7月のみんなのネット俳句会は、管理人の白内障の手術と日程が重なるため、中止します。楽しみにしていた方には申し訳ありません。8月句会は8月5日開幕です。奮って投句願います。
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アイビーの俳句鑑賞 その4
献体の妣帰り来ぬ白芙蓉 (ナチーサン)
今月の互選最高点の句。非常に重いテーマを淡々と事実だけを記述した。なまじ情緒的な言辞が無い分、却って家族に哀切が浮き彫りにされたということが言える。家族の気持ちは、季語に「白芙蓉」を持ってきたことで、十分くみ取れる。
耳遠き母のスマホへ虫の声 (ダイアナ)
お母さんは耳が遠い。せめてスマホで虫の音を聞かせてあげようという、作者である娘の思いやりを詠んだ。口に出して読んでみて、非常に語呂がよく抵抗なく読める。これは俳句鑑賞で大事な要素だ。助詞の「の」と「へ」を逆にしても句として成り立つことが俳句の面白いところ。「耳遠き母へスマホの虫の声」。元句は娘から母への関係だが、後の句は、娘に第三者から電話がかかり、その場に居合わせた母に受話器を廻して、虫の声を聞かせた、という解釈もできる。
秋茄子や自然法爾(じねんほうに)に輝けり (茶々)
句意は、秋茄子が艶々と、あるがままに輝いているという意味になろうか。自然法爾という難しい言葉に馴染みがなく、入点が伸びなかったのかも知れない。秋茄子の美味を詠んだ句は多いが、色つやも黒光して魅力的だ。上五に切れ字「や」を使って切れがあるが、切らなくても俳句は成り立つ。上五で切れると、自然法爾に輝いているのは秋茄子とは限らなくなってくる。好みの問題で、どちらでもよい。
退院のまず入院や今日の月 (無点句)
以下に惜しくも無点句となった5句を取り上げてみたい。まず、この句は明らかに推敲不足と思われる。従って句意が読み取れないうらみがある。特に「退院のまず入院や」は再考を要する。
初秋に物価高凌ぐ焼き芋や (無点句)
この句は季重なりの弊が気になる。初秋と焼き芋が季重なりで、秋と冬がチグハグ。座五に切れ字「や」を置くがのは事例がないこともないが、句の坐りが悪くなり、私は反対だ。
里芋の水玉きらり葉が揺れて (無点句)
前句とは異なり、季重なりを恐れ過ぎという感じを受けた。里芋と露の季重なりを嫌ったのだろうが、「芋の露」とすれば問題ないし字数の節約にもなるのだが。
お持たせはフルールケーキ小鳥来る (無点句)
スイーツ好きの娘さんが喜びそうな句。注文のフルールケーキが出てきた。そこに、季語「小鳥来るを配したあたりはよいとおもったが。俳句は難しい。
暑気払い屋上渡る宵の風 (無点句)
この句は季語の斡旋を間違えた点に尽きよう。「屋上渡る宵の風」だったら、「暑気払い」ではなく「新涼」あたりを持って来てしかるべきだ。もっとも今年の暑さでは、新涼は思い浮かばないだろうが。暑気払いは、例えば酒を飲むとかに使いたい季語。
アイビーの俳句鑑賞;完了
原句 秋三度献体の妣帰り来ぬ
推敲句 献体の妣帰り来ぬ白芙蓉
献体のご遺体が、遺族のもとに帰るまでに3年かかったのは事実としても、私は断然、推敲句の方がよいと思います。白芙蓉と取り合わせることにより、格段に俳句の広がりが出ます。
献体の妣帰り来ぬ白芙蓉 (ナチーサン)
アイビーさん、この句への選及びご指導有り難うございました。
実は元句は「秋三度献体の妣帰り来ぬ」でした。後にありふれた感じがして「白芙蓉」にしましたが、朝に夕に色を変えるという
「酔芙蓉」も考えました。特選を頂いたかをりさんは「白芙蓉が嵌った」、と言われましたが、「即かず離れず」といわれる季語の扱いに悩んでいるこのころです。
アイビー主幹さん自然法爾(じねんほうに)の俳句を取り上げていただきありがとうございました。小生も何時お迎えが来るか分からないのでチョット発心の気分で句作いたしました。その背景には次のような契機がありました。 真宗のある寺のFさんは心惹かれた言葉を同朋新聞に書いておられます。・・・
晴れの日は枝が伸びる
雨の日は根が伸びる
・・・・親鸞聖人の最晩年のお言葉(じねんほうに)「自然法爾」を想う。・・・一本の樹も私も自分の力だけで生きているのではない。大いなるものに抱かれ生かされているのですよと伝えてくださっている。おかげさまの世界である。
アイビー主幹様に励まされた気がします。今後は「おかげさまで」人生を楽しみたいです。
なお、私の無点句にもご指導賜り有難うございました。
最高得点句の、献体の~の句から
軽く母とのスマホのやりとりを詠んだ句でしたが、数人の方に採って頂きとても嬉しかったです。母は会いに行って話すよりスマホで大声で話した方が通じ易くなっています😔でも毎晩大声で話しています😃
アイビーさんの助詞だけで状況が一変するのだ!と実感して驚きました😳鑑賞ありがとうございました🙇また、アドバイスよろしくお願いいたします🙇😃
アイビーさんご指導ありがとうございます。退院のまず入院です。これは実は100歳の義父が緊急で二週間入院して退院後は自宅でなくまた違う病院に入院だったのですが。。やはり俳句はそのままではいかがなものでした。推敲でした。教えて頂きありがとうございます。
9月句会の互選結果の記事のピン留めを解除します。ご覧になられる方はno.4272の記事までスクロールしてください。
明日29日から俳句三択クイズを行います。お遊びですから気軽に参加して下さい。
10月句会は10月5日開幕です。
2 耳遠き母のスマホへ虫の声 (ダイアナ) 6 ◎あい◎ふうりん
スマホの機能は素晴らしい。五感全てに対応しているように見える。難聴のの母とスマホ。そこへ虫の声。どう解釈すべきか。いろいろ楽しませてくれる句だ。
21 鬼灯を鳴らす昭和の音がする (ABCヒロ) 1
鬼灯と言えば先ず海ほうずきを思い出す。私の田舎では子供たちがこれを口に含み音を出す。この句は岡鬼灯、いずれにしても音色からは昭和の息吹きがする。最近そのような遊びが見られなくなり昭和は遠くなりを実感している。共感の句だ。
30 胡弓の音編み笠舞うや風の盆(和談) 8 ◎茶々◎ダイアナ◎ヨヨ
越中おわらの風の盆を現地で見たことはないがテレビでは何度か鑑賞している。解説を聞きその歴史や風俗を知るにつけ信仰に裏打ちされた厳粛の中にも男女の機微を織り込んだ歌詞の数々、踊りは単純な中にも情緒たっぷりの仕草など奥深い。この句の上五の胡弓の音色が全体を引き締め幽玄なものにしている。ちなみに作者は平成の時代奥様と現地で体験しているそうだ。
34 鉦叩石垣だけが残る城(弥生) 3 ◎ABCヒロ
選で迷った句。味わっていて三橋美智也の「古城」の歌詞を思い出した。かつて城を支えた石垣、上五の季語が切ない。
41 草は穂に浮いた噂は聞かぬまま(ABCヒロ)4 ◎落方、
なるほど。季語はこのように使うのですか。身近なところから句材を得ることの大事さを学びました。
79 叩き練る合い挽き肉や豊の秋 (ABCヒロ) 1
恐らく魚だろう。旬のものとすると鰯など数匹が思い浮かぶ。その新鮮な魚を叩き練るの措辞、やや乱暴だが実感がこもり好感が持てる。正に豊の秋だ。
86 初茸や仏は常にいませども
悩ましい句だ。だが捨てがたい。自分なりに解釈するもまだ消化されていない。作者の解説を戴きたい句だ
アイビーの俳句鑑賞 その3
真青の背手剝きて鰯だんご汁 (ちとせ)
鰯をさばく時、新鮮な鰯であれば刃物を使わず指で割く。その鰯をテーマにした一句。刺身もよいが、つみれの鰯だんごもまた旨い。魚好きにはこたえられない句だろう。「真青」「手剝き」ということで、説明しなくても鰯が新鮮であることが分かる。食べ物の句は、この句のように旨そうに詠みたい。
なぞなぞの答えに窮し葡萄食む (てつを)
お孫さんの相手をしていたのであろうか。他愛ないなぞなぞ遊びだが、子どもは限りが無い。いい加減うんざりしてたところに、大人でもてこずる問題が出た。ギブアップのタイミングを失ったてつをさん、仕方なくそこにあった葡萄を摘む。あり勝ちな一コマをユーモラスに描写した。こういう軽みも大切な俳句の要素だと思う。
おはぐろのつゐと入來る厨かな (落方)
おはぐろはオハグロトンボのこと。全身が黒く翅も真っ黒で、普段はなかなか見られない。人の生活領域に出現することは珍しいが、どういう訳か台所に舞い込んだ。どういう種類の蜻蛉なのか、ひとしきり話題になって、そのうち何処かへ飛んで行った。それだけの話だが、おはぐろのネーミングのユニークさとあいまって、あたかも一場の舞台を見るようだ。
娘らに背中押されて踊の輪 (ふうりん)
踊りの好きな人はともかく、普通の男性は盆踊りはどうも、という人が多いのではないか。それがどういう訳か盆踊りの会場の出向いた。最初は見物するだけだったが、一緒に来ていた娘に「お父さんも輪の中に入り、一緒に踊りましょうよ」などと言われ、慣れぬ踊りをする羽目に。とかく男親は娘に弱いものだ。
まだ来ない迷走台風まだゐたか (ヨシ)
一読して不思議な感覚におそわれた。一句の中で二つの時限が同時に存在するのだ。10号台風はさんざん迷走したが時速が遅く、いつまで経っても上陸しない、上陸したらしたでいつまでも動かない。「まだ来ない」「まだゐたか」はまことに実感だが、いずれも現在形を使っているのだ。つまり、一句の中に異なる二つの時限が、しかも同時に存在するのだ。作者が意図的に編み出した手法なのだろう。不思議な魅力があって面白い試みだ。
台風の目を観る神の眼の画像 (にゃんこ)
台風の目を下界から見ることは、我々人間の目でも見える。上から見ることが出来るとすれば、もはや神の領域だ。驚きを素直に表現すれば、そういうことになる。訳知り顔で「なに、あれは簡単なことで、人工衛星から送って来た映像云々、」などと解説してはいけない。そこまで言っては野暮というもの。神の御業がどうして画像になるかを詮索してもいけない。素直に神の御業を畏れ,感嘆するところに俳句があり,詩が生まれる。
下次号、不定期掲載。
真青の背手剝きて鰯だんご汁 (ちとせ)
アイビーさん取り上げてくださり、並びにナチーサン選句下さり有り難う御座います。お魚も値上がりして鰯は主婦の味方。骨も刮げて味噌生姜大葉を俎板に載せて包丁で叩く。啜ったお汁の美味しさ、皆様も是非。
おはぐろのつゐと入り來る厨かな 拾っていただきありがとうございます。
おはぐろとんぼが台所の網戸を開けると身を翻してさっと入ってきた。
蜻蛉は精霊に通じ霊を載せているので取っては駄目と子供のころから言われてきた。
特におはぐろは身にまとわりつくことが多く親しい。外へ出してやるのに苦労した。
因みに蜻蛉は秋の季語だがおはぐろは夏。あかねよりだいぶ早くから出るからかな。
アイビーさん、お纏めありがとうございます。
今年は九月になっても暑いので体調にお気をつけてくださいませ。
★12 風の盆神も佛も姿付けて
風の盆いうと、「風の盆恋歌」なんてありますけど、嫌いですね。
ストーリーにからみだけなら、「愛の流刑地」がほうがなんぼか潔いです。
なのですがすがしく神も佛もがええわー。
★14 賢治忌やカタカナ文字の詩を謡ふ
賢治の歌は三行であったり、カタカタという近代に託した。
カタカナ文字謡うがあれですよ、カタカナ文字を口笛に、くらいの軽さに。だけどいい句ですねえ。
★65 台風の目を観る神の眼の画像
こうなったら神も出そう。爽快な割り切りをいただきました。
★80 秋声や在りて見えざる父の星
父上の小言から教えまで、懐かしい。秋の声とはそういう郷愁のこえですよね。
秋声やで切ったのがいいです、さて皆様はどういう声を聞いておられるのでしょう。
★84 聞き役の吾枝豆の莢の山
平凡な日常という言葉はけなすことではありません。ユーモアがまさり、秋の楽しい生活句区。
お疲れ様でしたとお声をかけたくなる楽しさをいただきました。
★85 弥生杉地に還るらし島は秋
万物は流転す。大きく詠んで、島の秋でしっかりと締める。
それによってしらざる弥生杉が屋久島の杉のごとく抱きしめられぬ骨太の自然を感じます。
★★95 献体の妣帰り来ぬ白芙蓉
献体に携わった自分はまず、いただきました。献体に出すと暫くはもどらず、通常秋に献体祭り後の戻りとなります。
白芙蓉は出来すぎの季語ですが、見事にはまりました。
★96 頬に触る風変わりゆく葉月尽
今年も暑いです。とても若々しい感性、見習いたいです。
触る、触るる論争は、ここでは不問にしたいです。詳しい方のお話があれば・・・・
聞き役の吾枝豆の莢の山
拙句を取り上げていただき有難うございます。私も寄る年波で聞き役に回ることが多くなりました。若い頃の私は、立て板に水を流すという訳にはいきませんが、かなり理屈っぽい方で相手を辟易とさせることもしばしばでした。飲み屋なんかに行って酒のあては、安くて間が持てる枝豆にとどめをさします。
★★95 献体の妣帰り来ぬ白芙蓉
かをりさん、特選に推挙いただき光栄です。妻の両親は二人とも献体をしていまして岳父は10年前に献体し3年目に帰ってきました。呼び出しを受けた火葬の際には関わった5名の医学生が共に骨を拾って下さり待ち時間にはいろいろお話も聞けました。
この度の義母は1年での帰還になります。10月初めとの案内が来ていますが短縮されたのには最近の医学事情もあるようです。
私も最後のご奉公として献体をと思っていますが家内を始め家族の了解が得られません。ただ、献体に関しては本人の意思の他、家族の複雑な思いが錯綜していることは確かで最近の悩みの一つです。
日時 十月六日(日)
会場 武豊町中央公民館一階
第一・二会議室及び教育研修室
招待選者
斎藤朗笛先生
受付 十一時より
出句〆切 十二時三十分
出句 当季雑詠五句(未発表作品の事)
会費 五百円(参加粗品呈上)
賞 選者特選・入選若干
武豊町民文化祭実行委員会
担当武豊俳句会(代表・坂靖久)
電話(0569-72-4015)
私玉虫の所属する武豊俳句会が年一度、斎藤朗笛先生のお顔を見ての俳句会です。
小さな会です是非皆様の俳句を勉強させて頂きたく、アイビーさんに勧められて
ご案内致しました。
ナチーサン、ありがとうございます。
私は新参者でして、武豊の俳句大会には、去年初めての参加でした。
俳句もまだまだ初心者でして、朗笛先生の添削で赤ペンだらけ。
毎月の句会は互選で、後から朗笛先生のご指導を頂いています。
初心の怖い物なしでして、今年はすかんぽの句会に行ってみました。
白桃は先生のお誘いで参加しましたが、毎月の20句に汗をかいています。
どうかよろしくご指導下さい。
名乗りは「水心」でした。
大福会へ入会して間もなく神谷さんの車に同乗して仲間数人と武豊町民文化祭俳句大会へ参加させていただきました。その時初めて朗笛先生にお会いし白桃への入会を勧められました。句会は和やかな雰囲気で進められ常連の方がダブルで特選になったのを朗笛先生の配慮で私の句が繰り上げ特選となり書状と敏弘作の絵画を副賞に戴きました。部屋に飾ってありますが、日付は令和元年九月二十二日とあります。玉虫さんひょっとして同席されていました?
将棋王座五番勝負第2局が名古屋市で行われ、藤井聡太王座が永瀬拓也九段に123手で勝利しカド番とした。この勝負序盤の早いこと早いこと好漢あっという間に70手ほど進んでしまった。しかも38手までは全くの同型。序盤はほぼ互角だったが永瀬のミスもあり少しずつ差は広がり王座の連勝となった。招待者とのセレモニーの後の感想戦は立会人を交えての和やかなものとなった。検討の度の駒のやり取りは目の回る速さだ。考えながら駒を弄ぶさまなど本番ではありえない。一つの発見は挨拶の際の藤井の頭の下げ方、以前は極端に長かったがやや短くなった。相手に合わせるようになったのかも。
夕食は藤井が名古屋コーチンの天津飯、永瀬は三河一色の鰻によるひつまぶしと地元名古屋ならではのものとなった。
次回第3局は9月30日京都市で行われる。好漢永瀬の奮起が期待される。
アイビーの俳句鑑賞 その1
釣り人の魚篭に初秋を尋ねをり (かをり)
普通は釣り人に「釣れますか」と声を掛けるが、この句は魚籠を覗いてみて秋を感じたのである。初秋の鯊釣りは類句が多く、ただ当たり前の鯊釣りの光景を詠んだのでは、それこそ掃いて捨てるほど類句がある。そこで作者はちょっと捻りを加えた。これで俳句の印象がずいぶん変わった。鯊という言葉がひとつも出てこないところが作者の仕掛なのだ。
敬老の日二言目にはキセル打つ (えっちゃんあら)
作者のえっちゃんあらさんの父上のことを詠んだものか。「キセル打つ」から、昔ながらの刻み煙草と思われる。たったこれだけの描写でお父さんの人生や為人までもが、読み手に想像できるのだ。実直で、一刻で、少し古風な人物像が浮かんでくる。俳句の玄妙さを感じる一句。上五はもっと良い季語がありそうだ。
弥生杉地に還るらし島は秋 (ABCヒロ)
弥生杉は屋久島に自生する、太古からの杉で樹齢数百年というのも珍しくない。中には枯渇する木もあるが、「地に還るらし」と言い留め、人の手を拒絶する杉を表現した。大自然の営みの前に、人は敬虔な気持ちで頭を垂れる。
預かりし犬に連れられ野路の秋 (森野)
犬の世話を頼まれた。軽い気持ちで引き受けたのはよいが犬の世話というもの、まず朝晩の散歩、病気、食事と意外に大変なのだ。いくらか後悔したものの、悪いことばかりでもない。朝晩の犬の散歩の道々、何時もは気づかなかった秋の気配を、そこかしこに感じたられたことが第一だ。そんな気分をうまくまとめた。
数独を口論しつつ夜の秋 (ヨヨ)
まだまだ暑い日が続くが、それでも日没時間が早くなったと実感する昨今だ。秋の夜長というやつだ。無聊にまかせ数独で時間を潰すヨヨさん。時間つぶしの筈がだんだん本気になる。横合いからあれこれ言われては気持ちが集中できない。そこでついつい口論になる。微笑ましくも平和な家庭の、秋の雰囲気を出している。
晩学や絶対旨いふかし芋 (あい)
「晩学」は本職の農家ではないが、最近になって家庭菜園を目指して色んな作物に挑戦しているという意味か。絶対旨いと自信満々に言い切ったところに、得も言われぬ俳味を感じる。これだけ自信を持って言うのならさぞ旨い薩摩芋が出来るのことだろう。ただ上五はもう少し推敲をしてみてはどうだろう。
無点句は最後に纏めて取り上げます。
以下次号、不定期掲載。
アイビーさん、ありがとうございます。
釣り人の魚篭に初秋を尋ねをり 彼は無能の石売といふ かをり
つげ義春の「無能の人」から発想をとばしました(プレバト風)ああ、私はプレバトのファンですw
アイビーさん推しのハゼではなく、一応落ち鮎。大雑把に季節を捉えるのが好きです。
ナチーサンとアイビーさん鑑賞ありがとうございます。上手く俳句詠めないなあと思う時にいつも鑑賞して頂くとまた頑張って👊😆🎵みようと思います。私もいつか背中を押して感謝されるように俳句上手くなります。言ってしまった。。。ここは忘れてください。
アイビーの俳句鑑賞 その2
門限は破つてなんぼいぼむしり(コビトカバ)
門限破りが開き直って「何が悪い」と嘯いている、実にけしからん句。けしからんのだが,どこか愛嬌があり憎めない。あたかも派手なパフォーマンスをしながら、どこか間が抜けているカマキリのように。この句は二物取り合わせの句だが、季語にカマキリをもって来、しかも蟷螂でなく、いぼむしりとしたところに作者のセンスが光る。
賢治忌やカタカナ文字の詩を謡ふ(玉虫)
戦前の小学校は平かなよりも先にカタカナを教えた。また、役所の公用文もカタカナ混じりの漢字で書かれていた。今よりカタカナが身近にあったのである。宮沢賢治のあまりにも有名な詩「雨ニモ負ケズ」はカタカナで書かれている。そういう故事を踏まえながら、この句を味わいたい。なお、「うた」ふの字に「謡」をあてたのは何か理由があるのであろうか。
胡弓の音編み笠舞うや風の盆(和談)
最高点に次ぐ8点を得た句。胡弓のものがなしい調べに乗せて、揃いの編み笠で踊る「風の盆」。旅情を誘うフレーズだ。菅原洋一さんの名唱を彷彿とさせる。ただ印象としては大人し過ぎると私は感じた。もっと踏み込んだ表現があってもよかったように思うのだが。
台風に忙中閑ありじいっと待つ(ラガーシャツ)
最近の台風は、史上空前とか大型で強いとかの詳細な表現をされる。伊勢湾台風に匹敵する10号台風は,迷走に迷走を重ね、来る前にこちらが草臥れてしまった。準備万端整えて備えても、台風の速度が遅すぎた。と言ってほかにやることもない。忙中閑ありという次第。
鉦叩石垣だけが残る城 (弥生)
天守閣を具えたお城ではなく、砦と言った方が相応しいような城。城とは名ばかりで石垣の一部が残っているだけでも、村おこしには大事な観光資源だ。宣伝に乗せられて、行ったのはよいが「何、これだけ、、」というケースもままある。がっかりと言うか、予想通りというか、鉦叩が鳴いているばかりだ。
合宿のオーボエの子の夏終る (尾花)
高校受験を控えた中学3年生か。吹奏楽部に所属し、最後の合宿に出かけた。3年間打ち込んできた部活、それも終わってしまった。明日からは受験のための勉強だ。中学生と言えども、「夏終る」の楚辞に一抹の哀歓をおぼえる。「オーボエの子」の一言で、吹奏楽部、受け持ちの楽器、受験生といったことを全て分からせるお手並みは見事。
以下次号、不定期掲載。
雨ニモマケズ
の賢治の詩が好きです。詩と言っても本人が発表した物では無いとか?
しかし私はこの詩を普通に読めないのです。圧倒されて。
あらゆる事を自分を勘定に入れずに・・・
青森に暮らしたことがあります。友達がこの詩をまさに朗読しまして
東北弁と言いましょうか?その訛りこそ此の詩に相応しいのです。
優しいイントネーションです。謡うのです。
謡うを使ってみたのはそんな理由でした。
ほんとにけしからんですよね(u_u)
私はカマキリが凄まじく苦手で、だからなのかなんなのか、カマキリをお題にした句がどんどん湧いてきます。
何故だろう。
選句鑑賞がとても参考になりありがたいです。
アイビーさん、ナチーサンさんの選句鑑賞を読んで気づかされることがいっぱいあり、自分の句ではなくても「そういうことだったのねぇー」とか「そういう見方もあるのね!」とか自分では気がつかなかったことを発見してその句がイキイキと見えてきます。
これからもどんどん教えてください。 他の方の選句鑑賞も投稿してくれないかなぁーと期待しています。
57番のオーボエの句ですが、おっしゃる通り中3の孫が、毎年美浜町に2泊3日の合宿に行きます。今年は少年自然の家でした。
先輩後輩の関係もひと昔前のように厳しくないようで楽しんできたようです。 ただ高校受験のない学校なので、それなりにの~んびりしています。
森野さん、特選に選んでくださりありがとうございました。