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編集・削除(編集済: 2025年01月02日 01:55)

島 秀生 様 感想のお礼です 天

詳しい感想を教えて下さりありがとうございます。
これだけ他者の視点で自分の作ったものをどう捉えられたかを、
細かく知ったことがなかったのでお世辞抜きで感動してます。

明確にしてない書き方ですよね。
これは、昔に夢があって、まだ燻ってる人の心象風景を目指して作ってます。

昔は、夢に向かって、いろんなことをやって、いろんなことを試して、
村が町に、町が都市にかわるように腕を磨き発展し、楽しく生き生きとしていたのに、
齢を重ねた今は、心が静まり返って。

靄は踏み出すことの恐怖で、快晴はそれを払ってもすぐにどうこうならない見通しがたっているけど、
やっぱり怖いというのが伝わればと思いましたが、読み返すといらなかったかなぁと今更ながら思います。

鐘の前に立つ、朝が来るたび、自分に選択を問いかけるくらい、
燻っているそれをどうにかできるのは自分がもう一度目指したい、と思うだけ。
それを理解していても、毎朝思い悩むくらいの人のワンシーンと、
結末が読んだ人の自由にできるような形になればいいな、と。


題名は、どっちを選んでも、選び続けるだけであっても、
詩の中の人にも、同じような状況下にある人にも、いいことがあればいいなーと思って、ぶれっしんぐとしました。

そしてこんだけ解説してる時点で、ほんと自分の思い描いたものが伝わらない書き方なんだなぁ、と、
実感させていただくことができました。

重ね重ね、ありがとうございます。

編集・削除(未編集)

魔桜(まおう)  松本福広

春うらら
うららかな青空の下で
桜がはらはら踊る。
しとやかな桜の色が
空だけではなく
心も彩なす。
晴れやかな景色なのに
どこか艶やかで
妖しい色香に
落ち着かない気持ちにもなる。

春はらら
危なげを孕んだ春の香りが漂い
ハレを装いつつ
ケガレをいざなうような
桜色の空を区切るように
菜の花畑が水平線をなぞる。
菜の花に
桜に
青色に
どれも鮮やかな色が
主張しているのに
調和して
春の華麗な刹那を孕む。

春きらら
桜の花びらは
短い春の彩りを
煌めかせる線香花火の
儚い火花なのかもしれない。
それにしては
青空のキャンバスを
全面に描く絵は
派手過ぎないかと
誰かが聞くかもしれない。

春をうたってきた
桜を愛でてきた
人間の歴史から見れば
私の視界に映る
今の映像は
瞬間的なものしか
とらえられない。
永遠に人々の心を
魅了し続ける魔力の源の
片鱗すら言葉にできないで。
それなのに
桜が秘めたる魔性に
流されるまま
締めの句点が見つからない散文を
私もいたずらに
乱れるままに
流れるままに
書かずにいられない。
春るらら

※埼玉県幸手市の権現堂堤をイメージして書きました。

編集・削除(編集済: 2025年03月18日 00:22)

花  樺里ゆう

萎れた花を しばらく
部屋に飾っておいた

花は乾いても
水に差していれば
色は褪せず
茎も瑞々しいままだ

花弁が細く引き攣れた紫のチューリップは
遠目に見れば花菖蒲のよう
開ききらずに水分を失った薄紅のバラは
冴えた色を残し
ピンクのガーベラは
咲いた時の姿をほぼそのままに留め
水仙の白かった花弁は
透けて花脈が見えるようになった

やがて水仙とチューリップの
子房が膨らみはじめた

次の世代を残そうとしているのだ

生まれた土から切り離され
気まぐれに買い求めた人間によって ガラス瓶に入れられて
いつか茶色くくたびれたら
ゴミ袋に放り込まれるのだとしても
そんなこと花には関係ない

花の美しい瞬間を
人間が勝手に決めただけ

花の一生は
散って終わるのではない
花弁を失ったあとも 生涯は続く

花は変容してゆく
その全ての瞬間が美しく
人間の価値観などとは隔絶した境地で
生命をまっとうしている

そのことに
私はやっと気付いた

編集・削除(未編集)

谷川では瑠璃色の美しい鳥が朝をつげる

山賊はかどわかす美しい娘ら 世にもまれな彼女たち どこに売ろうかな 法外な値段で
(谷川では瑠璃色の美しい鳥が朝をつげる 霧にくるまれた柔らかな朝が次第に開ける)

山賊たちは腕自慢 近くの百姓はおろか騎士たちにも恐れられている
(朝はしずかに透明に溶け行きまぶしい光を乱射させる)

山賊どもは、大騒ぎ、めったにない美しい獲物を、見ては、酒を飲み、肉を食う
(今日一日の天啓と言った美しい光が、谷から山々にのぼってゆく)

このあたりに山賊を討つものはひとりもいない。金持ちたちは、むしろ、この美しい娘らが、いくらの値段で売り出されるか、もっぱらの評判。あの一番美しい娘には、いくらの値が付くかで、大騒ぎの程じゃ。
(夜が明けた森の精は、しずかにそよかぜを吹かせながら、流れてゆく)

山賊たちは、酒が入ると、どの美しい娘が、自分のものか、次第に内輪喧嘩をはじめる
(山の精は、いつもながらの鳥の鳴き声と、霧の流れ、晴れるさまを、見物していたが、山がはやくも夏が終わりそうなのを気にしておった)

しかし、集まった金持ちたちが、金にものをい言わせて娘らを高値で買い取るので、山賊どもの内輪喧嘩も次第にしたびになってゆくのじゃった
(その日は山は美しく晴れた日じゃった、空から転輪王(注)がふってくる日じゃった)

金持ちと山賊の酒宴と取引のあと、娘らは、泣き泣き方々へ引き取られてゆくのじゃた
(しかし、それを観ておった、転輪王は、山賊どもと金持どもがまた悪いたくらみをしおったな。と、思って転輪王の天空のラッパをたからかに吹くのじゃった)



(注)てんりん‐おう〔‐ワウ〕【転輪王】

《(梵)Cakravarti-rājanの訳》古代インドの伝説上の理想的国王。 身に三十二相を備え、即位のとき天より感得した輪宝によって四方を降伏 (ごうぶく) させる。 輪宝の種類により、金輪王・銀輪王・銅輪王・鉄輪王の四王がある。 転輪聖王。



まあ、あれよ不思議、山賊や金持は、みすぼらしい貧乏人になり、娘らは、天馬に乗って、生まれ故郷へかえるのじゃった
(転輪王は、また人助けをしてしもうたわいと、言いながら、食後の午睡をするのじゃった。谷と山はいつものように美しかった)

その後の山賊、金持、娘らの行く方はだれもしらんそうじゃ。



編集・削除(未編集)

三浦志郎さん。丁寧なご評価ありがとうございました。

また、高い評価、ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

島 秀生様 評のお礼です 上田一眞

お疲れ様です。上田です。
ご指摘頂いた「体臭」という言葉、作品が余りに綺麗に仕上がってはいけないと思い、試験的に使いました。
当初は下記の表現としており

風に運ばれた/馥郁たるあなたの体臭
/ああ あなたは遠く/西海の小島にいるのだと…

これを
/潮の香に似たあなたの体臭/

と替えたものです。
ちょっと生々しく、浮き上がった表現になったようですね。

ご教授頂いた

浜育ちで浅黒く/潮の香に似たあなたの体臭

は彼女をピタリと表していると思います。島育ちの健康的な女の子でした。また、懐かしさがこみ上げて来ました。
ありがとうございました。

編集・削除(未編集)

三浦志郎様 評をありがとうございます。 津田古星

「家守」の評をありがとうございます。

「金属の箱」と言うのが、やはり分かりにくかったかと思います。台所のシンクを、家守ならどう言うのかと考えたのですが、良い言葉が見つかりませんでした。「四角く深いくぼみ」でしょうか。

この家守は粗忽者です。一度死にそうになったのに、懲りないのですから。
懲りたのはわたしの方で、しばらく、服を脱ぐ前に浴室の壁や天井をよく見るようになりました。
爬虫類は苦手ですから、自分の手では掴めません。夫の所へ行って、「あのう、家守がいるんだけど。」
この年になって初めて家守に遭遇しました。田舎の実家で暮らしていた時でさえ、見たことがありませんでしたから、驚いたの何の。上から何かが落ちたと思ったら、湯の中をスーッと泳いだのですから。心の中では「ギャーッ」っと叫びました。
息子は京都で暮らしているとき、家守を見たというので、都会にも居るのだと知りました。

ストーリー性は家守の方にあるのです。

二度とも命は助けたのですから、良いことがあると思います。

編集・削除(未編集)

評、2/28~3/3、ご投稿分。  島 秀生

私事ですが、日本ペンクラブの会員を、今月いっぱいで退会します。
単に個人的な節約です。他意はありません(ヒラメもありません)。
去年から事務局長が変わったけど、ペンクラブの今の事務局長さんはとてもよくやっている。評価してます(辞める身の私が言うのもなんですが)。
ちなみに私をペンクラブに入会させてくれたのは、故・辻井喬さん(当時、副会長)です。
そして私が入会当時、会長だったのは、故・井上ひさしさんなんですが、入会して最初に話したのも、実は井上ひさしさんなんです。入ったばかりの一会員の私に、いきなり気さくに話しかけてくるんでビックリした(新入会員歓迎の場というわけではなく、100人くらいのふつうの会合の場でバッタリ顔を合わせただけだったのに、ですよ)。井上ひさしさんのお人柄が偲ばれるエピソードです。


●白猫の夜さん「きぼうに縋って」  

なるほどーー。ISSの「きぼう」を持ってくるとは思いがけなかったです。ビックリでした。こりゃ本当に、希望となる「きぼう」ですね。ISSって、私意識したことありませんでしたが、本当に観測できるんですってね。この詩、読んで、マジで観測したくなりました。

序盤は、親から虐待を受けた子供の様子が描かれています。それはこの詩のストーリーに最後まで尾を引いて出てくるので、そこは真剣に描かれていると感じるのですが、
終連、虐待する親は、頭を撫でたりフツウしないので、初連と終連だけに限って対比を見るならば、実行動ではなく、比喩なのかな?と受け取れないこともないのです。
終連のそこに違和感があり、他の解釈を与えてしまうという意味では、終連は一考が必要かもしれないです。

あと、6連の2~4行、「煙草の名前」「作り話」の下りは、そもそも知らない話(知ってる人しか知らない類いの話なのでは? 私はナンノコッチャ状態です)なので、書くならば、もうちょっとわかるように書いて欲しいし、
あるいは1行目は、前の連にくっつけてしまって、2~4行目は削除でもいいのでは?と思います。

あと、後ろから2連目の「なまぬるい風」という、風の質感を書いたところは良かったです。

うむ、まずもって全体をしっかり書いてるのがいいし、とりわけISSの「きぼう」の登場が良かった。ちょこちょこ引っかかりはありますが、秀作を。

ところで、私も学生の頃は、早く卒業したい、早く就職して、親から離れたいと思っていたものです。新卒時が親から独立する一番の機会ですね。あるいは大学を、親元から離れた大学に行くのも、良い機会になります。
ともかく、「親から褒められる・褒められない」とか、「自分の評価をするのは親」「親があっての自分」みたいな、親対子の構図に縛られているかぎりは、このループからは抜け出せません。
「自分の評価はするのは、自分だ」「親は関係ない」「がんばった時は、自分ほめ」みたいな、精神的に独立した存在にならないとね。

親とずっと同居の場合も、30歳あたりになると、同期の友達とかが、所帯を持ったり、子が生まれたりして、その友達自体がもう親になる年齢になってくるので、そのあたりの年齢になってくると、実際に結婚しないまでも、精神的に準備が必要で、いつでも家を出ていけるぞ、親から独立できるぞ、一人でも生きられるぞ、の精神状態になっておかないといけない。

いずれかのタイミングで、「親対子の構図」の縛りから脱却して、独立した存在になることですね。自分の人生を評価するのは自分なんです。(親であろうとなんであろうと)自分の人生を他人に評価させちゃいけない。

まあ、作者がキャラクターとして、描いてるだけかもしれませんけどね。幸せを願いたい登場人物でありました。


●相野零次さん「妄想の海リメイク」  

おもしろいね。いい作品だと思う。
海のようであり、眠りのようであり、人生のようでもある。
また、自分だけの一本道で描く人生図でなく、他の動物、他の機械、他の死体などが出てきたり、自分の役割も出てきたりで、多角的に捉える社会性がある。
また子供を授かったシーンは、この大きなストーリーの中のクライマックスと感じる。こうしたクライマックスシーンをちゃんと備えてるのもいい。また、想い出を真珠の玉と喩えるのも、海の中のことなので、とてもそぐうし、「また大きな真珠を手に入れる」を目標としてることに、人生の希望が見えている、とも感じる。
いい詩だと思う。名作&代表作入りを。

その上で3つ言います。
まず、絶対変更しないといけないのが、詩の後ろの方ですが、

明日の仕事のことを考えた
明日は大事な取引がある
これを成功させれば
もっと深く潜れるようになれるかもしれない



今日は大事な取引の最中ということもあって
潜ることに集中していた
取引が成功すればまた大きな真珠を手に入れることができるにちがいない
その光景を思い浮かべ男ははにかんだ

この2つが矛盾して読める(大事な取引は、今日なのか、明日なのか、わからなくなる)ので、解決しておかないといけない。
これ、たぶん後者で今日のことに触れるからいけないんだと思う。今日のことにはもう触れなくていい。今日のことはスルーしていい。
よって、後者の

今日は大事な取引の最中ということもあって
潜ることに集中していた



明日は大事な取引がある

に、変更することで解決すると思います。


それから出だしの15行目

人間もいれば犬や猫がいる
 → 人間もいれば犬や猫もいる

に修正ですね。(ミスタッチかもしれんけど)


で、最後の要望は、
これ、できたら、行分けではなく散文詩形態にした方がいい。その方が映えます。

散文詩型のやり方ですが、句点を入れていく人もいるのだけど、この詩はひと文字アキで、行を詰めていく形の方が合うと思う。
で、1行は30字で折り返しが基本です。
HP「新作紹介」の井嶋りゅうさんの詩の書き方を参考にして下さい。


●荒木章太郎さん「俺が創るのは君の額縁」  

なるほど。
部分、部分の比喩はいろんな例に向くのだけど、ストーリーはすべて、一つのベクトルに向かっている。それは「君のアート」(たぶん初連のこと)に対して、答えようとする自分の姿勢のこと。
定規による細密は、機械的でおもしろくない(定規の線引きをして「刺青」と言っているのだろう)。あばら骨まではずして、ハート(むきだしの心臓)で受けるってことでしょうね。

ただ、あばら骨をはずして、むきだしのハートで受けるというのは、ハート(もしくは心臓)に、自分の魂があるけれど、4連及びタイトルでは、「自分は額縁になる」と言っていて、こちらでは額縁(あばら骨)側に魂がある。
両者は食い違っていると感じる。
また、額縁ということになると、被写体のそのものの美を生かし、自分は引き立て役に回るといった意味を想像させ、自分が相手のすべてを正面から受けとめるといった意味とは異なってきます。
どっちかにした方がいいですね。

あるいは、額縁は引き立て役ではなくで、額縁こそがハートであるということなら、そこのロジックをなにか書いておく必要がありそうです。なにもないと既成観念で読むことになるのですが、既成観念だと「引き立て役」なので、そうではないということなら、ロジックをなにかつけておく必要があります。

ちょっとそこ、整理してみて下さい。
いいセンまでは行ってる詩です。半歩前を。


●秋さやかさん「眠り」  

なるほど。
幼児期に、眠りに落ちる寸前のまどろみから、眠りに落ちる瞬間が怖かったんですね。
眠る側に素直に行けない。境目にいる時の得体の知れなさというか、もう半分寝てるにもかかわらず、全部そっち(睡眠)に行って本当にだいじょうぶなんだろうかと思う、ためらいというか恐れというかで、一部だけ覚めてる意識があったんでしょうね。
なんとなくわかります。すんなりと眠るに任せないで、自分で途中でブレーキかけようとしちゃうんでしょうね。でもその意識って、残り1~2割みたいなもんだから、結局すぐ寝ちゃう方に転ぶんですけどね。
9連の、虹やひこうき雲の表現も、ステキですね。

10連ですが、これくらい書いてもいいかも、です。

何度やっても
残酷なほど眩しい朝日で目覚め
意識と無意識の境目を
知ることはできないのだと
諦めたとき


そして大人へ。現在へ。
疲れてるのか、結構眠りが深そうですね。

今が朝なのか夜なのか
ここは一体どこなのか
 
わたしは
誰だったのか
 
からっぽな空へ
放り出されたような感覚に
早く脈打つ鼓動


これ、すごくわかるグッドな表現ですね。
一瞬ですが、今が昼なのか夜なのか、自分はどこで寝てるのか、探すことがあります。(日頃から、自分のベッド以外で仮眠を取る習慣がある人は特に、どっちにいるか一瞬わからなくなる。)

16連から17連への橋渡しのとこですが、修飾語取った方がスッキリしていいかもしれませんよ。

からっぽな空へ
放り出されたような感覚に
脈打つ鼓動

遠のいていく
今しがたまで浸かっていた夢の
名残惜しさを振り切って

こんな感じ。


終連。自身の幼児期の話から始まったこの詩ですが、ラストでは今は自分の子が幼児であり、お迎えに飛び出していくところでエンディングとなります。
これ、映像だと二人の幼児が重なってて、おもしろいでしょうね。表現上も、故意にそこを強調してもいいかもしれません。

うむ、細かいところちょっとありますが、名作を。
まどろみから寝落ちするところの瞬間、この意識と無意識の境目って、一度は書いてみたいテーマですね。果敢な挑戦が好感でした。

まったく余談ですが、眠ったら、このまま起きないんじゃないかという恐怖は、老人になると再燃しますよ。(まんざらウソでもなくなるので・・・。)


●温泉郷さん「我らのボール」  

いいねえー 実にいい。
情景がすごく浮かんでくる。
ずっと前から楽しみにしていたんだろう旅行が、台風でフイになった時の、少年のやり場のない気持ち。少年の立場でそれをどう発散するのだろうと思う。
この詩はそうしたケースを一つ体現したものだが、まだ少し波が高い海と、海に怒りをぶつける少年たちの砂浜での行動が、ささやか過ぎて、その子供ごころがいとおしくもある。少年の情感を表すのは難しいと思うが、見事に表現してくれています。
また、波が引いてから折り返してくる時の波頭にてっぺんにボールを当てるというピンポイントも、情景をより映像化してくれました。
「黄色」という色彩を入れたのもいいし、「われらのボール」という命名を入れたのも、3人の連帯感を表すにピッタリでした。
ボールを投げるのを失敗した時の皆の無言も、少年の心らしくていい。こうした場合、投げたものはたいてい最後に行方不明になるものですが、沖にむかう黄色いボールを描いてみせたのもキレイでした。
うむ、言うことなしです。旅行の予定がフイになった時の少年の気持ちも、ボールをなくした時の無言の気持ちも、その感情は直接的にひと言では言い表せないものです。複雑化してる部分の気持ちを、この詩はよく定着してくれていると思う。
名作&代表作入りを。

まあ、今の子供たちは、こういう発散の仕方はしないだろうから、ちょっとノスタルジックではあるんですが、このピュアで素朴な行動は、むしろ現代人の大人の中に、こころの故郷としてあるんじゃないでしょうか。
個人詩集出す時には、この詩を先頭にしてもいいかもしれないよ。皆それぞれ、子供のころ休日がフイになった時の思い出と重ねて、共感してくれそうな気がします。イントロにするに向いてます。


●上田一眞さん「追慕」  

文意から、青春のピュアな恋物語であったように思いますし、「瑠璃色の蝶の如く脱皮したあなた」の美しいフレーズもあります。
ただ、それと3連の「体臭」という、ちょっとなまなましくて、いい意味に使われることの方が少ない言葉が、そぐわないんですよね。ここがこの詩の一番の違和感で、まずもって、これをなんとか合わせたい。

ちょっと3連を変えてみるので、前後関係を確認してみて下さい。

西の彼方から白い雲
風 わが身に迫るとき
そのなかに
美しいあの人の香りを嗅ぐ

浜育ちで浅黒く
潮の香に似たあなたの体臭
ああ あなたは遠く
西海の小島にいるのだと…

十四のとき知り合い
二十二で別れたあなた
少女からめくるめく大人の女に
瑠璃色の蝶の如く脱皮したあなた


こんな感じはどうですか?
体臭に言及する理由としての「浜育ち」(だから当時から潮の香りがする女の子であったこと)。ついでに「浅黒く」としておくと、蝶のように脱皮したというところで、大人の女性への変化が出ます。
まあ、一案です。もしこれが、事実と余りに乖離してるようなら、別案を考えて下さい。
ともかく現行、「体臭」が、他の部分と合わなくて、すごく違和感あるので、なんらかの処理をしないといけない。(「体臭」という言葉自体を変えてもよい)

この詩は上田さんには珍しく短めで33行の詩。ちょうど同人誌なんかで、2ページ見開きサイズですね。そういう場を想定しての一作かと思います。
私、この詩の1~2連の序盤の入り方もキレイでいいと思います。
うーーん、おまけの秀作プラスで。


●上原有栖さん「人月譚(じんげつたん) 」

いや、全くその通りですね。月自体がなにかしゃべってるわけではないのに、古来より人は、月を見て、どれほどの物語を生んだことでしょう。月は時には神でさえあったのですから。今もって人は、精神的に月なしには生きられないのでは? とさえ思います。
人間生活に広く深く関わってる月なので、「創作」観点に絞り込まなくても良かったんじゃないか、という気もしてるんですが、後ろの3連では、彫刻、絵画、詩、音楽などの「創作」の観点に絞りつつ、それはそれでよく書けていると思います。後ろから2連目、好きですよ。月明かりが、苦悩の先に希望を生み出すように終わるのがいい。
起承転結に、思考を加えた構成力もしっかりしてますね。

うむ、いいでしょう。秀作あげましょう。いい詩でした。


● 天さん「ぶれっしんぐ」

なかなか筆が立つ人ですね。これ一作で文章力があるのがわかる。
もちろんこの詩の構想もおもしろいのですが、どっちかというと作者の文章力でもって引き込まれるものがある。

詩の解釈については、大きく分けて3通り可能ですね。
冒頭の「幾年も快晴」というところからして、非現実空間を予感させるし、「誰も彼も土の下」を(比喩ではなく)そのまま真に受ければ、この空間自体が天国か、と思えるものがあります。
別の解釈としては、誰も鐘を鳴らさない。誰も空を切り裂こうとしない。みんな寝てるのか、みたいな社会風刺的なニュアンスですね。
さらに言えば、「鐘」「讃美歌」「神」「ブレッシング」は、全部、「教会」に関わるものとも読めるので、ウェディング(だからその人個人に選択権がある)のことを言ってるとも読めます。
ただ、この場合であれば、「朝の讃美歌」は余計です。これがあると、ウェディングの話ではなく、「日曜になっても、みんな教会に来ない」の話に変わってしまいますので(「讃美歌」だけならOK)。

まあ、いずれにせよ、読者の方で好きに取って下さい、の書き方ですので、読者の方で好きに取ればいいと思います。明確にこれを主張したい、の書き方にはなってないので。

初回ですので、評価はつけず、感想のみ述べました。

編集・削除(編集済: 2025年03月17日 06:21)

三浦志郎様 評のお礼です  白猫の夜

三浦様、評をありがとうございます。
ご指摘ありがとうございます。タイトルと具体事例…ですね…。
恥ずかしながら、フレーズタイトルというものを初めて知りまして、新しい選択肢が増えたことを嬉しく思います。
行間に合った、柔らかめな言葉を考えてみます。
具体事例は、実は入れるか迷っていた部分だったので、先生のお言葉を頂きまして、書き改めてみようと思います。
ありがとうございます。
また、よろしくお願い致します。

編集・削除(編集済: 2025年03月16日 21:36)

三浦志郎様 評のお礼です 上田一眞

こんばんは。上田です。

なるほどよくわかりました。設定に少し無理があったようですね。

父が療養していたとき私は3歳でした。ご指摘のように、光のサナトリウムに行ったこの場面の他は祖父の葬儀以外にこの頃の記憶は全くありません。ただ不思議のことに、このときの光駅のプラットフォーム、首振りバス、療養所、虹ケ浜などは明確に覚えているのです。
その後母から聞いたことなど、記憶を補うものがあったことは確かです。母は看護婦でしたから父の病状に危機感を持ち、目の前が真っ暗になったとよく零していました。そのあたり詩作にあたって混在させてしまいました。不自然さが出てしまった原因だと思います。

現在の私が語るように変えることで不自然が消えるのならそれに越したことはありません。
この点考慮して書き直したいと思います。ご指摘ありがとうございました。

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