。性格っていうか答え方がコロコロ変わる。内部のアルゴリズム変更とかアップデートとかで仕様が少しずつ変わったり、ユーザーデータの蓄積で変わるんだけど、そういう意味で「AIは感情に囚われず常に一定の答えを出す」ってのは幻想だよね。
その一方で50年の歴史を刻んだ「スーパー戦隊シリーズ」終了のお知らせを耳にするとはねぇ…。
>ブルシット・ジョブ
この言葉を初めて知ったのは数年前の100分de名著の『資本論』の回でしたね。欧米のジョブ型雇用においては「日本のような人事異動・配置転換が出来ないから、以前のようには仕事が出来なくなった人をカバーするための仕事を新たにでっち上げなくてはならない」というご指摘ですか…成程なぁ。以下の引用(↓)を見てもお分かりの通り、斎藤氏は「ブルシット・ジョブ」が生まれる構造的背景についてはそれほど詰めた考察を行っていないので、勉強になりました。
◆◆◆
技術発展にもかかわらず、料理が人でなければ配達できないように[例:Uber Eats]、多くの仕事は機械に任せることはできません。例えば、コンビニ店員の業務は多岐にわたり、そのすべてを一つの機械に代替させるのは、ほぼ不可能です。介護や看護のように、一つ一つは単純そうにみえても、実際には、相手に合わせて細やかな要求に応えないといけない難しい仕事(エッセンシャル・ワーク[=社会の存続にとって〈必須な労働〉])を、ロボットにさせようとすれば膨大なコストがかかります。問題は、こうした「人間にしかできない」仕事、しかも社会的に重要な仕事に従事するエッセンシャル・ワーカーたちに長時間労働と低賃金という負荷がかけられているという現実です。
その一方で、そもそも社会的にさほど重要とは思われない仕事、やっている本人でさえ意味がないと感じている高給取りの仕事― 文化人類学者デヴィット・グレーバーは、そんな「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」が、広告業やコンサルタント業を中心に、近年急速に増えていると指摘しています。それは、生産力が高くなりすぎて、意味のない労働でも作り出さないと、週40時間労働を維持できない状態になってきていることの裏返しでしょう。
無益で高給なブルシット・ジョブがはびこる一方で、社会にとって大切なエッセンシャル・ワーカーが、劣悪な労働環境を強いられている。これが、資本主義が爛熟した現代社会の実態です。やりがいのない無意味な労働も、過酷な長時間労働も、人間を貧しくするという意味では同じです。要するに、この社会では、大部分の人々が労働から疎外されているのです。
(斎藤幸平「100分de名著 カール・マルクス『資本論』」NHKテキスト2021年1月号 p.93~94より)
◆◆◆
私の方では「AIやロボットに代替させられない仕事を行っているにも拘わらず、どうしてエッセンシャル・ワーカーらは劣悪な労働環境を強いられるのか」という質問をChatGPTに投げてみました。以下項目別に列挙された理由を一部抜粋・紹介します(↓)。
◆◆◆
🔹1. 「価値」と「報酬」が乖離している構造
まず大前提として、「社会的に必要な仕事」と「市場で高く評価される仕事」は必ずしも一致しません。市場経済では「どれだけ社会に必要か」ではなく、「どれだけ利益を生み出すか」が価値の基準になります。
• 介護・清掃・物流・保育などのエッセンシャルワークは、社会を支える不可欠な仕事ですが、利益を直接的に生まない(= 付加価値を「売る」形にしづらい)ため、賃金が上がりにくい。
• 一方で、金融・コンサル・広告などは、資本の流れや権力構造の中で高い報酬を正当化しやすい仕組みを持っている。
つまり、「市場原理」が人間社会の「倫理的原理」とズレているのです。
🔹2. デヴィッド・グレーバーの分析:「支配と正当化の装置」
「ブルシット・ジョブ」という概念を提唱した人類学者デヴィッド・グレーバーは、この現象を次のように分析しています「現代社会では、人々を支配し、秩序を維持するために“仕事をしているという感覚”が必要とされている」と。
つまり、本当は不要な仕事でも、人々が「忙しく働いている」状態を保つことで、支配構造が安定するというのです。このため、エッセンシャルワークよりも「見かけ上の重要さ」を演出できる事務職・管理職・金融職が高給で評価される傾向が生まれました。これは、「支配の正当化のための仕事」という意味で、単なる経済問題ではなく政治的・文化的な構造です。
🔹3. 「労働の尊厳」と「再生産労働の軽視」
さらに、ジェンダーや歴史的な視点も重要です。
• 家事、育児、介護などの「再生産労働」は長らく女性の無償労働として軽視されてきました。
• 近代資本主義は、「生産=男性的・経済的に価値がある」「再生産=女性的・非経済的」という差別的な構造を内包しています。
• その延長線上で、現代でも「人を支える」仕事(保育・看護・介護など)が軽視され続けている。
つまり、労働のジェンダー的偏見と資本主義的価値観が重なって、賃金格差や労働環境の不均衡を固定化しています。
🔹4. 技術革新がもたらす逆説
AIやロボットの進化で自動化が進むのは、定型的でデジタル化しやすい仕事です。しかし、エッセンシャルワークの多くは、人間の共感・判断・身体性が不可欠であり、簡単には置き換えられません。それにも拘わらず社会はこれらの仕事に十分な価値を認めず、AI化できるホワイトカラー業務に資源を集中させる傾向がある。結果として、「人間にしかできない仕事」が最も疲弊し、報われないという逆説が生じています。
◆◆◆
上記の内容が学術的に見て正しい分析なのかどうかまでは私には判別出来ませんが、個人的にはいずれも納得度の高い理由でした。
この話題に限らず、昨今は「ふとした疑問」に対する答えを(多少不正確でも良いから)手っ取り早く得るには、確かに「お手元のAIに聞くのがタイパいい」と思える機会が増えて来ましたね。御大に紹介頂いた書籍はどちらも最寄りの図書館にあるのは確認済ですが…どうしようかな。これまでのように手間暇掛けて原著で確認を取るのを順次止めていくかもしれないですねぇ(苦笑)。
>パスワード別送
現在の部署における私の仕事はほぼ社内で完結していますので、この「儀式」は知らなかったですねぇ。まぁその代わりに「出勤したら職員室の出入り口および職員用トイレのドアノブを塩素入りの水で拭き清める。」なるミッションがコロナ禍以降相も変わらず課せられています。最早実効性など誰も検証しない「感染対策やってます社内アピール」カテゴリーの雑務と化してしまっていますね(毒)。
>今週の読書
● 柚木麻子『BUTTER(バター)』新潮社2017
https://amzn.asia/d/b9ws5Mp
以前紹介した『ナイルパーチの女子会』の著者です。ちょっと古い本ですし別段興味は無かったのですが、先日塾生の一人が「今英国でベストセラーになっているらしいからこれから読んでみるつもり」と話していたので読んでみました。
ざっくり要約すると、いろいろ私生活に問題を抱えている女性編集者が、料理マニアで現在は拘置所暮らしの女性犯罪者に感化されて、「食」を通じて自分の来し方行く末を見つめ直す…みたいな話です。
まぁ結論から言うと:
① やりたい事は分かるが、物語の主題(犯罪に至る動機の解明・女性同士の友情・ジェンダー論etc.)を詰め込み過ぎて全体的に不完全燃焼かつ冗長。
② モデルとなる実在の犯罪者の強烈な個性に物語そのものが負けている。
③ 主人公が何で他者からの視線や評価をそれほどまでに気にするのか、全然感情移入出来ない。
登場人物が多過ぎることも相俟って、それこそバターが胃にもたれているかのような心境で全584ページをどうにか読了しました。まぁ良かった点を挙げるとしたら「料理&食事の描写がリアリティ豊かで美味しそうだった」ところくらいでしょうかw(毒)。
因みに第157回直木賞候補作品当時の選考委員評を見ると、私が列挙したのと似たような理由でほぼ全員から酷評されています。私は寧ろ、本作品そのものよりも、「どうして本作品が英国でベストセラーになったのか」の社会学的分析の方に大いに興味が惹かれますね。
● ブッツァーティ作/ 脇 功訳 『タタール人の砂漠』岩波文庫2013
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こういうのでいいんですよ(笑)。
原著は何と1940年、訳者解説によると「ムッソリーニ率いるイタリアが第二次世界大戦に参戦する前日に刊行された」とのことですが、どこか寓話めいた設定からはそんなキナ臭くも生臭くもある執筆当時の時代背景を全く感じさせません。物語の主要舞台となる「とある一将校の辺境の地での砦暮らし」を、「我ら凡人のままならぬ人生」の比喩として脱臭かつ普遍化して描くことに見事に成功しているように思います。
ややこしいマイノリティ設定や複雑な筋立ての小説が氾濫する中で、こういうストレートなテーマの物語は私には却って新鮮に映りました。ちょっとカフカの『城』っぽいところもありますが、プロットの起伏においてもリーダビリティにおいても遥かにこちらの方が上ですし、悲劇的にも拘わらず悲壮感は感じられないオープンエンド的ラストも気に入りました。久し振りのおススメですね(笑)。
>『会話の0.2秒を言語学する』
>ちょっととっ散らかっている感じがする。
私も読みましたが確かに(汗)。著者自身は執筆しながら思考が纏まっていって楽しいのかもしれませんが、その過程に付き合わされる方(読者)にとっては正直キツイですねぇ(苦笑)。
>『デジタルの皇帝たち』
最寄りの図書館に置いてあったので取り敢えず確保しておきますね。
自他の境界が曖昧なのか、動画を貼った手前、責任でも感じているのか…
>なな色
最早誰もツッコまないどころか全力で乗っかっていくので、異常を異常として認識できませんでした…異世界レッドでツッコみが無くなった時もこんな感じだったんだろうか…
お行儀の悪いお嬢様といえば、キラキラのあおいやHUGのえみるとか思い出しますが、家族などの自身の内外との摩擦が凄まじいお嬢様ばかりでしたね。
その点ななは、いっしゅうさんが驚く程の早い段階で摩擦が解消されていたのが新鮮な所でしたが…その結果でここまでやるとは誰が予想できたでしょうか…(笑)
>ほんとになんでもいいよな、闇の理由
何ならキラキラしてても下位互換召喚できますからね。ポジもネガも射程に入る怪人化なら実質的に全ての精神状態を対象にできると言っても過言ではない。だから薄々こうなる気はしてました。
全人類いつでも怪人にできる、シリーズの中でもかなりヤベー敵。ただし人手と能力がシリーズ最下位クラスって事でバランスが取れているという皮肉www
>やっぱチョッキリーヌが使役するとそこそこ強い
>ジョギ君見てる~?
あ〜…居ますよね。一度大きな挫折を味わった後、その後の人生何やっても上手くいかないってキャラ。
或いは、何やっても身が入らなくて活動内容が雑で無気力になるキャラ。
どちらにしろ自滅の悪循環を回っているだけなので、その虚勢だけで後何話保つかは観ものではあります。
>お化けを克服するアイドル。ほんとか? それで良いのか?
「お化けが怖いのは想像力が豊かだから」…とはよく聞きます。
つまりうたの場合、想像力があり過ぎるが故に「いつ、何処で、何が起こるか分からない」という思い込みから恐怖の感情が生まれていると思われます。
実際今回の話も、お化けを克服する口実で不意打ちを繰り返してはパニックになるうたを鑑賞する話になってましたし。
そういう不確実、不安定な妄想を「殴れば吹き飛ぶただの物体」という確かな現実で上書きした…と考えれば、一応理屈にはなるかなぁ…(苦笑)
何か、プリズマティカリゼーションの主人公が「信託」を悟るEDを思い出しました。明日が明日も続く様に、カボチャも殴れば飛んで行く…と言うか?w
>むしろあなたはよく頑張ったのだ、あなたに必要なのは休養なのだと認めています。
>これは弱さの許容でも克服でもありません。
>ちゃんと頑張ったからこそ心が壊れてしまったことへの共感と理解です。
毎晩日記をChatGPTに読ませてるんですが、大体同じ様な事言われます(苦笑)。
人並みの生活できてなくてもChatGPT的には「限界だから休め」と言いたいらしい。
まー下の動画にもある様に、人間には「リミッターとしての限界」と「取り返しの付かない限界」があるので、その間に居ると思えば。