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論語でジャーナル’25

8,子曰く、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽(がく)に成る。

 道徳的興奮の出発点となるのは「詩経」である。なんとなればそれは、正しい感情の高揚であるから。次に教養の骨格を定立するのは、礼を学ぶことである。なんとなればそれは、人間の秩序の法則であるから。最後に、教養の完成は、音楽を学ぶことである。なんとなればそれは、感情を法則によって整理し、人間性の包括的な表現であるから。

※浩→人間の教養の順序を簡潔に示している有名な一条です。ここは短くて記憶しやすいです。
 孔子の教育の特徴の1つは、詩と音楽の尊重でした。ずっと前に登場した「為政篇」に「詩三百、一言以てこれを蔽(おお)えば、曰く、思い邪(よこしま)なし」とありました。「詩経」には実際は300以上の詩が収められているそうですが、孔子は端数を切り捨てて「三百」と言っています。それらの内容はさまざまですが、一言で表すとすれば、孔子から150年ほど前の、魯の君主をたたえた「思い、邪なし」、つまり“感情の純粋さ”だそうです。詩のほかの「礼」と「楽」については、他のところでもたびたび触れましたから、ここは「詩」に絞って、ジャーナルします。
 私が「詩」に初めて感動を覚えたのは、高校1年生での「漢文」の授業です。当時の「国語」の授業は「現代国語」と「古文」と「漢文」が独立していて、担当の先生もそれぞれで違う方でした。「現代国語」は浦田先生、「古文」は1年生のときは金平(かねひら)先生で、2年生から村井先生になりました。「漢文」は大月邦彦先生で担任でもありました。金平先生は、教室内を歩きながら、動詞や助動詞の活用を説明されているかと思うと、突然、生徒の頭をポンと軽く叩いて、「はい、言いなさい」と指名するのがお得意でした。「“べし”の用法は、推量~意志~可能~当然~命令」と、手でダイヤルを回すような手つきをしながら、繰り返し繰り返し教えてくださいました。おかげで今でも復唱できます。もう1つ忘れられないのは、「“めり”は平安時代の女性専用語で、オマエラごときニキビオノコの使う言葉ではない。“雨降るめり”と言えば、“あら、雨がふっているようですわ”という意味です」という解説です。「漢文」では、漢字だけが並んでいて句読点などがないのを“白文”と言い、句読点をつけて日本語のように文字順を変えたものを“書き下し文”と言うことを習いました。そのとき、日本の技術の凄さに感動しました。お経のような漢字だけの文を、書き下し文にすると、古文のように日本語で読めて、意味も概ね理解できます。散文では「十八史略」や「史記」などがありました。漢詩は、「五言絶句」とか「七言絶句」とかを習いました。最初に習った五言絶句は、確か「静夜思」と「春暁」でした。

静夜思(李白)
 牀前看月光(しょうぜん げっこうをみる)
 疑是地上霜(うたごうらくは これちじょうのしもかと)
 挙頭望山月(こうべをあげて さんげつをのぞみ)
 低頭思故郷(こうべをたれて こきょうをおもう)

 寝台の前、月光を見る。まるでそれは地上におりた霜かと思われた。頭をあげて遠くの山にかかる月をみていると、自然に故郷のことが思い出され頭をうなだれるのだった。

春暁(孟浩然)
 春眠不覚暁   春眠(しゅんみん) 暁(あかつき)を覚えず(おぼえず)、
 処処聞啼鳥   処処啼鳥(しょしょていちょう)を聞く、
 夜来風雨声   夜来風雨(やらいふうう)の声(こえ)、
 花落知多少   花(はな)落つること(おつること)知る(しる)多少(たしょう)。

 春の眠りは心地がよく、夜が明けるのも気づかないほどです。
 あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえてきます。
 そういえば昨夜は風雨の音がしていたな。
 いったいどれほどの花が散ったことでしょうか。

 他に次々と、当時覚えた漢詩を思い出します。(つづく)

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論語でジャーナル’25

7,曽子曰く、士は以て弘毅(こうき)ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己れが任となす。亦た重からずや。死してのち已(や)む、亦た遠からずや。

 曽先生が言われた。「士、つまり志を抱く男子は、堅固な意志を持たねばならぬ。その任務は重く、目的までの道程は遠いからだ。仁徳の完成を自己の任務とするのだ、重くないとどうして言えよう。仁の完成は死ぬまで努力し続けて終わるのだ。その道程は遠くないとどうして言えよう」。

※浩→「弘毅」は日本では名前にも使われています。「ひろき」と読みます。子に対する親の願望が感じられます。
 この一条は、吉川幸次郎先生の解説によると、一連の曽子の言葉の中でも、あるいは『論語』全部の中でも、最もすぐれた一条だそうです。
 「士」は、貝塚茂樹先生は詳しく説明されていますが、ここでは吉川先生に従って、簡素に「若手の官吏」、あるいは広く「教養ある人間」と解釈しておきます。でも少しきちんと説明すれば、固有の上層貴族である「卿(けい)」「大夫(たいふ)」に対して、「士」は当時は下層貴族であったそうです。孔子は主に「君子」を理想人格として描いていて、「士」についてはあまり論じていませんでしたが、曽子の時代には「士」の位置が明確になり、世襲の貴族に代わって、学問・政治・武芸などの才能をもって諸国の君主や豪族に仕え、国家社会の発展に重要な役割をつとめました。曽子は、その「士」に対して、さらに高遠な仁の徳の完成という任務があることを自覚させようとしました。徳川家康の遺訓に、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり」とありますが、この「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」は、曽子の「任重くして道遠し」から発想されたと言われています。
 アドレリアンの私たちにとっては、「共同体感覚実践」の道は遠く、死ぬまで続くということになります。世間はますます「自己執着」へ沈んでいく中、微々たる実践ではあっても、アドレリアンとしてささやかな「共同体感覚実践」の歩みの一歩を重ねていくしかありません。昨日は、今年度の日本アドラー心理学会総会がオンラインで開催されました。これまでは予定時間を大幅に超過することが多かったですが、今回は予定時間を60分から90分に延長していたことと、細部に文句を言うやからが姿を消して、参加者全員が会の進行に協力的だったために、70分で終了しました。今日と明日は東京で「学術集会」です。アドラー心理学の別の学術団体とコラボで初めて開催されます。野田先生ご存命中には想像もしなかった事態の変化です。私は不参加ですが、児玉先生は飛行機で行かれました。さっき岡山空港へ着いたとLINEで連絡がありました。

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論語でジャーナル’25

6,曽氏曰く、以(もっ)て六尺の孤を託すべく、以て百里の命(めい)を寄すべく、大節(たいせつ)に臨みて奪うべからず。君子人か、君子人なり。

 曽先生が言われた。「幼い孤児(の君主)を、その人に預け、後見人になってもらえるような人格。また、一国を預かって、摂政となり王子の後見人となりうる人格。大事件を前にしても志を返すことのない人格。そうした人格は、君子らしい人と言ってよろしいか。そう、君子らしい人である」。

※浩→「六尺の孤」の「六尺」は、1尺を(当時の尺度で)ほぼ23センチメートルとすると、1メートル38センチ内外になる。「六尺の孤」は未成年の孤児を指す。
 「百里」は当時の標準の都市国家の規模が「百里四方」であったことから、大名の国ひとつを意味する。1里は約1キロで、百里四方は100キロ四方になる。
 幼い孤児を預けて摂政として貢献できて、国家が重大な危険に瀕している時期にも、自分の忠義を守り通せるような人が、まことの君子(紳士)だという、この理想を曽子は弟子たちに叩き込んだのでしょう。孔子が理想とした周公・旦は周の西伯昌(文王)の四男で、次兄の初代武王存命中は兄の補佐をして殷打倒にあたり、武王の死後は武王の少子(年少の子)の成王が位に就いた。成王は未だ幼少であったため、旦は燕の召公と共に摂政となって建国直後の周を安定させました。国家の後継者が親を亡くした幼子であるような場合、予想されるのは、「お家騒動」ですが、当然家督を継ぐべき人が、継がないで摂政として補佐役にまわることでお家騒動を防いでいます。お家騒動といえば、歌舞伎では何と言っても、伊達騒動を描いた「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」です。これをベースにした市川猿之助丈(三代目)の「伊達の十役」についてはたびたび紹介しています。今も言いたいけどやめておきます。

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論語でジャーナル’25

5,曽子曰く、能を以て不能に問い、多きを以て寡(すく)なきに問い、有れども無きが若(ごと)く、実(み)つれども虚(むな)しきが若く、犯されて校(むく)いず。昔者(むかし)、吾が友、嘗(かつ)てここに従事せり。

 曽先生が言われた。「豊かな才能を持ちながら、才能の乏しい者にも質問し、広い知識を貯えていながら、無知な人にも質問し、あってもないように、充実した人格であってもそうでないように自分を見せ、他人から喧嘩を仕掛けられても反抗しない。私の旧友(顔回)は、こんなふうに行動していた」。

※浩→亡くなった友・顔回の謙虚な人柄を追憶したものとするのが一般の説です。
 私にとってテーマが2つあります。1つは、「見栄の大森」を改めて謙虚な生き方をすること。もう1つは、充実した人格を持つ旧友について。
 旧友のお話はさておき、「謙虚な生き方」は肝に銘じています。ここでは、「能/不能」、「多/寡」、「有/無」、「虚/実」と4点が二項対立的に並べられていますが、要するに、「あってもないかのように(謙虚に)行動する」ということでしょう。
 「かのように」というと、アドラー心理学は「かのように心理学」です。意味はずいぶん違うと思いますが。「攻撃されても反抗しない」というのは、アドラー心理学では、Never fight, never give in.(闘うな、されど迎合するな)とか、権力闘争から降りるとなりますから、まったく無抵抗になされるがままを受け入れるという意味ではないです。
 自分に豊かな才能があっても、それほどでもないと思われる人の意見にも耳を傾ける。こうして自分の見解が偏らないように。自分の人格に自信があっても(もとより自信はありませんが)、それをひけらかさないで謙虚にふるまう。人から喧嘩を仕掛けられても、真っ向から反抗しないで、さらりとかわして降りるのがいい。かといって安易な妥協はしない。
 『老子』第六十三章に「無為をなし、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし、少を多とし、怨みに報ゆるに徳をもってす。難をその易に図り、大をその細になす。天下の難事は、必ず易よりおこり、天下の大事は、必ず易よりおこる。ここをもって聖人は、ついに大をなさず、ゆえによくその大をなす。それ軽諾は必ず信すくなく、易(やす)しとすること多ければ必ず難(かた)きこと多し。ここをもって聖人はなおこれを難しとる。ゆえについに難きことなし」とあります。
 『論語』の「憲問篇」には、「ある人曰く、徳をもって怨みに報ゆるは、如何。子曰く、何をもってか徳に報いん。直きをもって怨みに報い、徳をもって徳に報ゆ」とあります。
 「直きをもって怨みに報い」の「直き」は「まっすぐ」と訳されていますが、どういうことかよくわかりません。「真っ直ぐな心」なら「徳」のようにも思えますが、悪意には真っ直ぐに悪意で報いると読めないこともありません。これだと応報的であまり美しくないです。「怨みに徳で報いる」のほうが実行困難ですが、美しいです。仏教では『法句経』に、「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である」とあります。サンフランシスコ講和条約でセイロン(スリランカ)代表のがこの言葉を引用して日本を弁護したことは有名なお話です。詳しい説明をネットから引用します。
→引用:1951年のサンフランシスコ講和条約締結後、世界で一番早く正式に日本と外交関係を結んだのもスリランカであった。当時の大蔵大臣で、後に、初代スリランカ大統領になるジャヤワルダナ氏が尽力したのだった。スリランカが、「英連邦内自治領セイロン」であった当時、随一の実力者だった彼は、サンフランシスコ講和会議に出席する。席上、諸外国からは、「日本に今、この段階で平和を与えるのは、もってのほか」「日本は南北に分割して統治すべき」「日本を独立させるのは時期尚早」などなど、さまざまな議論・意見が出る中、ブッダの言葉を引用し、こう語った。
 「戦争は戦争として、終わった。もう過去のことである。我々は仏教徒である。やられたらやり返す、憎しみを憎しみで返すだけでは、いつまでたっても戦争は終わらない。憎しみで返せば、憎しみが日本側に生まれ、新たな憎しみの戦いになって戦争が起きる。戦争は憎しみとして返すのではなく、優しさ、慈愛で返せば平和になり、戦争が止んで、元の平和になる。戦争は過去の歴史である。もう憎しみは忘れて、慈愛で返していこう」と。
 対日賠償請求権の放棄を明らかにするとともに、 わが国を国際社会の一員として受け入れるよう訴える演説を行った。この演説が、当時わが国に厳しい制裁措置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたと言われ、その後のわが国の国際復帰への道につながる象徴的出来事として記憶されている。←引用終わり

 関連して、マレーシア・マハティール首相の演説が、日本を怨み続けるという某国と違って、日本人に誇りと自信を呼び戻してくれます。
URLは↓
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/06080631/?all=1

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論語でジャーナル’25

 今日はこちらでご覧ください。何が禁止用語かよくわかりませんが…↓

http://www2.oninet.ne.jp/kaidaiji/dai3keiji-10-15.html

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論語でジャーナル’25

3,曽子、疾(やまい)あり。門弟子を召して曰く、予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け。詩に云(いわ)く、戦戦兢兢として深淵に臨むがごとく、薄氷を履(ふ)むがごとしと。而今(いま)よりしてのち、吾免るることを知るかな、小子よ。

 曽先生が病気で重体に陥られたので、門人たちを呼び集めて言われた。「夜着をのけて私の足を出しておくれ。私の手も出して、そしてしっかり見ておくれ。おずおずと、またおそるおそると底知れぬ淵をのぞむように、ごく薄い氷の上を渡るようにと、この「詩経」の言葉のように、父母に生んでいただいた身体を大切に注意深く守ってきたが、これから先はその心配もなくなる、若者たちよ。

※浩→曽子すなわち曽参は、孔子より46歳若かった。その曽参の臨終のときの記録です。臨終に際して、弟子たちに手足を見てもらっています。これは何のためでしょうか?『論語』よりもあとに編纂された『孝経』の、「身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」とあるのと関連しています。『孝経』は、孔子と曽子の対話の形で書かれています。死によって肉体を離れた魂は、再び肉体に戻ってきて復活できると信じられていて、埋葬して大切に保存されました。もしも身体が毀傷されていると再生が困難になるので、曽子は足と手を弟子たちにその無事を見せて、親孝行ぶりを示したのでしょう。
 最近、タトゥー(入れ墨)を入れている人をよく見かけますが、時代劇などを見ていると、「親からもらった大切な体に彫り物なんか入れやがって」という台詞があったりしました。江戸北町奉行・遠山金四郎は桜の入れ墨でした。当時は武士が彫り物を入れるのはまったくの例外だったのでしょうが、お白州での決め台詞はかっこよかったです。「あの晩、見事に咲いた金さんのお目付け桜夜桜を、まさかおのれら! 見忘れたとは、言わせねえぞ!!」と。テレビでは、たくさんの俳優さんが演じていました。松方弘樹、高橋英樹、杉良太郎、西郷輝彦、中村梅之助、市川段四郎など…。東映映画では、何と言っても御大・片岡千恵蔵が圧巻でした。小中学校時代に、映画館でリアルタイムにほとんど見ていました。最近はCSで録画したものを何本か持っています。「たつまき奉行」「火の玉奉行」「サイコロ奉行」などがあります。今見ても、結構楽しめます。完ぺきな「勧善懲悪」で、安心して見られます。戦前は知りませんが、戦後の日本の一般社会では、入れ墨は歓迎されなくて、例えば、サウナには入場禁止だったり、西大寺の会陽(えよう)でも禁止です。子どものころ、銭湯では見かけたことがありますが、どんどん市民の目には触れなくなっていました。外国人のスポーツ選手にはよく見かけます。日本での試合では、ユニフォームなどで隠すように、最近まで規制されていたようですが、徐々に緩和されているのでしょうか。
 「論語」では、“親孝行”は最大の美徳ですから、親からもらった身体を大切にするのは必然のことです。そういえば、「孝悌はそれ仁の本たるか」とありました。孝=子が親をうやまう、悌=弟が兄をうやまう、で、「仁」という愛は博愛ではなくて、まずは親子、兄弟から始めて、徐々に拡大していくものです。昨今の、家庭崩壊などへの対策として、「論語」が役に立たちそうに思います。貴重な文化遺産です。

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論語でジャーナル’25

2,子曰く、恭にして礼なければ則ち労す。慎にして礼なければ則ち葸(し)す。勇にして礼なければ則ち乱る。直にして礼なければ則ち絞す。
 君子、親(しん)に篤(あつ)ければ則ち民仁に興る。故旧(こきゅう)忘れざれば則ち民愉(うす)からず。

 先生が言われた。「丁寧なばかりで礼を知らないと骨折り損になる。控えめなばかりで礼を知らないと心配性になる。勇敢なばかりで礼を知らないと乱暴になる。率直なばかりで礼を知らないと辛辣になる」。
 「君主が近親に親切であれば、人民は仁の徳に目覚めるであろう。君主がまた昔の友だちを忘れることがないと、人民もまた薄情でなくなる」。

※浩→前半と後半の連絡が良くないので、新注では「君子」以下は孔子の別の機会の言葉であるとされています。新注嫌いの荻生徂徠もこの説に賛成だそうです。「礼」は周公旦(周の文王の第4子,武王の弟)が定めたものを孔子はお手本にしていますが、時代とともに形式化していたのを、「仁」(内面=まごころとおもいやり)との調和を唱えて立て直しました。普通、「仁」を伴わない「礼」は偽善的だと言われますが、ここでは逆に、「内面」を外面的形式で整えているようです。すなわち、無法則な丁寧さは骨折り損になるだけで、無法則な慎重さはいじけるだけで、無法則な秩序は無秩序を生み、無法則な正直さは人を締め上げると。そうか、「仁」は“中身”で、「礼」は“容器”のようなものでしょう。ファッションで言うと、中身はボディで容器は服装でしょう。だんだんわかりやすくなってきました。ま、私の暴論です。

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論語でジャーナル’25

第八 泰伯篇

1,子曰く、泰伯はそれ至徳と謂(い)うべきなり。三たび天下をもって譲れるも、民(たみ)得て称するなし。

 先生が言われた。「泰伯こそは最高の徳の持ち主と申しあげてよいであろう。天下を三度も兄弟に譲られたが、国民はどういうことかわからなかったので、ほめたたえようもなかった」。

※浩→「世界の名著」にも「中国古典選」にも詳しい説明があって、いずれも捨てがたいのです。ここでは吉川幸次郎先生の解説から引用しておきます。
 泰伯は、周王朝創業前期の賢人である。周王朝の先祖がまだ殷王朝治下の西方の一諸侯として陝西省西部にいたころ、まず頭角をあらわした君主は大王であり、三人の子どもがあった。その長男がここで話題になっている泰伯、次男が仲雍(ちゅうよう)、末子が季歴であり、季歴の子が、のちに周王朝の創業を決定した英雄、文王である。大王は、孫の文王の才能を早くから見抜き、これに王位を伝えようとした。そのためにまず、季歴を跡取りにしなければならないが、父の意向を察した泰伯と、仲雍は、南方の未開地域である呉の国、今の蘇州付近に亡命し、かつ断髪文身、つまり散切り髪の入れ墨という南方の風俗に身をやつして、父の後継者たることを拒否し、王位がうまく季歴を経由して、文王に伝わるようにした、というのである。
 そうした泰伯の行為を、至徳、至上の道徳、と批評しうべきものと、たたえたのです。「譲り合う」ということが最近は珍しくなってきて、世の中は「奪い合う」一辺倒みたいです。歩いていてすれ違うとき、こちらが待ってあげていると、会釈もなしに去っていく人がほとんのですが、稀に丁寧に謝意を示される人もいらっしゃって、そういうときはこちらまで心が豊かになります。男女差別ではありませんが、どちらかというと男性のほうが会釈をなさる方が多いようです。
 私が在職中、相談室長のポストをめぐって、同僚と譲り合ったことがあります。同僚のY先生は、担当教科は私と同じ「社会科」でしたが、彼はカウンセリングにはまったく関わらないで、代わりに、心理テストの実施とその事後処理、その他、事務関係を一手に引き受けられて、私のほうはカウンセラーとしての“職人仕事”に専念できました。年度末には翌年度の分掌希望を出します。当時の室長が翌年度は専門科長になられるため、相談室長の座が空くことになりました。分掌希望の用紙には、Y先生も私もそれぞれ、相手を室長に推薦していたことが校長から知らされました。校長から呼び出されて、「是非とも大森先生に室長をお願いしたい」と言われました。強引に辞退するのも傲慢と考え、お受けしました。Y先生はその1年は相談室にいらっしゃって、翌年は図書課へ移動されましたが、その後も退職までは仲良くおつきあいしました。

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韓国語講座10/9

第38課 「原因・理由の表現と「으変則」
<原因・理由の表現>
#キーフレーズ
時間がなくて来ることができませんでした。
シガニ オpソソ モドワッソヨ
시간이 없어서 못 왔어요.

#原因・理由の表現「~(し)て」「~ので」
・陽母音語幹 + 아서
・陰母音語幹 + 어서
・하다語幹 + 해서
彼女と喧嘩してつらいです。
ヨジャ チングラン サウォソ マウミ アパ’ヨ
여자 친구랑 싸워서 마음이 아파요.

#練習
 小さい=작다
 小さいので=작아서 チャガソ
洋服が小さいので着ることができません。
オシ チャガソ イブr ス オpソヨ
옷이 작아서 밉을 수 없어요.

<聞き取り>
「遅れてごめん」
ヌジョソ ミアン
늦어서 미안.
@늦다=遅れる

<ワンポイント>
#しりとり
 수용 水泳→ 영수증 領収書

#ジェスチャーで単語
写真を撮る
사진을 찍다.
スキューバダイビングをする
스쿠버 다이빙을 하다.
作詞作曲をする
작사 작곡을 하다.
カラオケで歌う
노래방에서 노래를 하다.
釣りに行ってタコを釣る
낚시 가서 문어를 잡다.
ピアノを弾く
피아노를 치다.

<으変則>
#キーフレーズ
僕もうれしいです。
チョド キッポヨ
저도 기뻐요.

→으(ウ)変則
#語幹の最後の母音が「ㅡ」の動詞・形容詞が「으変身」する。
語幹が2文字以上の場合
1)語幹の母音「ㅡ」の1つ前の母音が「ㅏ」か「ㅗ」(陽母音)
 忙しい=바쁘다
  바쁘の「ㅡ」を取って아を付ける→바빠요 忙しいです
2)語幹の母音「ㅡ」の1つ前の母音が「ㅏ」「ㅗ」以外(陰母音)
 うれしい=기브다
  기쁘のㅡを取って어を付ける→기뻐요 うれしいです

#語幹が1文字の場合
 大きい=크다
  「ㅡ」を取って어を付ける→커요 大きいです

#練習
花がきれいです。
꽃이 예뻐요.
手紙を書きます。
편지를 써요.

編集・削除(編集済: 2025年10月09日 06:54)

論語でジャーナル’25

37,子は温(おだや)かにして而(しか)も厲(はげ)し。威あって而も猛(たけ)からず。恭(うやうや)しくして而も安(やす/やすらけ)し。

 先生は穏やかでありながら、きびしいところがあり、威厳がありながら、荒々しくなく、慎み深いところがあって、固苦しくなかった。

※浩→ここは孔子の人格を弟子が記載しています。「而も」という接続詞は、相異なるごとく見える要素の、釣り合いの取れた併存、それが中国では常に人間の理想とされた。孔子はまさしくそういう人物であったということです。
 ここでも“中庸”の徳を思わせますが、中庸というのは、物事のちょうど真ん中ということではなくて、「時と場合に応じて過不足のないように」ふるまう、というように理解できます。古代ギリシャのアリストテレスが言う“中庸”がそうでした。したがって、「穏やかでありながらきびしいところがない」というのは、穏やかさときびしさの真ん中ではなくて、「然るべき人に然るべきときに然るべき程度に穏やかに、然るべき人に然るべきときに然るべき程度にきびしく」ということではないかと思います。“併存”はこういうことでしょうか。アリストテレスの『ニコマコス倫理学』などに“中庸の徳”が述べられています。アリストテレスの師匠プラトンは、“四元徳”といって、知恵・勇気・節制・正義を挙げました。馬車に喩えて、御者=知恵が勇気と節制という2頭の馬をうまくコントロールできている状態が正義であるということです。アリストテレスはこれをさらに発展させて、まず、知性的徳と習性(倫理)的徳に分けました。知性的徳はさらに理論的な「知恵」と実践的な「思慮」に分かれ、知恵はひたすらイデアを求める“観想”で、思慮は感情や欲望に中庸を命じて、それが実現したものが「習性的(倫理的)徳」ということになります。「勇敢」「節制」「矜恃」「穏和」「親愛」「機知」「正義」などについて、詳しく述べられています。アドラー心理学の世界では、1998年の名古屋総会に招聘したジェーン・ネルセン先生がおっしゃった、「やさしく、きっぱり(kind and firm)」が、今日の「論語」にぴったりきます。やさしすぎるとアナーキーになりそうで、またきびしすぎるとファシズムになりそうです。ちょうどほどよくということですが、これも、「kind+firm/2」ではなくて、時と場合と相手に応じてしかるべくと考えるほうが、実践的です。学校ではよく「授業が騒がしい」クラスが話題になります。指導教師の態度が「毅然としていてしかもやさしさ」を踏まえていると、こういう事態には陥らないはずなのですが。野田先生は、断食も飽食もたやすいが、中間のダイエットが一番難しいとおっしゃっていました。
 「論語・述而篇」はこれで終わりです。次回からは「泰伯篇」に入ります。(野田俊作)

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