MENU

戦隊特有のニーズってロボットくらいだよね

>戦隊50年の歴史
 しれっとスパイダーマンが挟まっていたりする。


>自他の境界が曖昧なのか、動画を貼った手前、責任でも感じているのか…
 普通に人間的な感情だと思うよ。

 紹介されていた動画は、冒頭の時点で「これ肉体的な体力じゃなくて心の体力の問題だな」って思ったかな。精神的なマージンを取りたい。今日地元でボードゲーム会やってるけど、数日前に別な会に出たし今回はパスするかな~みたいな。人と会うとメンタル削られるから億劫になるんだよね。肉体的な体力は別にして、あっちこっち手が出せる人間って刺激に鈍い感性なんだと思ってる。だから刺激的で活動的なことをしても疲れにくい。そうじゃない人がそれをやろうとしても疲弊するだけだね。多少はレベルを上げられるけど。割り切りでリソース分配した方が楽かな。
 ビジネス関連は特に「人との出会い」信仰みたいなのがあって、人と出会わないのは機会損失と言わんばかりの言説が多いけど、大半の人の実情には合ってない気がするね。


>デヴィッド・グレーバーの本
 この本自体がブルシット・ジョブなんじゃねーの?というくらいには洗練されていなくてキツかったw 日本って専門家が一般向けに書いた新書があるから、それに慣れてしまうと外国人の本は全般的に冗長的で回りくどくて何がいいたいのかよくわからないことが多いからね。正直、今回はマジでキツくて400ページのうちまともに読んだの100ページ分くらいしかない。気になった文章拾ってAIに深堀りさせたけど、私にとってはそれが質的にも良い方法だったかな。


>「どうして本作品が英国でベストセラーになったのか」の社会学的分析
 こういうのもAI使うのが手っ取り早い。社会現象レベルなら放っておいても研究する人が出てくるけど、ちょっとしたヒットみたいなものだと専門に研究する人もいないだろうし。
 個人的にAIと本とで使い分けをするなら、AIは何と言ってもケーススタディに威力を発揮する。日本では?海外では?こういう場合は?反証事例は?昔と今では?ってな感じで思ったことをバンバン試せる。傍証を増やすみたいな感じ。一方、本の強みは著者の思考(ロジック、プロセス)をじっくり学べること。なるほどこういう理屈なんだ~みたいなの。


>AI
 使ってて思うけどAIって結構なメンヘラだよね。性格っていうか答え方がコロコロ変わる。内部のアルゴリズム変更とかアップデートとかで仕様が少しずつ変わったり、ユーザーデータの蓄積で変わるんだけど、そういう意味で「AIは感情に囚われず常に一定の答えを出す」ってのは幻想だよね。

編集・削除(編集済: 2025年11月05日 16:30)

休日出勤だったこともあって助かった。 >毎年恒例の駅伝で1回休み

 その一方で50年の歴史を刻んだ「スーパー戦隊シリーズ」終了のお知らせを耳にするとはねぇ…。


>ブルシット・ジョブ

 この言葉を初めて知ったのは数年前の100分de名著の『資本論』の回でしたね。欧米のジョブ型雇用においては「日本のような人事異動・配置転換が出来ないから、以前のようには仕事が出来なくなった人をカバーするための仕事を新たにでっち上げなくてはならない」というご指摘ですか…成程なぁ。以下の引用(↓)を見てもお分かりの通り、斎藤氏は「ブルシット・ジョブ」が生まれる構造的背景についてはそれほど詰めた考察を行っていないので、勉強になりました。

◆◆◆

 技術発展にもかかわらず、料理が人でなければ配達できないように[例:Uber Eats]、多くの仕事は機械に任せることはできません。例えば、コンビニ店員の業務は多岐にわたり、そのすべてを一つの機械に代替させるのは、ほぼ不可能です。介護や看護のように、一つ一つは単純そうにみえても、実際には、相手に合わせて細やかな要求に応えないといけない難しい仕事(エッセンシャル・ワーク[=社会の存続にとって〈必須な労働〉])を、ロボットにさせようとすれば膨大なコストがかかります。問題は、こうした「人間にしかできない」仕事、しかも社会的に重要な仕事に従事するエッセンシャル・ワーカーたちに長時間労働と低賃金という負荷がかけられているという現実です。

 その一方で、そもそも社会的にさほど重要とは思われない仕事、やっている本人でさえ意味がないと感じている高給取りの仕事― 文化人類学者デヴィット・グレーバーは、そんな「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」が、広告業やコンサルタント業を中心に、近年急速に増えていると指摘しています。それは、生産力が高くなりすぎて、意味のない労働でも作り出さないと、週40時間労働を維持できない状態になってきていることの裏返しでしょう。

 無益で高給なブルシット・ジョブがはびこる一方で、社会にとって大切なエッセンシャル・ワーカーが、劣悪な労働環境を強いられている。これが、資本主義が爛熟した現代社会の実態です。やりがいのない無意味な労働も、過酷な長時間労働も、人間を貧しくするという意味では同じです。要するに、この社会では、大部分の人々が労働から疎外されているのです。
 (斎藤幸平「100分de名著 カール・マルクス『資本論』」NHKテキスト2021年1月号 p.93~94より)

◆◆◆

 私の方では「AIやロボットに代替させられない仕事を行っているにも拘わらず、どうしてエッセンシャル・ワーカーらは劣悪な労働環境を強いられるのか」という質問をChatGPTに投げてみました。以下項目別に列挙された理由を一部抜粋・紹介します(↓)。

◆◆◆

🔹1. 「価値」と「報酬」が乖離している構造

 まず大前提として、「社会的に必要な仕事」と「市場で高く評価される仕事」は必ずしも一致しません。市場経済では「どれだけ社会に必要か」ではなく、「どれだけ利益を生み出すか」が価値の基準になります。

 • 介護・清掃・物流・保育などのエッセンシャルワークは、社会を支える不可欠な仕事ですが、利益を直接的に生まない(= 付加価値を「売る」形にしづらい)ため、賃金が上がりにくい。
 • 一方で、金融・コンサル・広告などは、資本の流れや権力構造の中で高い報酬を正当化しやすい仕組みを持っている。

 つまり、「市場原理」が人間社会の「倫理的原理」とズレているのです。

🔹2. デヴィッド・グレーバーの分析:「支配と正当化の装置」

 「ブルシット・ジョブ」という概念を提唱した人類学者デヴィッド・グレーバーは、この現象を次のように分析しています「現代社会では、人々を支配し、秩序を維持するために“仕事をしているという感覚”が必要とされている」と。

 つまり、本当は不要な仕事でも、人々が「忙しく働いている」状態を保つことで、支配構造が安定するというのです。このため、エッセンシャルワークよりも「見かけ上の重要さ」を演出できる事務職・管理職・金融職が高給で評価される傾向が生まれました。これは、「支配の正当化のための仕事」という意味で、単なる経済問題ではなく政治的・文化的な構造です。

🔹3. 「労働の尊厳」と「再生産労働の軽視」

 さらに、ジェンダーや歴史的な視点も重要です。
 
 • 家事、育児、介護などの「再生産労働」は長らく女性の無償労働として軽視されてきました。
 • 近代資本主義は、「生産=男性的・経済的に価値がある」「再生産=女性的・非経済的」という差別的な構造を内包しています。
 • その延長線上で、現代でも「人を支える」仕事(保育・看護・介護など)が軽視され続けている。

 つまり、労働のジェンダー的偏見と資本主義的価値観が重なって、賃金格差や労働環境の不均衡を固定化しています。

🔹4. 技術革新がもたらす逆説

 AIやロボットの進化で自動化が進むのは、定型的でデジタル化しやすい仕事です。しかし、エッセンシャルワークの多くは、人間の共感・判断・身体性が不可欠であり、簡単には置き換えられません。それにも拘わらず社会はこれらの仕事に十分な価値を認めず、AI化できるホワイトカラー業務に資源を集中させる傾向がある。結果として、「人間にしかできない仕事」が最も疲弊し、報われないという逆説が生じています。

◆◆◆

 上記の内容が学術的に見て正しい分析なのかどうかまでは私には判別出来ませんが、個人的にはいずれも納得度の高い理由でした。

 この話題に限らず、昨今は「ふとした疑問」に対する答えを(多少不正確でも良いから)手っ取り早く得るには、確かに「お手元のAIに聞くのがタイパいい」と思える機会が増えて来ましたね。御大に紹介頂いた書籍はどちらも最寄りの図書館にあるのは確認済ですが…どうしようかな。これまでのように手間暇掛けて原著で確認を取るのを順次止めていくかもしれないですねぇ(苦笑)。


>パスワード別送

 現在の部署における私の仕事はほぼ社内で完結していますので、この「儀式」は知らなかったですねぇ。まぁその代わりに「出勤したら職員室の出入り口および職員用トイレのドアノブを塩素入りの水で拭き清める。」なるミッションがコロナ禍以降相も変わらず課せられています。最早実効性など誰も検証しない「感染対策やってます社内アピール」カテゴリーの雑務と化してしまっていますね(毒)。


>今週の読書

● 柚木麻子『BUTTER(バター)』新潮社2017
 https://amzn.asia/d/b9ws5Mp

 以前紹介した『ナイルパーチの女子会』の著者です。ちょっと古い本ですし別段興味は無かったのですが、先日塾生の一人が「今英国でベストセラーになっているらしいからこれから読んでみるつもり」と話していたので読んでみました。

 ざっくり要約すると、いろいろ私生活に問題を抱えている女性編集者が、料理マニアで現在は拘置所暮らしの女性犯罪者に感化されて、「食」を通じて自分の来し方行く末を見つめ直す…みたいな話です。

 まぁ結論から言うと:

 ① やりたい事は分かるが、物語の主題(犯罪に至る動機の解明・女性同士の友情・ジェンダー論etc.)を詰め込み過ぎて全体的に不完全燃焼かつ冗長。
 ② モデルとなる実在の犯罪者の強烈な個性に物語そのものが負けている。
 ③ 主人公が何で他者からの視線や評価をそれほどまでに気にするのか、全然感情移入出来ない。

 登場人物が多過ぎることも相俟って、それこそバターが胃にもたれているかのような心境で全584ページをどうにか読了しました。まぁ良かった点を挙げるとしたら「料理&食事の描写がリアリティ豊かで美味しそうだった」ところくらいでしょうかw(毒)。

 因みに第157回直木賞候補作品当時の選考委員評を見ると、私が列挙したのと似たような理由でほぼ全員から酷評されています。私は寧ろ、本作品そのものよりも、「どうして本作品が英国でベストセラーになったのか」の社会学的分析の方に大いに興味が惹かれますね。


 ● ブッツァーティ作/ 脇 功訳 『タタール人の砂漠』岩波文庫2013
  https://amzn.asia/d/fxyWOsO

 こういうのでいいんですよ(笑)。

 原著は何と1940年、訳者解説によると「ムッソリーニ率いるイタリアが第二次世界大戦に参戦する前日に刊行された」とのことですが、どこか寓話めいた設定からはそんなキナ臭くも生臭くもある執筆当時の時代背景を全く感じさせません。物語の主要舞台となる「とある一将校の辺境の地での砦暮らし」を、「我ら凡人のままならぬ人生」の比喩として脱臭かつ普遍化して描くことに見事に成功しているように思います。

 ややこしいマイノリティ設定や複雑な筋立ての小説が氾濫する中で、こういうストレートなテーマの物語は私には却って新鮮に映りました。ちょっとカフカの『城』っぽいところもありますが、プロットの起伏においてもリーダビリティにおいても遥かにこちらの方が上ですし、悲劇的にも拘わらず悲壮感は感じられないオープンエンド的ラストも気に入りました。久し振りのおススメですね(笑)。


>『会話の0.2秒を言語学する』
>ちょっととっ散らかっている感じがする。

 私も読みましたが確かに(汗)。著者自身は執筆しながら思考が纏まっていって楽しいのかもしれませんが、その過程に付き合わされる方(読者)にとっては正直キツイですねぇ(苦笑)。


>『デジタルの皇帝たち』

 最寄りの図書館に置いてあったので取り敢えず確保しておきますね。

編集・削除(編集済: 2025年11月03日 23:27)

他人事なのに何故か自分のバツが悪くなるの何なんだろうな?

 自他の境界が曖昧なのか、動画を貼った手前、責任でも感じているのか…


>なな色
 最早誰もツッコまないどころか全力で乗っかっていくので、異常を異常として認識できませんでした…異世界レッドでツッコみが無くなった時もこんな感じだったんだろうか…
 お行儀の悪いお嬢様といえば、キラキラのあおいやHUGのえみるとか思い出しますが、家族などの自身の内外との摩擦が凄まじいお嬢様ばかりでしたね。
 その点ななは、いっしゅうさんが驚く程の早い段階で摩擦が解消されていたのが新鮮な所でしたが…その結果でここまでやるとは誰が予想できたでしょうか…(笑)

>ほんとになんでもいいよな、闇の理由
 何ならキラキラしてても下位互換召喚できますからね。ポジもネガも射程に入る怪人化なら実質的に全ての精神状態を対象にできると言っても過言ではない。だから薄々こうなる気はしてました。
 全人類いつでも怪人にできる、シリーズの中でもかなりヤベー敵。ただし人手と能力がシリーズ最下位クラスって事でバランスが取れているという皮肉www

>やっぱチョッキリーヌが使役するとそこそこ強い
>ジョギ君見てる~?
 あ〜…居ますよね。一度大きな挫折を味わった後、その後の人生何やっても上手くいかないってキャラ。
 或いは、何やっても身が入らなくて活動内容が雑で無気力になるキャラ。
 どちらにしろ自滅の悪循環を回っているだけなので、その虚勢だけで後何話保つかは観ものではあります。

>お化けを克服するアイドル。ほんとか? それで良いのか?
 「お化けが怖いのは想像力が豊かだから」…とはよく聞きます。
 つまりうたの場合、想像力があり過ぎるが故に「いつ、何処で、何が起こるか分からない」という思い込みから恐怖の感情が生まれていると思われます。
 実際今回の話も、お化けを克服する口実で不意打ちを繰り返してはパニックになるうたを鑑賞する話になってましたし。
 そういう不確実、不安定な妄想を「殴れば吹き飛ぶただの物体」という確かな現実で上書きした…と考えれば、一応理屈にはなるかなぁ…(苦笑)
 何か、プリズマティカリゼーションの主人公が「信託」を悟るEDを思い出しました。明日が明日も続く様に、カボチャも殴れば飛んで行く…と言うか?w

>むしろあなたはよく頑張ったのだ、あなたに必要なのは休養なのだと認めています。
>これは弱さの許容でも克服でもありません。
>ちゃんと頑張ったからこそ心が壊れてしまったことへの共感と理解です。
 毎晩日記をChatGPTに読ませてるんですが、大体同じ様な事言われます(苦笑)。
 人並みの生活できてなくてもChatGPT的には「限界だから休め」と言いたいらしい。
 まー下の動画にもある様に、人間には「リミッターとしての限界」と「取り返しの付かない限界」があるので、その間に居ると思えば。

?si=uz984itfVXB5ac79

編集・削除(未編集)

お姉さん枠を捨てた代償に自由を手に入れた女

>薬師寺さあや嬢
 最終的に医者になってたけど、これもお上品で倫理的だよね。優等生らしいというか。今作はうたがテストで悶絶してたエピソードはあっても、誰がどのくらい頭が良いかみたいな具体的な話はなくて、頭が良いから○○しなさい的エピソードは無いですね。


>士官学校生
 勉強ができて、体力もあって、規律が守れて仲間意識も強い人間って文武両道の陽キャエリートだからそりゃ有能よな。アメリカだと卒業後学費返納期間の5年を経て転職する人が多いっていうけど、そりゃそうなるよね。民間からも人気があるらしくChatGPT曰くコンサルなんかは求める人材像に近いとのこと。


>「論理的思考」の社会的構築
 『論理的思考とは何か』は図書館待ち。『「論理的思考」の社会的構築』は図書館に置いてないのと、あんまフランスに興味ないんだよなぁ。


>著者の水野氏(とその相方)のプレゼン力の高さ
 やばいっすの本は読んだけど、まあ、動画でいいねw
 『ポケットと人の文化史』 https://amzn.asia/d/7uibxAR とかも読んだけど、動画で紹介されていたくらいの情報量でいいっかなってw

 ってことでタネ本の参考にでも。



 やってたわー。俺がいた会社でもパスワード設定した添付ファイルと別にパスワードを書いたメール送ってたわー。今でもやってるか知らないけどやってそう。あれマジで意味ない。やってますアピール、形だけ責任逃れ大好き日本人の妙技だと思うわ。
 ってことで動画内で紹介されていたブルシット・ジョブの本https://amzn.to/3Kr1N0Phttps://amzn.to/4mplHH4 は気になるかな。特に外国でのケースは知りたいかな。日本人の脳みそが昭和で止まっているのか、他国もそうなのか。まあ、ホモ・サピエンスの時点で答えは出てるけど。



 これも面白そうね。

編集・削除(編集済: 2025年10月30日 17:17)

有能ななな(笑)

 外見の割に変わり者属性が多かった『Hugプリ』の薬師寺さあや嬢に、更にアクティブさを追加したような感じというのかな。今回は主人公キュアのサポート役としてその自由闊達な存在感(笑)を遺憾なく発揮してましたねぇ。


>國分良成『防衛大学校』

 一気に読了しました。防大校長としての9年間の歩みを、良い点も問題点も赤裸々に綴った記述の数々から、生徒への惜しみない愛情や「あるべき防大の理想像」への献身ぶりが随所に滲み出ていましたね。良書に出逢わせて頂き、誠に有難うございます。

 興味深かったのが、筆者が「もし防大生に戻れるとしたら、何をしたいか」の問いを卒業生らに向けたところ、ほとんどの答えが「英語を学び直したい」(次点が「教養を身に付けるため読書に励みたい」)だった件ですね。著者も指摘しておられましたが、漠然とした「勉強」では無く明確に「英語」と限定するのが、如何にも国を跨いでの活動が求められる今の自衛隊ならでは、という気がしました。

 あとそこかしこに写真が挟み込まれるのも本書の理解を助けていますね。ラストでの「防衛大学校長離任の日」の写真は、著者は本当に生徒から慕われていたのだなぁということを伺わせる素晴らしいスナップだと思います。


>他国との国際交流で短期留学もやっていてそこでトップレベルの成績すら取れるほどの実力があるのに「大学院」の称号すらもらえないって何だよ!?

 著者の記述を信じる限り、そこら辺のFラン大学など比較にならないくらい(毒)生徒の質も意識も高そうに見受けられるだけに、その点は何とも意外かつ残念でしたね。


>フランスでは「バカロレアは国家の神聖な儀式」
>毎年この時期に全国の高校教育システムが“試験のために止まる”
>日本とは真逆の社会的優先順位で運営

 関連して、『論理的思考とは何か』の著者である渡邊雅子『「論理的思考」の社会的構築 ― フランスの思考表現スタイルと言葉の教育 ―』岩波書店2021を読んでみました。
 https://amzn.asia/d/2mxo5ID

 フランスの教育現場(といっても著者が調査した20年ほど前)の公立学校(小・中・高)で、如何なる教育理念の下で実際にどういう教育が行われているのかを詳述した本です。21世紀の現代でもなおフランス革命の精神(=キリスト教支配から脱却して人間理性に基づき判断し行動する人間を育てる)を掲げつつ、人文教育(中でも哲学を最重要視)主体の教育を全国民対象に実施しているという事実にまずは驚きました。… いや〜歴史的・文化的土壌に隔たりがあり過ぎて、このやり方をそのまま日本に取り入れるのはまず不可能ですねw。

 かの国では議論の内容そのものよりも議論の形式を身に付けることに教育の主眼が置かれている、というのも初耳でした。将来バカロレア試験にて弁証法を用いた高度な論旨展開を行えるようになる基礎を形づくるため、小学校で一番重要視されるのはなんと国語である「フランス語(「文法」・「動詞の活用」・「教師の読み上げる文章の書き取り」etc.)」なんだとか(一週間の総授業数16コマのうち11コマが充てられる!)。初等教育では兎にも角にも母国語で「語句の定義を明確にしつつ、正しく綴れるようになること」が何よりも優先されるため、日本の感想文でありがちな「この文章を読んであなたはどう感じたか」的な、主張を補強する論証の構築に貢献しない「個人の意見」は全く評価されないんだとか。まさに「所変われば品変わる」ですねぇ。

 ここからは私が考えたことです。フランスは大革命以降「人間はすべからく皆“平等”な存在であるから、元の国籍や民族的出自によって公共空間における処遇を変えるべきでは無い」という「共和国としての理念(タテマエ)」のもと、移民に対しても基本同化(統合)政策を強いてきた国だということを鑑みるに、仏語の完璧な習得にせよ革命精神の受容にせよ、特に年配の移民の方々には相当ハードルが高いんじゃないでしょうか?コロナ禍の終息とかやウクライナ危機とかも相俟って流入する移民の数は近年右肩上がりみたいなので(2023年で総人口の10.7%)、その辺り教育現場では実際どんな風に(ある意味臨機応変に)対処しているのかも知りたかったのですが、流石にそこまではカバーしていなかったのが残念でした。

 とはいえ、フランス人の思考様式の一端を窺うには(学者的記述多め&フランス式教育に肩入れし過ぎている点を差し引いても)おススメの一冊かなと思います。


>大多数の答案は「形式的には作文、実質的には散文」。
>それでも国家は「考えたという行為」に教育的意義を見いだしている。
>ここがフランス的

 まぁ全国一律の試験スタイルと言えば本邦の共通テストも大概ですからねぇ。少なくとも英語については(当初予定されていた記述問題導入の制度改革がポシャったこともあって)、すっかり「膨大な量の文章を如何に短時間で正確に情報処理出来るか」だけを競う、AIの方がコンマ何秒以下で遥かに高得点を取れる「技能試験」と化してしまっていますし(毒)。それでも本邦の大学入試に置いては共通テストを課さない選択肢も存在するだけまだマシなのかもしれません。


>中村桃子『新敬語「マジヤバイっす」社会言語学の視点から』https://amzn.asia/d/6xeeFaQ

 読了しました。まぁ記述の8割はご紹介頂いた動画通りの内容でしたねw(第6章の「女性がテレビCMの中で用いる「ス体」は、男性との関係から規定されない女性性を示しているのではないか」という“仮説”が目新しかったぐらいでしょうか)。まだ『会話の0.2秒を言語学する』の方は読めていませんが、著者の水野氏(とその相方)のプレゼン力の高さを図らずも証明しているように思いました。


>単に自分が言いたいことを言っているだけではないのか?
>具体的には倫理棒で人を殴って悦に浸りたい、人から承認の声を浴びたい、ネタにして金を稼ぎたい、といった懸念・疑念。今回の例では冒頭で「犠牲はしょうがない」という仮想敵を持ち出してそれに「それはいじめっこの論理だ」と倫理棒で殴っているのでこの時点で相当な単純化・感情化が入っていて聞くに耐えない。

 私が言いたかったことを上手く言語化して頂き有難うございます。
 そうなんですよねー、件の動画について言うなら、百歩譲って金銭目的では無いとしても「「しょうがない犠牲」だと発言しているとされる人物は実在するの?ひょっとしてマッチポンプじゃないの?」とか、「よしんば実在したとしても、それってストローマン論法に陥っているのでは?」等々の疑念が払拭されない以上、私はまともに取り上げる気が起きないですかね~。

編集・削除(編集済: 2025年10月27日 22:07)

AIは新しいものがどんどん出ててぶっちゃけよくわからんなw

>アイドルハートリボン何処かにセットしたりしないんかい
 バトンに付けるのかと思ったけどそんなことなかったね。
 パワーアップが色違いの2Pカラー仕様は逆に新鮮であるw

 カズマは諦めて非正規雇用で働くか、チョッキリーヌと組んで事務所を立ち上げるとか。


>お笑いネタ
 三者三様で議論の軸が違ってて草。まあ、人は結局それぞれ自分のストーリーで語るものだからね。
 私はハナから切って捨ててるけど理由をあげるならこんな感じ。

①情報の不正確さ
 舞台で行われるので話法も含めて情報が不正確、不足になりやすい。過度に感情を煽るアジテーションの懸念。情報の簡略化、単純化の懸念。観客がキチンとそれを聞き取れるか、理解できるのか。前提知識は揃っているのか。一方的な情報伝達になっていないか。話者に都合の良い情報で完結してないか。
 つまりSNSに見られるような誤った情報の拡散になりはしないか?という問題。これほど文明が発達して誰でも検索して調べられるのに、驚くほど人間って自分で調べないからね。

②別に面白いと感じない
 以前にも掲示板と私の記事でも触れたように、日本では空想(エンタメ)と現実は切り離して楽しむ文化があるので、リアルの重いやつを持ち出されるとあんま笑えない。何なら言っていることが本当なのか?と疑うからもう言ってることが頭に入らない。
 つまり聞き手側も情報に重きを置く人と、笑いのネタとして聞く人に分かれ、単に情報が消費されることになる。

③語る側の責任や損得
 社会問題を周知させる、という意義そのものに反対はしない。しかし①で述べたようにそれが本当に正しい情報であるのか、ある種の思想的傾向から発せられたものであるのかが不明瞭な場合、「社会問題を周知させる」という目的は歪む。あるいはそれを口実として単に自分が言いたいことを言っているだけではないのか?という話になってくる。
 つまり語られている内容(過去の事実)の問題ではなく、語っている本人がどう見えるか(見られるか)という問題に転化する。具体的には倫理棒で人を殴って悦に浸りたい、人から承認の声を浴びたい、ネタにして金を稼ぎたい、といった懸念・疑念。今回の例では冒頭で「犠牲はしょうがない」という仮想敵を持ち出してそれに「それはいじめっこの論理だ」と倫理棒で殴っているのでこの時点で相当な単純化・感情化が入っていて聞くに耐えない。
 現代社会ではあらゆるものが消費財として扱われるので実際のところ社会問題の提起より「今この瞬間盛り上がるための話題」として使われるのがオチだろう、という認識。

 主に①③への疑念が強いから私は切って捨てるね。
 念の為言うと、発信するな、ネタとして使うなとは言ってない。人間はバカだから単純化したがるし、調べないし、そもそも人の話聞いてないから歪みやすい。

 書き終えて思ったけど、この形式まんまアメリカ式だなw(結論→根拠3→結論) 考えが固まっているならこの形式が楽だな。


>並列処理そのものの問題点を指摘
 たぶんそうだね。ネットワークで処理する場合都度何万件って処理するだろうから、その配分(配合?)でランダム性が生まれるみたいな話だったと思う。


>國分良成『防衛大学校』 https://amzn.asia/d/8eSpQMr
 まだ70ページくらいしか読んでないけど。
 体裁としては以前取り上げた『知られざる海上保安庁』に近い。読者が詳しくないであろうことを前提に丁寧に説明していくスタイル。
 著者は21年まで9年間校長として在任。意外なことに一般の大学教授だったらしい。というより防大自体が一般の教授が多いらしい(自衛隊の専門技官はもちろんいる)。これは過去の反省でシビリアン・コントロールを意識しているため。
 防衛大学校はいわゆる士官学校だけど、他国と少し違うのは陸海空が一括りになって構成されている点。通常は別々の士官学校があるけど防衛大学校は一緒(卒業後、各幹部候補養成機関に行く)。これも戦時中の陸軍と海軍の縦割りからの反省で吉田茂時代にそう設立したとのこと。理系が8割なのも戦前の精神論を払拭するため。
 ちなみにさっきから「大学校」って名称を使っているけど、これは典型的な縦割り行政で文科省配下の学校ではないから。実は91年まで学士などの学位すらもらえなかったので高卒扱いだったらしい。それが変って今では博士までの学位は与えられている。ただし「大学院」などは名乗れない。これも著者がせっついたらしいんだけど、「罰金10万円です」とすげなく返されたみたいですね。これに対して著者は結構感情的に憤っていましたね。他国との国際交流で短期留学もやっていてそこでトップレベルの成績すら取れるほどの実力があるのに「大学院」の称号すらもらえないって何だよ!?ってことなんだと思う。「これは防大生とその卒業生のプライドに関わる本質的問題なのである」と熱く語っているのは興味深かったです。

 とまあ、70ページだけでも結構面白い話が読めるのでオススメかな。

編集・削除(編集済: 2025年10月22日 19:05)

カズマ『残念だったな。俺は今北極だ』ぐらい言えればねぇ…

 今回の三角関係(?)、象徴するなら「数字」で成り立ってるのが面白いですね。
 トップアイドルに恋心とか何寝惚けてんの?って普通はなる所ですが、うた(キュアアイドル)も今や飛ぶ伝説を落とすトップアイドルなので、違和感無く観れてしまうのが凄い。
 逆にカズマが何も無さ過ぎてヤベェ。カイトとドッグファイトしようにも可変戦闘機すら無い様な状態。この対称性と非対称性。

 カイトの優しさとカズマのルサンチマンからは、ひろがるスカイのましろとバッタモンダーを連想しますが、あれはまだましろも何者でもなかったから「自分の価値は自分で決めて良い」がバッタモンダーに響いたと思うのですが…
 カズマはねぇ…浄化したとしてどうするよ?…って思うんですよね。一応、カイトのアドバイスの半分ぐらいはカズマとの日々で培ったものですし、カイト自身もカズマとの日々がアイドル人生の指針になってる可能性もある事を考えれば、「響カイトとアイドルプリキュアは俺が育てた!」って後方腕組みプロデューサー面するくらいの権利はあっても良いと思いはしますが…
 田中さーん、そろそろ真面目にマネージャー見習い育ててみる気ありませんか〜?

 余談ですが、今回の舌戦は「切る」と「結ぶ」のモチーフもふんだんに活かされてましたね。

>レジェンドアイドルのダークランダー
 謎の四角い板…上に出っ張り付いてるし、ドッグタグみたいな首飾りが媒介のダークランダーなのでしょうけど…この他に何も無かった感よ…(泣)
 こうして観ると、特徴が無い人だよね…レジェンドアイドルなのに(酷)。

>「プリキュア! アイドルスマイルングエコー!」
 カイトの歌にも「エコー」のワードがあるのがエモい。
 つか、アイドルハートリボン何処かにセットしたりしないんかいw
 これは、全員分揃うまでのお楽しみ、かな?


>お笑いネタの時点でまともに取り合う気が起きんなぁ
 欧米ではこうやって社会問題とかを周知させるのがスタンダードなんだとさ。
 笑い話にする事で、問題へのハードルを下げ柔軟な視点を得られるメリットがあるのだそう。
 まー、裁判がエンタメになる国のやる事って感じはします。
 一方の日本ではまたぞろ無駄なメガソーラー造ってんのに、誰も気にしませんけどね。

>彼にとってはアイヌの話題にしても再生数を稼ぐための単なる道具でしか無いんだろうなぁ
 (毒)付けてても流石に言い過ぎ。


>回答処理の際にAさんだけでなく同時にBさん、Cさん……
>の処理も抱き合わせて行うせいでバラつくことが発見された
 う〜ん、流石は日進月歩のAI業界のライブ感w(ぉ
 回答のランダム性をコントロールする方法は三つぐらい習ったけれど、医療関係AIならそれこそ過剰適合ギリギリまでバラつき抑えてる筈だと思うのですが…
 ChatGPTも「医療関係のAIは抱き合わせが起きない様に設計してる」って言ってましたね。
 あ、患者のデータどうこうじゃなくて、並列処理そのものの問題点を指摘していたっぽい?…ちょっと難しい内容になってきたので、今回はここで打ち止めます。(苦笑)


>バカロレア採点の「国家総動員システム」
 ペーパーテストは教師の手抜き…とはよく聞きますが、流石にこの規模のリフォームは日本じゃ無理ゲーですね。
 「子供達の未来」は大体大人の自己満足でできてる。
 あれだ。子育てに自信の無い親に、「自分が子供の頃して欲しかった事をしてあげれば良い」ってアドバイスがあるけれど、あれがもう既にズレてんのよね。
 それって親のニーズであって、子供のニーズじゃねーじゃん。っていう。

編集・削除(未編集)

言語学の話になると早口になるよね

>『会話の0.2秒を言語学する』
 思ったほどじゃなかったなぁ~(苦笑)
 これ、あるあるなんだけど、著者があれもこれもと詰め込んだ結果ちょっととっ散らかってる感じがする。本人的には「会話のターンチェンジにかかる時間0.2秒の間に人はこれだけのことをやっている」と説明したいんだろけど、如何せん言語自体がその学習の無自覚さも相まって読者には伝わらないんだよね。これが工業製品とか芸術品なら出来る過程を説明できるけど、○○が△△を発見して~と言語学の先生方の見解を披瀝されてもピンとこない。
 むしろ、YouTubeのラジオでもやっているように、面白い本を取り上げて紹介する方が合ってるw あとラジオの方は相方との絶妙なトークが軽快でポンポン頭に入りやすいってのも大きな違いかな。


>『論理的思考とは何か』(本は未読)
 ゆる言語学ラジオでも取り上げられていましたね。昔この板でも「合理性は時代や国、文化によって違うよね」という話をしたことがあったので論理性も違うことについては納得感しかないんですが、なんでそうなったのかの話が面白かったですねw

・アメリカ方式
→ベトナム戦争後に帰還兵が大学にどっと進学したため、授業や採点をやりやすいように現在の形になった。遡ること50年前という歴史の浅さw そんな合理的な理由から論理形式が組み立てられたんだけど、ビジネス(起業。とりあえずアイデアを試す)面と相性が良かった。

・フランス形式
→民主主義や国民国家の合意形成に重きを置く。ビジネスはとりあえずやってみて失敗しても構わないが国家はやべー奴が偉くなると大変なので拙速を慎む(なので思考過程部分重視)。

・日本形式
→読書感想とか解釈は、昔は生徒の自由な解釈を重視してたんだけど、学力調査だか検定のために何か変った。(アメリカと似たようなパターン。教える側の都合)


>フランスの採点
 これはイギリスも含めて前々から私も疑問だったのでChatGPTに聞きました。少し長いですが面白かったのでまるまる引用します。


フランス:バカロレア採点の「国家総動員システム」
○制度の概要
バカロレア(Baccalauréat):高校最終試験にして大学入学資格試験。
→ 全国で約50万人の生徒が毎年受験(全員が論述中心)。
試験内容:哲学・文学・歴史・地理などが中心で、記述・論述・小論文が基本。
試験時間:4〜6時間/科目という超長時間。


○採点体制:教師総動員
採点は現職の高校教師(professeurs de lycée)が担当。
各科目ごとに、教育省(Éducation nationale)が「採点者=全フランスの該当科目教師を徴用」します。
採点対象校は自分の勤務校ではなく、別の学区(académie)に割り当てられる。
→ 公平性確保(自分の生徒を採点しない)。


○運用の流れ(バカロレア哲学試験を例に)
試験当日:全国一斉に同じ時間・同じ問題で実施。
翌日:答案が封印・集荷され、各採点センター(校)に仕分け。
各採点官(教師)が平均150〜250枚の答案を担当。
採点基準は全国共通で、試験委員会(jury national)が詳細なルーブリックを提示。
採点結果は二重チェックされ、場合により第三者再審査。

採点期間はおおむね約10日〜2週間。
この期間、教師は通常授業を中断して完全に採点専任となります。
つまり「授業より国家試験が優先」という運用。


○報酬・労働環境
採点者には国家から日当+1答案あたりの報酬が支払われます(例:1答案約1〜2ユーロ)。
学校の期末は6月で終わるため、生徒がいない時期に採点業務を実施可能。
そのため、“採点は教師の職務の一部”という文化が制度的に定着しています。

○公平性の担保
各答案は匿名化(生徒名・学校名を伏せる)。
複数採点者による二重採点や、統計的調整が導入されている。
極端な得点差(例:40点中5点と35点など)は再評価対象。
すべての結果は教育省が集約して「全国平均」を補正。


フランスでは「バカロレアは国家の神聖な儀式」とされ、
毎年この時期に全国の高校教育システムが“試験のために止まる”という、
日本とは真逆の社会的優先順位で運営されています。


●イギリスについては省略(自分でChatGPTに聞いて)


要するに、

「どうやってマンパワーを確保しているのか?」
という問いへの答えは──

・社会全体で“試験のために時間を止める”国(フランス)」
・産業的に分業化して回す国(イギリス)」

という2つのモデルで成り立っています。
そしてどちらも、“採点は教育の本丸の一部”という認識が根付いていることが最大の違いです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 で、この掲示板の読者なら義務教育レベルで知ってることですが、人間はバカです。バカが長時間の論文記述に耐えられるわけがない。そこを突いた質問をするとこう回答されましたとさ。


実際、採点者の報告では──

構成・論証が一応成立している答案は3〜4割
“主張があるが理屈が弱い”が3割
“支離滅裂・感想文”が3割
という感覚が一般的です。

つまり、大多数の答案は「形式的には作文、実質的には散文」。
それでも国家は「考えたという行為」に教育的意義を見いだしている。
ここがフランス的なのです。


 「下手の考え休むに似たり」じゃねーかなって私は思うけどねw バカに考えさせて何が出てくるっていうんだね?
 私は運動音痴だったから体育の授業は小学校の頃から虚無だったよ。それを「体育こそは国民の証!」とばかりに何年も何十年もやらされたらスポーツ選出になるか? マラソンやらされたら拒否して歩くよ。途中で棄権するね。単一の指標で人間を測ってる国が多様性ほざいているの面白いよね。

編集・削除(編集済: 2025年10月21日 14:00)

中の人の演技、気合い入りまくりでしたねぇ >キュアアイドル

 ジョギ「カイトとの間に絆があるとでも思ってるの?」
 キュアアイドル「カイトさんがどう思ってるのかは分からない、でも!私は私の気持ちを信じる!」

 「推し」が実際に自分のことをどう思っているかはあくまでサブ要素で、メインは「推し」が自分に力をくれたという紛う方無き事実そのもの、ということか。この辺り以前御大が分析されておられた「推し活のより正確な構造は“推しの物語に接続することで自分の物語を駆動させる”行為」と符合する描写のように思いました。


>ゆる言語学ラジオ
>「~っす」は実は「敬語+親近感」を表す画期的なワード。相手のメンツを損ねる可能性がある場合は使わない。という解説は説得力がありました

 成程、これは面白い!授業の合間に挟む小ネタが一つ増えました(笑)。動画の元ネタである中村桃子氏の著書は偶々最寄りの図書館に置いてあった(予約人数ゼロ)ので、また今度借りに行きますね。


>『会話の0.2秒を言語学する』

 残念ながらこちらは貸出し中でしたので、読めるのはもう少し先ですかね。因みに動画の聞き役の方の人も最近単著を上梓されていたみたいですね(↓)。この間最寄りの本屋に置いてあったのをパラパラ立ち読みしてそれなりに面白いとは思ったんですが、ちょっとお値段の割に内容が薄いなと思って購入は断念しましたw(苦笑)。
 ● 堀元 見『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』新潮社2025
   https://amzn.asia/d/06MzZot


>当事者が被害者ヅラして~

 この件に関する私の中での線引きはこんな感じかな(異論は認めます↓):

 ① 「しょうがない犠牲」かどうかの判定資格を有し、かつ発言権を持つのは「当事者」のみ。
 ② 「当事者」の範疇に入るのは、「直接被害を受けた人物および一親等の親族(両親および子供)」まで(祖父母とか孫とかまで広げると既に「伝聞情報」になるような気がするので)。

 勿論、発言する場合でも「発言権を持つこと」が「発言に沿った対応を周囲から期待できること」と必ずしもイコールとはならないことを「当事者」は覚悟する必要があるでしょう。動画内の芸人はそもそも上記の要件を満たしていないでしょうから私にとっては端から考慮するに値しません。まぁ彼にとってはアイヌの話題にしても再生数を稼ぐための単なる道具でしか無いんだろうなぁ、とは思いますが(毒)。


>服部まゆみ『この闇と光』
>特に前半の世界観、文章、主人公の描写は美麗で一読の価値がある

 この作者はこれまで全く存じ上げなかったなぁ…。
 何と言うか、文章全体から漂う「品の良さ」というか、そこはかとなく滲み出る教養というか、いずれもミステリーのみならず最近の創作全般についてまずお目に掛かれない雰囲気のように感じました(ググってみたところもうだいぶ前にお亡くなりになっているらしく、何とも残念です)。

 似たようなテイストの作品だと何だろう…かなり昔に読んだ作品で、前の掲示板でもプレゼンしたこれかなぁ(↓)。流石に細部は覚えていないので、当時のプレゼン原稿をそのまま再掲しますね。

 ● シャーリィ・ジャクスン『ずっとお城で暮らしてる』1962年発表
   https://amzn.asia/d/gijBymA

―――

 映画『ドッグヴィル』で描かれたような、閉ざされたムラ社会ならではの閉鎖性を煮出して煎じ詰めたようなホラー作品です。異物的存在を徹底排除する酷薄さと、良心の疚しさに由来する薄っぺらい善意とを併せ持つ「至って普通の」村人たちの描写もさることながら、遡ること六年前の「忌まわしき事件」を経てすっかり没落し果てた「嘗ての名門の旧家」にひっそりと暮らす(恐らく虐待されていた過去を持つ)主人公の娘と、その家族らの「静かな狂気」の描写が何といっても見どころ。閉ざされた空間の中で辛うじて維持されていた「穏やかな日常」が、ある日突然外部から荒々しく破られるという、よくある類いのお話ではあるんですが、作中で一番異常な「信頼出来ない語り手」の主人公に対し、不思議と肩入れしたくなる気持ちを読者に起こさせるストーリーテリングの妙味には感心しました(ただ結末はもう一捻り欲しかった気もしますが)。 〈記:2019/01/19〉

―――

>今週の読書
 ● 渡邊雅子『論理的思考とは何か』https://amzn.asia/d/jlaOtAB

 ちょっと前に読んでいたのを改めて再読。本書では四つの「思考の型」を取り上げ、それぞれの型を代表する国(アメリカ・フランス・イラン・日本の四カ国)の作文教育で重視されているのは何かを詳述することで、「論理的なものの考え方」は複数存在し、目的に応じて意識的に使い分ける必要があることを論じています。

◆◆◆

 論理的思考に関する書籍や情報が溢れる中で、本書の意義は何だろう。それは論理的思考に関する二つの常識の克服である。ひとつは論理的思考の方法は世界共通でも不変でもないこと、つまり論理的思考には価値観に紐づいた思考の型があること。もうひとつは思考の技術を使いこなすには、目的(そこに価値観が現れる)をまず特定してその目的に合った思考法を選ぶことである。この二点を踏まえて本書が目指したのは、目的ごとに異なる論理的思考を「方法」としてどのように実際に使いこなすかを示し、その効用と意義についても理解を深めることだった。こうして本書を読み終わる頃には、論理と論理的思考に対する読者の考え方が変わっていることに期待する (「おわりに」より抜粋)

◆◆◆

 例えばアメリカとフランスはこんな感じ(↓)。因みにイランと日本とは割愛w。

 ・エッセイ(アメリカ式)
 ⇒ 自己の主張を分かりやすく効率的に論証して、相手を説得することが目的。冒頭で結論となるべき主張を先取りして提示し、主張を支持する「事実」を三つに制限して取り上げコンパクトに論じる。効率的に最大限の収益を上げることを狙いとする経済領域との相性が良い。

 ・ディセルタシオン(フランス式小論文)
 ⇒ 時間を掛けてあらゆる可能性を吟味し、矛盾を解決することが目的。定立(正)・反定立(反)・総合(合)、つまり〈正〉と〈反〉の矛盾を〈合〉で解決する弁証法を論証の基本構造とする。多様な人々で構成される社会全体の利益(=公共の福祉)を図る政治領域との相性が良い。

 仕事柄目にする機会の多い近年の実用英語検定(いわゆる英検)の作問を見ると、記述問題の一つである自由英作文は、まんま本書の記述通りの「アメリカ式エッセイ」の形式に則っているためまだ馴染みが持てます。しかしフランスにおける(ヘーゲル型の)弁証法を軸とした作文教育は、理屈では理解出来ても正直あまりピンと来ないですね。本書によると、何でも未だにフランスでは毎年50万人超の高校生が受験するバカロレア試験(中等教育終了と大学入学資格を兼ねる)は論述形式で、試験時間は四時間に及ぶのだとか…これ、実際のところどうやって(公平性を担保しつつ)採点しているんでしょうねぇ?著者にはフランスの作文教育をメインに取り上げた著書もあるみたいですから、また借りて読んでみますわw。

編集・削除(編集済: 2025年10月20日 23:55)

マニアックな本が紹介されているからネタ元にしやすい

>会話の0.2秒を言語学する https://amzn.asia/d/5zzpzlQ
 手を付けたばかりなので内容については後日触れるかもしれないし、放置されるかもしれない。
 著者はYouTubeで↓のような解説をしているようですね。「~っす」は実は「敬語+親近感」を表す画期的なワード。相手のメンツを損ねる可能性がある場合は使わない。という解説は説得力がありましたね。意識はしていないけど確かにそういう使い分けをしている。




>理解と配慮とを求め過ぎ
 だから、いつでもデュエルできるように弱者カードデッキを持ち歩く必要があるんですね。

>コメディ動画
 芸人のこと1ミリも知らんけど、お笑いネタの時点でまともに取り合う気が起きんなぁ。弱者カード見せびらかしてるだけやん。人なら毎日どこかで何かの理由で死んでるぞ。
 こういうのもAIによって手軽にファクトチェックできるようになってるから、真偽の確認含めてできる人とできない人で差が出るね。


>LLMのランダム性
 ネットワークで処理するタイプ(通常のChatGPTとか)で同じ質問に対して回答にバラツキが出る原因として、回答処理の際にAさんだけでなく同時にBさん、Cさん……の処理も抱き合わせて行うせいでバラつくことが発見された、って論文があるみたいね。医療関係とかの場合、診断や確からしさ(確率)がブレるのは問題だから原因を特定できたとか何とか。


>暗殺者である俺のステータスが勇者よりも明らかに強いのだが(秋アニメ)
 なろう常連のミノタウロスさんを表彰して勤労感謝の日を設けるべきじゃないかと思う。

編集・削除(未編集)
合計553件 (投稿553, 返信0)

ロケットBBS

Page Top