>小説が人間世界を描写しているのに対して、映画は物語が個人(ジョージ)に帰してしまう
成程、映画を観て私が感じた違和感の一つはそこか…。先日伊藤計劃『ハーモニー』の映画版を観た時に抱いたのと同じ違和感ですね。あちらもラストが改変されていて、伊藤氏の投げ掛けた「人類にとって意識とは何なのか」という壮大な問題提起が、単にミァハとトァンの百合的な関係性に矮小化されていたのにガッカリした記憶があります(今思い付いたのですが、そう言えば「己が犯した罪を自覚しない(出来ない)天真爛漫&天衣無縫な相棒に対し、主人公が断腸の思いで裁きを下す。」という構図面で両作品は良く似ていますね。尤も『ハーモニー』の場合はほぼ主人公の私的な復讐に拠るものですが)。
あと私が、御大の言う「物語が個人(ジョージ)に帰して」しまっていた映画版を観て抱いたもう一つの違和感は、原作には無いラストシーンの付加ですかね。映画ではジョージがレニーの射殺後に農場を去り、月光の差し込む夜行列車の貨車の中を一人まんじりともせず膝を抱えて座り込み続ける描写で終わります(確か)。恰も「これまでレニーを支えていたのは俺だとばかり思っていたが、俺の方こそレニーが居ないとダメだった」ことを窺わせるかのように…まぁ一つの解釈としてアリだとは思うんですが、万人向けの分かり易さを意識し過ぎているというか、個人的にはちょっとなぁ、という感じでした。
さて、スタインベックと言えば次はいよいよ『怒りの葡萄』の出番ですかね~w(チラッ)。
>負動産を捨てられるようになりました
これ、私もGW頃に偶々知りました。私の場合は実家の土地(母が独り暮らしをしていて、私の家族は県外に住んでいる)について②の「相続土地国庫帰属制度」が当てはまりそうかな。
将来的に取り敢えず相続だけはしておいて、やっぱり要らないなと判断したらこの制度を活用しようかなと考えています(ところで実家の土地の一部が竹林なんだけど、それでも引き取ってもらえるのかしら?引き取ってもらえるとしても負担金(10年分の土地管理費相当額)とやらが相当掛かりそうだなぁ(苦笑))。
まぁどうせこれから全国的に続々と判例が積み重なっていくでしょうから、またぼちぼち判断させて頂きます。
>そこで彼が行ったのはアンダーグ・エナジーによる治療
>つまり今の彼女はアンダーグ・エナジーによって生かされている
どの道バッタモンダーの介入が無ければ隊長はそのまま○んでいた訳ですから…「今や悪の力によって露命を繋いでいるに過ぎない隊長を見るに忍びない。ゾンビ化した師匠を葬り去ることこそ武士の情けでありヒーローの務め」ってソラのように純粋じゃない私は考えるかな(苦笑)。女児向け教育番組とは全く無縁の解決法ですが。
>今週の読書
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E5%90%9B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%B8-%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A3%E5%AD%90%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E5%8C%BB%E3%81%AE%E8%B4%88%E3%82%8B%E8%A8%80%E8%91%89-%E4%B8%AD%E4%BA%95-%E4%B9%85%E5%A4%AB/dp/4120049213
読書好きの小学校高学年向けを想定して書かれたらしく、本編は80ページ程度の分量で文章も極めて平易。しかし「いじめが進行していくプロセス」の的を射た分析の深さには思わず唸らされました。著者によるといじめは「孤立化」「無力化」「透明化」の三段階で進行していくのだとか。ラストの「透明化」の章から以下一部引用してみます(↓)。
◆◆◆
…この段階では、被害者は孤立無援で、反撃も脱出もできない無力な自分がほとほと嫌になり、少しずつ自分の誇りを自分でほりくずしていきます。…… 被害者はだんだん、「その日ひどくいじめられなければいいや」と思うようになります。いじめのない日はまるで神の恵みのようです。やがて被害者はこの恵みを、加害者からのありがたい贈り物だと感じるようになります。……
こうなると、加害者はたとえば今日だけは勘弁してやるという「恩恵」で、「透明化作戦」に被害者自身を協力させることだってできます。そんな時、被害者は大人の前で加害者と仲良しであることをアピールしたり、楽しそうに遊んでみせたりします。加害者といっしょに別のいじめに加わることもあります。その時、加害者は被害者がいじめる側に加わっていることをまわりの人にわざと見せます。このことで、被害者は「自分は被害者だ」という自分の最後の拠り所さえ奪われます。……
この段階までくると子どもは、大人から「誰かにいじめられていない?」と聞かれると激しく否定し、しばしば怒りだします。…… それは「何を今さら」「もう遅い」という感覚ですが、それだけではありません。
自分のことは自分で始末をつけるということは、人間としての最後のイニシアティブの感覚です。ここで大人に「もう自分はだめだ」と自分を委ねてしまうことは、大人の介入によって自分に最後に残った感覚をあてどなく明け渡してしまうことです。激しい否定と怒りは、その時に感じるだろう喪失感を先取りするためでもあるのです。
明け渡しても得るものは期待できそうにない。それなのに自分の中に残っている最後のパワーをむざむざ明け渡してしまう。この喪失感は、そうした目に遭ったことのない幸福な大人には理解しがたいものかもしれませんが、ぜひ理解しなければならないものです。(本書p.52~60)
◆◆◆
「100分de名著」で紹介されたことが切欠で中井氏の著作は他にも読んでみましたが、患者や事象全般に対する洞察力が半端無いという印象でしたね。他の著作も追っかけてみようかなと改めて思いました。
>スキップとローファー
終盤でもう一捻りあるかなと思ったんですけれどね…まだ原作が完結してないのかな?
>江戸前エルフ
こんな見るからに「異形の存在」が、関東大震災前後や先の大戦時をどうやって生き延びたのかが不思議で仕方が無いw…あ、エルフは不死身だから平気なのか。
>戦闘中に科学説明するのはテンポ悪い
スプリガンやARMSの悪口はそこまでだ。粉塵爆発を知っている日本人、だいたい漫画やアニメで知った説。
>ポジティブ心理学
>自身の能力と取り組む課題の難易度のバランスがマッチすると~幸福感を感じる
そういう文脈なのね。でも、まずそんな環境がないし、最初からあったとしてそんな思考になるかと言えばならんしなぁ。色んなこと経験した上で身の引き方・攻め方を掴むものだし。それが出来るなら別に人の助言聞かんでもいいという。
相手を理解できなくても一緒に暮らせるようにするのが知恵なんだけど、人間にそれがあるかは知らない。
>国語辞典を徒然なるままに読書
私も読んでたことある。
>二十日鼠と人間
本の薄さに反してラストがズッシリ来る作品。
悪意がなくても傷つけてしまうレニー、相棒を撃つしかなかったジョージ、彼を慰めるスリム、スリムの行動を理解できないカールソンに示されているように無理解と共感、暴力と優しさ、孤独と絆、それらが同居する人間のやるせなさが作品全体の基調になっていますね。ラストシーンの光景それ自体が意味を持っている。
映画は未視聴。ネタバレ感想から察するに映画は喪失や孤独を背負って進むことにフォーカスしたようですが、原作が響いた人ほど解釈違いだと感じるかな。小説が人間世界を描写しているのに対して、映画は物語が個人(ジョージ)に帰してしまう。
>スキップとローファー
結月と誠の「(偶然じゃなく)友達になった」感好き。
>江戸前エルフ
まったく小学生は最高だぜ。
>魔法使いの嫁
みんな腹に何か抱えたまましゃべるのやめてくんねぇかなw
>ヒモタイクーン
主要な登場人物が自立してないんだよね。信念持っているようで何かに寄りかかっているだけで。それが無くなるとみんな発狂する。
>愛想が尽きてる
損切りできて偉い。でも逃げんじゃねぇぞ。俺は(最終回から)逃げねぇからよ……
>イヤイヤ期
1度だけではないですし、エルくらいなら第1期としてはアリと思います。
>ハーブティー
「リラックスできる…」と聞いて反射的に「ハーブティー」と私も口にしてました。
何かで知ったんでしようね。淹れるのたいへんそうなんでスティック緑茶とかでも全然いいんですけど。
>あれを知ろうとするとこれも知りたくなる…
これ、暇だった若い頃、国語辞典を徒然なるままに読書していたことを思い出しました。
>学ぶことは無駄にはならない、とか
こういう話をやると、テレビ朝日で見ている東日本勢としては、以前はNETだったっていう話を思い出します。
テレビ朝日になる前はNET=日本教育テレビだったんです。
今改めて調べてみたら、もう46年も前でした。わたしが中学生になったとき、もうテレビ朝日だったのか。
>モチベーションに他者を必要
一匹狼として何をするにも自信を持てる人や、他人に関係なく自らの意思で動く人ももちろんいると思いますが、
やはり、3人4人…と揃えば、他者のために…という気持ちが強くなっていくような気はしますし、
そのほうがいろいろと話も作りやすいのではないかしら。(そんな安易な話ではないか)
でも、定番の「絶対に許さない」もプリキュアでは相手がいなければ成立しない台詞。
(「こんな自分、絶対に許さない」だとしたら、あんな物理的な力を使う必要はなさそう…)
ツバサ回ってツバサが関わる相手のバリエーションが、他のキャラ回より豊富な印象があります。
今回の展開は、「空を飛んで何をしたいか?」が無かったツバサを考えると、結構自然な情熱の冷め方だと思いました。
ましろに限らず、今作のキャラはモチベーションに他者を必要としていると感じてます。
求道者の気配があるソラやあげはでさえ、守るべき人々や世話する子供達を必要としている。ガチ求道者であるはるか程、道を抽象化できていないからかな?
>このアニメどんだけ山札に「山カード」入ってるんだよ。
不安要素はそれだけではない…国王夫妻の呪いを解くゲージが、後2回程で満タンになるのだ…!
そうなると再び山札に「夏休みはスカイランドで過ごす」が入っている可能性が上がってくる訳で…僕ちょっとミラーパッド割ってくるわ。
>生ゴミで肥料を作る
実家でもやってますけど、あんなに綺麗な状態にはならないっスね(苦笑)。
生ゴミの上から土を被せない所為かも知れないけれど、兎に角臭いはキツいし虫という虫が纏わりついて来るしで、あんまり関わり合いになりたくない。
>知力は戦闘力
ああいう頭脳戦、直感に反する現象が起きる度に解説しないといけないから、テンポ悪く見えたりもしますね。
Dr.STONEもバトルの真っ最中に科学知識を使う展開は割りと少なかったと思います。
>口がカレーの口になっていた
昔どっかで聞いた事ある様な言い回し。所謂「ラーメンスイッチ」的な意味だったと思います。
この調子だと、夏休み明けにはツバサも学校に通うかな?設定だけ存在していた名字を遂に使う時が?!
>「幸せとは、とどのつまり、それぞれの能力を百パーセント発揮することでしかない」
お、ポジティブ心理学に関係の深いチクセントミハイ先生じゃないですか。
ここでの「幸せ」とは、恐らく「フロー」の事だと思われますね。
自身の能力と取り組む課題の難易度のバランスがマッチすると、課題に取り組む行為そのものが報酬となって幸福感を感じるって話だったと思います。
まぁ、個人的には難易度設定が無理ゲーレベルで難し過ぎると思うんですけどね…(苦笑)
サイエンスライターの竹内薫氏が、ギフテッドに理解のある学校の校長をやっているのですが、そんな学校でさえ教師の無理解によるトラブルが幾つかあったんだとか。
そんな子供達がこの学校を卒業すれば、更に無理解な大人達を相手にして生きて行かねばならないのか…と嘆いておられました。
…対人関係のコストを考えると、「仕事はできるけど相手にするのが疲れる相手」より、「仕事は並みだけど普通にコミュニケーションが成立する相手」の方が採用されるのが普通だよなぁ…とは思ってしまいますね…
>魔法使いの嫁
>1期とスパンが空いていることと、登場人物が多い&関係性も複雑
これで更に分割2クールでやるってんだから、いよいよ最近のアニメは原作販促が目的化してるんじゃないかって気がしてくるんですよね。
登場人物が多くなるのは連載漫画の宿命だとは思いますが、その為のキャラの書き分けが上手い作品はなかなか無いですね。
ゴールデンカムイの男軍人所帯とか流石の僕でも混乱してます。それに比べればまほよめはナンボかマシだし、Dr.STONEの書き分けは神。
>甲乙ドンマイ
息をする様に嘘設定混ぜてくるよね。まぁ、歴史上正しい設定を描かなきゃ…って気負うと、その手の警察の餌食になるだけなので健康的。江戸時代蘊蓄もちゃんと裏取ろうってモチベにもなる。
そういう、並の作品なら持て余しそうな設定の数々を、ドラマに落とし込むのが上手い作品だったなって印象。
>スキップとローファー
ぼ、僕は最初からリリカちゃんもそれなりに良い子だって信じてたし…(震え声)
こういう人生を見習って、こういう人生を生きて行ける様に頑張りたいよね。どーせ、もっとシマスケの闇エピソードとか拗らせた方が世の中にはウケるんだろうけれど。
聖人も聖女もいらない。自分に正直に生きる勇気さえあれば良い。
>プロスペラ「母は強しよ。」(狂人的な意味で)
ミオリネの母親、今になって異常さが目立っているけれど、そもそものクワイエットゼロの開発者って時点で相当マッドな人だったと思うよw
停止コードの件は「爆弾解体してたら最後に2色のケーブル出てきた」っていうのと同じテンプレ展開なので、深く考える意味がない…ていうか考える気が失せた。リアルロボットアニメの切り札として陳腐過ぎる。
それ以前に、学校に引き篭もっていた事を良い事に、怒涛の後出しジャンケンで話を畳もうとしてる時点で愛想が尽きてるんだけど。
>タイクーン
「覚醒」とか「闇堕ち」とかっていうより…圧倒的に「ヒモ」って印象が強過ぎるwww
ダークヒーローじゃなくて、ただのダメ人間じゃんww
関心の赴くままに読書やらYoutube巡りやらをしていると、互いに全然関係無いと思っていた事柄が一本の糸で結ばれていたことに気付いて驚くことがままありますね。毎回あの感覚は何ともいえず快いものがあります。
例えば、岩倉使節団(1871年10月~1873年9月)の主要メンバーだった木戸孝允・大久保利通・伊藤博文など、当時の政府の重鎮らが不在の間は西郷隆盛(・山縣有朋・井上毅ら)が留守政府を任されるんですが、彼は(クーデターこそ起こさなかったものの)木戸らと出発前に結んだ「留守中に重要な改革はしない」との約束を反故にして、学制(1872年8月・教育制度)、徴兵令(1873年1月・兵制度)、地租改正(1873年7月・税制)の、後世高く評価される「明治の三大改革」を断行してしまうんですね。後に西南戦争で逆賊として討たれることになっても西郷隆盛が賞賛される理由はこんなところにもあるのかなと改めて納得した次第です。
>ジェンダーギャップ指数は男性をどれだけ冷遇してもポイントは下がらない
>女尊男卑にするとポイントが上がる。そういう指数
大変興味深い記事を有難うございます。末尾の結論部分には大きく頷かされました(↓)。
―――
未だに日本には男女格差があり「ジェンダーギャップは是正されるべき」との意見に賛同する方は少なくないでしょうが、「ジェンダーギャップ指数を改善すべき」と言った瞬間に、主張や物事は全く別の方向に進んでしまうのです。
―――
余談ですが、日本で女性参政権(選挙権・被選挙権共に)が初めて認められたのは1945年ですが、その翌年に実施された第22回衆議院選挙(1946/4/10)で女性国会議員は39名誕生しました(当時の定数466名に対し、率にして8.4%)。これは大抵の中学公民の教科書に記載されているため割と馴染み深い事実なんですが、翌47年の第23回衆院選で既に急落し、以降ほぼ半世紀の長きに亘り2%前後の超低空飛行を続けます(↓)。個人的には折からの土井ブームに乗って「マドンナ旋風」が吹き荒れた1990年(平成2年)総選挙ですら、(立候補者は増えたものの)女性の当選者は左程増えていなかった(12名/定数512:2.3%)というのが正直意外でした。
https://www.gender.go.jp/research/kenkyu/pdf/gaikou_research/2020/07.pdf
https://www.gender.go.jp/research/kenkyu/sankakujokyo/2001/1-1-2.html
一方で参議院が着実に女性議員の割合を増やしていっているように見えるのも面白いですね。衆議院もせめて参議院並みに、もう少し「ジェンダーギャップは是正されるべき」ではないかしらん。
>参考文献に『砂糖の世界史』がありました
偶々手元に持っていたので改めて参照したら…ホントだ、動画の内容が全部載ってました。すっかり忘れていましたわ(苦笑)。改めて読むと、新書としては異例のロングセラーを記録しているのも納得の充実した内容でしたね。
>図書館行くと一度に大量に絵本借りてる人
最寄りの図書館だと「一度に借りられる本の上限が10冊」だったりするんですが、割とこれが理由じゃないかと思っています(笑)。こっちが良かれと思って巷で高評価の絵本を買ってきても、我が子が気に入るかどうかは別ですからねぇ。まずは図書館の絵本を試しに読み聞かせてみて、愛娘らのウケが良かったら改めて買い求める…というのがコスパ的に見て正しいやり方でしたね。上の愛娘があげは同様に新成人を迎えた今となっては昔の話ですが。
覚醒タイクーン 日本刀使います
シュバルゼッテ 斬馬刀の中から日本刀出てきます
>水星の魔女
共通の敵を作って倒す→共通の敵を作って倒す→共通……で、結局このアニメは何と戦ってるの?w
プロスペラが変えたはずの停止コードが何故かトマトの遺伝子コードで、ミオリネが「お母さん!」って叫ぶシーンに困惑したんだけど、これは
システムの発案者がミオリネの母親で、停止コードのバックドア(母親のアカウントか?)に「自分が創ったトマトの遺伝子コードを解析すると出てくるワードを知っていることを前提にした」質問を設定していた。
っていう一体何を想定してそんな仕掛けをしたのかまるでわからないことをさらりとやられても視聴者の大半は意味がわからないと思うんだけど。画面に英語が並んでたけど読めねーよw 母子の重要なシーンなんだからわかるようにするべきじゃねーかなぁ。どーせスレッタなんて逃げ回ってるだけなんだから戦闘シーンカットしてセリフの一つや2つ足せたと思うんだけどさw
>絵本
図書館行くと一度に大量に絵本借りてる人いて、ああそういうことなんだな~って思いましたねw
>ジェンダーギャップ指数:アイスランド12年連続1位の強さの秘密に迫る
https://note.com/radert/n/n889121da2e38
分析ガチ勢が解説した記事なんだけど、アイスランドの漁業が日本と比較して人口比100倍以上の漁獲量があるらしい。
ーーーーーーーーーー
従って男性の大学就学率は低いのですが、漁業や水産物加工業等関連する職業につけば高給が(ある程度)約束されるのでQOLは下がらず、またこうして男性が危険な仕事に集中する事で多くの女性が大学に進学し、自ずと専門職・技術職に就く割合も増え、GGIで1.000以上のスコアを獲得する事に繋がっているのです。
こうしてアイスランドの女性は水産加工業の管理者や会計業に携わったり理系の知識を生かしてIT業務に就き、経営者となることでQOL、ワークライフバランスは向上します。また大卒者は女性が圧倒的多数の為、国会議員や首相になる人材も豊富でGGIの政治部門で無類の強さを発揮するのです
ーーーーーーーーーー
へー、そういう産業構造になってるのね。ちなみにジェンダーギャップ指数は男性をどれだけ冷遇してもポイントは下がらない。女尊男卑にするとポイントが上がる。そういう指数。
>プロパンガスの闇
今のアパートに引っ越したときガス屋の人が給湯設備の調整してたけど、アレもガス屋が斡旋した設備だったんだろうな。
>世界はひも
声優のしゃべりしか頭に残らねぇ。
>資本は不断に生産方法を改善してはいかないのです
>いっぺん資本を投じるとどうしても固定資本があるのです
町工場で未だにPC98時代のパソコンやマイコンが使わてる…みたいな話ね。フロッピーとかまだ使われてたりするし。社会全体で見れば新旧入り交じって設備が存在してるからポンポン人の手が余るわけじゃない。で、現実は人口減少で労働力不足になっていると。
>新興勢力が旧勢力を政治的に駆逐
アメリカでいう北部(工業地域)と南部(農業地域)の対立みたいなもんだね。何か聞いた話だなと思ったら参考文献に『砂糖の世界史』がありましたね。
>魔法使いの嫁
ながら見で視聴再開。1期とスパンが空いていることと、登場人物が多い&関係性も複雑でなかなか厄介。とりあず主人公が陰キャなわりに顔が広いことだけはわかる。さすが巻き込まれ主人公。あと隙あらば水没するのもう芸だろ。
カルタフェルス(なんかよくわかんねーやべー奴)の声、Dr.STONEの銀狼の声と同じでついでにツバサと一緒とわかって芸風広いなと思う。
「いっしゅうさん、無理しているのでは…」(CV:ソラ・ハレワタール)
「優しさは強さ」だとして、それをどう表現していくか?という課題に対する答えとして、創作物の世界観を使うのはとても面白かったと思います。ペンもアピールできるしw
基本的な考え方や発想が優しい、と言えるのかも知れません。
>もっと居たような気が
周囲の大人の職業も含めれば、ライター系の職業自体は多いものの、絵本に絞ると少ない感じですね。
医者や芸能系も多そうですが、獣医やモデルなどと分類していくと結構少ない感じ。結果的に綺麗にバラけてると思います。
>エルちゃんはイヤイヤ期?
ツバサも言ってましたが、イヤイヤ期って意外と歳を取ってからなる事が多いみたいですね。アイちゃんが早過ぎたんや…
エルのそれは、我の強さ、拘りの強さだと思います。悪く言えば我が儘な子なんですよね。
アンダーグ帝国はそれを見越してエルを味方に引き入れようとしている…?
>自分の中に湧き出るものを掴めれば
僕の場合、基本自分の直感を信じていないので、湧き出ないなら湧き出るまで掘り進むってスタイルですね。
結果、時間が掛かり過ぎて他の事ができなくなったり、粗探ししかできなかったり…って事の方が多いので、何時かは止められれば良いな…とボンヤリと思ってはいますが…
>気長に「惑星のさみだれ」原作漫画1巻読了
改めて雨宮夕日という主人公の難儀さを感じましたねぇ。
「巻き込まれない系主人公」としての掴みまでは良かったものの、この不動の男を如何に動かすかで四苦八苦している様に見えました。
都度、劇薬をぶち込んで極端から極端に揺れる様は、観る分には派手だけど描く方は大変だったんじゃないかなぁ…
設定上、夕日のパーソナリティには作者が反映されてる様に見えるけど、実際に執筆している時の作者の心境はノイに近かったんじゃないだろうか?w
夢の件も、ズルとまでは行かなくても先取り、前借りをしちゃったんじゃないかと邪推しますw
教訓。物書き諸氏は素直に巻き込まれ系主人公を書いとけ。
>Dr.STONE
だから白夜父ちゃんの件で泣かせに来るの止めてぇぇぇぇぇ!!!!(千空みたいに人海戦術使わなかったの何でだろう?と思いながら)
銀狼の初期のポップ感wwしかも人手が足りているので今後も恐らくこのままなんだろうなw
そういや鉱石系のマテリアルには拘るけれど、植物系の材料についてはあんまり追求しないですね、この作品。
>水星の魔女
スレッタと再会した後のミオリネから放たれる事後感。
何か良い事言ったケナンジさんがネットでボコボコにされてるの笑う。こういう大人は昔は特攻とかしてたけど、情けなくても格好付けながら生きてるのと、どっちが良かったのやら…?
あとは『スマイル』のみゆきぐらいでしたっけ?あれ、もっと居たような気がしましたが…。
ましろんの器用貧乏さは某エリート学園の元・生徒会副会長のK様を想い出しますね。あの方は結局プロのカメラマンになったみたいですが。
>1冊読むとさらに1冊、次の1冊……とある限り読まされる
(↑)これ、マジでそうなんですよ。親の仕事の関係上、愛娘二人とも幼い頃からすっかり宵っ張りになってしまって、一時期は寝付くまでに毎晩軽く10冊ほど読む羽目に陥ってましたね~w。
>富を増やすのは労働力だけ
>利潤が減っていきゼロになると、資本主義は回っていかない。
学者は小難しい名前を付けたがるもので、いわゆる「資本の有機的構成の高度化」とか「窮乏化法則」に関係する部分ですね。「窮乏化法則」については、(だいぶ昔の人ですが)マルクス経済学者の宇野弘蔵がマルクスの主張を徹底的に批判しています。
◆◆◆
… 資本主義がどんどん生産方式を改善していくというと、過剰人口がどんどんできてくる。過剰人口がどんどんできてくると、労働者の生活はますます窮乏化する。これが有名な窮乏化法則というものなのです。…… [生産能力が上がると、資本に対して人口が相対的に過剰になるような傾向を持っているという]人口法則までは正しいのです。しかし資本は不断に生産方法を改善してはいかないのです。…… いっぺん資本を投じるとどうしても固定資本があるのです。この固定資本を無視して、新しい方法をどんどん採用していくということは資本主義にはできないのです。その点が、この窮乏化法則になる議論の落し穴になっているわけで、マルクスはそこをちょっと忘れてしまったんだな。… (宇野弘蔵『資本論を読む』ちくま学芸文庫 p.74~75より引用)
――
… そもそも、『資本論』第一巻末尾のこの宣言[※生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被とは調和しえなくなる一点に到達する。外被は爆破される。資本主義私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される]は論理的にナンセンスなのだと、最初から宇野弘蔵は考えていました。…… 景気循環の中で、賃金というのは上がることもあれば下がることもあります。それに、生産力が増大していくにしたがって、労働者の生活環境もよくなってきますから、窮乏が起きてくるとは必ずしも言えません。もっとも、資本主義が行き詰まることはあります。それは恐慌という形で現れます。…… すると労働者に商品を買うカネがなくなり、貧困という状況は生じる。しかし、そんなことはイノベーション、新技術の開発によって基本的に乗り越えていくことができる。労働者が窮乏化する必然性はない。資本主義は爆破されず、崩壊もせず、あたかも永続するかのごときに生き延びていくのだ、というのが宇野の考え方です。(佐藤優『いま生きる「資本論」』新潮社 p.129より引用)
◆◆◆
池上彰氏が『高校生からわかる「資本論」』で指摘しているように、マルクスの出自は「キリスト教に改宗したユダヤ人」ですから、彼の立論にはユダヤ=キリスト教に由来する直線的な歴史観に基づいた「最後の審判」とそれに続く「千年王国」的発想が見え隠れしていますね。それに対して宇野は「好況と不況(あるいは恐慌)は円環を成す」と、仏教の輪廻転生を思わせるような、如何にも日本的な死生観から異議申し立てを行った…と言えるのかもしれません。
>スタインベック
『怒りの葡萄』は何せ余りに長過ぎるから、まずは『二十日鼠と人間』を推しますね。ほぼ原作準拠の映画も悪くはないけれどラストの解釈が個人的にはちょっとモヤるので、原作を先に読まれることをおススメします(言いたいことはいろいろありますが、ネタバレになるので自重w)。
>アメリカの黒人奴隷が市場競争力がなくなって囲い込むメリットがなくなった
御大のこの指摘に関しては、今回偶々見つけたこの動画が非常に腑に落ちましたね(↓)。 https://www.bing.com/videos/search?q=%e5%a5%b4%e9%9a%b7%e5%88%b6%e5%ba%a6%e3%80%80%e5%bb%83%e6%ad%a2%e3%80%80%e3%81%aa%e3%81%9c&docid=603543832556619194&mid=5EDBA6724D6A0F61A9305EDBA6724D6A0F61A930&view=detail&FORM=VIRE
要するに大英帝国内の経済政策を巡って、新興勢力が旧勢力を政治的に駆逐した所産だったって訳ですね。アフリカを奴隷の供給元とするよりも、工業製品の原材料を安価で調達できる場所&出来上がった製品を一方的に売りつける市場とした方が「遥かに儲かる」ことに気付いてしまった…と。資本主義システムのどす黒い側面が遺憾なく発揮されていますねぇw。
テーマに合わせた訳でも無いのですが、今週読んだ本(↓)の中でも、貨幣経済の進展が中世ヨーロッパに及ぼした有形無形の影響が詳細に述べられていて興味深かったです。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AE%E7%AA%93%E3%81%8B%E3%82%89-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%98%BF%E9%83%A8-%E8%AC%B9%E4%B9%9F/dp/4480098011
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%98%9F%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%81%A7-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%98%BF%E9%83%A8-%E8%AC%B9%E4%B9%9F/dp/4480093419
◆◆◆
人と人との関係のあり方を古来長期にわたって規定してきた贈与慣行が売買による関係に転化してゆく際の人びとの心の葛藤の隙間に極めて巧みに仲介者として登場した教会がカテドラル[大聖堂]建築の費用を調達しえたのはこうした背景があったからなのである。十二、三世紀になると都市内部にもさまざまな形で商人や手工業者から寄進がよせられる。これらの建設や像が今日のヨーロッパの都市の景観をつくりあげている。十六世紀初頭にマルティン・ルターが、贖宥符(免罪符)批判を行ない、現世における善行つまり貧民や教会への喜捨・寄進などの行為は天国における救いを約束するものではない、とはっきり断言し、カトリック教会の財源に打撃を与えたとき、ヨーロッパにおける古代的な贈与慣行は少なくともプロテスタント地域では原理的には払拭された。ルターの贖宥符批判によって中世の中に浸透していた古代が終末を迎えたのである。(『中世の星の下で』p.264~5より引用)
◆◆◆
濃密な人間関係を反映するポトラッチ的な贈与慣行が支配した古代から、金銭を媒介としたドライな商品交換が全てを覆い尽くす近代 ― その二つの価値観がせめぎ合った過渡期の中世は、大聖堂のみならずカタリ派などの各種「異端」やら、聖地巡礼の旅やらユダヤ人迫害やら様々な「文化的遺産」を生むに至った ― ということのようです。
バッタもんだぁは、欄干とか建設現場とかが好きそうですね。
あげは嬢は、今までのところ、いろいろと優秀で結構ですね。
少年呼びは続いているようですが言われてる方も諦めたようだし。
そしてリレー出場や絵本製作もものにした虹ヶ丘さんも順調かな。
ソラシド市では客人ポジションのソラちゃんとツバサ君はさて。
ちなみに、エルのアレには所謂イヤイヤ期を連想。
皆通る道なんだよなあ、100%ではないにしろかなりの高確率で。