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論語でジャーナル’25

15,子曰く、師摯(しし)の始め、関雎(かんしょ)の乱(おわ)りは、洋洋乎として耳に盈(み)てる哉(かな)。

 先生が言われた。「楽師長の摯さんの、冒頭の朗唱から、関雎の終章の合唱に至るまで、楽音は広々と耳にいっぱいになる。まったく素晴らしい」。

浩→「師」は楽団の長官のことで、「摯」は名音楽家の名です。「関雎」は「詩経・国風篇」の最初の詞です。「関雎の乱」は「関雎」の楽曲のうち最後の楽章です。周の詩の音楽は、堂上の楽人の絃の伴奏をともなった歌唱に始まり、管楽がこれに加わり、最後に鐘などの打楽器が参加して大合奏によって終結しました。これが朗々と響き渡るのを聞いたときの、孔子の感激の言葉のようです。
 それにしても難解な一条ですが、今イメージできるのは、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」です。これはベートーヴェンの最後の交響曲です。ベートーヴェン自身はタイトルをつけなかったそうですが、通称として「合唱」や「合唱付き」が付されることも多いです。日本では略称として「第九」(だいく)とも呼ばれて、この演奏会は年末の風物詩となっています。第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が用いられ、『歓喜の歌』としても親しまれています。原曲の歌詞はドイツ語でしたが、世界中の多くの言語に翻訳されていて、その歌詞で歌われることもあるそうですが、これはやはりドイツ語のほうがいいです。わが家にはカラヤン指揮のこの曲のCDはありますが、最近はほとんどかけたことがありません。やはりこの大曲を聴くには年末など大きな区切りの時が好都合なのでしょうか。落ち着いてじっくり聴きたい曲としては、シューベルトの歌曲集「冬の旅」があります。これはバリトンの名歌手ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウのCDがあります。ジェラルド・ムーアのピアノ伴奏という黄金コンビの一品です。第一曲「おやすみ」を歌い、荒涼とした冬の旅に出かけます。シリーズ中最も有名なのは第五曲「菩提樹」です。慰めと憩いを約束してくれる菩提寺の葉のそよぎにも耳をふさぎ、突風に帽子を飛ばされても振り返りもせず、ひたすら遠く離れていく。絶望の中にもひとときの安らぎを覚えたり、また野宿してめざめたら、霜で髪が真っ白になっていて、一夜で白髪の老人になったかと喜んだり、軽やかな郵便馬車の音に、もしや恋人からの手紙ではと胸を踊らせたり、…「辻音楽師」で、孤独な辻音楽師の姿に、自分と淋しい運命をともにしうる真の伴侶を見出して、同行を求める終曲で幕を閉じます。スピリチュアルな展開になったようです。

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論語でジャーナル’25

14,子曰く、その位にあらざれば、その政(まつりごと)を謀(はか)らず。

 先生が言われた。「責任ある地位にいない場合、政治のことを論議してはいけない」。

※浩→文字どおりに受け取ると、政治家でないと政治のことをあれこれ言ってはいけないことになります。でも、孔子の真意は、弟子たちに無責任な放言を慎み、責任ある地位に就いたとき、実行できる政策を考えるように諭したのではないか、と貝塚先生は解説されます。これなら納得できます。
 それにしても、わが国では、国会での討論のお粗末さにはあきれます。確かに与党にもいろいろ問題はあるでしょうが、国会での野党の仕事は、与党議員や大臣の揚げ足取りではないでしょう。まるで、低俗な週刊誌記事のように、与党側のしくじりやスキャンダルを嗅ぎつけては、本来は政策をめぐって論議する場である委員会とかで、急を要する内政外交問題にはほとんど触れないで、ただ「総理や大臣の辞任」を迫るだけのようです。議員に「国政調査権」というのはあるでしょうが、三権分立での国会の役目は、法令の制定でしょう。その本務を忘れてほしくないです。彼らにはとにかく、「政権交代」が最優先目標なのでしょうが、先の「**党内閣」の無様さを国民は忘れてはいないでしょう。いつまで「桜を見る会」がどうのこうのと、まるで、某国が「怨みは永久に忘れない」とか言っていたのを思い出して、そのしつこさにあきれかえっています。
 アドラー心理学では、「不適切な行動に注目しないで、適切な行動に注目する」という勇気づけの大原則があります。現政権の成果もたくさんあると思うのに、それらにはまったく触れません。達成できていることは無視して、「勇気くじき」オンリーです。結局、国民が賢くないといけないのです。「愚民の上に悪しき政府あり」です。エーリッヒ・フロムの名著『自由からの逃走』を読み返しました。第一大戦後できた「ワイマール憲法」という最高度の民主的憲法下で、ナチス政権が独裁体制を確立していったいきさつがよくわかります。国民が愚かだと、民主主義は崩壊するのです。今、この日本のどこに民主主主義が存在するのか疑問視するようなことにならないことを望みます。高市内閣に期待したいです。

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論語でジャーナル’25

13,子曰く、篤(あつ)く信じて学を好み、死に至るまで守りて道を善くす。危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居らず。天下道あるときは則ち見(あら)われ、道なきときは則ち隠る。邦(くに)に道あるとき、貧しく且(か)つ賎(いや)しきは恥なり。邦に道なきとき、富み且つ貴きは恥なり。

 先生が言われた。「固い信念を持って学問を愛し、死に至るまで守り続けて道をほめたたえる。(そうした信念と覚悟を持ちながら、身を持することには慎重に)危険の徴候のある国には足を踏み入れない。また無秩序な国に万一入ったときは、そこに留まっていなくて、そこを立ち去る。天下に道徳があるときには、世の中の表に立って活動するが、道徳がない乱世には、隠れて表面に立たない(それが紳士の心得である)。道徳が行われる国において、貧乏で無名の生活を送るのは不名誉なことであり、道徳が行われていない国において、財産を持ち高位にいるのは不名誉なことである。

※浩→解釈の分かれる部分があるのを、吉川先生と貝塚先生の解釈をミックスしてまとめてみました。
 固い信念を持って学問を愛し、死に至るまでその道をたたえ続ける、というのが孔子の基本的な生き方でしたが、現実にはどういう心がけが必要か。孔子は魯の国を亡命して諸国を流浪し、厳しい試練を受け、生命の危機にもさらされました。この経験を踏まえて弟子に注意を与えています。実際、いくつかの国で内乱に巻き込まれて大変迷惑を被ったから、こんな国には近寄らないほうがいい。政治がよく行われている国では、活動しないで下積みの生活をするのは恥で、乱れた国で富み高位にいるのも恥である、と述べています。
 孔子は高邁な理想を掲げ、その実践に努めながらも、状況に応じた選択することが大切だ、と説いているように読めます。私も臆病なほうで、「天下道あるときは則ち見(あら)われ、道なきときは則ち隠る」というフレーズが腑に落ちます。「乱世には隠れて、治世には現れる」というのは、一見ずるいようにも思えますが、よくよく考えると、これが本当の「勇気ある選択」のように思えます。アリストテレスも、「勇気」は暴勇と臆病の中庸だと説きました。また、乱世にいて富んで高位にいては、転落の危険も大でしょうし、また美しい人生とは言えません。治世で隠遁生活をしていては、自分の才能を活かせず、世の中のために貢献もしていなくて、無意味な人生になりそうです。
 アドラー心理学でも「勇気」は重視されます。代表的な技法に「勇気づけ」というのがあります。育児も教育も治療も、そのキーポイントは「勇気づけ」です。われらが偉大なお師匠様・野田先生は「勇気づけの歌」を作られました。私もこれを暗唱して、日常のさまざまな局面で思い出しては実践するようにしています。この歌は、「大人が子どもを勇気づける」という設定ですので、私はこれをもとにして、「子ども目線の勇気づけの歌」を作ってみました。ほとんど野田先生のパクリです。28番までありますが、一部を紹介します。

人はひとりで生きてはいけない
社会があってはじめて生きる
人の行為の目的は
社会に所属できるため

人に役立ち所属する道
人の邪魔して所属する道
どちらの道も選べるが
勇気があれば役に立つ道

所属の方法二つあり
構えによって違ってくるが
競合的なら賞罰使い
協力的なら勇気づけ

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論語でジャーナル’25

12,子曰く、三年学びて穀(こく)に至らざるは得易(えやす)からざるなり。

 先生が言われた。「三年間学問を修業して就職を希望しない者は、めったにいない」。

※浩→古くは「穀」を「善」と訳して、「三年学んで善に到達しない者はいない」と読んでいたようです。孔子の門弟には仕官のために学問を学ぶ人が多かったので、現実主義の孔子は、仕官を求める弟子たちのありさまをふまえて、三年間の勉強は社会人としての地位をおのずから保証すると言ったのでしょう。吉川幸次郎先生も貝塚茂樹先生もこの解釈を採用されました。
 「三年」がつく諺はたくさんあります。代表は「石の上にも三年」でしょうか。民話の「三年寝太郎」も有名です。あらすじは次のとおりです。
 旱魃に苦しむ村で3年間眠り続けた寝太郎という男がいました。仕事を何もせずただ寝続けるので、村人は怒りましたが、ある日突然起き出して、山に上って巨石を動かすと、その巨石が谷に転がってついには川を堰き止め、その水が田畑に流れ込んで村が救われます。寝太郎はただ眠り続けていたのではなくて、いかにして灌漑を成し遂げて、村を旱害から救うかを考えていたのでした。
 このお話のモデルは周防・大内氏家臣の平賀清恒です。父の平賀玄信が武田晴信に敗れたあと、姉の嫁ぎ先を頼って周防・大内氏に仕官します。大寧寺の変で厚狭に落ち延びて農業をしていましたが、水不足に苦しむ農民の声に動かされて、3年3か月思案を重ねて、佐渡の金山に出向いてワラジを交換したところ、ワラジに付いていた砂金で得た富を厚狭川の灌漑工事に当てて農民を救ったそうです。
 私は、1991年にアドラー心理学に出会い、「親子セミナー(当時SMILE)・リーダー」取得、続いて「基礎講座」を受講、翌年、「カウンセラー養成講座」を受講~カウンセラー試験合格。そうして1993年には、「公開講座」を開催していました。やはり3年で「カタチ」になったようです。なるほど、合点です!

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論語でジャーナル’25

11,子曰く、もし周公の才の美ありとも、驕(おご)りかつ吝(やぶさ)かならしめば、その余は観(み)るに足らざるなり。

 先生が言われた。「たとえ周公ほど優秀な才能に恵まれていたとしても、もし、威張り屋でしかもケチだとしたら、それ以外のことはもはや論ずる価値はないということだ」。

※浩→周公は、周王朝の政治と文化の創始者・周公旦です。孔子は彼を完全な人格と意識していました。「才の美」は、美しい完全な才能で、もしも万一、そういう人格の中にも、傲慢と吝嗇(りんしょく)であったとしたら、その人格の他の部分の美点はすべて帳消しになり、目も当てられないことになるだろう。孔子の厳しい人間観が表れています。
 驕慢(傲慢、高慢)と吝嗇、どちらも気をつけたいです。
 驕慢と言えば、まず有名な「平家物語」です。
 祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 高校の「古典」で習いました。「無常観」に貫かれています。歴史上の権力者の栄枯盛衰は枚挙に暇がありません。
 私は“見栄の大森”でしたが、傲慢ではなかったと、自分ではそう思っています。幼少時より、特に母親からは「お行儀良く」と躾けられて、常に謙虚にふるまうよう心がけていました。そのご利益がたくさんありましたが、ときどき度が過ぎて、場違いで慇懃無礼なふるまいになったこともあったと思います。アドラー心理学に出会って、元祖アドラー博士の著書『人間知の心理学』を野田先生が講読される講演会に参加して、それまでの自分の態度の欺瞞性を思い知らされました。アドラーの著作の部分を引用します。

 評価を求める努力が高まるや否や、精神生活のなかでは緊張が高まるようになり、その緊張は、その人間が力と優越という目標をさらにはっきりと見据え、さらに活動を強めてその目標に近づこうとするように作用する。彼の生活は、大きな勝利を期待するようなものになる。そのような人間は即事的な生き方ができなくならざるをえない。なぜなら彼は、人生との関連を失うからであり、また自分が他人にどのような印象を与えるか、他人は自分についてどんなふうに考えているか、という問いに常にかかずらっているからである。彼の行動の自由はそれによって著しく妨げられ、最も繁く現れてくる性格特徴、つまり虚栄心が顕わとなる。
 虚栄心というものは、いかなる人間にも(たとえ痕跡だけだとしても)見られるものである。そして虚栄をあからさまに見せることは立派なことではないので、虚栄心はたいていの場合隠されており、いろいろな形を取る。一定の謙虚さを示しながらも、虚栄的であることもある。人間というものは非常に虚栄心が強いので、他人の判断をまったく意に介さないか、あるいは、それを強欲に求め、自分の都合のいいように利用しようとしたりする。
 虚栄が一定の程度を越えると、それは非常に危険なものになる。虚栄というものが人間に、実質よりも見かけにかかわるような、ありとあらゆる無益な仕事や浪費を強いるものだということや、また自分のことばかりを考えさせること、せいぜいのところ自分に対する他人の判断のことばかりを考えさせることは別としても、人間は虚栄によって現実の接触を失いがちなものである。彼は、人間的な諸関連に対する理解もなしに、人生との関係もなしに空しく動きまわる。彼は、人生が彼に何を要求しているかを忘れ、自分が人間として、人生に何を寄与すべきであるかを忘れてしまう。虚栄というものは、他の悪徳と違って、人間のあらゆる自由な発展を阻害してしまう。なぜなら彼は、結局のところ絶えず自分のために利益があるかどうかということばかり考えているからである。
 多くの場合人間は、虚栄とか、傲慢とかという代わりに、もっと美しく響く名誉心という言葉を用いることによって自分を慰める。そして自分のことを自慢して、いかに名誉心に富んでいるか、などと言って誇る人が多くいる。またしばしば「努力精進」という概念だけを用いることもある。これは、公共のために役立つ事柄にとって有益である限りにおいて、認められるものである。しかし、たいていの場合、これらの概念は、著しい虚栄心を隠蔽するだけである。……
 その際、彼らの仲間の人間は、一般的に言って、まさに不愉快になる。彼らは、これらの人々の批判に大いにさらされる。虚栄心の強い人は普通、自分自身の人格の何らかの欠陥に対する責任から逃れようとする。彼はいつも自分が正しくて、他人が間違っていると思うのであるが、人生において大事なのは正しいということではなく、自分がかかわっていることを前進させ、他者のそれを促進するのに貢献するということこそが大切なのである。こういうものの代わりに彼の口から聞こえてくるものといえば常に、嘆きとか言い訳ばかりなのである。
 われわれが今ここで問題にしているのは、人間精神のさまざまな術策である。つまり、自分の虚栄心が傷つけられることのないように、そして自分の優越感が傷つけられないままであり動揺させられることのないようにしようとする様々な試みである。
(『人間知の心理学』p218~220)(『人間知の心理学』A=アドラー著、1927年、高尾利数訳、春秋社)

 吝嗇と言えば、「始末屋」と「ケチ」の違いを、NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」(2013年)で、ヒロイン「め以子」の小姑(キムラ緑子さんが熱演)和枝ねえさんからしっかり学びました。彼女は婚家で厳しい姑につかえたが、子どもを幼くして亡くしたあとに離縁され、西門家に戻り、この家の主婦の座を奪い取り、家を一切取り仕切っている。嫁いびりが超弩級で、あまりのひどさにかえって快感を覚えるくらいでした。何をやっても完璧で、しかも始末屋です。ヒロインが新妻として、食事などを切り詰めていると、「ケチと始末は違いまっせ」と叱られます。
 わが母も、一見「ケチ」のように見えることもありましたが、いざという時には出費を惜しみませんでした。「肝が据わっている」と言うと、母は「使うべきときには使う」と豪語していました。ですから吝嗇ではありません。この点については私も母を見習っています。日ごろはかなり質素に暮らしていますが、いざというときはどっと散財しますから。

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論語でジャーナル’25

 今日はこちらでご覧ください。↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai3keiji-10-22.html

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論語でジャーナル’25

9,子曰く、民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず。

 先生が言われた。「人民を従わせることはできるが、なぜ従うのか、その理由をわからせることは難しい」。

※浩→普通には、「人民というものは、政府の施政方針に従わせるだけでよろしい。何ゆえにそうした方針をとるか、その理由を説明する必要はない」と解釈されていますが、吉川幸次郎先生も貝塚茂樹先生もこの説はとられません。貝塚先生によれば、「人民は政府の法律によって、思いのままに動かせるかもしれないが、法律を読めない一般市民に、十分に法令の出された理由を納得させることは難しい」と言っただけである、と解説されています。人民を一方的に法令で束縛したらよいという専制主義的な思想を説いているのではないのです。それでもこの文は、「人民は従えるだけでいい。従う理由など知らせなくていい」という意味にとれます。徳川幕府は朱子学が重く用いましたが、その朱子が、「政府の施政方針は、人民の全部がその理由を知ることが理想ではあるが、それはなかなか難しい。随順させることはできても、一々に説明することは難しい、と、理想と現実の距離を嘆いた語である」と注釈しています。吉川幸次郎先生はそう解説されます。
 孔子が説く理想の政治は、「徳治主義」で、以前『為政篇』にあるように、「これを導くに政をもってし、これを斉うる(ととのうる)に刑をもってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥ありてかつ格る(いたる)」ですから、専制主義とはつながりません。先日のNHK大河ドラマで、発禁書物を発行した罪で捕らえられた蔦谷重吉を助けるために、妻が奮闘しますが、そのとき「論語」のこの箇所を引用していたのが印象的です。政治とはかくあるべしと思います。新しい内閣が成立しました。支持率がとても高いのは高市首相の人格が好感が持たれているんでしょう。あちこちで硬直化している今の社会の風通しがよくなることを期待します。
 「理想と現実の距離」と言われると、アドラー心理学では「劣等感」です。劣等感という言葉も、世間では「他者に比較して劣っている感じ」を言うようですが、アドラー心理学でのもともとの意味は、「(自分の思い描く)理想と現実の乖離」を言います。この乖離(距離)が大きいほど、現実的な行動からは遠ざかり、最終的には、「口実」を設けて、理想の追求から逃避します。この口実のことを「劣等コンプレックス」と言います。人は誰でも、今よりも先が「まさっている/強い/有能/快適/幸福」であるようにという理想(目標)をイメージして、それを追求して生きています。それはそうでしょう。今より将来のほうが不幸であるように願う人はいないでしょう。人生に未来がある限りは、人は誰でも「劣等感」を持ち、理想/目標に向かって動きます。この理想/目標が現実的なものであれば、人は勇気を持って、劣等感を補償していけます。劣等感が大きすぎて、劣等コンプレックスを常用する人を「神経症者」と呼びます。
 学校では、教師が生徒に、「これこれをしてはいけません」などと注意をすると、生徒は「なんで?」とすぐ理由を聞きます。先生方は、そのとき生徒を説得するのに困難を感じられることも多いでしょう。孔子も朱子も同じことで苦慮したのでしょう。アドレリアンには、その理由はわりと簡単に言えます。3つの法則に照らして、「それはこうだからです」とやさしく、しかも、きっぱり言います。3つの法則とは「自然の法則」と「社会の法則」と「論理の法則」です。

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 「子曰く、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽(がく)に成る」(その3)

※浩→もう1つの「七言絶句」は、王維の「元二(げんじ)の安西に使するを送る」です。
 この詩も、高校時代に大月邦彦先生が授業で、「君に勧む更に盡くせ一杯の酒」のところを、情感たっぷりに解説してくださいました。高校生の私にはお酒のことは十分には理解できなかったですが、今は特に、「次の関所を超えると、もう、ともに酒を飲み交わす友もいないのだから」という4行目にジーンときます。この詩を、ただ大学受験用の知識としてだけ覚えておくのはもったいないです。一昨年まではスクールカウンセラーのお勤めの打ち上げに、居酒屋で友と飲み交わしていました。今は、岡工講座のあと、決まった居酒屋で打ち上げをしています。講座の常連さんはほとんどみなさん参加されます。話題は尽きません。

送元二使安西(王維)
sòng yuán èr shǐ ān xī(Wáng Wéi)
渭城朝雨潤輕塵
wèi chéng zhāo yŭ rùn qīng chén
客舎青青柳色新
kè shè qīng qīng liŭ sè xīn
勧君更盡一杯酒
quàn jūn gèng jìn yī bēi jiŭ
西出陽關無故人
xī chū yáng guān mó gù rén

 1行目の「チェン」、2行目の「シン」、4行目の「レン」が韻を踏んでいます。

【書き下し文】
元二(げんじ)の安西に使するを送る
渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)輕塵(けいじん)を潤す
客舎(かくしゃ)青青(せいせい)柳色(りゅうしょく)新たなり
君に勧む更に盡くせ一杯の酒
西の方(かた)陽關(ようかん)を出ずれば故人(こじん)無からん
【作者】王維 wáng wéi (699~755)は中国山西省生まれ、唐の著名な詩人。
【通訳】渭城の町には朝の雨が降って、軽い砂ぼこりをしっとり濡らしている。旅館の前の柳は雨に洗われて、青々とした葉の色を見せている。さあ君、ここでもう一杯酒を飲みたまえ。西の方、あの陽関を出てしまえば、もう共に酒を飲み交わす友もいないだろうから。
【語訳】
*元二…元は性、二は次男を表す。
*安西…安西都護府。今の新疆省。
*渭城…長安の、渭水をはさんだ対岸の町。
*客舎…旅館。
*青青…柳の葉の青いこと。
*陽関…南の関所。
*故人…友 。(亡くなった人ではありません。)

 漢詩について書けば際限ないので、このあたりでおしまいにします。

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論語でジャーナル’25

 「子曰く、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽(がく)に成る」(その3)

※浩→高校の漢文の教科書にあった「唐詩」から「七言絶句」を選ぶなら、まず、杜牧の「山行」です。今でもはっきり暗唱できます。書き下し文で読んでも調子がいいからでしょうか。今回はピンイン(発音記号)を添えました。

山 行(杜 牧)
shān xíng(Dù mù)

遠上寒山石徑斜 
yuǎn shàng hán shān shí jìng xié
白雲生處有人家
bái yún shēng chù yŏu rén jiā
停車坐愛楓林晩
tíng chē zuò ài fēng lín wǎn
霜葉紅於二月花 
shuāng yè hóng yú èr yuè huā

 「韻」は2行目「チア」と4行目「フア」です。

遠く寒山に上(のぼ)れば石径(せきけい)斜めなり。
白雲生ずる処(ところ) 人家有り。
車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林(ふうりん)の晩(くれ)、
霜葉(さうえふ)は二月の花よりも紅(くれなゐ)なり。

 訳すと、
 遠くからやって来て、晩秋の寂しい山に登ると、小石の多い道がふもとから斜めに頂上に向かって続いている。白雲のわき起こるような高いところにも人家があるとは本当に感心したものだ。車を停めて、何となく夕日に照り映えた美しい楓(かえで)の林にうっとりと見とれてしまう。霜に色づけられた楓の葉は、2月に咲く花よりもまっ赤で燃えるように美しい。

 登山をしているのではなくて、牛馬が引く車に乗って山里の小道をゆるやかに流しているのでしょう。俗世間を離れた高雅な境地です。はるか高い峰の白雲が生ずるあたりに人家が見えます。今の季節にふさわしいです。
 私が昔勤務していた高梁市近辺で、こういう風景をよく見ることができました。当時の地名で、高梁市内でも玉川町などがそうで、近隣の賀陽町(今は吉備中央町)にも成羽町(今は高梁市)にも川上町(今は高梁市)にも、そういうところがありました。担任したクラスに「中川」という姓の男子が3人いました。堅志(かたし)君、英雄君、正人君です。家庭訪問するために地図で場所を確かめると、最寄り駅は高梁駅の一駅南の「備中広瀬駅」です。そこから高梁川にかかる「玉川橋」を渡ってすぐに見えました。これなら自転車で行けると判断して、学校の自転車を借りて颯爽と出かけて、玉川橋を越えるまでは順調に進みましたが、そこから先はなんと急な山道、胸突き八丁で、とても自転車を漕いでは登れません。仕方なく天を仰ぐように細い山道を自転車を押して、やっと目的地へ着くことができました。3人の家はみな近所でした。生徒が書いた地図には「等高線」が描かれていなかったので、直線距離で近いと判断したのです。帰り道は全部下りで楽かと思いきや、今度はブレーキが焼け切れそうで、結局また玉川橋まで押して歩いて戻りました。昭和44年ころのお話です。あの子たちも今は70歳を越えています。夏祭りに、親交のあった同僚で、成羽町在住の徳森先生という数学の先生が招待してくださいました。この先生のおうちも高い場所にあり、絶景の見晴らしを楽しみながら、お酒とご馳走をいただきました。向かいの山にときどき狐火が見えました。日清戦争で「死んでもラッパを話さなかった木口小平さん」のおうちが近くにありました。山の途中におうちがあり、成羽川沿いの道から「木口(こぐち)」と書いた大きな看板が見えました。臼でも転げようものなら、麓まであっという間でしょう。ちゃんとネットに載っていますから、引用します。↓
 木口小平:日清戦争で戦死した陸軍兵卒。明治5年8月8日、岡山県川上郡成羽(なりわ)村(現、高梁市)に農家のひとり息子として誕生。小学校を中退、鉱山で働き、1892年(明治25)広島の歩兵第二一連隊第三大隊第一二中隊に二等卒として入営。ラッパ手となり日清戦争に従軍、1894年7月29日緒戦の成歓の戦闘で戦死した。22歳。国定修身教科書で「シンデモラッパヲクチカラハナシマセンデシタ」と「義勇忠義」が紹介され著名となる。しかし「美談」のラッパ手は当初、同県出身の白神源次郎(しらがげんじろう)と報道されており、事実は不明である。

 次回も「七言絶句」を紹介します。(まだまだつづく)

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論語でジャーナル’25

 「子曰く、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽(がく)に成る」(その2)

※浩→高校で漢文を教わった大月邦彦先生が、「漢詩は書き下し文で日本語のように吟じても美しいが、もとの中国語で発音すると、韻を踏んでいるところがよくわかって、「詩」の本来の美しさが出る」と、おっしゃったかどうかは今となってはまったく不明ですが、何度か中国語で詠んでくださったことはあります。筆者は、現在、中国語を少しだけかじっていて、「発音変換ソフト」をインターネットで使えますので、前回の五言絶句でトライしてみました。

静夜思(李白)jìng yè sī (Lǐ bái)
 牀前看月光
chuán qián kàn yuè guāng
疑是地上霜
yí shì de shàng shuāng
挙頭望山月
jŭ tóu wàng shān yuè
低頭思故郷
dī tóu sī gù xiāng

 おお!なるほど。1行目の「光」、2行目の「霜」、4行目の「郷」がそれぞれ、「クアン」「シュアン」「シアン」と殷を踏んでいます。
 面白いので、もう1つトライ。

春暁(孟浩然)chūn xiǎo(Mèng hào rán)
 春眠不覚暁
 chūn mián bù jué xiǎo
 処処聞啼鳥
 chù chù wén tí niǎo
 夜来風雨声
 yè lái fēng yŭ shēng
 花落知多少
 huā luò zhī duō shǎo

 五言絶句のでの押韻は1行目、2行目、4行目だとわかりました。この詩では、1行目が「暁=シアオ」、2行目が「鳥=ニアオ」、4行目が「少=シャオ」となっています。なるほど、押韻はもとの中国語で詠まないとわかりません。
 ここでは発音を聞いていただけないのが残念です。ピンインの読める方はご自分で読んでみてください。とても美しい発音で、なるほど音韻はフランス語と中国語が美しいといわれるのがわかりました。
 次回は「七言絶句」にトライしてみます。大好きな詩がいくつかあって、今も覚えています。(まだつづく)

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